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2022年3月14日月曜日

NHKプロフェッショナル ~究極のバーチャルシンガー「初音ミク」~

NHKプロフェッショナル~仕事の流儀~で「初音ミク」が取り上げられました。NHKさんの初音ミク愛は、尋常でないですね。きっと制作側(それも、かなり偉い人)の中にボカロファンがいるんでしょう。

番組は、IBMコンピューターの「デイジーベル」から始まり、YAMAHAのプロジェクトへという展開でしたが、開発の話はここまで。その後は、ずっと「ボカロP」を取り上げていました。つまり、今回のプロフェッショナルとは、開発したエンジニアたちではなく、初音ミクを使って音楽制作に携わっている「ボカロP」さんたちのことだったようです。

ヲタク文化としてのボカロも、ちょっとだけ触れられていて、歌い手さんも紹介されていました。初音ミクに影響されたアーティストとして、「YOASOBI」「ヨルシカ」「Ado」さんたちも出てきました。短いながらも、ちゃんとインタビューもしていて、さすがNHKの人気番組です。

全体な印象は、現在のボーカロイドと周辺の情況が良くまとめられていたな、と云う感じでしょうか。

お約束の「プロフェッショナルとは?」という問いに対して、社長さんは、「Everyone Creator」みたいなことを云ってましたけど、それは、2007年の発売時から数年間のことであります。今だって、誰でもボカロPになれますが、相手にしてもらえるのは、ほんの一握りの有名ボカロPだけ。番組では、その彼らを「プロ」として取り上げていたように思います。

で、そのプロのお仕事・・・制作風景が紹介されていました。登場したのは、顔出しNGの「Mitchie M」氏と「DECO*27」氏、それから、教祖こと「きくお」氏でした。商業ベースの仕事をこなし大御所感満載の「DECO*27」氏と、独特の世界観で海外に多くのファンをもつ「きくお」氏という、二人のボカロPを対照的に取り上げていたのが面白かったです。

僕は、初音ミクの楽曲でも、「DECO*27」氏の作品はよく聴いてましたが、「きくお」氏の曲は馴染みがありませんでした。今回、ちょびっと勉強させていただきました。

誕生から15年。ボカロに対する差別や偏見が無くなったと同時に、熱量とプレミアム感も無くなりました。今では、初音ミクが歌っているとしても、「だから何?」って感じですし、ボカロPも特別で怪しい存在ではありません。ミュージシャンが、たくさんの音楽表現ツールの1つとして、ボーカロイドを選択しているに過ぎないのです。15年たって、本来のあるべき姿になったということでしょう。

2021年5月16日日曜日

Ado「うっせぇわ」のヒットに思う。 ~初音ミクAIへの道:その5~

 18才の歌い手「Ado」さんのメジャーデビュー曲「うっせぇわ」(詞曲・編曲:syudou)が、大ヒットしている。さらに、4月には、4作目のシングルとなる「踊」を配信限定リリースして、こちらも話題になっているようだ。「踊」は、ボカロ界の重鎮DECO*27氏が作詞、作曲・編曲はGiga氏とTeddyLoid氏が担当したとあった。ボカロ界でも、ついに重鎮と呼ばれる人物が存在するようになったらしい。

DECO*27氏は、このブログでも取り上げさせていただいた、ボカロ第2世代の「重鎮」である。数あるボカロ曲の中から、今回は、これを貼り付けさせていただこう。

で、Giga氏の楽曲というと、思いつくのは、この曲である。

自慢しよう。僕は、オジさんでありながら、この2曲が演奏されたライブに、それぞれ参戦しているのだ。

さて、Adoさんの「うっせぇわ」が大ヒットして、社会現象にまでなっている。この前も、近所のスーパーで親に連れられたガキ・・・児童が「うっせぇ、うっせぇ・・・」と歌っていた。「オマエの方がうっせぇわ」なんていうツッコミは、もう使い古されて誰も云わなくなったようだから、云わない。

この楽曲がヒットした理由については、様々な肩書きの人たちが、いろいろな分析をしている。歌詞の内容が現在の若者の心情を代弁してるとか、2倍音を多用したサビが効果的であるとかだ。スーパーで出会ったお子様は、社会の閉塞感を感じていると云うよりも、まあ、毒されているだけだろう。「千本桜」の時もそうだったが、子どもはボカロと波長が合うみたいだ。

以前、このブログで「YOASOBIの『夜に駆ける』が、ボカロの歌ってみた動画みたいだ」という記事を投稿させていただいたが、今回の「うっせぇわ」に関しては、「みたい」ではなく、ボカロの歌ってみた動画「そのもの」である。

「うっせぇわ」は、過激な歌詞や、一度聴いたら頭から離れないフレーズが特徴といえるが、この類いの楽曲は、中毒系と云って、ボカロ界では、ずっと前から作られていたように思う。人間の歌手だったら、事務所NGとなるような歌詞だって、コンピュータは歌ってくれるからだ。だから、このような楽曲がネットに出てくることは、全然想定の範囲内なんだけど、僕が驚いたのは、これを人間の女の子が歌い、リアル社会に受け入れられたということである。

Adoさんが、ボカロの歌ってみた動画で、配信限定とはいえメジャーデビューしたのは、YOASOBIの成功を受けてのことだと思う。もはや、ボカロとは、コンピュータの歌唱を意味するモノではなく、音楽の数あるジャンルの1つってことらしい。

歌い手のAdoさんについては、小学1年生の頃から父親のパソコンでVOCALOID楽曲を聴き始め、小学校高学年になると、ニコニコ動画の顔を出さずに活動する歌い手の文化に興味を持ち始めた、とあった。彼女は、物心ついたときから、コンピュータが歌っていた世代だ。だから歌い手に対する意識も全然違うんだろう。

初期の頃の歌ってみた動画は、ボカロを歌ってみたけど・・・ダメだった、みたいな「全然歌えてねぇじゃん!」というツッコミを期待しての投稿だったように思う。顔を出さない理由の1つは、あくまでも遊びの延長だったからだ。それが、段々と歌唱自慢の場になっていって、誰でも投稿できるモノでは無くなり、ニコニコ動画の活気は失われていった。その一方で、難曲を歌い切る「歌い手」は、憧れの存在になっていったのだ。Adoさんは、歌い手として音楽を楽しむのではなく、歌い手をきっかけにして歌手を目指すのでもなく、歌い手になることを目的にできる世代なのだ。

もし、この楽曲をボーカロイドが歌い、普通にネット配信しても、世間からは見向きもされなかっただろう。「うっせぇわ」のヒットは、Adoさんの存在感有りまくりな歌唱があればこそである。そして、彼女がボカロ曲そのもの、つまり、人間の女の子というアドバンテージを排して、歌唱だけで勝負しているということは、歌い手として比べた場合、ボーカロイドは、人間には到底敵わないということになる。人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道は厳しい。

今は、ボカロの歌ってみた動画(みたいな曲で)でメジャーデビューするって時代なのだ。「みくみくにしてあげる♪」の配信権を巡って炎上していた頃からすれば、考えられない話である。

Adoさんが、今年のNHK紅白歌合戦に出演するかどうかが、話題になっていた。僕的には、出ても良し、出なくとも良しってところだろうか。顔だって、出しても出さなくても良い。歌い手Adoが歌手Adoとして大成するには、顔出しNGみたいなキャラ作りは不要に思うからだ。もし出演するのであれば、GReeeeNの時のような視聴者を小馬鹿にした演出だけはやめて欲しい。それだけである。

2020年11月7日土曜日

「色のなき風やボカロのラブソング」岩永徹也

 プレッシャーバトル(プレバト)というバラエティ番組がある。特にファンと云うわけでもないのだが、何年もダラダラと見続けている。番組の中核は俳句のコーナーで、初めの頃は、なるほどと感心しながら見ていたのだが、最近はマンネリ気味だ。でも、習慣で見てしまう。先日も習慣で見ていたら、「岩永徹也」君がボーカロイドを詠んだ句を発表していた。マルチな才能を持つ彼は、作曲にも取り組んでいるとのことで、作曲支援のツールとして、ボカロ・キーボードを使っているようだ。岩永君のこのようなボーカロイドの使い方は、開発時に想定されていた正に王道なのであって、細やかではあるが、メディアに紹介されたことは嬉しい限りである。

で、岩永君が詠んだ句がこれである。

「色のなき風やボカロのラブソング」

梅沢さんは「色のなき風や」がどうも気になっていると云い、季語本来の形である「色なき風や」にしなかったことを指摘された。また、夏井先生は「ボカロ」を知らなかったとのことで、ボーカロイドという言葉の省略形を使用したことの善し悪しの判断を保留された。司会の浜ちゃんは、ボカロも初音ミクも何も知らなかった。プレバトでは、番組のBGMでボカロ曲をたくさん使っているのが特徴なんだけど、それを何も知らないってことは、彼は収録後の番組を全然チェックしていないってことなんだろう。フジモンさんは、ボカロ=バーチャルアイドルというイメージで捉えられているようだった。

この番組は、夏井先生の添削が最大のウリで、時には、ヤラセではないかと思えるほどの見事な添削を披露してくださるのだが、今回のように知らないことは知らないと云い、周囲の人に教えを請い、判断しかねるときは保留するという態度は素晴らしいと思った。

夏井先生の添削された俳句がこれである。先生は、直すと云うよりも、普通はこうなるというスタンスで発表されたように思う。

「色なき風やボーカロイドのラブソング」

季語の「色なき風」は、平安時代の短歌にも見られる、古い季語なんだそうだ。五行思想を季節に当てはめて、青春、朱夏、白秋、玄冬と云う言葉が生まれた。秋のイメージカラーは「白(透明)」とされ、そこから秋の風を色なき風と表すようになったらしい。 

代表的な歌が、「新古今集」に収録されている久我太政大臣雅実が詠んだ歌。

物思へば色なき風もなかりけり   身にしむ秋の心ならひに

なんだそうだ。

普通は、「秋風や」とか、「秋の風」とするところを、「色なき風」としたのは、岩永君の博学であり、お洒落なところで、900年以上前の歌にも使われている季語を、ボカロという現代・近未来的なものに合わせたところが、この俳句の面白さである。

岩永君は、ボカロのラブソングは、心の無い無機質な冷たい歌であり、そこから、色なき風を連想したと説明していた。無色透明なボカロの歌に、如何に色づけをしていくかが、ボカロPの腕の見せどころなんだと思うのだが、ボーカロイドをツールとして捉えている岩永君には、ボカロに対して、そういう想い入れは無いのだろう。

岩永君の決定的なミスは、季語を「色のなき風」としたことである。何故「の」を挟んでしまったのだろうか。僕は、ボーカロイドをボカロと省略したことと関連があるように思う。夏井先生は、ボカロという省略形を使ったことの是非を保留した。どちらでも良いのならば、ボーカロイドのままで良かったと云うことなのだが、ボーカロイドとボカロの語感は微妙に違う。

