2018年11月26日月曜日

フレディ・マーキュリーも草葉の陰で泣いて喜ぶRavan Axentカバー「ボヘミアン・ラプソディ」の完成度

 11月24日は、「フレディ・マーキュリー」の命日だったんですね。没後27年を経て公開された映画「ボヘミアン・ラプソディ」も好調のようです。

クイーンが1975年に発表した、楽曲の方の「ボヘミアン・ラプソディ」も、公式PVの視聴回数が7億2千万回を越えました。音楽チャートでも、クイーンの楽曲が十何年ぶりかでベスト10入りしたとか、凄いですね。
実は、クイーンって、オフィシャルも含めてYouTube上に動画が豊富にあるんですよ。それでも、CDは売れまくり、映画は大ヒットですからね。クイーンが廃れることなく、若い世代にも影響を与え続けているのは、YouTubeの存在が大きいと思います。ライブでの動画撮影禁止とか、撮影してもSNSにはアップするなとか云ってる事務所もありますけど、ならばちゃんと公式に発信すべきで、鎖国政策ばかりでなく、むしろ積極的に活用していただきたいものです。

でも、今回、貼り付けさせていただくのは、その公式動画ではなくって、「Ravan Axent」さんのカバーテイクです。
Ravan Axentさんは、欅坂46などのカバー作品を投稿していらっしゃる一人バンドさんですけど、今回、投稿された「ボヘミアン・ラプソディ」のデキが、それはそれは凄いんです。


以下は、二年前の投稿記事の再掲です。
                                                                     
「ボヘミアン・ラプソディ」
この曲を初めて聴いたのは、中学校の給食中の校内放送です。僕は、その頃は、かぐや姫とかN.S.P.なんかを聴いて、必死にコピーしていた頃で、せいぜいビートルズ止まり。レッド・ツェッペリンなんて理解不能のウブな中学生でした。

当時、僕のいた中学校は、放送委員会と教師たちの熱い闘いがあって、放送委員が、流行の曲をかけると、先生たちが放送室に乗り込んできて強制終了させられて、また、次の日に、放送委員が、これならどうだってムキになってかける、というバトルを繰り広げてたんですよ。ところがこの曲をかけた時は、何故かストップがかからなくって、そのまま流れたんですよね。理由は、分かりません。先生たちの中にクイーンのファンがいたのか、或いは、この曲がロックだなんて思わなかったのかも知れません。

その時は、僕はクイーンなんて全然知らなかったんですが、凄い衝撃を受けたんですよね。その後、僕の弟がクイーンにハマりだして、LPとかを買ってきたんですよ。で、一緒に聴いてました。確か、家にあったLPは、「オペラ座の夜」から「華麗なるレース」「世界に捧ぐ」「ジャズ」までだったと思います。

日本のフォークソングと昭和歌謡しか知らなかった僕は、この曲の構成とか、コード進行とか、いったいどうなっているんだろと思いました。こんな曲の構成は、絶対理解不能だし、アマチュアバンドでコピーなんてできるわけ無いし、素人は、ただ憧れながら聴いているだけなんだって思い知らされましたよ。

まあ、正統派(?)ロックファンからは、世界で最も過大評価されているアーティストなんて云われてますけど、昭和の中学校教師にもストップされることなく、ロックのことなど何も分からない僕に衝撃を与えたという事実は、彼らが偉大なアーティストであることの何よりの証明だと思います。

・・・と云う感じなんですけど、まずは、アマチュアバンドではコピー不可能なんて書いてしまったことを訂正してお詫びいたします。

演奏者のRavanさんは、この曲よりもお若い方かと思います。この楽曲が話題になってからカバーに取り組んだのでしょうから、短時間でここまで仕上げてしまうという才能は恐るべきものです。
ドラムパターンとかベースラインとか、一回聴けば頭に入ってしまうのでしょう。そして特筆すべきは、ボーカル力です。「オペラ」の部分のカバーなんてのは、練習すればどうにかなるってものではありませんからね。

クイーンの楽曲には、良い曲と有り得ない曲があるんですけど、「ボヘミアン・ラプソディ」は有り得ない曲の代表格です。後期になるとフレディの創作意欲が衰退していって、ロジャーとかジョン・ディーコンの楽曲がメインになって、それはそれで良い曲なんだけど、やっぱりフレディの楽曲あってのクイーンですからね。

今までの常識では、此手の映画って云うのは、往年のファン相手のものだったと思いますけど、観衆の中には、産まれたときには、もうフレディは死んでいた、なんて云う若者も多いそうです。時代を超えて、新しいファンを獲得し続けるって、やっぱりクイーンって凄いんだなって、改めて思いました。

この続きは、映画を観てから、と云うことで。

2018年11月24日土曜日

「丸山純奈」と「松浦亜弥」の奇跡の接点 その2 ~NHKホール編~

「天王洲アイル ふれあい橋編」から十ヶ月、奇跡の接点シリーズ(?)の第2弾です。


先日、丸山純奈さんがNHK「うたコン」に初出演しました。
録画しながら生でも見ていたんですけど、とにかく落ち着かなくって、歌っているあいだ中、部屋の中をウロウロ歩き回ってしまいましたよ。


それにしても、この日は「故郷の歌」特集でしたから、「手紙~拝啓 十五の君へ~」を歌うとは思いませんでした。最初から、これを歌うために呼ばれてたんでしょうかね。案外、構成を考えているうちに、次の日が15歳の誕生日ですって話になって、じゃあ、その方向で行きましょうか、みたいな流れになったのかもしれません。
アンジェラ・アキさんのカバー曲を歌うんだったら、他にもあっただろうって思いますけど、ワガママを云うのはやめておきましょう。

でも、十五の君「へ」ですからね。周りの人たちが、15歳になった「すーちゃん」に歌うのなら分かりますけど。15歳の子が「十五の君へ」を歌うというのは、本来、不自然な話です。

