銀の盾をもらって、テンション上がりまくりのえくぼっちと、冷静に語るもう一人のえくぼっち。動画の音声を消すことなく、ナレーションを被せるという手法である。こういう構成にお手本となる動画があるのか僕は知らないが、2つの音声の比率が7:3という、聞こえるかどうかのぎりぎりの比率になっているのが秀逸である。
想いのまま、気の向くままに、本屋さんの手書きPOP感覚でブログを書いております。「黒島結菜」「紀平梨花」「初音ミク」の応援ブログと迷走していますが、全てはM・・・「松浦亜弥」「丸山純奈」の復活を待つために。
2024年5月19日日曜日
おすすめ動画に出てきた「えくぼっち」って、誰? ~1本の投稿から中高生のインフルエンサーになった女の子の話(妄想)~
銀の盾をもらって、テンション上がりまくりのえくぼっちと、冷静に語るもう一人のえくぼっち。動画の音声を消すことなく、ナレーションを被せるという手法である。こういう構成にお手本となる動画があるのか僕は知らないが、2つの音声の比率が7:3という、聞こえるかどうかのぎりぎりの比率になっているのが秀逸である。
2021年10月17日日曜日
「もちまる日記」の炎上に心を痛めている人間がこちらです
世の中には、犬派と猫派がいるようだ。僕は、どちらも飼った経験が無いのだが、圧倒的に猫派である。
犬は、上下関係の中で生活する生きものである。対等は有り得ない。自分より偉いと思えば、尻尾を振るし、下だと思えばマウントを取りに来る。人間にもそういうヤツがいる。そして、僕は、下に見られることが多かった。だから、相手によって態度を変えるヤツは、例え僕がチヤホヤされる側だとしても、嫌いなのである。
仏像巡りで寺院に行くと、よく野良猫に出会う。拝観していたお堂の中から、猫が出てきて驚いたこともある。(危うく、野良猫を拝むところだった。)ここを縄張りにしている彼らは、重要文化財の建物だろうが自分の物だと思っているから、侵入者である僕を睨み付けてくる。一方、僕だって、拝観料を支払っているわけだから、引き下がるわけにはいかない。こういう対等な緊張感は、相手が犬では味わえないだろう。
猫の仕草は、見ていて飽きない。その理由の1つは、前足の使い方にある。犬にとっての前足は、足でしか無いのだが、猫の前足は、手として使われている。怪しいものをつんつんしたり、獲物をキャッチしたりできる。親猫が仔猫を前足で抱きかかえて舐め回す仕草も猫ならではである。
犬の喧嘩は、野蛮に噛みつき合うだけだが、猫の喧嘩は、取っ組み合って、キックもパンチも繰り出す、正に格闘である。世の中には、暇な人も多いようで、YouTubeには、猫の喧嘩を撮影した動画がたくさんアップされている。
そんな猫の動画を面白がって見ていた僕に、ユーチューブのAI機能が、お勧め動画を提案してきた。リモートワークで在宅勤務をしている「下僕」さんが、立ち耳のスコティッシュフォールド「もちまる」との暮らしを綴った、YouTubeチャンネル「もちまる日記」の動画である。
猫との平凡な日常を記録した、何の刺激も無い動画なんだが、ついつい見てしまった。清潔感有りまくりな部屋で、猫との優雅な二人暮らし。かなりの人気チャンネルのようで、2021年9月には「YouTubeで最も視聴された猫」としてギネス世界記録に認定されたそうだ。チャンネル登録数が150万以上、総再生回数は、7億回を超えているそうだから、かなりのものである。フォトブックやカレンダーも発売されているらしい。
「もちまる日記」の人気の理由は、もうすぐ2才の雄猫「もち様」の可愛らしさにあるのはもちろんだが、飼い主である「下僕」氏の動画センスが大きいだろう。動画には、飼い主の手が写ることはあっても、顔や声が入ることは無く、動画は字幕だけで進んでいく。で、この字幕の付け方が、じつに上手い。そりゃあ、中には、本当にそうなの?ってのも無いことはないが、表情豊かな「もち様」の仕草に、あの字幕がつくと、見ているこちらが癒やされる。それを、4分程度の動画とはいえ、ほぼ毎日更新してくるんだから、恐れ入るばかりである。
もう一つは、「もち様」と「下僕さん」の、男同士の友情と信頼関係であろう。もち様が去勢手術を受けることになったとき、下僕さんは猫にだけ絶食させるのは申し訳ないと、(多分、本当に)自らも絶食したらしい。そりゃあ、中にはヤラセもあるだろうけど、下僕さんが、愛情を込めて飼育しているのは、確かなことに思う。
そんな「もちまる日記」だが、注目されるにつれて、叩かれることも多くなってきたようだ。マネジメント契約とか、フォトブックの発売など、ビジネスが絡むと風向きも変わってくる。ワニの時もそうだったけど、ネットの世界というのは、未だにビジネス化への拒絶反応があるからだ。動画の人と猫との素敵な関係が嘘っぱちじゃないかというのがアンチの指摘するところだが、そう云われてしまうと、そんな気になってしまう自分がいる。人の心は、猫以上に変わりやすいってことか。
でも「もちまる日記」は、ドキュメンタリーでなくって創作物なんだから、作られた舞台での演出は視聴者も承知しているはずだ。年収が億を超えたとしても、それは下僕さんの動画編集の才能に対する正当な対価であるし、人間様が飼い猫を金儲けに利用したことだって、悪いこととは思えない。
ユーチューバーとして生計を立てるのであれば、期待される動画を上げるのは至上課題だろうし、確かに挑発したり、からかっているような動画を配信している時もある。僕は猫の習性に関する動物実験だと思って見ていたけど、中には、それを動物虐待だとする人もいるってことのようだ。気ままな猫が相手なんだから、ネタが無い日は休止すれば良いと思うし、日常なんだから同じような動画が続くことも致し方ないと思うけど、仕事とあれば、そういうわけにもいかないとすれば悲しいことである。
このチャンネルで視聴者が癒やされていたのは、もち様の可愛らしさだけでなく、下僕さんの優しさによるところが大きかったと思う。人って、こんなにも優しくなれるんだってのが、伝わってきた。飼い主の優しさに癒やされる・・・それは、擬似的とは云え、猫と人間との「対等」な関係が演出されていたからこそで、「もちまる日記」の人気の秘密もそこにあったんじゃないのかなぁ。
ではこのへんで、ばいばーい
#もちまる日記
2021年1月30日土曜日
上國料萌衣が「あざとカラオケ」でブレイクだと?!
まずは自慢しよう。僕は「上國料萌衣」さん(かみこ)を、3年半前から注目していた。ちゃんと、証拠のブログ記事もある。
かみこに関する一本目のブログ記事がこれ。
で、ブレイクする兆しが、一向に無い中で投稿したのがこの記事である。
デビュー以来、ハロヲタから絶大な支持を集めていた彼女だが、ブレイクする兆しも無いまま5年が過ぎていた。それがだ、「あざとカラオケ」で大ブレークとネットニュースに書かれているではないか。
まあ、大ブレークは盛り過ぎかも知れないが、注目を浴びているのは確かなようだ。でも、何で「あざとカラオケ」なんだろう。何を何処でどう間違ったのか分からないが、贅沢は云ってられない。売れるんだったら何でも良い。
番組の公式動画を見てみると、普通に歌っているだけで小聡明いとは思えないんだけど、これに山ちゃんとかのコメントが入った番組動画を見ると、あざとく思えてくるから不思議だ。心理学のナンとか効果ってやつだろう。付けられているコメントは、上から目線っぽいんだけど、山ちゃんの(否定しない)職人芸的ツッコミのおかげで楽しく見られる。動画を見ながら「可愛いねぇ」ってコメントを被せたって、面白くもナンともないんだが、「あざといねぇ~」って云うと、笑いに昇華できるから不思議だ。
皆で「あざとい」「あざとい」と云っているから、「あざとアイドル」なんてキャラが付いたらどうしようと思ったんだが、コメントを見ると、視聴者の皆さんはちゃんと分かっているようで安心した。
どうやら番組での「あざとい」とは、好きな人に振り向いてもらいたいと、健気に可愛く振る舞うことらしい。その行動を見透かした上で、好意的にとらえるってことか。
この言葉、ネットで好んで使われるようになってから、肯定的な意味合いが強くなってきたようだ。元々あった「可愛い」という言葉が、何にでも使われるようになって、可愛いの持つ意味が広く薄くなってしまったから、その代わりとして「アザとい」が登場したように思う。何年か後には「ヤバい」と同じように、「アザとい」も褒め言葉になって、素敵なお洋服や幼気な子猫に向かっても、「あざと!」なんて云う時代が来るかも知れない。(もう来てる?)
