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2022年8月1日月曜日

可愛いだけじゃない。台湾チア「峮峮」(チュンチュン)は何故ヲタクを惹きつけるのか。

2019年に話題になった、台湾プロ野球のチアリーダーが、再びブームになっているらしい。先日、僕のスマホにもYouTubeからおすすめ動画が送られてきた。断っておくが、僕は普段から若い女の子の動画ばかりを見ているわけではないので、YouTubeのアルゴリズムが、なぜ台湾チアの動画を送りつけてきたのかは不明である。


台湾チアといえば、「峮峮(チュンチュン)」こと「呉函峮(ウー・ハンチュン)」さんであろう。彼女は、台湾のプロ野球チーム「中信兄弟(ブラザーズ)」のチアチーム「熱情姐妹(Passion Sisters)」に所属するチアリーダーで、現在32歳。台湾では、チアの人気は高くって、次々と可愛い子が出てくるそうだが、7月にSNSで行われた人気投票では、上位4人の中で得票率48%というぶっちぎりのトップだったそうだから、人気は健在のようだ。チアリーダーの他に、タレント活動も活発で、バラエティ番組にも出演しているらしい。「チュンチュン」とは、ずいぶん可愛い響きだが、台湾では峮の字を名前に使うのは珍しいとのことである。


台湾プロ野球は、現在5チームで運営されているが、過去には、野球賭博・八百長問題で大量の逮捕者を出したり、球団が無くなったりして、大変な時期もあったそうだ。そんな中で、各球団がイメージアップを図って導入したのがチアリーダーだったらしい。日本でチアリーダーというと、アクロバティックで、スタイルが良くって「ダンサー」のカテゴリーに入ると思うが、台湾では、いつでも会える身近なアイドルという存在のようだ。応援風景は、野外で開催された地下アイドルのライブって感じ。撮影OKだし、目が合えばレスポンスしてくれるし、ついでに野球観戦もできるという、ヲタクにとっては天国みたいなところである。日本のチアリーダーでは、ヲタクは怖じ気づいて、声もかけられないだろう。


お分かりかと思うが、センターで帽子をかぶっているのがチュンチュンである。応援スタイルは、学生野球や社会人野球に近いように思う。高校野球のチアでは、カメラ小僧とかが低いアングルから写真を撮ったりして、過去には、女の子が泣き出してしまうようなトラブルがあったが、台湾のチアはプロなので撮られることも仕事のうち。カメラを見つけるとポーズをとってファンサービスもぬかりない。

トランペット隊は、動画によって、生演奏の時と録音アンプの時がある。生演奏の時のトランペット隊は、バックネット裏の上の方にいるようだ。で、日本との大きな違いは、内野席の一塁側にも三塁側にもホームの応援団がいることだろう。だから、チアリーダーたちも両側のダグアウト上にいる。一方、ビジターの応援団は外野席という雑な扱いだから、アウェーの疎外感は此の上なく大きい。まあ、日本がビジタ-に優しすぎるんだろうけど。

チアは攻撃の時にダンスをして、守備の時は基本的に休憩。試合の前半と後半で場所を入れ替えるので、一塁側三塁側のどちらに座っても、差が無いようになっているらしい。彼女たちはビジターの試合には同行しないそうだから、「峮峮」に会いたければ、中信兄弟の本拠地「台中洲際棒球場」に行くしかないということになる。

チュンチュンは大学院卒で経営学の修士号をもつ、いわゆる高学歴タレントである。学生時代からタレント活動をしていたそうだが、大学院の進学時には、1年間活動を休止していたとあった。チアリーダーのオーディションを受けたのは、大学院卒業後の2016年だから、遅いスタートと云える。当時は、ダンスの経験も無く、野球のルールも知らなかったそうだ。2017年ころの動画がアップされているが、確かに、可愛いけれど、ダンスは上手とは云い難い。彼女が日本でバズったのは2019年で、そのころの動画が質的にも量的にも充実しているように思う。

チュンチュンは、チアとしては小柄である。彼女の魅力は、その小さな体をフルに使って踊るところにある。チアダンスは、誰でも真似できるような単純な動きの繰り返しだ。高いダンススキルは必要ないかわりに、魅せるのは難しい。あの振り付けで人を惹き付けられるのが、彼女の凄いところ。彼女の称号は「可愛すぎるチアリーダー」だが、それは「ダンスする姿が」という意味である。

僕は、「元気をもらう」という表現が、あまり好きでなかったけれど、チュンチュンには、この言葉が似合うし、この言葉しか思いつかない。チアリーダーの仕事は、応援すること。彼女の動画を見て、ヲタクが元気づけられるのは、彼女が天性のチアリーダーだからである。

実は、彼女は2年前に悲しい経験をしている。このことがなければ、つまり彼女が可愛いだけのチアリーダーであったなら、僕はこの記事を書くことはなかっただろう。

彼女は、2020年の6月に、台湾の人気タレント「小鬼」こと「黄鴻升」さんとの熱愛を報道された。小鬼さんがチュンチュンのマンションに14時間滞在していたというものだ。両方の事務所が「お友達宣言」を出したものの、彼女たちの仲は公然の秘密だったらしい。チュンチュンも当時30歳、結婚引退説も出ていたそうだ。

ところが、黄鴻升さんは、報道の3ヶ月後に自宅の浴室で転倒し亡くなってしまう。司法解剖の結果は、転倒したことによる急性心筋梗塞。その日の深夜、彼女はインスタグラムを更新し、彼に対する想いを綴った。

当然のことであるが、原文は中国語である。ネットにはいくつかの日本語訳が投稿されているので、引用させていただこう。


毎日 どうしてこんなに幸せなんだろうと思っていた。 

毎日 どうしてこんなに合う人に巡り会えたのだろうと思っていた。

毎日 あなたに出会えたことを天に感謝していた。

2人の時はいつも家で過ごしていたけど退屈でもなく、喧嘩もしないで楽しかった。それでもバレてしまったけど。あなたは私たちの関係を公表しない方がいいと思っていた。だから私たちは「良い友達」だった。

でも、私には、もうどうしようもなく辛すぎる。メディアやネット民がなんて書くか、気にしないなんて私にはできない。もう装うことはしたくない。ごめんなさい。約束を破ってしまって。

これまでずっと私を守ってくれて、可愛がってくれてありがとう。私がどんな要求をしても、無理難題でもあなたはしてくれた。どこに行っても、何をしていても、誰が居ても、いつも私に写真や動画を送ってくれた。仕事以外、シャワーを浴びてても寝ていても、いつも「秒」で返事をくれた。私を安心させるために。この一年半近くの間。ずっとそうだった。

でも昨夜、私はどうしてもあなたと連絡が取れなかった。これまではいつもあなたが私のところに来てくれた。携帯以外、私にはあなたと連絡を取る手段がなかった。自分が本当に無力だったことに気づいた。

二週間前、あなたは突然「僕たち、結婚しなくてもいいよね?」と言った。「どうして?」「結婚しなければ、この先何があっても君に迷惑は掛からない。君は白紙の状態で誰かと結婚できる。」と。

でも、黄鴻升 私はあなただけが必要だった…

人生 真的太難太難了…(人生って本当に難しい)


どうやら二人の交際は、小鬼さんがチュンチュンのマンションを訪ねるかたちで行われていて、チュンチュンは小鬼さんの自宅へ行くことはなかったようである。小鬼さんは、翌朝、彼を心配して訪ねてきた父親によって発見されている。

36歳という若さでの突然死ということ、直前に彼女に意味深長なことを話していたことなどから、自殺説も飛び交ったらしい。コロナ禍で、日本でも多くのタレントさんが将来の不安から自ら命を断っていた時期であるから、そのような噂が出てくるもの無理はないと思う。

彼女が、彼との約束を破って、交際を公表したことについては、「売名行為」という批判も受けたらしい。これに対してブチ切れたチュンチュンのコメントが、ネットに紹介されている。


誰も好き勝手に他人を批判すべきじゃない。あなたたちは私たちが歩んだ道を歩いたことはないし、私たちの生活も経験していない。もし、私のことを売名と思うなら、これ以上私にはつきまとわないで欲しい。

みんなそれぞれの考え方がある。言論の自由は、人を傷つけていいという意味ではない。


さらに、チュンチュンは、交際を明かした理由を「彼の最後を全部見送りたかったから」と説明した。

彼女は、3日間にわたって行われた「お別れの会」にすべて出席し、火葬、納骨にも「黄鴻升」さんの家族らと共に参列したらしい。納骨などは、日本でも台湾でも肉親だけで行うことだろうから、彼と彼女が公認の仲であったことが分かる。

確かに、「良い友達」が納骨にまで参列していたら、「何で?」ってなる。彼女は堂々と参列して、ちゃんとケジメをつけたかったのだろう。


チュンチュンは、2021年のシーズンも、2022年のシーズンもチアリーダーとして、ファンの前に立っている。2019年の笑顔と2022年の笑顔の間には、悲しい出来事があったわけだけど、チュンチュンはプロのチアリーダーとして、変わることなくずっと皆を応援してきたのだ。

台湾のプロ野球もコロナ禍で無観客試合になったりして大変だったようだ。先週末には、3年振りにオールスターゲームが開催されたらしい。動画には、ちょびっとしか観客がいない球場が写っていることがあるが、コロナによる入場制限下のことであり、決して台湾プロ野球の人気が無いわけではないとのことである。念のため。

2021年4月2日金曜日

「シン・エヴァンゲリオン」鑑賞記 (注:作品解説ではありません。)

映画「シン・エヴァンゲリオン」を見てきた。本当は、ハロヲタ君の映画「あの頃。」を見るつもりだんたんだけど、気付いた時には、すでに公開終了になっていたからだ。気分は映画モードになっていたので、ならばエヴァを、となった次第である。

僕は、マジンガーZとか宇宙戦艦ヤマトの世代なので、テレビアニメ「ヱヴァンゲリオン」のことは何も知らない。ただ、家には何故か「貞本義行」氏によるコミック全14巻がある。さらに、新劇場版「ヱヴァンゲリオン・序」は、テレビ放映で見た。だから、同世代の中では、ちょっとは知っている方かもしれない。

ただ、「序」を見て疲れてしまった。100分も見たのにやっと「ヤシマ作戦」、結末まで程遠かったからだ。「破」は録画したけど消してしまった。「Q」については録画さえもしなかった。

そんな感じだけど、いよいよ完結するって話を聞いて、見てみようと思った次第である。NHKのプロフェッショナルで「庵野秀明」氏を取り上げていたってこともある。番組を見ての感想は、僕の身近に居なくて良かったぁ。

映画に行くに先立って、コミックを全巻読み返した。それから、ネットで「破」と「Q」のあらすじを確認して、予習完了だ。

映画館では、複数のシアターを使って上映していた。さすが話題の作品である。僕の選んだ時間帯だと、2つのシアターで同時に上映しているようだ。臨場感体感上映ってのがあって、4Kレーザープロジェクターとシネマプロセッサーを使ったプレミアム上映が、追加料金無しで見られるらしい。普通だったら一択なんだけど、密になるのがいやだから、空いてそうな通常版にした。300席の劇場で観客は10人だった。2時間半の長丁場だから、トイレに行きやすいように通路脇の席に座る。おじさんになると、いろいろと配慮することが多い。

結論から言うと、やっぱり「Q」をちゃんと見るべきだったかな。「Q」は起承転結の「転」だからね。あと、予備知識無しでの視聴は、かなり無謀。興行成績が好調なのは、新しいファンを開拓したというよりも、元からのファンがリピートしているからだろう。


物語は、14年後の世界という設定だった。だから、みんな大人になっている。それでいて、エヴァ・パイロットは歳を取らないっていう安易な設定。葛城ミサトには子どもがいるんだけど、ミサト自身はエヴァパイロットでも無いのに歳をとっていない。リツコも歳を・・・・いつまでもお若いって云うべきですね。失礼しました。

公開から一ヶ月近くなるので、ネットやYouTubeにネタバレ記事や解説動画が出ている。いくつか見たんだけど、そうだったのかと思うところが、たくさん有る。やっぱり、復習も大事ってことか。

エヴァは、ヲタクが制作したものをヲタクが鑑賞してる世界。制作側の庵野氏は、芸術系(文系)ヲタクだ。細かい設定なんて気にしてたら、あんな作品は作れない。で、それを見た論理系(理系)ヲタクの解説補完が必要となるわけだ。

このアニメの最大の疑問点は、何のために誰と戦っているのかってことだ。これって、皆でサードインパクトを防ごうとしていたんじゃ無かったんだ。全人類を巻き添えにした「碇ゲンドウ」の動機が、妻に会いたい一心だったとか、対立点が、話し合いで解決できるレベルの父子喧嘩だったら、死んでった奴らは浮かばれない。

全人類が消滅し新たに生まれ変わるって結末を見て、僕は学生時代に見た「伝説巨神イデオン」を連想した。2部構成の長編アニメで、ラストシーンで、みんな死んでしまったのが衝撃だった。(魂が新たな生命として再生されるみたいなフォローはあったけど)後で知ったことだが、当時は「皆殺しの富野」とか云われていたらしい。

庵野氏もこのアニメに影響されたらしい。僕は、エヴァの世代ではないけれど、庵野氏とは同世代なのだ。もちろん、彼は、すでにアニメーションの世界で仕事をしていたから、向こうはプロ、こっちは一視聴者だったわけだけど・・・。