で、歌詞を読んでみると、1番は、15歳の僕が、誰にも打ち明けられない悩み、思春期にある漠然とした将来への不安を未来の自分に告白する内容、2番は、大人になった自分が、未来の君は必ずしも幸せとは云えないけれど、まあ頑張れって、過去の自分に答えるという構成なんですよね。

つまり「十五の君へ」というサブタイトルは、2番の歌詞に関連して付けられているもので、大人になったアンジェラ・アキさんが、15歳の自分に向けて歌うという形態から転じて、15歳の若者全般に向けてのメッセージ(お説教)となっているようです。

でも、大丈夫です。今回、純奈さんは1番しか歌いませんでしたから。

その代わりに、ゴスペル風のコーダを歌いました。このコーダのところは、アンジェラ・アキさんの才能の成せるところですが、取って付けたような感じは否めません。ですから、1番2番を歌って、コーダを省略という歌い方もあったと思うのですが、今回は2番を省略してコーダを歌うという形をとりました。
そして、コーダでは、洗足学園音楽大学のお兄さんお姉さんのサポートがつきました。これは完全な想定外でした。あおぐみの皆さんにとっては、すーちゃん一人で歌って欲しかったところでしょうけど、結果的には、このサポートが良かったように思います。

と云うのも、この日のすーちゃんは、ド緊張からか、声の伸びがイマイチだったからです。すーちゃんの歌唱の凄いところは、ここ厳しいだろうなーって思わせておいて、バッチリ地声で歌い切っちゃうところなんですけど、今回は、やっぱりキツそうだなって感じでしたからね。
でも、大学生のお兄さんたちが後押しに入ってからは、ちょっと気が楽になったようで、余裕が出たように感じました。かなり、助けられた部分があったのではないでしょうか。

とは云っても、一緒に出演した諸先輩方と比べてみても、遜色なく歌い切ることができましたし、NHKの生歌番組で、これだけの歌唱を披露できたことは、良かったと思います。会場ならばホールエコーもかかるでしょうから、NHKホールのお客さんたちは、きっとテレビの視聴者以上に感動してくれてたと思います。

四国大学でのソロライブが、かなりの高評価のようですけど、このNHKホールでの経験が、彼女をまた一段と成長させたのだろうと思う次第です。


そして、今回紹介させていただく、もう1つのテイクが、こちら。

純奈さんが産まれる二年前、同じNHKホールでのテイクになります。「あやや」こと「松浦亜弥」さんは、2001年4月にデビューし、この年の紅白歌合戦に初出場しました。純奈さんは11月、亜弥さんは6月がお誕生日ですから、14歳と15歳の違いはありますけど、どちらも中学三年生のテイクなんですよ。


ママチャリ&ヘルメットで紹介された「すーちゃん」とのギャップが凄いですね。どちらも可愛いことには違いありませんけど、「カワイイ」という言葉には、これだけの振れ幅があるということです。改めて確認しますけど、この時の二人は同学年なんですよ。

松浦亜弥さんがデビューしたのは、モーニング娘とハロプロの絶頂期です。彼女は、つんく♂氏の大のお気に入りで、当時「モー娘。」で稼いだ金を、全て彼女のプロモーションにつぎ込んだと云われてました。で、デビュー8ヶ月で紅白出場となりましたが、最大ヒット曲の「桃色片思い」は年が明けた2月、お馴染みの「めっちゃホリデー」は6月のリリースですから、この時の全国的な知名度は、それほど高かったわけではありません。

この後、松浦亜弥さんは、アイドル、タレントとして大成功を収めます。しかし、アイドルキャラが全面に押し出されてしまったことで、ファンや一部の音楽関係者をのぞいて、その歌唱力が世間に評価・注目されることはありませんでした。
松浦亜弥は、当時(例えば2010年頃)女性歌手でNo.1の歌唱力だったんだよ、って云ったところで、何人が本気にしてくれるでしょう。

今では、アイドルからアーティスト路線への典型的失敗例みたいな扱いです。では、あの頃、14歳の歌の上手い(でも作詞作曲をするわけではない)女の子が歌手デビューするとして、アイドル以外の選択肢があったでしょうか。

もちろん、アイドル松浦亜弥に励まされた奴らは沢山いたし、彼女の歌に救われた奴も多かったとは思います。だけど、2001年当時に、もし「中学生シンガー」という肩書きが世間に認知されていたら、日本の歌謡史はもっと違ったものになっていた、そんな気がしてならないのです。

「丸山純奈」さんと「松浦亜弥」さん、中学三年生の二人は、アイドルとシンガーという、対照的なスタートをきりました。MCからも分かりますけど、性格もボケとツッコミのように正反対です。でも、歌詞は間違えても音程は絶対外さないとか、カバー曲を歌うときのオリジナルとの絶妙な距離感とか、そして、何より、歌に対するプロ意識とか、共通点も多いんですよ。

ちなみに、今の旦那さんである「橘慶太」氏と交際を始めたと云われているのが、この時期になります。若いアイドルどおしの(ファンには公然でしたけど)秘密の交際、きっと、アニメに出てくるカップルみたいに可愛らしかったと思います。

「すーちゃん」も、もうすぐ高校生ですけど、好きな男の子とかいるのかなあ。あおぐみの男性陣は、オヤジばかりなので、ちょっと心配です。

2018年11月17日土曜日

メジャー7thでつなぐ思い出 ~フランシス・レイ「男と女」から五輪真弓「落日のテーマ」・荒井由実「晩夏」へ~

先日、フランスの作曲家「フランシス・レイ」氏が亡くなりました。氏が作曲した数多くの映画音楽、フランシス・レイの名前を知らなくても、その曲名を知らなくても、そのメロディーは誰もが聴いたことのあるものばかりだと思います。中でも、映画「男と女」のテーマソングは、氏の出世作であり、世界中の人々に親しまれている名曲です。フランシス・レイ氏逝去のニュースを聞いて、ちょっと昔のことを取り留めも無く思い出したものですから。


