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2023年3月19日日曜日

松本零士「男おいどん」「戦場まんがシリーズ」「ワダチ」

漫画家「松本零士」先生が逝去されました。訃報がマスコミ各社によって報道されたとき、氏の代表作として紹介されていた作品が「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」でした。

宇宙戦艦ヤマトは、僕が最も影響を受けたアニメですし、銀河鉄道についてはそれほどの思い入れはありませんが、氏の代表作とすることに異論はありません。ただ、ヤマトについて云えば、松本零士氏は、宇宙戦艦ヤマトのキャラクターデザインを担当しましたが、ヤマトの原作者ではありませんし、企画の中心人物でもありません。ヤマトの各キャラクターは確かに松本零士作ですが、物語の構成は全然松本零士っぽく無いですよね。

とは云っても、キャラクターあってのアニメーションですから、「ヤマト=松本零士」というイメージが、これからも残っていくのでしょう。それにしても、宇宙戦艦ヤマトって格好良すぎです。まあ、元になった旧帝国海軍の戦艦大和が理想的な船型だったってこともありますし、それに宇宙船としてのアレンジが程好くされていて、子どもだった僕は、一目で虜になってしまいました。

で、ヤマトは横に置いといて、僕が、松本作品の中で印象に残っている作品をあげるならば、「男おいどん」と「戦場まんがシリーズ」でしょうか。あと「ワダチ」も喜んで読んでました。

「ワダチ」は、世間的に無名ですし、それほど高い評価を受ける作品では無いかもしれませんが、日本中の建物を取り壊して瀬戸内海を埋め立てるとか、奇想天外なストーリーに、子どもだった僕は惹き付けられました。松本先品は、出てくるキャラクターが全部同じなので、いろんな話が記憶の中でこんがらがっていますが、印象に残っている場面は、新国連軍の攻撃から移民宇宙船を守るために、老い先短い老人たちが盾となって、対戦車ミサイルをぶっ放しているところとか、移民した「大地球」の木が意思を持ち歩き回っているとこでしょうか。終末思想にエヴァンゲリオンっぽさを感じるのは、僕だけでしょうか。そういえば、「浦沢直樹」氏も「ワダチ」に衝撃を受けたとネット記事にありました。僕は、浦沢氏と、ほぼ同世代ですので、その気持ちよく分かります。

「男おいどん」は、「週刊少年マガジン」で1971年から2年間にわたって連載された「四畳半漫画」です。僕は、この漫画で、この世に「ラーメンライス」なる食べ物があることも知りました。親にせがんでマネしたような記憶があります。さすがに「玉子酒」はマネしませんでしたけど・・・。

この作品は、氏と氏の下宿仲間たちの実体験を描いた作品とされていて、作者の人生観が、台詞の1つ1つに表れています。今思うと、若干、説教臭い感もありますが、子どもだった僕には、その一言一言が心に響いたものです。

そんな漫画を喜んで読んでいた僕も、やがて学生になり下宿生活を送ることになりました。「おいどん」とは違って、田舎の学生ではありましたが、農家の納屋を改造した全6部屋の間借りで、風呂無し、流し・トイレ・玄関共同の生活を送っていました。家賃は8000円。僕は、仕送りもそれなりにもらっていたので、極貧な生活というわけではありませんでしたが、それでもテレビはなくって、ラジカセが唯一の情報源。布団は万年床で、冬はコタツで寝ていました。一週間分の洗濯物をボストンバックに詰めて、歩いて15分のところにある銭湯に通ってました。もう少し近いところにも2軒ほど銭湯があったんですけど、そこが一番広くて気持ち良かったんですよね。気になって調べてみたら、今もちゃんと営業していてびっくり、市内で残っている唯一の銭湯とありました。

僕にとって、これぞ松本作品と云えるのは「戦場まんがシリーズ」でしょう。バッグナンバーを床屋や歯医者の待合室で断片的に読んだだけですので、未読の話もかなりあるかと思います。以前、このブログにも投稿した「亡霊戦士」とか「成層圏に鳴くセミ」の記憶があるので、第4巻「わが青春のアルカディア」は、読んでいたようです。

零士氏の父親は、旧帝国陸軍の佐官で、軍用パイロットの草分け的存在だったそうです。戦時中は飛行学校の教官を務めていたともありました。戦後は、自衛官への誘いを頑なに拒み、炭焼きや野菜の行商を生業とし、かなり貧しい生活を送っていたそうで、その生き様は、松本零士氏の戦争漫画に大きな影響を与えたと云われています。

この物語で登場するのは、敗色濃厚な日本軍やドイツ軍の兵士です。敵味方を善悪で分けることなく、戦場における男の戦いを、両軍の立場から描いています。その作風は、決して戦争賛美ではなく、かと云って反戦漫画でもなく、戦争をロマンにしていると云えばそうかもしれませんが、理系目線で第二次世界大戦を描いた物語は、軍事ヲタク少年であった僕には、とにかく格好良く思えました。

松本零士氏の作品の中で、最も再読したいと思ったのが「戦場まんがシリーズ」です。

2021年12月12日日曜日

「サンダーバード」込められた平和への願い ~映画「サンダーバード55」公開に寄せて~

「サンダーバード55/GoGo」(Thunderbirds 55/GoGo)は、2022年公開予定の映画で、2015年にクラウドファンディングによって製作された「サンダーバード1965」(Thunderbirds 1965)を劇場公開用に再編集したものだそうだ。


サンダーバードは、今までにも、実写版、リブート版と作られてきたが、成功しなかったように思う。まあ、サンダーバードのファンていうのは、「第一作至上主義者」の集まりだから致し方ないことではある。今回、ペネロープの声を「満島ひかり」さんが担当するらしいが、「黒柳徹子」氏じゃなきゃヤダというコメントがあった。第一作至上主義にも程があると云うものだ。字幕で見れば良いだけの話だと思うが、ファンにとっては、吹き替え版こそがサンダーバードなんだろう。

今回の「サンダーバード55」が期待されているのは、当時の手法(スーパーマリオネーション)を使って忠実に制作されたとされているからだ。しかも、脚本は、ラジオドラマとして制作され、映像化されなかったものとあった。ハリウッドに改作された、2004年の実写版にガッカリさせられた僕らの期待は、高まるばかりだ。

クラウドファンディングによって制作されたのは、30分ドラマが3話。集まった資金は日本円にすると3,300万円ほどで、制作されたドラマは出資者にDVDとして配られたらしい。それを劇場版映画に再編集したのが「サンダーバード55」だそうだ。「55」というのは、公開から55周年という意味だろうが、元になったドラマは50周年の時に制作されているものである。(どうでもいいことですね)

こんな興行が企画されるのは、日本くらいなものだろう。逆に云えば、日本において、サンダーバードの人気は根強いモノがあるってことだ。サンダーバードは、1966年のNHK放送から始まって、2004年まで7回に渡って再放送を繰り返してきたそうだから、幅広い年代に刷り込まれている、憧れの存在なのだ。秘密基地・・・何てワクワクする言葉だろう。

さて、サンダーバードについては、映画の公式サイトにある「サンダーバード入門」を参照されたい。サンダーバード愛に溢れた、良くまとめられている解説である。

サンダーバード入門

YouTubeで見つけた発進シーン集である。新作の映像のように見える。映画公開がますます楽しみになってきた。僕は、2004年の実写版を見るまで、1号は長男、2号は次男と単純な順番になっているのだと思っていた。

何度見ても牧歌的な雰囲気である。地元の消防団だってもっと早く出動できるだろう。ただ、1号のスクランブル発進までの所要時間は2分だそうで、意外と早い。のんびり感じるのは、マリオネットの緩慢な動きのためと云うことか。

ウィキペディアからの引用である。これもまた、サンダーバード愛に溢れた、良くまとめられている解説である。

「人形劇でありながら、その模型のリアルさ、質感の充実、子供でも理解できる単純なストーリー、「人命救助」というスリリングかつ前向きで健全なイメージ、これら全てが明確な世界観を提示して大好評を博した。ロケット噴射の描写などの特撮技術も優れており、その後の特撮作品への多大な影響を及ぼした。登場するメカもデザイン的に極めて斬新かつ洗練されていた。音楽もオーケストラサウンドを基本に、質が高く映像にマッチしたものだった。」

では、サンダーバードに影響された日本の特撮シーンを紹介させていただこう。まずは、1967年の「ウルトラセブン」。地球防衛軍の秘密基地からウルトラホーク1号が発進するシーンである。