ロボットアニメが、鉄人28号やマジンガーZから始まって、ガンダム、イデオン、マクロスと続く中で、庵野氏がエヴァを制作したのは、ネタ的には出尽くしちゃた時代ってことになる。何をやっても、何かと同じという厳しい時代だったんだと思う。

映画はこんな感じ。   


 挿入歌として「VOYAGER~日付のない墓標」が使われているのは、映画「さよならジュピター」へのオマージュらしい。この映画、僕も見た。木星が太陽になるやつだ。って思っていたら、それは「2010年宇宙の旅」だった。ラストシーンで、葛城ミサト(ジュピターでは三浦友和さん)が自らを犠牲にして突っ込んでいくってのもオマージュなんだろう。それにしても、感動のラストシーンで「松任谷由実」とか自由すぎる。

映画は、前作までのおさらいから始まった。一応、僕みたいな観客にも配慮してくれているようだ。でも、これで概要を理解できる奴は皆無だろう。これって、知っている奴が思い出すためにあるってことか。

で、いきなりの戦闘シーン。パリが舞台らしい。日本のヲタク文化が大好きなフランス人へのサービスかな。僕らは国会議事堂とか東京タワーが壊されるシーンを何回も見てきたけど、凱旋門やエッフェル塔がぶっ壊れるシーンを見たフランス人の反応が知りたい。

登場するエヴァ・パイロットは「真希波マリ」だ。このキャラクター、コミックの最後にも出てきた。母親の大学の後輩っていう設定だったけど、劇場版での設定が全然分からない。いったい何歳なんだろう。懐メロ歌うし、裏事情にも詳しい。碇ゲンドウとは、お友達感覚で、眼鏡キャラで猫言葉・・・これが、シン・エヴァのヒロイン?・・全然好感できない。可愛くない。

ロボットアニメで重要なのは戦闘シーンだ。シン・エヴァは、兎に角、敵の数が多すぎる。一人で無数の敵と戦うから、戦い方が雑になる。ミサイルをまとめてブッ放すところまでは良いんだけど、格闘シーンなんてのは、もはやドタバタ喜劇、敵へのリスペクトの欠片も無い。

とはいえ、戦艦を遊園地の飛行塔みたいに吊してクルクル回したり、発電機みたいなエヴァが並んで行進してきたのは、シュールで面白かったけど。

次の舞台は第三村だ。ニアサードインパクトで生き残った人たちが暮らしている村という設定だ。この景色、どこかで見たことがあると思ったら、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅じゃないか。転車台とか、診療所になっている車庫とか見学したのを思い出した。乗車料収入だけでは大赤字の路線だから、聖地となって賑わうことを願うばかりである。

ここでの生活描写は、完全にジブリ。WILLE(ヴィレ)が設置した「相補性L結界浄化無効阻止装置」により一定の範囲内がコア化せずに残っている、という設定からして、完全に「風の谷のナウシカ」だ。違うのは、王政で無くって共産制ってところ。村人が総出で棚田の田植えとかしている。人間は自然と共に暮らし、結婚して子どもを育てるのが一番の幸せって価値観が庵野氏から出てきたのは意外だった。彼らはこの暮らしを手に入れるために、14年間苦しい思いをしてきたんだろう。やがて来る結末がツラい。

シンジは、ここで大人になった中学校の同級生と出会う。14年後という設定が生かされているのはここだけ。「鈴原トウジ」は医者になり、学級委員長と結婚して子どもをもうけているし、ミリヲタだった「相田ケンスケ」は、ヲタク的サバイバル知識で村人に頼られる存在だ。

このケンスケが、とにかく良い奴で格好いい。しかも、アスカと良い仲なんて羨ましすぎる。彼こそ世のヲタクたちの憧れの的、理想の姿だろう。

そして、物語は、NERV(ネルフ) とWILLE(ヴィレ)の対決へと進んで行く。って、ネルフって碇と冬月の二人だけになっちゃったのか。たった一人で、あれだけの仕事をしている冬月コウゾウ先生って凄すぎる。

冬月先生の設定年齢は60才だから、リアルに同世代。かつての教え子の部下になるって設定は、年下の上司を持つオジサン世代には身に染みる話である。シン・エヴァは14年後の世界だから、ここでは74才ってことだけど、どう見てもそんな爺さんには見えない。そもそも、この14年後って云う設定、無理あり過ぎだろう。作品解説に、登場人物がこの心情になるには14年の歳月が必要だったって書いてあったけど、どうせ作り話なんだから5年後くらいで良かったんじゃないか。

ゲンドウの唯一の理解者でクールな副司令官「冬月」は、理系ヲタクの憧れでもある。でも、ゲンドウと最期まで行動を共にする動機がイマイチ分からない。それが、シンジの母親との三角関係だとすると、ただのエロ親爺だし。冬月副司令の願いって何だったんだろう。僕は、科学者としての知的欲求かと思うんだが、エヴァ・ファンに教えを蒙りたいものである。

衝撃のラストは、フォースインパクトとか、アナザーインパクトとか、アディショナル・インパクトとか出てきて、文字通りのインパクト有り過ぎな展開。いきなり出てきたマイナス宇宙で何か凄いことが起きているようだが、劇場では全然理解できなかった。まあ、ネタバレ記事と解説動画を見た今でも、全て理解できてるわけじゃないけど。

でも、アスカが綾波と同じクローンだったってオチは、そんなこと聞いてないよぉ、って感じ。やっぱり大好きなキャラクターは、唯一無二の存在であって欲しい。渚カオルも、たくさん存在していたって描写もあった。物語がループして一気に世界観が広がったわけだけど、その分、1つの物語としてのシン・エヴァンゲリオンが矮小化されちゃった気がしたのは僕だけだろうか。


でも、「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」て云う台詞のところでは、何の思い入れのない僕でも、ウルってきちゃったし、楽しい2時間半だったことは確かだ。映画を観た後、解説記事を読んでいる時も楽しかった。勝手なことを書き綴ってきたが、無知な視聴者の世迷い言とスルーしていただきたい。

エヴァンゲリオンはこれで完結のようだけど、庵野氏の新しい仕事も楽しみにしている。「シン・ゴジラ」は2回も劇場で見るくらい面白かったから、「シン・ウルトラマン」も期待している。この勢いで「シン・宇宙戦艦ヤマト」とか「シン・となりのトトロ」とかも作ってくれたら嬉しい限りである。

2020年11月7日土曜日

「色のなき風やボカロのラブソング」岩永徹也

 プレッシャーバトル(プレバト)というバラエティ番組がある。特にファンと云うわけでもないのだが、何年もダラダラと見続けている。番組の中核は俳句のコーナーで、初めの頃は、なるほどと感心しながら見ていたのだが、最近はマンネリ気味だ。でも、習慣で見てしまう。先日も習慣で見ていたら、「岩永徹也」君がボーカロイドを詠んだ句を発表していた。マルチな才能を持つ彼は、作曲にも取り組んでいるとのことで、作曲支援のツールとして、ボカロ・キーボードを使っているようだ。岩永君のこのようなボーカロイドの使い方は、開発時に想定されていた正に王道なのであって、細やかではあるが、メディアに紹介されたことは嬉しい限りである。

で、岩永君が詠んだ句がこれである。

「色のなき風やボカロのラブソング」

梅沢さんは「色のなき風や」がどうも気になっていると云い、季語本来の形である「色なき風や」にしなかったことを指摘された。また、夏井先生は「ボカロ」を知らなかったとのことで、ボーカロイドという言葉の省略形を使用したことの善し悪しの判断を保留された。司会の浜ちゃんは、ボカロも初音ミクも何も知らなかった。プレバトでは、番組のBGMでボカロ曲をたくさん使っているのが特徴なんだけど、それを何も知らないってことは、彼は収録後の番組を全然チェックしていないってことなんだろう。フジモンさんは、ボカロ=バーチャルアイドルというイメージで捉えられているようだった。

この番組は、夏井先生の添削が最大のウリで、時には、ヤラセではないかと思えるほどの見事な添削を披露してくださるのだが、今回のように知らないことは知らないと云い、周囲の人に教えを請い、判断しかねるときは保留するという態度は素晴らしいと思った。

夏井先生の添削された俳句がこれである。先生は、直すと云うよりも、普通はこうなるというスタンスで発表されたように思う。

「色なき風やボーカロイドのラブソング」

季語の「色なき風」は、平安時代の短歌にも見られる、古い季語なんだそうだ。五行思想を季節に当てはめて、青春、朱夏、白秋、玄冬と云う言葉が生まれた。秋のイメージカラーは「白(透明)」とされ、そこから秋の風を色なき風と表すようになったらしい。 

代表的な歌が、「新古今集」に収録されている久我太政大臣雅実が詠んだ歌。

物思へば色なき風もなかりけり   身にしむ秋の心ならひに

なんだそうだ。

普通は、「秋風や」とか、「秋の風」とするところを、「色なき風」としたのは、岩永君の博学であり、お洒落なところで、900年以上前の歌にも使われている季語を、ボカロという現代・近未来的なものに合わせたところが、この俳句の面白さである。

岩永君は、ボカロのラブソングは、心の無い無機質な冷たい歌であり、そこから、色なき風を連想したと説明していた。無色透明なボカロの歌に、如何に色づけをしていくかが、ボカロPの腕の見せどころなんだと思うのだが、ボーカロイドをツールとして捉えている岩永君には、ボカロに対して、そういう想い入れは無いのだろう。

岩永君の決定的なミスは、季語を「色のなき風」としたことである。何故「の」を挟んでしまったのだろうか。僕は、ボーカロイドをボカロと省略したことと関連があるように思う。夏井先生は、ボカロという省略形を使ったことの是非を保留した。どちらでも良いのならば、ボーカロイドのままで良かったと云うことなのだが、ボーカロイドとボカロの語感は微妙に違う。

「ボーカロイド」と省略しない場合は、コンピューターに歌わせる技術そのものを表すのに対して、ボカロと云ったときは、(ヲタク)文化的な意味が強調されるように思う。岩永君が「色なき風」と合わせたかったのは、ヤマハのエンジニアが心血を注いで開発したボーカロイドでは無く、ヲタクが喜んで聴いているボカロなのであって、紛い物のラブソングを表すのは、やはり「ボカロのラブソング」の方がしっくりする。で、結局、ボカロにこだわって、歌のリズムを合わせようとした結果、「色のなき風」となったんだと思う。俳句の季語よりもボカロの方に強い思いを持つ僕には、夏井先生の添削作品よりも、岩永君の歌の方がしっくりくる。

「色なき風や○○○ボカロのラブソング」

「色なき風」と「ボカロ」を取り合わせて、僕なりに直してみようと思ったのだが、上手くできるわけもなかった。この辺の事情が夏井先生に上手く伝わっていれば、きっと素敵な三文字を入れてくれたに違いない。

ボカロのラブソングを貼り付けさせていただいてお終いにしようと思う。槇原敬之氏の「もう恋なんてしない」で如何であろうか。もう御本人がメディアに出てくることも無いと思うので、せめて、色なきボカロのラブソングを。

2020年5月23日土曜日

いきなりですが、交響詩篇「エウレカセブン」を語ります

先月、声優の「藤原啓治」さんが、癌で逝去されました。ニュースでは、アニメ「クレヨンしんちゃん」の「野原ひろし」役として紹介されていました。55歳だったそうです。

有名な声優さんですから、他にも出演作品は数え切れないほどあって、「鋼の錬金術師」の「マース・ヒューズ」や「交響詩篇エウレカセブン」の「ホランド・ノヴァク」などが印象に残っています。主人公と深く関わる大人の役が多くって、格好いいんだけど、どこか抜けているようなキャラクターを得意とされていたように思います。


エウレカセブンは、今から15年前に放送された、4クール、全50話というアニメ大作です。大空を舞台に変形ロボットが活躍するという、ロボットアニメはこうでなくっちゃっていう作品でした。

この子が物語のヒロイン「エウレカ」です。とっつきにくい性格や人間のようで人間でない神秘的な設定は、エヴァンゲリオンの綾波レイと共通するところです。


そして、これが、藤原啓治さんが演じたホランド・ノヴァクですね。主人公が所属している「ゲッコーステイト」のリーダー。天才リフボーダーで、塔州連邦軍の特殊部隊の元エースという一見完璧な設定ですが、大人げない言動もあったりして、ツッコミどころ満載なキャラクターだったように思います。


エウレカセブンは、放送期間が一年という長丁場ですから、1クール毎にオープニングとエンディングの主題歌が新しくなりました。最初の主題歌は、FLOWの「DAYS」でしたね。


YouTubeには、FLOWの海外公演の動画がアップされていますけど、この曲が始まると観客が一斉に(日本語で)歌い出すのにはビックリしました。アニメファンは地球の裏側にも存在しているようです。

そして、これがホランドの実兄で最大の敵役「デューイ・ノヴァク」です。敵の方が格好良いっていうのは、ガンダムからの伝統ですね。
彼の声を担当したのが、声優の「辻谷耕史」さんです。辻谷さんも2年前に56歳という若さで急死されています。


