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2022年3月14日月曜日

NHKプロフェッショナル ~究極のバーチャルシンガー「初音ミク」~

NHKプロフェッショナル~仕事の流儀~で「初音ミク」が取り上げられました。NHKさんの初音ミク愛は、尋常でないですね。きっと制作側(それも、かなり偉い人)の中にボカロファンがいるんでしょう。

番組は、IBMコンピューターの「デイジーベル」から始まり、YAMAHAのプロジェクトへという展開でしたが、開発の話はここまで。その後は、ずっと「ボカロP」を取り上げていました。つまり、今回のプロフェッショナルとは、開発したエンジニアたちではなく、初音ミクを使って音楽制作に携わっている「ボカロP」さんたちのことだったようです。

ヲタク文化としてのボカロも、ちょっとだけ触れられていて、歌い手さんも紹介されていました。初音ミクに影響されたアーティストとして、「YOASOBI」「ヨルシカ」「Ado」さんたちも出てきました。短いながらも、ちゃんとインタビューもしていて、さすがNHKの人気番組です。

全体な印象は、現在のボーカロイドと周辺の情況が良くまとめられていたな、と云う感じでしょうか。

お約束の「プロフェッショナルとは?」という問いに対して、社長さんは、「Everyone Creator」みたいなことを云ってましたけど、それは、2007年の発売時から数年間のことであります。今だって、誰でもボカロPになれますが、相手にしてもらえるのは、ほんの一握りの有名ボカロPだけ。番組では、その彼らを「プロ」として取り上げていたように思います。

で、そのプロのお仕事・・・制作風景が紹介されていました。登場したのは、顔出しNGの「Mitchie M」氏と「DECO*27」氏、それから、教祖こと「きくお」氏でした。商業ベースの仕事をこなし大御所感満載の「DECO*27」氏と、独特の世界観で海外に多くのファンをもつ「きくお」氏という、二人のボカロPを対照的に取り上げていたのが面白かったです。

僕は、初音ミクの楽曲でも、「DECO*27」氏の作品はよく聴いてましたが、「きくお」氏の曲は馴染みがありませんでした。今回、ちょびっと勉強させていただきました。

誕生から15年。ボカロに対する差別や偏見が無くなったと同時に、熱量とプレミアム感も無くなりました。今では、初音ミクが歌っているとしても、「だから何?」って感じですし、ボカロPも特別で怪しい存在ではありません。ミュージシャンが、たくさんの音楽表現ツールの1つとして、ボーカロイドを選択しているに過ぎないのです。15年たって、本来のあるべき姿になったということでしょう。

2021年5月16日日曜日

Ado「うっせぇわ」のヒットに思う。 ~初音ミクAIへの道:その5~

 18才の歌い手「Ado」さんのメジャーデビュー曲「うっせぇわ」(詞曲・編曲:syudou)が、大ヒットしている。さらに、4月には、4作目のシングルとなる「踊」を配信限定リリースして、こちらも話題になっているようだ。「踊」は、ボカロ界の重鎮DECO*27氏が作詞、作曲・編曲はGiga氏とTeddyLoid氏が担当したとあった。ボカロ界でも、ついに重鎮と呼ばれる人物が存在するようになったらしい。

DECO*27氏は、このブログでも取り上げさせていただいた、ボカロ第2世代の「重鎮」である。数あるボカロ曲の中から、今回は、これを貼り付けさせていただこう。

で、Giga氏の楽曲というと、思いつくのは、この曲である。

自慢しよう。僕は、オジさんでありながら、この2曲が演奏されたライブに、それぞれ参戦しているのだ。

さて、Adoさんの「うっせぇわ」が大ヒットして、社会現象にまでなっている。この前も、近所のスーパーで親に連れられたガキ・・・児童が「うっせぇ、うっせぇ・・・」と歌っていた。「オマエの方がうっせぇわ」なんていうツッコミは、もう使い古されて誰も云わなくなったようだから、云わない。

この楽曲がヒットした理由については、様々な肩書きの人たちが、いろいろな分析をしている。歌詞の内容が現在の若者の心情を代弁してるとか、2倍音を多用したサビが効果的であるとかだ。スーパーで出会ったお子様は、社会の閉塞感を感じていると云うよりも、まあ、毒されているだけだろう。「千本桜」の時もそうだったが、子どもはボカロと波長が合うみたいだ。

以前、このブログで「YOASOBIの『夜に駆ける』が、ボカロの歌ってみた動画みたいだ」という記事を投稿させていただいたが、今回の「うっせぇわ」に関しては、「みたい」ではなく、ボカロの歌ってみた動画「そのもの」である。

「うっせぇわ」は、過激な歌詞や、一度聴いたら頭から離れないフレーズが特徴といえるが、この類いの楽曲は、中毒系と云って、ボカロ界では、ずっと前から作られていたように思う。人間の歌手だったら、事務所NGとなるような歌詞だって、コンピュータは歌ってくれるからだ。だから、このような楽曲がネットに出てくることは、全然想定の範囲内なんだけど、僕が驚いたのは、これを人間の女の子が歌い、リアル社会に受け入れられたということである。

Adoさんが、ボカロの歌ってみた動画で、配信限定とはいえメジャーデビューしたのは、YOASOBIの成功を受けてのことだと思う。もはや、ボカロとは、コンピュータの歌唱を意味するモノではなく、音楽の数あるジャンルの1つってことらしい。

歌い手のAdoさんについては、小学1年生の頃から父親のパソコンでVOCALOID楽曲を聴き始め、小学校高学年になると、ニコニコ動画の顔を出さずに活動する歌い手の文化に興味を持ち始めた、とあった。彼女は、物心ついたときから、コンピュータが歌っていた世代だ。だから歌い手に対する意識も全然違うんだろう。

初期の頃の歌ってみた動画は、ボカロを歌ってみたけど・・・ダメだった、みたいな「全然歌えてねぇじゃん!」というツッコミを期待しての投稿だったように思う。顔を出さない理由の1つは、あくまでも遊びの延長だったからだ。それが、段々と歌唱自慢の場になっていって、誰でも投稿できるモノでは無くなり、ニコニコ動画の活気は失われていった。その一方で、難曲を歌い切る「歌い手」は、憧れの存在になっていったのだ。Adoさんは、歌い手として音楽を楽しむのではなく、歌い手をきっかけにして歌手を目指すのでもなく、歌い手になることを目的にできる世代なのだ。

もし、この楽曲をボーカロイドが歌い、普通にネット配信しても、世間からは見向きもされなかっただろう。「うっせぇわ」のヒットは、Adoさんの存在感有りまくりな歌唱があればこそである。そして、彼女がボカロ曲そのもの、つまり、人間の女の子というアドバンテージを排して、歌唱だけで勝負しているということは、歌い手として比べた場合、ボーカロイドは、人間には到底敵わないということになる。人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道は厳しい。

今は、ボカロの歌ってみた動画(みたいな曲で)でメジャーデビューするって時代なのだ。「みくみくにしてあげる♪」の配信権を巡って炎上していた頃からすれば、考えられない話である。

Adoさんが、今年のNHK紅白歌合戦に出演するかどうかが、話題になっていた。僕的には、出ても良し、出なくとも良しってところだろうか。顔だって、出しても出さなくても良い。歌い手Adoが歌手Adoとして大成するには、顔出しNGみたいなキャラ作りは不要に思うからだ。もし出演するのであれば、GReeeeNの時のような視聴者を小馬鹿にした演出だけはやめて欲しい。それだけである。

2021年1月6日水曜日

YOASOBI「夜に駆ける」 ~2020の大ヒット曲が、ボカロの歌ってみた動画に思えるんだが~

NHK紅白歌合戦を(半分居眠りしながら)今年も見た。出演者とかノーチェックだったし、特別にお目当ての歌手がいるわけでは無いんだけど、YOASOBIが出てきた時は、おやっと思った。ラジオとかで歌は聴いたことがあったけど、歌っている姿を見るのは初めてだったからだ。そしたら、紅白がテレビ初出演だったらしい。一昨年の「米津玄師」さんもそうだったし、何だかんだ云ってもNHK紅白って凄いんだなって思う。

この曲、聴いた瞬間に「ボカロじゃん」って思った。で、調べてみたら楽曲制作(コンポーザーって云うらしい)を担当している「Ayase」君は、ボカロPでもあることが分かった。ピアノの腕前も凄いらしい。ボカロPっていうと、歌えない、演奏できない、容姿に自信が無い、だからコンピュータに頼るみたいなイメージがあったのだが、それは違っていたようだ。今ではボーカロイドは特別なものでは無く、数ある音楽ツールの1つで、そこにあるから使っているってことなんだろう。

ボカロPと云えば「米津玄師」さんもそうだ(そうだった)。彼はボカロP「ハチ」と、本名の「米津玄師」の時とでは、楽曲のイメージに違いを持たせている。だけど、「Ayase」君は、そのまんまって感じだ。

ボーカルの「幾田りら(ikura)」さんは、現役の大学生シンガーとのことだ。音楽一家に育って、子どもの頃から歌手になるための活動をしていたらしい。驚いたのは、彼女が「音楽チャンプ」に出演していたってこと。 2018年2月放送の第4回大会とあるから、丸山純奈さん(すーちゃん)が準レギュラーみたいに出ていた頃で、「琴音」さんがチャンピオンになった回である。「東京の24時間音楽漬け女子高生」というキャッチフレーズで挑戦したが、カラオケ92.219点+審査員72点で一回戦敗退とあった・・・覚えてない(見てないかも)。けど、その時の子が、3年後に紅白歌合戦に出演するなんて、誰が予想しただろう。

NHK紅白のハイライト動画である。

リンク。

NHK紅白 YOASOBI 夜に駆ける

たった1曲のために、これだけの手間をかけるなんて、さすが紅白。高い受信料払っているんだから見ないと損と云うものだ。(お金かけずに受信料安くするって選択肢もあるけど)

中継地は「角川武蔵野ミュージアム」って場所らしい。米津氏が中継に使った「大塚国際美術館」ほどのインパクトは無いが、ここも聖地となって、たくさんの来館者が訪れるようになるのだろう。

YOASOBI「夜に駆ける」の Official Music Videoである。1億3千万回以上も再生されているんだけど、ボカロの歌ってみた動画とどこが違うのか、おじさんには全く分からない。聴けば聴くほどボカロである。3,4年前だったら、MMD艦これ動画とかが盛んに投稿されていたと思う。

「夜に駆ける」は、YouTubeで公開されて、TikTokによって拡散したらしい。その過程で、歌ってみた動画や、踊ってみた動画、演奏してみた動画が盛んに投稿されて・・・ってことなんだけど、これって、ボカロの世界では、十数年前からやってきたことじゃないか。違いがあるとすれば、ニコニコ動画がTikTokに変わったってことか。             

ボカロがオワコン化(時代遅れのコンテンツって意味らしい)してしまった理由については、多くのネット民が分析している。それによるとニコニコ動画でわいわいコメント付けて盛り上がっていた同人的活動から、クオリティーの高いMVをYouTubeで視聴者として見るようになったのが、最大の要因とされている。だんだんと商業化、プロ化していくにつれて、作り手と聴き手が完全に分離してしまったことが原因らしい。

TikTokの活動の中心は中高生らしい。おじさんからすると「あれの何処が面白いんだ」ってところなんだが、誰でも遠慮無く、気軽に悪ふざけ・・・投稿できるってのが人気の秘密のようだ。見るよりも投稿するモノ。ニコ動が失ってしまった熱気と寛容さが、TikTokにはある。

「夜に駆ける」が何故ヒットしたのかという分析も、ネットに溢れている。TikTokでバズった(注目されて盛り上がっていると云う意味らしい)のがきっかけだったようだが、面白かったのは、人工知能によってパーソナライズされたコンテンツフィードの表示が、要因の1つにあげられていたことだ。(こんな動画を喜んで見ている君にお似合いのコンテンツはこれかなって表示されるあれ)AIがお勧め動画を選ぶなんて大きなお世話だが、お勧めがお勧めを呼ぶかたちになって、再生数がドーピングされていったらしい。

YouTubeには、プロ・アマの歌ってみた動画が氾濫してる。どれも、さすがな歌唱ばかりだ。で、聴いているうちに、何だか自分でも歌いたくなってきた。これが、この曲の最大の魅力なんだろう。楽曲のレベルが、歌うのも、踊るのも、演奏するのも、簡単ではないけど、凄く頑張ればできそうって感じ、ピアノの心得があればあったで、弾いてみたくなるんだろう。

で、そんなタイミングで投稿されたのが、この一発録りの生歌動画だ。幾田りらさんが、可愛くって素敵なお嬢さんだったのでびっくりした。ここでは曲のテンポがゆっくりになっていて、ボカロ曲っぽさが薄められている。多分、このテンポが彼女の歌いたい速さなんだろう。

YouTubeには「幾田りら」さんが歌っている動画がたくさんある。彼女の歌唱の特徴は、声質に100%依存したストレートな歌声。抜群に凄い歌唱力ってわけではないけれど、シンガーソングライター「幾田りら」の方が、聴き手に寄り添う彼女の良さが、より出ていると思った。

「夜に駆ける」の歌ってみた動画の中では、本家の彼女の歌唱が一番素直で普通っぽく聞こえる。「夜に駆ける」のデモ音源は初音ミクで作られていたそうだ。YOASOBIでの歌唱はボーカロイドに寄せているって云うか、透けて見える感じがした。MVがボカロの歌ってみた動画っぽく思えたのは、歌い手の感情を聴き手に押しつけない、つまり透明な歌唱によるものだったのか。

そういう意味では、丸山純奈さん(すーちゃん)との共通点も感じる。すーちゃんの方が、もう少し質感があるんだけど、演歌っぽくなる発声なんかも似ているし、何だか3つ年上のお姉さんみたいに思えてきた。

楽曲に自分のカラーを塗りたくらない。こういう歌い方をする子って、絶対、素直で優しい性格だと思う。シンガーソングライター「幾田りら」さんの活躍が楽しみだ。もちろん、ボカロの歌い手さんとしても・・・違うか。

では、お終いにボーカロイドカバーを。初音ミクがikuraさんよりも上手く歌えるわけは無いが、僕的には、こっちが本家に思えたりして・・・w


打ち込み伴奏は、オリジナルよりも聞きやすいかな。

2020年9月20日日曜日

「風の谷のナウシカ」~抹殺された主題歌~

ブログを始めてから5年半が経ちました。投稿記事もこれで567本目(コンセプトがブレブレで申し訳ありません)です。で、その記念すべき(?)最初の投稿記事は「風の谷のナウシカ」だったんですけど、先日、ドクター・キャピタル(Dr. Capital)の解説動画を見つけて懐かしく思ったものですから、再掲させていただくことにしました。