「Fourth Gate Open(4番ゲート開け)」って云ってたんだ。スクランブル発進って、命令を受けてから何秒で出発できるかが勝負だと思うのだが、牧歌的雰囲気を確実に継承しているのが分かる。サンダーバードと比べると、ジェット噴射がちょっとショボいように思う。

続いて、1968年の「マイティジャック」。主演は二谷英明さん、音楽は「冨田勲」大先生である。水流をリアルに見せるために、採算を度外視した最新鋭の高速度カメラを導入したらしい。納得できる作品を作るためなら会社が傾いても構わない、という円谷プロの信念が伝わってくる。

以下は、2015年のブログ記事の再編集である。

サンダーバードが制作された1965年は、第二次世界大戦からまだ20年しかたってない頃である。制作者のジェリー・アンダーソンは、自身も従軍経験があり、戦争で兄を亡くしている。そしてロンドンは、ドイツ軍の最新兵器V2ロケットによって無差別爆撃をされたところだ。

サンダーバードは、原子力機関で動いているという設定だ。そして、TB1号のフォルムは、ナチス・ドイツ軍のロケット兵器V2を連想させる。サンダーバードの設定年は2065年。つまり当時からすると100年後の未来だ。そこに描かれているのは、原子力やロケットの平和利用であり、国際紛争の無い世界だ。 

第2話「ジェットモグラ号の活躍」は、アメリカ陸軍の新型装甲車が実験中に遭難するというものだった。装甲車が大きな穴に落ちてしまうのだが、それは、昔、陸軍が不要になった兵器を処分して埋めていた穴だという。冷戦を背景に軍拡競争に邁進していた、当時のアメリカに対する皮肉ともいえるストーリーになっている。

つまり、「国際救助隊」は戦争のアンチテーゼなのだ。戦争とは、国家と国家が、科学技術を利用した兵器を使って人を殺し合うことである。でも「国際救助隊」は、イギリス独特な階級社会のテイストはあるものの、国籍関係なく科学技術を駆使した機材で人命を救助する。作品の底流には、科学技術は人を救うために使われるべき、という思想がある。科学技術の粋を結集しているが決して兵器ではない。そして誰も殺さないという理念がある。「国際救助隊」は、原爆やロケット兵器で街を焼かれ、世界平和など夢物語だと承知していながらも、本気でそれを願っていた1960年代という時代が生んだ物語だ。

やがて、その後の特撮作品、SF作品は、正義をかざして悪を撃つものばかりになる。スターウォーズに代表されるように、科学技術は、再び最新兵器となり、敵を殺戮するために使われるようになってしまった。

サンダーバードも、その危うさを予見していたはずだ。良いことをしている彼らが「秘密基地」を作り、極秘に活動しなければならない理由が、子どもの僕には理解できなかったけど、今ならば分かる。リアルな2065年が、設定以上の素敵な世界であることを祈るばかりである。

2021年10月3日日曜日

斎藤佑樹投手と早慶戦

 汗はハンカチで拭うようになった。以前は、(子どもの頃からずっと)シャツの袖か何かで、適当に拭いていたんだけど、試しにハンカチを使ってみたら、調子良いこと此上なかったからだ。きっかけは、もちろん「ハンカチ王子」こと「斎藤佑樹」選手である。

その斎藤選手が、現役を引退するらしい。ここ数年は、怪我とかもあって、全く結果を出せていなかったようだから、早いとこ見切りを付けた方が良いんじゃないかって思ってたんだけど、ここまで引退しなかったのも、契約を打ち切られなかったのも、きっと深い理由があってのことだろう。まあ、プロ野球に全く詳しくない僕には、難しくて関係の無い話である。

何だかんだ云っても、2006年の甲子園は面白かったし、凄かった。その後の「ハンカチ王子」のフィーバーぶりはドン引きするレベルだったが、それは、斎藤投手の甲子園での活躍があってこそだ。キレのあるストレートに多彩な変化球。クールなマウンドさばきにクレバーな投球、それでいて、ここぞという場面では、明らさまに三振を取りにくるハートの熱さ。まるで水島新司の野球漫画から、そのまま飛び出てきたようだった。早稲田実業の試合を見た僕は、彼の投球に魅了され、それからの早実の試合は、都合の付く限り見るようなった。

決勝戦は、奈良のホテルで見た。仏像巡りを始めた頃で、とにかく暑い日だった。早めにホテルにチェックインして、テレビを付けた。マー君と投げ合って再試合になった、あの試合である。スコアは1対1。延長15回まで、互いにピンチを凌ぎ合う展開は、スリリングで水島新司の世界そのものだった。

やがて、斎藤選手は、早稲田大学に進学した。それもスポーツ科学部でなくって教育学部だ。

彼が大学2年生の頃、父を誘って、2回ほど早慶戦を見に行ったことがある。僕の父は漁師の倅で、大学進学を希望したものの、結局、叶わなかった。そのためだろうか、父は大学スポーツが大好きで、野球も駅伝も、ずっと早稲田を応援していた。正月には、箱根駅伝のラジオ中継を聴いていたのを覚えている。テレビでの中継が始まるずっと前、箱根駅伝が今のように注目されていない頃の話だ。そんな父と、自分の興味半分、親孝行半分で、神宮球場に行ったわけである。

早慶戦は、「佑ちゃん」人気で賑やかだった。外野席までほぼ満席だったし、おばちゃんたちの黄色い声援もあった。慶応の応援席には、付属の子どもたちも来ていた。応援団は、内野と外野に1つずつ、双方合わせて4つあって、それぞれがエールの交換をするので、やたら時間がかかる。内外2つの応援団は、連携しているようだが、厳密にコラボしているわけでは無いから、熱が入ってくると、球場全体がカオスになって、何が何だか分からなくなった。

早慶戦では、早稲田が一塁側と決まっている。これは、1933年に慶應の三塁手「水原茂」に早稲田の応援席からリンゴが投げられて、騒動になったことが発端らしい。以来90年間、早稲田の応援席は、一塁側に固定されているそうだ。でも、それだと今度は慶応の一塁手が困る、って、物を投げることを止めさせれば良かっただけの話じゃないのか。まあ、早慶戦というのは、そんな感じで、1つ1つが伝統という名の決まり事で支配されている、面白い世界だ。

僕は、中学生の頃、吹奏楽をやっていて、中体連の野球部の応援に駆り出されたことがあった。僕らは、高校野球のマネをしていたわけだけど、その高校野球の応援団は、大学野球の真似事をしていたわけで、それはプロ野球の応援スタイルにも影響を与えているはずだから、日本式野球観戦の原型は早慶戦にあると云って良い。

僕らは一塁側の、でも応援団からは少し離れた席に座った。そこからは、慶応の応援団がよく見えた。ちょっと考えれば分かることだけど、応援というのは、相手に見せるためにある。だから、一塁側に座ってしまっては、自分たちの、つまり早稲田の応援は聞こえないのだ。でも、慶応の応援も凄く格好良かったし、僕らは、無縁ではあったけれど憧れだったその場に居ただけで満足だった。

昨年の秋の早慶戦らしい。音速と光速の差がよく分かる。コロナ禍により、観客は内野席に入れて声無し応援。応援団は外野席で活動とのことだった。これって野球と応援が、両方バッチリ見れて最高のステージになっている・・・けど、声無しじゃぁ、つまらないか。

 肝心な試合についてだけど、早稲田が斎藤投手の好投でリードするのものの、終盤に打ち込まれて、逆転負けみたいな試合だったと記憶している。斎藤投手は、大学でも活躍はしていたけど、早稲田実業の時のような凄さは、もう感じられなくなっていた。

スタンド裏の売店で弁当を買っていたら、斎藤選手がすぐ横を通り過ぎていったことがあった。オーラはあったけれど、普通の男子だったように思う。調べてみたら、身長176cmとあったから、野球選手の中では小柄な方だ。桑田真澄選手の例があるにしても、プロのピッチャーとして活躍するには難しかったのかもしれない。大谷君をみていると、体がデカいというのは最高の才能なんだと、つくづく思う。

引退試合の発表もあった。プロで15勝しかあげていない投手に、如何なモノかという批判もあるようだ。たぶん、先発して、先頭打者と対戦したら、すぐに交代じゃないかと思う。相手打者がわざと三振ってこともあるらしいけど、その時は、裏の先頭バッターも打たないというのが、暗黙のルールらしい。そんな茶番劇を公式戦で行うことに、プロ野球を冒涜する行為という意見もある。けど、それで、最下位に低迷するチームの観客動員がちょびっと増えて、多少なりともグッズが売れるんだったら、興行的にはアリなんだろう。プロ野球の世界では、客寄せパンダの価値しかなかったことは悲しいが、それも仕事(プロ)ならば、致し方のないことである。