第2クールのオープニング曲は、HOME MADE 家族の「少年ハート」。


「HOME MADE 家族」は、ヒップホップにしては歌っぽい要素が多くって、親しみやすかったんですけど、2016年から無期限活動休止に入っているとのことでした。

ビーム撃ちまくり、ミサイル撃ちまくりで、これぞロボットアニメ。この自動追尾するタイプのやつは、マクロスからの伝統ですけど、エウレカのスタッフには、河森正治氏をはじめ、マクロスを手がけたクリエーターが多く参加していたようです。

それにしても、ロボットアニメの話題って全然聞こえてこなくなりました。最近流行ったアニメといえば「鬼滅の刃」とか「進撃の巨人」でしょうか。でも、「マジンガーZ」に始まり、「ゲッターロボ」から「イデオン」まで見ていたロボット世代からすると、なんかグロく思えてしまうんです。

ロボットアニメの戦闘シーンって、生身で対戦していないので、血の描写がないんですよね。ロボットの戦いの裏では、大勢の人たちが命を落としているんだろうけど、格好良さだけが強調されてたわけで、もちろん、これを良しとするかどうかは、別の問題ですけど。
       
「マクロス」がロボットアニメをヲタク化してしまった、みたいな記事がありました。だとすると、その系統を引く「エウレカセブン」が、思いの外、幅広い支持を得られなかったのも必然だったのかもしれません。

変形ロボットがビームと誘導ミサイルを撃ちまくるのって、もうウケないのかなぁ。

2019年8月8日木曜日

「アルキメデスの大戦」はマニアックに楽しむ地味な映画だった(超ネタバレ)

予定には無かったんですけど、ひょんなことから「アルキメデスの大戦」を見てきました。で、折角ですから、元海軍ヲタクとしての感想を述べさせていただきますね。

こんな映画です。作品紹介では「帝国海軍という巨大な権力に立ち向かい、数学で戦争を止めようとした男の物語」とありました。


いつも思うんですけど、予告編って上手に作るものですね。本編よりも迫力があるように思います。

全体的な印象としては、面白かったです。ただ、かなり地味な映画でした。冒頭の大和が撃沈されるシーンは、それなりに迫力がありましたけど数分間だけでしたし、映画の中で主人公がやったことと云えば、新型戦艦の正しい見積額を算出しただけです。丁寧に作った2時間スペシャル・ドラマって感じでしょうか。戦争映画としては「男たちのYAMATO」が、娯楽映画としては「シン・ゴジラ」の方が何倍も迫力がありましたからね。

僕は、原作コミックを知りませんでしたけど、こちらはスケールの大きな作品のようで、映画は原作のほんの一部分に過ぎなかったみたいです。映画としてムリヤリ2時間のドラマにまとめてしまうよりも、連続ドラマのほうが世界観を出せたかもしれません。

物語は「山本五十六」とか実在の人物がでてきますけど、実話ではありません。念のため。

でも、海軍ヲタク的には、面白いところもありました。1933年(昭和8年)、太平洋戦争の開戦8年前が舞台ですので、軍艦なども、ちょっとマニアックなのが出てくるんですけど、ちゃんと時代考証されていましたよ。きっと、原作者か映画監督か分かりませんけど、誰かがバリバリの海軍ヲタクなんでしょう。


まず、1つめは三段甲板の空母赤城ですね。山本五十六少将(当時の肩書きは、第一航空戦隊司令官)が、航空母艦からの発艦試験を視察している場面です。VFXとは云え、三段甲板の赤城が見られるとは感動です。


で、発艦していたのが、こちらの戦闘機(九0式艦上戦闘機)ですね。この頃は、まだ複葉機ですし、半分は木でできてるし、そもそも船から飛行機が飛び立てるかどうか分からないっていう時代だったんですよね。それが、この10年後にはゼロ戦が登場するんですから、航空機発達のスピードって凄かったんだなって思います。


次は、戦艦「長門」。主人公の櫂少佐が戦艦を視察するために長門を訪れるのですが、それが、この屈曲煙突タイプの長門なんですよ。2本ある煙突の前のやつが曲がっているでしょ。これは大改修される前のタイプなんですよね。


戦争というのは、刻一刻と戦況が変化します。ですから、軍艦も対空装備を増強したり、機関を改良したり、レーダーを取り付けたりと、どんどん改修されて姿形を変えていくんですけど、今までの戦争映画って、そういうところに無頓着って云うか、適当に作られているものが多かったんです。
 「アルキメデスの大戦」では、建造されたばかりの大和と、撃沈されたときの大和と、ちゃんと描き分けていて、なかなか分かってるじゃんって思いました。

あと米軍では、雷撃機「TBF アベンジャー」とか、急降下爆撃機「SB2C ヘルダイバー」とかも良くできていて、格好良かったです。

ただ、戦闘のシーンは、ほぼVFX。昔の戦争映画みたいに、実物大の戦艦のセットを組み立てて、俳優さんが演技して、本物の飛行機を飛ばして、火薬がドッカーンみたいな映画はもう撮れないんですね。
今回の大和撃沈のシーンとか、本当に頑張って作ったと思うんですけど、VFXの技術が進歩して、いろいろデキるようになった反面、反対にやり過ぎちゃって嘘っぽく思えちゃいました。

戦闘シーンで人間が演じているのは、対空機銃を撃っているところぐらいでした。「大和」って、竣工したときと撃沈したときとでは、乗組員が800人くらい増えているんですけど、それは、飛行機の攻撃に対抗するために対空機銃を大量に増設したので、そのための兵隊さんたちなんです。


「三連装25ミリ高角機銃」って云うんですけど、上下左右に動かすのに、兵隊さんが人力でハンドルを回していて、目測で照準を合わせて撃ってるんです。で、弾倉は15発入りの箱型弾倉。15発撃つごとに弾倉を交換するんですけど、担いで運んでるんですよね。これで、時速300km以上で飛び回っている飛行機を撃ち落とそうって云うんですから、当たったら奇跡です。しかも米軍機は装甲が厚いんで、2,3発当たったくらいじゃなんともないんですから。
(ちなみに、大戦末期の米軍の40ミリ対空機銃は、対空レーダーと連動して自動で照準を合わせる優れもの)

あと、撃墜された米軍機からパイロットがパラシュートで脱出、海上に漂流しているところを飛行艇がやってきて救助、それを日本兵が呆然と見ている(撃てよ!)というシーンがありました。実際は、戦闘中に救助活動を行うなんてのはありませんでしょうけど、米軍がパイロットの救出に全力をあげていたのは事実です。
このブログでも何度も取り上げたように、これは人命尊重なんてことでは無くって、パイロットを育成する時間とお金を考えた合理的な理由からです。飛行機はいくらでも代わりがあるわけですから、パイロットさえ無事でいれば、戦力の低下にはならないわけで、これが、兵士を使い捨てにした日本軍との決定的な違いです。このシーンを象徴的に挿入した映画監督は、そのへんのところがよく分かっている方のようですね。

さて、数学で戦争を止めるという映画ですから、その辺のことも考えなくてはいけません。

この物語は、帝国大学を退学になった22才の軍隊嫌いの天才が、山本五十六少将の口利きで、いきなり海軍少佐に任官する話です。階級絶対主義の軍隊で、トンデモナイ奴が少佐なんですから、いろいろとドタバタが起きるんですけど、ここは一番面白いところだと思ったんで、もう少し見たかったですね。

山本五十六少将の論理はこんな感じ。

海軍で超巨大戦艦の建造計画が持ち上がっている。→そんな戦艦を手に入れたら、日本は戦争に勝てるという幻想を抱いてしまう。→でも、示された建造費が安すぎる。→その不正を曝けば建造を中止できる。→日本は戦争への道を歩まなくて済む。

で、この映画で、櫂少佐が行った仕事は、次の2つです。まずは、全く情報が得られない絶望的な状況の中で、わずかなスペック表と戦艦長門のデータを元に、新型巨大戦艦の基本設計図を作ってしまいます。(さすが天才)次に、その設計図を元に正しい建造費を計算しました。

櫂少佐は、絶対的に時間が足りない状況で、設計図から建造費を割り出すために、鉄の使用量から建造費を計算するという超裏技を編み出します。

大阪の造船所で既存の軍艦のデータを見ていた櫂少佐は、建造に使われた鉄の量と建造費の間に、ある関数が存在していることを発見します。変数が鉄の使用量の1つだけで、他は定数の関数です。それで分かったら確かに凄いです。潜水艦と駆逐艦があって、もしも鉄の使用量が同じだったらどうなるんだろうって、ツッコミたいところですけど、まあフィクションですから良しとしましょう。黒板の一行目にあるのが、その関数ですよ。


で、正しい見積額を曝いて、不正を糾弾して、ついでに新型戦艦の設計ミスを指摘して、戦艦の計画を白紙撤回させて、という感じにストーリーは進んでいきます。

ところが、山本五十六少将の真の目的は、その予算で空母機動部隊を編成して、アメリカとの戦争が始まったときに真珠湾を先制攻撃することでした。結局、櫂少佐は、海軍という巨大組織に利用されていただけだったんです。

櫂少佐は、新型戦艦を設計した平山造船中将から、巨大戦艦にかける思いを聞かされます。

平山中将の論理はこんな感じ。

アメリカとの戦争は避けられない。→日本は滅びるまで戦争をやめないだろう。→もし、日本を象徴する巨大戦艦があって、それが沈めば日本は絶望し降伏を考えるだろう。→巨大戦艦は、日本という国家の身代わりとなって沈むのだ。→そのために、美しく完璧で誰もが誇りと思える戦艦を造りたい。戦艦の名前は「大和」。

結局、櫂少佐は大和の建造に協力してしまいます。大和が完成したその日、櫂中佐(襟の階級章の星が2つになってたのを、僕は見逃しませんでしたよ。)は、数学的に完璧で美しい巨大戦艦に涙を流すのでした。って感じです。

戦艦大和が海軍の象徴だという思想は確かにあったと思います、当時の日本国民の中にも、大和があればアメリカに勝てる、未だ日本には大和があるから大丈夫だ、という考えが存在していました。
それは、アメリカ軍も同じで、大和を沈めることが戦争を終わらせることになると考えていました。


大和が沖縄に向けて出撃したとき、アメリカ軍は、その行動を完璧に把握していました。通常ならば、作戦を阻止するのが正しい戦略のはずなんですけど、アメリカ軍は、追跡している潜水艦に「絶対、手を出だすな」って命令しているんですよね。大和が作戦を中止して日本に引き返したら困るんです。

日本側から見ても、大和が沖縄に出撃したのは、戦略的に全く意味の無いことでした。でも、作戦は実行されました。これは、日米両海軍が、戦争を終えるために行った「セレモニー」だったんですよ。3700名の命を犠牲にしての。

戦艦大和は、1945年(昭和20年)4月7日に沈みましたが、日本は戦争をやめませんでした。日本が降伏を決断したのは、8月9日のソ連侵攻によってです。
もし、日本が、平山造船中将の思惑通り、そして沖縄が占領された時点で降伏していれば、日本の地方都市への空襲も、広島・長崎の原爆投下も、北方領土占領もなかったことになります。

2019年4月14日日曜日

「裏表ラバーズ」 feat.初音ミク ~ボカロP「wowaka」の早すぎる死~

「wowaka」という若者がこの世を去った。享年31だそうだ。

一部メディアでは、あの有名な米津玄師氏のライバルであり、親友だった人物と紹介されてたらしい。wowaka君の知名度は、世代間の格差が極めて大きいから、「よく分からないけど、誰だか有名な人が、若くして死んだらしい」というのが、世間一般の捉え方だろう。

死因は、急性心不全。急性心不全とは、急に心臓が止まったという意味で、そういう名前の病気は無いそうだ。だから、止まってしまった何らかの理由、つまり本当の死因があるわけで、ネットでは幾つかの噂が流れているが、全ては根拠の無い憶測にすぎない。

「wowaka(ヲワカ)」君は、「現実逃避P」の名でニコニコ動画に楽曲を投稿していたボカロPだった。学生時代からバンド活動をしていたそうだが、「livetune(kz)」の影響を受けて、2008年あたりからボカロを始めたらしい。ボカロPとしては、米津玄師氏と同じ第二世代にあたり、氏とはニコニコ動画の再生数を互いに意識し合うライバルだったようだ。

2011年頃には、ボカロPを卒業(?)して、バンド「ヒトリエ」を主宰。生ライブ中心の活動をするようになった。境遇の重なる米津氏とは、親友と呼べる間柄だったとされている。

メジャーデビューもしていたし、ライブ活動も順調だったとはいえ、どこかのアリーナに何万人も集めてワンマンライブをするとか、ヒットチャートの常連だとか、ましてやNHKの歌番組に出てくることなどなかったから、世代を超えて知られる存在ではなかった。が、ミュージシャンの幸せというのは、そんなところにあるわけでは無いから、どうでも良いことだろう。

ボカロブームを作り上げた第一世代の「ryo」氏や「kz」氏が、どちらかというと普通っぽい「このまま人間が歌っても良いんじゃねぇ」的な楽曲だったのに対して、米津氏やwowaka君の楽曲は、独特の中毒性があって、人間の歌手では凡そ歌い切れそうにない、いわゆる「ボカロっぽい」のが特徴だった。

中高生を中心とした若者たちから、絶大な支持を得ていた両氏であったが、僕のようなオジさんにとっては、理解し難い楽曲も多かった。でも、米津氏のそれが(今と違って)「どこが良いんだかよく分からない」モノであったのに対して、wowaka君のは、「よく分からないけど、何だか面白い」作品が多かったように思う。