「ボーカロイド」と省略しない場合は、コンピューターに歌わせる技術そのものを表すのに対して、ボカロと云ったときは、(ヲタク)文化的な意味が強調されるように思う。岩永君が「色なき風」と合わせたかったのは、ヤマハのエンジニアが心血を注いで開発したボーカロイドでは無く、ヲタクが喜んで聴いているボカロなのであって、紛い物のラブソングを表すのは、やはり「ボカロのラブソング」の方がしっくりする。で、結局、ボカロにこだわって、歌のリズムを合わせようとした結果、「色のなき風」となったんだと思う。俳句の季語よりもボカロの方に強い思いを持つ僕には、夏井先生の添削作品よりも、岩永君の歌の方がしっくりくる。

「色なき風や○○○ボカロのラブソング」

「色なき風」と「ボカロ」を取り合わせて、僕なりに直してみようと思ったのだが、上手くできるわけもなかった。この辺の事情が夏井先生に上手く伝わっていれば、きっと素敵な三文字を入れてくれたに違いない。

ボカロのラブソングを貼り付けさせていただいてお終いにしようと思う。槇原敬之氏の「もう恋なんてしない」で如何であろうか。もう御本人がメディアに出てくることも無いと思うので、せめて、色なきボカロのラブソングを。

2020年1月6日月曜日

「AI美空ひばり」紅白出場 ~人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道 その4~

「AI美空ひばり」NHK紅白歌合戦出場


昨年末の紅白歌合戦は、だいぶ地味な印象を受けた。
まあ、前回と前々回がインパクト有りまくりだったから、余計にそう感じるのだろう。

で、いつものように批評や批判の投稿もたくさん出ているが、
中でも「AI美空ひばり」の評判が芳しくない。
そりゃぁそうだろう。
本物より良い贋物なんて有るわけ無いからだ。
だから、ニセモノは似せ者どうしで比べなければアンフェアである。
例えば、島津亜矢さんが歌う「柔」より劣っているが、
忘年会で上司が歌う「川の流れのように」よりはマシといった具合にだ。

ただ、安直にコンピューターなどで再現させるものでは無い、という意見には賛同できない。
コンピューターにこれだけのことをさせるための技術や労力は、生半可なものではないからだ。
安直な気持ちでは、コンピューターに再現させることなどデキやしない。
どうやら世間は、ボタン一つ押せば、AIが美空ひばりを簡単に再現してくれると思っているらしい。
昨年、「美空ひばり」の歌を誰よりも聴き込んだのは、YAMAHAのエンジニアなのだ。
頑張ってる姿が世間に直に伝わらないのが、エンジニアの悲しさと云えよう。

このプロジェクトがNHKスペシャルで放送されたときは、興味深く視聴させていただいた。
「AI歌唱」は「ボーカロイド」とは全く異なるシステムではあるが、
コンピューターによる歌唱という点では同じだし、
どちらも開発したのがYAHAMAのエンジニアたちということもある。
カバーでなくって、新曲を歌わせるという演出も面白かったし、
秋元氏の起用も、作品に箔を付けるためにはどうしても必要だったのだろう。

でも、天童よしみさんに美空ひばりさんの振り付けを真似てもらい、
モーションキャプチャーして、CGを被せて、コンピューターの歌唱に合わせて、
オーケストラの生伴奏で、4K・3Dホログラムで映し出す?・・・って、

ほぼ初音ミクのライブぢゃないか!!!

こんなことは、初音ミクのライブでは10年も前からやっていることである。
で、ミクがやると、オタクだのキモいだの云われるのに、この扱いの差は何だ!!!
まあ、NHKさんは、ボーカロイドにいろいろと良くしてくれてるので、文句をいうのはやめておこう。

ただ、番組は面白かったけど、美空ひばりのCGは酷すぎであった。
最大の敗因は、4Kなんかで作ったからだと思う。
中途半端に似せるのでは無くって、ザックリ作って足りない部分を見ている側に想像させた方が、
受け入られたように思う。

で、そのAI美空ひばりが紅白で披露されると知って、僕はすごーーくイヤな予感がした。
興味を持ったヤツだけが見るNHK特集と違って、
不特定多数が視聴するNHK紅白歌合戦での披露はキケン過ぎるからだ。
結果は、ご承知の通り。
違和感があるだとか、嫌悪感を感じるだとか、散々な云われようである。
まあ、あのCGなんだから致し方ないけど・・・。
だから「皆さん目をつむって聴いてください」って云えば良かったと思う。
歌だけ聴かせて、あとは聴き手に想像させれば・・・って紅白ではそういうわけにはいかないか。

「ボーカロイド」も今回の「VOCALOID:AI」もコンピューターに歌唱させる技術である。
人の歌唱を人工的に再現することがどれだけ大変か、
逆に云えば、美空ひばりの歌唱は・・・もっと云うと、人が歌うという行為が如何に素晴らしいか。
そのことについて評価すべきなのに、キャラクターの部分が強調されて、
初音ミクと同じことになってしまったのは残念極まりない。


さて、「VOCALOID:AI」は、AI技術を美空ひばりに似せることに使っているが、
これは人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」開発の第一歩だ。
言語習得だって、芸術表現だって、全てはモノマネから始まる。
これを出発点として、真のコンピューター歌唱の実現を目指して進んで欲しいもので或る。

何故、コンピューターで再現するのか。それは、本物が掛け替えのないものだからである。


以下は、二年前の投稿記事で或る。
「AI美空ひばり」には、本物という評価対象が存在するが、
「初音ミクAI」が目指すものは聴き手を感動させる歌唱で或る。
この二年間だけでも、AI技術の進歩はめざましいモノがあるから、
人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」の実現も遠い未来の話ではなくなってきたように思う。



人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道


ボーカロイドにおける人工知能の役割とは如何なるものでしょうか。
 
ボーカロイドとは、音符と歌詞を入力すれば、それなりに歌うことのできるソフトです。
ただし、厳密に云うと、そこに「歌う」という行為は存在しません。
正確には「言葉を使って演奏している」と言うべきでしょうか。
聴き手は、その「言葉」の存在によって「演奏」の向こう側に「歌う」という行為をイメージします。
それは、欺されているというよりは、人間が持つ感性によるものです。

ボカロPの役割は、その「言葉を使った演奏」を、あるときは人間の歌唱に近づけて、
また、あるときは機械らしさを前面に出して、作品を完成させることでした。
彼らが「P」を名乗るのは、音楽プロデューサー的役割を果たしていることを自認しているからです。

人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」とは、
ボカロPの関与を必要としない、自立型のボーカロイドと定義できそうです。

「初音ミクAI」が最初にすべきことは、歌詞の内容を理解することです。
「東ロボ君」の記事でふれたように、AIにとって文章理解は最大の難関で、
現在の技術的アプローチでは、真の意味での読解は不可能とされています。
ただ、歌詞というのは、特殊で限定された文章です。
一青窈の「ハナミズキ」が9.11テロを鎮魂しているなんて読解は問題外ですが、
歌唱に反映させる程度の読解はそう難しいものでは無いように思います。

歌詞の内容を理解した「初音ミクAI」は、その結果を歌唱に反映させます。
従来の「調教」は、ボーカロイド歌唱の不自然さを修正するのが主目的でしたが、
それについては、ソフトウェアの改良によってクリアーできようになってきています。
ですから、「初音ミクAI」の最初の課題は、限りなく人間の歌唱に近づく、
つまり、悲しい歌を悲しそうに歌うことを可能にする、ということになります。

AIに期待するのは、息成分や声質などの様々なパラーメーターを自らコントロールすることで、
与えられた楽曲に相応しい歌唱を作り上げることにあります。
ネット上に存在する、無数の歌唱から歌唱テクニックを獲得するのも勿論ですが、
重要なのは、強化学習によって、自らの歌唱の中から最適な歌唱を決定させることにあります。
人間だって、レコーディングの時は、何テイクも録って、最良のものを求めるわけですが、
「初音ミクAI」は、そのテイク数が何千万通りも可能であるわけです。

「初音ミクAI」は、各パラメーターの気の遠くなるような組み合わせから、最適な歌唱を決定します。
この場合の最適な歌唱とは、人間のような自然な歌唱です。
例えば、松浦亜弥的歌唱法をAIによって再現させると云うことも可能になります。
本人の音声データを使えば、区別できないくらい似せることも可能になるわけです。

しかし、ここに評価という最大の問題があります。
人間のレコーディングでしたら、コントロール・ルームにいる「P」さんが、
「それじゃあ伝わらないなぁ」なんて1つ1つダメ出しするんでしょうけど、
AIの強化学習は、何百万、何千万通りという歌唱パターンを評価していくわけですから、
AI自身による自己評価が可能なシステムを構築しなければなりません。
ゲーム分野、例えば将棋の評価規準は、勝敗や駒の損得率などから構築することができますし、
車の自動運転だって、安全で効率的なルート設定という明確な目的があります。
それと比べて、歌唱の優劣についての評価規準の構築は、そう簡単なものではありません。
そもそも、歌唱に優劣など存在するのかという問題もあります。

どんな歌唱に感動するのかなど個人の好みの問題で、規準など存在しない、
という考えもあると思います。
しかし、私たちは歌唱に関して、何かしらの共通した認識を持っていることも確かです。
この共通した認識を解明し、歌唱における評価関数を構築することこそ、
「初音ミクAI」を成功させる最重要な課題と云えます。

では、歌手の皆さんはどのようにして自己の歌唱を評価しているのでしょう。
今日のライブは上手く歌えたという印象は、どのようなときに持てるものなんでしょうか。
声が出ていたとか、音を外さなかったというレベルなら、現状のボーカロイドでも自己評価可能です。
今日は気持ちよく歌えたとか、観客と一体になれたなどと云う場合は、
その根拠を探らなくてはなりません。

一方、私たち聴き手は、どのような歌唱に出会ったときに、感動するのでしょうか。
歌に心がこもっているとき・・・よく耳にする言葉です。
しかし、歌といえども音です。
空気の振動という物理現象です。
物理現象ならば、心がこもっている歌唱と、そうでない歌唱には、解析可能な違いがあるはずです。

人の歌唱というのは、大変不安定なもので、揺らぎまくっています。
また、感情が高まれば、心の動揺が歌唱に反映されていきます。
それらには、意図的なもの(テクニック)もありますが、
そういった歌の揺らぎが、聴き手の心の襞に作用することによって、感動が伝わるのです。
この揺らぎこそ、従来のボーカロイドが再現できていない部分であり、
聴いたときに、違和感をもたれる最大の原因です。

しかし、人間の歌唱であっても、YouTube動画やCDで聴いている時点で、
それらは既にデジタル化され人工的に再現されたものです。
生のライブでも、マイクを通して、スピーカーから聞えてくる歌声は、
厳密な意味で、もはや肉声とは云えません。
音という物理現象で考える限り、発生源が人間であれ、機械であれ同等なのです。
それでも、人間の歌唱と人工的に作り出したボーカロイドの演奏が同じでないと云うのなら、
それは違うのでなく、足りないにすぎません。

