2022年11月13日日曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その9 ~函南町「仁田忠常 墓」~

伊豆の国市「北条邸跡」の背にある守山の展望台から、田方平野を眺めてみる。

すぐ西側を流れる狩野川を越えたところにあるのが、江間氏の館跡。領主である「江間次郎」は、頼朝の旗挙げには加わらずに伊東祐親に従ったとされている。田方平野の他の豪族たちは、皆、頼朝の旗挙げに参加しているから、江間氏が反源氏方になったのは極めて不自然だが、何か特別な事情があったのだろう。ドラマでは、江間次郎を伊東祐親の家人のような存在で描いていた。江間氏が滅亡した後、北条義時は頼朝からこの地を与えられ、江間義時を名乗ることになる。実家のすぐ隣に、次男が家を建てた感覚であろうか。

江間の南、伊豆長岡の辺りは、後に九州惣追捕使に補任された「天野遠景」の領地。その対岸、北条の南隣には、「南条」を名乗る小豪族(北条の家人とも)の館があったらしい。その先は、田代信綱や加藤景廉、狩野茂光の領地と続いている。東側には、旗挙げの最初の標的になった山木判官「平兼隆」と後見役「堤信遠」の屋敷がある。そして、北条の北隣、函南町仁田郷を領地としたのが「仁田忠常」である。

北条邸から半径数kmの範囲には、分かっているだけでもこれだけの豪族の領地がひしめいているわけで、いかに北条が伊豆の小領主であったのかが分かる。

北条の屋敷から仁田の屋敷までは、直線で約4km。私鉄ローカル線伊豆箱根鉄道(いずっぱこ)で2駅の距離である。北条と仁田に姻戚関係があったかどうか分からないが、これだけのお隣同士であれば、両家はドラマのように近しい間柄だったのだろう。

ちなみに、2つの領地の間に「長崎」という地区がある。ここは、鎌倉時代末期に活躍(?)した内管領「長崎円喜」の領地があったところで、地区内には円喜の墓もあるらしい。長崎氏は、ドラマで出てきた「鶴丸(平盛綱)」の子孫で、この地を領有したことがきっかけで「長崎」を名乗った。長崎氏は、北条家の家人であったので、北条の領地を分けて貰ったのだろう。政治を腐敗させ、鎌倉幕府を滅亡に導いた張本人とされる有名人の名前の由来が、地方のこんな小さな字名だったとは驚きである。


さて、北条家と近い関係にあった「仁田忠常」は、頼朝の旗挙げには最初期から参加していたようだ。ドラマの中で「初めての戦で腕が鳴ります。」という台詞があった。旗挙げ時の忠常は未だ13歳で、初陣だったとされている。子役が演じていても良いくらいである。今回の大河ドラマでは、実年齢と見た目が大きく離れていることが多い。

彼は四郎と呼ばれていたから四男だったようだ。ドラマでは忠常しか登場しなかったが、兄の次郎忠俊は、石橋山の合戦で討ち死にしたとある。他の兄たちも、早くに亡くなったようで、忠常は若くして当主となり、二人の弟たちと共に仁田家を盛り上げていくことになる。

北条にとっても、若年で気心の知れた仁田は、使い勝手の良い存在だったのだろう。平家追討軍として全国を転戦し、富士の巻き狩りの猪退治や、人穴伝説などの武勇伝も伝わっているから、優れた武将であったことがうかがえる。

源頼家からの信頼も厚かったようだが、そのことが仁田氏滅亡の要因になってしまったのは気の毒なことである。忠常の最期は、吾妻鏡と大河ドラマで大きく異なるが、忠常が亡くなった後の仁田氏は、鎌倉幕府と関わることも無く、政治の舞台からは消えてしまう。


しかし、仁田忠常の子孫は、御家人でなくなった後も、百姓として仁田郷に住み続けた。百姓と云っても、広い土地をもつ豪農である。仁田氏の館跡には、今も仁田さん(忠常から40代目)が住んでいらっしゃる。今でも広い屋敷であるが、かつては一町歩(1ha)あったという。屋敷の周りには、土塁や堀の跡が残っている。何よりも凄いのは、800年以上経った今も、仁田さんが住んでいるということ。権力を握った北条氏は滅亡し、韮山の地には伝承しか残っていないことと対照的である。