子どもの頃、僕ら家族は、ある事務所の建物に間借りして暮らしていました。六畳間が2つだけのところに家族4人。そんな狭いところだったのに、家には、中古のエレクトーンが置いてありました。弟が、当時流行っていた「ヤマハの音楽教室」に通っていたので、母が買ったのだと思います。
いつからか、僕は、そのエレクトーンを玩具代わりに弾いて遊ぶようになりました。誰に教わるわけでもありませんでしたから、完全な自己流でした。
実は、弟が、そのエレクトーンを弾いていたという記憶がありません。母が「オマエに習わせればよかった。」と笑っていたのを覚えています。

家には、エレクトーン初級の教則本がありました。「チューリップ」とか「きらきら星」などの超簡単な曲から始まって、最後の方に載っていたのが、フランシス・レイの「男と女」でした。
誰に強制されるものでもありませんでしたから、その曲にたどり着くまでには、長い時間がかかったと思います。

僕は、その「男と女」で、初めてメジャー7thコードに出会いました。音楽の教科書に載っているような楽曲しか知らなかった僕は、Fmaj7(FM7)のお洒落な響きに魅了されました。
それからは、メジャー7thばかりを弾いて遊んでいました。やがて、C7sus4とかBm7-5とかDm7/Gとか、いろいろなコードを覚えていきました。

映画の「男と女」は、テレビの洋画劇場で見た覚えがあります。悲しい過去を持つバツイチの男と女が、くっついたり離れたりしながら。最後は駅のホームみたいなところで、抱き合って、映像が止まって、ハッピーエンドという映画だったと思います。(合ってますか?)

やがて、僕は、簡単な楽曲ならば、メロディーやコードを耳コピして弾いて遊ぶようになりました。中学生が親にねだってギターを買ってもらったとしても、ギター教室に通う奴なんかいないのと同じように、僕のエレクトーンも完全な自己流でした。級友たちは、ピアノなどは、教わらなければ弾けないものと思い込んでいましたから、僕が流行の曲をそれっぽく弾くのが、凄いことのように思っていたようです。

その頃、NHKでは、夜の連続ドラマ「銀河テレビ小説」ってのがあって、僕らの母親世代の人たちが喜んでみるようなドラマを放送していました。
石川達三氏原作の「僕たちの失敗」もその中の1つでした。でも、僕は、「酒井和歌子」さんと「荻島真一」さんが主演のそのドラマよりも、その主題歌に衝撃を受けました。なんとも不思議な、体験したことのない雰囲気をもった楽曲だったからです。

僕は、さっそく、その主題歌を耳コピしようとしましたが、皆目見当がつきませんでした。メロディーは探ることができても、コードが全然分かりません。完全にお手上げでした。

その主題歌は、評判だったようです。あるとき、返信用の封筒を同封すれば楽譜をプレゼントします、みたいなお知らせがありました。僕は、早速申し込みました。楽譜が送られて来るまで、随分待たされた覚えがあります。ようやく届いた封筒を開けると、小さな紙切れが一枚入っていました。楽譜といっても、ちゃんとした伴奏譜じゃなくって、メロディーが書かれた五線譜に、歌詞とギターコードが付けられていただけのものでした。

早速、その曲を弾こうとしたのですが、いきなり出てきたコードがC△7でした。「さんかく?」そんなコードは見たこともありませんでしたから、面食らってしまいました。それは、メジャー7の略号だと知りました。その主題歌は、いきなりC9とかCM7から始まる楽曲でした。僕の音楽力などで太刀打ちできるような代物ではなかったのです。

その曲名は、「落日のテーマ」。作ったのは「五輪真弓」さんでした。当時の五輪さんは、「恋人よ」などのヒット曲を送り出す前で、まだ、それほど知られた存在ではなかったように思います。
「落日のテーマ」という曲名も、今回初めて知りました。ずっと「僕たちの失敗の主題歌」と云うのだと思ってました。(ちなみに、「僕たちの失敗」で検索すると森田童子の楽曲が引っかかるので要注意)

この記事を書くにあたって、ネットで検索してみたのですが、この主題歌に衝撃を受けたという奴は、けっこう多かったようで、「40年以上たった今でも忘れられない」みたいな書き込みがゾロゾロ出てきます。
いわゆる、ニューミュージックが、始まりつつある時代で、楽曲に使われるコードも、複雑化していった時代でした。

ドラマ主題歌の音源はすでに失われているようですが、五輪さんがアルバムの中でセルフカバーしてるテイクがあるそうです。ただ、コメントによると、主題歌のとは、雰囲気が変ってしまっているとのことでした。
YouTubeには、いくつかのカバーテイクが投稿されています。そんな中から、貼り付けさせていただいたのがこのテイクです。


改めて聴いてみても、凄いつくりだと思います。終わり方のコードなんて、本当にあれで合っているのでしょうか。全く理解できません。
実は、もっと上手な演奏もあるのですが、(ゴメンナサイ)、なんとなくオリジナルに忠実なように思ったのでセレクトさせていただきました。でも、ドラマ主題歌との違和感は拭えません。まあ、御本人でさえ再現できなかったのですから、致し方ないことではあります。


「銀河テレビ小説」の主題歌で、もう1つ忘れられないのが、荒井由実さんの「晩夏(ひとりの季節)」です。
この頃の荒井由実さんは、だいぶ有名になっていたと思います。相変わらず、ドラマについての記憶が全く無いのは、主題歌だけを聴いてたからでしょう。