まずは、ドクターの楽曲解説から。後半で披露されるドクター自らの歌唱は、お好み次第で。

ドクターは、この楽曲をアニソンと云ってます。確かに「風の谷のナウシカ」というアニメ映画はありますが、この楽曲は、アニメの劇中にもエンディングにも使われてないし、その後発売されたサウンドトラックにも収録されていないんですよね。

以下は、5年前の記事の再掲載です。

安田成美さんのデビュー曲「風の谷のナウシカ」。アニメ映画「風の谷のナウシカ」は知っていても、この歌は知らない人も多いのではないでしょうか。松本隆、細野晴臣という当時の最強コンビの作品ながら、安田さんのあまりの歌の下手さに宮崎駿氏が激怒。映画には絶対関わらせない条件で、落ち着いたのがイメージソングという扱い。上映前の館内では流れていましたが、劇中に使われるわけでもなく、サントラにも未収録。その後、映画がどんなにヒットしても、ジブリが世界的ブランドになっても、この歌が世間に広まることはありませんでした。安田さんもその後は女優業に専念するようになり、二度と歌うことはありませんでした。

あれから30年、初音ミクが歌うナウシカを聴いた僕は、衝撃を受けました。テクノポップとボーカロイドの相性が良いのは当然のこととしても、細野晴臣氏が、初音ミクの登場を予測して作ったのではないかと思うほど似合っていて、僕の抱いていたナウシカのイメージを初音ミクが見事に再現しているのです。

電車の吊り広告を見て、何の予備知識もなく入った裏通りの映画館。どんな作品だろうと待っていたときに館内に流れていたこの曲。映画では描かれることのなかった、16歳の女の子のナウシカを表現したこの曲。宮崎駿氏が排除しようとした、16歳の可愛い女の子のイメージ・・・。

ああ、今頃わかりましたよ。宮崎先生が激怒したのは、安田成美の歌唱力なんかじゃなく、ナウシカにアイドル性を持たせようとしたこの曲そのものだったってことが。

 

ところが予告編では、安田成美さんの歌を使っていたんですね。ちゃんと「主題歌」って出ているし。だとすると、宮崎先生が激怒したのは、この後、土壇場になってからってことになります。

宮崎駿氏の思考って、凡人には付いていけないところがあります。僕、原作のコミックも持っていたんですけど、最後の方なんて、自分で作った世界観を、自分でぶち壊してしまいましたから・・・ドンデン返しを通り越して、もはや、ちゃぶ台返しです。

宮崎氏が激怒した理由については、安田成美さんの歌唱があまりにもあんまりだったってのが、当時の僕らの認識でしたけど、駿氏は、楽曲がアニメ作品のイメージと合っていないと仰ってたそうです。ナウシカは、ただの可愛い女の子では無いとも。

でも、コミックやアニメに描かれているナウシカは、可愛くって、優しくって、格好良くって、アニメオタクが憧れる王道のキャラクター設定なわけです。初恋の相手がナウシカだってヲタクも結構多かった。自分で可愛く描いておいて、アイドル扱いにしたからNGっていうのも可笑しな話。ちゃぶ台返し、ここに極まれりです。

松本隆、細野晴臣という名コンビに楽曲を作ってもらって、安田成美さんをオーデションで発掘して、コミックも映画も楽曲もタレントも、総合的に売りまくるという、当時流行っていた「角川商法」をやろうとした徳間書店に対して、自身のアニメ作品がアイドルの売り込みに利用されるのがイヤだったのでしょうか。

そんなこと云っても、大金を投じてCMとかも打っちゃってるわけです。当時の宮崎氏は「ルパン三世:カリオストロの城」の興行失敗で、かなりピンチな情況でした。「ナウシカ」のアニメージュへの掲載に関しても徳間書店さんから施されていたはず。ですから、やるべきことは恩返しであって、ちゃぶ台返しではなかったはずです。

でも、こういったマウントの取り合いってのは、大人げない方が勝ちますからね。結局、楽曲は(主題歌だったのに)アニメから排除されてしまいました。

(普通は、これだけ楯突けば「次からは仕事なんて無えぞ」って倍返しされるはずなんですけど、この後にスタジオジブリを立ち上げて、ボス猿になっちゃうんですから、ホントに凄い方だと思います。)

そういうことで、抹殺される運命にあった楽曲「風の谷のナウシカ」ですが、デキの良さで辛うじて生き残り、ドクターの目にもとまったというわけです。

YouTubeには、歌自慢の方々の、歌ってみた動画が数多く投稿されています。でも、この曲って、感情込めて上手に歌えば歌うほど、違和感が出てきちゃうんですよね。安田成美さんの歌に慣らされちゃったってこともあるかもしれませんけど、淡々と歌ったほうが、テクノポップには合ってるんじゃないかって思います。

感情を抑えて、でも、安田さんより安心して聴ける歌唱となると・・・これはもうボーカロイドの出番ですよね。


いかがでしょうか、ボカロカバーで大事なのって、伴奏だと思います。良い打ち込み伴奏ができれば、ボカロカバーは8割方成功。この作品は、ドクターの講義にあった「マイナー/メジャーのモード変更とクロマチック・メディアント進行」が、上手く再現できていると思います・・・かな?

アニメ映画「風の谷のナウシカ」も、「風の谷のナウシカ」という楽曲も、両方大好きな僕としては、この2つがコラボできなかったというのは、大変残念なことだったんですけど、互いが互いを必要とせずに生き残ってこれたというのは、それはそれで嬉しいことではあります。

では、参考までに、安田成美さんの「ザ・ベストテン」での伝説のテイクを、貼り付けさせていただいて、お終いにします。こちらの視聴は自己責任で。

2020年1月6日月曜日

「AI美空ひばり」紅白出場 ~人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道 その4~

「AI美空ひばり」NHK紅白歌合戦出場


昨年末の紅白歌合戦は、だいぶ地味な印象を受けた。
まあ、前回と前々回がインパクト有りまくりだったから、余計にそう感じるのだろう。

で、いつものように批評や批判の投稿もたくさん出ているが、
中でも「AI美空ひばり」の評判が芳しくない。
そりゃぁそうだろう。
本物より良い贋物なんて有るわけ無いからだ。
だから、ニセモノは似せ者どうしで比べなければアンフェアである。
例えば、島津亜矢さんが歌う「柔」より劣っているが、
忘年会で上司が歌う「川の流れのように」よりはマシといった具合にだ。

ただ、安直にコンピューターなどで再現させるものでは無い、という意見には賛同できない。
コンピューターにこれだけのことをさせるための技術や労力は、生半可なものではないからだ。
安直な気持ちでは、コンピューターに再現させることなどデキやしない。
どうやら世間は、ボタン一つ押せば、AIが美空ひばりを簡単に再現してくれると思っているらしい。
昨年、「美空ひばり」の歌を誰よりも聴き込んだのは、YAMAHAのエンジニアなのだ。
頑張ってる姿が世間に直に伝わらないのが、エンジニアの悲しさと云えよう。

このプロジェクトがNHKスペシャルで放送されたときは、興味深く視聴させていただいた。
「AI歌唱」は「ボーカロイド」とは全く異なるシステムではあるが、
コンピューターによる歌唱という点では同じだし、
どちらも開発したのがYAHAMAのエンジニアたちということもある。
カバーでなくって、新曲を歌わせるという演出も面白かったし、
秋元氏の起用も、作品に箔を付けるためにはどうしても必要だったのだろう。

でも、天童よしみさんに美空ひばりさんの振り付けを真似てもらい、
モーションキャプチャーして、CGを被せて、コンピューターの歌唱に合わせて、
オーケストラの生伴奏で、4K・3Dホログラムで映し出す?・・・って、

ほぼ初音ミクのライブぢゃないか!!!

こんなことは、初音ミクのライブでは10年も前からやっていることである。
で、ミクがやると、オタクだのキモいだの云われるのに、この扱いの差は何だ!!!
まあ、NHKさんは、ボーカロイドにいろいろと良くしてくれてるので、文句をいうのはやめておこう。

ただ、番組は面白かったけど、美空ひばりのCGは酷すぎであった。
最大の敗因は、4Kなんかで作ったからだと思う。
中途半端に似せるのでは無くって、ザックリ作って足りない部分を見ている側に想像させた方が、
受け入られたように思う。

で、そのAI美空ひばりが紅白で披露されると知って、僕はすごーーくイヤな予感がした。
興味を持ったヤツだけが見るNHK特集と違って、
不特定多数が視聴するNHK紅白歌合戦での披露はキケン過ぎるからだ。
結果は、ご承知の通り。
違和感があるだとか、嫌悪感を感じるだとか、散々な云われようである。
まあ、あのCGなんだから致し方ないけど・・・。
だから「皆さん目をつむって聴いてください」って云えば良かったと思う。
歌だけ聴かせて、あとは聴き手に想像させれば・・・って紅白ではそういうわけにはいかないか。

「ボーカロイド」も今回の「VOCALOID:AI」もコンピューターに歌唱させる技術である。
人の歌唱を人工的に再現することがどれだけ大変か、
逆に云えば、美空ひばりの歌唱は・・・もっと云うと、人が歌うという行為が如何に素晴らしいか。
そのことについて評価すべきなのに、キャラクターの部分が強調されて、
初音ミクと同じことになってしまったのは残念極まりない。


さて、「VOCALOID:AI」は、AI技術を美空ひばりに似せることに使っているが、
これは人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」開発の第一歩だ。
言語習得だって、芸術表現だって、全てはモノマネから始まる。
これを出発点として、真のコンピューター歌唱の実現を目指して進んで欲しいもので或る。

何故、コンピューターで再現するのか。それは、本物が掛け替えのないものだからである。


以下は、二年前の投稿記事で或る。
「AI美空ひばり」には、本物という評価対象が存在するが、
「初音ミクAI」が目指すものは聴き手を感動させる歌唱で或る。
この二年間だけでも、AI技術の進歩はめざましいモノがあるから、
人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」の実現も遠い未来の話ではなくなってきたように思う。



人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道


ボーカロイドにおける人工知能の役割とは如何なるものでしょうか。
 
ボーカロイドとは、音符と歌詞を入力すれば、それなりに歌うことのできるソフトです。
ただし、厳密に云うと、そこに「歌う」という行為は存在しません。
正確には「言葉を使って演奏している」と言うべきでしょうか。
聴き手は、その「言葉」の存在によって「演奏」の向こう側に「歌う」という行為をイメージします。
それは、欺されているというよりは、人間が持つ感性によるものです。

ボカロPの役割は、その「言葉を使った演奏」を、あるときは人間の歌唱に近づけて、
また、あるときは機械らしさを前面に出して、作品を完成させることでした。
彼らが「P」を名乗るのは、音楽プロデューサー的役割を果たしていることを自認しているからです。

人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」とは、
ボカロPの関与を必要としない、自立型のボーカロイドと定義できそうです。

「初音ミクAI」が最初にすべきことは、歌詞の内容を理解することです。
「東ロボ君」の記事でふれたように、AIにとって文章理解は最大の難関で、
現在の技術的アプローチでは、真の意味での読解は不可能とされています。
ただ、歌詞というのは、特殊で限定された文章です。
一青窈の「ハナミズキ」が9.11テロを鎮魂しているなんて読解は問題外ですが、
歌唱に反映させる程度の読解はそう難しいものでは無いように思います。

歌詞の内容を理解した「初音ミクAI」は、その結果を歌唱に反映させます。
従来の「調教」は、ボーカロイド歌唱の不自然さを修正するのが主目的でしたが、
それについては、ソフトウェアの改良によってクリアーできようになってきています。
ですから、「初音ミクAI」の最初の課題は、限りなく人間の歌唱に近づく、
つまり、悲しい歌を悲しそうに歌うことを可能にする、ということになります。

AIに期待するのは、息成分や声質などの様々なパラーメーターを自らコントロールすることで、
与えられた楽曲に相応しい歌唱を作り上げることにあります。
ネット上に存在する、無数の歌唱から歌唱テクニックを獲得するのも勿論ですが、
重要なのは、強化学習によって、自らの歌唱の中から最適な歌唱を決定させることにあります。
人間だって、レコーディングの時は、何テイクも録って、最良のものを求めるわけですが、
「初音ミクAI」は、そのテイク数が何千万通りも可能であるわけです。

「初音ミクAI」は、各パラメーターの気の遠くなるような組み合わせから、最適な歌唱を決定します。
この場合の最適な歌唱とは、人間のような自然な歌唱です。
例えば、松浦亜弥的歌唱法をAIによって再現させると云うことも可能になります。
本人の音声データを使えば、区別できないくらい似せることも可能になるわけです。

しかし、ここに評価という最大の問題があります。
人間のレコーディングでしたら、コントロール・ルームにいる「P」さんが、
「それじゃあ伝わらないなぁ」なんて1つ1つダメ出しするんでしょうけど、
AIの強化学習は、何百万、何千万通りという歌唱パターンを評価していくわけですから、
AI自身による自己評価が可能なシステムを構築しなければなりません。
ゲーム分野、例えば将棋の評価規準は、勝敗や駒の損得率などから構築することができますし、
車の自動運転だって、安全で効率的なルート設定という明確な目的があります。
それと比べて、歌唱の優劣についての評価規準の構築は、そう簡単なものではありません。
そもそも、歌唱に優劣など存在するのかという問題もあります。

どんな歌唱に感動するのかなど個人の好みの問題で、規準など存在しない、
という考えもあると思います。
しかし、私たちは歌唱に関して、何かしらの共通した認識を持っていることも確かです。
この共通した認識を解明し、歌唱における評価関数を構築することこそ、
「初音ミクAI」を成功させる最重要な課題と云えます。

では、歌手の皆さんはどのようにして自己の歌唱を評価しているのでしょう。
今日のライブは上手く歌えたという印象は、どのようなときに持てるものなんでしょうか。
声が出ていたとか、音を外さなかったというレベルなら、現状のボーカロイドでも自己評価可能です。
今日は気持ちよく歌えたとか、観客と一体になれたなどと云う場合は、
その根拠を探らなくてはなりません。

一方、私たち聴き手は、どのような歌唱に出会ったときに、感動するのでしょうか。
歌に心がこもっているとき・・・よく耳にする言葉です。
しかし、歌といえども音です。
空気の振動という物理現象です。
物理現象ならば、心がこもっている歌唱と、そうでない歌唱には、解析可能な違いがあるはずです。

人の歌唱というのは、大変不安定なもので、揺らぎまくっています。
また、感情が高まれば、心の動揺が歌唱に反映されていきます。
それらには、意図的なもの(テクニック)もありますが、
そういった歌の揺らぎが、聴き手の心の襞に作用することによって、感動が伝わるのです。
この揺らぎこそ、従来のボーカロイドが再現できていない部分であり、
聴いたときに、違和感をもたれる最大の原因です。

しかし、人間の歌唱であっても、YouTube動画やCDで聴いている時点で、
それらは既にデジタル化され人工的に再現されたものです。
生のライブでも、マイクを通して、スピーカーから聞えてくる歌声は、
厳密な意味で、もはや肉声とは云えません。
音という物理現象で考える限り、発生源が人間であれ、機械であれ同等なのです。
それでも、人間の歌唱と人工的に作り出したボーカロイドの演奏が同じでないと云うのなら、
それは違うのでなく、足りないにすぎません。