では、折角だから、公式動画を貼り付けさせていただこう。まずは「森高千里」さんの「私がオバさんになっても」である。熊本出身のかみこは、デビュー間もない頃から、森高先輩の楽曲を好んでカバーしているが、だんだん様になってきたように思う。
次は、ヒット曲「NiziU」の「Make you happy」だ。
ハロプロのアイドルならば、このくらい歌えて普通とも云えるんだが、かみこの歌唱はハロプロ独特の癖がないので、一般受けする要因になっているのだろう。ブレイクと云ったって再生回数は100万回未満だから、大騒ぎするほどでも無いんだけど、今までが今までだったから、ファンにとっては涙ものに違いない。
出演のきっかけは、ハロプロのライブで「LOVE涙色」を歌っている「かみこ」を、動画で見た番組Pがオファーしたらしい。僕が彼女を知ったのも、同じ動画だ。出演が決まったとき、「あざといってどうやるの?」ってアンジュルムの後輩に聞いたという話も、如何にも彼女らしくてありそうなことだ。ハロプロのライブで場数は踏んでいても、カメラ目線で歌を歌うことなんて無かったんじゃないだろうか。小聡明さに無縁だった彼女があざとく演じるから洒落になるわけで、番組Pもそれが狙いだったんだろう。
「マックフルーリー® なんでだろう feat.上國料萌衣(アンジュルム)」の公式動画だ。
「ピザーラ」のCMを成田陵君に奪われてしまった時は悲しかったが、2年連続でマックのCMに起用されて嬉しい限り。いつの間にかハロプロの稼ぎ頭だ。
これをきっかけに、知名度を上げていくのだろうか、この流れがどこまで続くのか分からないけれど、この数年間頑張って足元を固めてきた彼女だから、流されてしまうこともないだろう。かみこも21才、安心して見てられる。アイドルも女優も二十過ぎてからが、本当の勝負ってことか。
お終いは、やっぱりこの曲にしよう。かみこの魅力は、昭和の正統派アイドルを彷彿とさせる明るさだ。「ぶりっこ」「萌え」「あざと」・・・言い表し方は変遷しても、やっていることは変わらない。
2021年1月1日金曜日
黒島結菜:NHKミニドラマ「悲熊」~社会的弱者に癒やされる不思議の国の物語~
NHKの番組紹介サイトからです。
SNS上で公開され大人気の4コマ漫画「悲熊(ひぐま)」をドラマ化。ドラマの舞台は人間と熊が共存する世界。主人公の子熊は両親を亡くし兄ともはぐれ、幼い身でありながら水産加工工場で働き自活しています。子熊を演じるのは、ジャニーズWESTの重岡大毅さん。誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い、それでも前向きに生きる子熊の姿にキュンとなる。いろいろあった2020年のしめくくり、「悲熊」で癒やされてください!!
「黒島結菜」さんは、そんな「悲熊」を気に掛ける優しい女子大生「栗林」さんを演じている。ヒロインってことなんだけど、お相手は着ぐるみの熊だ。主演(なかのひと)の「重岡大毅」君は、「教場Ⅱ」で伊藤健太郎君の代役にも抜擢されたジャニーズタレントで、黒島さんとは「ごめんね青春」以来の共演らしい。
第9話では「正名僕蔵」さんがゲスト出演していた。今回は落ちぶれたサラリーマンの役で、これもハマリ役の1つだ。最近も「ホテルローヤル」とか、たくさんの作品に出演されているけれど、出演作をNHKのオンデマンドで検索しても、もう「アシガール」は出てこない・・・悲しい。
1話が5分のミニドラマで、全10話の構成。黒島さんが出演したのは、そのうちの半分くらい。閻魔堂沙羅のときは前髪があった黒島さんだが、このドラマでは、髪の毛をアップしていた。
NHK大阪放送局制作とのことだが、ロケ地が静岡県沼津市の千本浜公園だったりしている。こんな近くでロケをしていたなんて知らなかった。沼津は黒島さんが主演した「時をかける少女2016」のロケ地でもあって、狩野川に架かる「永代橋」とか、千本浜の海とか、同じ場所が出てくる。黒島さんは、4年前のロケ地のことなんて、覚えちゃいないのかなぁ・・・悲しい。
それにしても、このドラマ、どのくらいの人が見たんだろう。視聴率なんて計測不能だと思うけど、放送中はツイッターで「#ミニ悲熊」がトレンド入りしたとのことで、ジャニーズファンの結束力には恐れ入るばかりである。1月9日(土)には、第1話から5話までを再放送するらしいから、それなりに評判は良かったのかもしれない。
全10話の中で、面白かったのは自局番組の「ダーウィンが来た」をパロった第5話「悲熊は密着される」、良かったのは山道に迷った少年との交流を描いた第6話「悲熊は迷子と出会う」だ。
第5話に登場した、お湯にルーを溶かしただけの具無しカレーは、衝撃的に悲しかった。でも、ルーの味がよく分かって、案外美味しいかも知れない。カツカレーとかだと具がじゃまになるときがあるから、今度試してみようかと思う。そういえばCoCo壱番屋のカレーもそんな感じだったような・・・。
番組の紹介に「誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い」とある。確かに、朝ご飯の時に炊飯器のスイッチを入れ忘れてたり、缶詰のプルタブがとれたりとかは、クスッと笑える悲しいことなんだけど、生き別れた兄が、成金社長のリビングの敷物にされているのは、笑って済む話では無い。
つまり、このドラマ、普通に見ている分には、着ぐるみ姿の重岡君が、健気で可愛いだけの癒やし系ドラマなんだけど、描かれている内容には、結構奥深いモノがあるのだ。
この物語の舞台は、人間と熊が共生する社会である。熊たちは、水産会社に雇われて、鮭漁をすることで生計を立てている。熊税を納める義務を負い、未納者には税務署から督促状が送られてくる。不動産物件では「熊不可」などの差別を受けることがあるが、回転寿司屋やハンバーガーショップでは客として扱われるし、水産会社の食堂では人間と一緒に弁当を使っているから、完全な隔離政策がとられているわけではないようだ。
ところが、熊たちには選挙権が無い。労働賃金も低く抑えられているため生活も貧しい。さらに、「熊狩権三」なる猟師に命まで狙われている。つまり、参政権はおろか、生存権までも保証されていないのである。
公園のゴミ箱を漁ってたという理由で(本当は空き缶を分別していたのだが)、保健所に捕獲され殺処分の対象になるなんて、ナチス政権下のユダヤ人もビックリな迫害である。ところが物語は、親切な栗林さんに助けてもらえて良かったね、という展開になっている。殺されそうになったのは、熊だから仕方が無いという話なのだ。
この物語の舞台は、人間と熊が共生している世界なはずだ。熊たちは社会的マイノリティーであり、生活弱者であるけど、野良猫や野良犬ではない。なのに、全ての差別や迫害が、「熊だから仕方が無い」ということで済まされているのだ。
米国だったら、不当な差別に対して訴訟を起こしたり、「熊にも権利を」とデモ行進をするんだろうけど、日本は、此手の問題に関しては、鈍感でいられる国に思う。「悲熊で癒やされてください!」と言い切ってしまうNHKに対しても、違和感を持つ人の方が少ないだろう。社会的弱者の困窮を仕方が無いこととし、健気に生きることを期待する不思議の国がそこにある。
社会的弱者が主人公のドラマが、癒やし系として成立しているのは、栗林さんを初め、登場人物が良い人ばかりで、悲熊に救いの手を差し伸べているからに他ならない。「熊さん良かったね」というオチがあればこそなのである。
第5話で「ドリじい」は「悲しさの数の分だけ幸を知る」と詠んだ。悲熊は、理不尽な世の中に悲しむことはあっても、恨んではいない。悲熊が愛される理由はそこにある。恨みを救うことは難しいが、悲しみを癒やすことならば誰にでもできるからだ。熊に参政権を与える政治活動はできなくとも、投票気分を味わわせてあげることはできる。たとえそれが、その場凌ぎで根本的な解決ではなくとも、幸を分かち合うことで人も熊も癒やされるのだ。
栗林さんのように行動する自信はないけれど、気に掛けることぐらいはできるような気がする。僕の周りにもいるであろう「悲熊」のために。
2020年2月8日土曜日
マクドナルドの「ごはんバーガー」を食べたくなった話
泣きそうになった。この気持ちは、今の若者には分からないだろう。
全てはバックに流れている楽曲のせいだ。
CMに採用された「SWEET MEMORIES」は、松田聖子さん21才の作品だ。
「ガラスの林檎」のカップリング曲だったが、ペンギンのアニメーションを使ったサントリーのCMで採用されてヒット、こっちが実質A面になり、聖子ちゃんにとって「あなたに逢いたくて」に次ぐヒット作になった。
当時、この曲がCMで流れたときに、「これ歌っているのだれ?誰?」って、かなりの話題になったことを覚えている。
新人歌手が歌っていると勘違いした某レコード会社がサントリーにオファーをした、という嘘みたいな話もある。
しかし、どう聞いても松田聖子が歌っているとしか思えないのに、こういう反応があったってことは、当時、ぶりっ子アイドルソングを歌っていた聖子ちゃんが、こんな人を泣かせるような歌を歌えるわけがない、って世間が考えていたからに他ならない。
この曲で聖子ちゃんは、脱アイドルを果たしたと言ってもいいだろう。
この楽曲が表現しているのは大人の哀愁なのだ。
マクドナルドなんて、子供連れか中学生ばっかりで、高校生でさえ行かないところだと思っていたのだが、中年男性が、一人でマクドナルドに行くのもアリってことなのだろう。
でも、結局「ごはんバーガー」は食べられなかった。
えっ、夜マック限定なんですか・・・・・(悲)
ちなみに、マクドナルドのお客の半分は、年寄りでした。
2019年11月2日土曜日
狩野川台風に匹敵する「台風19号」が直撃した狩野川流域の話
NHKのサイトからの引用です。
台風19号について、気象庁は、河川の氾濫が相次ぎ、静岡や関東で1200人以上が犠牲となった1958年の「狩野川台風」に匹敵する記録的な大雨となり、大雨の特別警報を発表する可能性もあるとして、厳重な警戒を呼びかけました。狩野川台風???!