「初音ミクAI」は、その(膨大な)足りないモノを、評価関数による解析を基に補うのです。

しかし、これは、「初音ミクAI」の最終目的ではありません。

将棋の対戦で、AIは人間だったら絶対に指さない、悪手を平気で指してくると云います。
AIは、恐れを知りません。
人間のように先入観や固定観念に縛られない非常識な発想が、新たな手法を生み出し、
それらは人間にフィードバックされていくわけです。
 
「初音ミクAI」に、真に期待するもの。
それは人間の真似ではない、全く新しい歌唱法です。
歌唱における評価関数が構築されたとき、
「初音ミクAI」は、僕らをどんな世界へ連れて行ってくれるのでしょうか。


2019年4月14日日曜日

「裏表ラバーズ」 feat.初音ミク ~ボカロP「wowaka」の早すぎる死~

「wowaka」という若者がこの世を去った。享年31だそうだ。

一部メディアでは、あの有名な米津玄師氏のライバルであり、親友だった人物と紹介されてたらしい。wowaka君の知名度は、世代間の格差が極めて大きいから、「よく分からないけど、誰だか有名な人が、若くして死んだらしい」というのが、世間一般の捉え方だろう。

死因は、急性心不全。急性心不全とは、急に心臓が止まったという意味で、そういう名前の病気は無いそうだ。だから、止まってしまった何らかの理由、つまり本当の死因があるわけで、ネットでは幾つかの噂が流れているが、全ては根拠の無い憶測にすぎない。

「wowaka(ヲワカ)」君は、「現実逃避P」の名でニコニコ動画に楽曲を投稿していたボカロPだった。学生時代からバンド活動をしていたそうだが、「livetune(kz)」の影響を受けて、2008年あたりからボカロを始めたらしい。ボカロPとしては、米津玄師氏と同じ第二世代にあたり、氏とはニコニコ動画の再生数を互いに意識し合うライバルだったようだ。

2011年頃には、ボカロPを卒業(?)して、バンド「ヒトリエ」を主宰。生ライブ中心の活動をするようになった。境遇の重なる米津氏とは、親友と呼べる間柄だったとされている。

メジャーデビューもしていたし、ライブ活動も順調だったとはいえ、どこかのアリーナに何万人も集めてワンマンライブをするとか、ヒットチャートの常連だとか、ましてやNHKの歌番組に出てくることなどなかったから、世代を超えて知られる存在ではなかった。が、ミュージシャンの幸せというのは、そんなところにあるわけでは無いから、どうでも良いことだろう。

ボカロブームを作り上げた第一世代の「ryo」氏や「kz」氏が、どちらかというと普通っぽい「このまま人間が歌っても良いんじゃねぇ」的な楽曲だったのに対して、米津氏やwowaka君の楽曲は、独特の中毒性があって、人間の歌手では凡そ歌い切れそうにない、いわゆる「ボカロっぽい」のが特徴だった。

中高生を中心とした若者たちから、絶大な支持を得ていた両氏であったが、僕のようなオジさんにとっては、理解し難い楽曲も多かった。でも、米津氏のそれが(今と違って)「どこが良いんだかよく分からない」モノであったのに対して、wowaka君のは、「よく分からないけど、何だか面白い」作品が多かったように思う。

Zepp名古屋のライブで「裏表ラバーズ」と「ワールズエンド・ダンスホール」を、武道館では「アンハッピーリフレイン」の演奏を聴いたことがある。どれも前奏が始まった瞬間の盛り上がりが凄かった。ボカロファンにとって、彼の楽曲群はボカロが最も輝いていた頃の象徴なのだろう。

で、代表曲を1つと云えば「裏表ラバーズ」で異論は無いだろう。

動画は、2010年にZepp東京で開催された伝説のライブからである。楽曲をサポートするバックバンドのクオリティーの高さと、透過型スクリーンに映し出されたCGに熱狂するヲタクとのギャップが面白い。


ボカロならではの高速歌唱だから、何を歌っているか全く分からない。と云うことで、字幕付きの公式PVはこちら。


かなりキワどい、というか下ネタと云っても良いくらいの歌詞である。純愛などと気取ったところで、要はヤリたいだけってこともあるし、ラブラブに見えるカップルでも、心の内は分からないってことか。
ただ、言葉の選び方やつなげ方を見ると、単なるウケ狙いの高速歌唱作品で無いことは明らかだ。きっと頭の良い奴なんだろうと思っていたら、東大卒だという噂を聞いた。
この歌を、当時の中高生が、意味も分からず、カラオケで歌っていたことを考えると笑ってしまう。                   

こんなキワどい歌詞を高速歌唱できるのがボカロの真骨頂・・・って云うか、ネタならば兎も角、こんな歌を歌唱したいなんて考える人間の歌手はいないだろう。

元々、ボーカロイドは、人間の歌唱を補助するものとして開発された。ボーカロイドが主役になることなど、全く想定されていなかったのだ。しかし、初音ミクの登場により、状況は一変してしまう。
やがて、人間の代わりに歌うという使い方から、ボーカロイドならではの歌唱を追求していったのが、当時「ハチ」と名乗っていた米津玄師氏であり、現実逃避Pことwowaka君たち第二世代であった。

その試みは、結果として、歌唱のガラパゴス化をきたすことになって、必ずしも成功したとは云えないのだが、それを踏み台として、人間の歌をプロデュースする本物の「P」として活躍しているのだから、それはそれで嬉しい限りで或る。

お終いに、昨年のマジカル・ミライから「アンノウン・マザーグース」である。米津氏とwowaka君の双方に云えることだが、ボカロを卒業した後も、こうやって新曲を提供してくれることが有り難い。一流の奴というのは、何と言われようと、受けた恩は一生忘れないモノなのだ。



彼は、4月1日付けのTwitterで「令和キレイだー」と投稿した。「REIWA」という響きが、彼のミュージシャンとしての琴線をとらえたのだろうか。彼が急逝したのは、そのわずか4日後。気鋭のミュージシャンとして、美しきREIWAの時代を作ったであろう彼は、来たるべきREIWAの時代を生きること無く、この世を去ってしまったのだ。

2019年2月3日日曜日

「嵐」、活動休止報道に再便乗して、ボカロカバーをもう少し

 嵐の活動休止発表から一週間。メディアもいろいろとネタを掘り出してきますけど、世間では、この事態を少しずつ冷静に受け止め始めたように思います。

よく考えてみれば、休止は2年も先の話だし、安室奈美恵さんと違って、芸能界から引退するわけでもありませんからね。動揺して損した感がちょびっと出てきました。

では、さっそく、「夢光P」さんの「One Love」からいきましょうか。ソロとユニゾンやハモりの使い分けとか、歌割りも良く考えられています。5体のボーカロイドの個性もちゃんと出ているし、聴けば聴くほど神カバーに思います。


そう云えば、記者会見での「無責任」質問が批判されていましたけど、芸能記者なんて爪あとを残してナンボの仕事ですからね。それに、大野君の脱退ではなく、なぜ活動休止なんだろうって思うのは素朴な疑問だし、彼らの経済効果とその休止に伴う影響を考えれば、無責任だと云いたくなる気持ちも理解できます。KAT-TUNなんて、3人抜けてK-UNになっても解散してませんでしょ。

続けて「hartfield2011」さんの作品をいくつか。まずは「Lotus」。


夢光Pさんの作品は違和感の無さがスゴイところですけど、こちらは、嵐の歌唱に全く寄せることなく、ボーカロイドの特性を前面に出したカバーが特徴ですね。

桜井君が言うところでは、残り2年間を全力で走り抜けることが、責任を果たすことなんだそうです。無責任批判に対する神対応として、ネットで絶賛されてました。嵐の好感度はさらにアップしてますから、オールOKです。

大野君は、大好きな釣りをしていても、明日は「嵐」に戻ると思うのが辛かったそうです。こんな時、昭和だったら「頑張れ、頑張れ」って云うばかりでしたけど、平成になって、辛いときは頑張らなくって良いんだよって感じになって、そういう発想って昭和には無かったように思います。
平成と云うのは、何より「個」を尊重してきたし、周りもそれを認めてきた時代なんだと思います。だから、何となく辞めたいからヤメて、5人じゃ嵐じゃ無くなるから終わりにすると云われても、ファンは、それを理解する義務があるのでしょう。

それにしても、サザエさん症候群であることを、こんなに素直に告白できるタレントさんって、あまり記憶にありません。
だから、ファンからの、「大野君の夏休みを応援しよう」という姿勢は、決して偽善的なものでは無くって、平成と云う時代が培ってきた、1つの在り方に思います。

次のボーカロイドカバーは、かなりの高評価なんですよ。ボーカロイドの無機質な歌唱が、ドラマのイメージにピッタリなんだそうです。僕的には、もうちょっとキーを下げていただきたいところなんですけどね。


この「truth」は、大野君主演ドラマの主題歌でした。僕は、ドラマはあまり見ない方なんですが、これは見ていましたよ。部屋の壁にターゲットの写真を貼ったりしてましたね。

嵐の中では一番地味な印象の大野君でしたが、歌手としても、俳優としても、そしてアーティストとしても、一番才能があったのが大野君だったのかもしれません。ただ、一番アイドルに向いていなかったのも大野君だったということでしょうか。

ただ、アイドルというのが、憧れの存在という意味だとすれば、大野君が送ろうとしている、「全力で走り続けて、やがて自由人になる」という人生は、世の男どもの憧れでもあるわけです。

こちらは本物、全然似てませんけど、これはこれで良いです、ってスミマセン、逆でしたね。


ジャニーズの動画なんて、YouTubeに在るわけ無いって思い込んでたんですけど、思っていた以上にたくさんあって、ビックリしました。ジャニーズといえども、ムキになって動画を削除するような時代では無くなったんでしょうか。それとも、嵐ならではの余裕なんでしょうか。

これから、東京オリンピックにむけて世間が盛り上がっていく中で、嵐の活躍の場は確実に広がっていくだろうし、残り2回の紅白歌合戦と、新国立競技場でのさよならライブにむけて、ロングスパートをかけていくのでしょう。嵐の活躍に今後も目が離せません、ということで、お終いは、しっとりと「ふるさと」にしましょうか。


2019年1月30日水曜日

「嵐」、活動休止 ~嵐愛溢れるボカロカバー~

嵐が活動休止するそうです。先日、NHKが夜のトップニュースで伝えてくれました。来年の年末までだそうです・・・来年の?・・・って、まだ2年も先の話じゃないですか!