Zepp名古屋のライブで「裏表ラバーズ」と「ワールズエンド・ダンスホール」を、武道館では「アンハッピーリフレイン」の演奏を聴いたことがある。どれも前奏が始まった瞬間の盛り上がりが凄かった。ボカロファンにとって、彼の楽曲群はボカロが最も輝いていた頃の象徴なのだろう。

で、代表曲を1つと云えば「裏表ラバーズ」で異論は無いだろう。

動画は、2010年にZepp東京で開催された伝説のライブからである。楽曲をサポートするバックバンドのクオリティーの高さと、透過型スクリーンに映し出されたCGに熱狂するヲタクとのギャップが面白い。


ボカロならではの高速歌唱だから、何を歌っているか全く分からない。と云うことで、字幕付きの公式PVはこちら。


かなりキワどい、というか下ネタと云っても良いくらいの歌詞である。純愛などと気取ったところで、要はヤリたいだけってこともあるし、ラブラブに見えるカップルでも、心の内は分からないってことか。
ただ、言葉の選び方やつなげ方を見ると、単なるウケ狙いの高速歌唱作品で無いことは明らかだ。きっと頭の良い奴なんだろうと思っていたら、東大卒だという噂を聞いた。
この歌を、当時の中高生が、意味も分からず、カラオケで歌っていたことを考えると笑ってしまう。                   

こんなキワどい歌詞を高速歌唱できるのがボカロの真骨頂・・・って云うか、ネタならば兎も角、こんな歌を歌唱したいなんて考える人間の歌手はいないだろう。

元々、ボーカロイドは、人間の歌唱を補助するものとして開発された。ボーカロイドが主役になることなど、全く想定されていなかったのだ。しかし、初音ミクの登場により、状況は一変してしまう。
やがて、人間の代わりに歌うという使い方から、ボーカロイドならではの歌唱を追求していったのが、当時「ハチ」と名乗っていた米津玄師氏であり、現実逃避Pことwowaka君たち第二世代であった。

その試みは、結果として、歌唱のガラパゴス化をきたすことになって、必ずしも成功したとは云えないのだが、それを踏み台として、人間の歌をプロデュースする本物の「P」として活躍しているのだから、それはそれで嬉しい限りで或る。

お終いに、昨年のマジカル・ミライから「アンノウン・マザーグース」である。米津氏とwowaka君の双方に云えることだが、ボカロを卒業した後も、こうやって新曲を提供してくれることが有り難い。一流の奴というのは、何と言われようと、受けた恩は一生忘れないモノなのだ。



彼は、4月1日付けのTwitterで「令和キレイだー」と投稿した。「REIWA」という響きが、彼のミュージシャンとしての琴線をとらえたのだろうか。彼が急逝したのは、そのわずか4日後。気鋭のミュージシャンとして、美しきREIWAの時代を作ったであろう彼は、来たるべきREIWAの時代を生きること無く、この世を去ってしまったのだ。

2018年4月15日日曜日

初音ミク「恋のミュージックアワー」 ~あの素晴らしき時代と~

現在、最も売れているアーティストと云えば「米津玄師」氏であろう。
その米津氏が、かつて「ハチ」名義で、ボカロPとして活動していたことは、ご存じであろうか。

彼のような、元ボカロPのアーティストというのは今までにも何人かいたが、
人間界の仕事が増えるとボカロの仕事には見向きもしなくなるという傾向があった。
まあ、ボカロ界への裏切り行為とも云えるが、
手っ取り早く売れるために、当時人気のボカロに手を出したって奴も多かったし、
考えようによっては、それもボカロへのリスペクトと云えなくも無いから良しとしよう。

米津氏も「ボカロは卒業しました」っぽい感じだと思っていたが、
昨年のマジカルミライでは、初音ミクのために新曲を提供してくれた。
トップを獲る人間というのは、ちゃんと心遣いができているものだと感心した次第である。

米津氏のファンの中心層は、女子中高生である。
ところが、彼女たちは、「憧れの米津さんが、ボカロPだったなんて、ちょっとショック」
とか言ってると云うのだ。
彼女たちにしてみれば、ボカロというのは、キモいオタクの物であって、
米津氏がボカロPであったことは、黒歴史ということになるらしい。

いつから、そんなイメージになったのだ。

マジカルミライに行けば分かることだが、
チェック柄のシャツを着て眼鏡をかけた小太りの男なんて、ライブ会場では極めて少数派だ。
(そんな奴いないと言い切れないところが辛い)
・・・って云うか、つい数年前の中高生は、カラオケでボカロ曲を歌い、
初音ミクのキーホルダーを鞄に下げていたんじゃなかったのか。
人類史上でも画期的な発明、神の領域に踏み込んだと云えるボーカロイド技術、
それが、この数年のあいだにオタクの象徴へと変わってしまっていたのだ。

昨年は、初音ミク10周年だった。
いろいろなイベントが組まれたようだが、さほど世間に注目されることもなく、
結果的にボカロ界の斜陽化を印象付けることになってしまった。
思えば、GoogleのCMで初音ミクの「Tell Your World」が流れていた頃が、
最後の輝きだったのかもしれない。

で、貼り付けさせていただくのは、10周年記念に制作されたという楽曲「恋のミュージックアワー」。
単純に可愛くて、純粋に前向きな、たわいないラブソングであるが、
コメント欄に「あなたのおかげで私はたくさんの友達ができました。」とあるように、
MVは「Tell Your World」のオマージュといえるような作品である。


このMVから受ける印象は「あの頃は楽しかったね」といったものだろうか。
初音ミクの歌わせ方など、滑舌も改良されて、抜群に可愛くなっているが、
それも今では空しく感じるばかりである。

Google Chromeのキャッチコピーは「Everyone Creator」だった。
それは初音ミクも同様だと思う。

初音ミクが出てからの2・3年は、
多くの者がこの言葉を信じていたか、信じてみようかなという気分になっていた。
熱い想いがあって、気の利いたフレーズを思い浮かべることができたなら、
彼女が歌い、作曲支援ソフトが伴奏を付けてくれる。
ニコニコ動画に投稿すれば、誰かが聴いてくれて、評価してくれる。
さらには画を付ける奴、歌う奴、踊る奴、歌詞を深読みして小説を書く奴。
ボーカロイドが、インターネットが、人と人を結びつけ、
「音楽好きだけど引き籠もり気味な兄ちゃん」たちのリハビリになっていたことは確かだ。

「米津玄師」氏は、才能有る男だから、初音ミクに関わろうが無かろうが、世に出てきただろうけど、
「ハチ」としての活動が現在の彼を作っていることは間違いない。
「Everyone Creator」という謳い文句は、そりゃあEveryoneというわけにはいかなかったにしても、
少なくとも嘘では無かったのだ。

パソコンが世に出たばかりの頃は、基板を集めて自作する奴も少なからずいたし、
プログラムは、自分で組むものだった。
本田宗一郎のバイクだって、山葉寅楠のオルガンだって、全て素人の手作りから始まっている。
いつの時代だって、技術的に未発達な頃は誰でも参加できるのだが、
やがてレベルが上がるにつれて敷居は高くなり、素人は手が出せなくなっていく。

ボーカロイドも制作するものから、しだいに鑑賞するものに変わっていった。
今では、素人が楽曲をニコニコ動画に投稿したところで、誰も聴いてはくれないだろう。
そのニコニコ動画も、最近はユーチューバーにとって変わられた感がある。
インターネットは、自らも参加するものから、一方的に情報を受け取るだけのものになってしまった。
流行のインスタグラムだって、やがて素人の投稿は無視され、
一部の人気インストグラマーの投稿だけが相手にされるようになるだろう。

もはや「何を発信したか」でなく「誰が発信したか」だけが重要なのだ。
そして、「Everyone Creator」は夢物語となり、ボーカロイドは誤解の海の中に沈んでしまった。

って、ここで力説したところで、こんな素人のブログなんて、誰も見向きもしてくれないだろう。

と云うことで、「恋のミュージックアワー」のMMD動画バージョンでお終いにします。
やっぱり、初音ミクには、MMD動画が似合うし、MMDと云えば「艦これ」だと思う。


あっ、これのせいか・・・。

2017年11月11日土曜日

「イマージュな関係」Winkとアニソン考

 アニソンとは、云うまでも無くアニメーション番組の主題歌・挿入歌のことである。今では、音楽ジャンルの1つとして、確固たる地位を築いているが、昔からそうだったわけではない。アニソンの画期は、マクロスと飯島真理であると僕は考えている。マクロス以前とマクロス以後では、アニソンの概念が大きく変化したからだ。
 ならば、マクロス以前のアニソンが音楽的にツマラナイものだったのかと云うと、それは違う。主題歌は番組の顔だから、故冨田勲先生や故宮川泰氏のような一流の音楽家が手がけることも多かったし、時代を超えて存在する名曲もたくさんある。
 では、何が違うのか。それは、楽曲の独立性である。それまで作品と一体化していた主題歌が、1つの楽曲として存在する、あるいは、存在しても良いのだという認識が生まれたのが、マクロス以降のアニソンなのである。このことによって、いわゆるアーティストと呼ばれる者たちが楽曲を提供し、歌うようになっていった。若きシンガーソングライター飯島真理は、アニソン歌手というレッテルに苦しんでいたが、彼女の功績はあまりにも大きい。僕が子どもの頃は、アニメの主題歌がFM放送で流されたり、ちゃんとした歌番組で歌われるなんてことは、有り得なかったのである。

 アニソンは、アニメ作品との独立性・距離感によって、3つに分類される。Ⅰは、主人公の名や必殺技を連呼するタイプのもので「マジンガーZ」が好例である。Ⅱは、アニメのために作られたのだが楽曲にあまり作品感が無いもので「残酷な天使のテーゼ」など。Ⅲは、独立して存在していた楽曲を主題歌として採用したもので、極端な例だとジブリ映画「風立ちぬ」の「ひこうき雲」であろうか。
  また、エンディングテーマは、オープニングテーマとの対比で制作されるために、作品から一歩離れる傾向があり、バラード系が多いのが特徴だ。OP「宇宙戦艦ヤマト」はバリバリのカテゴリーⅠのアニソンだが、EDの「真っ赤なスカーフ」はカテゴリーⅡの、それも歌番組で披露しても全く違和感の無さそうなムード歌謡だった。
 
 今回、紹介させていただく「イマージュな関係」は、アニメ「わたしとわたし~二人のロッテ~」のオープニングテーマで、カテゴリーⅡに相当する。
 この楽曲は、Winkの13枚目のシングルとして、1991年12月にリリースされた。オリコン順位5位は、長く緩い下り坂にあったWinkにとっては、こんなところかなって感じだが、売り上げ14万枚弱は、この時期のWinkにしても健闘とは言い難い。アニメの主題歌というところが、裏目に出たのだろうか。
 このCDは、OP「イマージュな関係」とED「追憶のヒロイン」の両A面という扱いになっているが、タイトル名は、EDの方が先にあるし、歌番組でもこちらの方を歌っていたから、「追憶のヒロイン」が実質的なA面だったのだろう。しかし、相田翔子さんスタートの歌割りになっているのはOP「イマージュな関係」の方で、MVが作られたのもこちらである。


 歌詞の中に「もう一人の私」など、物語の内容を暗示するフレーズがあるものの、何も知らなければ、この楽曲がアニメの主題歌であると思うことはないだろう。もちろん、コード進行とか、キャッチーなサビとか、どことなく漂うアニソンっぽさは否定できないが、Winkが歌うことで、それらが格好良さへと昇華しているように思う。Winkがアニソンを歌ったと云うより、アニソンをWinkがカバーしたと云うべきであろう。
 楽曲の世界観は、ロッテとルイーザと云うよりも、彼女たちの両親、つまり大人の恋愛を描いているかのようだ。この曲をセルフカバーしての再結成なんてのも、アリに思えてくる。
 
 アニメ「わたしとわたし」について、僕は何も知らないが、素晴らしいファンサイトのおかげで、大まかな内容を把握することができる。有り難いファンというものは、どの世界にも存在するようだ。


 「わたしとわたし」は、1991年11月から1992年9月まで日本テレビ系で、土曜日の18:30から放送されていたようだ。放映期間は、ほぼ1年であるが、全29話と中途半端なのは、放送枠をプロ野球中継と共用していたからで、夏から秋にかけて、物語がクライマックスを迎えているのに、ジャイアンツ戦中継のために、5週連続で放送中止になったりしたらしい。

 原作は、映画の脚本として書かれたから、文庫本にすれば100ページほどの小説に過ぎない。だから、29話のアニメに構成するにあたって、オリジナルのエピソードでふくらめたり、人間関係をさらに複雑にしているのだが、それらは、原作の雰囲気を壊すこと無く、短編小説を見事に長編アニメ作品へと生まれ変わらせているのである。

 4分間の歌に合わせて、物語のあらすじをまとめてくれたPVである。大切なところは、だいたい出ているから、29話全部を見る時間の無い方にはお勧めである。


 児童文学アニメの名作とされ、再放送のリクエストも多いようだが、再放送やDVD化には、新たな著作権契約が必要らしい。著作権料を払うだけの売り上げが見込めないのなら、単なる金銭の問題であるが、親族が権利を相続している場合は、わずかな改作も認めないというケースも多い。ケストナーは1975年に亡くなっているから、著作権フリーとなる没後50年まであと8年だが、著作権法が改正されれば、もはや絶望的である。