斎藤選手を指導者に、みたいなコメントもあった。ファイターズに残るという報道もあるらしいけど、アマチュア野球の指導者なんて如何だろうか。(教育学部卒なんだし)アマチュア野球で輝いていた選手なんだから、アマチュア野球に戻ってくるのが一番に思う。早稲田大学のコーチにでもなって、ゆくゆくは監督ってのも良いし、高校野球の解説者とかやってくれれば、嬉しいこと此上ない。


#斎藤佑樹引退  #ハンカチ王子 #早慶戦 

2021年9月25日土曜日

ふきのとう「柿の実色した水曜日」

学生の頃、「ふきのとうLive1979風をあつめて」というライブレコードをカセットにダビングしたやつを毎日聴いていた。「ふきのとう」や「オフコース」が絶好調の頃だ。ライブ録音だから、曲と曲の間のおしゃべりもあった。全部暗記しちゃたけど、飽きもせずに聴いてたことを覚えてる。

「ふきのとう」は、「山木康世」さんと「細坪基佳」さんの大学の先輩後輩による、フォークデュオだ。名前と声のイメージから、年下の細坪さんっぽい方が山木さんで、山木さんっぽい方が細坪さんだったから、よく間違えていたし、今でもよく分からない。

アルバムの中の曲は、どの曲も、お気に入りだったけど、特に印象に残っているのが「柿の実色した水曜日」だった。

これこれ、前奏が始まってから、曲名を云うこの感じ、間違いありません。

「柿の実色した水曜日」は、「ふきのとう」の14枚目のシングルで、オリコンチャートは、87位とある。知名度のわりには、売れてないように思えるけど、フォークグループは、レコードセールス(シングル盤)よりも、ライブ活動が中心だったから、まあ、こんなところだろう。

あの頃は、(今もそうだけど)男性ボーカルは、高音が出せることが格好良いとされてたし、コーラスも上でハモるのが多かった。だから山木さんの、教科書の合唱曲のような下でのハモりは、逆に新鮮に感じた。この音域なら、僕にも歌えたから、ラジカセの細坪さん相手に、山木さんになりきって歌ったものである。

「ふきのとう」の代表曲と云うと、デビュー曲の「白い冬」とか「風来坊」「思い出通り雨」「春雷」といったところだろうか。「柿の実・・」は、人気ベストテンなどでは、ギリギリの10位くらいの扱いのようだが、僕は、この曲がお気に入りだった。漠然とした不安を抱えてた学生時代、日曜日の昼下がりみたいな、気分の落ち込む時に聴くには最高の曲だった。ああ云う時って、余計、落ち込むような曲が聴きたくなるものですよね。下宿の部屋で、灯りもつけずに「森田童子」を聴いてるヤツとかもいたし。落ち込んでる僕って青春?・・・なんて、今なら、厨二病の診断がくだされるだろうな。

2021年9月23日木曜日

「ごんぎつね」~自筆版で味わう新美南吉の魅力~ に寄せて

今年も彼岸花が咲く季節になった。毎年この季節になると、5年前に投稿した「ごんぎつね」にアクセスがある。きっと、小学校の先生たちが、授業の準備のためにと検索して、思いもかけず引っかけてしまうのだろう。自筆版の「ごんぎつね」など知ったところで、何の役にも立たないだろうけど、それでも何人かに一人は、記事を読んでくださった形跡がある。有り難いことである。

自筆版ごんぎつねの魅力

僕は、子どもの頃からずっと、作文とか感想文が嫌いだった。宿題に出されても、ほとんど未提出で済ませてきたように思う。その理由の1つは、僕が左利きで、右手で字を書くことにストレスを抱えてたってことだけど、もう1つの理由は、思い通りに書けない自分が嫌だったからだ。こんな文章を読んだ皆は、僕のことをどう思うだろう。そんなことばかりを気にしていた。

そんな僕だけど、一度だけ作文を掲載されたことがある。小学校6年生の時だ。PTAの広報誌か何かだったと思う。僕らは担任から、もうすぐ中学生になる心境を書くように云われた。僕は、家に届いた大量のダイレクトメールについて書いた。どこでどう調べたのか分からないが、6年生の子どもを持つ家には、制服を買えとか、通信教育に入れとかの勧誘はがきがたくさん届いていた。で、まあ、そのへんをネタに、捻くれた作文を書いてみたわけである。

で、どうしたものか、それが担任の気に入るところになったらしい。級友たちの書く作文は、中学生になったら頑張ります!・・・みたいなものばかりだったろうから、僕の捻くれた作文を面白いと思ってくれたんだろう。担任から、お前の作文に決めたからと云われて、それなりに楽しみに待っていた。

何日かして配られた広報誌を見て、僕は、あれって思った。確かに内容的には僕の作文だが、文章が違っているのである。担任が、ぼくの作文に手を入れていたのだ。僕の文章をそのまま広報誌に載せるわけにはいかなかったんだろう。とはいえ、誤字脱字の訂正の域を超えていたのも確かである。子どもの作文が、掲載にあたって添削されるのは常識なのかもしれないけど、なにぶん採用された経験がないのでビックリした次第である。

作文が掲載されたことで、周りから褒められたりもしたんだけど、僕的にはビミョーで、心の底から嬉しいと思えなかった記憶がある。僕の作文は、僕のものだったし、子どもにだってプライドはあるのだ。

大人になって、「ごんぎつね」の赤い鳥版と自筆版を並べて読んだとき、僕はこの時のことを思い出した。新美南吉は、「権狐」が赤い鳥に掲載されたとき、どう思ったのだろうか。確かに「赤い鳥」に掲載されたことで、南吉の名は広がり、原稿の依頼が来るまでになったけど、僕は、改作された「ごんぎつね」を見て、南吉が何を思ったのか知りたい。

「ごんぎつね」が「赤い鳥」に掲載された翌年、北原白秋が鈴木三重吉と絶交するに至り「赤い鳥」と絶縁すると、南吉も「赤い鳥」への投稿をやめてしまう。これは、南吉が、尊敬する北原白秋に追従したためと云われてきたが、「ごんぎつね」掲載にあたって抱いていた、三重吉氏に対する不信感が、根底にあったように思えてならない。

僕は改作された赤い鳥版の「ごんぎつね」を否定するつもりもないし、教科書に掲載され続けることも良いことだと思う。ただ、南吉の他の作品と読み比べたときに感じる「ごんぎつね」の違和感。あの南吉作品独特のぼんやり感の欠如は、やはり改作が原因だと言えるし、改作によって、物語に矛盾点(つっこみどころ)を抱えてしまったのも事実である。問題は、それらが17才の代用教員であった新美南吉の「未熟さ」のせいにされてきたことにある。自筆版「ごんぎつね」は、新美南吉による知多半島を舞台にした創作民話として、完成された作品なのだ。

自筆版の存在は、少しずつではあるが、世間に知られるようになってきた。いつの日か、2つの「ごんぎつね」が対等な扱いとなり、共に書店に並ぶようになれば、嬉しいこと此の上ない。

#新美南吉  #ごんぎつね

2021年8月26日木曜日

突然ですが「宇宙大作戦(スタートレック)」について語ります。

 子どもの頃は、今より海外ドラマが多く放送されていたように思う。スパイ大作戦とか、ナポレオン・ソロとか喜んで見てたけど、その中で、僕は「宇宙大作戦」が大好きだった。今は、原題の「スタートレック」と呼ばれるのが普通だろうが、僕が見ていた頃は「宇宙大作戦」だった。多分、地元ローカル局の再放送を見ていたんだと思う。

スタートレックはその後、続編とか劇場版とかがたくさん制作されたようだが、僕は知らない。

            U.S.S.エンタープライズ  NCC-1701

宇宙大作戦は、ジャンル的には冒険物語で、宇宙船は出てくるけど、フェイザー砲や光子魚雷をガンガン撃ちまくるような戦闘シーンは、ほとんど無かったように思う。でも、転送装置とか、医療用トリコーダーとか、それから、子どもに理解不可能な科学用語群に、僕は憧れた。