で、2017年の6月頃から話し合いをしていたそうです。・・・えっ・・・1年半も前からですか!
活動休止を決心してから、実行するまで、3年以上かかるんですね。決心が揺らいでしまいそうです。

活動休止の真相(?)については、ネットでいろいろと語られていますけど、部外者の僕にはよく分かりませんです。ただ、SMAPの一件が、某かの影響を与えたことは確かだって書いてありました。

あの騒動って、どんなタレントさんにだって、何もかも放り出して夏休みをとる権利とか、喧嘩別れする自由とかがあるんだって、気づかせてくれたわけですからね。だいたい、「嵐が活動休止するなんて信じられない」なんて云ってること自体、嵐はいつまでも存在し続けるに違いないって、勝手に思っているわけで、もしかしたらタレントさんも同じように、いつまでもいつまでも続けていかなくてはイケないんだって漠然と思っていて、で、「あぁ、やめても良かったんだ」って、そんな当たり前のことに、お互いが気づいたってことなんでしょうか。

と云うことで、まずは「LOVE SO SWEET」を貼り付けさせていただきます。投稿者の「夢光P」さんは、B'zや嵐のカバー作品を発表されているボカロPさんです。もう発表から5年以上たつんですね。


ご自身も熱心な嵐ファンだとお見受けいたしました。でなければ、これだけの作品は作れません。

「嵐」の活動もあと2年となるわけですけど、僕には、末期ガン患者の余命宣告みたいに思えます。嵐が自らに余命2年の宣告をしたわけで、だから、残りの人生を精一杯生きていこう、やりたいこと、やるべきことを悔いなくなり遂げようってことと、残り2年、ファンの皆さんと沢山の思い出を作っていきたいってことは、テンション的には、どちらも同じに思います。
きっと、素晴らしい2年間になるでしょうね。どんなことでも、ゴールが設定されるって、最高のモチベーションですから。

次は「迷宮ラブソング」です。
投稿者の「hartfield2011」さんは、今も活躍されているボカロPさんです。伴奏の音源も自作されているようです。「hartfield2011」さんは、ボカロらしさを前面に出した作品が多ので、歌唱のついては好みが分かれるところですけど、伴奏も格好いいし、楽曲そのものの良さが感じられる作品に思いますよ。


続けて、二宮和也さんが主演したドラマの主題歌「果てない空」です。
同じく「hartfield2011」さんの作品なんですけど、あまりにも可愛くて、自然すぎて、ボーカロイドのオリジナル作品のような錯覚に陥ってしまいましたよ。


まあ、SMAPの時も、街角インタビューで「この世の終わり」みたいなことを云ってた人がいましたけど、今だって、5人とも元気に活動していますからね。
嵐だって、大野君がいなくなるのは淋しいけれど、グループの縛りから解放されたメンバーは、それぞれの個性を生かした活動をしていくのだと思います。

アラフォーって、人生の折り返し地点なんですから、ここで、彼らが1つの大きな区切りを付けようとしてることは間違っていないと思うし、何の節目も付けないままに、人生を送ってきた僕からすれば、凄い奴らだなって思います。

そうそう、嵐と云えば国立競技場。活動休止を2020年末にしたのって、新国立競技場の完成を待ってのことかもしれません。今。建設中の新国立競技場って、伝説になるであろう嵐のさよなら口ぱくライブのために作っているようなものですね。当然、会場は押さえていると思いますよ。

 お終いは、クリプトン社の6人のボーカロイドによる「One Love」です。動画のデキが素晴らしくって、ラストにピッタリなんで、セレクトさせていただきました。


さよならを云うには、あまりにも早すぎますね。また、素敵なカバー作品を見つけましたら紹介させていただきます。

2018年12月16日日曜日

「時をかける少女」から「変らないもの」feat.丸山純奈&闇音レンリ 

今回は、アニメ映画「時をかける少女」の挿入歌、奥華子さんの「変らないもの」を取り上げさせていただきます。

「時をかける少女」は今から50年以上前に発表された「筒井康隆」氏のミドルティーン向けの正統派SF小説で、ライトノベルの元祖(?)だそうです。この50年の間に、何度も映画や演劇化、テレビドラマ化、さらにはアニメ化されていて、企画に行き詰まったら「時かけ」という感さえあります。

最も有名なのは、1983年の大林宣彦監督、原田知世さん主演の実写映画でしょうか。尾道を物語の舞台にした作品で、主役の「芳山和子」は、知世ちゃんの実年齢(当時15歳)よりも年上の高校二年生という設定になっています。


知世ちゃん・・・イイですねぇ。演技が素人でも、目がちっちゃくても、ぜーーんぜん構いません。今って、小さい頃からレッスンとか受けてるんで、新人でも完成されちゃってるじゃないですか。古き良き時代だったんだなって思います。

僕の「原田知世」さんへの想いは、2016年10月3日投稿の「原田知世:奇跡の40代の奇跡の歌声」で語らせていただいた通りです。

で、僕的には、1972年にNHKで放送された少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」が元祖になります。「タイムトラベラー」で主役の「芳山和子」を演じていたのが「島田淳子」さん。設定は中学三年生となっています。


深町役の男優さんが、どう見ても中学生には見えません。

当時は放送用のビデオテープが貴重だったため、番組を収録したテープが再利用されてしまい、映像がNHKにも現存せず、幻のテレビドラマと云われてましたが、和歌山県で最終回を録画したテープが発見されて、話題になりました。家庭用のビデオデッキが、当時の価格で三十数万円、60分録画用のテープが1本1万円もした時代で、電気屋の息子が売り物のデッキを使って、1本のテープで重ねながら録画していたため、最終回だけが残ったのだと云われています。

彼女に淡い想いを抱いていたのは、2015年7月13日投稿の「時をかける少女~初音ミク&原田知世そして島田淳子~」で告白させていただいた通りです。

そして、今回、取り上げさせていただくのが、2006年に制作されたアニメ映画版「時をかける少女」です。
このアニメ映画は、原作から20年後の世界となっていて、芳山和子の姪っ子で高校二年生の「紺野真琴」を主役として、東京の下町が物語の舞台になっています。
「細田守」監督の出世作であり、この作品を「時をかける少女」の原点とする若い世代の方々も多いようです。
僕は、アニメ版がテレビ放送された時に、せっかく録画していたのにもかかわらず、何を思ったのか消去してしまいました。聞くところによると、主人公の女の子はかなりアクティブに描かれているそうで、女子高生が放課後に男子とキャッチボールしてるなんてのは、理系ヲタクだった僕にとっては、想像もできないようなリア充です。


知世ちゃんは、こんなハシタナイまねはしません。

挿入歌「変らないもの」は、映画のヒットによって、主題歌「ガーネット」とともに世間に知られることとなりました。青春系バラードで歌唱力をアピールできる楽曲として、現在まで歌ウマ少女たちに好まれてカバーされています。

丸山純奈さんも、2017年3月に横浜O-SITEで歌っていて、YouTubeで視聴することができます。


この時のすーちゃんは13歳。中学一年生から二年生への春休みの時期ですね。この頃のテイクは、YouTubeにたくさんアップされていて嬉しい限りです。
ストレートでぶつけるような歌い方をしているのが特徴で、特に、横浜O-SITEで歌った「明日への手紙」と、この「変らないもの」は、すーちゃんのカバーテイクの中でも秀逸です。

元々は主題歌として作歌された「変わらないもの」が挿入歌になったのは、この歌がばっちりハマったシーンがあったからだと云われています。そして丸山純奈さんの歌は、この映画の世界観に見事にハマっています。(見てませんけど)
もし丸山純奈さんがタイム・リープして、細田守監督がこの歌唱に出会っていたならば、オファーを出していたかもしれませんね。

で、今回紹介させていただく、もう1つのテイクは、「闇音レンリ」さんによるカバーです。
その「闇音レンリ」さんのプロフィールですけど、年齢は17歳、身長158cm、体重45kgと紹介されています。まずは、聴いてみてください。


いかがでしたか、オリジナルの「奥華子」さんに、だいぶ寄っている歌唱ではないでしょうか。

お気づきのことと思いますが、「闇音レンリ」は人間ではありません。このテイクは、歌声合成ソフト「UTAU」によるコンピュータの歌唱になります。
「UTAU」は、「飴屋/菖蒲」氏が開発した、歌声合成のためのフリーソフトで、ヤマハのボーカロイドとは異なる理論によって構築されています。このソフトの最大の特徴は、音声ライブラリーを自作できることで、自分の声をライブラリーとして、コンピュータに歌唱させることができます。
もちろん、公開されたライブラリーを使うこともできて、個々に名前が付けられています。闇音レンリは「ゆずり」さんの音声提供によって作成されたライブラリとのことです。

闇音レンリは、息成分の多いウィスパーヴォイスで、癖の或る歌唱が特徴ですが、上手く調教された作品では、人間かと思えるほどの歌唱を披露してくれます。

参考までに、闇音レンリの使い手として有名な「Police Piccadilly」さんのオリジナル作品を貼り付けさせていただきます。折角ですから、踊ってみた動画にしましょうか。


歌もダンスも素晴らしいですね。アップテンポでノリの良いダンスミュージックというのは、コンピュータ歌唱の最も得意とする分野なんですけど、何も言われなければ、人間の女の子が歌っていると思うのではないでしょうか。
「ナーヴ・インパルス」は、ボカロのオリジナルにしておくには勿体ないほどの良曲ですから、人間の歌ってみた動画もたくさん投稿されています。但し、どれも、日本語を少し崩したようなスタイルの歌唱で、まあ、今っぽい歌い方なんでしょうけど、誰が歌っても同じに聞こえてしまいます。まるで、人間の方から、闇音レンリに寄っているみたいです。

人間が個性的であると思っている歌唱スタイルというのは、その癖を捉えられれば、コンピュータでもかなり近いところまで模倣できてしまう。演じた個性などは、機械にだって再現可能な程度のモノに過ぎないんです。

それに対して「すーちゃん」の歌唱は、ストレートなんですけど、力強さがあります。この「力強さ」というのは、コンピュータでは再現が難しい要素の1つです。音の強弱やテンポ、パラメーターの微調整などで簡単に対応できる代物ではないんですよね。

一見、個性的に歌っているかのようなテイクが、実はコンピュータによる作り物の歌唱であり、ストレートに歌っているだけに思えるテイクが、人間の女の子の歌唱だというところに、歌の面白さがあります。

当然のことながら、コンピュータは生きていません。しかし、歌は音波という純粋な物理現象ですから、機械の歌も人間の歌も根本的な差違はありません。人の歌もまた物理現象である限り、人工的な再現は可能なはずです。ただ、そのためには、人が歌うとは如何なるものかという問題を突き詰めていく必要があります。本質を解明できなければ、再現もまた不可能だからです。

力強さの源は生命力です。そして、生命は、無限ともいえる揺らぎを持っています。この揺らぎを解明して、歌に如何に生命力を宿すかが、コンピュータ歌唱の究極の目標と云えます。13歳の丸山純奈の歌唱を再現することは、理系のロマンでもあるわけです。