 原作の考察とエンディング・テーマについては、次回ということで。

2017年5月19日金曜日

艦これ「阿武隈」MMD動画の完成度が凄い

 先日、ウォーターライン製作記の中で紹介させていただいたMMD動画です。曲は「千本桜」で有名な「黒うさP」氏による「恋愛フィロソフィア」、歌っているのは初音ミク、ダンサーは「艦これ阿武隈改二」になります。


 こちらは、ニコニコ動画へのリンクです。パスワードお持ちの方はこちらを。同じ動画ですけど、艤装付きになってます。

【MMD艦これ】阿武隈改二の恋愛フィロソフィア【モデル配布】

 これ、凄く良いと思いますよ。MMDが公開されて9年になるそうですけど、遂に、ここまで到達したかっていう感じですね。

  MMDの正式名称は「MikuMikuDance」、名前の通り、初音ミクにダンスをさせるために2008年2月に公開されたフリーソフトです。プログラマーの「樋口優」氏が、自家用として、年末年始のお休みを使って組み立てたとされています。
 その最大の特徴は、シンプルで直感的なインターフェイスであること。さらに、モデルや、エフェクト、モーションデータなど、それぞれの分野を得意とするヲタクたちが日々開発し、それらの素材をお互いが共有しているという点にあります。これによって、誰もが簡単にCG動画を製作できるわけです。そして、それらの発表の場としての「ニコニコ動画」存在。
 つまり、自分で楽曲を作らなくても、キャラクターを描かなくても、ダンスを考えなくても、全て借りてくるだけで、動画が作れてしまう。凄いんだけど、誰でもできる。「ご自由にお使い下さい」の究極の形態。著作権を主張しあうので無く、共有するところがMMDの最大の特徴と云えます。

 考えてみれば、この世の中全てのものは、先人たちの技術の積み上げによって成り立っているわけですからね。

 次も「阿武隈」の動画です。モデル作成は、可愛い艦娘をたくさん発表している「つみだんご」さんです。
 

 滑らかに動くものですねえ。モーションキャプチャーしているのかと思いました。

 艦これMMD動画作品は、たくさんのヲタクさんたちの、技術の積み上げによって作成されています。ヲタク連鎖の頂点に君臨するもの、それが「艦これMMD」であり、世界に誇れる日本の文化の1つと云えましょう。

2017年5月13日土曜日

「艦これライヴ 始まるよっ!」のライブ感が凄すぎる

 小ネタです。

 曲名は「恋の2-4-11」と云います。歌っているのは、艦隊のアイドル「那珂ちゃん」です。(声優の佐倉綾音さんでは無いらしい)
 ここでは、「艦これ」とは何かとか、何故、旧帝国海軍のライトクルーザー「那珂」がアイドルなのかとか、「2-4-11」ってどういう意味なのかとか、すべて割愛させていただきます。
 では、何で取り上げたのかと云いますと、とにかく、曲のアレンジが面白すぎだからです。まあ、聴いてみて下さい。


 ライブ会場だと、ベースの音とか、こもるじゃないですか。その辺も忠実に再現していると思います。ドラムの音が雑っぽいところなんて妙にリアルだし。何より、バンドアレンジが「あるある」って感じで面白いです。

 高校生の時に、バンドに誘われて、文化祭でディープパープルのコピーバンドで参加した話を、以前、投降させていただきました。で、その時に、ステージには、バレーボール部の奴らも出てたんですよね。それが、女子バレー部の子たちにアイドル(キャンディーズでした)やらせて、男子バレー部の奴らが、バックバンドやるっていうのだったんです。それが、本当に楽しいステージで、その時から、アイドルライブのバックバンドをやるってのが、僕の密かな夢になりました。
 この動画を見つけたとき、そんな思い出が蘇ってきて、ときかく、ニヤニヤしながら、この動画を見てしまいました。

2016年10月14日金曜日

船舶画家「上田毅八郎」追悼展によせて ~神と呼ばれた二人の箱絵画家~

 展覧会の会場、静岡ホビースクエアの売店で買ってきたウォーターラインです。ネットでも買えますけど、こういう物は、テンション物ですから、やはり売店で買ってしまいます。小さい箱が駆逐艦「暁」、大きい箱が巡洋艦「熊野」です。「暁」の箱絵の作者は「小松崎茂」氏、「熊野」の作者が「上田毅八郎」氏になります。箱絵画家の双璧と称された両氏の作品を並べて写真を撮らせていただきました。


  何十年ぶりかで、ウォーターラインを組み立てました。1/700スケールですから、探照灯なんて、米粒よりも小さいんです。でも、タミヤの模型は、どんなに小さい部品でも穴や突起がついていて、ビシッとつけることができます。プラモデル用セメントも昔よりも品質が良いみたいで、ストレスもなく、作っていて気持ちが良かったです。タミヤは金型を外注せず、昔から自社製だそうですけど、改めて、高い技術に脱帽です。
                                
  赤は情熱、青は精密を表しているそうですよ。

 田宮俊作氏(現タミヤ会長)が大学を卒業し、父親の経営する木材模型会社(田宮商事)を手伝い始めたのが、昭和33年。俊作氏は、単純なラベルが貼ってあるだけだった模型の箱に、専門家に描いてもらった軍艦の原画を、写真製版で印刷することを思いつきます。クオリティの高い箱絵をつければ、店頭に並べた時に人目を引き付けることができるし、模型の商品価値も上がると考えたからです。
 そこで、俊作氏は、当時同じ町内に住んでいた「上田毅八郎」氏を訪ねます。毅八郎氏は、塗装業を営む傍ら、趣味で軍艦画を描いていました。氏が描く精密な軍艦は、近所でも評判となっていたからです。毅八郎氏は、俊作氏の申し出を快諾します。

 「上田毅八郎」は、1920年、静岡県藤枝市生まれ、小さい頃から乗り物が好きでよくスケッチをしていたそうです。父親の営む塗装業を手伝った後、召集され、陸軍の徴用輸送船に高射砲兵・機銃士として乗り込みます。従軍していた3年8ヶ月の間にジャワ島、アリューシャン列島、ラングーン湾など南・北太平洋からインド洋まで転戦します。毅八郎氏は、見張りなどの軍務の傍ら、乗船やすれ違う艦船などを軍事郵便ハガキにスケッチしていたそうです。上官の目を盗んで、1枚を数分で描き終え、描いたスケッチは弾薬庫に隠していたそうです。軍艦のスケッチなんて、スパイ活動と疑われれば、大変なことになると思いますが、描きたいという衝動を抑えきれなかったのでしょう。
 毅八郎氏が、海戦の場となった様々な海や空の色、船の速度による煙のたなびき方や波の切り方の違いなどを描きわけることができるのは、氏の従軍による実体験があればこそだと云われています。見張りの時に、見たこともない巨大な戦艦が二隻並んでいるのを見たそうですが、それが「大和」と「武蔵」だったそうです。実戦配備された本物の大和と武蔵を見たことのある人が、絵を描いているんですから、敵うはずがありません。

 毅八郎氏は、26隻の輸送船に乗船し、6回撃沈されたそうです。6回目の撃沈の際に、右腕と右足に大怪我をし、利き腕の自由を失います。復員した毅八郎氏は、ペンキ職人として、看板の文字などを書く仕事の傍ら、趣味として艦船などの絵を「左手」で描き続けていました。
 俊作氏の申し出を受けた毅八郎氏は、日本で最初のボックスアーティストとなりました。

 まもなく、模型は、プラモデルの時代になりました。田宮模型もたくさんのプラモデル商品を発表していきます。しかし、毅八郎氏はあくまでもペンキ職人であり、箱絵画は副業でした。仕事が終わってから描く絵の数には、限界がありました。プラモデルの時代になって、タミヤは小松崎茂氏にも箱絵の依頼をするようになります。

 「小松崎茂」は1915年、東京生まれ、最初は、日本画家を志しますが、転じて、挿絵画家の道を歩むようになります。戦時中から、戦争物や空想科学を題材にした絵物語や挿絵を描き、戦中、戦後を通して、空想科学イラスト、メカイラストに関しては、絶大な人気を博していました。
 タミヤにおける小松崎氏の功績の1つが、モーターライズ戦車プラモデル「パンサータンク」の箱絵です。経営的にも苦しかった当時のタミヤが、社運をかけて制作したのが、モーターで走る戦車のプラモデルでした。氏が描いた「パンサータンク」の絵からは、硝煙やオイルの匂いが漂うようだと云われ、小松崎氏の画力とタミヤの模型技術によって製品はヒットし、タミヤの経営が軌道に乗るきっかけとなりました。


やがて、タミヤは、海外への輸出に力を入れるようになります。そこで懸念されたのが、模型の内容と箱絵のギャップでした。箱に入っていない物を箱絵に描くことは、外国、特にアメリカの消費者団体などから不正表示とされる恐れがありました。タミヤは、商品イメージを膨らませるダイナミックでドラマチックな箱絵から、精密な資料性の高い箱絵への転換を行います。
 小松崎氏のタミヤでの箱絵の仕事は1971年、1/700ウォーターラインシリーズの駆逐艦が最後となりました。最初に貼りつけさせていただいた模型の写真がそれにあたります。
 
 代わって、ウォーターラインシリーズの箱絵を手掛けたのが、上田毅八郎氏でした。毅八郎氏は、この頃、塗装業をやめ、画業に専念するようになります。ウォーターラインシリーズは、静岡の模型会社4社の協同企画製品ですが、毅八郎氏は、それらの箱絵のほとんど全てを担当することになります。
 小松崎氏を芸術家だとすると、毅八郎氏は職人でした。小松崎氏の描いた箱絵には、画家としてのサインがありますが、毅八郎氏の絵には、ほとんどサインがありません。そんなところからも、両氏の作画に対するスタンスの違いが現れているように思います。

 小松崎氏は、タミヤの仕事から手を引いた後も「バンダイ」など国内市場が主力の模型メーカーの箱絵を担当します。特に「今井科学」の「サンダーバード」シリーズは、氏の代表作になりました。小松崎氏のダイナミックで夢にあふれた構図は、アニメ・特撮物の箱絵にうってつけでした。


 小松崎氏が戦後もメカイラストを描き続けたのは、進駐軍の兵士に物乞いをする日本の子供たちの姿を憂いたからだと云われています。氏は、子供たちに夢を与えるためにイラストを描き続けました。夢を与えられた子供たちは大人になり、未来への夢を描くイラストレーターや漫画家になりました。氏のイラストは、現在のアニメ界に多大な影響を与えたと云われています。アニメの原点は「手塚治虫」氏にありますが、メカニックデザインに関しては、その原点は、小松崎茂にあります。

 上田毅八郎氏もまた、船舶の絵を描き続けました。氏の絵から伝わってくるのは、艦船に向けられた強い想いです。ウォーターラインの箱絵の軍艦は、北太平洋の鉛色の海や、南洋のセルリアンブルーの海を進んでいます。ウォーターラインの箱絵に、戦っている軍艦が描かれることはありませんでした。氏は、軍国主義者でも、反戦画家でも無く、ただ、単純に、軍艦が好きだったのだと思います。田宮俊作氏は、追悼文をこう結びました。「これほど日本帝国海軍の艦船を愛情をこめて見事に表現された方が、あったであろうか。」と。




 僕の買ってきたウォーターラインですが、二人の画家について知っていて選んだのだったら格好良かったんですけど、実は偶然なんです。買ったときは、2つとも毅八郎氏の絵だと思っていました。で、家に帰って見てみたら、箱絵のサインが違うじゃありませんか。それで、小松崎氏のことをいろいろと調べて、今回の記事になったというわけです。ぶっちゃけ、ウィキペディアの毅八郎氏と小松崎氏の項目を足して割ったものに、ちょびっと付け加えてできたのが、この記事です。

 小松崎氏がタミヤの仕事から離れた時期と、毅八郎氏が画業に専念する時期が一致しているのは、偶然なのか関係があるのか、僕には分かりません。ただ、タミヤでは、その後も、小松崎氏に教えを受けた、いわば弟子にあたる人たちが仕事をしています。小松崎氏は、当時、多忙を極めていましたから、喧嘩別れをしたというよりも、代われる人があれば、代わりたかったと云ったところだったのかも知れません。

 小松崎氏の華々しい業績に比べると、毅八郎氏の地味な印象は否めません。これは、小松崎氏が画家に師事し、若いときからプロの絵描きとして活躍したのに対して、毅八郎氏は人生の大半をペンキ職人として過ごし、画業に専念したのが50才を過ぎてからだったためです。
 毅八郎氏の葬儀は、家族葬で行われ、その死も田宮会長など極めて親しかった人にしか伝えられませんでした。しかし、その死を知った人たちから、多くの追悼の言葉が寄せられ、追悼展を開くに至ったことは、氏の業績が決して小さなものではなかったことを表していると思います。上田毅八郎の名前を知らなくとも、ウォーターラインの絵を描いた人だと聞けば、「ああ」と思い、展覧会に足を運んだ人も多かったと思います。