忠常と二人の弟の墓もここにある。墓は屋敷内の私有地にあるが、仁田家のご厚意により自由にお参りすることができる。

マジックインキで書かれた案内板。「ティモンディ高岸」の直筆とのことであるが、だったら、ちゃんとサインをしてもらうべきであろう。知る人が居なくなれば、捨てられそうで心配になる。


仁田家の当主は代々「大八郎」を名乗り、戦国大名「後北条氏」の家臣と姻戚関係を持ったり、江戸時代には名主を務めていたようだ。時代が変わって支配者が交代しても、しぶとく存続できるのが百姓の強みと云える。


近代になって、37代目「大八郎」は、明治35年に田方農林学校(現静岡県立田方農業高校)の初代校長になった。農学校の設立にあたっては、仁田家が資金の半分を寄付したそうだ。戦前までは、この辺の土地は全部仁田家のものだったんだと思う。

「田方農業高校(でんのー)」は、今年で創立120周年。今では珍しい農業高校である。僕の親世代では、農家の跡取り息子が通う学校だったが、僕が学生の頃には、県立高校なら何処でも良いみたいな奴が通っていた。線路沿いに演習畑や牛舎があって、頭に波動砲を乗っけた奴が朝から農業実習に取り組んでる姿が、電車の窓から見えたものだ。ところが今では、食品や園芸、動物飼育が学べる高校として、女子中学生に人気の学校だそうだ。7割が女子生徒と云うから驚きである。

大八郎氏は、他にも丹那牛乳の売り込みなど函南の産業振興に貢献した。実は、伊豆箱根鉄道を設立したり、伊豆仁田駅を開業させたのも氏の功績なのだそうだ。後に、帝国議会の衆議院議員にもなっている。

ティモンディ高岸さんは、仁田忠常を演じるにあたって、函南町に挨拶に来たそうだ。高岸さんは、体育会系のお笑い芸人で、声も大きく極めて礼儀正しいから、町のお偉方は、「今時珍しい若者だ」とえらく気に入ったらしい。売れっ子で忙しそうだけど、これを機会に交流を始めていただければ嬉しい限りである。

2022年10月29日土曜日

松浦亜弥さんの短すぎる新曲予告が、頭の中でずっとリピートしている

Yahoo!ニュースによりますと、以前から話が出ていた、橘慶太氏がプロデュースし、松浦亜弥さんが歌唱した未発表曲のリリースが告知されました。

6年前に制作した曲で、w-inds.のファンの間では知られていた曲のようです。さわりの部分だけが公開されていますので、視聴させていただきましょう。YouTubeで検索しますと、「Yeah!めっちゃホリディ」のPVを差し置いて、一番上に出てきました。こんな時代が来るなんて誰が予想したでありましょうか。コメント欄も賑やかでした。

楽曲名は「Addicted」でよろしいのでしょうか。addicted to youだと「あなたに首ったけ」となるようです。

出だしにアナログレコードを思わせる雑音が入っていて面白いです。曲が制作されたのは6年前と云うことですけど、おそらく歌声も6年前のものなんでしょう。出だしの部分ですから、淡々と歌っているように感じます。短すぎてよくわからないですけど、頭の中でずっとリピートしていますから、ここから、サビ前、サビとどのようになっていくのか楽しみです。普通は、一番インパクトのあるところを出してくるものだと思いますが、こういうマニアックなところが彼らしいというか。

まあ、どんなに斬新な名曲でも、聴いてもらってナンボですからね。知名度(?)のある歌手に楽曲を提供するのは正しい選択でありますし、ネットニュースの取り上げられ方を見ても、注目度はまずまずではないでしょうか。

6年間あためていたのは、子育ての関係でしょうか。家庭のことをやりながら、片手間に曲を出していくというスタンスであれば、6年前に発表していたはずですから、ここまで引き延ばしたということは、活動再開がそれだけ本気であるように思えますし、そうであれば嬉しい限りです。

2022年10月11日火曜日

フィギュアスケート「紀平梨花」 2022中部選手権大会からのジャパン・オープン

 紀平梨花選手(梨花ちゃん)が、アイスリンクに戻って来ました。足の怪我は、まだまだ完治していないようですが、年末の全日本選手権に出場すべく、中部選手権に出場したようです。欠場している間にシード権も失っていたようで、予選からの出場となりました。幕下に陥落した大相撲の力士みたいですね。