「初音ミクAI」は、その(膨大な)足りないモノを、評価関数による解析を基に補うのです。

しかし、これは、「初音ミクAI」の最終目的ではありません。

将棋の対戦で、AIは人間だったら絶対に指さない、悪手を平気で指してくると云います。
AIは、恐れを知りません。
人間のように先入観や固定観念に縛られない非常識な発想が、新たな手法を生み出し、
それらは人間にフィードバックされていくわけです。
 
「初音ミクAI」に、真に期待するもの。
それは人間の真似ではない、全く新しい歌唱法です。
歌唱における評価関数が構築されたとき、
「初音ミクAI」は、僕らをどんな世界へ連れて行ってくれるのでしょうか。


2019年5月26日日曜日

あいみょん「君はロックを聴かない」feat.初音ミク&スキマスイッチ&三阪咲

今、最も乗っているミュージシャンと云えば「あいみょん」さんで間違いないでしょう。紅白歌合戦の出場を果たすなど、この1年間で知名度もうなぎ上りですし、FMラジオでも「ハルノヒ」とか「マリーゴールド」とかたくさん流れています。

そういえば、こんな写真がありました。「マリーゴールド」のリリース直後ですよね。今は、更にビッグな存在になって、手の届かないところに行っちゃった感じがします。
まあ、すーちゃんも逆な意味で、手の届かない存在になりましたけど・・・。


たしか、丸山純奈さんは、どこかのライブで「君はロックを聴かない」を歌ってたはずですけど、動画がないのでコメントのしようがありません。寂しい限りです。

「君はロックを聴かない」は、ちょうど2年前に発表された、彼女のメジャー3枚目のシングルだそうです。ロック好きの野郎が、彼女を部屋に招いて、自分の好きなレコードを聴かせようという歌で、「へぇ~、○○君って、こういうの聴くんだぁ。」とか、昭和のノリそのものです。
彼女に自分の好みの曲を紹介するのって、要は自分の内面を晒すことですから、ドキドキするし・・・そう云う気持ちって、時代を超えて共通の想いなんだろうなって思います。でも、ロックならまだマシな方だと思いますよ。ボーカロイドだったら彼女にドン引きされてしまうでしょうから。

22歳の彼女が描く世界にしては、ちょっとセピアっぽいなあと思っていたんですけど、「あいみょん」さんは、音楽的には父親の影響を強く受けているとのことで、ここに描かれている人物は、もしかしたら、彼女の父親そのままなのかもしれません。

なかなかの良曲ですから、YouTubeにもたくさんのカバー動画が投稿されています。
まずは、melodylightsさんの初音ミクによるカバー作品から貼り付けさせていただきます。


さすがの伴奏ですね。もちろん調教も素晴らしい。

ボーカロイド歌唱の観点から云うと、同じ「あいみょん」でも「貴方解剖純愛歌」とか、インディーズ時代の楽曲とかの方が向いているのかもしれません。でも、そういったインパクトのある曲って、人生に疲れてきた身には、聴くだけでもしんどくなるわけで、それに比べると、「君はロックを聴かない」以降の彼女の歌って、どこか安心できるって云うか、これだったらカラオケでも歌えるかも、って思わせてくれるんですよね。ホッとできるし、男目線だし、歌詞も分かり易いし・・・「あいみょん」って昭和のオジさんの救世主なのかもしれません。

次は、スキマスイッチによるカバーです。YouTubeでも人気のカバーテイクで、視聴再生数も200万回近くまで伸びてきています。コメント欄の記述によると、彼らはカバー曲中心のライブを行っていて、その時の録音なんだそうです。


僕は、「ゆず」よりも「コブクロ」よりも「スキマスイッチ」なんですが、お似合いのカバーかと思います。もともと、男歌でもありますし、彼らの世界観がこの楽曲にビンゴだったのでしょう。もし「マリーゴールド」だったら「コブクロ」がカバーすると味が出てイイ感じかもしれませんね。

次は、「三阪咲」さんです。
「三阪咲」さんは、中学生シンガーとして活躍の現在高校1年生の女の子です。「丸山純奈」さんとは同学年で、すーちゃんとは「パフォーマート5thアニバーサリーライブ」などで共演もしています。で、この時の共演者だった「冨金原佑菜」さんを含めた3人は、同学年で、それぞれ音楽チャンプに出演するなど共通点も多く、現代版の「花の中三トリオ」っていう感じでした。


いろいろと共通点の多い3人なんですけど、それぞれ個性があって、歌唱のタイプも異なり、面白いです。いつか「花の歌姫・高一トリオ」として、じっくり取り上げさせていただこうと思っていたんですが、すーちゃんが、あんな状態になってしまい残念至極でございます。

三阪咲さんは、音楽チャンプでは優勝できなかったようですが、その歌唱スタイルやルックスがうけて人気急上昇。現在では、インスタグラムのフォロワーも17万人を越えていて、ライブの動員力などは、その辺のメジャーデビューしているタレントさんよりあるんじゃないかって人気振りです。
                                                                 
彼女は、この歌を十八番にしているようで、ネット上には、たくさんのライブテイクがあります。もう少し、ちゃんと歌っているテイクもあるんですけど、今回は、面白さという理由で、こちらをセレクトさせていただきました。


彼女のファン層は、同年代、つまり若い男どもが中心のようですね。それにしても、動画撮りのスマホの数がハンパなくって、ちょっと前までの、中国でのライブみたいです。
もちろん、撮影OKだからカメラを回しているわけで、考えてみれば、これも1つのマナーかもしれません。だって、撮影してもイイですよって云ったのに、誰もカメラを回してくれなかったら、それはそれで悲しいですからね。

それにしても、たいしたステージ度胸です。とても15歳とは思えません。ファンに支えてもらっているタイプのタレントが多い昨今では、珍しいことに思います。

どうやら彼女は、1つのステージの中で、この歌はじっくり聴いてもらおうとか、この歌はお手振りに使おうとか決めているようで、そのためには、歌が多少崩れても構わないという思いっきりの良さを感じます。その辺が卓越したタレント性という評価につながっているのでしょう。ただ、このお手振りは、ファンサービスっていうよりも、振り付けの一部のようにも見えます。もちろん、手を振っている先には、誰もいないなんてことは無いとは思いますけど。

ただ、ステージを重ねるごとに歌が下手になっていく・・ていうのは言い過ぎかもしれませんけど、もう少し、歌う方にエネルギーを費やしてもイイのかなって思いました。折角の歌唱力が勿体ないです。松浦亜弥さんが、彼女と同い年の時、「あやや」は、もっとアイドルでしたけど、もう少しきっちり歌えてましたからね。

彼女って、どんなタレントさんを目指しているんでしょうか。メジャーデビューする前に、燃え尽きてしまわなければいいんだけど、なんて心配をしてしまいました。

では、御本家に登場していただいて、お終いにいたします。直に無くなりそうな動画ですので、今のうちに。


2019年4月14日日曜日

「裏表ラバーズ」 feat.初音ミク ~ボカロP「wowaka」の早すぎる死~

「wowaka」という若者がこの世を去った。享年31だそうだ。

一部メディアでは、あの有名な米津玄師氏のライバルであり、親友だった人物と紹介されてたらしい。wowaka君の知名度は、世代間の格差が極めて大きいから、「よく分からないけど、誰だか有名な人が、若くして死んだらしい」というのが、世間一般の捉え方だろう。

死因は、急性心不全。急性心不全とは、急に心臓が止まったという意味で、そういう名前の病気は無いそうだ。だから、止まってしまった何らかの理由、つまり本当の死因があるわけで、ネットでは幾つかの噂が流れているが、全ては根拠の無い憶測にすぎない。

「wowaka(ヲワカ)」君は、「現実逃避P」の名でニコニコ動画に楽曲を投稿していたボカロPだった。学生時代からバンド活動をしていたそうだが、「livetune(kz)」の影響を受けて、2008年あたりからボカロを始めたらしい。ボカロPとしては、米津玄師氏と同じ第二世代にあたり、氏とはニコニコ動画の再生数を互いに意識し合うライバルだったようだ。

2011年頃には、ボカロPを卒業(?)して、バンド「ヒトリエ」を主宰。生ライブ中心の活動をするようになった。境遇の重なる米津氏とは、親友と呼べる間柄だったとされている。

メジャーデビューもしていたし、ライブ活動も順調だったとはいえ、どこかのアリーナに何万人も集めてワンマンライブをするとか、ヒットチャートの常連だとか、ましてやNHKの歌番組に出てくることなどなかったから、世代を超えて知られる存在ではなかった。が、ミュージシャンの幸せというのは、そんなところにあるわけでは無いから、どうでも良いことだろう。

ボカロブームを作り上げた第一世代の「ryo」氏や「kz」氏が、どちらかというと普通っぽい「このまま人間が歌っても良いんじゃねぇ」的な楽曲だったのに対して、米津氏やwowaka君の楽曲は、独特の中毒性があって、人間の歌手では凡そ歌い切れそうにない、いわゆる「ボカロっぽい」のが特徴だった。

中高生を中心とした若者たちから、絶大な支持を得ていた両氏であったが、僕のようなオジさんにとっては、理解し難い楽曲も多かった。でも、米津氏のそれが(今と違って)「どこが良いんだかよく分からない」モノであったのに対して、wowaka君のは、「よく分からないけど、何だか面白い」作品が多かったように思う。

Zepp名古屋のライブで「裏表ラバーズ」と「ワールズエンド・ダンスホール」を、武道館では「アンハッピーリフレイン」の演奏を聴いたことがある。どれも前奏が始まった瞬間の盛り上がりが凄かった。ボカロファンにとって、彼の楽曲群はボカロが最も輝いていた頃の象徴なのだろう。

で、代表曲を1つと云えば「裏表ラバーズ」で異論は無いだろう。

動画は、2010年にZepp東京で開催された伝説のライブからである。楽曲をサポートするバックバンドのクオリティーの高さと、透過型スクリーンに映し出されたCGに熱狂するヲタクとのギャップが面白い。


ボカロならではの高速歌唱だから、何を歌っているか全く分からない。と云うことで、字幕付きの公式PVはこちら。


かなりキワどい、というか下ネタと云っても良いくらいの歌詞である。純愛などと気取ったところで、要はヤリたいだけってこともあるし、ラブラブに見えるカップルでも、心の内は分からないってことか。
ただ、言葉の選び方やつなげ方を見ると、単なるウケ狙いの高速歌唱作品で無いことは明らかだ。きっと頭の良い奴なんだろうと思っていたら、東大卒だという噂を聞いた。
この歌を、当時の中高生が、意味も分からず、カラオケで歌っていたことを考えると笑ってしまう。                   

こんなキワどい歌詞を高速歌唱できるのがボカロの真骨頂・・・って云うか、ネタならば兎も角、こんな歌を歌唱したいなんて考える人間の歌手はいないだろう。

元々、ボーカロイドは、人間の歌唱を補助するものとして開発された。ボーカロイドが主役になることなど、全く想定されていなかったのだ。しかし、初音ミクの登場により、状況は一変してしまう。
やがて、人間の代わりに歌うという使い方から、ボーカロイドならではの歌唱を追求していったのが、当時「ハチ」と名乗っていた米津玄師氏であり、現実逃避Pことwowaka君たち第二世代であった。

その試みは、結果として、歌唱のガラパゴス化をきたすことになって、必ずしも成功したとは云えないのだが、それを踏み台として、人間の歌をプロデュースする本物の「P」として活躍しているのだから、それはそれで嬉しい限りで或る。

お終いに、昨年のマジカル・ミライから「アンノウン・マザーグース」である。米津氏とwowaka君の双方に云えることだが、ボカロを卒業した後も、こうやって新曲を提供してくれることが有り難い。一流の奴というのは、何と言われようと、受けた恩は一生忘れないモノなのだ。



彼は、4月1日付けのTwitterで「令和キレイだー」と投稿した。「REIWA」という響きが、彼のミュージシャンとしての琴線をとらえたのだろうか。彼が急逝したのは、そのわずか4日後。気鋭のミュージシャンとして、美しきREIWAの時代を作ったであろう彼は、来たるべきREIWAの時代を生きること無く、この世を去ってしまったのだ。

2019年2月3日日曜日

「嵐」、活動休止報道に再便乗して、ボカロカバーをもう少し

 嵐の活動休止発表から一週間。メディアもいろいろとネタを掘り出してきますけど、世間では、この事態を少しずつ冷静に受け止め始めたように思います。

よく考えてみれば、休止は2年も先の話だし、安室奈美恵さんと違って、芸能界から引退するわけでもありませんからね。動揺して損した感がちょびっと出てきました。

では、さっそく、「夢光P」さんの「One Love」からいきましょうか。ソロとユニゾンやハモりの使い分けとか、歌割りも良く考えられています。5体のボーカロイドの個性もちゃんと出ているし、聴けば聴くほど神カバーに思います。


そう云えば、記者会見での「無責任」質問が批判されていましたけど、芸能記者なんて爪あとを残してナンボの仕事ですからね。それに、大野君の脱退ではなく、なぜ活動休止なんだろうって思うのは素朴な疑問だし、彼らの経済効果とその休止に伴う影響を考えれば、無責任だと云いたくなる気持ちも理解できます。KAT-TUNなんて、3人抜けてK-UNになっても解散してませんでしょ。

続けて「hartfield2011」さんの作品をいくつか。まずは「Lotus」。


夢光Pさんの作品は違和感の無さがスゴイところですけど、こちらは、嵐の歌唱に全く寄せることなく、ボーカロイドの特性を前面に出したカバーが特徴ですね。

桜井君が言うところでは、残り2年間を全力で走り抜けることが、責任を果たすことなんだそうです。無責任批判に対する神対応として、ネットで絶賛されてました。嵐の好感度はさらにアップしてますから、オールOKです。

大野君は、大好きな釣りをしていても、明日は「嵐」に戻ると思うのが辛かったそうです。こんな時、昭和だったら「頑張れ、頑張れ」って云うばかりでしたけど、平成になって、辛いときは頑張らなくって良いんだよって感じになって、そういう発想って昭和には無かったように思います。
平成と云うのは、何より「個」を尊重してきたし、周りもそれを認めてきた時代なんだと思います。だから、何となく辞めたいからヤメて、5人じゃ嵐じゃ無くなるから終わりにすると云われても、ファンは、それを理解する義務があるのでしょう。

それにしても、サザエさん症候群であることを、こんなに素直に告白できるタレントさんって、あまり記憶にありません。
だから、ファンからの、「大野君の夏休みを応援しよう」という姿勢は、決して偽善的なものでは無くって、平成と云う時代が培ってきた、1つの在り方に思います。

次のボーカロイドカバーは、かなりの高評価なんですよ。ボーカロイドの無機質な歌唱が、ドラマのイメージにピッタリなんだそうです。僕的には、もうちょっとキーを下げていただきたいところなんですけどね。


この「truth」は、大野君主演ドラマの主題歌でした。僕は、ドラマはあまり見ない方なんですが、これは見ていましたよ。部屋の壁にターゲットの写真を貼ったりしてましたね。

嵐の中では一番地味な印象の大野君でしたが、歌手としても、俳優としても、そしてアーティストとしても、一番才能があったのが大野君だったのかもしれません。ただ、一番アイドルに向いていなかったのも大野君だったということでしょうか。

ただ、アイドルというのが、憧れの存在という意味だとすれば、大野君が送ろうとしている、「全力で走り続けて、やがて自由人になる」という人生は、世の男どもの憧れでもあるわけです。

こちらは本物、全然似てませんけど、これはこれで良いです、ってスミマセン、逆でしたね。


ジャニーズの動画なんて、YouTubeに在るわけ無いって思い込んでたんですけど、思っていた以上にたくさんあって、ビックリしました。ジャニーズといえども、ムキになって動画を削除するような時代では無くなったんでしょうか。それとも、嵐ならではの余裕なんでしょうか。

これから、東京オリンピックにむけて世間が盛り上がっていく中で、嵐の活躍の場は確実に広がっていくだろうし、残り2回の紅白歌合戦と、新国立競技場でのさよならライブにむけて、ロングスパートをかけていくのでしょう。嵐の活躍に今後も目が離せません、ということで、お終いは、しっとりと「ふるさと」にしましょうか。


2019年1月30日水曜日

「嵐」、活動休止 ~嵐愛溢れるボカロカバー~

嵐が活動休止するそうです。先日、NHKが夜のトップニュースで伝えてくれました。来年の年末までだそうです・・・来年の?・・・って、まだ2年も先の話じゃないですか!

