2020年3月27日金曜日

ドラマ「テセウスの船」に便乗して仏像を語る ~奈良「飛鳥寺」釈迦如来座像~

日曜ドラマ「テセウスの船」、皆さん、ご覧になったでしょうか。ドラマのテーマの1つが、アイデンティティーに関するパラドックスでしたね。で、今回は、大ヒットドラマに便乗して、仏像の小ネタを投稿させて頂きました。
昔、仏師「運慶」が彫った仏像があった。長い年月が経ち、部材が朽ちてきたので、新しい部材と取り替えることになった。それから、仏像が痛むたびに人々は修理を繰り返し、当初の部材は全て新しいモノと入れ替わった。さてここでパラドックスが生じる。その仏像は、運慶の仏像であろうか。
文化財的観点から云うと、答えは「否」である。日本では、建物にしても彫刻にしても木で作られたモノが多いから、オリジナルがそのまま残っていることは極めて少ない。だから、文化財の価値は、当初の部分がどのくらいあるかが重要になってくるのである。


奈良の飛鳥寺にある飛鳥大仏(銅造釈迦如来座像)は、日本最古(西暦609年制作)の仏像と云われているのに国宝指定されていない。飛鳥大仏が重要文化財止まりなのは、オリジナルの部分が顔の一部と右手の指3本のみであり、その他の部分が全て後世の補作とされているからだ。ただ、最近のX線を使った調査では、当初の部分はもう少し多いのではとの指摘があって、関係者の間では国宝指定の期待が高まっているらしい。

逆に、飛鳥大仏がテセウスの船のように全てが後補であったなら、おそらく県の文化財にすら指定されないであろう。


飛鳥寺は仏像拝観するには、気分の良い寺院である。文化財の仏像にしては珍しく、すごく近くで拝観させていただけるし、写真撮影可であることも嬉しい。かといって、厳かな雰囲気が損なわれていることもないから、静かに時を過ごすこともできる。

何回目かの明日香散策で訪れたときも、飛鳥寺には長閑な時間が流れていた。近くには、蘇我入鹿の首塚があって、乙巳の変のときには、中大兄皇子たちは、この飛鳥寺に陣を構えたと云う。飛鳥大仏は、そんな時代から1400年以上もの間、ずっと同じ様に、この場所に座り続けてきた。


1400年の間には、火災などに見舞われたこともあったそうだ。フランケンシュタインのような顔の傷は、その時の修理の痕だという。そんな傷痕を見ていると、どうしたって、どこの部分がオリジナルかとか、どこからどこまでが後世の補修なのかとか気になってしまう。現在の文化財の価値判断からすると、修理痕はマイナス査定であって、朽ちた部分を保護することはあっても、取り替えたり、付け足したりしないことも多いそうだ。
だけど、この歴史の傷跡が、釈迦如来座像の威厳の源になっているのも確かなことである。飛鳥大仏は、部材の大部分が入れ替わっているとしても、日本最古の仏像というアイデンティティーを持ち、国宝に格上げされても無くても、変わることなく座り続けていくんだろうと思う。


仏像巡りをしていると、よく伝運慶作とか、行基自作像といった仏像に出会う。たいていの場合は、お寺さんが勝手に言っているだけで、無指定であるし、素人目に見ても有り得ないだろうという像ばかりだ。(勿論、そういう時は感心するのがマナーであって、それ違うでしょなんて云ってはいけない)
で、今までは、そんなのは、お寺さんのハッタリや出まかせや、希望的観測なんだろうと思っていたんだけど、ちょっと考えが変わってきた。そういう寺伝があると云うことは、過去にそういう仏像が本当にあって、長い年月の間に仏像が入れ替わった可能性もあるからだ。


ドラマでは、視聴者の皆さんは、生まれ変わった「竹内涼真」君も、変わってしまった佐野家の人々も同じモノと認識していたように思う。物質的差違よりも、精神的同一性が優先されるのであれば、最初に提案した運慶の仏像は、やはり運慶の仏像ということになる。

本物の運慶像は無くなってしまいましたが、代わりの仏像を運慶のものとして大切にお祀りしておりますって聴いたときに、文化財的にはアウトだとしても、運慶の「心」を受け継いでるその仏像の価値を否定することはできない。