この音源、テレビにラジカセを向けて録ったものだそうです。家庭用のビデオデッキが普及する以前の話で、このころのVHSテープは、1本6,000円したそうです。
僕も、同じように歌番組をラジカセで直録りしてました。ただ、そういったテープを保存している人がいて、こうやって聴くことが出来るのですから、凄い世の中だと思います。YouTubeには、アルバム音源も投稿されていて、音質も良いのですが、やはり、僕にとっての「晩夏」は、こちらのイメージなのです。

この曲もCM7から始まります。オリジナルキーは違うのかもしれませんけど、僕は、#とか♭が苦手でしたので、勝手にC調にして弾いていました。なのに出だしの音はB。この頃は、完璧とは云えないまでも、それっぽく耳コピできていたと思います。ただ、僕は、それ以上に僕は、この歌詞に衝撃を受けてていました。

ゆく夏に 名残る暑さは 
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
秋風の心細さはコスモス
空色は水色に 茜は紅に
やがて来る淋しい季節が恋人なの
丘の上 銀河の降りるグランドに
子どもの声は犬の名をくりかえし
ふもとの町へ帰る
藍色は群青に 薄暮は紫に
ふるさとは深いしじまに輝き出す

秋の訪れとともに、空の色は「空色」から「水色」に変化してゆくのだと、夕焼けは、「茜色」から「紅」に変ってゆくのだと、そんな歌詞の意味さえ、当時は分かっちゃいませんでした。もっとも、色彩を明るく変化させたことの意味は、今でもよく分かりませんけどw

YouTubeには、この楽曲の素敵な映像作品がたくさん投稿されています。で、この映像作品でお終いにします。これをセレクトした理由は・・・分かりますよね。


2018年11月12日月曜日

丸山純奈&ドクター・キャピタルが歌う「ふるさとの色」って、どこの色なんだろう

「ふるさとの色」は、アンジェラ・アキさんが、音楽番組「もっと四国音楽祭」からの、四国のテーマソングを作って欲しいという依頼に応えるかたちで、書き下ろした楽曲だそうです。
丸山純奈さんは、この楽曲のメイン・ボーカルとして音楽祭に参加。番組では、ドクター・キャピタル氏とのデュエットと、参加者全員での合唱と、2回歌っています。

その全員合唱での立ち位置ですけど、島津亜矢さんがセンターで、丸山純奈さんとリト・グリがその両脇という形だと思いますが、その外側のSTUが多人数なんで、島津亜矢さんと丸山純奈さんのダブルセンターみたいな並びに見えます。

7月に、この丸山純奈さんと島津亜矢さんの共演について投稿させていただいたんですけど、今頃になって急にページアクセスが増えまして、不思議に思ってたんですよね。どうやら、島津亜矢さんのファンサイトの掲示板で、僕のブログ記事のことを紹介していただいてたようで、そこからのアクセスだったみたいです。
どこでどうつながるか分からないのがネットですね。悪口を書いてなくって良かったですww

ちなみに、2年前に書いた「クイーン」のライブエイドの記事にもアクセスが来ていますけど、これは、先日公開された映画の影響でしょうか。せっかくのご縁ですから、今度映画館に行こうと思います。


で、この番組では、丸山純奈さんは、「HOME」も歌っています。どちらもアンジェラ・アキさんが故郷をイメージして作った楽曲なのですが、作りはだいぶ異なります。

「ふるさとの色」は、メロディーが歌い易くできています。皆で歌えるように、誰でも歌えるようにという意図が感じられます。
それから、歌詞の内容も平易ですね。(レベルが低いと云ってるのではありませんよ)アンジェラ・アキさんの楽曲にみられる、論理的に飛躍した(?)比喩表現が無くって、ひたすら情景描写が続いています。
そして、四国のテーマソングといいながら、瀬戸内海以外に、具体的な地名が出てくるわけではありませんから、ご当地ソングではないようです。

秋になると、田んぼが黄金色に染まり、木々が紅葉し、冬には山並みが白銀に輝く・・・・。

四国の四季を描写した歌詞とのことですけど、僕が住んでるところだって同じです。秋には、近所の田んぼにはコシヒカリが黄金色に実りますし、冬になれば、南アルプスが銀色に輝いているのを遠望することができます。って云うか、それって日本全国共通の情景ですよね。
番組では、四国の風景の映像をバックに流してましたけど、別に四国の景色じゃ無くっても通用するわけです。この歌は、全国の誰もが共感できる要素を持っていて、四国の人にしか理解できない歌ではありません。日本人共通の想いが歌われた、みんなの歌といえます。

でも、全国どこでも同じということは、似たような歌は、日本中に溢れてるわけです。「四国の新しい歌」っていう触れ込みだけど、同じような曲は、すでに日本全国たくさんある。故郷を描写して、誰にでも口ずさめるような歌を作ろうってなれば、みんな同じ様な楽曲になってしまう。

純奈さんは、番組のインタビューで、この歌は自分と重なるところが多いって云ってましたけど、重なると云うんだったら、日本人みんな重なっているわけです。

だから、こういう曲って、プロらしく歌いこなすのは難しいと思います。ラブソングのように感情移入するものでもないから、個性を発揮できないし、普通に歌ってもアピールできない。
ありそうなのは、超国民的歌手の「嵐」みたいな方に歌ってもらって、歌手のキャラクターに完全に依存してしまうか、どこかの少年少女合唱団に歌ってもらって、歌い手の存在感をなくして楽曲だけの印象にしてしまうかでしょうか。

で、今回の「丸山純奈&ドクター・キャピタル」という組み合わせですけど、なんでドクターが一緒に歌うことになったのかが、よく分かりませんw

確かに、ドクターは、アンジェラ・アキさんとは昵懇の仲ですし、ギタリストとしても一流の方ですから、編曲や伴奏を手がけるのは当然だと思います。でも、なんで「すーちゃん」と一緒に歌うんでしょうか?