で、知世ちゃんの歌を聴いていて思ったんですけど、「時をかける少女」って、すーちゃんが歌っても似合うような気がしました。実年齢が近いというのは、最大の強みですし。次のリメイク版では、主題歌「丸山純奈」とか実現してくれると嬉しいです。いっそのこと主演しちゃっても良いかもです。「深町くん・・・これって・・」なんてねw

2018年1月3日水曜日

欅坂46「不協和音」feat.ONEと2017年レコード大賞と紅白歌合戦と

まずは、これですね。

祝!レコード大賞:乃木坂46「インフルエンサー」


 いやあ、発表の瞬間、ファンでもないのに、ドキドキしてしまいましたw

 長時間番組ですからね。初めの方は、「何とか賞」みたいのが延々と続くんだろうと思って、頃合いを見計らって、チャンネルを合わせたら、新人賞の発表が終わったところでした。
 最優秀新人賞は、ハロプロの「つばきファクトリー」でしたね。ハロプロは、レコード大賞新人賞には、伝統的に強いみたいです。あれっ、番組スポンサーにアップフロントの名前が・・・いえいえ、もちろん、公平・公正に選ばれているんだと思います。
 「就活センセーション」っていう曲を歌っているそうです。楽曲の制作は「中島卓偉」氏、アンジュルムの「大器晩成」も氏の作品のようです。事務所内アルバイトってところでしょうか。
 だけど、日本国民の何%の人たちが、この子たちの名前や歌を知っているのでしょうか。まあ、これから有名になれば良いだけのことですが・・・。

 あと、印象に残ったのは、荻野目洋子さんと登美丘高校のコラボと、延々と続いた「ピンクレディー」復活メドレーでしょうか。

 それから、大晦日の紅白歌合戦ですが、ながら見でしたけど、今年の紅白は、面白かったと思います。特に内村さんの総合司会は良かったですね。ボケもツッコミも自在にこなして、二宮君との息も合っていて、本当に安定したMCだったと思います。?な演出やグダグダ感も無くって、安心して見ていられました。
 ネットの評判もまずまずだったようですけど、視聴率は、昨年を下回る、過去ワースト3とかで、振るわなかったみたいです。まあ、悪いと云っても、誤差程度のことですし、昨年とでは、今年の方が番組としてのデキは良かったと思います。まあ、これで、番組のデキと視聴率は必ずしもリンクしないことが明らかになったわけで、NHKさんには、視聴率より満足度を大切にした番組作りを進めて欲しいです。

 印象に残った出来事は、何と云っても、欅坂46の過呼吸騒動です。このことについては、放送直後から、ネットでも騒ぎになっていました。ファンやアンチなど、様々な立場から書き込みがあるようです。一般視聴者からすれば、愉快なことではありませんよね。娯楽番組ですから。

 で、一番勢いのある「欅坂46」ですから、歌ってみた動画とか、踊ってみた動画とか、一人バンドとか、ボカロカバーとか、YouTubeには、たくさんの2次創作があります。
 今回、貼り付けさせていただくのは、CeVIO(チェビオ)カバーの作品です。CeVIOは、ボーカロイドと全く異なる技術で構築された音声・歌声合成システムで、無調教でも人間にかなり近い歌唱ができるのが特徴とされている、期待の新技術です。


 いかがでしょうか。CeVIOは、アップテンポの曲に向いているとされていますが、発声の歯切れの良さは、素晴らしいですね。「僕は嫌だ」の台詞部分は、随分可愛らしくなっちゃいました。これはこれで、アリかもしれませんけど、平手友梨奈さんの取り憑かれたような凄みには敵わないようですね。

 「欅坂46」が、皆から広く愛されるようなグループに成長することを願うばかりです。

2017年9月24日日曜日

「スカボローフェア」サイモン&ガーファンクルfeat.巡音ルカ

 サイモン&ガーファンクルと云えば、映画「卒業」ですよね。ダスティン・ホフマンが主演し、1968年に封切りされたこの映画は、感動の(?)ラストシーンと全編に流れるポール・サイモンの楽曲で、青春映画の最高峰とされています。
 映画で流れてくる楽曲は、「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」「4月になれば彼女は」「プレジャー・マシーン」そして、この映画のために作られたと云う新曲「ミセス・ロビンソン」です。
 
 有名な映画なので、テレビの映画劇場でも放送されましたし、それを見た覚えもあますが、ナンと、僕は、この映画を劇場で見ているんです。

 中学校を卒業した春休みのことでした。義務教育の間はクラス替えがあるにしても、皆、同じ学校に通っていたわけで、それが高校進学では、別々の学校に進むことになります。そんな卒業式と入学式の間というのは、何とも云えない「おセンチ」な気分ですよね。そんな時に、隣町の映画館に「卒業」がやってきたんです。卒業の季節なんで、ウケるだろうってことで、何年振りかで再上映したんだと思います。
 もちろん、サイモン&ガーファンクルにハマっていた僕らは、喜んで見に行きました。男子と女子、それぞれ4人ぐらいのグループだったと思います。1対1じゃ付き合えない、典型的な中学生のグループ交際でした。まだマクドナルドなんて無い時代でしたから、中学生でも入れそうなカレースタンドで昼飯を食べて、それから・・・忘れてしまいました。

 肝心の映画の内容は、ほとんど理解できてなかったと思います。しばらくしてテレビで放映されたのを見てやっと分かったってところでしょうか。って云うか、ウブな田舎の中学生ですからね。彼女の母親と何であんなことになるのか理解不能なのも当然です。でも、何となく羨ましいなあ、なんて心の底では憧れましたが・・・。
 花嫁を奪ってしまうという、有名なラストシーンは、感動するもなにも「こんなことになって大丈夫なの?」って、不安な気分が先立ってしまい、僕的には後味の悪い作品でしたw

 音楽は、分かりましたよ。あっ「サウンド・オブ・サイレンス」だとか、「スカボローフェア」だとか。当時は、知っている音楽が流れてきただけで、嬉しかったんですけど、今思うと、とってつけたような感じに思います。もともと、既存の楽曲を当てはめたわけですから、歌詞の内容が、映画の中身とリンクしている訳でもないし。主題歌はともかく、歌詞付きの音楽がサウンドトラックというのは、映画的には、どういうものなんでしょうか。

 映画にも使われていた「四月になれば、彼女は」です。僕は、この楽曲に憧れて、ついにピアノでスリーフィンガーが演奏できるようになったんですよ。


 今回貼り付けさせていただくボカロカバーは、「スカボロフェア」になります。この曲は、世界中でホントにたくさんのボーカロイド作品が発表されています。他の楽曲と桁が違います。唄わせやすいとか、挑戦させたくなるとか、様々な理由があると思いますけど、優れたカバー作品が、新たなカバー作品を誘発するってこともあったかと思います。伴奏のMIDI音源が公開されたりすれば、カバー作品作成の敷居も少し下がるでしょうし。
 で、たくさんの作品からセレクトさせてただいたのが、こちらになります。


 S&Gファンの方でなくともご存じかと思いますが、「スカボローフェア」は、正確に云うと、彼らの楽曲ではありません。映画で使われていた「スカボローフェア」は、イギリスで古くから歌われていた作者不詳の伝統的バラッド「Scarborough Fair」に、彼ら創作の歌詞(反戦歌)とメロディーを被せたものを「スカボローフェア/詠唱」として1966年に発表したものになります。「Scarborough Fair」は、400年近く前には原詞が存在していたことが確認できるそうですから、ものすごい古謡になります。
 オリジナルの部分と、加えられた部分、ともに意味深な歌詞の解釈は、僕の手に負えるものではありませんが、単純に1つの楽曲、歌詞の意味もよく分からない洋楽の1つとして聴いた場合、この詠唱の部分があればこその名曲に思いますし、このデュオこそがサイモン&ガーファンクルの真骨頂に思います。

 ボカロカバーにも、詠唱の部分の付いている作品と付いていない作品があります。同じ、又は異なる2体のボーカロイドに歌わせた場合、最も難しいのが2つの旋律のバランスだと思います。ポール・サイモンとアート・ガーファンクルだったら、阿吽の呼吸ってところでしょうけど、機械はそういうわけにはいきませんからね。

 ところが、YouTubeにアップされている彼らのライブ動画の「スカボローフェア」は、詠唱タイプのものではありません。確かに、主旋律でハモった場合、3人いないと歌えないんですが、何故、詠唱の部分の方をカットするのでしょうか。あからさまな反戦歌としての部分が敬遠されたのでしょうか。この辺の事情は、S&Gファンの方々に御教授いただきたいところです。

 そういえば、中学生の時「スカボローフェア」と云ったら、「違う!スカボローフェア/詠唱だ。」って、偉そうに言い返されたことを思い出しました。でも、今は、そんなウンチクを云う奴はいないんじゃないでしょうか。カバー作品を投稿しているボカロPさんも、それほど意識して無いように感じますし、詠唱の部分は、単なるバックコーラスであって、有っても無くても、という扱いになった感すらあります。

 イングランドの伝統的バラッド「Scarborough Fair」は、サイモン&ガーファンクルによって、「スカボローフェア/詠唱」として、世界中に広まり、スタンダードになるにつれ「スカボローフェア」に戻っていった。

 と、巧いこと云ったつもりになったところで、お終いは「スカボローフェア/【詠唱】」です。映画の名場面集とともにサウンドトラック盤で。

2017年9月23日土曜日

「明日に架ける橋」サイモン&ガーファンクルfeat.巡音ルカ

 サイモン&ガーファンクルに出会ったのは、中学生の時だった。もちろん「サウンド・オブ・サイレンス」とか「コンドルは飛んでいく」などは、もっと前から聞いていたと思うが、これらの作品が、彼らの楽曲であることを認識したのが、その頃ということである。

 僕も、当時の中学生が、皆そうであったように、ギターにハマり、「ビートルズ」にハマり、「NSP」や「かぐや姫」にハマっていたから、当然「サイモン&ガーファンクル」にもハマることになった。ただ、ギター仲間が集まってコピーしようにも、彼らの楽曲は、とても中学生の手に負えるような代物では無かった。僕らにとって、サイモン&ガーファンクルは、演奏するもので無くって、聴くものだった。

 僕は、「グレーテスト・ヒッツ」というベストアルバムを借りてきて、カセットテープにダビングして聴きまくっていた。さらに歌集を買ってきて、なんとか伴奏ができないものかと、オルガンを弾きまくった。おかげで、完全に自己流ながら、ピアノでスリーフィンガーができるようになった。
 「明日に架ける橋」も、ギターコードを頼りに耳コピでピアノ伴奏に挑戦した。他の曲に比べれば、コピーしやすい方だったと思う。もちろん、人に聴かせられるレベルでは無かったけど。
 
 僕が中学生の時には、彼らはすでに解散していた。当時、僕が知っている楽曲は20曲あまりだったと思う。彼らには、僕の知らない名曲がまだまだあるものだと勝手に思っていた。彼らの活動期間が、わずか6年間だったということを知ったのは、すっと後のことだった。彼らがリリースしたアルバムは、数枚しかないそうだから、おもだった曲は大体知っていたことになる。
 