50年以上前の話だから、物語の内容は、ほとんど忘れてしまっていたが、第23話「コンピューター戦争」と、第28回「危険な過去への旅」は、不思議と覚えていた。で、ネットで調べたら、さらに記憶が蘇ってきた。

昔のSFドラマだから、今思えば、ツッコミどころ満載かもしれないが、コンピュータによる仮想現実とか、タイムトラベルのジレンマとか、現代にも続くSFネタの原点とも云える設定が数多くあって、凄いドラマだったと思う。

今更、ネタバレでもないだろうから、思い出した2話を語らせていただこう。

まずは、シーズン1 :第23話「コンピューター戦争 」 ”A Taste of Armageddon”から。

外交ルートを開設するために、惑星「エミニア」を訪れたカーク船長たち。平和に暮らしているように思えたエミニア人たちだったが、彼らは、惑星「ベンディカー」と500年も戦争を続けていて、年間100万~300万人もの犠牲者が出ていると云う。

実は、戦いはコンピューター上で行われており、仮想の戦場で死んだと指名された者は、分解マシーンで安楽死させられていたのだった。仮想戦争だから、戦死者は出ているものの、街は破壊を免れ、繁栄した生活が送れていると云う。つまり、極めて合理的でクリーンな戦争と云うわけだ。ルールを守らないと本当の戦争になってしまうとはいえ、市民が整然とマシーンに入っていくシーンは、子ども心にも印象的だった。


で、いろいろあって、カーク船長がブチ切れて、戦争コンピュータを破壊してしまうという暴挙にでる。「何てことをしてくれたんだ。」と激怒するエミニア人。「戦争が500年も続いてきたのは、死と破壊の恐怖が無かったからだ。」と逆ギレするカーク船長。

そこに、ベンディカーからの通告。それは意外にも、講和を呼びかけるものだった。本当の戦争になるかもしれない状況に追い詰められたことで、エミニアとベンディカーは和平交渉へ踏み出すことができたのだ。

スポックはカークの感情的な行動を批判するが、カークは「感情にしか頼れない場合もあるよ、我々人間にはね。」と答えるのだった。紛争地域に武力をちらつかせて乗り込み、自らの正義をもって強引に仲介しちゃう話。今も未来も、それがアメリカ。

シーズン1:第28回「危険な過去への旅」”The City on the Edge of Forever”

ある惑星で、過去に通じる「どこでもドア」みたいな物体を発見したカーク船長たち。で、いろいろあって、ドクター・マッコイが中に飛び込んでしまう。すると、惑星軌道にあったエンタープライズ号が消滅。マッコイが歴史に干渉したのが原因だと云う。カークとスポックはマッコイの行動を阻止するために、過去に向かう。

そこは1930年代のニューヨーク。二人は、社会福祉施設を運営している聡明な女性に出会う。

僕がよく覚えているのは、スポックが、トリコーダーのデータを解析するために、簡易コンピュータを1930年代の電気部品を使って組み立てるシーン。それって、どこかの映画でパクってたような。

完成したコンピュータでトリコーダーの情報を分析すると、その女性は交通事故で亡くなることになっていた(これが、正しい歴史)。そして、もう1つの歴史。それは、彼女が始める平和運動が国民の支持を得て、アメリカは第二次世界大戦への介入が遅れ、先に原子爆弾とミサイルを開発したナチス・ドイツが、世界を征服するというものだった。1960年代のアメリカならではの、ガチガチ原爆肯定論。

やがてマッコイがこの時代に現れる。道路に飛び出す彼女を助けようとするマッコイ。それを止めるカーク。「自分のしたことが分かっているのか。」とブチ切れる、どこまでもお騒がせなマッコイ・・・歴史は修正されたけど、悲しい、そして子どもだった僕には衝撃の結末。

「いろいろあって」の部分には、ユーモアとか社会風刺などが描かれていただろうが、子どもだった僕には理解不能だったに違いない。

まだ世界大戦の終結から20年しか経っていない頃で、東西冷戦真っ只中の人種差別も残っていた時代である。同時期に制作された「サンダーバード」が、イギリスの階級社会を色濃く反映していたのに対して、スタートレックの乗組員は、アメリカ人だけでなく、宇宙人との混血児や、ロシア人、黒人女性、東洋人と多彩だ。目的を「宇宙探検」とし、23世紀を差別や貧困のない理想的社会と設定したことは、平和を願う気持ちの現れだったとある。

ただ、「サンダーバード」が、科学力で人を絶対殺さないという設定だったのに対して、「スタートレック」には、内政不干渉と云いながら、武力を背景にしたアメリカ的価値観の押しつけがある。まあ、あの頃の僕にとっては、それもこれも「いろいろあって」に含まれていたんだけど。

#スタートレック   #宇宙大作戦 

2021年8月3日火曜日

マクドナルド日本上陸50周年CMがエモい

 夏休みに入ってから、国道沿いのマクドナルドは、ドライブスルーを利用する車で、渋滞を起こしています。で、マクドナルドの新CM、良いですよね。「ごはんマック」の時も思いましたけど、毎回素敵なCMを作るものだと感心してしまいます。

今回のCMでは、女優の「宮崎美子」さんが、現在と50年前の自分の、一人二役を演じていることが話題になっていますが、視聴させて頂きましょう。


凄いですよね。デビュー当時よりも、さらに可愛くなっています。初めて見たとき、「上白石ナンとか」さんかと思いましたが、ご自身だったんですね。映像処理の技術が発達したとはいえ、内面から出てくる可愛らしさは、作り出すことはできませんからね。女性は幾つになっても可愛らしいもの、と云うことなんでしょう。

「もう少しビッグマックが小さかったら」という台詞にも泣きそうになりました。宮崎さんの孫役を演じているのは、「高村佳偉人」君という俳優さんだそうです。「鈴木福」君かと思いました。高村君も子役として、数多くのドラマやCMに出演されているようです。ジィジを演じている「村上ショージ」さんもイイ感じ。配役、シチュエーション、どれもよく考えられている好CMに思いますよ。

で、何より、素敵なのはバックに流れている音楽ですよね。使用されている楽曲は、1973年にリリースされた小坂明子さんの「あなた」。歌っているのは「手嶌葵」さんで、このCM用にカバーされたそうです。原曲の「あなた」は、コンクール曲らしくドラマチックな編曲になっていますからね。手嶌さんのカバーは、CMのノスタルジアな雰囲気にばっちり合っていると思います。

日本マクドナルドは1971年7月20日、「ハンバーガー」という食べ物にほとんど馴染みがなかった日本において銀座三越の1階に第1号店をオープンとありました。僕が生まれて初めてバーガーを食べたのが、1970年の3月。大阪万博に行ったときに、大阪の親戚のおじちゃんに地下街で食べさせてもらったのが最初です。ちゃんと覚えているくらい衝撃的な美味しさでしたよ。で、マックを初めて食べたのは・・・いつだったかなぁ。

#マクドナルド  #宮崎美子   

2021年6月27日日曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その5 ~FMみしま・かんなみ「ボイスキュー」~

日曜劇場「ごめんね青春!」では、コミュニティ放送局「みしまFM」がドラマの重要な場になっていました。劇中で毎週金曜日の夜に放送されている「カバヤキ三太郎のごめんね青春!」のラジオパーソナリティを務めているのが、「生瀬勝久」さん演じる東高校長「三宮大三郎」。決まり文句は「一方的にしゃべらないでくれる?」でしたね。

僕の青春時代は、静岡SBSラジオの「1400電リクアワー」が全盛期で、パーソナリティ(と云っても局アナですけど)の「國本良博」さんや故「荻島正己」さんはアイドル並みの人気で、公開放送やイベント(局アナなのにバンドを組んでライブとかしてた)があると凄い数の中高生が集まったものでした。番組は、お便り読んだり、リクエスト曲をかけたりってことでしたけど、オールナイトニッポンが深夜の全国放送という、手の届かない世界だったのに対して、電リクは、非深夜の地元の放送でしたから、ずっと身近な存在でした。お便りが読まれる確率も、決して高くはありませんが、かといって絶望的なわけでもなく、パーソナリティとリスナーの距離感が絶妙だったのが、人気の秘密だったと思います。やはり、中高生の恋の悩みみたいな手紙も読まれていて、まあ、それなりにあしらわれてたような記憶があります。