たぶん「コノキョク、メッチャエエキョクヤサカイ、フルサトヲオモイウカベテ、ウトーテミタクナッタンヨ」とか云ったんだろうけど、あなたの故郷って、どこ?どこなのっ? って思います。

ところが、改めて聴いてみると、思いの外イイ感じに聴こえてくるんですよね。

中学生の女の子と怪しい外国人・・・(失礼しました)著名な音楽教授という、シュールな組み合わせが、ありふれた普通の曲にイイ感じのインパクトを与えているんです。
だからと云って、島津亜矢さんとドクター・キャピタルではクドすぎです。
つまり、このデュエットは、14歳の「すーちゃん」が純粋無垢に歌っている基盤があり、そこに不思議な外国人という意外な組み合わせがあって成り立っているわけです。今の世に歌ウマ少女は多かれども、此手の歌を唄わせたら、やっぱり「すーちゃん」が一番です。キャラの濃いドクターの代わりはいても、純粋で透明な「すーちゃん」の代わりを見つけるのは難しい。

大ヒットするような曲ではないだろうけど、こういう楽曲が必要とされる時って絶対あるわけで、杉山勝彦さんが、入間市の応援ソング「どこから来たの」のレコーディングを地元の合唱団さんでなく、あえて丸山純奈さんに依頼したというのも、同様のことに思いました。

2018年11月9日金曜日

丸山純奈がNHK「うたコン」でORANGE RANGEと共演するというちょっと心配な話

自分が出るわけでもないのに、緊張してしまって、今週は仕事が手に着きませんでしたよ。

「うたコン」の出演については、遠くないうちに実現するだろうとは思ってましたが、来週ですからね。こんなに早くこの日が来ようとは思ってもみませんでした。
BS放送に出演したときも、凄かったんですけど、今回のように、地上波の全国放送っていうのは、インパクトありますし、歌手にとっては憧れの聖地NHKホール、しかも生放送で7時のニュースの後という、超ゴールデンタイムです。きっと、日本中のお爺ちゃん、お婆ちゃんが見ていることと思います。


紅白歌合戦がそうですけど、NHKの生歌番組と云うのは、エコーをほとんど効かせてもらえないので、緊張したりしてピッチが乱れると、もろに伝わってきちゃって、普段より下手に聴こえてしまうことが多いんですよね。しかも、生放送。胃にも、心臓にも悪いです。純奈さんのではありませんよ。僕らのです。

ただ、「もっと四国音楽祭」の時と比べて、かなり状態は良いようです。先日の「ゴジカル」で歌った「ドラマ」を聴かせていただきましたけど、凄い気合いの入れようでしたね。あんなに力強い歌唱は、久し振りに聴いたような気がします。YouTubeに投稿されてれば、間違いなくベストテイクになると思います。

それから、大阪教育大学の学園祭の写真。どのショットもよく撮れています。こんなに良い表情ができるというのも、体調が良いからでしょう。やっぱり、鳴門こども園の時とは違います。


「うたコン」は、ニュースの後にいきなり始まりますから、その流れで、ほぼ毎週見ているんですけど、生放送の歌番組なんて、今では「Mステ」と「うたコン」くらいしかありませんからね。日本中のプロ歌手が出たがっている番組に、メジャーデビューしているわけでもない中学生が「歌が上手い」という理由だけで出演するわけで、異例の大抜擢ですし、画期的な出来事です。さすが「国民のための放送局NHK」と、絶賛させていただきましょう。

番組的には、アンジェア・アキさんの「ふるさとの色」を歌うと思われます。来週は、45分の通常放送ですから、2曲歌うってのは、難しいかもしれませんけど、せっかく徳島から出てくるんですから、さらにカバー曲を1曲歌わせていただきたいものです。

日本のNo.1アイドルグループである「乃木坂46」さんと共演するのも嬉しいですね。そう云えば、乃木坂さんのメンバーにすーちゃんの「ドラマ」を絶賛していた子がいましたよね。これを機に、乃木坂ファンを始め、幅広い年代の人たちにアピールできればと思います。

あと、なんと云っても「ORANGE RANGE」ですね。テレビの世界からずっと干されてたんで、解散したのかと思っていた方も多かったのではないでしょうかw
絶大な人気を誇っていた彼らが評判を落としたのは、「パクリ」と「天狗」と云われてました。天狗発言については、僕も、何かの歌番組で実際に聞いて、不快に思ったことがありました。二十歳そこそこで大ブレークしましたんで、致し方ないとも云えますけど、最近は、地道な活動が再評価につながっていて、再ブレークの兆しありって感じのようです。とは云っても、よくまあNHKさんも「うたコン」に出しましたね。ここは「NHKは懐が深い」と云うことにしておきましょう。

テレビ出演が激減した直接の理由は、インディーズへの移籍のようです。ただ、バンドなんてのは、インディーズでライブしてた方が、稼ぎは良いそうですから、優等生になってテレビに出ることばかりが、ミュージシャンの道では無いのは確かです。聞くところによると、オリコン1位を連発していた頃よりも、好きなことも出来るし、稼ぎを事務所にピンハネされることもないんでミュージシャンとしては、今の方が幸せじゃないかって云われてるようです。

でも、生放送なんで、また余計なことを云わなきゃいいんだけど・・・なんて考えてしまいます。まあ、デビュー時は、ヤンキーな兄ちゃんぽかった彼らも、今では、三十代半ばの立派な大人。きっと、大人の振る舞いで、「丸山純奈」さんの初出演を盛り上げていただけるものと信じております。

で、ORANGE RANGEというと、「上海ハニー」とか「ロコローション」が、彼らっぽいイメージなんですけど、世間的に最も有名なのは、この「花」じゃないでしょうか。