もはや静岡県人でさえ知らない「狩野川台風」を持ち出してくるとは驚きました。最近は、「今までに経験したことの無い」みたいな表現が多かったように思いますけど、今ひとつ伝わっていないと判断したんでしょう。だからと云って、誰も知らない60年以上前の台風を持ち出してくるとは・・・。
ただ、知らない方が逆にインパクト有りってことでしょうか、皆さん一斉に検索されたようで、このブログで一年前に投稿させていただいた記事にも、ちょびっとだけアクセスがありました。
少しはお役に立ちましたでしょうか。
しかし、今回の台風は、長野・福島・宮城など、狩野川台風とあまり関係の無かった地方に、大きな被害が出てしまいました。
「今回、類似台風として狩野川台風を持ち出したのは、予想される現象や災害の程度が著しいことや、大きさや進路・勢力・北上スピードなどが似ていることから説明に用いようと判断した。一方で、類似台風を持ち出して呼びかけることは非常にリスクがあるとも考えている。災害の起こる場所や広がりについては事例ごとに大きく異なる」と述べ、狩野川台風で被害がなかった場所が安全というわけではないと強調しました。なるほどです。でも、このような発言の部分って報道されませんでしたから、今回の発表については、評価の分かれるところだと思います。
とは云え、北伊豆地方の人たちにとって、狩野川台風に匹敵するという言葉は、かなりのインパクトだったようです。
伊豆市修善寺地区では、台風の接近に備え、マニュアルに沿って「避難勧告」を出したようですけど、いつもだったら避難して来る人なんてほとんどいないのに、大勢の人たちが避難してきたものですから、慌てて避難所を増やした、なんて話が伝わってきました。
僕の周りでも、狩野川台風に匹敵という発表に加えて、千葉県を襲った台風15号による強風と長期停電の惨状が、連日マスコミから報道されていたこともあって、窓ガラスに養生テープを貼ったり、水やカップラーメンを買い漁ったりと、かなりの緊張感を持って台風に備えていました。
近所のスーパーでは、水やラーメンの棚が空っぽになっていましたけど、不思議なことにポテトチップの棚も空になってました。いざとなったら、ポテトチップで生き延びようと云うのでしょうか。
で、雨も風も凄くって、伊豆半島北部の函南町や伊豆の国市などでは浸水被害が出ましたが、戦後最大級の台風が真上を通り過ぎて行った割には、(一部地域を除いて)大災害に見舞われることも無く、ホッとした次第であります。
今回、狩野川流域が千曲川や阿武隈川流域のような事態に陥らなかったのは、狩野川台風から7年後の昭和40年に完成した狩野川放水路によって、狩野川の氾濫を防ぐことができたからとされています。
ただ、狩野川の水位の上昇は、ハンパないものがありまして、朝の5時頃から放水路を開放していたにも関わらず、昼過ぎには既に危険な水位まで上昇していたとのことで、モニターを見ていた関係者は越水を覚悟したと聞きました。
今回の放水によって、狩野川の水位は約1.8m下がったと推定されるそうです。近年最も大量に放水されたとされる平成19年の台風9号の放流では約3.7m低下したそうですから、それと比べると今回の狩野川の流量がいかに多かったかが分かります。ただ、この1.8mのおかげで、狩野川の堤防はギリギリのところで越水や決壊すること無く済んだわけであります。
今回の件で、第2放水路の必要性も考えられているようですが、実現には多くの困難がありそうです。
放水路のおかげで、狩野川本流の氾濫は防ぐことができましたが、支流域では浸水被害が発生しました。
函南町畑毛温泉も浸水の被害がありました。柿沢川の堤防下には函南桜の並木があって、毎年、お花見に行っていたのですが、桜の木が完全に水没しています。
昔からの家は、全て地区を通る県道の東側(山側)に建てられていて、県道の西側(川側)には、田畑や新しく立てられたアパートがあります。上がってきた水は、県道のところで止まりました。昔の人たちは、どこまで水がくるのか、ちゃんと分かっていたようです。
本流と支流との合流地点では、本流の水位が上昇すると、支流への逆流を防ぐために水門を閉め、ポンプを使って強制的に本流へ排水することになっているそうです。狩野川流域には、そのための排水機場が数多く設置されています。
函南町では、大場川や来光川などの支流が狩野川と合流しています。これらの支流は箱根山麓を水源としていて、箱根に降った大量の雨水が流れてきたものですから、排水機能が追いつかなくなって、浸水してしまったようです。
年寄りの話によれば、浸水被害があったところは、昔から水が漬くような場所だったそうですけど、最近は、そういう土地にも家が建ったり、商業施設が作られたりしていますからね。
パチンコ屋さんも浸水被害にあってしまいました。広い駐車場のある大きなパチンコ屋さんです。ここは、堤防のすぐ外側で、国道よりも低いところにあって、遊水池みたいな所です。パチンコ台も全部水に浸かって、しばらく休業してましたけど、同じ場所で営業再開しました。また浸水したらどうするんだろう。
今回の台風19号は、静岡県外の被害があまりにも大きかったものですから、狩野川流域の被害状況については、県内でさえあまり報道されませんでした。函南町の方が、他県のニュースを見てしまうと被害を訴えるのが申し訳なくなる、みたいなことをインタビューで答えてました。特産のイチゴなどの農業被害もありますから、決して大したことで無くはないんですけどね。
人的被害がなくって報道されなかったのは、良しとすべきことなのかもしれませんが。
今回の台風によって、一週間ほど断水した地域もあって、給水車が出て活動をしていたようです。給水活動自体は行政の仕事なんですけど、それを受け入れるのは各自治会です。同じ町内でも、自治会が機能している地区とそうで無い地区があって、機能しているところは受け入れ体制もしっかり整い、トラブルも無かったそうですから、日頃から高い防災意識を持つことが大切だと改めて知った次第です。
2019年1月2日水曜日
平成最後のレコード大賞は最高の歌番組だった話
特に、レコード大賞では、Winkが出演とあったものですからね。Winkは、夏のNHK「思い出のメロディー」以来のテレビ出演。今回は、ピンクレディーに完全に持って行かれましたんで、インパクトは薄かったんですけど、これからもこんな自然な感じで、時々出てきてくれると嬉しいです。
で、番組放送後、このブログのWink関連記事にもアクセスが少しながらありまして、ちょびっとだけですけど、お役に立てたような気分にさせていただきました。
紅白歌合戦は、ますます忘年会化への道を進んでいるようですね。
紅・白のどちらが勝つかなんて、どうでも良くなってしまいました。ただ、世の中を男と女の2つに分けることすら意味をなさなくなった時代とはいえ、対抗戦形式あっての紅白ですからね。サザンやユーミン、米津氏などの特別枠の方々にも参戦していただいて、三つ巴の対抗戦にして欲しかったです。
歌っている隣でケン玉や腕立て伏せをしたり、山内さんと刀剣乱舞とのコラボ(刀剣女子からは好評のようですが)も、それが紅白であり、そのボケをウッチャンが自らもボケながら巧みに拾っていくというのが、お決まりのパターンになったようです。1曲だけのためにつぎ込む、有り得ないほどの受信料収入と労力。こんなことができるのはHNKさんだけなのですから、思いっきり振り切って欲しいです。
一方、レコード大賞は、聴かせることを重視した番組構成に思えました。
特に、フル編成の生バンドオーケストラが格好良かったです。紅白は別室での演奏ですけど、レコ大はバンドも出演者というスタンスでしたね。
それから、乃木坂の大賞受賞について、いろいろと云われてるようですが、故美空ひばりさんを押しのけて、Winkが受賞したときの構図に似たところもあります。ただ、今は、大賞そのものに権威が無くなっていますし、「Lemon」をエントリーできなかった時点で、賞レースとしてのレコ大は終わってましたから、直にどうでもいいことになるでしょう。
その大本命「U.S.A.」が選ばれなかったのは、洋楽カバーだからとか云われてますが、ならば「YOUNG MAN」の時みたいに最初からエントリーしなければいいわけす。まあ、視聴率だけのために彼らをエントリーしたのでは無いことを信じたいです。
でも、「YMCA」の振り付けとか、もしかしたら、受賞できないことを最初から知っていたのではないか、なんて考えてしましました。「YOUNG MAN」は、洋楽カバーであるがゆえにレコ大から完全に外されましたけど、昭和を代表する楽曲になりました。そして「U.S.A.」も斯くありたいと彼らは思ったのではないか、なんて勝手に感動してしまいました。
というわけで、「U.S.A.」のレコ大バージョンです。最初の動画はアップ後いきなり1,300万回再生、コメント数2,300でしたけど、無くなってしまいましたね。代わりにこちら、削除されないうちにどうぞ。
今までの、どの歌番組の「U.S.A.」よりも格好いいです。
レコード大賞とは、その年にリリースされた一流の楽曲を、一流のバックバンドの演奏で、一流の歌手が唄い、一流のアイドルが口パクする番組であって、10曲の中にエントリーされることがいかに名誉なことであるのか。「KENZO」君の涙が全てを物語っているように思います。
紅白歌合戦は最大の音楽フェスティバルであり、レコード大賞は最高の歌番組を目指す。
今年の年末が楽しみです。
2018年8月13日月曜日
8月13日は、左利きの日。 ということで(再掲)僕が左端を好む全く個人的な理由