1年半ぶりの実戦だそうです。YouTubeに動画が上がっていましたので、視聴させていただきましょう。

まずは、ショート・プログラムです。今シーズンも、昨シーズンと同じ楽曲で滑るようです。

ジャンプ構成は、

①2A  ② 3S+2T  ③3T

といったところでしょうか。3つめのジャンプですけど、何てジャンプか分からなくって、繰り返し再生してしまいました。単独での3トゥループなんて見たことなかったものですから。

相変わらず、どんなに絶不調でも、2アクセルと3サルコウは跳べるようですが、フリップやルッツは厳しいようですね。右足首の怪我ということでしたけど、右足での踏み切りはOKでもトゥを突くのはダメということでしょうか。となると、左足踏み切りで、右足のトゥを使わないサルコウが、一番負担がないジャンプと云えそうです。

こちらは、フリー演技です。昨シーズンに準備していた「タイタニック」を今シーズンも使うようです。


①3S+2T   ②2A+2T   ③2Lo    ④1A(転倒)  ⑤3S   ⑥1A+2T   ⑦2Lo

ジャンプの練習を始めたのが2週間前だそうです。跳べるジャンプに限りがありますから、どうしてもリピートになってしまいますね。4番目のジャンプは、アクセルからの3連続にしたかったのかもしれません。が、転んでしまいましたので、6番目にもう一度チャレンジしたように思います。セカンドジャンプが流れてしまったので、3連続にはなりませんでしたけど、ドン底の状態でも、リカバリーを考えてくるところは、さすが梨花ちゃんです。1アクセルは、2アクセルの失敗でなくって、最初から1回転半の予定だったように思います。1アクセルの練習なんてしないでしょうから、回転が少な過ぎて、逆に跳びにくそうでしたね。

ジャンプ以外では、スピンもレベル3が多かったようです。ビールマン・スピンをしませんでしたが、これは足首の影響でしょうか、それとも腰の状態も良くないのでしょうか。

兎に角、この演技が、新しい梨花ちゃんのスタートでありました。

さて、こちらは、中部選手権の2週間後に開催された「ジャパン・オープン」の演技であります。同じ楽曲ですけど、衣装が違いますね。こちらの方が良い感じです。


演技の後で、絶対「まあまあ」って云ってます。

ジャンプ構成は次のようであります。こちらは、採点表でも確認しましたから、間違いないかと思います。

①3S+2T  ②2A+2T  ③2Lo  ④3T   ⑤3S   ⑥2A+1Eu+2S  ⑦2Lo 

2週間で、構成を変えてきましたね。6番目の3連続ジャンプで、ステップアウトしましたけどマズマズのデキではないでしょうか。2番目のセカンドジャンプで片手を上げたりと余裕のジャンプでした。3トゥループを付けられないと判断して、代わりに2回転のタノジャンプにしたのでしょう。1アクセルは2アクセルに修正してきました。

フリップもルッツも封印して、3回転も3本だけ。寂しい限りですけど、この構成で100点越えは凄いと思いますし、楽しそうに演技しているのが伝わってきて、こちらまで楽しくなってきました。梨花ちゃんのスケートをこんなに楽しく見たのは、久しぶりに思います。

できなくなったことを悲しんでいても、仕方ありませんからね。できるようになったことを1つ1つ積み上げていくしかありません。そして、それを一生に喜びたいと思います。

次の大会は、10月28日からの「スケートカナダ」だそうですけど、こちらは出場権があるようです。あと半月後。負担になっていないか心配でありますけど、次は、何をやってくれるんだろう、って云うわくわく感が、戻ってきて嬉しい限りです。

年末の全日本選手権では、是非ともSPで上位に食い込み、フリー演技を放送時間帯にできるようになってくれれば、と願っております。

2022年9月17日土曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その8 ~「修禅寺」「指月殿」「安達盛長墓」「源範頼墓」~

「修善寺温泉」は、平安時代前期に開湯された、伊豆で最も歴史ある温泉である。昔、冷たい川の水で病気の父親の体を洗っているのを見た旅の僧侶(実は弘法大師)が、独鈷で岩を突いたところ、岩が割れ温泉が湧き出てきたのが、修善寺温泉の始まりらしい。


修善寺は、大同年間に空海によって創建された「修禅寺」の門前、桂川に沿ってひらけた温泉街である。隣町には、同じように古い歴史をもつ「伊豆長岡温泉」がある。皇室御用達の超高級旅館「三養荘」が有名だが、僕らのイメージは、伊豆長岡は忘年会でハメをはずして、温泉まんじゅうを買って帰るところである。