で、2017年の6月頃から話し合いをしていたそうです。・・・えっ・・・1年半も前からですか!
活動休止を決心してから、実行するまで、3年以上かかるんですね。決心が揺らいでしまいそうです。

活動休止の真相(?)については、ネットでいろいろと語られていますけど、部外者の僕にはよく分かりませんです。ただ、SMAPの一件が、某かの影響を与えたことは確かだって書いてありました。

あの騒動って、どんなタレントさんにだって、何もかも放り出して夏休みをとる権利とか、喧嘩別れする自由とかがあるんだって、気づかせてくれたわけですからね。だいたい、「嵐が活動休止するなんて信じられない」なんて云ってること自体、嵐はいつまでも存在し続けるに違いないって、勝手に思っているわけで、もしかしたらタレントさんも同じように、いつまでもいつまでも続けていかなくてはイケないんだって漠然と思っていて、で、「あぁ、やめても良かったんだ」って、そんな当たり前のことに、お互いが気づいたってことなんでしょうか。

と云うことで、まずは「LOVE SO SWEET」を貼り付けさせていただきます。投稿者の「夢光P」さんは、B'zや嵐のカバー作品を発表されているボカロPさんです。もう発表から5年以上たつんですね。


ご自身も熱心な嵐ファンだとお見受けいたしました。でなければ、これだけの作品は作れません。

「嵐」の活動もあと2年となるわけですけど、僕には、末期ガン患者の余命宣告みたいに思えます。嵐が自らに余命2年の宣告をしたわけで、だから、残りの人生を精一杯生きていこう、やりたいこと、やるべきことを悔いなくなり遂げようってことと、残り2年、ファンの皆さんと沢山の思い出を作っていきたいってことは、テンション的には、どちらも同じに思います。
きっと、素晴らしい2年間になるでしょうね。どんなことでも、ゴールが設定されるって、最高のモチベーションですから。

次は「迷宮ラブソング」です。
投稿者の「hartfield2011」さんは、今も活躍されているボカロPさんです。伴奏の音源も自作されているようです。「hartfield2011」さんは、ボカロらしさを前面に出した作品が多ので、歌唱のついては好みが分かれるところですけど、伴奏も格好いいし、楽曲そのものの良さが感じられる作品に思いますよ。


続けて、二宮和也さんが主演したドラマの主題歌「果てない空」です。
同じく「hartfield2011」さんの作品なんですけど、あまりにも可愛くて、自然すぎて、ボーカロイドのオリジナル作品のような錯覚に陥ってしまいましたよ。


まあ、SMAPの時も、街角インタビューで「この世の終わり」みたいなことを云ってた人がいましたけど、今だって、5人とも元気に活動していますからね。
嵐だって、大野君がいなくなるのは淋しいけれど、グループの縛りから解放されたメンバーは、それぞれの個性を生かした活動をしていくのだと思います。

アラフォーって、人生の折り返し地点なんですから、ここで、彼らが1つの大きな区切りを付けようとしてることは間違っていないと思うし、何の節目も付けないままに、人生を送ってきた僕からすれば、凄い奴らだなって思います。

そうそう、嵐と云えば国立競技場。活動休止を2020年末にしたのって、新国立競技場の完成を待ってのことかもしれません。今。建設中の新国立競技場って、伝説になるであろう嵐のさよなら口ぱくライブのために作っているようなものですね。当然、会場は押さえていると思いますよ。

 お終いは、クリプトン社の6人のボーカロイドによる「One Love」です。動画のデキが素晴らしくって、ラストにピッタリなんで、セレクトさせていただきました。


さよならを云うには、あまりにも早すぎますね。また、素敵なカバー作品を見つけましたら紹介させていただきます。

2018年10月21日日曜日

一青窈「ハナミズキ」feat.丸山純奈&初音ミク ~熊本復興支援事業いのちのうた共演記念~

ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)。このアメリカ原産の街路樹は、丈夫で育てやすいこと、樹木としてのまとまりが良いことなどで、最近、あちらこちらで見かけるようになりました。
僕の家の近くにも「花水木」が植えられています。さもない一方通行の道路なんですが片側に2・30本ほどの花水木が街路樹として植えられているんです。普段は地味な街路樹なんですが、春になると、突然、薄紅色というか、限りなく白に近い大きな花を咲かせるので、ああ、花水木だったんだ、なんて思い出すんです。


10月19日。熊本市民会館で、全労済熊本復興支援事業「いのちのうた」が開催されました。丸山純奈さんの共演者には、元KAT-TUNの田口さん、石塚英彦さんや一青窈さんのお名前がありました。

で、一青窈さんと云えば「ハナミズキ」ですよね。

「ハナミズキ」は、一青窈さんの最大のヒット曲で、世間に広く知られた曲です。ところが、この曲の歌詞は、比喩表現が飛躍しているところが多く、意味不明なところがたくさんあります。一説によると、アメリカで起きた9.11テロを追悼している歌とされていますけけど、もし、そうであれば、それなりに分かるように書くべきだと思いますけどね。

まあ、気にしなければ、何ともないことなんですけど、追悼とはいえ、死のイメージがあるこの曲を、熊本のライブで歌うのかどうかが気になってました。でも、集まっている観客は、この歌を期待しているでしょうから、歌わないという選択肢は、有り得ないかと・・・で歌ったのかなあ。歌いましたよね。歌ってくれないと、この投稿、無意味になっちゃうんですけど。

丸山純奈さんは、2年前のライブで、この歌を歌っています。MCによると、この歌で、地元のカラオケ大会で優勝したそうですよ。


如何でしたか、2番からの歌詞が、とんでもないことになっていますね。この曲、本当にカラオケ大会で使ったんでしょうかww

まあ、ただでさえ、歌詞覚えが苦手な「すーちゃん」なんですから、読解不可能とも云える歌詞は、呪文を覚えるようなものだったのでしょう。すぐ顔に出るのが「すーちゃん」の正直なところですね。
これに関しては、覚えにくい歌詞の方が悪いとしておきます。

純奈さんのカバーの特徴は、本家との距離感なんですけど、このテイクは、どことなく一青窈さんっぽくなっています。これは、本家に寄せたというよりも、この頃の彼女のコブシの入れ方などが、たまたま一青窈さんと似ていたからだと思います。

そういえば、ツイッターで、今度カバー曲を歌うときは、譜面台を置くことを提案させていただいたのですが、どうやら「嫌味」と思われたみたいで、完全にスルーされちゃいましたw
でも、歌詞間違いを気にしながら歌うぐらいなら、ちゃんと楽譜を見て歌った方が、聴いている側にも、歌っている側にも、そしてカバーされている御本家にも良いことだと思うんですけどね。
だって、正式なスピーチのときなんか、例え暗記していても、原稿を見ながら語るのが礼儀だって云うではありませんか。伴奏者は楽譜を見てるわけですから、歌唱者だって見て悪いことは無いと思いますよ。

では、正しい歌詞による「ハナミズキ」です。

僕の尊敬するボカロP「melodylights」さんの作品になります。初音ミクがかなり幼く歌っているのですが、ピアノ伴奏でのテイクが良い感じです。いつか、丸山純奈さんがカバーする時も、こんなピアノ伴奏ヴァージョンでお願いしたいところです。


熊本の支援ライブも無事終了とのことで、何よりです。
今回は、ピアノ伴奏での4曲披露だったそうです。ソロライブでは、ピアノ伴奏というのが定番になってきたようです。僕は、彼女の歌唱の良さを最も引き出せるのが、ピアノ伴奏だと思います。
会場には、彼女のことを知らずに来た人もたくさんいるはずです。そんな観客が、彼女の歌唱を聴いて驚く様を想像していると、僕まで誇らしく思えてくるんです。
近い将来、首都圏で、彼女のリサイタルが開かれるのを楽しみに待ちたいと思います。
譜面台付きで。

今回のライブは、一青窈さんもその映画版に出演したという「はなちゃんのみそ汁」の著者である「安武信吾」氏の企画によるものだそうです。純奈さんとはなちゃんのツーショット写真も投稿されていました。もちろん、一青窈さんは、映画版の主題歌「満点星」を歌われたと思います。
この物語は実話だそうです。実話の部分については、その家族の問題ですから、他人がどうこう云うべきことではありませんが、絵本やドラマ、映画となって世に出てきたものは批評の対象であり、一応ガン患者である僕にも、思うところがあります。
まあ、それは、もう少し考えがまとまってからにします。

で、毎年、花を咲かせてくれた花水木なんですが、今年の台風24号の強風と塩害のために、折れてしまったり、早々と落葉してしまいました。
POLUの活動が再開される来年の春、花水木は、薄紅色の花を咲かせてくれるのでしょうか。

2018年9月8日土曜日

丸山純奈「オンコロライブ」と、初音ミク「マジカルミライ2018」が、大盛況のうちに閉幕したらしい

9月1日は、気になっていた2つのライブが開催された日でした。

まずは、初音ミクの「マジカルミライ」。

今年の「マジカルミライ」は、大阪と幕張の2カ所で四日間、8公演。しかも幕張メッセでは、広めの第9ホールと云うことで、過去最大規模の4万人動員だったようです。世間的には、もはや話題にもならないボーカロイドですけど、これだけの観客を動員できると云うことは、底堅い人気を維持しているようです。ニュース映像なんかを見ると、若い女の子の参戦が目立つのですけど、「米津玄師」効果とかあるんでしょうか。

実は、4年連続で参戦していたマジカルミライですが、ちょうど申し込みの時期が、「初音ミク×鼓童」の申し込みと重なっていて、さすがに両方は難しかったものですから、今年は参戦を見送ったんです。
で、先日のブログにも書いたとおり、「初音ミク×鼓童」が、僕的には完全に不完全燃焼だったので、やっぱりマジカルミライに参戦すれば良かったと、後悔している次第です。
いつもだったら、どんなセットリストだったのかなとか、いろいろとネットで検索するのですが、知れば知るほど辛くなります。


大阪公演のフル動画が早速YouTubeに出てきてたんで、ブロックされる直前に駆け足で視聴したんですけど、「鏡音リン・レン」の二人のステージは相変わらず盛り上がってたみたいですし、今年は「Tell Your World」も復活していたし、バンドメンバーも入れ替わってたり・・・そして、大好きな「OSTER project」さんの楽曲を演奏してたんですよ!
高輝度レーザープロジェクターを7台並べたというのも、初のことだと思いますし、ちょっと、立ち直れそうにありませんので、この話は、これでお終いです。


次に、丸山純奈さんの「オンコロライブ」です。

実は、裏のブログにあるように、僕は癌患者であります。大腸に癌が見つかったのがちょうど3年前。それから手術をして、リンパ節への転移が分かって、ステージⅢCの診断を受けて、抗がん剤治療が終わったのが2年前。今は経過観察の身の上です。

ライブの告知の時に、癌患者の招待枠があることを知って、「もしかしたら、オレって、タダで観覧できるんじゃネエ」って思わす考えてしまいました。でも、今や国民の半分が癌になる時代、肝臓に転移でもあれば別ですけど、経過観察者の分際で招待席を申し込むというのは、さすがに気が引けました。まあ、無料だとしても、チケット代の相当額を寄付すれば良いだけのことですけど。

だからというわけでは無いのですが、グズグズしていたら、なんとなく時期を逸してしまいました。で、「クラーキー」こと「堀倉彰」さんがサポートすると知って、大後悔と云うわけです。


次回は、新宿でライブをするとのことですが、普段はヒマなのに、この日だけはNGです。チャンスというのは、一度逃してしまうとダメが続くみたいです。まあ、ファンを自称していながら勝手なことばかり云ってましたから、バチが当たったのでしょう。

参戦されたファンの方々のツイッター情報によると、セットリストは、「home」(アンジェラ・アキ)、「I LOVE YOU」(すでに持ち歌的存在)、「何度でも」(ドリカム)、「ドラマ」(持ち歌)の4曲のようです。

この中では、「何度でも」が完全に想定外でした。確かにドリカム好きみたいだし、確かに応援ソングですけど、ピアノ伴奏では選ばない楽曲に思いますからね。

でも、ネットでクラーキーさん伴奏の歌唱を聴くと、やっぱり良いなあって思いますし、ピアノというのが、如何に優れて、そして完成された楽器であることを改めて感じました。
純奈さんって、出だしはメゾピアノで、サビになったらフォルテで、みたいな歌い方をしたがるところがあるんですけど、バンド伴奏ではそういうわけにはいきませんからね。
彼女とサポーターさんとの相性を比較させていただきますと、大知直樹さん<<<バンさん<熊五郎君<クラーキーさん、と云ったところでしょうか。コード進行は似たり寄ったりでも、弾き方は様々。歌う人の気持ちが分かるというのも、一種のセンスだと思います。偉い人だからと云って、サポートが上手くできるものでは無いようですし、歌手との相性もありますからね。