まあ、そんな調子で認めていったら、日本の仁王像の半分は運慶作の、(正確に云うと運慶仏というアイデンティティーを与えられた)仏像になってしまうだろうけど。

2020年3月22日日曜日

「Don't Know Why」ノラ・ジョーンズ&松浦亜弥 ~直訳・意訳・訳詞の話~

夏目漱石が旧制松山中学の教員だった時の話である。「I love you.」を「我、君を愛す。」と訳した学生に、「そんな日本語は無い。そういうときは「月が綺麗ですね」とでもしておくものだ。」と教えたそうだ。まあ「I am a cat.」=「我が輩は猫で或る」なんて云う日本語だって似たようなものだから、漱石がホントに言ったか怪しいものだが、意訳の難しさを表す有名なエピソードではある。ちなみに、二葉亭四迷は、それを「死んでもいいわ。」と訳したそうだ。

で、松浦亜弥さんのカバー曲にノラ・ジョーンズさんの「Don't Know Why」があって、頑張って英語で歌っているのだが、これがあまり戴けない。彼女の発音があまりにも昭和的カタカナ英語なのが理由の1つなのだが、かといって、訳詞で歌うよりはマシなのだろうとずっと思っていた。やはり英語の歌は英語で歌うべきだと。
でも松浦亜弥さんが「Feel Your Groove」を日本語で歌っているのを聴いて、ちょっと考えが変わってきた。本当の意味で心に響いてくるのは、ネイティブで語ったときかもしれないからだ。

というわけで、松浦亜弥さんには「Don't Know Why」を是非とも日本語で歌って欲しいのである。僕は、日本語の表現力は、英語に劣るとは思っていないし、なにより彼女なら、きっと素敵な「Don't Know Why」をパフォーマンスできると思うからだ。

原曲・原詞は次の通りである。


   「Don't Know Why」
I waited 'til I saw the sun
I don't know why I didn't come
I left you by the house of fun
I don't know why I didn't come
I don't know why I didn't come
When I saw the break of day
I wished that I could fly away
Instead of kneeling in the sand
Catching teardrops in my hand
My heart is drenched in wine
But you'll be on my mind
Forever
Out across the endless sea
I would die in ecstasy
But I'll be a bag of bones
Driving down the road alone
My heart is drenched in wine
But you'll be on my mind
Forever
Something has to make you run
I don't know why I didn't come
I feel as empty as a drum
I don't know why I didn't come
I don't know why I didn't come
この楽曲で何回も登場する重要なフレーズが「I don't know why. I didn't come.」である。直訳すると「自分でもどうしてなのか分からない。私は彼のところに行かなかった。」であろうか。これ、何と意訳すればいいんだろう。もちろん唱えるようにである。って、なんで「come」なんだ?

どうやら「此処に来なかった」という意味らしい。ただし、この場合の此処というのは、彼氏にとっての此処であるから、彼女にとっては「そっちに行く」になる。したがって「I didn't come.」は、漠然と行かなかったのではなくって「彼のもとに行かなかった」となるのだそうだ。

さすがに直訳文は長いので、いろいろと調べて「どうして私 行かなかったんだろう」としてみた。我ながら、なかなかの名訳に思う。

でも検索すると、同じ英文から和訳したとは思えない文章が出てくる。訳文といっても、ほぼ創作文みたいなものだ。

例えば、I feel as empty as a drumの「drum」の解釈1つとっても、太鼓とか、ドラム缶とかいろいろあって、様々な解釈に基づいた全然違う訳文が出てくる。
僕らの感覚から云うと、太鼓とドラム缶は全然ベツモノだ。でも向こうの人に「drum」って太鼓なのドラム缶なのって聴いても、ドラムはドラムだよって答えると思う。密閉されて中身の無いものは全部ドラムであって、概念からして違うのだ。つまり、ここを太鼓とかドラム缶とか訳してしまうと、踏み込みすぎってことになる。

で、あっちこっちからパクって、取りあえずまとめてみたのがこれである。
「Don't Know Why」
ずっと待っていたの 朝日を見るまで
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど
あなたとの思い出を傍らに置いたまま
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう
夜明けを見た時に、このまま飛んで行けたらと思った
砂の上にひざまずき この手に涙を受け止めても
心をワインに浸してみても あなたを忘れるなんてできない
いつまでも
果てしない海の彼方なら エクスタシーに浸れるというの
ああ 私は消えてしまいそう 孤独に車を走らせながら
心をワインに浸してみても あなたを忘れるなんてできない
いつまでも
何で あなたは 去ってしまったの
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど 
私の心は 空っぽ
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう
ところが、このままでは歌えない。このブログでも何回か取り上げたが、日本語はわずかな情報量しか歌に載せられない、特殊な言語だからだ。