 それらの楽曲群の中で、「明日に架ける橋」が異質であったのは、子どもだった僕にも分かった。まとわりつくようなデュオでなかったし、ピアノ伴奏だったし。
 
 S&Gファンに云わせると、「明日に架ける橋は、良い曲なんだけど、好きな曲では無いかな」ってところだろう。この曲が、サイモン&ガーファンクルの代表曲とされることには異論も多いと思う。
 確かに、サイモン&ガーファンクルがやらなくても、って感じはある。でも、ポール・サイモンが作ったことには違いないし、彼はこの曲ができたとき、生涯最大の傑作だと、周囲に語っていたらしい。

 ウィキペディアによると、この曲は、ポール・サイモンがゴスペルに影響を受けて作った曲なんだそうだ。Gのキーで作曲され、ポールはファルセットで歌うつもりだったらしいが、うまくいかなかったので、キーをE♭に下げて、アート・ガーファンクルが歌うことになったとのことだ。


 この曲が作られたのは、二人の関係が危機的状態に陥っていた頃だった。

 全く同じ頃に、ポール・マッカートニーも「レット・イット・ビー」を出している。この2つの楽曲は対比されることが多い。ピアノ伴奏だし、ゴスペルの影響を受けているし、グループ解散の危機の時期だったし。名曲とは、悩み苦しんだときに生み出されるもの、と云うことだろうか。
 ただ、ポール・マッカートニーが、「Let It Be」と、全てを悟り、放り投げてしまったのに対して、ポール・サイモンは、「Like a bridge over troubled water」と、もがき続けた。

 1970年、アルバム「明日に架ける橋」を最後に、サイモン&ガーファンクルは解散してしまう。

 ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは、完全に決別したわけではなくって、その後も、二人でステージに何度か立っている。復活ステージのライブ動画も、YouTubeにはたくさんアップされている。
 でも、「明日に架ける橋」を歌うときは、何となく、しっくりきていない感がある。ヒット曲だから歌わないわけにはいかないし、仕方なく・・・、って感じだ。
 最大ヒット曲が、最も「らしくない曲」って云うのは、あることかもしれないが、ここまであからさまなのも珍しい。

 「明日に架ける橋」は、プレスリーをはじめ、多くのアーティストにカバーされることになる。普通、カバー曲っていうのは、「やっぱり本家には敵わない」ってことになるものだが、この曲に限れば、誰が歌っても、それなりに似合っている。「レット・イット・ビー」が、誰がどうカバーしても、ビートルズの楽曲でしか有り得ないのと対照的である。
 特に、反アパルトヘイトの象徴歌となった、ソウル歌手「アレサ・フランクリン」のゴスペルカバーは有名で、南アフリカでは現在も学校や教会で歌い継がれているとのことだ。ところが、この曲がポール・サイモンによるものであることを、ほとんどの南アフリカの人は知らないらしい。名曲とはそういうものなのかもしれない。

 「明日に架ける橋」は、サイモン&ガーファンクルの代表曲とすることに異論があるにしても、ポール・サイモンが生み出した名曲であるのは確かだ。

 で、いくつかあるボーカロイドカバーで、貼り付けさせていただくのは、この作品。かなり初期の作品なのだが、ボカロが最も盛んだった頃の作品には優れたものが多い。バージョンアップを重ねた最新型のボーカロイドも、当時のボカロPさんの熱意には敵わないというのだろう。


 サイモン&ガーファンクルについて語っておきながら、「明日に架ける橋」だけでお終いというのもナンですけど、今日のところは、ここまでです。

2017年8月13日日曜日

八神純子「みずいろの雨」「思い出は美しすぎて」「想い出のスクリーン」 ~挑戦するボーカロイドたち~

 「高い声で歌うだけなら機械でもできる」の第2弾になります。もちろん、最終的な結論は、「やっぱり、八神純子さんは凄いなあ。」というところへ持っていくつもりであることを、予めお伝えしておきます。

 まずは、初音ミクによる「みずいろの雨」。この曲は、松浦亜弥さんも歌ドキッでカバーしていました。現在は、YouTubeのコメント欄の仕組みが変わって、批判的な書き込みは影を潜めてしまいましたが、以前のテイクでは、「所詮アイドル」みたいな書き込みがたくさんあって、一部ではバトルも繰り広げられていたように思います。
 まあ、「偉大な名曲を気安くカバーするんじゃネエ」ってことなんでしょうけど、歌唱力を披露したい人たちの絶好の挑戦曲でもあるわけですから、たくさんのプロ・アマが、この曲にチャレンジしてきたのも事実です。もちろんボーカロイドもその例外ではありません。

 このテイクは、いくつかあるボーカロイドカバーの中でも、ストレートな歌声とノーストレスな高音が特徴の、おすすめテイクです。初音ミクAppend Darkのささやくような高音が楽曲にピッタリだと思いますよ。


 いかがでしょうか。八神純子さん=熱唱という固定観念にとらわれず、この楽曲の持つ魅力を引き出していると思います。

 2つめは、ボーカロイドGUMIによる「思い出は美しすぎて」、伴奏は、耳コピによる打ち込みで、ギターは生で弾いているとのことです。


 Megpoid Whisperの声質が、ボサノバ調の楽曲にピッタリです。少しタメを持たせた歌い方がイイ感じですね。そして何より伴奏、ボーカロイドカバーにおいて、伴奏は重要ですからね。ギター格好良すぎでしょう。

 3つめは、結月ゆかりによる「想い出のスクリーン」。結月ゆかりの投げやりな唄い方が、妙に合ってます。説明なしで聴いたら、人間が歌っているって思うかもしれません。


 で、このテイク、いくら何でもやりすぎじゃないのかなって思って、八神さんのテイクを聴いてみたら、全く同じように歌っていたんで笑ってしまいました。

 いかがでしょうか。いずれも名曲ばかり、そして、どのテイクもボカロPさんの力作揃いだと思います。オリジナルの歌唱を分析し見習いつつも、ボカロの特性を生かした表現を追求する姿勢を賞賛させていただきます。

 優れたカバー作品は、オリジナルへのリスペクト無しには有り得ない。それが、人間だとしても、機械だとしても。ってところで、お終いです。

2017年8月3日木曜日

広瀬香美「ロマンスの神様」feat.鏡音リン ~高い声で歌うだけなら機械にだってできる編~

 前回の記事で、広瀬香美さんについて取り上げさせていただきましたが、その折りに「高い声で歌うだけなら機械にだってできる」なんて余計なことを云ってしまいました。決して、広瀬さんの歌唱力(表現力)が、ボーカロイド並みだと云ったわけではありません。今回ボーカロイドの歌唱を取り上げたのは、「やっぱり広瀬さんは凄いなあ」という結論にもっていく意図があってのことだということを予め述べさせていただきます。

 で、ボーカロイドカバーの作品ですが、今回は、「初音ミク」でなく「鏡音リン」ちゃんを紹介させていただきます。
 リンちゃんは、世間的には無名のボーカロイドかもしれませんが、ライブでの人気は抜群です。リンちゃんが登場すると、会場は異様に盛り上がります。


 ただでさえ滑舌悪いのに、オートチューンかけたので、とんでもないことになっちゃいましたね。でも、ボーカロイドに歌わせるなら、これくらい突き抜けないと面白くないってことも確かです。ところどころで崩した歌い方をさせるなどテクニックも駆使していて、なかなかの力作ではないでしょうか。
 何より、リンちゃんの底抜けに明るいキャラクターが、この曲の持っているイメージと、ぴったりなんだと思います。

 「ロマンスの神様」ってスキーのCMに使われたんで、ウインターソングのイメージがありましたけど、季節感ゼロで、肉食系女子の婚活ソングだったんですよね。でも、冬になるたびに曲が流されて、20年経った今でも世間から忘れ去られることが無いんですから、こういうヒット曲を1本持っているというのは、強いことだと思います。

 Aメロ、Bメロ、サビと頻繁に転調をおこない、必要とされる音域の広さと相まって、歌唱力自慢の人たちが好んで歌う楽曲となっています。高音域が意識されますけど、一番難しいのは、「こぶし握りしめる私」って下がっていくところ。松浦さんと稲葉さんのテイクでは、オリジナルより、だいぶ音を下げたので、ここのところがとんでもないことになってます。
 広瀬さんとか松浦さんは、何ともなく歌ってますから、それほど感じませんが、ボーカロイドの歌を聴くと、やっぱり難曲なんだなって、改めて思いました。

 2つめは、アカペラバージョンになります。投稿が2010年とありましたから、少し前の作品になります。でも、この頃って、ボーカロイドカバーが最も盛んだった時期ですから、レベルの高い作品が多いんですよ。


 ちゃんと歌うこともできるんだぞ、っていうテイクですね。ボーカロイドのアカペラと云うのは、どうしても単調になるんで、1番と2番で伴奏を変えたり、っていう工夫が必要になるんですけど、このテイクは、歌わせ方を歌詞に合わせて変えることで、変化をもたせているようです。癖の強いリンちゃんを、ここまで調教するのは、なかなかのものです。
 
 広瀬さんの素晴らしさについては、僕などが語るまでもないことですから、今日はこれでお終いです。

2017年2月8日水曜日

中島美嘉「雪の華」feat. ラスボスSACHIKO他

 中島美嘉さんの「雪の華」を取り上げさせていただくのは2回目になります。先日、僕の大好きなボカロPの「The LSC Band」さんが、巡音ルカによるカバーを投稿されました。そこで、これまた、僕の大好きなボカロPさんである「melodylights」さんのカバー作品などと共に、ボーカロイドたちの歌い比べとして、紹介させていただこうと思った次第です。

 では、さっそく、「The LSC Band」さんによる巡音ルカのカバーです。


 え~と、僕には、フィリピーナのように聞こえますが・・・。
 どうしても「ふ」が「つ」に聞こえてしまいます。相変わらずの、片言の日本語で歌っているかのような雰囲気なんですが、この癖を逆手にとって、と云うか、バイリンガルシンガー巡音ルカの特性を面白く生かしていると思います。
 あと、伴奏が素晴らしいですね。とっても聴きやすいし、オルゴールから入るなんて格好良すぎです。オリジナル版の方は、もっと大袈裟な感じで、大きなコンサートホールで中島美嘉さんが歌うのならば、向いてるかも知れませんけど、あの伴奏でボーカロイドに歌わせると埋没しちゃいそうなんで。

 2つめは、「melodylights」さんによる初音ミクのカバーです。


 このテイクを取り上げさせていただくのは、2度目なんですけど、初音ミクを可愛らしく歌わせることに関しては、最高の技術をお持ちだと思います。
 こちらは、ピアノを中心にしたアレンジですが、ささやくような初音ミクの歌唱に合っていると思います。

