子どもの頃は、今より海外ドラマが多く放送されていたように思う。スパイ大作戦とか、ナポレオン・ソロとか喜んで見てたけど、その中で、僕は「宇宙大作戦」が大好きだった。今は、原題の「スタートレック」と呼ばれるのが普通だろうが、僕が見ていた頃は「宇宙大作戦」だった。多分、地元ローカル局の再放送を見ていたんだと思う。
スタートレックはその後、続編とか劇場版とかがたくさん制作されたようだが、僕は知らない。
U.S.S.エンタープライズ NCC-1701
宇宙大作戦は、ジャンル的には冒険物語で、宇宙船は出てくるけど、フェイザー砲や光子魚雷をガンガン撃ちまくるような戦闘シーンは、ほとんど無かったように思う。でも、転送装置とか、医療用トリコーダーとか、それから、子どもに理解不可能な科学用語群に、僕は憧れた。
50年以上前の話だから、物語の内容は、ほとんど忘れてしまっていたが、第23話「コンピューター戦争」と、第28回「危険な過去への旅」は、不思議と覚えていた。で、ネットで調べたら、さらに記憶が蘇ってきた。
昔のSFドラマだから、今思えば、ツッコミどころ満載かもしれないが、コンピュータによる仮想現実とか、タイムトラベルのジレンマとか、現代にも続くSFネタの原点とも云える設定が数多くあって、凄いドラマだったと思う。
今更、ネタバレでもないだろうから、思い出した2話を語らせていただこう。
まずは、シーズン1 :第23話「コンピューター戦争 」 ”A Taste of Armageddon”から。
外交ルートを開設するために、惑星「エミニア」を訪れたカーク船長たち。平和に暮らしているように思えたエミニア人たちだったが、彼らは、惑星「ベンディカー」と500年も戦争を続けていて、年間100万~300万人もの犠牲者が出ていると云う。
実は、戦いはコンピューター上で行われており、仮想の戦場で死んだと指名された者は、分解マシーンで安楽死させられていたのだった。仮想戦争だから、戦死者は出ているものの、街は破壊を免れ、繁栄した生活が送れていると云う。つまり、極めて合理的でクリーンな戦争と云うわけだ。ルールを守らないと本当の戦争になってしまうとはいえ、市民が整然とマシーンに入っていくシーンは、子ども心にも印象的だった。
そこに、ベンディカーからの通告。それは意外にも、講和を呼びかけるものだった。本当の戦争になるかもしれない状況に追い詰められたことで、エミニアとベンディカーは和平交渉へ踏み出すことができたのだ。
スポックはカークの感情的な行動を批判するが、カークは「感情にしか頼れない場合もあるよ、我々人間にはね。」と答えるのだった。紛争地域に武力をちらつかせて乗り込み、自らの正義をもって強引に仲介しちゃう話。今も未来も、それがアメリカ。
シーズン1:第28回「危険な過去への旅」”The City on the Edge of Forever”
ある惑星で、過去に通じる「どこでもドア」みたいな物体を発見したカーク船長たち。で、いろいろあって、ドクター・マッコイが中に飛び込んでしまう。すると、惑星軌道にあったエンタープライズ号が消滅。マッコイが歴史に干渉したのが原因だと云う。カークとスポックはマッコイの行動を阻止するために、過去に向かう。
そこは1930年代のニューヨーク。二人は、社会福祉施設を運営している聡明な女性に出会う。
僕がよく覚えているのは、スポックが、トリコーダーのデータを解析するために、簡易コンピュータを1930年代の電気部品を使って組み立てるシーン。それって、どこかの映画でパクってたような。
完成したコンピュータでトリコーダーの情報を分析すると、その女性は交通事故で亡くなることになっていた(これが、正しい歴史)。そして、もう1つの歴史。それは、彼女が始める平和運動が国民の支持を得て、アメリカは第二次世界大戦への介入が遅れ、先に原子爆弾とミサイルを開発したナチス・ドイツが、世界を征服するというものだった。1960年代のアメリカならではの、ガチガチ原爆肯定論。
やがてマッコイがこの時代に現れる。道路に飛び出す彼女を助けようとするマッコイ。それを止めるカーク。「自分のしたことが分かっているのか。」とブチ切れる、どこまでもお騒がせなマッコイ・・・歴史は修正されたけど、悲しい、そして子どもだった僕には衝撃の結末。
「いろいろあって」の部分には、ユーモアとか社会風刺などが描かれていただろうが、子どもだった僕には理解不能だったに違いない。
まだ世界大戦の終結から20年しか経っていない頃で、東西冷戦真っ只中の人種差別も残っていた時代である。同時期に制作された「サンダーバード」が、イギリスの階級社会を色濃く反映していたのに対して、スタートレックの乗組員は、アメリカ人だけでなく、宇宙人との混血児や、ロシア人、黒人女性、東洋人と多彩だ。目的を「宇宙探検」とし、23世紀を差別や貧困のない理想的社会と設定したことは、平和を願う気持ちの現れだったとある。
ただ、「サンダーバード」が、科学力で人を絶対殺さないという設定だったのに対して、「スタートレック」には、内政不干渉と云いながら、武力を背景にしたアメリカ的価値観の押しつけがある。まあ、あの頃の僕にとっては、それもこれも「いろいろあって」に含まれていたんだけど。
#スタートレック #宇宙大作戦
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