リンクです。人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道③ ~歌詞って何だろう~

俳句は「わずか」17音って云うけど、英語や中国語では17音節あると、かなりの情報量を盛り込めるから、普通の詩になっちゃうそうだ。(そのため、英語俳句は5・7・5でなく2・3・2で作るらしい。)
その違いは、他言語は音符1つに1音節を当てられるのに対して、日本語の場合は音符1つに1音(ひらがな1つ)しか載せられないところにある。Don't・Know・Whyは音符3つで唄えてしまうが、日本語では、「な・ぜ・だ・か・わ・か・ら・な・い」と9つも必要になるのだ。「なぜだろう」でも5音必要だ。

ノラ・ジョーンズさんは「I don't know why. I didn't come.」を音符9個で唄っているので、日本語でも唄えるようにするには、ひらがな9個で意訳しなければならない。これが訳詞(歌詞訳)である。「好きな人と一緒に行くことを躊躇ってしまったことへの後悔の念」を9文字で表せと云うのである。
さらに歌いやすくするためには、形式を整えたり、ある程度は韻を踏んだりもして欲しい。

では、この難題に果敢にチャレンジしている動画を3つばかり貼り付けさせていただこう。裏技として、早口で歌ってしまうと云うのもあるのだが、此処では邪道とさせて頂く。

             
「たちつくす ばかーり」


「行かなかった」を「立ち尽くす」と裏の意味で表すことによって、より喪失感が出ているように思う。なかなかの力作であるが、言葉をかなり削ってしまったので、原詩の世界観が無くなってしまったのが残念である。


「わたし ここに いたの」


完成度も高いし、原詩へのリスペクトも感じられる。女性ボーカルだったら、マジで泣けるかも。「わたしここにいたの」を「立ち尽くすばかり」に入れ替えたら、さらに素晴らしくなる予感。


「なして いがね けんだべ」


山形弁歌手「朝倉まや」さんのカバーである。有名な動画なので、ご存知の方も多いかもしれない。「なして」という言葉が、魂の叫びにも聞こえてくる。イントネーションが英語似なのも東北弁の強みといえよう。
そういえば、昔、福島県人の爺さんに「福島弁も山形弁も同じ様なものだね」と云ったら「ふぅくすまべんと やぁまがたべんは、じぇーんじぇん ちがうっぺしたぁ」と怒られたことがあったっけ。

要は、限られた音数で如何に表現するかである。英語の原詩のように、1つ1つの文に「I」とか「You」とかを付けている余裕などないのだ。(ほとんど発音してないけど)
結果として、これは歌詞の曖昧化を招くことになる。「立ち尽くすばかり」は名訳なのだが、彼氏に置いてけぼりをくらったという解釈もできてしまうからだ。

このように日本語の歌詞は、「先生、おしっこ!」みたいに主述の整った文章になっていないから、誰が誰に何をしたのかが、ハッキリしないものも多い。「横浜・黄昏・ホテルの小部屋」なんてのは、静物画を見せといて、そちらで物語を想像してくれって云われているに等しい。

日本の歌って、言葉が足りなくても君ならば僕の云うこと分かってくれるよねって感じで、聴き手の感性に頼らざるを得ないところがあって、そこが、日本語の歌の叙情であり、日本語訳詞の難しさなんだと思う。

最後に、松浦亜弥さんの「上海ライブ2006」でのテイクを貼り付けさせていただいて、お終いにしようと思う。


実は、原曲の著作者からすると、日本語の訳詞は許せないものらしい。原詞の内容を著しく損なっているので、正式なカバー作品として認められないと云うのだ。それが原因で、著作権者の許可が下りずに商品化できないなんてこともあるそうだ。
つまり、松浦亜弥さんが日本語詞で歌ってCD化するとなると、新たな著作権の手続きが必要となって、訳詞が気に入らなければ、(金を積めば別かもしれないが)不許可という可能性も出てくることになる。
でも、内容に手を加えずに英語の歌を日本語で唄えるようになんてできるのだろうか。