局アナが遊びで作ったバンドを、自局の放送ネットで流しています。ローカル放送ならでは・・・って云うのかなぁ。ボーカルをとっているイケメンの局アナが「荻島正己」(まちゃみ)さんです。荻島さんは、俳優の「荻島眞一」さんの従兄弟になるそうで、後に、TBSに出向されて全国の顔になります。2014年に食道癌で永眠(62才)とありました。

さて、リアル三島市のコミュニティFMは、周波数77.7MHz「FMみしま・かんなみVOICE CUE(ボイスキュー)」であります。ボイスキューは、阪神・淡路大震災の2年後の1997年に開局したミュージックバード系のコミュニティFMで、近隣の放送局の中では、早くに開局した方です。24時間放送ですけど、週休2日で土日は独自番組はありません。

三島市周辺限定のFMラジオ局なんて、経営が成立するんだろうかと思っていたんですけど、聞くところによると、ラジオ局で一番経費がかかるのは中継局なんだそうです。エリア内の、ほとんど人が住んでないような所までラジオを聴ける状態を構築するのって、凄く大変なことなんだそうで、その点、中継局が不必要で、20Wの送信設備だけで運営できるコミュニティFMは、経営効率が良いんだそうです。(もちろん、自治体からの援助は必要でしょうけど)

コミュニティFMは、防災公共放送としての役割もありますから、素敵な歌を流していても、いきなりブチ切って「どこどこのお婆さんが家を出たまま帰りません」なんて放送が入ったりします。

ボイスキューのライバル局は、お隣の沼津市にあるJ-WAVE系の「COAST-FM(コーストエフエム)」であります。以前、ボイスキューに人気の男性パーソナリティがいたんですけど、急に退社することになって、皆で別れを惜しんでいたら、「コーストFM」のパーソナリティになってました・・・っていう電撃移籍もありました。

それから、過去には、放送局の重要なスポンサーである函南町(かんなみ)を「はこなん」と読んだ伝説のパーソナリティもいましたっけ。(地元民じゃなくても、そこ、絶対絶対間違えちゃダメでしょ!)

ボイスキューの最大の特徴は、パーソナリティとリスナーとの距離が大変近しいことです。女性パーソナリティはタレント並みの素敵な方たちで、熱心なリスナーが平日にもかかわらず(仕事しているのかなぁと心配になるくらい)投稿しまくってます。ボイスキューは自分たち常連リスナーが支えているという意識も強く、その関係は、秋葉原のアイドルとトップ・ヲタに近いものを感じさせます。

常連さんには、(思いつくままにですけど)ラジオネーム「黒木眼医者」さんとか、「浄蓮(常連)の滝」さんとか「あるパパ(アルパカ?)」さんなどがいらっしゃいます。

土曜日の午後には、「あの頃、青春グラフティ」という、ミュージックバード制作の全国放送が流れますけど、皆さん、こちらにもガンガン投稿しているようで、日によっては読まれるメールの半分が、ボイスキューのリスナーだったりします。

ボイスキューも、開局当時は独自取材の番組とかも結構あって頑張っていましたが、最近は、独自番組の放送時間も減少気味で、音楽を流し続けたり、親局であるミュージックバードの再放送をしている時間が増えつつあります。有力なスポンサーを持っていないから、経営が厳しいのかなぁ。三島の国立遺伝学研究所の先生を招いての「サイエンスNOW」みたいに、独自番組からミュージックバード制作の全国放送に出世するようなプログラムもあったりするんですけどね。

まあ、親局である「ミュージックバード」と比べたら垢抜けないのは確かですし、全県放送局のSBSやK-MIXとかとの格差も感じますけど、三島市民からの愛され具合を見ていると、全国に数多くあるコミュニティFMの中でも、成功している放送局じゃないのかなぁと思います。

(ボイスキュー:ミュージックバード「大西貴文のTHE NITE」を聴きながら。)

2021年6月9日水曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その1 ~セーラー服の星~

日曜劇場「ごめんね青春!」は、2014年に放送された学園コメディーである。日曜劇場と云えば、「半沢直樹」「華麗なる一族」など、数多くの名作、高視聴率ドラマが放送された伝統の枠だ。三島市が物語の舞台と云うことで、地元の期待も大いに膨らんだのだが、始まってみると平均視聴率7.7%という堂々の歴代最下位に沈んでしまった。

低視聴率の理由は、宮藤官九郎氏の悪ふざ・・・ギャグが過ぎて、日曜劇場の視聴者に愛想を尽かされたからである。初回から下ネタ(それも中高生レベル)を連発されたら、健全な家庭は、テレビを消してしまうだろう。テストで70点以上取れたら1点につき1秒間おっぱいを揉めるなんて下ネタで、笑えるヤツがいるだろうか。まあ、下ネタ連発といっても、他の放送回では考えさせられる場面も結構あったから、初回のハードルを乗り越えた、あるいは、クドカンワールドの免疫を身につけた者にとっては、楽しいドラマだったように思う。つまり、勿体ない話ということだ。

初回にクドカンワールドを展開し、視聴者にそっぽを向かれたのは、大河ドラマ「いだてん」も同じ。「ごめんね青春!」が日曜劇場で無ければ、「いだてん」が大河ドラマで無ければ、もっと評価を受けていただろうから、場に合わせるって大事なことなのだ。


その「ごめんね青春!」が、「重岡大毅」君のドラマ主演を記念して、「Paravi」と「TVer」「GYAO!」で配信されている。せっかくの無料配信であるし、地元が舞台であるし、黒島結菜さんも出演しているということで、視聴させていただいた。

このドラマの舞台設定は、次の通り。

静岡県三島市には、伊豆箱根鉄道(通称:いずっぱこ)の沿線に3つの私立高校がある。毎年東大合格者を数多く輩出する男女共学の駿豆西高校、通称「西高(にしこー)」。厳粛なカトリック系の女子校・聖三島女学院、通称「三女(さんじょ)」。そして、仏教系の男子校・駒形大学付属三島高校。西高と区別するため通称「東高(とんこー)」と呼ばれている。

伊豆箱根鉄道・駿豆線は、ドラマでの重要な舞台だ。リアル世界でも、沿線には、進学校から、今では貴重な農業高校まで、キャラ・・・校風と最寄り駅の異なる県立高校が縦一列に8校ほど並んでいて、朝夕の電車は、上りも下りも高校生で溢れている。定期代はバカっ高いが、他に交通手段が無いんだから仕方ない。

地元民が、伊豆箱根鉄道を「いずっぱこ」と云うのは本当の話だ。あと「駿豆線(すんずせん)」って云うときもある。それから伊豆箱根鉄道は、バスも運用しているが、こちらは「いずっぱこ」とは呼ばない。明確では無いけれど、電車は「いずっぱこ」、線路は「駿豆線」、バスは「伊豆箱根」って使い分けているように思う。「いずっぱこで通学する」「駿豆線の踏み切りの近く」「伊豆箱根のバス停」っていう具合だ。

リアルでは、三島市には私立校は1つしかない。って云うか、そもそも伊豆地方には、私立高校は1つしかない。それが「日本大学付属三島高校」である。ドラマの「駒形大学付属三島高校」は、仏教系の三流大学(駒澤大学じゃ無いよね)の付属って設定だけど、日大三島は、共学校だし、仏教系ではないし、三流でも無い。ただ、僕がリアル高校生の頃は工業科があって、頭に宇宙戦艦ヤマトを載せた兄ちゃんたちが通っていた。

日大三島は、近隣では最大のマンモス校だ。普通科は共学とは云っても男子部と女子部に分かれていた。女子が移動教室などで、廊下を歩いていると、男子にからかわれたなんていう話を聞いたことがある。まあ、東高のモデルにするには、無理があるが、他に該当する学校もないので、良しとしていただこう。僕がリアル高校生だった頃の日大三島高生のイメージは、重岡大毅君が演じる「海老沢ゆずる」である。

「駿豆西高校」は、毎年東大合格者を数多く輩出する男女共学高って設定だ。強引に当てはめるならば、県立韮山高校「韮高(にらこー)」だろう。偏差値も66くらいだし、東大・京大に合格するヤツも多い。リアルの韮高は、もうすぐ創立150年っていう超伝統校だ。北条早雲が居城とした韮山城跡に校舎が建ち、山城の郭がテニスコートになっているってことだけでも、その伝統が分かるだろう。昔は男ばかりで、女子の比率は低かった。僕の親の世代なんて「女の子なのに韮高に行ったら、お嫁さんの貰い手が無くなる。」って本気で云ってたものだ。実際、韮高の女子生徒は、男社会の中でバリバリやってく子が多かったように思う。僕がリアル高校生だった頃の韮高女子のイメージは、黒島結菜さん演じる「中井貴子」である。