 名が広まることはなくとも、その業績は確かに世に残りました。毅八郎の人生は、正に、職人の人生そのものであったと思います。

2016年10月10日月曜日

船舶画家「上田毅八郎」追悼展 ~作品紹介編~

  「艦これ」の記事でも書かせていただきましたが、僕は、子どもの頃、海軍オタクでした。旧日本海軍の艦名をほとんど覚えていましたし、写真を見て艦名を当てることもできました。当然のことながら、プラモデルのウォーターラインシリーズを集めていました。僕は、艦艇が描かれたプラモデルの箱絵にも魅了されていました。プラモデルを作ってしまうと、箱は不要になりましたが、捨てることができなかった僕は、絵の部分を切り取って、大事にとっておいたのを覚えています。

 箱の絵(ボックスアート)を手掛けていた人たちは、箱絵画家と呼ばれ、その出来は、プラモデルの売上げを左右するものでしたから、各社とも力を入れていたようです。その箱絵画家の双璧といわれていたのが「小松崎茂」氏と「上田毅八郎」氏でした。
 上田毅八郎氏は、今年の6月に97才で逝去されました。先週、追悼展が「静岡ホビースクエア」で開かれました。わずか10日間ほどの小さな展覧会でしたが、地元の新聞社やテレビ局に取り上げられたためか、多くの人たちが訪れていました。
来場者は、プラモデルを作っていたようなマニアばかりでなく、一般の方も多かったように思います。お年を召された方が、家族に付き添われたりして、何人か来ていました。「天皇陛下から戴いた船に・・・」なんていう会話をしていましたから、どうやら、若い頃、海軍の兵隊さんだったようです。そうかと思えば、中学生くらいの女の子が、オタク的知識を披露していて、一体この子は、何をきっかけに海軍オタクになったのだろう、「艦これ」の影響だろうか、などと考えてしまいました。

 展覧会では、写真OKでした。「ご自由に撮って下さい。そして、拡散して下さい。作品を沢山の人たちに広めて下さい。きっと故人も喜ぶはずです。」とのことでしたので、僕もたくさん写真を撮ってきました。ただ、ほとんどの絵がパネルに入っていたものですから、蛍光灯などの映り込みがあって、僕の写真の腕ではちょっと力量不足でした。その中で、まあ上手く撮れたものをいくつか貼りつけさせていただきます。


 3本煙突が特徴の「軽巡洋艦」です。船体に錆が描かれているのが分かりますでしょうか。毅八郎氏の絵の最大の特徴は、リアルな描写にあります。氏は、太平洋戦争中に陸軍の高射砲兵・機銃士として輸送船に乗り込んでいました。各艦の波の切り方や船体の錆の出方などは、実戦で本物の軍艦を見ていた毅八郎氏だからこそ描けたと云います。
  「長良」型のようですが、主砲が対空砲に改装されています。調べてみましたら、どうやら軽巡洋艦「五十鈴」のようです。レトロな感じの3本煙突と近代的な対空兵装のアンバランスな感じが面白いです。それにしても、綺麗な海の色です。毅八郎氏は、船を描く前に、まず海や空を描いたそうです。


 こちらは、主砲が単装砲になっています。このタイプの巡洋艦は、旧式で地味でしたので、子どもの頃は、あまり格好いいと思いませんでしたが、大人になって良さが分かってきたように思います。背景も地味で、渋い感じです。「単装砲って、何気に侘び寂び」ってのは「艦これ」の台詞ですが・・・スミマセン、今回は「艦これ」の話は封印します。


 こちらは、新型の軽巡洋艦「阿賀野」型です。同じ軽巡洋艦でも印象がだいぶ違います。新型といっても、この船が就役した時には、すでに航空機戦の時代になっていました。


  僕が、軍艦の中で最も美しいと思っている「重巡洋艦」です。最上型のようです。時化の中を進 む巡洋艦の艦首を波が洗っています。毅八郎氏は、どのくらいの時化だと何処まで波を被るかが分かっていたそうで、決して、想像で描いているのではないとのことです。                                


夕日をバックにした。停泊中の重巡洋艦「鈴谷」です。プラモデル屋さんで、こんな箱絵を見たら絶対欲しくなりますよね。毅八郎氏の箱絵には、戦闘の場面というのが、ほとんど無いのも特徴の1つだと思います。朝焼けだったらごめんなさい。


僕の大好きな巡洋艦「熊野」の原画です。


で、実際の箱がこれです。売店で買ってきました。プラモデルを買うなんて何十年ぶりかです。当たり前のことですけど、「あ、絵が同じだ」って思いました。この箱も捨てられそうにありません。
 主砲が15.5cm3連装砲ですから、重巡洋艦に改装される前の型がプラモデルになっています。この型の巡洋艦は、後に主砲が20.3cm連装砲塔に換装され、重巡洋艦になりますが、15.5cm3連装砲は、かなり使い勝手の良い大砲だったようで、交換される際、砲術士達は、名残惜しがったと云います。撤去された主砲は、「大和」や「武蔵」の副砲として転用されたそうです。


次は、航空母艦です。たぶん「蒼龍」だと思います。先ほど、艦名を全て当てられると云ってしまいましたが、自信がなくなってきました。



艦橋の形からすると、「隼鷹」のようです。同型艦の「飛鷹」かもしれませんけど、「飛鷹」はウォーターラインのラインナップには無いようですから、「隼鷹」だと思います。今頃、何でこんな推理をしているかと云いますと、写真を撮ることばかり一生懸命で、艦名が書いてある札をほとんど見てこなかったからです。
 アメリカの航空母艦みたいなデザインですね。子どもの頃の僕は、空母では正規空母の「翔鶴」「瑞鶴」が好きでした。「隼鷹」は改装空母で地味なイメージだったので、あまり注目してませんでしたが、改めて見るとなかなか格好いいです。プラモデルが欲しくなりました。


駆逐艦です。艦名を推理するのは、あきらめました。会場で出会った女の子なら、きっと言い当てられると思います。


駆逐艦「雪風」です。これは、絵のタイトルをちゃんと見ましたから間違いありません。二番砲塔が機銃座に改装されているので、戦争後期の姿のようです。「雪風」については、以前、記事にさせていただきました。軍艦は、残された資料や写真を見ればある程度正確に描けると思いますが、駆逐艦が進むときの波形などは、余程の確信がなければここまでダイナミックには描けません。「これ、ありえないでしょう」なんて云おうものなら、怒鳴られるでしょうね。本物が海原を進んでいるところを見たという毅八郎でなければ描けない作品だと思います。

 この他にも、戦艦の他にドイツ海軍、アメリカ海軍などの外国の艦艇の絵もたくさんありました。

  上田毅八郎氏は、従軍していた3年8ヶ月の間、赤道近くの南国の海から、極寒の北太平洋まで転戦しました。毅八郎氏は、海戦となった様々な海の色を覚えていて、描き分けることができたそうです。
 乗船した輸送船は26隻。撃沈されること6回。6回目の撃沈の時、右腕に大怪我をして利き腕の自由を失います。ですから、ここに展示されている絵は全て、利き手では無い左手で描かれたものです。戦争で片腕を失うというと、漫画家の「水木しげる」氏を思い浮かべますが、6回も海に投げ出されて、生きて帰ってきたというのは、奇跡としか云いようがありません。


 毅八郎氏は、輸送船の絵を何枚も描いたそうです。残された写真や資料もほとんど無いなかで、毅八郎氏は、戦地でこっそり描いたスケッチと自らの記憶をもとに、失った多くの戦友を想いながら、輸送船の絵を描き続けたそうです。

 上田毅八郎氏がプラモデルの箱絵を描くようになった経緯については、次回ということで。
 今日は、ここまでにさせていただきます。

2016年1月7日木曜日

「信長の野望」と「真田太平記」 ~大河ドラマ「真田丸」によせて~

 子どもの頃と違って、大河ドラマを毎週欠かさず見ることも無くなってしまいました。でも、何年かに1回は、見ているんですよ。最近見たのは、「平清盛」です。仏像が盛んに作られた時代を扱ってくれたってこともありますけど、リアルな描写にこだわって、「わかる奴だけついて来い」みたいな作り方が最高でしたね。だいたい、院政期なんて、マニアック過ぎるでしょ。歴史の教科書だって、藤原道長の次は、いきなり平清盛と後白河法皇ですし。そんな隙間のマイナーな時代を、ほとんど解説も無しに話を進めちゃったんですからw
 結局、視聴率が悪くって、視聴者に媚び始めて、頼朝が出てきてからは普通のドラマになっちゃって、つまんなくなりました。

 で、今年は、真田信繁だそうです。幸村としないところが、気に入りました。視聴者に媚びを売らないぞって感じですが、脚本が三谷幸喜ですし、ちょっと楽しみではあります。

 そして、そのドラマで使用するCGをコーエーテクモゲームスが手掛けるというのです。「光栄」といえば、「信長の野望」の「シブサワ・コウ」じゃないですか。とっても懐かしくなって、この記事を投稿した次第です。

 「信長の野望」は、戦国シュミレーションゲームの偉大なヒット作です。僕も持ってましたよ。もちろん第1作目です。確か、当時のパソコンは、初ボーナスで買ったPC8001mkⅡか、中古で買ったPC8801mkⅡですから、プログラムには、BASICを使っていたはずです。

 僕は、BASICには、多少の知識もあって、簡単なプログラムは、自分で組んでいましたんで、ゲームとかを買っても、勝手にプログラムを書き換えたりして遊んでました。だから常に、これくらいなら自分でも作れるかも、って云う思いがあったんですけど、「信長の野望」は、ちょっと手が出なかったですね。僕が、初めてプロのプログラマーの力を見せつけられた作品でもありますw

 といっても、初期のパソコンゲームですから、音楽など無くってビープ音のみ、もちろんグラフィックも描かれないゲームでした。中部地方を6角形のヘクスマップで表している、今から考えると信じられないような単純なゲームですけど、想像力を駆使して楽しんでました。
 コンピュータの戦略も極めて単純なので、パターンを覚えてしまうと、あっけなく勝っちゃうんですよね。でも、いつまでもやっちゃうんです。流行の言葉で言うと、「ルーティーン」て云うんでしょうか。単純作業の繰り返しって、中毒性がありますでしょww

 でも、戦国シュミレーションゲームとしてのアイデアは、さすがでしたよ。今は、どんどんCGもリアルに、シナリオも複雑になっていますけど、基本的なコンセプトは、この時のままなんでしょうから。
 その後、信長の野望シリーズは、何作もって云うか、今も発表され続けてますけど、僕は、しばらくして、パソコン自体に飽きてしまったんで、結局、遊んだのは、1作目だけでした。

 で、真田もので思い出したんですけど、NHKって、1985年に「真田太平記」を放送してたんですよ。大河ドラマじゃないのにも関わらず、かなり気合いの入った時代劇シリーズで、1年間放送していたと思います。NHKも景気が良かったんですね。僕、大好きで、毎週欠かさず見てました。
 
 で、その時、「真田幸村」を演じた「草刈正雄」が、今度は、父親役の「真田昌幸」を演じるというのが、時の流れを感じさせますね。ちょっとだけ、物語のキーパーソンを比べてみましょう。
                                                       
                            時代劇「真田太平記」        大河ドラマ「真田丸」
   原作または脚本     池波正太郎      →          三谷幸喜
   真田信繁(幸村)      草刈正雄         →        堺 雅人
   父 真田昌幸          丹波哲郎         →        草刈正雄
   兄 真田信之          渡瀬恒彦         →        大泉 洋
   (猿飛)佐助            中村橋之助     →         藤井 隆
   豊臣 秀吉              長門裕之         →          小日向文世

                                      どっちが大河ドラマか、分からないですねw

2015年10月31日土曜日

本日ハロウィンということで、東方ProjectのMMDを

 松浦亜弥さんファンの方々には、スルーを推奨いたしますwww

 特にこれといった理由はないのですが、東方ProjectのMMDを漁っていたら、ニュース映像に出てきたハロウィンの仮想集団を連想したものですから、投稿してしまいました。

 僕は、年代的に、ハロウィンも東方Projectも無縁なんです。だから、意味も分からず見ているだけなんですけど、何か楽しいし、良くできてるし、気分転換というか、テンション上げたいときに良いんですよね。センターの女の子は、「アリス」って云うらしいです。

 ガンダムの初期のモビルスーツが、いろいろ出てきますけど、名前も忘れてしまいましたww




2015年10月26日月曜日

マクロスF「星間飛行」~中島愛&メグッポイド&初音ミク~

 「星間飛行」は、テレビアニメ「マクロスF(フロンティア)」の挿入歌で、劇中のアイドル歌手「ランカ・リー」の楽曲として使用されました。「中島愛」さんは、2007年、オーディションで選ばれた、ランカ役の声優さんで、これがデビューシングルになります。そして、中島愛さんは、インターネット社のボーカロイド「Megpoidメグッポイド(GUMI)」の音声データの提供者でもあります。つまり、