・・・・やっぱり、これが一番良いかも。

2020年3月20日金曜日

松浦亜弥「想いあふれて」 ~歌い手が試される凡庸なバラード~

「想いあふれて」は、2009年にリリースした松浦亜弥さんの5枚目のオリジナルアルバムであり、その収録曲であり、同年のコンサートツアーの名称であります。

1年3ヶ月ぶりにリリースしたアルバム「想いあふれて」でしたが、チャート最高順位は29位、売り上げは約5,000枚。待望しているはずのファンが、1年3ヶ月の間にどこかへ消えてしまったと云うことでしょうか。


「想いあふれて」については、過去に、コンサートツアーに関して5本、楽曲に対して1本の記事を投稿してありました。松浦亜弥さんについて熱く語っていた頃ですし、今回の元記事でもありますので、お時間があれば。



とは云っても「想いあふれて」は、松浦亜弥さんの後期の代表曲です。2009年以降のライブでは、必ずってくらい歌ってますので、アレンジもテンポも異なる様々なテイクが、YouTubeに投稿されています。
その中でも代表的な歌唱といえば、まずは2009年秋のコンサートツアーとなりましょうか。DVD収録されたのは、聖地「中野サンプラザ」で、アンコールの1曲目として歌われています。

では、前回の記事でも紹介させていただいたTKLYIMさんによる、会場録音の動画を貼り付けさせていただきます。


同じライブで歌われていた「ダブルレインボウ」が、DVD発売にあたって歌詞の間違いを修正されていたという(衝撃的な)事実が報告されています。実は、このテイクも歌詞を間違えまくっているのですが、修正は行われていません。きっと間違いが多すぎて直しきれなかったのでしょう。

ちょびっと意地悪なんですが歌詞を書き出してみました。(   )は間違えて歌っちゃった歌詞です。
          「想いあふれて」
ひとりきりの週末にも なんだか慣れたみたい
きみを思い出さないで 過ぎてく日もある
ただ待つだけの毎日は  ひどく長かったけど
気持ちにふたをしながら 夜明けを待ったわ
どうか忘れないでほしい(このさきも思い出すでしょ)
あんなに愛していたこと
大切で守りたいよと
泣いた日があったこと
あんなに愛していたから  あんなにやさしかったから         
想い出なんかは欲しくない あの頃に戻りたい
壁の時計の音を聴き 部屋に花を飾った
静けさに身をゆだねて 瞼を閉じるの
ただ待つだけの毎日が
私にくれたものは(ひどく長かったけど)
孤独と背中合わせの 少しのプライド
(気持ちにふたをしながら 夜明けを待ったわ)
このさきも思い出すでしょう(どうか忘れないで欲しい)
あんなに愛していたこと
簡単にしまい込めない 温もりが残ります
どんなに愛していたって どんなに想っていたって
あなたに届くことはないと 今ならばわかります
このさきも思い出すでしょう あんなに愛していたこと
大切にしまいこむには(簡単にしまいこむには)
温もりが残ります
どんなに愛していたって どんなに想っていたって
あなたに届くことはないと 今ならばわかります
色褪せることない 想いがあふれます
なるほど、1番の歌詞を2回歌ったって感じですかね。あとは、大切に仕舞い込むが、簡単に仕舞い込むになったところでしょうか。まあ、意味は対照的ですが、仕舞えないことには変わりありません。交換可能なフレーズですし、論理的にも破綻してませんから、歌っている側も「あれっ」って思う程度だったかもしれません。僕もこの動画は何回か聴いていたはずなんですけど、こんなに歌詞間違いをしていたなんて気付きませんでした。

悪く云えば、歌詞にインパクトが無いってことだと思います。まあ、失った恋に想いを募らせるってシチュエーションは、昔からありますんで、思い出は欲しくないとか、あの頃に戻りたいとか、使い古された言葉が並んでしまうのも致し方ないこと。ならば、このような平凡なバラードを如何に聴かせるかこそ、歌い手さんの腕の見せどころと云えましょう。