僕ぐらいの年代だと、左利きは矯正されることが多かった。だから、左利きと云いながらも、お箸は右で、なんて奴が多い。だけど僕は、日常生活のほとんど全てを左手で賄う、生粋の左利きである。
昔は、左利きというのは、それだけで恥ずかしいことだったし、「ギッチョ」と云われて馬鹿にもされた。女の子だったら、お嫁に行けないなんて本気で思われていた。だから、親たちは必死で矯正した。利き手の矯正というのは、生易しいものではない。それを可能にしていたのは、「これじゃあ恥ずかしくって他人様の前に出られない」と云う世間体に対する危機感と、「我が子が虐められたら可哀相」と云う親心である。僕の親も、僕が幼いときに矯正しようとしたらしい。だけど、僕は、吃音(どもり)もあった。今でも、肝心なときに言葉が出てこない時がある。吃音の原因が利き手の矯正にあると考えた僕の親は、矯正を諦めたらしい。おかげで僕は、生粋の左利きとして育つことができた。
僕が左手で仕事をしていると、周りの人たちは、「よくそれでできるね。」って言う。傍から見ると異な感じに見えるらしい。実は、それは僕も同じで、左利きの奴が何かをしているのを見ると、自分が左利きであるのにも関わらず、見ているだけでイライラしてくる。
就職して間もなくの頃、ある研修会で、会議室の机をロの字に並べて、皆で食事をとっていたのだが、目の前に座っている女の子がどうも気になるのである。で、よくよく見たら、その子は左手で箸を持って弁当を食べていた。僕と同年代で、左手で箸を持つ女の子というのは、極めて珍しかったので、ついついジロジロと見てしまったことを覚えている。まあ、そういう僕も、左手で箸を持っていたわけだから、向こうもイライラしながらこっちを見ていたのかもしれない。
でも、その時は、何となくその子が可愛く見えてきた。違和感が上手い具合にチャームポイントになったってことだろうか。
最近は、堂々と左を使うタレントも多くなってきたように思う。自らが左利きであることをアピールするアイドルなんかもいるようだ。CMで云うと、小栗旬なんて左手で箸を持って美味しそうにお茶漬けを食べてるし、瀬戸朝香も左手でペンを持っている。
左でペンを持つと云うと、歴代のアメリカ大統領が有名だ。僕は、ロナルド・レーガンが、何かの条約の調印式で、左手でサインをしているのを見て驚いた。あの年代の人が左で字を書くなんて、日本では有り得ないことだからだ。やっぱりアメリカは違うと感心したものだ。そしたら、次のパパ・ブッシュも左利きだった。次のクリントンもだ。息子のほうのブッシュは右利きだったけど、現大統領のオバマも左利きである。アメリカでは、過去5人の大統領のうち4人が左利きだということになる。
もう少しさかのぼると、フォード大統領も左利きらしい。トランプは右利きだから、直近でいうと8人中5人が左利きになる。左利きの出現率は多くても10%程度だそうだから、異常なことではある。
だからと云って、左利きには特殊な能力があって、大統領に向いているなんて学説は信じない。僕も、よく周りから、「左利きは器用だよね」なんて云われるけど、そんなことはない。左利きにだって器用な奴もいれば不器用な奴もいる。
実は、僕は、字を書くことだけは、右手を使っていた。これだけは、矯正されていた。だから、僕は字を書くことが大嫌いだった。上手く書けてないその字を見るだけでもイヤだった。僕は、授業中も全くノートをとらなかったし、漢字の書き取りなんか絶対やらなかった。宿題で漢字を書くくらいなら、先生に叱られた方がマシだった。だから僕は今でも漢字が書けない。もしワープロという機械がなければ、僕は平仮名だらけの文章を書いているはずだ。
ところが、大学2年のある日、僕は、何となくペンを左で持ってみた。で、何の気なしに字を書いた。そしたら書けたのである。今まで一度も左手で字なんか書いたことがなかったのに、普通に書けたのである。今でも、その時のことは鮮明に覚えてる。西洋思想史の講義を受けているときだった。以来、僕は、左手で字を書くようになった。
よく、左で書くと鏡文字になるっていうが、必ずそうなるわけではない。鏡文字になるのは、字を手の動きとして覚えている奴で、字を形として覚えている奴は、どっちの手で書いても鏡になることは無い。
ただ、人間の腕は、内側から外側へ動かす方が楽なようにできているので、左手で鏡文字にならず、尚且つ窮屈な思いをしないで字を書くには、ちょっとした工夫が要る。
1つは、腕を前に出して手首を曲げて書く、いわゆる「引っかけ書き」と云うやり方だ。先日行った、家電のコジマのお兄ちゃんは、このやり方で契約書を書いていた。実は、オバマ大統領もこのやり方だから、どこの国でも左利きの考えることは同じらしい。
もう1つは、紙を90度傾けて書くやり方である。僕は、こっち派だ。だけど、左手を使っていても、普通に書いている人も多いから、まあ、人それぞれということではある。
世の中は、右利きに合わせてできているらしい。「らしい」というのは、生まれたときから左利きの自分にとっては、世の中とはこういうものだと思っているから、それを不便と感じることが難しいからだ。
でも、駅の自動改札で、カードをタッチする時には腕がクロスするし、自動販売機にお金を入れる時も腕がクロスする。取っ手付きの急須や注ぎ口が付いているオタマとか、確かに右手で操作すれば使い易そうだが、だから直そうと云うことにはならない。試しに右でやってみたりするが、そっちの方がよっぽど上手くできないからだ。不便だからなんていう理由で直せるんだったら、世の中に左利きなんて、あっという間にいなくなる。
腕時計をしている頃は、左手で竜頭を巻くために右腕にしていた。でも、右腕にすると何となく使いずらかったから、女性みたいに腕の内側にしていた。そうすると、左腕の外側から右腕の内側へ平行移動するかたちになって、しっくりきたからだ。でも、これはかなり特殊なつけ方だと思う。もう何年も生きているが、腕時計を右腕の内側につけている男性には、未だ出会ったことが無い。
野球のグローブでは、親指を入れる穴の方へ、4本の指を突っ込んで使っていた。裁ちバサミもそうだ。ただ、ハサミは、それだけでは上手く切れない。左手にハサミを持つと紙の切断面が上の刃の影になってしまい、切りにくいからだ。だから、左利きは、ハサミの外側から切断面を見て切っている。
今は、親切な世の中になったので、左利き用のハサミが売っている。僕も面白がって買ってくるのだが、外側から切断面を見る癖がついているので、上手く使えない。で、1回使っただけで、机の引き出しにしまうことになる。でも、何年かすると、そのことを忘れて、また買ってきてしまう。で、「あっ、そうだった」と気がつく。だから僕の机の引き出しには、1回しか使っていない左利き用のハサミが、いくつも入っている。
パソコンのマウスのボタンも左利き用に設定できるのだが、かえって使いにくい。僕は、右クリックも左クリックも、どっちも左手の人差し指でやっている。共用のパソコンを使う時は、マウスを左側に引っ張って使っているので、次の人にすぐバレてしまう。
定規で線を引くときは、0cmからでなく30cmの方から線を引く。12cmの線を引きたいときは、30cmから18cmのところまで引く。でも、「だから左利きは引き算が得意なんだね。」なんていう、おだてにのったりはしない。
1つ1つ挙げていくとキリが無い。
左利きは、裏返しの世界で生きている。子どもの時に「お箸を持つ方が右だよ」なんて教わっても、「えーっと、僕は左利きだから、それって、お箸を持っていない方のことなんだよね」って複雑な思考処理を要求され続けてきたので、左右に敏感になっている。トラウマになっている人も多いらしい。で、結果として、パニックを起こしやすい傾向がある。信じてもらえないかも知れないが、とっさに右と左が分からなくなってしまうのである。
だから、車の助手席に座っていてナビをする時も、右折なのに左折って言ってしまったりする。家族は慣れたものなので、「あなたが左って言うってことは、右のことなんだよね」なんて勝手に修正してくる。こうなってくると、もう何が何だか分からない。だから、「こっち」って言って指で示している。まあ、最初からこうすれば良かっただけの話ではある。
左利きに生まれて、「もしかしたら不便なのかも」って思ったことはあるが、「右利きに生まれたかった」と思ったことは一度もない。子どもの頃も「みんなと少し違う俺って、ちょっと格好いいかも」って思っていた。こういうのを「厨二病」というのだそうだ。そして、僕の厨二病は、未だに治っていないようだ。
8月13日は、左利きの日だ。左利き用のグッズを世に広めようという意味があるらしい。確かに世の中は右利き中心にできている。それは仕方ない。全人口の1割にも満たない人のために、物を作るのは、コストがかかるし、僕みたいに左利き用のグッズなど逆に使えないという奴も多いからだ。産まれたときから、こういう世の中で生きているんだから、そんなことはたいしたことではないのである。
最近は、タレントさんでも左利きをチャームポイントとしてアピールする人もいるから、左利きの地位が向上しているのは事実である。ただ、左利きのせいで辛い思いをした人が少なからずいるのも、やはり事実である。ドラムのスティックの持ち方が逆だからと云う理由で、吹奏楽のレギュラーを外されたと云う話を聞いた。昔の話では無い。
左利き用のグッズでこの世を満たすことよりも、もっもともっと大切なことがあるのを分かって欲しい。
2018年2月3日土曜日
今年の恵方は「南南東」って、毎年云ってないか?