会場では、記録用の撮影をしていたとのことですので、ダイジェスト版とかでも良いんで、公開して欲しいものです。そんなことをすると、チケットを買って参戦した人が云々、みたいな話になりますけど、YouTubeで見れるからライブに行かないと考えるか、YouTubeで見たからライブに行きたいと考えるかの違いで、少なくとも丸山純奈さんに関しては、後者だと思うんですけどねえ。
特に「オンコロライブ」に関しては、啓蒙活動なわけですから、広く世間に公開することは、間違ってはいないと思います。
これは、天王洲アイルのライブも同じで、僕が行けなかったからこんなことを云っているわけではないんですよ。

そもそも、丸山純奈さんが、全国区的な知名度を獲得したのは、YouTube動画群によるところが大きいわけで、今回のことに限らず、もう少し積極的に使っても良いんじゃないかと思います。動画だとツイッターもありますけど、内輪で回しているだけという印象がありますからね。

で、聞くところによると、オンコロライブでは、参戦したファンどおしが、推しグループの登場に合わせて、座席を譲り合ってローテーションすると云う、上杉謙信の伝説の戦術「車懸りの陣」みたいなことが行われるそうですけど、今年もそんなことしてたんでしょうか。

妄想するほど辛くなってきましたので、こちらの話もこれでお終いです。

2018年7月16日月曜日

NHK大河ドラマ平清盛より「遊びをせんとや」松浦愛弓&初音ミク ~大河ドラマ史上最高の挿入歌~

大河ドラマ歴代最低視聴率でありながら、大河史上最高傑作といわれる、2012年放送の「平清盛」。

僕、大好きでした。

当時、僕は、仏像巡りに夢中でした。ドラマの舞台になった、平安末期から鎌倉初期というのは、最も盛んに仏像が作られた時代でもあります。奈良や京都で仏像を訪ねると、美福門院とか八条院暲子とか鳥羽院とかの名前が出てくるのですけど、これまで院政時代を描いたドラマというのは、ほとんどありませんでしたから、「平清盛」でこの時代を取り上げてくれたことは本当に嬉しかったです。
しかも、ドラマが「理解できる奴だけついて来い」的で、超リアルでしたから、感動モノでした。
ドラマが始まると、パソコンを開いて、知らない事柄が出てくると、必死にググりながら見てました。

後で知ったのですが、歴史ヲタクたちが、ドラマの放送に合わせてツイッターで語り合いながら視聴することも行われていたようで、「初のソーシャル大河」とか云われていたらしいです。

ところが、一般ウケはしなかったみたいです。兵庫県知事の「画面が汚い」発言は、今も語り継がれる迷言です。大河ドラマって云うのは、誰でも知っている話を、誰もが知っている通りに、人気の俳優が演じているのを安心して見るものであって、「そうか、平安時代の京都って、埃だらけだったんだ」なんて感動しているのは一部の歴史マニアだけ、そんなリアルさは誰も求めていなかったんですよね。

でも、登場人物は、素晴らしかったですよ。前期の事実上の主役「中井貴一」さん演ずる「平忠盛」は格好良すぎでしたし、「藤木直人」さん演ずる「佐藤義清」(後の西行法師)と「清盛」のカラミも面白かったし、「白河院(伊東四朗)」「鳥羽院(三上博史)」、そして何より「崇徳院」の「井浦新」さんの演技は最高でした。「信西(阿部サダヲ)」も魅力的な人物として描かれていましたし・・・、きりがありません。


今回紹介させていただく「遊びをせんとや」は、平安時代の「今様」を元に作られたドラマの劇中歌です。歌っている「松浦愛弓(まつうらあゆ)」さんは、テアトルエコー所属の女優・声優さんだそうです。
「松浦亜弥」さんとは、1文字違い。生まれが、松浦亜弥さんのデビューした年と同じ2001年だそうですから、現在17歳のお嬢さんで、今でも、テレビドラマなど出演してるとのことでした。

YouTubeで「松浦愛弓」と検索すると、こんなCMが出てきました。

 
「フジッコ:海の野菜」のCMは、何人かの子役が担当したそうですけど、「愛弓」ちゃんのテイクは人気が高かったようですね。

そしてCMから2年後、「松浦愛弓」ちゃんは、NHK大河ドラマ「平清盛」のテーマソングの歌唱部分を担当することになります。この歌唱部分は単独の楽曲となり、ドラマの重要な場面では必ずと云って良いほど流されました。



遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

この詞は、後白河法皇が編纂させた「梁塵秘抄」に収録されている最も有名な「今様」だそうです。今様は、「今っぽい」ということですから、当時の流行歌という意味になります。上流階級の貴族からは「俗謡」とされ、卑しいものとして蔑まれていたようですが、何故か「後白河」は、この今様が大好きだったようです。

直接の意味は、「子どもとは、遊ぶために生まれてきたのだろうか。子どもとは、戯れるために生まれてきたのだろうか。そんな子どもの遊んでいる声を聞いていると、自分も子どもの頃に戻ったような気がして、自然と体が動いてしまうんだよ。」と云ったところでしょうか。

1000年以上も前に謡われたこの詞が、今も心に響くのは、いつの時代も変わらない、子どもと、それを見守る大人の姿に、深く共感できるからだと思います。

定説では、これを「遊びや戯れは生きることそのものであり、子どもが時を忘れて遊ぶように、自分も夢中で生きたいものである。」と読み解くようですが、ちょっと教訓っぽい感じになるんで、僕的には、直訳のままの方が心に染み入ります。

今様は、歌詞は文字として記録に残っているのですが、メロディーは伝わっていません。「梁塵秘抄」には、唄い方の記述もあるそうですが、今となっては、それらも解読不可能とのことでした。
したがって、このメロディーは、作曲を担当した「吉松 隆」氏のオリジナルということになります。まあ、平安時代に、このような三拍子のメロディーがあったかどうか分かりませんけど、素敵な楽曲であることは確かです。

そして、大河ドラマの音楽を担当した、作曲家の「吉松 隆」氏は、テーマソングの試作段階で、この歌唱部分を「初音ミク」に歌わせたそうです。

2011年の「千本桜」、2012年の「Tell Your World」のヒットを受けて、当時の初音ミクは、正に絶頂期にありました。当初は、オタクのおもちゃ的な扱いだったものが、いわゆる一流の音楽家たちが、その可能性について、興味を示し始めていたのもこの時期になります。

実は、楽曲の試作段階で、人間の代わりにボーカロイドに歌唱させるというのは、全くの正統的な使用方法であります。そもそもボーカロイドとは、そのために開発された技術であって、幕張メッセとかにディラッドスクリーンを持ち込んで、CGに向かって「オイッ、オイッ」なんてコールしている方が、よっぽど想定外な使用方法なわけです。

「吉松 隆」氏は、この初音ミクの歌唱が気に入ったようで、このまま、テーマソングに採用したいと考えたようですが、当時のNHKは、この申し出を受け入れませんでした。

「直虎」で音楽を担当した「菅野 よう子」氏によると、大河ドラマのテーマ曲というのは作曲家にとって特別な存在であると云います。そもそも、2分30秒もの楽曲が全国のテレビで一年間も流されるなんてことは、他では絶対に無いことですし、しかも、演奏するのは、世界に誇る「NHK交響楽団」ですからね。

テーマ曲は「生音」でなければ許可できないというのが、当時のNHKの主張だったようです。

そこで抜擢されたのが「松浦愛弓」ちゃんでした。「普通の子供が普通に口ずさんでいる」というイメージに合っていたこと、何より「歌う声が初音ミクに似ていたから」というのが採用の理由だったと云われています。

で、ヲタさんは、ちゃんとこういう作品も作っています。ニコニコ動画からの転載でしょうか。

   
当たり前のことですけど、似ていますね。

そういえば、悪左府「藤原頼長」の最期の場面でも、「兎丸」が「禿童」に暗殺されるシーンにも、この曲が流れていました。


院政という時代を、そして古代から中世への転換点となった「保元の乱」に至るまでの過程を、これほどまでに丁寧に描ききった作品があったでしょうか。

「平清盛」の登場人物たちは、みんなどこかに陰を持っていて、ドラマ全体が物悲しさに覆われていたように思います。この世には、善人などいないのだと、悪人などいないのだと、全ての人は、善人であり悪人なのだと。それこそが、このドラマのテーマなのだと思います。

「松浦愛弓」ちゃんを連れてきたのは、正解だったと思います。少女の、つまり、まだ善人でも悪人でもない、純粋無垢な歌声だからこそ、人の世の埃にまみれて生きる者たちのラストシーンで、心に響いたのだと思います。
とすれば、この楽曲において「吉松 隆」氏が初音ミクに興味を示したのも分かるような気がします。人では無い「初音ミク」もまた、善人でも悪人でも無いわけですから。

これは、初音ミクとDTMの作品ですので、貼り付け可だと思います。素晴らしい力作です。

 
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

純粋無垢な童心に戻りたいと願ったところで、かなうわけもなく、結局は、僕らも、善人として悪人として生きていくしかないわけで、それもまた、千年の時を経ても変わらないことなのだと。

2018年6月16日土曜日

「初音ミク×鼓童」スペシャルライブ参戦報告 後編 ~和太鼓とボカロ超高速歌唱の共演は最早カオス~

前編では”このライブは無料でも良かったのでは”などと書いてしまいましたが、鼓童のライブだと思えば、妥当な料金かもしれません。プロの和太鼓演奏など、こんな時でなければ聴くことも無かったわけですし。で、鼓童だけでの演奏は3曲ほど有ったように思います。見たことも無い大太鼓とか、目にも止まらぬバチさばきとか、さすがに格好良かったです。

一方、ボーカロイドだけの演奏も3曲ほどありましたが、面白いことに全てが鏡音リン・レンの曲で、こちらはいつものライブのノリでしたよ。

今回のセットリストの中で印象に残っているのは、何と云っても「南部牛追い歌」です。鼓童のお姉さんがソロで歌を披露してくれたんですけど、途中から初音ミクとのデュエットになりました。人間とボーカロイドの歌の共演。これこそ、僕が待ち望んでいた演奏で、こういうことが、もっと自然に、広く演奏されるようになってくれれば嬉しい限りです。この一曲が、今回のライブにおける最大の収穫だったと云えます。

でも、「ビバハピ」を演奏したときは、ビックリしました。何が凄いかって・・・。ボカロファンには有名な曲ですけど、知らない人も多いと思うので、貼り付けさせていただきますね。


この曲を和太鼓と合わせたら、どうなるか想像できますでしょうか。まあ、何事も、挑戦することは大切ですけど。

で、さらに凄かったのは、「初音ミクの激唱」です。


初音ミクの単独ライブでさえ、こんな感じなのに、これに和太鼓の音が、もろに被さってくるんですよ。最後の方なんて、何が何だか全然分からなくって、いろいろな音がNHKホールにわんわん響き渡ってました。もう、現代音楽など超越して、もはやカオス。笑うしかありません。

ただ、ライブレポートには、この曲で「感動した」とか、「凄く盛り上がりました」とか書き込まれていましたので、新人類(ニュータイプ)の人たちは。こういう音楽をちゃんと聞き分けることができるのでしょうね。

「ハジメテノオト」とか「桜の雨」の時は、和太鼓の音も控えめで、初音ミクの歌もちゃんと聞こえていたので、少しほっとしました。鼓童さんには、申し訳ありませんでしたけど。

それから、「千本桜」の時は、不思議と合っていたんですよ。僕にもちゃんと聞こえてきました。どうやら、和太鼓には和太鼓独特の音階があって、それが千本桜に合っていたのかと思います。って云うか、ただ単に、千本桜=和風という先入観に影響されていただけかもしれません。

伝統的な和太鼓と、近未来的なボーカロイド、日本が誇る2つの芸術文化を融合させようと云う試みが、成功していたのかどうか、僕には分かりません。
ただ、これは、初音ミクだからどうと云う話ではないように思います。安室奈美恵さんだって、松浦亜弥さんだって、和太鼓の伴奏でライブができるとも思えません。
そもそも和太鼓という楽器を、伴奏用として使うことが正しかったのでしょうか。だとすれば、人間では無い初音ミクだから、つまり、初音ミクの楽器としての側面で、かろうじてライブを成立させていたのでは無いか、なんて考えてしまいました。

まあ、いずれの演奏も、BS放送の時は、音声を調節してくれるでしょうから、NHK的には問題ないかと思います。せっかく、ハイビジョン4Kで放送してくれるって云うのですから、旧人類である、おじさんは、参戦するよりもテレビで見てた方が良かったかもしれません。

しかし、それでは、和太鼓が伴奏用の打楽器として、つまり単なる脇役として使われていただけになってしまい、今回のライブの主旨とは云えません。
やはり、初音ミクと鼓童が対等にパフォーマンスすることによって、生じるカオスこそが、今回のライブの本質だったのではないかと思います。・・・・おじさんにはキツいことでしたけど・・・・。

2018年6月9日土曜日

「初音ミク×鼓童」スペシャルライブ参戦報告 前編 ~和太鼓の破壊力はバーチャルをも粉砕!?~

6時過ぎとは云え、まだ明るい渋谷の街を僕は歩いていた。相変わらず若者と外人でごった返している騒がしい街だ。
「渋谷」は、その名の通りの「谷」である。スクランブル交差点が渋谷の谷底にあたる。だから、交差点に立つと、ぐるりと周りにあるビルとネオンが覆い被さってくる。まるで、武道館のアリーナに立って、スタンド席を見上げてるみたいだ。この街が異様にハイテンションなのは、この地形のせいなのだ。って大発見したつもりでいたのだが、「ブラタモリ」でも云ってたかもしれない。

渋谷なんて馴染みの無い街に、こんな短期間で2度も来てしまったのは、「初音ミク×鼓童」のスペシャルライブに参戦するためだ。僕は、NHKホールに向かって坂道を登っていった。「NHKホール」・・・なんという文化的な響きだろう。

先月おじゃましたライブハウス「eggman」の前の信号をわたると、NHKホールが見えてきた。グッズ売り場をスルーして、入り口でチケットを提示する。チケットもぎりのお嬢さんからして、品格があるように思う。マジカルミライで行った幕張メッセのお姉さんとは明らかに違う(ゴメンナサイ)。

NHKホールのキャパは3500人。今では、ドームとかアリーナとかの大箱でライブをすることが普通になってきたから、たいしたことないように思うが、正規のコンサートホールとしては、日本屈指の大ホールなのだ。入ったときは、それほど大きく感じなかったのだが、とてつもなく高い天井と、遥か彼方の三階席を見たとき、その大きさを実感した。
今回ゲットしたのは、P席である。コンビニで発券してチケットの「P」って字を見たときは、A、B、C、・・・随分後ろだなあって思ったのだが、「P」はオーケストラピットの「P」だと分かった。まあ、端っこの方ではあるが、それでも前から3列目という、ライブ参戦史上最前席だ。
目の前には、テレビカメラを載せたトロッコのレールが敷かれていて、隅には、ケーブルさばきの兄ちゃんがつまらなそうにしゃがんでいる。今回は、ハイビジョン4Kの撮影も入っているらしい。