一方、修善寺温泉は、伊豆の小京都とよばれ、文人墨客に愛された落ち着いた佇まいの温泉である。この違いは、やはり修禅寺の存在が大きい。鎌倉時代の修禅寺は大変広大で、現在の温泉街も寺域の一部に過ぎなかったそうだ。この地が範頼や頼家の幽閉先に選ばれたのも、修禅寺の存在と無縁ではないと思う。

こちらが以前、1200年の伝統を誇る修禅寺でいただいた御朱印である。今までたくさんの御朱印をいただいてきたが、このシュールさは五本の指に入る。

こちらが修善寺温泉のシンボル「独鈷の湯」である。以前は入浴できたが、(但し、道路からは丸見え)現在は見学だけで、足湯も禁止とのことである。桂川の中なので洪水によって流失してしまうこともあり、台風が接近する度に、東屋を解体していたらしい。2004年の台風では、土砂に埋没してしまった。この時は、修善寺の温泉街も大きな被害を受けた。桂川が氾濫したのは、独鈷の湯で川の流れが妨げられたからとされ、近くの公園に移設する話がでたそうだ。温泉街を守るために独鈷の湯を撤去するってことだが、独鈷の湯あっての修善寺温泉なわけで、当然のことながら反対運動が起きた。で、解決策として、19m下流の川幅の広い場所に岩ごと引きずって移動することになった。独鈷の湯の源泉は既に枯れていて引き湯をしていたそうだから、モニュメントとしては、これでOKなんだろう。せっかく来たのに入浴できなくて残念という観光客の書き込みを見るが、草津温泉の湯畑だって入浴してる奴はいないし、すぐ近くには、足湯も日帰り温泉施設もあるから良しとしていただこう。

「指月殿」は、独鈷の湯からすぐ、桂川の右側の斜面を登った所にある。1203年(建仁3年)に「北条政子」が、頼家の菩提を弔うために建立したという伊豆最古の建築物だそうだ。鎌倉時代の建築物ならば国宝指定されてもおかしくないのだが、市の指定文化財で留まっているのは、修繕されている部分が多いのだろう。

安置されているのは釈迦如来坐像で、こちらは県の指定文化財である。檜の寄木造りで、像高203cmという堂々としたお釈迦様だ。鎌倉時代の作とのことであるが、重要文化財に指定されないのは、やはり後補の部分が多いと云うことだろうか。

以前は、両脇に等身大の仁王像が置かれていたのだが、こちらは最近、修禅寺の山門に移された。平安時代作とされているが、文化財の指定は無いようだ。仁王像は野外の過酷な環境にあるから、何度も修繕されていることが多い。結果としてオリジナルの部分が少なくなってしまい、文化財の指定が受けられなくなる。ただ、この像は、後補の部分が多いとしても、ユーモラスで藤原時代の仁王像っぽさは十分に感じることができる。修禅寺の山門に移った仁王像は、ガラス窓で囲まれていて、風雨からは守られるようになった。ただ、修禅寺を訪れた人たちは、そのまま門を通り抜けてしまうので、指月殿に居たときの方が、存在感が何倍もあったように思う。

指月殿の左には「源頼家」の墓がある。正面の大きな石碑は五百年忌に建てられた供養塔で、その裏に隠れている小さな塔が墓なんだそうだ。三基ある五輪塔の真ん中が頼家で、両側が若狭局(ドラマでは「せつ」)と「一幡」といわれているが、正面からは供養塔しか見えないから、誰だってこれが墓だと思うだろう。本当の墓を見るためには、ぐるりと回り込まなくてはならず、写真を撮るために墓域に入ってしまう人もいるそうだ。何故、このような配置にしたのかは謎である。

指月殿は、北条政子が頼家の冥福を祈って寄進した経堂である。さらに政子は、七回忌には重要文化財に指定されている「大日如来座像」を造らせている。頼家は北条氏によって暗殺されたが、供養を蔑ろにされていたわけではない。そう考えると、供養塔の裏側にある五輪塔は、頼家の墓としては不自然なほどに小さい。まあ、全成の墓も実朝の墓も小さかったから、鎌倉時代は大きな墓石を造らない時代であったのかもしれない。