          [ ランカ・リー ] ⊂ [ 中島 愛 ] ≒ [ GUMI ]  ということになります。

 ということで、今回は、オタクが云うところの「中の人」と「ボーカロイド」の共演です。まず、「中の人」にお手本を示してもらいましょう。




 なかなか、格好いい曲ですね。「キラッ」がクセになりそうです。作曲は、アニソンやゲーム音楽を数多く手がける「菅野よう子」さん。作詞を、松田聖子さんの楽曲を手がけた、大御所「松本隆」氏にオファーするなど、気合いの入り方が半端ないですね。楽曲のキャッチフレーズは、「銀河一のアイドルのデビュー曲」。ギターのフレーズは、まるでディープパープルのスモークオンザウォーターみたいですww
 僕は、決してアニメオタクではありませんが、この子、ちゃーんと歌っているし、こんな娘がライブをしているのなら、ちょっと覗いてみたくなりました。声優アイドルというのは、基本ソロですから、失われた昭和のアイドルの雰囲気を感じます。

 続いて、メグッポイド(GUMI)のテイクを貼り付けさせていただきます。良く調教されていたニコニコ動画を、勝手に(?)転載していたYouTubeの動画群があったんですが、著作権侵害の疑いで、ことごとく音声トラックがミュート状態になっています。
 ということで、今回は、やむを得ず静止画で届け致します。

 これもセルフカバーって云うんでしょうかねw


 どうしても動画が良いという方に、ニコニコ動画へのリンクですw。IDをお持ちの方はどうぞww


 メグッポイドは、中島愛さんの音声データからつくられたボーカロイドです。当然のことながら、やっぱり似ているなあと思う反面、ボーカロイドの特性として、どうしても滑舌が悪くなっていますね。このテイクは、そのへんを調教の技術で、比較的、違和感なく歌わせています。
 コピーした物を一生懸命修正して、オリジナルに近づけているってことなんですけど、だったら、最初からコピーでなく、ご本人に歌ってもらえばイイのですが、まあ、そのへんは触れないでおきましょうw

 ここで、参考までに初音ミクのテイクをお届け致します。画面の縦横比がおかしいんですけど、今回は、あくまでも音声の研究と云うことでご勘弁を。2009年の投稿ですが、なかなかの調教ですよ。


 比べてみると、やっぱりミクは声が幼いですね。
 でも、改めて感じたんですけど、ミクの歌声ってボーカロイド独特の個性というか、味があると思うんですよ。何をどう歌わせてもミクは、ちゃんとミクなんですよね。何か、無理に人間の声に近づけなくっても良いと思わせるものがあるように感じます。これって、ねらってできるものではないし、初音ミクが、奇跡の歌声と言われるのも分かるような気がします。
                
 今回、1つの人間と2つのコンピュータのテイクを聴き比べてみました。ありふれた結論ですけど、やっぱり人間っていいなって思いました。あの「キラッ」は現在のボーカロイドの技術では、太刀打ちできませんww

 中島愛さんは、現在26才、昨年より無期限の活動休止中とのことで、メグッポイドが歌声の代役を引き受ける場面は当分続きそうです。

2015年10月18日日曜日

駆逐艦「秋月」 ~期待の防空艦の末路~

 しつこいとは、思いますが、「雪風」「島風」と続きましたら「秋月」についても書かないわけにはいきません。ただ、このブログが一体何なのかという問題も出てきましたので、とりあえずは、これで一区切りとさせていただくことを、予めお伝えしておきますww

 ここまでの記事で、対艦攻撃用に特化した日本の駆逐艦が、いかに悲惨な最後を迎えたかを投稿させていただきました。
 日本の駆逐艦は、アメリカの潜水艦に対しても有効な働きができませんでした。高性能のソナーが開発できなかったということもありますが、大西洋でドイツのUボートと熾烈な戦いを経験していたアメリカ海軍にしてみれば、太平洋の日本軍の潜水艦戦など比べものにならなかったのでしょう。アメリカの潜水艦に撃沈された日本の艦船は数えきれませんが、日本の駆逐艦がアメリカの潜水艦を撃退したという話はほとんどありません。

 さて、そんな旧日本海軍ですが、ようやく防空艦の建造に着手します。それが秋月型駆逐艦でした。秋月型の駆逐艦は、終戦までに12隻が竣工します。
 秋月の最大の特徴は、長10センチ高角砲を8門装備していることでした。砲身寿命が短く、頻繁に砲身を交換しなくてならないという短所はありましたが、長射程、高初速の、駆逐艦に搭載された初の対空砲でした。

 これが本物の秋月です。


 で、これが艦これの秋月のフィギュアですw。青島製作所が作っているんですね。世の移り変わりを感じます。これを、1万円出しても買いたい奴がいるというのも凄いですけど。


 他の駆逐艦より、少し大人っぽいのは、秋月型が大型の駆逐艦だからでしょうか、右の太腿に付けているのは、予備の砲身ですね。まったくオタク心をくすぐる完璧な設定です。

 で、フィギュアの背中をご覧になればお分かりかと思いますが、秋月には、4連装の魚雷発射管が一基搭載されました。防空直衛艦として構想されたものの、結局は、魚雷を搭載する対空型駆逐艦として建造されたのです。防空の直衛艦という弱腰の発想では、建造の認可が下りなかったといわれています。で、形ばかりではありましたが、魚雷発射管を1基だけ搭載して、駆逐艦としての体裁を整えたようです。軍令部の艦隊戦へのこだわりは、この段階にきても、未だ解消されていませんでした。

 秋月は、最初の実戦で、米軍のB-17を撃墜するという戦果を上げます。米軍司令部は、この事態に驚き、全部隊に秋月型の艦艇には近づくな、という指令を出したと云われています。本当にこんな指令が出ていたのかを疑問視する研究家も多いのですが、まあ、エピソードしては、面白い話かなと思います。

 で、このことをもって、いかに秋月が優秀であったのかを語るオタクがいます。中学生だった僕もそうでした。最初から秋月型を量産していれば、戦争に勝てたんじゃないか、なんてねw。
 しかし、飛んでいる航空機を撃ち落とすというのは、簡単なことではありません。対空用の射撃レーダーとか、VT信管とか、高度なシステムが必要なんです。日本には、そんなものはありませんでした。いくら高性能な対空砲を持っていたとしても、人力に頼っている限り、当たればラッキー程度の代物だったんです。
 大人になった僕なら、このエピソードの本当の意味が分かります。賞賛すべきは、米軍の対応です。僅かでも問題点があれば、徹底的に分析して対策を考え、何よりその情報をいち早く末端の実戦部隊に伝えるというシステムです。だからこそ、米軍は、緒戦に負けても、次は必ず勝ちました。戦えば戦うほど強くなる軍隊でした。たった1回の、秋月の成功体験にすがり続けた日本海軍とは歴然とした差がありました。

 1944年10月、秋月は、空母「瑞鶴」を含む4隻の航空母艦からなる機動部隊を護衛して、フィリピンに向けて出撃します。瑞鶴は、真珠湾攻撃にも参加した正規空母でしたが、度重なる敗戦で、優秀な搭乗員を失い、パイロットの多くは、発艦はできても着艦ができないという有様でした。実際、空母から発艦した攻撃隊は、母艦に戻らず、そのままマニラの飛行場に向かうよう指示されていました。この名ばかりとなってしまった日本海軍最後の機動部隊の任務は、アメリカ機動部隊をおびき出すための囮でした。
 エンガノ岬沖海戦とよばれるこの戦いで、秋月は、急降下爆撃機からの直撃弾を受けて機関が損傷、その直後、搭載していた魚雷が誘爆を起こし、船体が2つに折れて沈没してしまいます。
 魚雷の誘爆の原因については、直撃弾の影響とも、味方の艦艇が放った対空砲弾の破片によるものとも云われています。
 本来、防空艦と構想されていた秋月は、雷装をする計画などありませんでした。駆逐艦としての体裁を整えるために取り付けた1基の魚雷発射管が、秋月に致命傷を与えてしまったのです。

 機動部隊には、秋月の同型艦「初月」も参加していました。初月は、沈没した瑞鶴などの乗組員の救助にあたっていましたが、来襲した米巡洋艦隊の砲撃を受け撃沈しました。乗組員全員が戦死したため、沈没時の詳細が分かったのは、戦後に米軍の報告書が公表されてからでした。報告書によると、初月は単艦で15隻からなる米艦隊に砲撃戦を挑み、2時間に渡って、艦隊を足止めしていました。米艦隊は、単艦で向かってくる初月を小型の戦艦か巡洋艦だと思っていたそうです。なぜ艦隊戦に不向きな防空艦が砲撃戦に挑んだのかについては分かりませんが、恐らく味方の艦艇を逃がすために自ら囮になったのだろうと云われています。

 この戦いで、日本海軍は、参加した4隻の航空母艦を全て失い、真珠湾攻撃で世界中を震撼させた日本海軍の機動部隊は壊滅しました。

 お終いにちょっとだけ、勇ましい話をします。太平洋戦争で旧日本海軍は、大小11隻のアメリカの航空母艦を沈めていますが、歴史上、21世紀の今日に至るまで、アメリカの空母を沈めた国は日本だけなんですよ。

 貼り付けさせていただく動画は、艦娘による「恋の2・4・11」です。艦これMMDは、食物連鎖ならぬオタク文化連鎖の頂点に君臨するものだと思います。太平洋戦争では日本を圧倒したアメリカも、この分野では、日本には遠く及ばないでしょうww。


 艦これについては、これで一区切りです。久しぶりに戦史を読み返して、勉強になりました。子どもの時には見えなかったことも、いろいろと分かりましたし。
 また、近いうちに書きたくなるかも知れません。今度は、巡洋艦がいいですかね。

 戦艦ですか?・・・ないと思います。だって、僕は、セクシーな大人の女性より、可愛いアイドルたちが好きなんですからwww

2015年10月11日日曜日

駆逐艦「雪風」 ~帝国海軍で最も有名な幸運艦~

 今回紹介させていただくのは、旧日本海軍で最も有名な駆逐艦「雪風」です。雪風は陽炎型の8番艦として建造されました。陽炎型は、全部で19隻建造された主力駆逐艦で、現在も旧海軍の駆逐艦といえばこの陽炎型がイメージされることが多いと思います。
 
 そういえば、「宇宙戦艦ヤマト」で、「古代進」の兄、「古代守」が艦長を務めていたミサイル駆逐艦も「ユキカゼ」でしたね。駆逐艦のプラモデルで一番売れているのも、たぶん雪風だと思います。これが本物の雪風です。


 貼り付けさせていただく動画は、艦これMMDの「雪風」による「GIFT/花束P」です。これは、歌い手さんのテイクになりますが、元はボカロ曲です。昔のボカロ曲は、こんな風に、素直で微笑ましくて、ほのぼのとして、それでいて切なさに胸が締め付けられるような、可愛い曲がたくさんあったんですね。
 艦これでも雪風は人気キャラだそうで、確かに可愛くできています。でもなかなか手に入らないレアな艦だそうですよ。


 雪風が有名なのは、何と云っても、その武運の強さです。太平洋戦争の主だった作戦のほとんど全てに参加しながら、終戦まで無傷で生き延びたのですから。
 参加した作戦数は、少なくとも16回。雪風の武運の強さは、戦時中の早い時期から有名になっていて、なかには、艦隊がほとんど壊滅状態になった作戦でも、雪風だけが無傷で帰還してきたので、周りの者は、かえって気味悪がったといいます。

 戦争で生き延びるための最大の要因は、「運の良さ」に尽きますが、命中したと思われた魚雷が艦底の下を通り抜けていった、などというエピソードなどは、もはや神がかっているとしか云いようがありません。

 数々の作戦に参加した雪風ですが、最も有名なのは、戦艦大和と共に出撃した沖縄水上特攻でしょう。この作戦では、他に軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻も参加していますが、帰還できたのは雪風を含めた4隻の駆逐艦だけでした。この戦いでも雪風は、沈没した大和の乗組員を救助して、ほとんど無傷で帰還しています。

 この水上特攻は、沖縄までの片道分の燃料しか積んでいなかったとされていて、僕もずっとそう信じていたんですが、今回この記事を書くに当たって調べてみましたら、燃料は十分に往復できるだけ積んでいたとありました。作戦に参加しない艦艇の燃料を抜き取るなどして、とにかくありったけの重油を積み込んで出かけたらしいです。ということは、この作戦が本当に最初から水上特攻であったのか、疑わしくなってきました。まあ、しっかりした戦略の基に実行された作戦でないことだけは確かなようです。
 この作戦を最後に、海軍の艦隊行動は事実上終了します。日本には、もう1滴の重油も残っていませんでしたから。

 艦これの「雪風」で最も特徴的なのは、首からぶら下げている大きな双眼鏡です。キャラクター設定の説明書きによると、雪風は、激戦を生き延びた分、多くの僚艦の撃沈場面も目撃していて、その数60隻以上と云われているそうです。雪風は最も多くの悲劇の目撃者であることをイメージして、双眼鏡を持たせたとありました。
 って、神妙になってみせたところで、キャラクターの女の子は、パンツが見えそうなミニスカートなんですから、「艦これ」は、本当に不謹慎極まりないゲームだと思いますww。

 で、初音ミクとの接点なんですが、雪風のキャラクターボイスが初音ミクと同じ声優「藤田咲」さんである、というだけのことですw。藤田さんは、他にも空母「赤城」など8艦のキャラクターボイスを担当しているようです。

 次に貼り付けさせていただく動画は、「SPiCa」。歌は、初音ミクですので、雪風自身が歌っていると思いながら聞くことも可能かと思います。MMD動画も良くできていると思いますよ。