「パクリ」がどうこうと云われたことがありましたけど、スリーボーカルをいかす、ドラム、ギター、ベースだけのシンプルな伴奏。シンプルで、キャッチー、分かりやすいメロディー。どことなく懐かしい・・・・ってのが「パクリ」と云われた所以w
まあ、改めて聴いてみても、彼らの才能は本物だと思いますし、当時は、日本中の若者達から支持を受けてたわけですからね。

来週の「うたコン」は、話題いっぱいの放送になりそうです。

そして、そんな放送回に巡り会えた「丸山純奈」さんも、このチャンスを思いっきり生かしていただきたいものです。

そうそう、大阪教育大学のライブで、ステージに譜面台を置いてたんでびっくりしましたよ。なんでも云ってみるものですねえ。

まあ、偶然だと思いますけどww

2018年11月4日日曜日

ウォーターライン製作記⑭~爆装ゼロ戦とマリアナ沖海戦~

太平洋戦争は、日本が1945年8月14日(日本では8月15日)にポツダム宣言を受諾したことにより終結した。戦争に限らず、ヤメ時を決断すると云うのは難しいことである。この8月15日については、本土決戦が愚行される前という点では早かった決断と云えるが、勝つ見込みが無くなった時期を考えれば、あまりにも遅すぎた感がある。

日本が降伏を決断したのは、原子爆弾の投下を受けたからというのが、一般的なイメージであろう。もちろん、それも大きなことではあるが、最大の理由はソ連の対日参戦である。

というのも、日本が、敗戦が決定的となった後もズルズルと戦争をしていたのは、ソ連の仲介によって、少しでも良い条件で終戦させることを期待していたからである。そのソ連に宣戦布告されてしまったのだから話にならない。あのまま戦争を続けていけば、日本は、アメリカとソ連に分断統治されてしまい、今の韓国と北朝鮮みたいになっていただろう。

ならば、ソ連が対日参戦を決定したのは、いつなのだろうか。

それは、1945年2月8日にヤルタに於いて、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三人で結ばれた秘密協定によってである。この密約は、副大統領にも知らせなかったという超極秘事項で「ソ連は、ナチス・ドイツの降伏後、3ヶ月を準備期間として、対日参戦する」というものであった。
ドイツの降伏が5月8日、満州侵攻が8月8日(日本では8月9日)であるから、まさに約束通りだったことになる。

実は、この密約を日本の情報部は、ちゃんと掴んでいた。情報源は、ポーランド系ユダヤ人のインテリジェンス。ポーランド人やユダヤ人は、敵国であるのにもかかわらず、日本と極めて友好的な関係にあった。(ずっと昔からロシアに虐められてきたポーランド人は、日露戦争でロシアをやっつけた日本が大好きで、今でも日本人が旅行に行くとビックリするほど良くしてくれるらしい)まあ、誤解を承知でザックリ云ってしまうと、杉原千畝の「命のパスポート」のお礼に、こっそり教えてもらった、といったところであろうか。
ところが、軍部は、この貴重な情報を握りつぶしてしまったのだ。このへんの経緯は、岡部 伸著「消えたヤルタ密約緊急電」に詳しいのだが、もし、日本がこの時期に降伏していたとすると、日本の戦後は、大きく変っていたことになる。

日本軍の戦死者の9割は、最後の1年間に集中している。さらに、3月東京大空襲、4月沖縄戦、8月原爆投下、ソ連軍満州侵攻・・・。もし、日本があと半年早く降伏していれば、これら全てが回避でき、沖縄問題も、中国残留孤児問題も、被爆者問題も、北方領土問題も存在しなかったことになるのである。

日本が降伏すべきリミットタイムは、1945年2月であり、8月15日は、遅すぎた終戦と云わざるを得ない。

で、マリアナ沖海戦の話である。

ここまで、降伏の話をズルズルとしたのは、日本の降伏問題を考えるとき、このマリアナ沖海戦(1944年6月19日)での敗戦が降伏(講和)の決断をする最早の時期だったと云われているからである。

マリアナ沖海戦は、日本海軍がありったけの航空兵力を集中運用し、マリアナ諸島に侵攻してきた米機動部隊に戦いを挑んだ一大決戦であった。構図的には、ミッドウェー作戦の裏返しになるのだが、作戦規模はミッドウェーを遥かに上回る。

すでに、米軍と日本軍の兵力には決定的な差がついていて、兵器のスペックにおいても日本軍は圧倒されていたのだが、劣勢の中でも知恵をしぼり、過去の戦訓をふまえて臨んだのがこの作戦であったし、ミッドウェーのような不運に見舞われたわけでもなかった。マリアナ沖海戦は、日米の機動部隊が正面から堂々とぶつかり合った、史上最大の海軍航空戦なのである。

このとき、日本側が採用した作戦が、有名な「アウトレンジ作戦」である。これは航続距離が長いという日本軍機の特徴を生かして、遠方より先制攻撃を仕掛けるという戦術であった。そして、ミッドウェー海戦の戦訓を生かして、索敵に力を注いだ。その結果、日本軍の索敵機は、米機動部隊を発見。日本機動部隊は、第六次にわたって、攻撃隊を発艦させた。完全に先手を取ることに成功したのである。

この時、新たな攻撃力として期待されたのが、戦闘機であるゼロ戦を爆撃機として流用した「爆装ゼロ戦」(戦爆)であった。

開戦初期に主力であった九九式艦上爆撃機は、旧式化して対空砲火による喪失率が跳ね上がっていた。新型の爆撃機「彗星」は、高性能を追求した結果、機体が大型化し正規空母でしか運用できなかった。そこで考えられたのが、ゼロ戦21型に250kg爆弾を搭載できるように改装し、戦闘爆撃機として運用することであった。
爆装ゼロ戦は、中・小型空母でも運用でき、性能も九九式艦爆よりは良く、爆弾投下後は戦闘機としての戦力も期待できた。