「聖三島女学院」は厳粛なカトリック系の女子校って設定だけど、これは県立三島北高校「三北(さんきた)」(偏差値63)かなぁ。三島北高は、校舎が「東校(とんこー)」としてロケに使われていたので、ドラマとの関わりは深い。リアルの三北は創立120年、旧三島高等女学校の伝統を守る県立の女子校で、後ろ襟に星の刺繍をあしらったセーラー服は、近隣の女子中学生の憧れの的だ。僕がリアル高校生の頃は、中学の成績が学年トップだけど女の子だから北高に進学した、なんていう話は普通にあった。僕の北高生のイメージは、ドラマで「波留」さんが演じた「蜂矢祐子」である。


「いずっぱこ」の沿線には、もう1つ、実科女学校を前身とする県立大仁高校という女子校があって、ここの制服も黒いセーラー服だった。前から見ただけでは区別が付かないから、セーラー服の女子高生とすれ違うと、僕らは必ず振り返って、後ろ襟のマークを確認した。☆だと「北高だっ」ってなり、違えば「大仁か」って思ったものだ。


三島北高と日大三島は、銀杏通りをはさんで斜め向かいにあるけど、北高の女の子と日大の男が、並んで歩いているところを、あまり見たことがないから、ドラマの設定と似ていると言えば似ている。って考えると、ドラマの「海老沢君」と「あまりん」のカップルが、如何にレアなケースだったかが分かる。


2004年、三島北高は男女共学になった。時代の流れとはいえ、OGの強い反対があったのは云うまでも無い。三北は県立の伝統校だし、進学校だし、通学にも便利な立地なので、近隣の中学生の人気は高い。共学化は順調に進み、男女比も半々に近づき、制服のデザインも変わった。でも、セーラー服のイメージと背中の☆は健在だ。制服が変わるという話を聞いたとき、北高と全然関係の無い僕らでさえ、☆はどうなるのだろうと心配したくらいだから、北高生にとって、☆の無い制服など有り得なかったのだろう。 

詰襟学ランの韮高生と、黒セーラー服の三北の女の子が、三島の街を並んで歩いていると、それだけで絵になった。共に百年を超える伝統のオーラがあった。僕らの親の世代からずっと変わらない、昭和の青春の映像だ。

とはいえ、他校生と付き合うというのは、憧れではあるけど、それなりにエネルギーを必要とする。韮高も三北も、今では男女比も半々、自校内でカップルが生まれることが多くなったらしい。旧制中学と高等女学校のカップルを、街で見かけることもなくなってしまった。

大仁高校は、2010年に修善寺工業高校と統合され閉校になった。だから、セーラー服とすれ違っても、もう振り返ることは無い。

2020年12月12日土曜日

「牧瀬里穂」&「黒島結菜」伝説の冬CMを2本

 「閻魔堂沙羅の推理奇譚」ちゃんと見てますよ。第3話の「黒島結菜」さんは、前・後編の特別扱いでしたけど、最終話の「牧瀬里穂」さんも60分構成なんですね。ちなみに、牧瀬里穂さんは、今月で49才になられるそうです。黒島結菜さんは、23才ですから、ちょうど母娘役にぴったり。今回は、すれ違いでしたけど、共演とかあれば嬉しい限りです。


で、今回は、このお二人が出演した、伝説の冬CMについて投稿させていただきます。

まずは、牧瀬里穂さんです。先日「朝だ!生です旅サラダ」という旅番組に出演され、それに関連して、JR東海「X'mas Express」のCMがSNSで拡散されて(牧瀬里穂が)トレンド入りしたそうです。31年も前のCMが、いまだに話題になるというのも凄いことに思います。

放送は1989年(平成元年)、終電後の旧名古屋駅でロケを行ったとのことですから、歩いている人たちは全員エキストラということになります。云われてみれば、動きが不自然で、何となく分かります。今の名古屋駅は高島屋と一体化しちゃいましたけど、当時は如何にも「駅」って感じです。改札に駅員さんが立っているのが、平成元年ですよね。

この時の牧瀬里穂さんは17才。東京の大学に進学した彼氏と、地元に残っている高校生の彼女という設定でしょうか。こんな可愛い彼女を、故郷に待たせているなんて羨ましい限りです。で、先に見つけた里穂ちゃんが柱の陰に隠れるという可愛すぎる演出。この後の展開を視聴者に想像させる終わり方なんて素敵すぎです。それにしても山下達郎さんの名曲は、何年経っても色褪せませんね。

1989年と云うと、スマホどころか、携帯電話さえも無かった時代です。それでもあの頃の恋人は、ちゃんとつながっていたんですよね。

これは「X'mas Express」シリーズの2作目で、この後も、毎年毎年、たくさんの女優さんによって続編が制作されましたけど、設定年齢が最も低いこのバージョンが、僕は断トツで好きなんです。

昨年、このCMについて、「さくマガ」さんに「89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった」という記事が掲載されました。当時の時刻表や駅構内図を使っての詳しい考察が話題になったのですが、今年も再掲載されているということで、僕も読ませていただきました。

その中で衝撃だったのは、このCMが「待ち合わせの場面では無い」という考察です。僕は、この記事を読むまで、何の疑いも無く、彼氏と待ち合わせをしている里穂ちゃんが、悪戯心で柱の陰に隠れているのだとばかり思っていたんです。バンダナ君(彼氏)は、待ち合わせで目立つようにバンダナを頭に巻き、改札口で里穂ちゃんを探しながら歩いているのだと。

しかし、違和感があったのも確かです。1つは、里穂ちゃんが名古屋駅に迎えに行った時刻です。このロケは終電後、つまり深夜に撮影されました。ですから、映り込んでいる時計や列車の出発時刻板は、CM用に設定されたものです。時計の時刻は午後10時前、女子高生がこんな時刻に駅へ迎えに行くなんて不自然です。まあ、ギリで親に外出を許してもらったとしても、その後、二人でデートなんかをしていたら、完全に青少年補導の対象になってしまいます。今晩帰省するけど、(遅いから)会うのは次の日にしよう。ってのが、あるべき約束に思います。

もう1つは、バンダナ君の歩き方です。多少周りを気にしてはいますが、待ち合わせをしていた彼女がいないにしては、飄々としていて、全然焦っていないんですよね。そのまま改札口から歩いて来ちゃってる。僕の彼女が牧瀬里穂ちゃんだったら、絶対、改札口で待ちます。一晩中でも待ちます。

一方で、里穂ちゃんは焦りまくっている。僕は、彼に早く会いたい一心で走っているのだと思っていたんですけど、ちゃんと待ち合わせをしているのならば、あんなに慌てなくっても良いはずです。バンダナ君を待たせたとしても、「ゴメン、待った?」「ううん、全然」とか云ってれば良いんですから。しかも、駅の構内でキョロキョロして、バンダナ君を探しているかのようなシーンもある。

やはり、待ち合わせでは無かったのでしょう。彼が今晩帰省することを(東京駅の固定電話とかで)知った里穂ちゃんは、サプライズで迎えに行くことを思い立った。新幹線が名古屋に到着するまで2時間弱。慌てて支度をして家を出たんだと思う。もしかしたら、プレゼントを未だ用意して無くって、急いで買ったのかもしれない。だからギリギリになった。

里穂ちゃんは焦っていました。この時代、新幹線に乗ってるバンダナ君とは、連絡のとりようが無い。もし遅れてしまったら、バンダナ君が先に改札口を出ていたら、さっさと行ってしまいます。約束していないんですからね。すれ違いになってしまう。だから、里穂ちゃんは何が何でも、新幹線の到着時刻には、改札口にいなければならなかったんです。でも、遅れてしまった。もしかしたら、もう改札口を通過しているのかもしれない。だから、構内を見回していたんです。で、改札口に降りてくるバンダナ君を見つけた。そして、サプライズ感が増すように、柱の陰に隠れた。これは、とっさに思いついたのかもしれませんし、初めから考えていたのかもしれません。

里穂ちゃんは、サプライズのために、もの凄いリスクを負っています。彼が8時発の新幹線に、乗っていないかもしれないんですから。あの笑顔はリスクを負っているからこそ醸し出されるもので、僕らはその笑顔に共感し、このCMは伝説になったんです。