 雪風は、戦後、復員船として使用されました。漫画家の水木しげる氏も雪風に乗って復員した1人だったそうです。
 その後、中華民国に賠償艦として引き渡され、「丹陽」と名を変え就役、1969年、台風により破損、廃艦とあります。竣工以来30年、賠償艦の多くが標的艦などに使われて、無残に沈められたことを考えれば、異例の長寿だったことになります。

 やはり、雪風は最後まで幸運な軍艦でした。

 最後の曲は、「トゥインクル」。世界一平和で、お気楽な、日本という国に生まれてきたことに感謝しながら、お終いにします。


2015年10月4日日曜日

マイケル・ジャクソン「スリラー」他 ~艦これMMD 駆逐艦編~

 家族には内緒ですけど、相変わらず「艦これMMD」の動画を見ています。
 「艦これ」は、艦艇の大きさと、キャラクターの設定年齢がリンクしているようで、戦艦や航空母艦は、ちょっと大人っぽいイラストになってます。巡洋艦は高校生キャラのようです。で、駆逐艦になると、中学生キャラなんですよね。日本アイドル史を研究している自分としては、このあたりが気になるところですw。

 誓って云いますが、僕は、決してあぶないオヤジではありません。純粋に,日本のオタク文化を研究しているだけです。

 まずは、駆逐艦娘たちによる、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を貼り付けさせていただきます。
 日本のオタクの総合力の高さを示している作品です。これ作るのに、どれくらいかかるのでしょうか。是非とも、教えていただきたいところです。


 駆逐艦は、艦隊では護衛や哨戒の任務が主ですから、数多く建造することが求められます。したがって、量産することを重視した設計になっていますが、日本は、条約や工業力の関係などで、欧米のように大量生産ができません。ですから、1隻、1隻を比較的丁寧に建造していたそうで、日本の駆逐艦は性能も良く、1対1の対決ならば、負けなかったと云われています。
 ただそれは、あくまでも、対艦攻撃についてのこと、潜水艦や航空機に対する戦闘能力は、やはり脆弱で、開戦時、百隻以上あった艦艇は、そのほとんどが終戦までに失われるか、破壊され、健在だった艦は10隻にも満たなかったと云われています。

 次に貼り付けさせていただく動画は、「五月雨」と「涼風」による「ハイファイレイヴァー」です。この曲は、いろいろなキャラクターで動画が作られていますが、この「涼風」「五月雨」コンビのダンスが最高に可愛いと思います。一応申し上げておきますと、髪の毛の長い方が「五月雨」です。


 背中にしょっているのは、61cm4連装魚雷発射管。左手に持っているのは、主砲の12.7cm連装砲ですね。

 五月雨は白露型の6番艦。有名な「キスカ島撤退作戦」の他、数多くの艦艇護衛や補給任務の後、在留邦人の救援活動中にパラオ近海で座礁。B-24の空襲や米潜水艦の雷撃により大破、放棄されたとありました。夜戦で味方の戦艦に機銃を誤射して、高射砲で反撃されたり、嵐の中で艦隊から落伍して迷子になり、巡洋艦が探しに行ったなどのエピソードから、「艦これ」でも「ドジッ娘」キャラ設定となっているようです。さすが「艦これ」、オタク心をくすぐってきます。

 涼風は同じく白露型の10番艦。ガダルカナルへの輸送、戦艦や空母の護衛、非武装船団の護送などに従事した後、ポナペ島沖北東で輸送船団護衛中に米潜水艦の雷撃を受け轟沈。艦長以下、乗組員のほとんどが涼風と運命を共にし、231名が戦死、生還者は14人だけだったそうです。

 いつもながら、史実とキャラクターのギャップが凄いです。ご冥福をなど、軽々しく言えたものではありません。しかし、不謹慎極まりない発言ですが、このギャップこそが「艦これ」の魅力とも云えます。

 最後は、装備を降ろした「涼風」と「五月雨」による「独りんぼエンヴィー」でお終いにします。


 装備があったほうが良いですかね。やはり、艤装こそが艦娘が艦娘である所以ですから。

2015年8月22日土曜日

サンダーバード ~込められた平和への願い~

 今秋、サンダーバードの誕生50周年を記念して、新シリーズが放送されます。CGと実写モデルを融合させ、旧作のファンも納得の映像らしいです。新型機のメカニックデザインは、なんと河森正治氏が手がけたそうですが、残念ながらロボットには変形しないとのことでしたw

 先日、予告番組を見ましたけど、サンダーバードのファンていうのは、「第一作至上主義者」の集まりですから、劇場版や実写版に引き続いて、今回のリブート版も多くの批判を受けるのは致し方ないところと思われます。
 ただ、今回ありがたいのは、関連番組として、NHKが初代サンダーバードを何作か再放送してくれることです。早速、視聴させていただきました。

 「サンダーバード」は、1965年にイギリスで制作された特撮番組で、日本では1966年に放送されました。
 
 僕は、小さかった頃、此所よりもっと田舎の町で暮らしていたんですが、そこにプラモデル屋が1軒ありました。今で云うホビーショップですよね。で、店の棚の上に、サンダーバードの秘密基地の電動プラモデルが置かれていたんですよ。すごーっく大きな箱で、その威厳たるや、親にねだるどころか、値段を聞くのさえはばかる程でした。
 
 ネット上にも、この秘密基地にまつわる昔話がたくさん出ていますが、どの店でも、棚の上に置かれてたみたいです。まあ、あんな大きい箱を置ける場所なんてそこしかなかったんでしょう。だから、当時の日本中の子どもたちは、みんなしてプラモデル屋の天井を見上げていたってことになります。
 で、調べてみましたら、価格は、2,200円だったそうです。当時の駄菓子の値段から考えますと、今だと1万円くらいでしょうか。1万円のおもちゃなんて、今ならば簡単に買ってもらえそうですが、あの頃の日本って、やっぱり貧しかったんですよね。
 これ、これ、これです。


 「えーーーーっ?」こんな、ちゃっちい代物だったんですか。とっても残念な気分ですw

 サンダーバードの人形は、声優の音声信号と同期させて人形の唇を動かす「リップ・シンクロ・システム」という装置を頭部に内蔵していたそうです。初音ミクでも歌と唇の動きを合わせる「リップ・モーション」というのは重要な技術ですが、50年も前にこのような技術が確立されていたとは驚きました。「スーパーマリオネーション」恐るべしですね。

 では、日本で最も人気の高かった、そして僕も大好きだったサンダーバード2号の出発シーンです。


 改めてみると、すごい牧歌的な雰囲気ですね。救助を待っている人がいるのに、「いまから行くから、ちょっと待ってろしっ」っていう感じです。地元の消防団だってもっと早く出動できると思います。たぶん、今と50年前とでは、時間の進み方が違っていたんでしょう。

 ウィキペディアからの引用です。よくまとめてあるので、そのままいただきますね。

 「人形劇でありながら、その模型のリアルさ、質感の充実、子供でも理解できる単純なストーリー、「人命救助」というスリリングかつ前向きで健全なイメージ、これら全てが明確な世界観を提示して大好評を博した。ロケット噴射の描写などの特撮技術も優れており、その後の特撮作品への多大な影響を及ぼした。登場するメカもデザイン的に極めて斬新かつ洗練されていた。音楽もオーケストラサウンドを基本に、質が高く映像にマッチしたものだった。」

 最高の賛辞が並んでいますね。きっと熱烈なファンによるものでしょう。でも、僕も同意見です。

 では、サンダーバードに明らかに影響された日本の特撮シーンを紹介させていただきます。まずは、1967年の「ウルトラセブン」。地球防衛軍の秘密基地からウルトラホーク1号が発進するシーンです。


 スクランブル発進って、命令を受けてから何秒で出発できるかが勝負だと思うのですか、牧歌的雰囲気を確実に継承しているのが分かります。

 続いて、1968年の「マイティジャック」です。主演は二谷英明さん、音楽は、なんと冨田勲先生です。円谷プロの、納得できる作品を作るためなら会社が傾いても構わない、という信念が伝わってきます。


 謎の組織相手に容赦ありませんね。無敵戦艦1隻あれば、戦いに勝てるという、戦艦大和→マイティジャック→宇宙戦艦ヤマトと続く、日本人独特の思想が表れてます。

 2004年にハリウッドで実写版サンダーバードが制作されました。僕は、字幕版を見たんですけど、吹き替え版は、「V6」がやってました。
 で、アメリカ人って、常に自分たちが正しいって思っているんで、勝手に自分たちの嗜好に合わせて変えちゃうでしょ。まあ、秘密基地の描写とかは、さすが実写版って感じでしたし、ハリウッド版「ゴジラ」と比べれば、まだ良い方でしたけど。ただ、2号の扱いは許せませんね。あれじゃあ、ただのコンテナ機ですよ。

 さて、先日「ジェットモグラ号の活躍」を見たんですけど、大人になってみると、子どもの時には分からなかったことが、いろいろと見えてきたんですよ。

 1965年って、第二次世界大戦からまだ20年しかたってない頃です。制作者のジェリー・アンダーソンは、自身も従軍経験がありますし、戦争で兄を亡くしています。そしてロンドンは、ドイツ軍の最新兵器V2ロケットによって無差別爆撃をされたところでもあります。
 そういう背景を考えた時に、僕は、「国際救助隊」って、戦争のアンチテーゼに思えてきたんです。戦争って、国家と国家が、科学技術を利用した兵器を使って人を殺し合うわけですよね。でも「国際救助隊」は、国籍関係なく、科学技術を駆使した機材で人命を救助するんです。科学技術は、人を救うために使われるべきっていう思想が作品の底流にあると思うんです。科学技術の粋を結集しているが決して兵器ではない。そして誰も殺さないという理念があると思うんです。
 
 そう考えると、この作品のもつ反戦性が見えてきます。「ジェットモグラ号の活躍」は、第2話になるそうですけど、ストーリーは、アメリカ陸軍の新型装甲車が実験中に遭難するというものです。で、大きな穴に落ちるんですけど、それが、昔、陸軍が不要になった兵器を処分して埋めていた穴なんです。これって、凄いメッセージですよね。冷戦を背景に軍拡競争に邁進するアメリカに対する皮肉ともいえるストーリーだと思います。

 サンダーバードは、アメリカのメディアには、受け入れられませんでした。原因として、子ども番組に合わない50分という放送時間や高すぎた放送権料があげられていますが、僕は、この作品が持つ、反戦性がアメリカに嫌われたんではないかと思うんです。

 でも、その後の特撮作品、SF作品は、正義をかざして悪を撃つものばかりになってしまいました。再び、科学技術は最新兵器となり、敵を攻撃するために使われました。
  しかし、国際救助の理念は、現在「国際援助隊」などのかたちとなって少しずつ現実のものになってきています。

 「国際救助隊」は、世界平和など夢物語だと承知していながらも、本気でそれを願っていた1960年代という時代が生んだ物語でした。そしてそれは、決して当時のアメリカ人には創ることのできない物語だったのではないでしょうか。

 そうそう、秘密基地は無理でしたけど、僕もサンダーバードのおもちゃを買ってもらいました。もちろん2号ですよ。何でアメリカ人は、この格好良さが分からないんだろう。

2015年7月12日日曜日

松浦亜弥&森高千里「渡良瀬橋」と聖地巡り

 今日、最初に貼り付けさせていただく動画は、ライブテイクではありません。森高千里さんが「渡良瀬橋」の舞台になっている足利市を再訪する、というオフィシャル映像です。歌無しの渡良瀬橋がBGMに流れて、森高さんが歩いているんですけど、森高さんの声も入ってなくて、全編、字幕で進んでいくんです。これが何とも良い感じで、ちょっと感動ものなんですよ。で、僕も足利に行きたいって思わせるという、観光PRビデオとしても使えそうな動画です。但し、10分かかりますので、お時間があればどうぞ。


 で、字幕を読んで思ったんですが、歌詞って、こんなテキトーな考えで書くものなんですか。感動していた僕の立場が微妙ですww

 僕は、観光で物語の舞台を訪ねることはあっても、いわゆる聖地巡りってやつは、やったことがありません。でも、好きな人は、好きなんですね。
 僕の住んでいる町の近くの施設も、某アイドルの映画ロケに使われたってことで、結構遠くからもヲタクが訪ねてくるそうです。映画で、ほんの数秒しか映っていない建物の壁を見つけて喜んだり、アイドルと同じ位置に立って、写真を自撮りしたりして満足して帰るそうです。近所の人が道を尋ねられることがあるそうですが、大抵は、訪ねてくるヲタクの方が、住んでいる地元の人より詳しいということでした。

 で、せっかくですから、森高さんのテイクを貼り付けさせていただきます。PVとか、他にもいくつかあるんですか、これにしました。


 やっぱアルトリコーダーですよね。これがないとイケません。この前、テレビで歌った時、リコーダー吹かなかったんですけど、誰かに何か言われたんでしょうか、寂しい限りです。

 で、引き続き松浦亜弥さんのテイクです。これに決めた理由は、バックに渡良瀬橋と夕日の映像が流れているからです。
 渡良瀬橋は、森高さん24才の時の作品で、大人になった「私」が、昔の恋を想い出すという歌なので、本来は、ある程度、年齢を重ねた方が似合うはずなんですが、「あやや」の場合、この18才くらいで歌っているテイクの方が良いんですよ。


 人生初の聖地巡りしてみたくなりました。写真撮ったらブログに載せますねw