           
2009年秋のコンサートツアー「想いあふれて」は、単なるアルバムツアーでなく、松浦亜弥のライブの集大成、これぞ松浦亜弥のライブというものにしたかったそうです。が、実際のところは、歌をじっくり聴かせるよりは、お別れイベントみたいな色合いが強かったように思います。アルバム収録曲10曲のうち、コンサートで披露された曲は5曲だけと投げやり的なセットリストでしたし、最大の特徴であるリクエストコーナーにしても、ファンクラブ・イベントのノリですからね。これぞ松浦亜弥って云うんだったら2007年のツアー「ダブルレインボウ」の方がずっと松浦亜弥だったと思います。
               
コンサートツアー「想いあふれて」は、9月5日から10月10日にかけて、6都市で8日間、のべ14公演とありました。DVD収録された中野公演がファイナルのような錯覚に陥りますが、ファイナルは札幌公演です。ただ、ライブレポートによると、初日の八王子公演で既に涙で歌えなかったそうですから、毎回、ファイナルみたいな雰囲気でツアーをしていたのかもしれません。
全盛期の、のべ55公演などと比べると、かなり寂しい感じですが、1階席は埋まるものの、2階席は空席が目立っていたらしいですし、札幌公演と東京公演の観客の顔ぶれがほとんど変わらなかった、という話も出ています。それでは、重要な収入源であるグッズの売り上げも期待できません。ラストツアー(当時の発表は3年間の休止)であることが告知されなけば、更に惨憺たる状況になっていたと思われます。「想いあふれて」が最後のツアーになったのは、彼女の体調の問題とされましたが、そうでなくとも、松浦亜弥は、全国ツアーを維持できるだけの動員力を、2009年の時点で既に失っていたことになります。

さて、松浦亜弥さんは、歌い込んでいくうちにだんだんとテンポが遅くなっていく傾向があって、「想いあふれて」でもテンポの異なるテイクが公開されています。
こちらは、2010年9月のCOTTON CLUBでのライブテイクです。このライブは、あっさりめに歌っている曲が多いようですね。

             
しっかり、歌詞カードを見ていますので、大丈夫だと思います。皮肉ではありません。間違えるよりずっと良いですから。楽器を演奏する人は楽譜を見て良くって、歌手は見ちゃダメなんて不公平ですからね。

スローテンポで感情込めまくって歌うのも素敵ですけど、こういう軽い感じの歌唱も悪くないなぁって、今更ながら思いました。コットンクラブの雰囲気にも合っているみたいです。

もう1つの動画は、同じ年の6月に開催されたマニアックライブⅢのテイク。同じ2010年ですけど、こちらはライブのラストで歌われていて、ゆっくりめになっています。


バラードを歌い始めた頃の松浦亜弥さんは、どんなに上手く歌っても、ただそれだけって感じがあったんですけど、この頃のテイクは、聴く側の心に染みいりますです。
松浦亜弥さんの歌唱って、上手すぎてファインプレーに見えないみたいなところがあって、普通に歌っているようでも、よくよく聴いてみるとやっぱり上手いんだと思うことが多いです。

この曲はハロプロの後輩たちが好んでカバーする楽曲のようで、たくさんのカバーテイクがありますが、どうもしっくりきません。歌うからには歌唱力のあるところをアピールしたいのは分かるんだけど、ハロプロの歌唱だと、何でそこでそんな声をだすかなぁって感じになるし、くどいんですよね。

お終いは「ラグジュアリー・クリスマス・ナイト 2013 at COTTON」のテイク。実年齢が楽曲に追いついてくるって、どんな歌唱テクニックよりも勝るってことかもしれません。松浦亜弥さんのラストライブですが、静止画で。


「想いあふれて」は、使い古された歌詞と、ありふれたメロディーラインで構成された平凡なバラードに思います。歌うだけなら特別なテクニックも要らないし、聴き手にインパクトを与えるような楽曲でも無いかもしれません。
しかし、凡庸は正統の証。結局は、奇をてらうこと無く、真摯に楽曲に向かい合うしかないのだと思います。愛する人への想いは、陳腐な言葉を使ってでしか表せないのですから。

本投稿記事について「アヤまる」さんから、コメントをいただきました。より深い理解のためにも、合わせて読んでいただければ、と思います。

2020年3月11日水曜日

紀平梨花「チャレンジカップ2020」~いきなりの「4回転なしで160点めざす」宣言~

2月20日から23日までの4日間、フィギュアスケートの国際B級大会「チャレンジカップ(Challenge Cup 2020)」がオランダで開催されました。紀平梨花選手は昨シーズンこの大会に出場して優勝。今シーズンもエントリーして連覇を達成いたしました。