次は、「黒島結菜」さんのNTT docomo 「想いをつなぐ篇」。

こちらのCMは、放送が2013年とありますから7年前、本格的にスマホが普及し始めた頃ですね。黒島結菜さんは高校2年生、16才の時の作品になります。

CM 曲は、SPICY CHOCOLATEの「ずっと feat. HAN-KUN & TEE」

最近の大人っぽくなった黒島結菜さんも、もちろん素敵ですけど、この頃の黒島さんも最強。十代の黒島さんの魅力は普通っぽさ。何だかその辺に居そうな可愛い子って感じが、彼女の良さに思います。

お相手役は「葉山奨之」さんで、丸山純奈さんと同じトライストーン所属の俳優さんです。映画「あしたになれば」でも黒島さんと共演していましたけど、まさか「きゃりーぱみゅぱみゅ」さんとお付き合いするようになるとは思いませんでした。

で、このCMのコンセプトは「つながる」だと思います。奨之君は、常に結菜ちゃんと連絡を取り合っています。電車に乗り遅れたシーンがありますけど、メイキング映像によると、乗り遅れて直ぐにラインしています。花火大会が終わっても、会場で待っていた結菜ちゃんは健気とも云えますけど、彼の現在位置が逐一報告されているんだから、待つしかありません。

スマホでつながり合っていれば、大切なデートの日にバイトを入れても大丈夫ということなんでしょうか・・・っていうか、こんな可愛い彼女がいたら、絶対バイト入れないと思います。結菜ちゃんと約束しておいて「間に合わないかも」じゃねぇだろう!急にシフト変わって断り切れなかったとか云いたいんでしょうけど、黒島結菜ちゃんが僕の彼女だったら、絶対バイトは入れません。

里穂ちゃんも、奨之君も走っていますけけど、その理由は全く違います。彼は義務を果たしているに過ぎません。だから、僕は、このCMの奨之君には好感できないんです。途中で、池に落ちた子猫を助けていたとか、道に迷ったお婆さんを自宅に送り届けたとか、納得できる理由があれば良かったんですけどね。結果として、16才の黒島結菜さんが可愛いだけのCMになってしまったように思います。


このNTT docomo のCMが放送されてからも、7年たちました。今は、全ての世代がスマホを持ち、ラインを利用するようになったし、待ち合わせで彷徨うことなんて無くなりました。僕らはつながることによって、無駄は無くなったし、安心を手に入れました。その一方で、サプライズを回避したがるようになったと思います。約束もせずに会いに行くことなんてないし、プレゼントだって、何にするか事前に相談することも多いと聞きました。

だからと云って、携帯電話が無い時代が良かったなんて云いません。バンダナ君と里穂ちゃんだって、名古屋駅に改札口が2つあったら、出会えなかったわけで、「昨夜、名古屋駅に迎えに行ったんだよ。」「そうだったの、ゴメン、気付かなかった。」なんてことになったら、「携帯電話があれば良いのにね。」ってなるはずだからです。そりゃあ、会いに来てくれた「気持ち」が有り難いってことも云えるんだけど、それは後になって思えばってことで、その時は、残念な気持ちの方が何倍も大きいはずです。

大切な人とつながっている今の時代は、あの頃の僕たちが望んでいた社会でもあるわけですから。

・・・ちょっと違ってるような気もするけど。

お終いは、2つのCMのスペシャルコラボで。



2020年11月27日金曜日

「白いページの中に」柴田まゆみ

 「白いページの中に」(作詞・作曲:柴田まゆみ)は、1978年、第15回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会の入賞曲です。

40年以上も前の曲なんですけど、今でも時々、地元のコミニティラジオで流れてきます。で、先日も流れてきて、カバー曲が、現在公開中の映画「ホテル・ローヤル」の主題歌になっているって紹介されたんですよね。今頃!って思ってしまいました。びっくりです。(ジャケットの写真にも)

この作品は、柴田さんが、高校のフォークソング部に所属していた時に作った曲が元になっているそうです。ポプコンの1978年春大会で入賞したのですが、その時の優秀曲賞が「佐野元春」さんで、同じ入賞曲に長渕剛さんの「巡恋歌」があったそうですから、凄いレベルの大会だったようです。

柴田さんは、この曲でデビューしましたが、シングルを一枚リリースしただけで、音楽活動を休止してしまいます。ポプコンは想い出作りで出場しただけで、元々プロになるつもりも無かったそうです。まあ、一発屋ってことですけど、1打数1安打で1ホームランですからね。ボカロ曲にもありますけど、アマチュアが繰り出す渾身の1曲ってのは、時に、名曲が飛び出てくるようです。

この曲で印象的なのは、サビ前の「長い長い坂道を、今、上ってゆく」のところ。ここからサビの盛り上げ方が秀逸で、正にコンクール向けの楽曲に思います。この曲が、どハマリする世代ってのは、アラウンド6だと思うんですけど、埋もれることが無かったのは、楽曲のデキの良さと、たくさんのカバー作品のおかげではないでしょうか。

たまたま尺が同じだったのであわせました。



柴田さんは、作詞の能力は評価が高かったようですし、歌唱力だってあるじゃないですか。まあ、周りが凄すぎたってことなんでしょうか。もったいないように思いますけど。

さて、「ホテルローヤル」は、2013年に集英社から刊行され、第149回直木賞を受賞した「桜木紫乃」さんによる小説短編集とありました。釧路湿原を見下ろすロケーションに建つラブホテルが舞台で、「波瑠」さん主演で映画化されています。

物語の内容に主題歌が、どう合っているのかイマイチ分からないんですけど、予告編を見ると、共演者が「松山ケンイチ」さんで、他に「伊藤沙莉」さんとか、「岡山天音」君や「正名僕蔵」さんが出演するんですよね。最近、映画も観てないし、行ってみようかなって思ったんですけど、止せば良いのに、映画評価のレビューを見ちゃったんです。あれって、悪口しか書いてないじゃないですか、で、一気にテンションが下がってしまったという次第です。主題歌に惹かれて映画を見に行った人っているのかなぁ。

伊藤沙莉さんが家出した女子高生役だなんて、これにもびっくり・・・女優さんって凄いですねぇ。まあ、テンション充電中ということで。

2020年9月28日月曜日

黒島結菜「時をかける少女2016」 その1 ~3つの「時をかける少女」~

 TVerとHuluで配信が始まった「時をかける少女2016」。日テレ「土9」ドラマという伝統の枠にもかかわらず、最低視聴率4.6%という大爆死。「時かけ2016」は、若き主演女優「黒島結菜」の黒歴史となった。しかし、世間的に無名な若手俳優たちによる青春ドラマで、平均視聴率6.5%というのは大健闘とも云えるし、大量のディスりもネット特有の弱い者虐めの感がある。「時をかける少女2016」とは、そして「時をかける少女」とは、何だったのだろう。

3つの「時をかける少女」

「時をかける少女」は、筒井康隆氏のミドルティーン向けの正統派SF小説で、ライトノベルの元祖だそうだ。書かれたのは1967年となっているから、もう53年も前の作品になる。

 1972年に「タイムトラベラー」の題名でNHKがテレビドラマ化して以降、1983年に原田知世ちゃん主演で公開された実写映画、2006年公開のアニメ映画など映像化だけで9回、舞台等を含めるとその作品数は数え切れない。

どの作品をリアタイしていたかで世代分けができるそうだが、若い世代だと、アニメ版が最初って人も多いかと思う。「細田守」監督の出世作でもある、アニメ映画「時をかける少女」は、原作から20年後の世界となっていて、芳山和子の姪っ子を主役として、東京の下町が物語の舞台になっているそうだ。そうだ、と云うのは、僕は、アニメ版がテレビ放送された時に、ちゃんと録画していたのにもかかわらず、何を思ったのか消去してしまったからだ。聞くところによると、主人公の女の子は、かなりアクティブに描かれているらしい。


映像化で最も成功したのが、1983年の大林宣彦監督、原田知世さん主演の実写映画である。尾道を物語の舞台にした作品で、主役の「芳山和子」は知世ちゃんの実年齢(当時15歳)よりも年上の高校二年生という設定だった。

その時の知世ちゃんは、ホントにド素人っぽかった。長崎から純朴な女の子を連れてきて、いきなりカメラの前に立たせて演技させたって感じだった。ところが、不思議と嫌悪感を抱かせること無く、見ているこっちがハラハラさせられながらも、守ってあげたくなった。今も行われている、未熟なタレントをファンが応援するという売り方である。それを可能にしたのは、彼女の、あざとさを感じさせない清廉な可愛らしさだったと思う。その知世ちゃんも52才。透明感を保ち続け、今も活躍しているのは、キセキとしか云いようが無い。