境内には、頼家に殉じた13人の家臣の墓もある。彼らは、頼家暗殺の6日後に謀反を企てるも、北条義時が派遣した金窪行親に討ち取られたとある。家臣だけで謀反など起こせるわけはないから、攻められて致し方なく反抗したのであろう。もともと墓は別の場所(頼家が幽閉されていた庵の跡地)にあったそうだが、2004年の台風による土石流で埋没してしまい、ここに移設されたらしい。右側の古い3基が本来の供養塔で、他は土石流によって失われてしまったとのことである。

こちらは、ネットで見つけた、移設前の貴重な写真である。

大河ドラマでの頼家は、伝えられてきた人物像が、上手い具合にデフォルメされていて良かったし、「金子大地」君の好演が光っていた。伊豆では、悲劇の武将「源頼家」の好感度は高い。二代目鎌倉殿として尊敬と憧れの存在であったのだろう。

「安達藤九郎盛長」の墓は、修禅寺の左の脇道を登りつめたところにある。伝安達盛長墓というのは、全国にいくつかあるらしいが、藤九郎は、頼朝が亡くなった後、出家して修善寺で隠居したと伝わっていて、それが、墓がこの地にある理由だ。

頼朝は14才で伊豆に配流されたが、その時の最大の援助者が「比企の尼」である。藤九郎は比企の尼の娘婿で、尼の命で頼朝の従者になったようだ。頼朝より12才年上で、佐殿の人脈の形成から女性の調達まで、流人時代を支えた唯一の家臣である。旗挙げの際には、坂東の豪族への根回しに帆走し、鎌倉殿の13人に名を連ねる宿老となったが、生涯無位無官であったと云う。自身の出世よりも、頼朝の従者の勤めに徹した一生だったのだろう。安達氏が御家人の筆頭として勢力を伸ばすのは、5代執権「北条時頼」の時代からである。

「野添義弘」さんが演じた安達盛長は、癒やし系キャラで人気も高かった。今回の大河ドラマでは、定説とされている人物像にアレンジを加えることが多いようだが、藤九郎に関しては、こうあって欲しいというキャラクターで描かれていて嬉しい限りである。

今、配られている観光マップには藤九郎の墓が紹介されているが、少し前に設置された案内板には、頼家と範頼の墓は載っているが、藤九郎の墓は記載されて無い。大河ドラマのおかげで、安達盛長も世間に知られるようになり、墓を訪ねる者も見られるようになったとのことである。


「源範頼」の墓は、藤九郎の墓の近く、温泉街を見下ろす丘にある。「正岡子規」は修善寺を訪れた時に「此の里に かなしきものの 二つあり 範頼の墓と頼家の墓」と詠み、「夏目漱石」は「範頼の 墓濡るゝらん 秋の雨」という句を残しているそうだ。和歌のことはよく分からないが、有名な人の作なので、きっと名歌なのだろう。立派な墓石は、昭和7年に、日本画家「安田靫彦」のデザインにより建立されたとあるから、子規らは、この墓石を詠んだわけではない。


お墓の周りは、小さな公園のようになっていて、立派な案内板も立っている。明治までは、ここに八幡宮と称された小さな祠があり、範頼の墓として密かに祀られていたらしい。つまり、この地が範頼の墓だと公にされたのは、明治以降ということになる。謀反人であるがゆえに、幕府を憚って偽祭したとのことであるが、鎌倉時代が終わった後も、偽祭されつづけたのは気の毒な話である。
実は、範頼は、修善寺に幽閉された記録は残っているが、暗殺されたという確かな証拠は無いそうだ。範頼が落ちのびたとされる地は、全国各地に伝わっている。


墓苑のすぐ隣に古民家カフェがあるので、お庭を眺めながら抹茶白玉あずきをいただこう。縁側には、範頼を演じた「迫田孝也」さんの色紙が置かれていた。日付がドラマが始まる1年も前だったので、配役が決まったときにお参りにきたのだろう。源平合戦では、名将である義経と凡将な範頼というように、二人は対照的な人物として描かれてきた。大河ドラマでも変わりはないのであるが、義経をサイコパス的に描いているために、蒲殿がとても良い奴になっていて面白かった。範頼は、歴史の教科書に出てくる有名人であるにもかかわらず、大変地味な存在なので、ドラマが始まる前までは、カフェを訪れる人はいても、墓を訪れる人はほとんどいなかったらしい。