完全に国民的イベントとなった「恵方巻き」。
スーパー等での売り上げは、バレンタインのチョコレートを完全に抜いているそうです。
僕は、そういうことには、全く無縁なんですけど、
それでも、広告に載っている美味しそうな恵方巻きの写真を見ると、買いたくなってしまいます。
食べるときは、あっちを向けとか、一言も喋るなとか、云われてますけど、
守らないとバチが当たるみたいな雰囲気は、イヤですよね。
まあ、皆で集まってワイワイ楽しくイベントするなら、それも面白いと思いますけど、
僕には、何でもネットで検索して、習わしに従うことを良しとして、外れていることを恐れるという、
「検索予習規範化社会」の現れの1つに思えてしまいます。
初詣のお参りも、規範通りにやってる人が若者中心に増えてきてて、
時間が掛かるんで、お参りの行列が鳥居からはみ出てました。
昭和の初詣なんて、前に人が居ようと、お構いなく、後ろから、お賽銭投げ込んでましたからね。
今年の恵方は、「南南東」だそうです。
って、この前も「今年の恵方は、南南東~」とかいってませんでしたっけ?
で、調べてみましたら、恵方って4種類しかないんですって。
東北東→西南西→南南東→北北西→南南東(今年)
のローテーションで回っているそうです。
おととしが南南東だったんですね。
「南南東」は、5年間で2回巡ってくることになりますから、いつも南南東のような気がしていたみたいです。
ただ、先日のコンビニノルマのブラックニュースで、マイナスイメージが付いちゃってるようで、
今年は、節分だけど恵方巻きを食べないってのが、トレンドになってるそうですよ。
やっぱ、インスタ映えしないとダメなのかなあ。
2018年1月3日水曜日
欅坂46「不協和音」feat.ONEと2017年レコード大賞と紅白歌合戦と
祝!レコード大賞:乃木坂46「インフルエンサー」
いやあ、発表の瞬間、ファンでもないのに、ドキドキしてしまいましたw
長時間番組ですからね。初めの方は、「何とか賞」みたいのが延々と続くんだろうと思って、頃合いを見計らって、チャンネルを合わせたら、新人賞の発表が終わったところでした。
最優秀新人賞は、ハロプロの「つばきファクトリー」でしたね。ハロプロは、レコード大賞新人賞には、伝統的に強いみたいです。あれっ、番組スポンサーにアップフロントの名前が・・・いえいえ、もちろん、公平・公正に選ばれているんだと思います。
「就活センセーション」っていう曲を歌っているそうです。楽曲の制作は「中島卓偉」氏、アンジュルムの「大器晩成」も氏の作品のようです。事務所内アルバイトってところでしょうか。
だけど、日本国民の何%の人たちが、この子たちの名前や歌を知っているのでしょうか。まあ、これから有名になれば良いだけのことですが・・・。
あと、印象に残ったのは、荻野目洋子さんと登美丘高校のコラボと、延々と続いた「ピンクレディー」復活メドレーでしょうか。
それから、大晦日の紅白歌合戦ですが、ながら見でしたけど、今年の紅白は、面白かったと思います。特に内村さんの総合司会は良かったですね。ボケもツッコミも自在にこなして、二宮君との息も合っていて、本当に安定したMCだったと思います。?な演出やグダグダ感も無くって、安心して見ていられました。
ネットの評判もまずまずだったようですけど、視聴率は、昨年を下回る、過去ワースト3とかで、振るわなかったみたいです。まあ、悪いと云っても、誤差程度のことですし、昨年とでは、今年の方が番組としてのデキは良かったと思います。まあ、これで、番組のデキと視聴率は必ずしもリンクしないことが明らかになったわけで、NHKさんには、視聴率より満足度を大切にした番組作りを進めて欲しいです。
印象に残った出来事は、何と云っても、欅坂46の過呼吸騒動です。このことについては、放送直後から、ネットでも騒ぎになっていました。ファンやアンチなど、様々な立場から書き込みがあるようです。一般視聴者からすれば、愉快なことではありませんよね。娯楽番組ですから。
で、一番勢いのある「欅坂46」ですから、歌ってみた動画とか、踊ってみた動画とか、一人バンドとか、ボカロカバーとか、YouTubeには、たくさんの2次創作があります。
今回、貼り付けさせていただくのは、CeVIO(チェビオ)カバーの作品です。CeVIOは、ボーカロイドと全く異なる技術で構築された音声・歌声合成システムで、無調教でも人間にかなり近い歌唱ができるのが特徴とされている、期待の新技術です。
いかがでしょうか。CeVIOは、アップテンポの曲に向いているとされていますが、発声の歯切れの良さは、素晴らしいですね。「僕は嫌だ」の台詞部分は、随分可愛らしくなっちゃいました。これはこれで、アリかもしれませんけど、平手友梨奈さんの取り憑かれたような凄みには敵わないようですね。
「欅坂46」が、皆から広く愛されるようなグループに成長することを願うばかりです。
2017年12月29日金曜日
「淋しい熱帯魚」と1989年レコード大賞選考問題
まあ、正直、どうでも良くなってしまいましたね。放送日が12月30日に移ってからは、特にそう思います。僕が子どもの頃は、大みそかの夜のレコード大賞と紅白歌合戦は一大イベントでしたけど、紅白はともかく、レコ大の凋落振りは目に余るものがあります。昨年は、買収疑惑でケチをつけましたけど、今時、そこまでして欲しいものだったのかって知ったことのほうが驚きでした。
で、レコード大賞の歴史を語る時、外せない出来事の1つが、1989年の「美空ひばり」VS「Wink」だと思います。
1989年は、紅白歌合戦の放送時間が繰り上がって、レコード大賞と被った最初の年でした。この年の視聴率はイッキに14%に落ち込み、現在まで視聴率は10%台に留まり続けています。多くの評論家さんも、この時をレコード大賞の凋落の始まりとみているようです。
さて、今でこそ、「川の流れのように」といえば、美空ひばりの代表曲で、レコード大賞を獲るのは当然だったのでは、というイメージがありますが、「川の流れのように」が世間に広まっていったのは、彼女の死後のことで、オリコン順位も35位にすぎません。リアルタイムで、美空ひばりが「川の流れのように」を歌っている姿を見たなんて人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。美空ひばりといえども、すでに過去の歌手だったわけです。
1989年のオリコン順位は、次のようになっています。
1位 Diamonds (プリンセス・プリンセス)
2位 世界でいちばん熱い夏 (プリンセス・プリンセス)
3位 とんぼ (長渕剛)
4位 太陽がいっぱい (光GENJI)
5位 愛が止まらない (Wink)
6位 恋一夜 (工藤静香)
7位 淋しい熱帯魚 (Wink)
8位 嵐の素顔 (工藤静香)
9位 黄砂に吹かれて (工藤静香)
10位 涙をみせないで (Wink)
えっ「工藤静香」ってこんなに凄かったんですか!