オランダというと冬季オリンピックで金メダルを何個も獲得するスケート大国ですが、盛んなのはスピードスケートでしてフィギュアスケートは全く強くありません。フィギュアスケートのような演技系のスポーツは、オランダ人のような大柄の民族には向かないってことでしょうか。欧米でもフィギュアー選手は小柄な方が多いですからねぇ。

とは云っても、スケート大国なんですから、少しはフィギュアにも力を入れようとスポンサーが付いて始めたのが、この「チャレンジカップ」のようです。
チャレンジカップの面白いところは、オランダの国内選手権を兼ねていることです。フィギュアスケートのオランダ代表を決める大会に、外国選手も出場して一緒に盛り上げようってことのようですが、実質的には外国選手中心の国際大会になっています。
で、何故か日本は昔からこの大会に選手を送り込んでいて、歴代の優勝者にもたくさん名を連ねています。また、ジュニアの子たちも毎年参加しているようです。

日本のジュニア選手がこのような海外の大会に遠征できるのは、日本のスケート連盟がそれだけお金持ちだからです。で、そのお金は、浅田真央ちゃんとか、羽生結弦君がせっせと稼いでくれたものです。真央ヲタの中にはアンチ梨花ちゃんが結構いて何かと叩いてくる一方で、梨花ちゃんファンが真央ちゃんの悪口を絶対言わないのは、こういった事情があるからです。まあ、梨花ちゃんも最近は稼ぐ側になったようですけど。

「チャレンジカップ」の格付けは国際B級大会。フィギュアスケートの大会の格付けは、上から順に、
オリンピック≧世界選手権>欧州・四大陸選手権>GPシリーズ>チャレンジャーS>国際B級大会
だそうですから、若手にとっては経験を積む場・・・まあ、国際親善って意味合いもあろうかと思います。スピードスケートの強化のためにもオランダと仲良くするのは良いことですからね。

まずは、紀平梨花選手のショートプログラムから。

   
フィニッシュで反対側を向いてしまって、向き直しているところが何とも可愛いですね。

ジャンプの構成は次の通りです。

①3A ②3Lz ③3F-3T 

今回の特徴は、連続ジャンプを3番目にもってきたところです。でも、後ろに付けた3トーループで転倒してしまいました。2番目のルッツも詰まってましたから、連戦の疲れもあったのかもしれません。でも、そんな情況でも、ちゃんと3アクセルを跳べるのが、今シーズンの梨花ちゃんの成長の証です。

最も基礎点が高い連続ジャンプを、得点が1.1倍になる3番目に持ってくるのは、ロシアの女の子たちがよくやる構成です。ただ、3番目に跳ぶというのは、疲れも出てきますし、何より失敗して単独ジャンプになった場合、リカバリーができないというリスクがあります。

で、どのくらい基礎点が高くなるのかというと。

3Lzの基礎点は5.9点、3F-3Tは9.5点ですから、得点差は3.6。その0.1倍ですから0.36。

たったの0.36点なんですよね。出来映えGOE の+1の得点よりも少ないです。
まあ、こんなわずかな得点でも、貪欲に積み上げようとするロシア選手、恐るべしってことですけど、梨花ちゃんの強みはリカバリー力。それを捨ててまで取るリスクとは思えません。まあ、コケちゃったことでもありますし、ここは、是非とも、元の構成に戻して頂きたいものです。

次は、フリー演技です。

今回は、テレビ放送が無かったこともあって、初めてライスト(ライブ・ストリーミング)で観戦させて頂きました。

地上波放送の録画中継は、ネットニュースとかで結果が知らされちゃうんで、ドキドキ感ゼロだったんですが、これだと地球の裏側の試合をリアルタイムで観戦できます。ただ、解説もなくって簡単な実況だけで、それも英語ですから何を言ってるのか分かりません。でも会場音とかそのままなんで、リアルな感じで悪くなかったです。世界選手権も、地上波で生放送しないのなら、ライブストリーミングしてくれると良いんですけど。って云うか、大会そのものが無くなってしまいそうですね。