その角川映画に先立つこと11年前のこと。NHKが少年少女向けに「タイムトラベラー」というタイトル名で、この原作をドラマ化していたのである。。30分番組の全6話という構成。主役の「芳山和子」を演じていたのが「島田淳子」さんで、設定は中学三年生だった。かなりの人気ドラマだったので、オリジナルストーリーの続編も制作された。子どもだった僕は、主演の女の子に淡い想いを抱きながら楽しみに見ていたが、ミステリー的な要素もあって、何となく暗ーい雰囲気のあったドラマだった記憶がある。
ラベンダーなんて花の名前、聞いたこともなかったので、母親に質問したのだが、教えてもらった記憶がない。


「タイムトラベラー」は、今でも再放送のリクエストがあるらしいが、NHKにも映像が無く、幻のテレビドラマと呼ばれていた。当時は放送用のビデオテープが高価だったため、番組を収録したマスターテープは、放送が終わると別番組のために再利用されしまい、映像がNHKにも残っていなかったからだ。

ところが、1999年、和歌山県で最終回を録画したテープが発見される。電気屋の息子が、売り物のデッキを使って録画していたのだ。最終回だけが残っていたのは、1本のテープで重ね録画していたため。家庭用のビデオデッキが、当時の価格で三十数万円、60分録画用のテープが1本1万円もした時代の話である。提供された映像は、NHKで復元修理され、別で保存されていた録音音声と合わせて、DVDが販売されたらしい。


そして、2016年、「時をかける少女」は、日本テレビの新土曜ドラマとしてリメイクされる。

このドラマは、静岡県の沼津市と下田市をメインのロケ地にして撮影された。伊豆半島の付け根にあたる沼津市の内浦地区や、伊豆の南端にある下田市街や海岸は、たくさんのCMやMV、映画やドラマのロケ地として使われている。

「時かけ2016」での重要なロケ地は「旧静浦中学校」の奥駿河湾が見える屋上である。この絶景を前にして、フェンスの無い屋上に生徒が自由に出られるなんて有り得ない、なんてツッコミは野暮であろう。他にも、狩野川を渡る永代橋とか、今はなくなってしまった市役所前の立体駐車場とか、シャッター通りとなっているアーケード街とか、見慣れた街や風景が出てくると嬉しい。

2016年の夏はリオデジャネイロ・オリンピックが開催されたこともあって、ドラマは全5話という短構成になった。しかし、原作は長編小説ではないから、それまでの映像化作品は、映画やSPドラマが中心で、連ドラであるNHKの「タイムトラベラー」でも、30分×6話の3時間にすぎない。つまり「時かけ2016」は、土曜ドラマとしては短いのかもしれないが、「時かけ」シリーズとしては異例の長さなのである。そのため、原作には無いエピソードが挿入されることになり、このことが原作のファンから批判を浴びる要因の1つともなった。

人物設定も変更された。1つは登場人物の名前で、今時っぽい名前に変更されている。「菊池風磨」君演じる未来人ケン・ソゴルは「深町一夫」から「深町翔平」へ。「黒島結菜」さん演じるヒロイン「芳山和子」は「芳山未羽」となった。「竹内涼真」君が演じる幼なじみの「堀川吾朗」は「浅倉吾朗」である。これは、原作では「浅倉」だったのを、大林監督が「堀川」に変えたそうで、それを元に戻したってことになる。吾朗ちゃんは、今も昔もアリな名前ってことなのだろう。

もう1つは、設定年代である。原作では、ケン・ソゴルは、2660年、つまり700年後の未来からやってきたことになっているが、「時かけ2016」では、2122年となった。しかし、これは無いだろう。いくら社会の変化が激しいとは云っても、わずか100年後にタイムリープの薬が発明されるとは思えない。2122年の未来では、大変動が起こって夏のない世界になってるらしいが、それにしては立ち直りが早すぎる。人々は、遺伝子適正によって職業や婚姻を決定させられているともあった。だいたい、100年程度前のことならば、わざわざタイムリープして調査に来なくたって分かるだろう。ここは原作どおりで良かったのではないか。この点については、ディスってる奴らの意見を支持せざるを得ない。

「時かけ」の主要登場人物は、主役の芳山、未来人の深町、そして幼馴染みの吾朗である。3人は、いわゆる三角関係にあるが、2016では、それがさらに強調されているように思う。芳山が深町に恋心を抱くのは全作の共通であるが、他と大きく異なっているのは、幼馴染みの吾朗が芳山に告白しようとするところである。さらに、他の作品の深町は、違う世界の人を好きになってはいけないという鉄則を心得えているから、自分から告白しようなんてアホなことは考えないが、2016の深町は、肉食男子入門なんて指南書を読んだりして、キス、キスとうるさい。

タイムトラベラーの芳山は、中学3年生という設定であったので、その恋愛感情はプラトニックなものであったし、吾朗の感情も幼友達以上のものではなかった。角川映画もそれに近かったように思う。深町が未来に戻った後も、芳山と吾朗は恋人関係にはならなかったはずだ。

一方、2016は高校3年生の夏という設定である。高3といえば、できたカップルが、そのまま結婚に至ることだって普通にある。だから、吾朗の告白を「困ったこと」と云い、ずっと幼馴染みのままでいたいなどと云う芳山の発言は、彼を恋愛対象とすることが生理的に無理と云っているに等しい。僕らは、あの誠実で格好良い竹内凉眞君の告白を受け入れないなんて有り得ないと思ってしまうが、それはリアルな話であって、ドラマの世界は別なのである。


さて、芳山は元ボート部員で、腰を痛めてからは写真部に転部したという設定になっている。写真部の彼女が振り回しているのが、名機Nikon F3である。しかも彼女は普段使いのカメラとして、リアルでもF3を所有しているらしい。黒島さんは、当時、日大芸術学部写真学科の学生であったから、F3を持っていても、まあ不思議はない。

それにしても、F3とは、渋いし凄い。僕が山登りを始めたときに初めて買った一眼レフは、キャノンのAL-1だった。F3ってのは、セミプロ以上の人が使うもので、一般人が持ってはイケないカメラだった。当然のことながら、F3はフィルムカメラだし、オートフォーカスでもない。そんなカメラを18才の女の子が持っているのだがら、可愛・格好良いこと此上無い。

このカメラが発売されていた頃って、彼女は、まだ産まれて無いはずだ。昔の機械式の高級カメラは造りがしっかりしていたし、使っている人も大事にしてメンテナンスも怠ることがなかっただろうから、中古でもちゃんと使えるのだろう。

ただ、テレビに出てくるF3は、私物のF3とは違うという話がある。彼女のF3は50mの標準レンズを付けていることが多いのだが、ドラマのF3のはズームレンズに見えるし、ファインダーの形状も異なっているらしい。となると、ドラマのF3は撮影用の小道具である可能性が高いが、それでも同じF3を使うというのは面白い話である。

しかし、何故、日テレは、世間的に無名な3人の俳優に、ゴールデン枠のドラマを任せたのだろう。視聴率は、初回こそ9.4%だったが、第2話では6.6%。「FNS27時間テレビ」が裏で放送された第3話は4.6%と、ボーダーラインとされる5%を割り込んでしまった。その後は、第4話5.1%、最終話6.6%と若干持ち直し、平均視聴率6.5%とある。大爆死と云われたが、出演者を考えれば、よく6.5%も取ったとも云える。

翌年、黒島結菜さんは、NHK時代劇「アシガール」に出演した。NHKが彼女に主演をオファーしたのは、このドラマを担当ディレクターが見ていたことがきっかけだったと云う。竹内涼真くんは、次作の「過保護のカホコ」でブレイクし、菊池風磨くんは、続く「嘘の戦争」で詐欺師の役を好演した。彼らは、この時のチャンスは活かせなかったかもしれないが、確実に次へとつなげていたのである。

「時をかける少女2016」は、原作からの設定をいじりすぎている感がある。だから、旧作のファンたちの、これは「時をかける少女」ではないという批判も理解できる。でも、この作品を1本の青春ドラマと見れば、十分に評価されるべきものではないだろうか。


思いの外、長くなってしまったので、各放送回の感想は、またの機会に。

お終いは、エンディング・テーマ「恋を知らない君へ」で如何であろうか。

いろいろあった手越だが、歌は上手い。