鼓童からは、9人のメンバーが参加してきていた。初音ミクのバックバンドは、今回4名だったから、出演者は13人の人間と、4体のバーチャルシンガーである。
ライブは、19時きっちりに始まって、終わったのは、21時ちょうど。機械のように正確なのは、初音ミクが機械だからだ。

観客は、基本的には、マジカルミライと同じような感じだったが、夜の部のためか、親子連れは1組くらいしか見なかった。中年夫婦みたいなカップルが多いのは、ファンの年齢が毎年上がっていくからで、当たり前のことなのに、初音ミクが永遠の16歳のせいで次第に違和感が出てきている。一緒に歳をとっていれば、初音ミクも26歳の立派な大人なのだ。観衆が中年男女でも、26歳のシンガーのライブだったら、全く問題ないだろうに。
僕の斜め前に、明らかに後期高齢者のお爺さんが一人で来ていた。鼓童のファンなのだろうか。これから始まるライブのことを思うと、大丈夫なのか心配になってしまったが、いざ始まると、控えめながらもペンライトを振っていたので、安心した。

今回のライブは、オリジナルペンライトが全員に支給されていた。それで鼓童と初音ミクが出ていて、NHKホールのS席7500円は安い、って云うか、マジカルミライの9000円がぼったくりなんだろう。
両手にペンライトを持っているのは、昼の部にも参戦した奴だろう。マジカルミライは、毎年SOLD OUTだが、このライブは、当日券も出ていたようだ。


鼓童の和太鼓から、ライブは始まった。すぐに初音ミクが出てきて、共演となったのだが、これがトンデモナイことだった。

僕の席は、端の方なので、片方のスピーカーの音ばかりが聞えてくる。それだけでも聞き取りにくいのに、それに鼓童の和太鼓から直に出てくる音が、もろに被さってきたのだ。鼓童の皆さんの鍛え上げられた腕っぷしで、力いっぱい叩かれた和太鼓の生音は、アンプで電気的に増幅された楽器音など、いとも簡単に粉砕してしまった。
テレビ放送やDVDの音は、PAによって調整されるから、問題なく聴くことができるのだろうが、和太鼓から直接ホールに聞えてくる音は、PAでは制御できない。初音ミクの歌が、和太鼓の音でかき消されてしまうという、予想もしない事態に戸惑うばかりである。
まあ、これは、僕の席でのことなので、中央の後ろの方だったら、もう少しちゃんと聴こえているかもしれない。前席の端というのが、完全に裏目に出てしまったということにしておこう。だとしても、ホール内の音のバランスは、崩壊していたことに変わりない。

まあ、NHKとしては、良い番組を作ることが、最優先の目的なのだろう。僕らは、いわゆるスタジオ見学の視聴者代表の扱いだったのだ。お笑い番組などで見られるように、演者は、誰かに見られている方がやりやすいと云う。僕らは、鼓童の皆さんが演奏しやすいよう呼ばれた観客なのだ。さらに、ホールに響くコールとか歓声とか、ペンライトを振る姿とかを撮影すれば、ライブの盛り上がりや臨場感を伝えることができるわけだし。って、だったら無料でも良くないか?

というわけで、ちゃんとPAを通した演奏を貼り付けさせていただきます。しつこいようですが、ホールでは、こんな風に聞えてませんでしたよ。


まあ、和太鼓の生音を侮ってはイケないということを思い知らされたわけである。

お終いに、テープ砲が発射されて、頭上から大量のテープが振ってきた。せっかくだから、2本ほど記念にもらうことにした。こういうのって、ただのキラキラテープだと思っていたのだが、ちゃんとライブ名が印字されている専用のテープだってことを初めて知った。それとも、NHKだからなのか。比べようも無いので分からないままである。


というわけで、まずは悪口をまとめて書かせていただきました。ライブには、もちろん良かったこともあったわけで、それについては、後編で。

2018年6月7日木曜日

人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道 その3 ~歌詞ってナンだろう~

歌うことに関して云うと、日本語は特殊な言語だと云う。

歌うとは、言葉を音にのせることである。1つの音には、1音節または1拍の音声が対応する。例えば、「ILove You」は、文字数は8であるが音節数は3だから、歌うためには音符が3つあればよい。
ところが、「オレはオマエを愛してる」と歌うと、日本語は、ほぼ「文字数=拍数」だから12拍となり、12個の音符が必要になる。
夏目漱石みたいに「月がきれいですね」と意訳すると9文字9拍、二葉亭四迷の「死んでもいいわ」でも7文字7拍である。
中国語は音符1つに漢字1文字だと思うが、漢字はそれ自体に意味を持つので、7文字歌えばかなりの情報量になる。

これは、俳句の世界でも同じで、日本語の俳句は、5・7・5の17拍の中にいかに情報を盛り込むかを工夫するものだが、英語俳句では、17音節だと情報量が多すぎて俳句っぽくなくなるそうで、2・3・2の7音節とか、3・4・3の10音節で作ることが普通らしい。

日本語は、歌うにあたって音符を大量消費する世界的にも珍しい言語なのであり、同じ音符数で比べた場合、日本語の歌は英語の約半分の情報量しか持っていないのである。

 例えば、Norah Jones「Don't Know Why」で繰り返し歌われるフレーズ「I don't know why I didn't come」(どうして行かなかったのか、自分でも分からない)は音符8個で歌われるが、この文を8文字の日本語に意訳するのはかなり難しい。「私、ここに居たの」とか「立ち尽くすばかり」などと意訳して歌ってるテイクがYouTubeにあって、なかなか健闘しているとは思うが、「愛していたはずなのに、最後の最後でためらったことへの後悔」というニュアンスを伝えきれてるとは言い難い。

そんな日本語が持つ弱点の対応策として、いくつかのチャレンジがなされてきた。1つは、70年代のフォークソングに見られる、16分音符を大量に用いて歌いまくる方法である。
他にも、1音に複数の文字を当てはめ、英語っぽく歌ってしまうというやり方があるそうで、近年、実践しているアーティストも多くなっているとのことである。

そして何より、日本の作詞者は、限られた文字数の中で、いかに想いを伝えるかを工夫してきた。

演歌などは、あれこれ欲張らずに、7・5調の短い場面描写だけで、楽曲を成立させている。修飾語で飾り立てることが難しいから、名詞中心のシンプルな歌詞になる。
さらに言葉が省略されたり、抽象的な言い回しも多い。「I Love You」だって「好きだ」だけなら3拍でOKだ。
ただ、こういうことをしていると、多くのJ・POPの歌詞がそうであるように、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列になり、読み取りは、どんどん難しくなる。

前回紹介させていただいた、丸山純奈ちゃんの「始まりのバラード」だって、平均的学力(?)の中学2年生が、歌詞の内容をどこまで読み取れているのか疑問である。(ちなみに彼女は、「得意教科は?」と聞かれて「体育です!」と即答したらしい。)

あなたの「強さ」と名付けられる愛のために、私が「情熱」をなくすってことは、見栄っぱりの彼に、彼女がドン引きしたってことだし、その二人が「またロマンスに抱かれる」のだから、焼け木杭に火が付いたという話になる。いったい「始まりのバラード」って、何が始まったことを伝えたいのだろう。僕には、「アンジェラ・アキ」さんがこの歌に込めた想いを、正しく読み取る自信がない。

そもそも、この歌は、1番が「あなた」であり、2番が「わたし」を歌っているようなのだが、ハッキリしない。純奈ちゃんが「わたし」と「あなた」と「ふたり」をごちゃ混ぜにして歌ってしまうのは、誰が何をどうしたかを、ちゃんと書ききることが難しい日本語の歌詞が原因とも云えるのだ。

以前、人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」の記事で、歌詞は限定された文章なので、AIでも読解は可能だろうなどと気軽に書いてしまったが、細かく描写しなくても、日本人同士なら分かり合えるだろうって前提で書かれた文と、その文で構成された文章の行間を、AIが読み取れるとは思えない。

しかし、歌を聴くのは、文章を読むのとは異なる。聴き手は、必ずしも歌詞全体の構成をとらえながら聴いているわけではない。歌は、その場限りで消えて無くなっていくものだから、今聴いているワンフレーズやワンセンテンスに違和感を感じなければ、全体の構成が理解できなくても、感動できてしまうのだ。
純奈ちゃんが「世界一長い夜にも必ず朝は来る」ってサビで歌うとき、僕がうるっときてしまうのは、その部分しか意識にないからである。

僕は、学校で歌わされた校歌が嫌いだった。1番が「光あれ」で、2番が「力あれ」とかになっていると、必ず間違えたものだった。歌詞が入れ替わっても通用してしまうからだ。
そもそも「光」と「力」は同じではない。それが交換可能になってるのは、歌詞が、校歌にありそうな言葉を単純につなげただけだからだ。そして、そういう歌詞って、結構多いと思う。
実は、純奈ちゃんが間違えるところも、こういった部分に思える。どっちでもイイから、間違える。
優れた歌詞は、必然だから、語句の交換など不可能だし、人の心に刻まれるし、当然、破綻もしない。そんな歌詞なら、きっと純奈ちゃんも歌い間違えることは無いだろう。

初音ミクのライブでは、最後に「桜の雨」をみんなで歌うのが定番になっている。「桜の雨」の歌詞も、卒業の検索関連ワード集みたいな感じで、ツッコミどころ満載なのだが、歌うとそれなりに感動するし、中には泣いている奴だっている。たとえ歌詞が、ただの自己満足で、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列に過ぎなくとも、ちゃんと感動できるのが「歌」であり、「歌う」という行為なのだ。

だから、文字だけで勝負する詩や俳句と違って、歌うための作詩ならば、誰にだって書けると思う。伏線を張り巡らせる必要も無いし、関連ワードを検索してつなげるだけならAIにだってできる。作詞のハードルは決して高くない。それでアーティスト扱いしてもらえるのなら、松浦亜弥さんだって、遠慮せずにどんどん書けば良かったのだ。

歌詞は、文章ではあるけれど、全体の構成の理解が必須でなく、無理して行間を読み取る必要のないものと云える。歌は、フレーズの単純な集合体と云う考えが、歌唱についてだけでなく、歌詞の構成と読解に関しても通用するならば「初音ミクAI」の未来は明るい。

って、思いのままに書いてきて、読み直してみたら、論点がズレまくってることに気がついた。文章としてはいただけなないが、歌詞だったらスルーしてもらえる・・・かな?

お終いに。あっちこっちからパクりまくって書いた「Don't Know Why」の直訳詞です。松浦亜弥さんの歌と共にどうぞ。
             

「Don't Know Why」     直訳詞
夜明けを ずっと待っていた
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど
あなたを思い出の傍らに置いたまま
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう
夜明けを見た時、飛んで行けたらいいのにと思った
砂の上にひざまずき この手で涙を受け止めても
心をワインに浸してみても あなたを忘れることなんてきない
果てしない海の彼方なら エクスタシーに浸れるのかも
でも 私は消えてしまいそう 孤独に車を走らせながら
心をワインに浸してみても あなたを忘れることなんてできない
何があなたを逃がしたの
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど 
心は ドラムみたいに空っぽ
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう

外国の歌だから、そのまま外国語で歌ってしまっても良いのだろうけど、西城秀樹さんの「ヤングマン」だって日本語で歌ったからこそ、ずっと人々の心に残っているわけだし、そのまま歌える日本語の意訳詞をお願いしたいものである。

できれば、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列のみでないものを。

2018年5月25日金曜日

「超絶凄ワザ!人類vsAI」に見る「初音ミクAI」の可能性

 NHKの「超絶!凄ワザ」。その前にあったフジテレビの「ほこ×たて」とともに、よく見ていました。だんだんネタ切れっぽくなっていって、視聴をスルーするようになったんですけど、最終回がAIに関する放送だったので、これだけは録画しておいたんです。

 番組は、AIが人間に挑戦する3本勝負ということで、ファッションコーディネートとか、流しのタクシーを取り上げていて、面白く視聴させていただきました。

 そして、3番目の対決が「俳句」でした。
 で、そこで紹介されていたAIに俳句を作らせる過程が、以前(2018年1月26日)に取り上げさせていただいた、人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」による歌唱という課題と多くの共通点を持っているのではないかと。つまり、俳句と歌唱は、文字と音声という違いはあるものの、ともに人の心に訴える芸術分野ですから、AIに俳句を作らせる手順は「初音ミクAI」にも取り入れられるのではないか、と考えたんです。

 AIに俳句を作らせる手法について、番組で紹介されていたことは、次のようなものでした。
 まず、既存の6万首におよぶ俳句をデータとしてAIに入力し、次に、「切れ字」や「季語」などのルールを教えます。そして、AIに作らせた俳句を、人間が5段階で評価することによって、どのような俳句を作れば評価してもらえるのかをAIが学び、その後は、AIが作った俳句をAIが自己評価して、強化学習をするという手法だったと思います。

 これを「初音ミクAI」に当てはめると、既存の歌唱データと音楽理論の入力、ボーカロイド歌唱の人間による評価、そして、AIによる自己評価という流れになります。

 歌唱の評価については、今まで漠然と、1曲丸ごと評価するようなイメージを持っていたのですが、
楽曲は、フレーズの集合体と考えれば、フレーズごとに歌唱の評価をすれば良いのだと気づきました。
 学習の手順としては、まずはAIにワンフレーズ歌わせて、それに対して複数の人間が、「憂い」を感じたとか「切なさ」が伝わったというように評価を与えていきます。これが蓄積されていくことによって「憂い」を表現するには、どのような歌唱が好ましいかをAIが学んでいくようにします。
 そして、このような歌詞で、この曲調なら、こんなふうに歌唱すれば良いと、フレーズごとに得られた評価をデータベース化し、新たな楽曲を歌うときには、蓄積されたデータを対応させ、最終的に1曲を通したときに破綻が無いように微修正させれば良いわけです。

 で、俳句対決の方ですが、結果はAIの惨敗に終わりましたw

 講評の場で語られていたのは、人間の発想力の凄さでした。これについては、俳人さんがAIとの対決を意識してか、発想を飛ばした句を意図的に出してきた一方で、AIは、基本に忠実な正統的な作品を出してきたことによるものだと思います。

 番組に登場した「札幌AIラボ」の「AI 一茶くん」は、お題の写真から俳句を詠むために、どんな俳句がどんな写真にマッチするのかを、人間が手作業で教えたそうで、そのために、ネットで広くボランティアを呼びかけ、数十万というデータを収集したとありました。
 人類の集合知を教えたわけですが、知見というものは、データ数が多くなればなるほど平均化していきますし、最初に正統的な作品を高評価するように教えているのですから、この手法では、奇抜な発想は発現し難くなると思います。

 しかしながら、人間がAIに期待しているのが「人間の代わりに人間と同じように働くこと」であれば、あまり奇抜で冒険的な行動は好ましいものではありませんから、この結果は間違いとは云えません。
 まあ、ピカソだって画学生のときは、ちゃんとしたデッサン画を描いているように、正統的な基礎基本があってこその独創性なわけですから、修行中のAIが独創性を発揮するのは10年早いと云うことでしょう。