 3つめは、ボーカロイド「結月ゆかり」のカバー作品です。


 ピアノの伴奏の気合いの入り方が尋常でないですね。打ち込みでなくって、実際に演奏されているんでしょうか。ボーカロイドに歌わせておいて、ピアノで伴奏されているんでしたら、格好いいですよね。僕も「趣味はピアノでの伴奏です」なんて言ってみたいです。
 歌い方がぶっきらぼうに聞こえるのは、ボーカロイドの個性からきているように思います。エコーを効かせていないので、素人っぽい歌唱になっていますが、これはこれで、僕は好きなんですよ。どう頑張っても、中島美嘉さんの歌唱に似せるのは難しいわけですから、ボーカロイドの特性を前面に出して、シンプルに歌わせるというのも方法の1つだと思います。人間の歌でも、素直に歌うことが心を打つってこと、良くありますよね。

 以上3つのボーカロイドによる聴き比べ、いかがだったでしょうか。YouTubeには、他にも「GUMI」や「MIZKI」などによるカバー作品を視聴することができます。

 伴奏も、それぞれ特徴があったと思います。人間用のカラオケ伴奏をそのまま流用するという方法も広く使われているのですが、レコード会社によっては、著作権侵害を訴えるところもあるみたいです。たかか、ボーカロイドなんで、伴奏をちょっとお借りしただけで歌唱ごとミュートにしなくても、って思うのですが、まあ、音楽教室の子どもたちの演奏からも著作権料を取ろうっていうご時世ですからね。
 だからと云うわけではありませんが、ボーカロイドには、やっぱり彼女たちに合った伴奏をつけてあげた方が良いと思います。
 音楽って、聴くことも、もちろん楽しいんですけど、作ったり、演奏したりすれば、さらに楽しいことですし、そういうことが誰でも出来る環境と可能性を提供する、というのがDTMやボーカロイドの役割ですから。

 では、「ラスボス」に登場していただきましょう。ボーカロイド「SACHIKO」によるカバーです。中の人が誰かは、もうお分かりですね。


 凄い唸りと、コブシ回しですね。この歌唱なら人間用のオリジナル伴奏にも負けること無く歌いきれると思いますw。
 「SACHIKO」には、「Sachikobushi」というプラグインが搭載されているそうですけど、だからと云って、最初からこう云う風に歌ってくれる訳ではなくって、溜をつくるなどの調教が行われていると思います。若干やり過ぎ感がありますけど、まあ、中の人もやり過ぎちゃうタイプの方ですから。
 最初聴いたときは、何だコレって感じだったんですけど、聴いていくうちにファンになってしまいました。

 中の人であるラスボスこと「小林幸子」さんは、2012年、事務所のお家騒動で、芸能界引追放の危機を経験します。しかし、「おもいで酒」のヒットまで苦節15年という長く苦しい時代を乗り越えてきたラスボスは、不死身でした。小林さんは、ネットの世界に活路を求め、ネットの住人たちの指示を得ることに成功したのです。元々彼らは、大手広告代理店や大手芸能プロダクション、そして著作権協会に対してはアンチな姿勢を示していましたが、それだけが理由ではないと思います。彼らがラスボスを支持したのは、小林幸子さんの本気の遊び心を感じ取ったからではないでしょうか。
 ラスボス幸子さんは、NHKのFamily Historyに出演していましたが、演歌界の大御所であるのにも関わらず、彼女の飾らない人柄と、旺盛な好奇心、楽天的とも云える明るさに感動してしまいました。「逞しい」というのは、こういう人を云うのだと思います。

 カバー作品を作ってくれるボカロPほど原曲と御本家をリスペクトしている人はいないと思います。でなくては、良い作品は生まれません。そして、僕は、そういうボカロPさんたちをリスペクトしているんです。

2017年1月31日火曜日

KAITOが歌う槇原敬之「もう恋なんてしない」が似すぎで笑える

 小ネタです。まあ、聴いて下さい。


 どうですか。似てね~って言われればそれまでですけど。

 最近の槇原氏でなくって、若い頃の歌声です。これを物真似って言っちゃって良いのか分かりませんけど、こういうのって最初のワンフレーズで決まるじゃないですか。
 裏声で伸ばすところなんか、もう激似だと思います。ヘッドフォンかけてパソコンの前でニヤニヤしていたら、家族から変に思われてしまいました。

 「GUMI」や「がくっぽいど」のように音声データの提供者とボーカロイドが似るのは、当たり前ですけど、槇原氏と全然関係の無いKAITOをここまで似せるのは、神調教と云って良いと思います。

 それから、オケも自作されているように思います。BGMとして聞き流したりすると気づかないんじゃないでしょうか。まあ、似ている似ていないということよりも、ボーカロイドをここまで違和感なく歌わせているというところに敬意を表したいと思います。

 物真似(?)と御本家を比べるのは、野暮なことですけど、一応ご参考までに。


2017年1月29日日曜日

欅坂46 「二人セゾン」withボーカロイドアカペラカバー

 昨年10月に投稿させていただいた「原田知世」さんの記事の時に「欅坂46」とのコラボ動画を紹介させていただきましたが、その時から密かに気になってはいたんですよね。

 デビュー作は、インパクトありましたし、乃木坂との差別化という点でも成功しているかと思いましたが、なんだかナチスの親衛隊みたいでしたからね。別にナチスファッションが悪いというわけではないんですけど、せっかく普通に可愛いのに勿体ないって感じでした。
 2曲目は、良い曲なんでしょうけど、朗読以外は、あまり印象に残らないって感じでしたね。その朗読も聞いているこっちが恥ずかしくなってしまう感じで・・・。オジさんにはちょっと正視できませんでした。

 で、3曲目が「二人セゾン」です。

 これ、良いですよね。歌詞の内容は、若干意味不明な部分もあるんですけど、サビのところとか、キャッチーですし、何だか分からないんですけど、聴いているうちに感動すら覚えてしまいました。
 作詞は云うまでもありませんが、作曲は河田総一郎氏と佐々木望氏の連名になっていました。デビューからの3曲全て彼らの作品だったんですね。

 では、オフィシャル動画を、


 オフィシャルでフルサイズの動画を流しちゃうんですね。まあ、CDは握手券を入れておけば売れますから、ちゃんと商売として成立しているんでしょう。だったら、最初から券だけを売れば資源の無駄遣いにならないように思いますが。

 東京の女子高校のサークル活動みたいです。振り付けは、相変わらず(?)なところもありますけど、まあ、何をやらせても一番可愛らしい年頃ですから。エンディングの手を重ねるところとか格好いいし。2017年のアイドル界が欅坂を中心に動いていくことは間違いないようです。

 「二人セゾン」は、メリハリのある楽曲なので、ボーカロイドカバーにも向いていると思います。ただ、リリースしてからまだ2ヶ月ですから、カバー作品がYouTubeに出てくるのはもう少し先になりそうです。

 で、今回紹介させていただくのは、ボカロアカペラカバーというジャンルの作品になります。


 ヴォイスパーカッションは、制作者さん自身のようですね。リードボーカルと3パートに分かれているコーラス部分が初音ミクとのことです。
 初音ミクのリードボーカルは、なかなか可愛く歌わせていると思います。こんなことを云ってしまうと身も蓋もありませんが、このミクの歌唱をカラオケ伴奏にのせただけでも、十分に楽しめると思います。
 コーラスについては、やはりミクの声だと幼いので、ネタっぽく聞こえてしまいます。ホントにミクって奴は、歌にしてもダンスにしてもセンターしか務まらないキャラクターに思います。
 ベースの男声は、ボーカロイド「Fukase」とありました。「Fukase」は、ヤマハが販売しているボーカロイドで、「SEKAI NO OWARI」の「深瀬 慧」氏の音声データから作成されているそうです。
 「Fukase」については、コイツに歌わせた「セカオワ」のカバー作品が、あまりに神調教であったため本人の歌唱だと思われ、著作権侵害で削除されてしまった、というエピソードが伝わっております。

 しかし、なかなかの力作に思います。1番と2番、リピートもすべてアレンジを変えてきているんですよね。テクニックの全てをつぎ込んでいるかのような気迫を感じる作品に思えました。
 オリジナルへの愛、ボカロへの愛、そしてア・カペラへの愛、全てが揃っているからこそ作れる作品だと思います。

2016年12月30日金曜日

SMAP「オリジナルスマイル」 ~今こそ、この曲を彼らに捧げたい~

 SMAPが解散します。世界中のファンが嘆き悲しんでいるようです。まあ、解散したと云っても、すでに事実上の解散状態でしたし、これからも個々に芸能活動を続けていくそうですから、そんなに思い詰めなくても・・・と思っていたんですけど、こんなCMを見させられると、やっぱり5人揃ったときのオーラは凄かったんだなって思います。何もしなくてもいいから、解散だけはしないで欲しいというファンの声も分かるような気がしてきました。


 SMAPの代表曲っていうと、「世界で1つだけの花」ってことになるんでしょうが、あれって聴いているうちに、学校の先生に叱られているような感じがしてきて、何となく苦手なんですよね。だからソフトバンクのCMから「オリジナルスマイル」が流れてきたときは、ちょっと嬉しかったんです。この曲って、励ましソングとしても単純に明るくって前向きだし、何よりも1番SMAPらしさが出ているように思っているんですよ。

 では、敬意を表して、ボカロカバーを。歌っているのは、ボーカロイド「GUMI」です。


 声を伸ばした時のビブラートが、ちょっと強めで気になりますが、このへんは、好みの問題でしょうか。あと、伴奏は打ち込みのようですね。音数が少ない感じですけど、コンピューターに歌わせるには、このくらいが丁度良いように思います。

 次も敬意を込めて、初音ミクのテイクになります。「世界で・・・」のカバーはたくさんありますけど、「オリジナルスマイル」のカバーって貴重なんですよ。


 彼らが解散に至るまでの分析や考察は、ネット上に溢れていますから、ここでは取り上げませんけど、「ファンにハッピーエンドを見せて、勇気と希望を与えなきゃだめだ。でないと、Youたち2年後に必ず後悔する。」と諭したと云われている、ジャニー喜多川氏の言葉が印象的でした。
 でも、SMAPって、ジャニーズの所属タレントでありながら、全然ジャニーズらしくなかったですよね。他のグループとからむ場面なんて全然無かったし、完全に独立していて、全てが特別扱いだったと思います。まあ、年寄りの云うことは聞いておくものだと云いますから、ジャニー喜多川氏の忠告通り、2年後には後悔するかも・・・って大きなお世話ですね。

 では、お終いに5人で歌っているテイクを貼りつけさせていただきます。2007年とありましたから、個々の活動へと軸足が移っていった頃かと思います。

 SMAPの歌割りって、歌唱力が皆無なのにもかかわらず、一人一人がソロで歌って、合わせるのは、サビのところだけってのが多いですよね。ダンスも基本的なところだけ揃えておいて、後は、それぞれがアドリブでって感じだし。ホントにチームワークの感じられないグループだったんだなって思います。でも、見せ方に関しては、ホントにプロですよね。
 