小さな庭だが、手入れは行き届き、伊豆の山並みが借景になっていて、のんびりと素敵な時間を過ごすことができる。明治時代の建物そのままということでエアコンは無いが、蚊取り線香の匂いと風鈴の音、吹き抜ける風が心地よく、散策のゴールにするには至高の場所である。ただし、不定休であるので、ここまで来て休業日だったときのダメージは計り知れない。

2022年9月4日日曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その7 ~「阿野全成」と沼津「大泉寺」「興国寺城跡」

「阿野全成」は、源頼朝の異母弟、義経の同母兄である僧侶・武将です。

平治の乱で源義朝が敗れたとき、側室の常磐御前は「今若」「乙若」「牛若」の3人の男子を連れて逃げましたが、都に残った母が捕らえられたことを知り、清盛の元に出頭したと伝えられています。助命された3人の子のうち、鞍馬寺に預けられた「牛若丸」が、やがて「源義経」となって源平合戦で活躍したのは有名な話ですが、その兄たちについては大河ドラマが始まってから知った次第です。

醍醐寺に預けられた「今若」は、やがて「全成」と名乗り、寺を抜けだし、打倒平家の兵を挙げた頼朝と合流しました。全成は範頼や義経のように戦で活躍することもなく、吾妻鏡にもほとんど記述が無いとのことですから、大河ドラマの全成は、三谷幸喜氏の創作部分が多いと云えましょう。

全成は、頼朝から、駿河国阿野荘(静岡県沼津市)を与えられ、阿野氏を名乗るようになりました。阿野荘は、沼津市から富士市にまたがる愛鷹山の南麓一帯で、ここには浮島沼という大きな湿地帯がありました。江戸時代の「東海道」は、浮島沼の南側、駿河湾沿いを通っていますが、それ以前の人たちは、沼の北側、愛鷹山の山裾を通る「根方街道」を使っていたようです。根方街道(県道22号線)は、トラックやバスとのすれ違いに苦労するような狭い道ですが、街道沿いには、城跡や大きな前方後円墳、古い寺院や神社が点在していて、由緒ある道であることが分かります。

街道沿いにある「興国寺城」跡です、戦国時代初期の城で、続日本百名城に選ばれたそうです。宅地や茶畑になっていたのを、何十年もかけて発掘整備しました。戦国大名「北条早雲」の居城として地元では有名なところで、僕も子どもの頃から知ってましたけど訪れたのは初めてです。

北に向かって、三の丸、二の丸、本丸と階段状になっていて、本丸は高い土塁で囲まれています。

土塁の上には、石垣で囲まれた天守台があって、その北側は深い空堀になっていました。写真では分かりにくいかと思いますが、かなりの急斜面です。

城の正面から南に真っ直ぐ延びている道を「矢通り」と云います。湿地帯を抜けて根方街道と東海道をつなぐ道で、昔「阿野全成」と「阿野時元」親子が弓の稽古をした故事から名付けられたそうです。大河ドラマ紀行でも紹介されてましたね。(僕は、興国寺城があったからだと教わった記憶がありましたけど・・・)

矢通りは、昭和の頃までは、本当に何も無い田んぼの中の一本道でしたが、今では道幅も広がって、マックスバリュやCoCo壱などの郊外型店舗が並んでいる、まあ、どこにもありそうな通りになっています。


さて、全成ゆかりの寺院「大泉寺」は、興国寺城から街道を西に1kmほど行ったところにあります。街道と寺域の間には、大きな土塁があります。大泉寺は阿野氏の館だったところで、土塁は、その名残りとのことでした。

大泉寺は、素敵な御朱印を授けてくださるので、マニアの間では有名なお寺さんであります。阿野全成が大河ドラマに登場してから、拝観者も多く訪れるようになりました。ご住職が大変アクティブな方で、イベントも多く企画されているようです。

門を入ると、線香を2本取るように云われました。1本はご本尊さんに、もう1本は全成さんのお墓に供えます。案内役の僧侶から、全成さんの話を聞きながらの墓参りです。拝観者が増えたので、お手伝いに来ているとのことでした。

本堂に入ると、先代の老住職が待っていて、観音さんのお話をしてくださいました。ご本尊の聖観音立像は、寺伝では運慶作となっています。北条時政や和田義盛も運慶に造仏してもらってますし、当初像であれば時代的にも合ってますけど、お寺さんも半信半疑と云ったところでしょうか。近くから拝観というわけにはいきませんでしたけど、像高1mほどの金ピカな観音さんでしたよ。ちゃんと調査すれば何か出てくるかもしれません。