「プリ・プリ」も「長渕剛」も「工藤静香」もレコード大賞にはエントリーしてませんから、データ的には、「Wink」と2年連続となる「光GENJI」の一騎打ちだったと云うことになります。この年、Winkは「有線大賞」も獲ってましたから、レコード大賞受賞というのは、極めて順当なことだったわけです。
ところが、僕も含めて、世間はこの年の6月に亡くなった「美空ひばり」が獲るものと思っていました。偉大な歌手「美空ひばり」を半ば強引にエントリーした以上、獲らないということは考えられませんでした。
鈴木早智子さんの自伝「負けじ魂」によると、年の暮れのある日、社長室に呼ばれた2人は、美空ひばりに決まっているから、と告げられたとありました。美空ひばりさんが受賞することに異存は無かったけれど、事前に決まっていると知ってショックを受けたそうです。
事務所の社長さんが、どのくらい確かな情報として知ったのか分かりませんけど、普通、こういうことって、本人たちには言わないでおくものですよね。まあ、そのくらい、社長さんとしても納得がいかなかったということでしょうか。
獲れないと事前に分かっている以上、授賞式当日は、この後の紅白歌合戦のことで頭がイッパイだったとありました。で、突然の受賞で、何が何だか分からないままに、歌ってエンディングだったそうです。
僕も、この動画を見たときに、彼女たちが全然泣かないんで不思議だったんですよね。当時、泣かなかったのは、事前に知っていたからだと言われたそうです。まあ、知っていたには違いありませんけど、「獲れないことを知っていた」というのがホントのことみたいです。紅白出場のため、NHKへと向かうタクシーの中で、ようやく感情がこみ上げてきたとありました。
主催者側の思惑に反して、Winkが受賞した理由については、全国のTBS系列局の票が一斉にWinkに流れたためと云われています。そもそも、受賞しても本人は不在なんていうのは、テレビ的にも無理な話だったわけです。
ところが、美空ひばりという日本歌謡界の功労者を退けての受賞は、世間の反発を買うことになりました。翌日のスポーツ紙は、こぞって、レコード大賞の選考問題をとりあげ、Winkの受賞を讃えた記事は、ほとんど無かったと云います。
では、1989年のレコード大賞は、誰が獲るべきだったと云うのでしょうか。この年、大ブレークしたWinkに、かつての「ピンクレディー」を重ね見た芸能関係者も多かったはずです。結局、Winkしか有り得なかったのです。
間違いは、美空ひばりをノミネートしてしまったことにつきます。このことで、美空ひばりには恥をかかせ、Winkは世間から冷ややかな目で見られ、レコード大賞の権威は完全に失墜してしまったのですから。
この後の展開を考えると、レコード大賞など獲らなかったほうが良かったのではないかと考えるWinkファンも多いようです。しかし、レコード大賞がWinkに恩恵を与えてくれたのも事実。鈴木早智子さんの自伝によれば、Winkが活動停止になった90年代後半も、地方へ営業に行ってWink時代の曲を歌えば、歩合で100万円近くもらえたそうですし。
レコード大賞の運営側は、低迷の事態を打開すべく、1990年からは、「演歌・歌謡曲」部門と「ポップス・ロック」部門に分けて表彰をする形に変更しますが、魅力と権威を取り戻すことはできませんでした。さらに、演歌系アイドルユニット「忍者」のエントリーをめぐるトラブルにより、ジャニーズ事務所が賞レースから撤退してしまいます。ジャニーズといえども、必ず獲れるわけではないし、また、獲っても以前ほどのメリットが無くなったから、というのが撤退のホントの理由のようですが、「風が吹けば桶屋が儲かる」的に云えば、「SMAP」や「嵐」がレコード大賞をとっていないのは「Wink」がレコード大賞をとったから、と云えなくもありません。
もはや、その役割を終えたとされる「レコード大賞」。昨年の「星野源」のように、大本命とされながらも辞退してしまうアーティストも後を絶ちません。
しかし、歌番組で、視聴率15%というのは、何だかんだ云っても大変なことですし、やるんだったら、盛り上がって欲しいというのが、僕の想いであります。
というわけで、お終いは「インフルエンサー」。
なるほど、こういう曲でしたかw
「あにめちゃんねる」さんの調教も、「Karaoke Channel」さんの伴奏も素晴らしい。
なんだか、明日が楽しみになってきました。久し振りに見てみましょうか。本物はもっと良いんでしょうから。
2017年12月10日日曜日
インフルエンザへの現実的な備えとは
まあ、有精卵だってインフルエンザウイルス株だって生き物ですから、人間の思い通りにはなりません。有精卵はウイルスに増殖して欲しくありませんし、ウイルスだって抗体なんか作って欲しくありませんから、お互い折り合いをつけて共存しようとするわけです。でも、それじゃあワクチンが作れませんから、その年に流行りそうなウイルスで抗原変異を起こさなそうな奴をセレクトして、ワクチン製造をしているそうです。ところが、今年選んだ奴がトンデモ無い怠け者で、通常のウイルスの7割しか増殖しなかったらしく、このままじゃあ、予定通りのワクチンが製造できませんから、別の株を使って作り直しをすることになったみたいです。
ですから、ワクチンは、不足しているというよりも、やり直した分、製造が遅れていると云った方が正しいのかもしれません。
さらに、このことがニュースになって流れると、一気に需要が高まって、不足に拍車がかかってしまいました。数量限定と云われると購買意欲が高まるという消費者心理ですね。
僕も、数年前から世間の流れに乗って、インフルエンザの予防注射をしていますが、いつもやっている病院が、成人の接種お断りになってしまいました。で、近所の医院を検索しましたら、ホームページに「本日ワクチン入荷。在庫あります」って出ているんですよ。それで、のこのこ行きましたら、「本日の分は終了しました」って張り紙が・・・。家に帰って改めてホームページを見ましたら、「次回入荷予定は11日です」って。僕が出かけている間に更新してたみたいです。そのうちに「在庫あと3本」とか表示されるのではないかと、もう完全にAmazonです。
で、予防接種は、自由診療ですから、価格の設定は医院ごとに違います。僕の近所で調べましたら、完全予約制のところが4,300円。近日入荷で先着順のところが3,300円。当分の間老人優先のところが2,500円となっていました。まるで相談しているかのような、見事な価格設定です。
まあ、2,500円のところで受けようかと思います。ですから、「しばらくはインフルエンザに罹らないように気をつけます」って云いたいところですが、僕は、インフルエンザから逃れる手立てなど無いと考えております。インフルエンザウイルスに対しては、手洗い・うがい・マスクの効果は、無病息災のお守りとほぼ同等です。頼れるのは自己免疫力のみ。
ですから、インフルエンザに備える第一は、自己免疫力を低下させないように心がけることですが、これまた、具体的な手立てなど、あってないようなものです。
となると、備えとは、罹らないようにするのでは無くって、罹ったときに困らないように段取りをしておくことになります。地震の備えと同じです。日本に住んでる限り、地震に遭わないように気をつけるなんて無理なこと。予知もほぼ不可能とあれば、備えとは、起きたときに困らないようにすることです。
「インフルエンザに罹ったので、明日から休みますから、予てからの手筈通りに、あとは宜しく。」というのが、理想的で最も現実的なインフルエンザへの備えと云えます。
それに、熱が下がってますけど、念のためにあと2日休みます。なんて最高のバカンスじゃないですか。何をして過ごしましょうか。それらも併せて、今のうちから計画を立てておきたいと思います。
この、いつ休んでも大丈夫という安心感(備えあれば憂い無し)こそ、自己免疫力を低下させない手立てであります。
2017年11月2日木曜日
Eテレ「ねほりんぱほりん」にみる南海キャンディーズ「山里亮太」氏のプロ・ツッコミ
シーズン1を再放送で見てからハマってしまい、この日が来るのを心待ちにしていました。ネットの世界では、有名な番組だったようですね。
顔出しNGの訳ありゲストが、究極のモザイクであるブタの人形になって登場するという番組。生々しい再現映像もブタの人形劇になると、ひたすらユーモラスになります。
前回、元少年院入所者がゲストだったんですけど、「暴力団の準構成員だったゲストが組を抜けようとして頭から灯油をかけられた」なんて話は、そのまま再現映像にしたら、かなり際どくなると思うんですけど、ブタの人形劇だったら何でもアリって感じです。
僕のようにシーズン1を見損なっている視聴者に配慮して、再放送との交互放送になっているのも嬉しい限りです。
で、この番組を面白くしている要素は2つ。1つは巧みな人形操作。これは、「ひょっこりひょうたん島」以来の伝統ですね。「ヒモと暮らす女」の放送で出てきた、ヒモ男役のブタは最高でしたよ。
年収1500万円の女性がヒモと暮らすわけ【ねほりんぱほりん】
NHKのオフィシャルチャンネルにあるダイジェスト動画です。詳しく知りたい方は、本放送を見てくださいってことですね。全放送録画もアップされますけど、視聴率を上げるためにも、ちゃんとNHKさんで見てあげましょう。
それから、もう1つは、「山ちゃん」こと「山里亮太」氏のツッコミ芸です。
僕は、お笑い番組が好きで、録画しておいて夕食時に見たりしています。「なんばグランド花月」や「新宿ルミネ」にも何回か行きました。僕の好きな芸風は、「ナイツ」とかの「微ツッコミ」と云われているものです。特に「キングオブコメディ」の大ファンでした。笑いすぎて息が出来なくなって死にそうになったことがあります。もちろん「山ちゃん」の芸風も好きです。
関西の芸人さんには、「微ツッコミ」をする人って少ないように思います。南海キャンディーズは、関西の芸人さんのようですが、山里さんは千葉の出身です。男女のコンビというのは、過激なツッコミを芸風にしていることが多いのですが、これは、お笑いについて圧倒的なアドバンテージのある関西弁だから通用することです。関西弁は叫き散らしているだけでお笑いが成立しますけど、関東弁ではそうはいきません。「微ツッコミ」は、関東弁というハンディが生み出した1つの芸風に思います。