ジャンプ構成です。

 ①3S ②3A-2T ③3Lz ④3A ⑤3F-3T ⑥3Lz-2T-2Lo ⑦3Lo

やはり4サルコウは跳びませんでした。でも、3アクセル2本、3ルッツ2本という、6種類8トリプルの高難度構成。昨シーズンだったらぶっちぎりの優勝なんですけどね。

最後は右手・左手での時間差ガッツポーズ。ノーミスで本人は大満足のようですが、ファンからすると4回転にチャレンジしなかったことが、ナンとも歯痒かったようです。

で、インタビューでは、
160点を目指していた。(4回転)サルコーなしでも、160点に乗せられる選手になりたい。昨季は4回転がないと、私もやっていけないかなと思っていた。でも(アリョーナは)アクセル2本という(自分と)同じ構成で4回転を何本も跳んでいる選手(サーシャちゃん)より点数が高い。他のジャンプの自信が100%ぐらいあれば(自分も)動揺せずに挑戦できる。
と答えていたそうです。これはちょっとサプライズでした。だいたい、4回転無しで160点取るって、4サルコウを成功させるよりも遥かに難しいことじゃないですか。

完全にコストルナヤを意識した発言です。今シーズン無敵のロシア3人娘、中でも最強なのが「アリョーナ・コストルナヤ」選手です。彼女のジャンプ構成は紀平選手とほぼ同じで、4回転ジャンプがありません。

しかし、コストルナヤ選手の強みは、スケーティングの全ての要素で高評価を得ているところです。技術面でも演技構成でも、ほとんど全てに於いて梨花ちゃんより評価が高い。まあ、高いと云っても、1つ1つの要素の差は0.3点とかだけど、演技全体として積み重なると3点5点という決定的な差になるわけです。だから、今シーズンは、互いにノーミスだったら、梨花ちゃんはコストルナヤには絶対敵わない。それを挽回するには、ヘンテコリンな楽曲を変えて、4Sや4Tといったクワドジャンプを成功させるしかないわけです。

まあ、「量より質」って云いたいのかもしれませんけど、勝ち抜くためには、「量も質も」じゃなきゃダメなんです。

コストルナヤだって、4回転に取り組んでいないわけではありません。そのうちに実戦で投入してくるでしょう。さらに、アメリカや韓国、ロシアのジュニア選手がシニアに上がってくると4回転はもはや必至の技になる。

梨花ちゃんがクワドジャンプ(4回転)ができそうもない子ならば致し方ありませんが、実戦投入までもう一歩という段階まできてるのに、何でこんなことを云い出したんでしょう。4回転4回転と五月蠅いマスコミにウンザリした果ての発言とも思えないんですよね。

ジュニア時代の梨花ちゃんは、失敗しても失敗しても3Aを跳び続けて、今シーズンようやくモノにすることができました。でも、一方では、100%できる確信が持てるまで実戦に投入しないという方針もあったわけです。コストルナヤがそうでした。彼女はジュニア時代から3Aを練習していたんだろうけど、試合では全く跳んでなかった。
同じ「エテリ」コーチのチームでも、トルソワ選手は、3Aとか未完成でもどんどん試合で使ってくる。恐らく、選手の性格を見極めてのことだろう。

だとすると、かなりな「きにしい」である梨花ちゃんに合わせた方針は、自ずから決まってくるはず。今まではやるやると言ってやらなかったけど、今回はやらないと断言したようなものだから、世界選手権では4回転サルコウは100%やらないだろう。

梨花ちゃんは、もう試合で失敗するのが単純にイヤなんだと思う。

だからと云って、放棄したわけでも無いはず。160点発言だって、梨花ちゃんの負けず嫌いなところから出てきた言葉だと思うし、何てったって、言行不一致、有言不実行な梨花ちゃんですからね。この先、何が起きるか分かりません。

って云うか、世界選手権って開催するのかなぁ。観戦チケットとホテルと航空券をゲットしてた羽生ファンには、申し訳ないけど、僕的には、ライストさえあれば無観客でもOKなんですけどね。羽生選手以外のフィギュアの選手って、ガラガラの観客席には慣れてそうだし・・・。