阿野全成を演じられた「新納慎也」さんの写真や色紙が飾られていました。3回ほど訪れているそうで、7月に沼津で「鎌倉殿の13人」のトークショーがあったときには、「実衣」役の「宮澤エマ」さんと一緒に来寺されたそうです。

御朱印です。1つ500円で、2ページ分ですから1000円でした。今まで頂いた338体の御朱印の中で最高額です。ご本尊さんのだけで良かったんですけど、成り行きで2つお願いすることになってしまいました。まあ、いろいろと案内していただきましたから、拝観料の代わりと思って納めてきました。ご住職は、消しゴムはんこが特技ということで、御朱印として押してくださいます。本堂にもいろいろと展示されてましたよ。

全成が誅殺されたとき、嫡男「阿野時元」は北条氏の助命嘆願によって連座を免れました。その16年後には源実朝」が暗殺されます。時元は鎌倉殿の座を狙って兵を挙げますが、北条義時が派遣した「金窪行親に討ち取られてしまいました。もはや、北条氏にとって源氏の血統は邪魔な存在だったのでしょう。子孫は、その後も阿野荘を治めていたようで、南北朝までは記録が残っているそうですが、やがて勢力を失っていったとありました。

全成には、京の「藤原公佐」に嫁いだ娘がいて、その系統は阿野荘の一部を相続して阿野氏を名乗るようになりました。「後醍醐天皇」の寵愛を受けた「阿野廉子」はその末裔にあたるそうです。阿野廉子は知っていましたけど、阿野全成の子孫とは知りませんでした。北条氏を滅ぼした後醍醐天皇とこんなところでつながっていたとは驚きです。阿野廉子は後村上天皇の母ですから、全成も自分の子孫が天皇になるとは思ってもいなかったことでしょう。

富士山の手前の山が愛鷹山で、その麓が阿野荘があったところです。

室町時代になると、この地は今川領となりました。今川氏親から興国寺城を与えられた北条早雲こと「伊勢新九郎」は、この城を足がかりとして伊豆を平定し、戦国大名「後北条氏」の祖となりました。早雲が攻め滅ぼした「茶々丸」の館は北条時政邸の跡地にあり、早雲が居城とした韮山城は蛭が小島のすぐ近くにあります。鎌倉時代も、関東における戦国時代も、全く同じ場所から始まったのです。

伊勢氏が、縁も所縁も無いはずの「北条」を名乗るようになった理由は、諸説あってはっきりしません。現代では、鎌倉幕府の執権「北条氏」というと陰謀を張り巡すダークなイメージがありますが、戦国時代においては、相模国守護職として、あやかりたくなるブランド名だったのでしょう。

2022年8月25日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その6 ~「三嶋大社」と頼朝公旗挙げ行列~

三嶋大社の夏祭り「三嶋大祭り」が、3年ぶりに開催されました。大社の夏祭りは、毎年、曜日関係無しの8月15・16・17日の三日間。今年は平日開催となりましたが、天気に恵まれたこともあって、のべ57万人が集まったそうです。

「源頼朝」が打倒平家の兵を挙げたのは、治承4年(1180年)8月17日。これは、その日が三嶋明神の祭りで、山木館の警固が手薄になるのを狙ったからとされています。つまり、800年以上経った現代でも、ずっと同じ日に祭りをやっているわけです。凄いですよね。

大河ドラマでは、江間次郎が八重姫を祭りに誘う場面もありました。江間からだと往復18kmですから、昔の人の足って強いですね。ちなみに、山木判官「平兼隆」の館までは、片道たったの3kmですから、急を知った兼隆の郎党が、三島から慌てて戻ったとしても、間に合わなかったでしょう。


さて、三嶋大祭りの最大の呼び物といえば「しゃぎり」であります。戦国時代から続くという伝統行事で、旧市内の町内会が、それぞれ山車を持ち、大人も子供もしゃぎりをします。夏が近づくと市内のあちらこちらから、しゃぎりの練習の音が聞えてきます。未就学児も摺鐘を持って、わけもわからずチャンチキします。子どもの時に仕込まれますから、大抵の三島市民は「しゃぎり」ができます。

6年毎に回ってくる当番町の年は、特に気合いが入ります。どの町内にも、この日のために生きているみたいなオジさんがいます。夜になると、当番町の山車が大社の門前に集まって「競り合い」を始めます。競り合いは、相手のしゃぎりを自分たちのリズムに巻き込めば勝ちというルールなので、門前は極度のカオスになります。