山里亮太さんは、アイドルオタクとしても有名です。AKB劇場の関係者席にいて炎上したことがあるそうで、有名芸能人が関係者席という特権を行使するのは普通のことと思いますが、ネットの住人がそれを許さないのは、彼らにとって山里氏が「こっち側の人間」という認識があるからに他なりません。
この番組は、「YOU」さんのテキトーなコメントと、「山ちゃん」のキャラクターと素人イジりの芸が、存分に発揮されています。
アニメと一体化する裏技「鼻イヤホン」【ねほりんぱほりん】
離婚して娘の親権を取られた母親が、元の旦那がインスタグラムにアップしている我が子の写真を検索して成長を知るなんて話や、偽装キラキラ女子と2チャンネル特定班の攻防の話などを聞くと、ナルホドなぁ~って思います。まあ、どうでもいい話なんですけど。
で、どんな際どい話でも、最後にはイイ話でまとめてくるところがEテレです。「ねほりんぱほりん」はNHKらしからぬ番組と云われていますが、この安心感こそが番組の命。「ねほりんぱほりん」は、教育テレビ深夜帯に最も相応しい番組といえます。
2017年9月3日日曜日
パソコンが壊れてしまいました
ブログを始める少し前、頻繁にYouTubeを見るようになってから買い換えたので、そんなに古くないはずです。でも、無いと困りますから、新しいパソコンを買ってきました。思わぬ出費でつらいです。欲しくって買い換えるのと、壊れて買い換えるのでは、テンションが違いますから。
それほど大切なデータが入っていた訳ではないんです。整理済みのデジカメのデータとか、YouTubeで拾い集めてきた○○とかくらいでしょうか。あと、書きかけのブログ記事が少し。
昔だったら、パソコンを買うなんて、一大イベントでしたから、何日も前から情報を収集して、パソコン屋に何度も通いましたけど、今日は、量販店で速攻で決めてしまいました。扇風機を買ったときのほうが、いろいろと悩んでいたと思います。
Lenovoとかありましたけど、結局、国内メーカーにしました。聞いたところによると、NECだって、今じゃあ中身はLenovoだとか云うことだし、東芝だって富士通だってMaid in Chinaですけど、昭和世代の悲しさでしょうか、国内メーカー至上主義から抜け出せません。
というわけで、今回は、富士通にしました。Blu-rayくらい再生したいですから、「CORE i3」搭載の「中の下」くらいのにしました。これにしますって云ったら、カウンターの向こうから、持ってきて、そのままお会計です。ほんとにあっけなかったです。
記憶をたどっていくと・・・。
NEC8001mkⅡ→ NEC8801mkⅡ(中古)→空白の期間→FM-TOWNS(初めてのワープロソフト購入)→NECのオールインワンのやつ→NECのオールインワンの液晶のやつ(インターネット開始!)→VAIOのノートパソコン(一番の高額パソコン)→東芝のダイナブック(一太郎ワープロ専用機として今も現役)→東芝ダイナブック(クラッシュ!)→富士通ノート
ってところです。ノートパソコンになってから4台目ですけど、買い換えるごとに、値段が安くなっていきます。でも、YouTubeの画像とか、また一段と綺麗になったような気がします。
と、いうことで、新しいパソコンで心機一転、テンション上げていきますね。
2017年8月23日水曜日
【緊急投稿】 潜水艦「伊58」と米巡洋艦「インディアナポリス」の悲劇 ~ウォーターライン製作記・番外編~
まずは、米巡洋艦「インディアナポリス」について、8月21日付の新聞記事からです。
「米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が率いる探査チームは19日、太平洋戦争末期に旧日本軍の潜水艦に撃沈された米軍の重巡洋艦インディアナポリスの残骸の一部をフィリピン沖の水深5,500メートルの海底で発見したと発表した。」
2017年3月11日土曜日
東日本大震災から6年 ~本当に応援すべき人たち~
知人は、震災当時、ある公共機関に勤めていました。震災後の原発事故で、街はパニックになり、子どもを抱えている母親たちの多くは、親戚や知り合いを頼って、県外に避難したりしたそうです。
しかし、避難先のあてのない人や、仕事がある人たちは、とどまるしかありません。街の人たちは、放射線の恐怖に怯えながらも、しだいに冷静さを取り戻し、懸命に生活していたそうです。
で、その街には、ある放送局の支局があったのですが、こともあろうに、記者たちは、真っ先に避難してしまったそうです。でも取材はしなくてはなりません。そこで記者たちは、電話取材をかけてきたそうです。地震と放射線の対応に忙殺されている知人の勤め先にも電話がかかってきたといいます。
皆さんご存じの通り、マスコミの取材と云うのは、既にストーリーができていて、それに合わせたコメントを集めてくることです。彼らにすれば、街はパニックになっていて欲しいわけです。その方が記事になりますから。しかし、現状はそうでも無い。知人が、そういった取材には応じられないと云うと「オマエら、マスコミをなめてんのか!」って逆ギレしたと云うんです。逆ギレというか、もはや恫喝です。知人は悔しくって、その晩は涙が止まらなかったと云います。
街の現状を知りたいのであれば、自ら出向いてくればいいだけのことです。それが、自分たちは安全なところへ逃げ出しておいて、必死に生活している市民に対して、無遠慮に電話をかけてくる。取材が思うようにならないと、適当に捏造した記事を書く。それが当時、マスコミが福島県民に対してとった行動なんです。
福島県から避難していた中学生がいじめられていた事件など、放射線を恐れて、見知らぬ土地で暮らし、辛い思いをしている人たちがいるのは確かです。でも、放射線を恐れながらも、福島の地に踏みとどまって暮らしている人は、もっともっとたくさんいることを忘れてはいけないと思います。
2017年1月28日土曜日
インフルエンザに過剰反応する社会
寒中お見舞い申し上げます。
寒い日が続いております。今年もインフルエンザが本格的に流行してきたようですが、いかがお過ごしでしょうか。
僕は、おかげさまで風邪をひくことも無く、グダグダと毎日を送っております。何かあるとすれば、ブログの更新をサボっていたことでしょうか。年末年始のお休みの中、いつでも更新できるという思いがありまして、気づいていたら一ヶ月もほったらかしだったという次第です。
まあ、「兎と亀」のウサギの昼寝状態ってことですけど、ウサギが最後までレースを放棄しなかったように、このブログもまだまだ続けていこうと思っています。
さて、僕の周りにもインフルエンザに罹る人が出てきました。僕らの世代は、学校で強制的に予防接種をさせられた世代です。熱があっても無理しても学校に行くことが美徳とされ、インフルエンザで試験を休んでも再試験なんてしてもらえない時代を生きてきましたから、「羽生結弦」君がインフルエンザで全日本選手権を欠場なんてニュースを聞くと、時代も変わったものだと思います。
僕は、インフルエンザというものは、人が呼吸している生き物である限り、罹るときは、何をしても罹るものと考えております。
マスクというものは、無病息災のお守り程度の効能と考えておりますので、インフルエンザが流行しているからといってマスクをしたりしません。もちろん、自分が咳をしている状態の時は、一応マスクをしますが、それは、あくまでも、世間体を考えてのことです。そもそも、インフルエンザの「予防」にマスクをしましょうって根拠は、全て観念的なものばかりです。マスクをした群としない群の罹患率に統計的有意なほどの違いがあるとも思えません。
っていうか、マスクって、人のためにするものなんでしょうか、自分のためにするものなんでしょうか。
こんなことを書くと、インフルエンザを舐めているってお叱りを受けそうですけど、手洗いうがいとマスクがあればインフルエンザを予防できるなんて考えている方が、よっぽどインフルエンザの感染力を舐めていると思います。
まあ、最近は、「顔面引き籠もり」なんて云う言葉もあるようですし、マスク様に守られている感の中で生活するのは、精神的安定による免疫力向上に有効である可能性もありますので、そういう意味でのマスク着用ならば理解できます。
それから、僕は、「リレンザ」や「タミフル」がある現代において、インフルエンザに罹ったら、この世の終わりみたいな風潮が理解できません。
熱が出て、医者にかかって、検査をしてもらって、「シロ」だったときに、インフルエンザでなくって良かったね、みたいなことを云いますけど、発熱の原因が不明なのに良かったね、なんて可笑しな話です。むしろインフルエンザであったほうが、リレンザ吸って寝てれば良いんですから、よっぽど安心です。インフルエンザでないからといって、全然効かない風邪薬を持たされ帰されるほうが、よっぽどツラいです。
インフルエンザならば、熱が下がってもしばらくは堂々と欠勤して自宅バカンスできるのに、単なる原因不明の熱病だと無理してでも出勤して来いなんでことになりますから、絶対インフルエンザの方が良いです。
家族にインフルエンザに罹っている人がいて、本人が39度の熱が出ているのに、検査でシロだとインフルエンザではありません、という診察を平気で下す医者がいることも理解できません。どう考えてもインフルエンザっぽいのに、検査結果のみを根拠に診察を出された結果、高熱が何日も続いて苦しむはめになったなんて人もいます。「タミフル」なんて出し惜しみするような薬とも思えませんから、とりあえず抗生物質出しとくくらいなら、何でもかんでも「タミフル」飲ませちゃった方が良いように思います。
だいたい、検査結果が黒ならタミフル出して、シロなら抗生物質出すなんていう仕事で医者が務まるんだったら、僕にだってできます。
僕らって、2009年の新型インフルエンザ流行の時も、何故か罹らなかった世代です。あの時は、家族に患者が出たというだけで、出勤停止になったなんていう会社もありました。で、罹った人の話では、タミフル飲んだらその日のうちに熱が下がって、そのあと暇でしようがなかったそうですから、馬鹿馬鹿しい限りです。死者が出たとか騒いでましたけど、どんな病気だって死ぬ人はいます。今思えば、あの騒動って、マスコミが不安を煽った感が多分に感じられます。
自己免疫で治すしか術が無かった昭和の時代とは違い、素晴らしい薬があって、堂々と休めるという現代にもかかわらず、インフルエンザに対して過敏に反応するのは、この頃から始まったように思います。これもマスコミが盛り上げる年中行事の1つなんでしょう。