 なんか、こんな終わり方も有りなのかなって気がしてきました。「ビートルズ」を引き合いに出すのもナンですけど、グループって、その存在が偉大になればなるほど、綺麗になんか終われるものではないし、仲良く手をつないで、さよならコンサートなんて開いたら、ナンでやめるのってことになるでしょ。本当にギリギリまでやってきたからこそ、こんな終わり方しかできなかったんだろうなって、思えてきました。

 キー下がってますけど、って大きなお世話ですね。

2016年12月3日土曜日

中島 愛「星間飛行」 ~えっ?3年ぶりに活動再開だって!~

 「星間飛行」は、2008年に発表された、アニメ「マクロスF(フロンティア)」で、劇中のアイドル「ランカ・リー」が歌った挿入歌です。作詞:松本隆、作・編曲:菅野よう子とありました。松本隆氏については、説明の必要は無いかと思います。たかがアニメの挿入歌に松本隆氏ってところが、さすがマクロスですね。
 菅野よう子さんは、主にアニメやテレビCM、映画、ドラマの音楽製作を手掛けている作曲家、編曲家さんです。手掛けたCM曲だけでも500曲以上といいますから、この世は、彼女の作品であふれていますが、裏方さんの仕事がほとんどですので、彼女の名前を知っている人は多くないと思います。ちなみに、来年放送のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の音楽も彼女が担当するようですよ。
 
 マクロスFは、マクロスシリーズのテレビ版3作目で、初代マクロスから25年周年を記念して制作されたとのことですが、僕は、全然知りませんでした。だって、社会人ですから。
 でも、この曲は知っていましたよ。


「誰だ、あの娘。」
「ご存じ、ないのですか。彼女こそ、代役からチャンスをつかみ、スターの座を駆け上がっている 超時空シンデレラ 『ランカちゃん』です。」

 まあ、これに関しては、僕は、一切ツッコミませんよ。アニメ相手に大人げないですから。

 では、中の人「中島 愛」さんに登場してもらいましょう。武道館でのライブテイクになります。チケットの倍率が凄まじかったとのことですが。


 いいなあ。武道館ライブ、楽しそうですね。ステージとスタンドの距離感も最高だし、僕も一緒に「キラッ」ってやりたいです。社会人ですけど。

 初代マクロス、飯島真理さんから25年経っているんですけど、やってることって全然変わってないんですよね。まあ、それだけ初代マクロスが先進的だったということでしょうか。飯島真理さんがリン・ミンメイをやってたときには、彼女は未だ生まれてなかったんですよ。

 中島 愛さんは、1989年生まれ、お母様がフィリピン人とのことです。ランカ・リーも確か宇宙人とのクォーターでしたね。
  芸能事務所に所属して歌手・声優になるべくレッスンを続けていた中島愛さんは、マクロスFのヒロイン役に5000通の応募者の中から抜擢されます。さらにアニメの挿入歌「星間飛行」で歌手デビュー。オリコン週間チャートで最高5位を記録します。

 僕の知らないうちに、世の中は随分変わっていました。声優は憧れの職業になり、アニメの挿入歌が当然のようにヒットする時代になっていたんです。
 飯島真理さんと中島愛さんの決定的な違いは、中島愛さんが、望んでこの立ち位置についたということです。彼女は、歌える声優でもなく、声優をこなす歌手とも違って、その両方でした。オタクから絶大な支持を受けていた彼女は、ライブ活動なども精力的に行い、彼女の音声データから作られたボーカロイド「Megpoidメグッポイド(GUMI)」がインターネット社から発売されるなど、順風満帆な芸能活動を展開していたはずでした。

 その彼女が、突然の休止宣言をしたのが、今からちょうど3年前、事務所を退社し、ブログも公式HPも閉鎖してしまいます。突如の事態に、ファンの間では様々な憶測が飛び交ったようです。結局、マクロスでついてしまった、中島愛=ランカ・リーというイメージを落とすための冷却期間をとったというのが定説とされました。事務所を退社していることから、活動方針に関して意見の相違があったのかもしれません。
 考えれば、勿体ない話です。飯島真理さんと違って、中島愛さんは、こうなることを希望しての芸能界入りだったはずでした。その中島愛さんにしても、アニメキャラクターのイメージがついてまわることは、負担に感じることだったのでしょうか。

 近年は、声優を希望する者も増えていて、さらに、有名タレントやアイドルなどを声優に採用する作品も増えるなど、声優業は、過当競争の時代になっているそうです。そんな中で、一度やめてしまった中島愛さんが声優・アニソン歌手として活動を再開するのは、ほぼ絶望的だろうと云うのが、オタクたちの語るところでした。

 その彼女が、これまた突然の活動再開宣言ですから驚きです。Yahooニュースでも取り上げられましたから、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。しかも、新しい所属事務所がマクロスと関係の深いビクター系だなんて。

 「マクロスの垢を落とすんじゃ無かったんかい!」

 失礼しました。
 まあ、復帰されるということは、素直に嬉しいことですし、予定されている「お帰りなさいライブ」もきっと盛り上がることと思います。
 僕は、初音ミクのライブでもギリなんで、中島愛さんのライブに行くことはないと思いますけど(って云う前にチケット絶対取れない)、影に日向に応援させていただこうと思います。
  
 お終いは、ボーカロイドカバーです。今回は、GUMIではなくって、あえて初音ミクと鏡音リンのテイクです。デフォルメされたキャラクターが可愛いですし、何より歌がマッチしています。やっぱりアニソンには、ボカロですね。中島愛さん御本人のテイクを除けば、他のどんな人間のカバーよりも似合っていると思いますよ。


 中島愛さんは、活動を休止していたとは云え、まだ27才です。今度こそ、末永く活動してくれることを願っております。

 松浦亜弥さんも、こうなると良いなあ。

2016年10月30日日曜日

スキマスイッチ「全力少年」feat. 初音ミク&GUMI

 スキマスイッチです。特にファンというわけではないのですが、好きなんです。歌詞も面白いし、ピアノの弾き語りデュオって云うんでしょうか。アフロヘアーはやめてしまったみたいですけど、ピアノのお兄さんが、相変わらずピアニストらしからぬ風貌なのも良い感じです。
 だけど、アルバムを持っているわけでもないし、もちろんライブに行ったこともありません。知っている楽曲って云っても「全力少年」と「奏」くらいなんですけどねw

 YouTubeにもいくつかテイクがアップされていますけど、漁った中では、これが一番だと思いました。ベースラインが強調されていてライブ感というか、バンド感が良く出ています。久しぶりにバンドでも組んで、キーボード弾きたいなって思わせてくれるテイクです。メインのボーカルのお兄さんは、以前はギターを持っていたように思ったのですが、違いましたっけ。


 作詞・作曲が2人の連名なんて、ビートルズみたいです。ビートルズは、直に形式的なものになってしまいましたけど、彼らは、今も仲良く二人で相談しながら楽曲を制作しているんでしょうか。

 で、ボーカロイドカバーでは、これが僕的ベストです。2009年投稿ですから、初期の作品で、ボカロ感丸出しの調教なんですけど、無理に人間に近づけようってしてないところ、開き直っていることが、成功していると思います。


 高音へ上がるところなんて、人間だったら有り得ない歌わせ方ですし、息継ぎもほとんどありませんけど、この楽器っぽさが、妙な安心感につながります。此の手の楽曲を何曲か集めて、仕事用のBGMとして聴くと、邪魔にならなくって良いんですよ。それと、歌に合わせて適当に出てくるイラストのスライドが、不思議と楽曲のイメージに合っているんですよね。

 今回は、もう一つ。同じくボーカロイドカバーですけど、「GUMI」によるテイクです。こちらは、先のと好対照で、人間の歌唱に少しでも近づけようと云う意図が伝わってくるテイクです。


 イマイチな部分が多々あることは否めませんけど、だったらお前やってみろ、って云われたら返す言葉がありません。かなりの努力賞だと思います。
 カバー曲っていうのは、オリジナルと比べられる宿命があるぶん、ボーカロイドの歌唱技術を高めるには、大切な試みだと思いますけど、最近は、こういうことをやってくれるオタさんも減ってしまったようで残念に思います。

 ボーカロイドカバーって、オリジナルのファンであるオタさんの作品と、そうで無いオタさんが作ったものでは、歴然とした差があります。心を込めてボーカロイドに歌わせるというのは、心を込めてピアノを弾くということと同じ行為だと思います。
 まあ、将来、AI技術が応用されて、初音ミクが歌詞を読み込んで、感情表現を自らの判断で出来るようになれば別ですけど、そのためには、歌で感動させるということの根本的な部分を数理的に解明していく必要があるわけで。人間が何不自由なく出来ていることを、何でわざわざ機械にさせなくてはならないのか疑問に思う人も多いと思いますが・・・。

 神は、自らの姿に似せて、人間を創ったという。
 ならば、人間は、自らに似せて、何を造る。

2016年9月8日木曜日

ボーカロイド「勇馬」と「IA」が歌う「白いギター」が妙にリアルな話。

 小ネタです。

 「白いギター」は、伝説の夫婦デュオ「チェリッシュ」の代表曲の1つです。

 で、「チェリッシュ」と云えば、何と云っても、最大ヒット曲「てんとう虫のサンバ」ですよね。1973年リリースといいますから、すでに40年以上前。完全に懐かしのメロディーの範疇なんですが、ウエディングソングとして、今なお現役で歌い続けられています。
 「白いギター」がリリースされたのは、その3ヶ月後。こちらは一転して、恋の終わりを予感させる曲なんですが、オリコン5位で80万枚を売り上げていますから、この頃がチェリッシュの絶頂期といえましょう。

 で、今回、その名曲を歌っているのが、ヤマハの純正ボーカロイド「勇馬」こと「VY2」と、僕の大好きな「IA」ちゃんになります。

 「勇馬」の最大の特徴は、「使いやすさ」だとされています。イケメンボイスと評される、爽やかでリアルな歌声と優れた滑舌、ベタ打ちでもそのまま使える操作性の良さなど評価の高いボーカロイドです。
 ただ、癖が無く使いやすいということは、無個性とも云えますので、初音ミクみたいに、メインボーカルをとって、人間と張り合うなんてことには不向きのようです。主な用途は、デモソングなどを人間の代わりに歌ったり、人間の歌にコーラスをつけたりなんていう役割が多いようです。まあ、それこそが、ボーカロイドの本来の役割ですので、「勇馬」君は、もっともボーカロイドらしいボーカロイドと云えましょう。
 

 如何だったでしょうか。見事に「IA」ちゃんの歌をサポートしていると思います。

 カラオケスナックとか、カラオケ教室に行くと、こんな歌唱って絶対あると思います。伴奏も良い感じで、昭和歌唱を完璧に再現していると思うんですけど。