大社前の通りは歩行者天国になっていて、「農兵節」とか「三島サンバ」とかのパレードが連日行われます。流鏑馬や手筒花火もあります。大社の夏祭りは、神様が喜ぶことならば、何でもアリの市民参加型の祭りです。三島市民は郷土愛が強く、街おこしのイベントが盛んで、何をやっても取りあえず盛り上がります。これは、しゃぎりの存在が大きいと云えましょう。


その中でも多くの人が集まる催し物が、頼朝公旗挙げ行列です。三嶋明神の祭りの日(8月17日)に旗挙げをした故事にちなんで、戦後すぐに始まったそうです。でも、なぜか行列は17日ではなく、中日の16日に行われます。30年程前から頼朝役にタレントさんを呼ぶようになって、夏が近づくと、今年は誰が頼朝をやるのかが話題になります。最近来ていただいたタレントさんで印象に残っているのは、「柳沢慎吾さん」「神保 悟志さん」「筧利夫さん」「木下ほうかさん」「滝藤賢一さん」でしょうか。

それが、今年は、NHK大河ドラマで源頼朝を演じた「大泉洋さん」が来るというではありませんか。しかも、ドラマと同じ衣装をNHKが貸してくれるとのこと。さらに「野添義弘さん」「迫田孝也さん」「高岸宏之さん」まで呼ぶとあれば、見に行くしかありません。

後ろの方から、少しだけでもと思って出かけてきました。すでに通りには、人垣が何重にもできています。出発の時刻は、とうに過ぎているはずですが、まだやってきません。SNSの情報によると、進んでは止まるの繰り返しで、時間がかかっているようです。

のぼり旗が見えてきました。頼朝様の降臨です。皆さんスマホで撮影しようと、一斉に手を伸ばし始めました。何かの宗教みたいですね。

これが僕の撮った写真です。ダメ元で出かけて、このくらい見られれば良しとしましょう。

続いて、源範頼役の「迫田孝也さん」が来ました。こちらは、ネットから拾った写真です。仁田忠常役の「ティモンディ高岸さん」は徒での登場です。長刀を持っています。コロナ禍ですから、声援なしとのことでしたけど、それは無理というものです。

あれ?安達盛長役の「野添義弘さん」がいません。で、騎馬武者が来たので、慌ててカメラを構えたら、北条時政に扮した三島市長でした・・・。さらに、東レのバレーボール選手や一般公募で選ばれた人たちによる武者行列が続きます。今年は、コロナ対策として行列を短くしたそうですけど、タレントさんを4人も呼んでるんですから、何の意味もありません。


結局、野添さんは見られず終いでした。家に帰ってから分かったのですが、徒で頼朝の馬を曳いていたようです。高岸さんは長身なので徒でも見られたんですけど、野添さんは完全に人垣に隠れてしまって分かりませんでした。最前列に陣取っていれば見られたかと思いますけど、炎天下の中、一時間以上も待つ気力と体力は、さすがにありませんでした。

おそらく、安達盛長と仁田忠常が馬に乗らなかったのは、史実に合わせたのではないかと・・・って、何で源範頼がいるんだ?

ドラマの名場面の再現でした。来年も同じメンバーでという意見が出ているそうですけど、納得です。その時は、野添さんも馬に乗っていただきたいですし、時政は市長でなく「坂東彌十郎さん」でお願いしたいです。

広小路で折り返してきたら、大泉さんがビデオを回してました。どこかの祭りでは、行列を撮影禁止にして大炎上してましたけど、ここでは互いに撮りっこです。ちなみに、記録映像や報道により、観衆が撮影されることは告知済みであります。

行列は、予定時間の倍近くかかって、無事終了しました。例年、頼朝行列はたくさんの見物人で賑わうのですが、今年は、平日にもかかわらず10万人集まったそうです。

大社の通りは旧東海道ですから、車道も歩道も広くはありませんし、テキ屋さんもありますから、これが限界でしょう。来年は「小栗旬さん」も、みたいな話もありますけど、とんでもないことになりそうですから、たとえ逆オファーがあったとしても、受けてはいけません。「片岡愛之助さん」や「小池栄子さん」もパニックになりそうですね。

僕の密かな願いは、いつの日か「加藤諒さん」に頼朝をやっていただくことです。静岡県出身だし、適任だと思うんだけどなぁ。