映画「永遠の0」の一場面。特攻機も爆装ゼロ戦も、爆弾を抱えているゼロ戦であるから、両翼にある増槽タンクを切り離してしまうと、見た目は同じである。もちろん、その戦術は大きく異なる。


爆撃機は、操縦士と爆撃手の2人乗りが基本である。また、急降下爆撃を可能にするためにはエアブレーキなどの装備が必要なのだが、爆装ゼロ戦には、そのような装備は無く、照準器の性能も劣っていたので、正規の爆撃機と比べて命中精度は低かった。さらに、長距離を航行するための燃料を満載したうえ、250kg爆弾を搭載した機体は、速度も運動能力も低下し、真っ直ぐ飛ぶのがやっとだったとも云われている。
しかし、最大の問題点は、一人で操縦と爆撃、空中戦、ナビゲーションをこなさなければならないことであった。そのため、戦闘爆撃機のパイロットには高い練度が求められるのだが、日本軍は、長引く消耗戦でベテランパイロットの多くを失い、実戦配置された搭乗員のほとんどは、二十歳前後の若者で、訓練不足のため発着艦もままならないような状態であったと云われている。
そんな新米のパイロットに、爆弾を装備したゼロ戦で、太平洋の真っ只中を片道2時間半飛行して、650km先の敵艦隊を攻撃、再び母艦に帰ってくることを強いたのである。
「アウトレンジ作戦」とは、研修もそこそこの新入社員の愛社精神(大和魂)を前提に、長時間労働による成果を期待するブラック作戦であった。

しかし、日本軍は、先手を取っていた。機動部隊の戦いでは、先制攻撃を仕掛けた方が勝つというのが通説であった。

この時、アメリカ機動部隊は、日本艦隊を発見できていなかった。しかし、アメリカ機動部隊が装備していた最新鋭のレーダーは、日本の攻撃部隊を200km先に捉える。このレーダーは、敵の位置の方位と距離だけでなく、高度も探知できるという優れものであった。さらに、米艦隊は、各艦のレーダー情報を空母レキシントンの管制室に集約し、一元化して運用する戦闘機指揮管制システムを構築していた。迎撃に上がった米戦闘機F6Fは、管制室からの無線電話の指示により、向かってくる日本機編隊ごとに振り分けられ、最適な迎撃ポジションに誘導された。

空戦では、日米の搭乗員の練度の差が語られることが多いが、マリアナ沖海戦に参加した米戦闘機パイロットの中には、これが初めての実戦という新米も多かったと云われている。ミッドウェー以来の総力戦である。新米を多く抱えていたという点では、日米両軍とも同じであったのだ。
彼らは、迎撃態勢をとるまでは管制室から、戦闘が始まってからは、隊長機からの無線電話によって、コミュニケーションをとりながら戦った。全ては訓練の通りに。

日本機動部隊の第一次攻撃隊64機は、62機のF6F戦闘機の奇襲攻撃を受け、42機を失って敗退。特に爆装ゼロ戦は、出撃した43機のうち31機を喪失するという壊滅状態であったという。
第二次攻撃隊128機は、編隊を突撃体制に組み直している最中(敵艦隊を目前に編隊を組み直し、10分もタイムロスをしている)という最悪のタイミングで、待ち伏せしていた97機のF6Fに襲撃され、全体の3/4にあたる99機が撃墜されてしまった。

辛うじて、米艦隊にたどり着いた攻撃機も、近接信管等で精度を増した対空砲火によって撃墜され、六次にわたる日本機動部隊の攻撃隊は、ほとんど戦果を上げることができなかった。
また、途中で方向を失い、母艦に帰還できずに墜落してしまった機も多く、なんとか帰還できた機体も損傷が激しく、使える航空機は、ほとんどなかったという。

翌日、日本機動部隊は米機動部隊の反撃を受ける。艦載機のほとんどを失った日本の機動部隊は、迎撃も満足にできず、ここに壊滅するのである。


写真は、改装空母「隼鷹」。同型艦「飛鷹」、小型空母「龍鳳」とともに、第二航空戦隊として、マリアナ沖海戦に参戦。3次にわたって攻撃隊を出撃させたが、敵艦隊を発見できず帰還中に米戦闘機に襲撃されたり、母艦の位置が分からず行方不明になったり、敵艦隊を発見するも迎撃されたりと、戦果を上げることができなかった。
「隼鷹」は戦線離脱中に米機動部隊の攻撃を受け、爆弾2発命中、至近弾6発を受けて損傷するも、撃沈は免れている。


実は、この時、米機動部隊が日本機動部隊を発見したのは、米艦載機の航続距離ギリギリのところで、日没も迫っていた。攻撃隊を出せば、帰還は夜間になり、途中で燃料切れになる可能性もあった。無茶なことは、米軍だってする。
実際、攻撃隊約200機のうち、燃料切れで海上に不時着したり、着艦に失敗するなどして、80機を喪失している。しかし、米軍は、全力を挙げてほとんどのパイロットを救出した。それは、人命尊重などという話ではない。一人のパイロットを育てるには、3年の年月と現在の価値で2億円の費用がかかる。それが理由の全てであった。

作戦終了後の第二航空戦隊の残存戦力は、九九式艦上爆撃機:8機(喪失21)・彗星艦上爆撃機:5機(喪失6)・天山艦上攻撃機:3機(喪失12)・爆装ゼロ戦:5機(喪失22)・零式艦上戦闘機:12機(喪失41)とある。喪失率は75%。第二航空戦隊は解隊され、艦載機を失った「隼鷹」は輸送船として運用されることになる。