 と云うことで、この手法で実現される「初音ミクAI」の歌は、正統的で安心して聴ける歌唱ということになりそうです。

 では、AIに独創的な作品を作らせることは、不可能なのでしょうか。

 囲碁などのゲームの分野では、AIが人間の予想もしない手を指すことが知られています。悪手とされるには、それなりの根拠があるはずですが、AIはその先に新たな可能性があることを、気の遠くなるような試行の結果、見いだしているわけです。

 一方、俳句の世界にも「季重なり」とか「三段切れ」などのように、好ましくない手法があるのですが、あえてこれらを用いた名句というものも存在するそうです。
 AIが、このような手法を駆使して、既存の作品と全く異なる俳句を作ることは、作るだけならば十分に可能だと思います。ただ、ここで問題となるのは、AIが自らの作品を自己評価するにあたり、冒険的な作品を価値あるものと認識できるかということです。

 ゲームには、勝敗という明確な評価基準が存在しますが、芸術の評価は単純ではありません。

 人間の芸術家だって、前衛的な作品が受け入れてもらえるかなんて世間に委ねるしかないわけで、結局は、自らの感性を信じるかどうかに尽きると思います。
 そして、人間の感性と云うブラックボックスの先にあるものが独創性だとすれば、つまり、感性と云う「ワープ航法」でしかたどり着けない領域なのだとすれば、それはAIの手法の範疇の外の話になってしまいます。

 しかし、独創的な発想が、世間に受け入れられると云うことは、そこには、何らかの必然性があるはずです。ワープ航法で一気にたどり着けなくとも、気の遠くなるような論理的試行を積み重ねることにより、到着可能ではないかと期待しているのです。
 そこへ到着するための思考過程は、AIにとっては論理的必然であっても、人間にとっては、もはやブラックボックスです。

 人間の感性はAIには理解できませんし、AIの深層思考は人間には理解できません。しかし、この2つのブラックボックスこそが、独創性へのそれぞれのアプローチになるのだと僕は思うのです。

2018年4月30日月曜日

欅坂46「世界には愛しかない」 ~デビュー2周年での「あの頃は良かった」?~

今回、紹介させていただく楽曲は、「欅坂46」の2枚目のシングル「世界は愛しかない」です。

僕が好きなのは「あくまでも歌が上手くって、できれば可愛い女の子」ですので、
特に「欅坂46」さんのファンと云うわけではないのですが、
「二人セゾン」とか「世界は愛しかない」などの楽曲は、何故かリピートして聴いています。
「大人たちは信用できない」みたいな歌詞を書いているのが、
最も信用できない大人の代表「秋元康」氏ってところがなんともですが、
まあ、綺麗事を云うのは、大人の大切な仕事ですからね。

先日、一人バンドの「Ravan Axent」さんが、新作「世界は愛しかない」を投稿してくださいました。
楽曲の格好良さが伝わる、素晴らしい完成度です。
このカバーテイクの視聴がなければ、今回の投稿は無かったと思います。
2017年1月29日の投稿で「世界は愛しかない」について、あまり印象に残らないなどと書いたことを、
この場を借りて訂正させていただきます。

「欅坂46」の曲というのは、アイドルソングにしてはメッセージ性を意識して作られていますから、
そんなところも、バンドカバーが似合う理由なのだと思います。


バンドの楽しさに溢れたテイクに思います。
高校生の頃、楽器屋さんのビルにある貸し練習場に集まって、
デープ・パープルとかのカバーをして遊んでいたのを思い出しました。
欅坂の楽曲全てに共通していることですけど、
このまま、どこかのバンドライブで演奏しても、バッチリ決まると思います。
たぶんコンペで採用しているんでしょうけど、欅坂の楽曲って、なかなかの良曲揃いだと思います。
Amazonでアルバム買っちゃおうかな、なんて思ってしまいました。

御本家のテイクは、YouTube動画の中から、オフィシャルのMVをセレクトさせていただきました。
どこかのステージのテイクもアップされていたんですけど、
台詞から全部、あからさまな口パクだったんで・・・MVだったら、口パクとか関係ないですからね。

           
MVの監督は、「池田一真」氏とのことです。
氏は、丸山純奈さんがCMソングを歌っている「ピッタマスク」のMVも手がけている方でしたね。

で、どの動画にもたくさんのコメントが寄せられています。
その中で、目に付くのは、「てち」こと「平手友梨奈」さんに対しての、
「神様!あの頃の「てち」返してください」と云う類いの、ファンの悲痛な想いですね。
デビュー2年で、早くも「懐古厨」登場ってところでしょうか。
聞くところによると、平手友梨奈さんは欅坂46の絶対的センターでありながら、
コンサートツアーやイベントの欠席が続いているようで、ネットは、いろいろな憶測で溢れています。

アイドルと云うのは、山口百恵さんや中森明菜さんまで遡るまでも無く、
影があったり、ちょっとくらい危うかったりした方が、人気が出てくるものです。
タイプは違いますけど、AKBの前田さんも、正統派とは言い難いキャラでしたからね。
ですから、「平手友梨奈」さんをセンターに抜擢したのは、さすがと思います。

欅坂の楽曲というのは、危ういキャラの平手さんがセンターであることを大前提に作られていて、
どちらかと云うと、暗めの「不協和音」とか「サイレントマジョリティ」の方が売れ筋です。
新曲「ガラスを割れ!」のMVでは、平手さんはモニターを蹴っ飛ばしたうえに、
腕を吊っていた三角巾をドラム缶で燃やしてましたよ。
もう、「可愛い・格好いい」を通り越して「可愛い・ヤバイ」のレベルです。
彼女が腕を怪我したことで、予定されていた、初の武道館公演が振り替えになったそうですから、
三角巾を燃やす場面は、そのことを暗示しているんでしょう。

ここまでセンターに重心を置いたグループというのも記憶にありません。
で、復活をイメージさせといて、肝心の2周年記念ライブには、出てこないって云うんですから、
もう、危うさ此処に極まれりって感じです。
ここまで絶対的にしてしまうと、卒業でもしない限りセンターを降りることもできないわけで、
他人事ながら心配になってしまいます。


で、この楽曲の最大の特徴が「ポエトリーリーディング」と呼ばれる語りの部分です。
学校の演劇部をイメージしたらしいです。
こういう演出は、棒読みも困りますけど、わざとらしくなってもイケませんから、
感情の込め具合が難しいですね。

この「ポエトリーリーディング」をコンピューターに挑戦させた試みを紹介させていただきます。
このブログでも、何回か取り上げさせていただいた「あにめちゃんねる」さんの作品で、
歌っているのは、ボーカロイドとは異なるシステムを持つCeVIOの「ONE」になります。
YouTubeにある、いくつかの投稿作品のなかでは、さすがのデキに思います。


「もう少ししたら」のところが「もう少しちたら」に聞こえましたけど、
サ行の問題点って、ボーカロイドもCeVIOも同じみたいです。

「ポエトリーリーディング」は、単なるBGMに合わせての演劇や朗読と違って、
楽曲に合わせての読みですから、あまり感情的にならない方が聴いていて負担になりません。
先ほどの欅坂のMVも、お世辞にも良い朗読とは思えないんですけど、
「言霊」とは良く云ったもので、人の言葉というのは、それ自体に感情を内包していますから、
淡々と語っていても、それなりに伝わってきます。

この「ポエトリーリーディング」を口パクしていたライブテイク・・・あれはいただけませんです。
歌の時は、「まあ仕方ないなあ」と許せた口パクも、語りでされたらがっかりですよね。
どんな下手な朗読でも、口パクよりは、遥かにマシです。

ところが、コンピューターの棒読みは、人間のようには許容してもらえません。
無感情に語れるというのがコンピューターの長所と云えなくもありませんが、
コンピューターに語りで伝えさせると云うのは、歌わせる以上に難しいことなのかもしれません。
まあ、それでも、語りを口パクでやられるよりは、マシだと思います。


平手さんは、2001年生まれ、ちょうど、松浦亜弥さんがデビューした年に生まれ、
しかも、松浦亜弥さんと誕生日が同じ6月25日です。
ですから、まもなく17歳。

2016年10月3日の投稿記事で、原田知世さんの「時をかける少女」を紹介させていただいたときに、
15歳だった平手さんとのデュエットテイクを貼り付けさせていただきました。
ちょうど、この「世界は愛しかない」を歌っていた頃になるでしょうか。
その動画はもう消えてしまいましたけど、
こんな親子が本当にいたら、さぞかし素敵だろうなって云うツーショットでした。
欅坂に特に関心のなかった僕だって、良い子がデビューしたなって思いましたからね。
平手友梨奈さんの名前も誕生日もその時に覚えましたし。

SNSなどが発達した現在のアイドルは、過度なストレスの中で活動しています。
現代のアイドルがグループを組む理由の1つは、その精神的負担の分散にあります。
ところが絶対的センターを擁する欅坂は、その分散が十分にできてなかったように思います。

これからの平手さんと欅坂の活動について、僕は特に意見を持っていないのですが、
デビュー2周年の記念ライブを「スケジュールの都合」で欠席するセンターというのは不自然ですし、
それを許容するしかないのであれば、状況はかなり深刻だと云えます。

「危うさ」が彼女の存在感であり、
「可愛らしさの中に垣間見られる危うさ」が、彼女の魅力であるのは確かです。
ただ、そこを売りとするには、彼女は、あまりにも純粋だったのかもしれません。


2018年4月15日日曜日

初音ミク「恋のミュージックアワー」 ~あの素晴らしき時代と~

現在、最も売れているアーティストと云えば「米津玄師」氏であろう。
その米津氏が、かつて「ハチ」名義で、ボカロPとして活動していたことは、ご存じであろうか。

彼のような、元ボカロPのアーティストというのは今までにも何人かいたが、
人間界の仕事が増えるとボカロの仕事には見向きもしなくなるという傾向があった。
まあ、ボカロ界への裏切り行為とも云えるが、
手っ取り早く売れるために、当時人気のボカロに手を出したって奴も多かったし、
考えようによっては、それもボカロへのリスペクトと云えなくも無いから良しとしよう。

米津氏も「ボカロは卒業しました」っぽい感じだと思っていたが、
昨年のマジカルミライでは、初音ミクのために新曲を提供してくれた。
トップを獲る人間というのは、ちゃんと心遣いができているものだと感心した次第である。

米津氏のファンの中心層は、女子中高生である。
ところが、彼女たちは、「憧れの米津さんが、ボカロPだったなんて、ちょっとショック」
とか言ってると云うのだ。
彼女たちにしてみれば、ボカロというのは、キモいオタクの物であって、
米津氏がボカロPであったことは、黒歴史ということになるらしい。

いつから、そんなイメージになったのだ。

マジカルミライに行けば分かることだが、
チェック柄のシャツを着て眼鏡をかけた小太りの男なんて、ライブ会場では極めて少数派だ。
(そんな奴いないと言い切れないところが辛い)
・・・って云うか、つい数年前の中高生は、カラオケでボカロ曲を歌い、
初音ミクのキーホルダーを鞄に下げていたんじゃなかったのか。
人類史上でも画期的な発明、神の領域に踏み込んだと云えるボーカロイド技術、
それが、この数年のあいだにオタクの象徴へと変わってしまっていたのだ。

昨年は、初音ミク10周年だった。
いろいろなイベントが組まれたようだが、さほど世間に注目されることもなく、
結果的にボカロ界の斜陽化を印象付けることになってしまった。
思えば、GoogleのCMで初音ミクの「Tell Your World」が流れていた頃が、
最後の輝きだったのかもしれない。

で、貼り付けさせていただくのは、10周年記念に制作されたという楽曲「恋のミュージックアワー」。
単純に可愛くて、純粋に前向きな、たわいないラブソングであるが、
コメント欄に「あなたのおかげで私はたくさんの友達ができました。」とあるように、
MVは「Tell Your World」のオマージュといえるような作品である。


このMVから受ける印象は「あの頃は楽しかったね」といったものだろうか。
初音ミクの歌わせ方など、滑舌も改良されて、抜群に可愛くなっているが、
それも今では空しく感じるばかりである。

Google Chromeのキャッチコピーは「Everyone Creator」だった。
それは初音ミクも同様だと思う。

初音ミクが出てからの2・3年は、
多くの者がこの言葉を信じていたか、信じてみようかなという気分になっていた。
熱い想いがあって、気の利いたフレーズを思い浮かべることができたなら、
彼女が歌い、作曲支援ソフトが伴奏を付けてくれる。
ニコニコ動画に投稿すれば、誰かが聴いてくれて、評価してくれる。
さらには画を付ける奴、歌う奴、踊る奴、歌詞を深読みして小説を書く奴。
ボーカロイドが、インターネットが、人と人を結びつけ、
「音楽好きだけど引き籠もり気味な兄ちゃん」たちのリハビリになっていたことは確かだ。

「米津玄師」氏は、才能有る男だから、初音ミクに関わろうが無かろうが、世に出てきただろうけど、
「ハチ」としての活動が現在の彼を作っていることは間違いない。
「Everyone Creator」という謳い文句は、そりゃあEveryoneというわけにはいかなかったにしても、
少なくとも嘘では無かったのだ。

パソコンが世に出たばかりの頃は、基板を集めて自作する奴も少なからずいたし、
プログラムは、自分で組むものだった。
本田宗一郎のバイクだって、山葉寅楠のオルガンだって、全て素人の手作りから始まっている。
いつの時代だって、技術的に未発達な頃は誰でも参加できるのだが、
やがてレベルが上がるにつれて敷居は高くなり、素人は手が出せなくなっていく。

ボーカロイドも制作するものから、しだいに鑑賞するものに変わっていった。
今では、素人が楽曲をニコニコ動画に投稿したところで、誰も聴いてはくれないだろう。
そのニコニコ動画も、最近はユーチューバーにとって変わられた感がある。
インターネットは、自らも参加するものから、一方的に情報を受け取るだけのものになってしまった。
流行のインスタグラムだって、やがて素人の投稿は無視され、
一部の人気インストグラマーの投稿だけが相手にされるようになるだろう。

もはや「何を発信したか」でなく「誰が発信したか」だけが重要なのだ。
そして、「Everyone Creator」は夢物語となり、ボーカロイドは誤解の海の中に沈んでしまった。

って、ここで力説したところで、こんな素人のブログなんて、誰も見向きもしてくれないだろう。

と云うことで、「恋のミュージックアワー」のMMD動画バージョンでお終いにします。
やっぱり、初音ミクには、MMD動画が似合うし、MMDと云えば「艦これ」だと思う。


あっ、これのせいか・・・。

2018年3月14日水曜日

ウォーターライン製作記 ⑩ 駆逐艦物語 と「恋のミュージックアワー」feat.初音ミ

太平洋戦争とは、太平洋という広大な戦域を舞台に繰り広げられた、史上最大の海戦の連続である。
当事国が国力の全てをつぎ込んで全面対決するなど、もはや現代では考えられないことであるから、
この大戦は、最大で最後の海戦とも云えるだろう。