2020年3月8日日曜日

松浦亜弥「ダブルレインボウ」その2 ~描かれなかったもう1つの虹~

ダブルレインボウは、二重の虹が現れる現象です。滅多に見られない現象ですが、最近は、皆さん見つけるとすぐに写真をアップしますんで、ネットで検索すると思いのほか出てきます。内側の普通の虹が主虹で、外側の虹を副虹というそうです。副虹は、下が赤、上が紫と、色の順番が逆になっているのが特徴とのことです。


ところが、松浦亜弥さんのアルバムのジャケット写真は、ダブルレインボウではありません。それから、松浦亜弥さんは首にレイをかけています。ダブルレインボウはハワイでは幸福のサインだそうですから、ダブルレインボウ→ハワイ→レイと安易に連想したのでしょう。しかし、肝心の楽曲は、南の島の明るいイメージなど皆無であります。

まあ、その辺りが、当時の松浦亜弥さんサイドの雑な商売というか、ツッコミどころと云えましょう。


と、思っていたのですが、先日TKLYIMさんから頂いた投稿によると・・・
タイトル「ダブル レインボウ」とは、アイドルと本格歌手の間に立った松浦亜弥の二輪を具現化したものであり、楽曲「ダブル レインボウ」とは、1つ目の虹(アイドル)を完成させ、2つ目の虹(本格アイドル歌手)を作り上げるための曲。
とありました。なるほどです。

つまり、ジャケットの虹は完成されたアイドルとしての活動を表し、写っている松浦亜弥さんは、新たな虹を架けようとする決意の姿になります。

確かに、ジャケットにダブルレインボウを使いたければ、写真を探し出したり、無ければ合成しちゃえば良いわけで、ここは、あえて、シングルレインボウの写真を使ったのでしょうか。それに再出発を誓う場は、東欧でもハワイでも構わないわけですからね。

さて、コンサートツアー「ダブルレインボウ」の特徴の1つが、アイドル曲とニューアルバムの楽曲を同等に扱っているセットリストです。ライブの主な構成曲がニューアルバムの楽曲から成っていることは当然ですが、驚くべきは、その間を埋めている楽曲のほとんどが、初期のアイドル曲であることです。「ドッキドキLoveメール」「トロピカール恋してーる」「ラブ涙色」「100回のKiss」「桃色片想い」「めっちゃホリデー」。デビューからの6曲までが全て入っています。それもフルコーラスで。こんなことは、2003年までのバリバリのアイドルコンサートをしていた時以来のことです。

「めっちゃホリデー」をちゃんと歌っている最後のテイクですね。


ライブレポートに当時のMCの抜粋が投稿されてました。「今、歌うのが楽しい。歌詞を見返すと、昔は分からなかった新しい発見がある。」「デビュー3、4年目の頃は、「めちゃホリ」を歌うのに飽きてました。1年356日で、365回以上歌ってるんじゃないかってくらい歌ってたし。」

こちらは、タイトル曲「ダブルレインボウ」。


このビジュアルで、この歌唱力。やはり「ダブルレインボウ」に外れ無しですね。

タイトル名に込められた想いを考えた時に、この曲をセットリストに組み込まずアンコールで歌った意味が分かったような気がします。

この2つのテイクが、同じライブで披露されたことは、正に奇跡であり、2007年という年が、松浦亜弥さんの画期であったことは確かなようです。

しかし、この2007年を境に、第1の虹は少しずつ色褪せていきます。「アヤまる」さんによると・・・
2008年には、大人が子供を演じている感じがして、
2009年になると、もはや「あやや」のパロディ。
とありました。なるほどです。

この後、歌うことはあっても、第1の虹は、ファンサービス化、ネタ化していきます。そして、2つ目の虹を納得できる形で描けないまま、1つ目の虹も輝きを失っていくのです。
          
さて、ご存じの通り、虹は空中の水滴に太陽光線が屈折反射して起きる現象ですが、この時、水滴内で2回反射すると副虹ができるそうです。調べていて分かったんですけど、副虹ができる条件と云うのは、それほど厳しいものでは無く、水滴がある程度上方に広がっていれば普通にできるんですよね。つまり、虹はかなりの確率でダブルレインボウになっている。ただ、水滴内で2回反射している分、光は弱くなりますから、条件に恵まれてなければ見えないわけです。

外側の虹は、「存在していても気付かれない」ことが多い。

松浦亜弥さんの2007年以降の活動と、「ダブルレインボウ」というタイトル名に不思議な因縁を感じざるを得ませんです。