この海戦で、日本機動部隊は第一航空戦隊の正規空母「大鳳」「翔鶴」を失うなど、壊滅的な敗北を喫してしまう。もはや普通に戦っても、アメリカには勝てないことが、明らかになったのである。アメリカに西太平洋の制海権と制空権を完全に握られた日本軍は、この後は、特攻攻撃を戦術の柱にしていくことになる。

日本海軍の敗退により、孤立無援となったサイパン島の守備隊は、多くの民間人を巻き込んで玉砕。サイパン島陥落の結果、アメリカの戦略爆撃機B29による本土空襲が可能になり、東条内閣は総辞職する。この時、早期講和を訴え、内閣総辞職へと導いたのが、国務大臣・軍需次官だった岸信介氏(安倍総理の祖父)である。

だが、内閣が替わっても講和が実現することはなかった。講和を妨げていた最大の要因は、意外にも国民感情であった。国民の多くは、嘘で塗り固められた大本営発表を信じ、負けを実感していなかったのだ。早期講和は、国民感情を刺激することになり、軍の強硬派によるクーデターを引き起こす恐れもあった。3月東京大空襲、4月沖縄戦、8月原爆投下、ソ連軍満州侵攻・・・結局は、たくさんの犠牲を目の前にして、初めて降伏が現実となったのである。

とすれば、8月15日の終戦は、早くも遅くもなく、歴史の必然だったのかもしれない。


写真は、サイパン島「バンザイクリフ」と天皇皇后両陛下

2018年11月1日木曜日

都道府県テストで18個しか答えれんかった「丸山純奈」だが、分からないのは場所だけで、県名は全て言えるらしい

10月27日、28日と二日連続のライブも無事終了とのこと。前日に東京入りして27日は新宿においてTANEBI.フェスでの2回公演。翌日は徳島で健祥会学園祭のライブと、まるで絶頂期のWinkみたいなスケジュールでしたね。それぞれ、バンド・コラボ・ソロとバラエティーに富んだステージで、初披露の楽曲も多かったとのことです。せっかくの首都圏公演だったのに、ツマラナイ用事で行けなかった我が身を恨むばかりです。

ファンの方々のツイッター情報によると、MCでは相変わらずの天然ぶりを発揮されてたようです。

「すーちゃん」が都道府県の位置を全然分かっていないのは、ファンの間では周知のことなんですが、彼女が都道府県テストで18県しか正解できなかったことを、バンさんが暴露したところ、本人曰く「わからないのは県の場所だけで、47都道府県名は全て言える」と反論したらしいです。

で、名前は覚えているけど場所が分からないと云う話を聞いたとき、あれっ!?って思ったんですよ。

実は、すーちゃんは歌詞覚えが苦手で(これもファンの間では周知のことなんですけど)歌詞間違いの多くは、歌うところを違えちゃうところにあります。つまり、言葉を間違えるんじゃ無くって、歌う順番を間違えてしまうんですよね。
渋谷のワンマンライブで「I LOVE YOU」の2番の時に1番の歌詞を歌っちゃった、なんてのは極端な例ですけど、繰り返し後のサビの歌詞を、1回目で歌っちゃうみたいなことって多いみたいです。

都道府県の名前と位置って、規則性とか法則があるわけでは無いので、単純に暗記しようと思っても難しいのは確かですけど、歌についても、単語を羅列してるだけの歌詞って結構多くって、純奈さんは、そういうところで間違えてるように思います。

その代わりに、彼女は、メロディーは、あっというまに覚えてしまうそうですから、得ているモノと失ったモノを比較した場合、新潟県の位置が分からない程度のことなんて、全然構わないと思います。

 健祥会学園祭での「君はロックを聴かない」を披露した時に「この曲は最近練習したばかりで、歌詞をみました」とのMCがあったそうですけど、僕は、それで良いと思います。歌唱では、何故が、歌詞を見ながら歌うのを恥ずかしいことと思う風潮があります。歌詞を見ながら歌ったのでは、気持ちが聴き手に伝わらないなどと云いますが、どうなんでしょうかね。楽器演奏では、楽譜を見ていたからって、そんなこと云いませんし、朗読だって本を見てるでしょ。歌詞を完全に覚えるまで、人前で歌ってはイケない。なんてなってしまう方がオカシイと思います。

動画は、「純奈ママ」さんのツイッターから、健祥会学園祭での「I LOVE YOU」になります。挨拶代わりの1曲って感じですね。


ツイッター動画ですから、フルコーラスで聴けないのがなんとももどかしいです。

それから、「POLU」さんですけど、10月19日にツイッターで【大切なおしらせ】と題して、活動休止宣言を出しました。
来年の春までだそうですから、半年間と云うことになります。

ラストライブは、11月18日に開催される「アクア・チッタフェスタ音楽花火Live」。もともとPOLUは、このイベントのために2年前に結成されたバンドだそうですから、区切りとしては、これ以上のものはないでしょう。

活動休止の理由は、ボーカル丸山純奈さんの体調維持と受験準備のための負担軽減で、この期間に再活動に向けての楽曲制作にも取り組むそうです。POLUに関しては、活動2年で充電期間が必要というのも不自然ですから、主たる理由は、丸山純奈さんの個人的な理由なのでしょう。
ところが、その1時間後に、今度は丸山純奈さんのツイッターから、ソロ活動は続けるとの投稿がありました。

どうやら、両方やるのは大変だから、バンドの方をお休みすると云うことのようです。で、11月17日には、「四国大学芳藍祭」にソロで出演だそうです。昨年度は、バンドで出演していたそうで、こんなふうにPOLUの出演が無くなった分、ソロで活動してたら、同じだと思うんですけど・・・結局、忙しさはあまり変らないみたいです。

この様子だと、来春のPOLUの復活ライブまでに新潟県の位置を覚えるのは難しいかもしれませんね。