太平洋という広大な戦域を支えるのは、並大抵のことでは無い。
元々、日本海軍は、ロシアのバルティック艦隊と戦った、日露戦争での成功体験を基に、
局地的な短期決戦、しかも専守防衛を戦略の柱にしていたから、
太平洋全域で戦うなんて、最初から無理な話であった。
それでも、開戦から2年近くの間、戦線を持ちこたえることができたのは、
駆逐艦に代表される、補助艦艇の活躍があればこそである。


彼女たちは、戦艦に従い敵艦隊を攻撃する先兵となり、
輸送船や航空母艦を敵航空機や潜水艦の脅威から防衛する任務を担い、
討ち沈められた僚艦の乗組員を救助し、
制空権も制海権も失われた海域で、飢えに苦しむ守備隊に食料を届けた。

日本海軍は、ワシントン及びロンドン軍縮条約によって、軍艦の建造を日:米で3:5に制限された。
今でも、軍事ヲタクの中には、この条約が無ければ、日本は制限無く軍艦の建造が出来て、
戦争に勝てただろうなどと云う奴がいるが、見当違いも甚だしい。
日本が3しか建造できないのでなく、アメリカが5しか建造できないように制限をかけたのである。
つまり、制限をかけられたのは米国の方であって、条約の恩恵を一番受けたのが日本なのである。
後に条約が無効になって、日米が際限なく軍艦の建造を競った結果を見れば、明白だろう。

とは云っても、主力艦が制限され、数の上では不利になった日本海軍は、
その不足分を駆逐艦の水雷攻撃で補う戦略を立てる。
そこで建造されたのが、「酸素魚雷」を搭載し、対艦攻撃力を重視した「艦隊型駆逐艦」である。
条約により、補助艦艇についても制限を受けた日本は、1隻あたりの性能を上げることを追求する。
その結果、日本の駆逐艦は、1対1の戦闘になれば勝つことができたと云われているが、
高性能を追求するほど、構造は複雑になって量産化は難しくなり、
航空機やレーダーの発達によって、海戦の有様も大きく変化してしまい、
時代の流れからも取り残されることになる。

彼女たちは、数的不利のなか、不向きな防空戦や対潜水艦戦に挑み、
また、高速輸送船として駆り出されていったのだ。

軍隊は、完全な縦社会で、極度のストレスにさらされているから、凄惨な虐めが横行していたと云う。
それは、戦艦などの大型艦になるほど酷く、例外は、航空兵と、潜水艦乗りだけだったらしい。
パイロットの育成には、莫大な費用と時間が必要で、戦闘が始まれば艦隊の運命は彼らに託されたし、
潜水艦は一人のミスが命取りになり、撃沈されれば全員が戦死するという運命共同体だった。
どちらも、「個」の技量が重視される任務である。
「個」が尊重される環境では、虐めは発生しない。

駆逐艦もそれに近かった。
さらに、狭い艦内の生活環境は劣悪だし、上官だからと威張っているばかりでは、船は動かなかった。
しかも、駆逐艦の防御力は脆弱であったから、艦長以下全員戦死という艦も少なくない。
虐めが無いのは、過酷な環境の裏返しでもある。


日本海軍の駆逐艦は、常に最前線におくられた結果、そのほとんどが撃沈されてしまい、
開戦時、百隻以上あった艦艇のうち、終戦まで健在だった艦は10隻にも満たなかったと云われている。
日本海軍が敗北したのは、駆逐艦の喪失により戦線の維持ができなくなったことが大きい。
巨大な戦艦が温存され続けたあげく、燃料不足で出撃できず、
軍港に係留されたまま終戦を迎えたのとは、対照的である。


戦後、「ミサイル」が攻撃兵器の主になることで、戦艦のような巨大艦は不必要となり、
海軍の主力は、航空母艦やイージス艦などに変わっていった。

日本海軍は、海上自衛隊と名を変え、配備された軍艦は護衛艦と呼ばれるようになった。
実は、護衛艦は、系統上は駆逐艦の後継にあたる。
海上自衛隊の汎用ミサイル護衛艦には、旧日本海軍の駆逐艦の名前が使われているものが多い。

大戦によって失なわれた旧日本海軍の多くの駆逐艦、
彼女たちの名前は、国防の主役、護衛艦の艦名として、今も受け継がれている。


で、貼り付けさせていただくのは、初音ミクの歌う「恋のミュージックアワー」です。
記事と若干のギャップがありますので、閲覧される場合は近くに人がいないか、確認してくださいね。


こんなに無条件に明るいボカロ曲、久し振りです。
最近は、「刀剣乱舞」に押されっぱなしの「艦これ」ですけど、
艦これの駆逐艦娘も可愛いですし、楽曲もイイ感じだし、明日もお仕事頑張ります!

2018年1月26日金曜日

人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道

ミクは、タクシーを止めると崩れるように乗り込み、無人の運転席に向かって言った。
「出してちょうだい。」
「お客さん。どちらまで。」
人工会話システム「トークロイド」の声が響いた。
「・・・どこでもいいわ。」

タクシーがAI搭載の自動運転になって久しい。
以前は人間が運転していたとのことだが、無人となっても特に不自由することは無い。
搭載されたAIは、交通情報を分析して、最適なルートを選択してくれるし、
話しかければ世間話にも付き合ってくれる。
車内に設置されているカメラによって、乗客の感情分析もしているのだが、
まあ、これは余計なお世話になることもある。

「今ね、彼と別れてきたところなの・・・。」
わずかな沈黙、搭載されたAIの思考。
再びトークロイドの声が響いた。
「かしこまりました。」
AIはミクを乗せて街を走り出した。
何処へ・・・?


近未来の人工知能社会ということで、「星新一」っぽくショートショートで始めてみました。

人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」。
このテーマは、昨年の夏にいただいたコメントを受けて、取りかかっていたものでした。
「でした」というのは、記事を書いている途中でパソコンが壊れてしまって、
全てが消えてしまったからです。
その時は、簡単に書き直せるって思ったんですが、進まないうちに時期を逸してしまって・・・、
そのうちにAIの新しい知見がドンドン登場してきて、お手上げ状態になっていたものなんです。
で、今回、お手上げ状態には変わりませんが、ずらずらと妄想してみました。


人工知能と云って、まず思い浮かべるのは、
囲碁において、ついに名人に勝ったという「アルファ碁」でしょうか。
AIは、オセロ、チェス、将棋に続いて囲碁でも人間を超え、
ゲームの世界では、既にAIに敵うのはAIという時代になっています。

これらのゲームソフトで重要な役割を果たしているのは、
「評価関数」と呼ばれているプログラムです。
「評価関数」は、局面の有利不利を数値化して判定するもので、
優れた評価関数を持つことが、ソフトの強さにつながりますから、プログラマーの腕の見せ処でした。
しかし、終局までの全ての指し手を解析することは不可能です。
探索に限界がある以上、目先の効果(と云っても20手先とかですが)で決定するしかなく、
コンピューターでは大局観を持つことが出来ないという課題がありました。

人工知能の手法によって改良された「アルファ碁」が従来のソフトと大きく違っているところは、
「機械学習」によって、膨大な棋譜データや自身との対戦で「勝手」に上達するところにあります。
「ディープラーニング」を取り入れたソフトの指し手は、完全に「ブラックボックス」となっていて、
何故そういう指し手に決定したのか、制作者でさえも説明できないと云います。
人工知能は、擬似的な大局観を持ち、
目的を達成するためには、自らを動かしているプログラムさえ書き換えてしまう、
という段階にあるのです。

さらに、最新の「アルファ碁ゼロ」や将棋やチェスにも対応できる汎用型の「アルファ・ゼロ」は、
既存の棋譜データに頼らず、何千万局というAI同士の対戦による強化学習だけで、
自らの力で定石を編み出しながら上達し、
李九段に勝った旧式AIソフトと対局して、100戦100勝という成績をあげているそうです。
人間が教えない方が強い(但しハードウェアのコストを度外視した場合)というのは、
人間の智の遺産である「定石」が凌駕されたことになりますから、画期的な出来事といえます。
 
音楽の分野では、AIによる作詞や作曲が現実になりつつあります。
いずれもいくつかの条件を指定すると、それに応じて詞や曲を作成するというものです。
作詞については、それらしい言葉を適当に選んで組み合わせれば、それなりのモノになりますし、
作曲については、音楽理論なるものが既に構築されていますから、
王道の循環コードにメロディーをそれなりに付けていけば、それっぽい曲を作ることができます。
コードに合わせてコンピューターがベースラインを自動で付けるなんてのは、
AIがどうという前から、作曲支援ソフトなどで既に実現している技術です。
作詞も作曲も定型化されたものですから、作品のデキを高く求めない、それっぽいレベルであれば、
コンピューターによる作成も可能な時代になっています。

では、ボーカロイドにおける人工知能の役割とは如何なるものなんでしょう。
 
ボーカロイドとは、音符と歌詞を入力すれば、それなりに歌うことのできるソフトです。
ただし、そこには「歌う」という行為は存在しません。
ですから「言葉を使って演奏している」と言った方が正確かもしれません。
しかし、「言葉」の存在によって、人は「演奏」の向こう側に「歌う」という行為をイメージします。
それは、欺されているというよりは、人間が持つ感性によるものです。

ボカロPの役割は、その「言葉を使った演奏」を、あるときは人間の歌唱に近づけて、
また、あるときは機械らしさを前面に出して、作品を完成させることでした。
彼らが「P」を名乗るのは、音楽プロデューサー的役割を果たしていることを自認しているからです。

人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」とは、
ボカロPの関与を必要としない、自立型のボーカロイドと定義できそうです。

「初音ミクAI」が最初にすべきことは、歌詞の内容を理解することです。
「東ロボ君」の記事でふれたように、AIにとって文章理解は最大の難関で、
現在の技術的アプローチでは、真の意味での読解は不可能とされています。
ただ、歌詞というのは、特殊で限定された文章です。
一青窈の「ハナミズキ」が9.11テロを鎮魂しているなんて読解は問題外ですが、
歌唱に反映させる程度の読解はそう難しいものでは無いように思います。

歌詞の内容を理解した「初音ミクAI」は、その結果を歌唱に反映させます。
従来の「調教」は、ボーカロイド歌唱の不自然さを修正するのが主目的でしたが、
それについては、ソフトウェアの改良によってクリアーできようになってきています。
ですから、「初音ミクAI」の最初の課題は、限りなく人間の歌唱に近づく、
つまり、悲しい歌を悲しそうに歌うことを可能にする、ということになります。

AIに期待するのは、息成分や声質などの様々なパラーメーターを自らコントロールすることで、
与えられた楽曲に相応しい歌唱を作り上げることにあります。
ネット上に存在する、無数の歌唱から歌唱テクニックを獲得するのも勿論ですが、
重要なのは、強化学習によって、自らの歌唱の中から最適な歌唱を決定させることにあります。
人間だって、レコーディングの時は、何テイクも録って、最良のものを求めるわけですが、
「初音ミクAI」は、そのテイク数が何千万通りも可能であるわけです。

「初音ミクAI」は、各パラメーターの気の遠くなるような組み合わせから、最適な歌唱を決定します。
この場合の最適な歌唱とは、人間のような自然な歌唱です。
例えば、松浦亜弥的歌唱法をAIによって再現させると云うことも可能になります。
本人の音声データを使えば、区別できないくらい似せることも可能になるわけです。

しかし、ここに評価という最大の問題があります。
人間のレコーディングでしたら、コントロール・ルームにいる「P」さんが、
「それじゃあ伝わらないなぁ」なんて1つ1つダメ出しするんでしょうけど、
AIの強化学習は、何百万、何千万通りという歌唱パターンを評価していくわけですから、
AI自身による自己評価が可能なシステムを構築しなければなりません。
ゲーム分野、例えば将棋の評価規準は、勝敗や駒の損得率などから構築することができますし、
車の自動運転だって、安全で効率的なルート設定という明確な目的があります。
それと比べて、歌唱の優劣についての評価規準の構築は、そう簡単なものではありません。
そもそも、歌唱に優劣など存在するのかという問題もあります。

どんな歌唱に感動するのかなど個人の好みの問題で、規準など存在しない、
という考えもあると思います。
しかし、私たちは歌唱に関して、何かしらの共通した認識を持っていることも確かです。
この共通した認識を解明し、歌唱における評価関数を構築することこそ、
「初音ミクAI」を成功させる最重要な課題と云えます。

では、歌手の皆さんはどのようにして自己の歌唱を評価しているのでしょう。
今日のライブは上手く歌えたという印象は、どのようなときに持てるものなんでしょうか。
声が出ていたとか、音を外さなかったというレベルなら、現状のボーカロイドでも自己評価可能です。
今日は気持ちよく歌えたとか、観客と一体になれたなどと云う場合は、
その根拠を探らなくてはなりません。

一方、私たち聴き手は、どのような歌唱に出会ったときに、感動するのでしょうか。
歌に心がこもっているとき・・・よく耳にする言葉です。
しかし、歌といえども音です。
空気の振動という物理現象です。
物理現象ならば、心がこもっている歌唱と、そうでない歌唱には、解析可能な違いがあるはずです。

人の歌唱というのは、大変不安定なもので、揺らぎまくっています。
また、感情が高まれば、心の動揺が歌唱に反映されていきます。
それらには、意図的なもの(テクニック)もありますが、
そういった歌の揺らぎが、聴き手の心の襞に作用することによって、感動が伝わるのです。
この揺らぎこそ、従来のボーカロイドが再現できていない部分であり、
聴いたときに、違和感をもたれる最大の原因です。

しかし、人間の歌唱であっても、YouTube動画やCDで聴いている時点で、
それらは既にデジタル化され人工的に再現されたものです。
生のライブでも、マイクを通して、スピーカーから聞えてくる歌声は、
厳密な意味で、もはや肉声とは云えません。
音という観点で考える限り、発生源が人間であれ、機械であれ同等なのです。
それでも、人間の歌唱と人工的に作り出したボーカロイドの演奏が同じでないと云うのなら、
それは違うのでなく、足りないにすぎません。

「初音ミクAI」は、その膨大な足りないモノを、評価関数による解析を基に補うのです。

しかし、これは、「初音ミクAI」の最終目的ではありません。

将棋の対戦で、AIは人間だったら絶対に指さない、悪手を平気で指してくると云います。
AIは、恐れを知りません。
人間のように先入観や固定観念に縛られない非常識な発想が、新たな手法を生み出し、
それらは人間にフィードバックされていくわけです。
 
「初音ミクAI」に、真に期待するもの。
それは人間の真似ではない、全く新しい歌唱法です。
歌唱における評価関数が構築されたとき、
「初音ミクAI」は、僕らをどんな世界へ連れて行ってくれるのでしょうか。