では、OSTER projectさんの「恋色病棟」でお終いにします。僕、彼女のファンなんですけど、最近、ボーカロイドのお仕事をしていないみたいで、寂しいかぎりです。元々は初音ミクのオリジナル曲なんですけど、可愛いからという理由で、今回はこちらを。
イベントはこれから佳境に入ります。くれぐれもご自愛下さいますよう。
2016年12月13日火曜日
「東ロボくん」東大合格断念に思う ~初音ミクが松浦亜弥を越える日~
初音ミクで云うと、ボーカロイドは、並みの歌手程度の歌唱力を身につけることには成功したが、「松浦亜弥」にはなれないことが分かった、ってところでしょうか。
断念と云っても、東大には入れないというだけで、センター試験模試は、偏差値58だそうですから、国公立33大学、私立441大学で合格可能性80%以上を勝ち取ってはいるんですよ。少なくとも、僕がいた大学には入れると思いますし、「東ロボなんてダメだ」って言ってる奴らの大部分は、学生時代、東ロボくん以下の成績だったということになります。
英語では、問題を解くためのデータベースを10億単語から500億単語に増やしたら、得点が15点伸びたそうですが、その後、1500億単語まで増やしても、それ以上、成績は伸びなかった、とありました。増やしたデータベースが余計な情報になって、正解を絞り込めなくなってしまうと云う、人間にもよくある「知りすぎて間違う」ってやつですね。
さらに人工知能が囲碁の名人と対戦して話題になったディープ・ラーニングを導入すると、かえって成績が落ちたそうです。
人工知能の研究は、人間が読解、つまり情報を処理しているバックには、膨大な知識や豊かな生活経験があるという仮説に基づいて進められてきたように思います。その一方で、人間は、たいした根拠も無いなか「何となく」って感覚だけで理解しているようにも思えます。
文章の行間を読むとか、空気を読むとかって部分までもデータベース化して、気の遠くなるような情報量をバックに、課題を解決していこうという手法は、大きな壁にぶち当たってしまったようです。
それから、「何となく」という部分については、「ディープ・ラーニング」によるアプローチが期待されていたのですが、こちらもあえなく玉砕してしまいました。
物量作戦の限界が見えたことが、プロジェクト断念となったわけで、「読解力とは何か」、つまり、「人間が意味を理解するというのは如何なることか」という根本的な答えを得ない限り、先には進めないようです。
これは、初音ミクについても同様だと思います。「人間が歌うとは如何なることか」って問題をスルーして、音素連鎖がどうとか、歌声調整がどうとかって、物理的に情報量を増やしていくだけでは、限界があるように思います。
現状の初音ミクは、歌っているのでは無くって、音声を使って演奏しているに過ぎません。言葉を発しているように感じますから、擬人化してとらえてしまいますが、実はインストゥルメンタルなんですよね。自動演奏のピアノやオルゴールに近いと云えば良いでしょうか。
もちろん、オルゴールの音色に感動することもあるように、初音ミクの歌声を聴いて、ああ良いなあって思うこともありますけど、本当の意味で「歌に感動した」ということには、なっていないということです。
僕は、初音ミクが松浦亜弥になれる日の実現については、楽観的に考えていましたが、最後の一線を越えるのは、生易しいことではないみたいです。
「歌うことは人間だけができることで、機械には無理」と考える人は多いと思います。しかし、そういう人たちは「ならば人が歌うとはどういうことなのか」という問に対して明確な解答を持っているのでしょうか。
確かに現状では、初音ミクは限りなく人間に近づけたとしても、人間にたどり着くことはできないと思います。でも、それは、初音ミクが人間が造った機械だからでなく、人間が人間を理解できていないからだと思うんです。
まあ、「東ロボ」君が、並みの受験生より成績が良いように、初音ミクに負けている人間の歌手もいるんじゃないかと思いますが。
ってことで、これなら絶対に勝てるというテイクを紹介して今日はお終いにします。まずは、人間。次にボーカロイドですwww
勝ってると思うんだけどなあw
2016年10月1日土曜日
「色覚障害」 ~僕がピンクの充電器を使っている、全く個人的な理由~
で、前回の左利きの話よりは、若干重くなりますが、僕も負けじと、記事にしてみることにしました。ただ、色覚障害というのは、かなり個人差がありまして、僕の体験が、そのまま他の人にも当てはまるとは限りませんので、そこのところだけは、ご配慮ください。
よく誤解されるのですが、色覚障害だからといって、色が分からないわけではありません。色は、ちゃんと見えています。だから、紅葉に染まる山々や、神秘的な青い水を湛えた湖を見てその美しさに感動することもできます。問題は、色の中で識別が苦手なものがあると云うことです。
例えば、黄色とレモン色があります。2つを並べれば、どっちが黄色かなんてすぐ分かりますよね。だけど、片方だけ見せられて、これはレモン色ですかって聞かれたら、一瞬、戸惑うと思います。
色覚障害者の場合、同じようなことが、緑と赤などでおきます。赤は分かります。緑も分かります。ただ、赤と緑で判別しにくい時があるというわけです。
僕は、顔色の変化がよく分かりません。「何となく顔色悪いんじゃない」なんて言いますけど、僕はその何となくがわかりません。
あと、「その肉、少し赤みがかっているから生焼けだよ。」がわかりません。だから、家族で焼き肉屋に行くと、「これ焼けてる?」「これ食べられる?」って聞きます。いちいち聞かれると向こうも煩わしいみたいで、最近は「ここからこっちの肉は、全部焼けてるから大丈夫」って、向こうから先に教えてくれます。
職場の仲間で焼き肉屋に行ったときは、悲惨でした。僕は、生焼けがイヤなので、大丈夫かな、大丈夫かなって感じで、焼けるのを待っていました。生焼けより焼き過ぎの方がマシですから、どうしてもしつこく焼いてしまいます。そしたら、目の前の肉をどんどん取られてしまったんですよ。いつまでも、焼いているんで、食べる気が無いと思われたみたいです。「これは僕のだから取っちゃダメ」なんて言うのも大人げないし。まあ、その時は、色覚以外の全感覚を総動員して対抗しました。
ピンクと緑は、普段は間違えません。緑は暗くて、ピンクは明るいからです。でも、ライトグリーンみたいになってくると困ります。それから、鮮やかな緑と薄汚れたピンクなんてのも、ちょっと困ります。
僕が学生の頃、ブックバンドで教科書なんかを縛って持ち歩くのが流行ってました。僕が買ったブックバンドは、白に少し色が付いたやつでした。自分の感覚では、アイボリーかベージュのつもりでした。で、そのブックバンドを使い始めて半年くらいたった時のことなんですけど、「あのさ、今までずーっと気になってたんだけど。お前、何でピンクのブックバンド使ってんだ?」って言われたんです。アイボリーじゃなくってピンクだったんですよ。何か、凄い拘りを持って使っているかの印象を、周りに与えていたようで、密かに噂になっていたみたいです。でも、人間の感覚というのは不思議なもので、そう言われた瞬間、僕にもブックバンドがピンクに見えたんですよ。
この前、携帯の充電器を買いに行きました。いろいろ並んでいたなかで、ライトグリーンっぽいやつを買ってきたんですけど、家族に見せたら、これはピンクだって言うんです。何年ぶりかで、同じ失敗をしてしまいました。
でも、ブックバンドも充電器もちゃんと使い続けましたよ。
色の識別で厄介なのは、LEDライトみたいに光っているやつです。どの色も眩しく光っているので、明度による区別ができないんです。
僕にとって一番身近なLEDライトと云えばペンライトです。みなさんご存じの通り、ライブでは、初音ミクはグリーン、巡音ルカはピンク、鏡音リンはイエローっていうふうにタレントごとに色が決まっております。で、みなさん、登場してくる子が変わる度に、ボタンをパチパチ押して色を切り替えているんですけど、僕は、自分の出している色に、ちょっと自信が持てないときがあるんです。初音ミクが歌っているのに、1人でピンクのライト振ってたら恥ずかしいじゃないですか。で、青は絶対間違えませんから、これを基準にして、緑は青の次の次、ピンクは青の1つ手前、みたいに順番で覚えています。ですから、出てくる子が変わる度に、一度青に戻してから、緑は青の次の次って思いだしながらパチパチしているわけです。時々、押しすぎることがあるんですけど、そう云う時は、もう一度青に戻ります。時には、緑をだすために何周もしてしまうことがあります。周りから見ると、「何であいつ、いちいち下を向いて、全部の色を順番に出してんだ」って思われてるかも知れません。
それから、今年のライブなんですけど、途中で、イエローとオレンジの順番が分からなくなってしまったんです。しかも、鏡音リンとレンでイエローとオレンジを使い分けていたはずなんですけど、どっちがどっちの色かも忘れてしまいました。周りを見て、同じ色を出そうとしたんですけど、分かりません。で、よーーく見たら、何だかごちゃ混ぜなんですよ。家に帰ってネットで調べてみたら、リンがイエローって記述と、リンの方がオレンジって記述があるんです。なんてテキトーなライブなんでしょう。悩んで損した気分です。
5色のペンライトでさえこうなのですから、パソコンの文字色選びは、もうあきらめています。家族を呼んで「この中で一番薄いピンクってどれ」なんて聞いてます。以前、カーソルを色見本の上に置くと、色の名前が表示される機能のやつがあって、感動しました。カラーユニバーサルデザインって言うそうです。
色覚障害者の間で必ず話題にあがる物に、東京の地下鉄路線図があります。全部で13路線あるそうです。パステルカラーっていうか、淡い中間色をふんだんに使って、とっても綺麗なんですけど、これが判別しにくいことこの上ありません。図と索引を見比べるのが大変なんですよ。ただ、この路線図は、有名になったおかげで、カラーユニバーサルデザインの実験台となって、いろいろと改良されているようです。
他には、黄色や赤の点滅している単眼の信号機とか、充電終了を色の変化で知らせるLEDランプなど、1つ1つ取り上げているとキリがなくなってしまいます。
色覚障害者の体験談で必ず語られるのが、学校の図画工作の授業でのできごとです。絵の具の混色、よーく見て、その通りの色を作って塗る、ということができません。色は見えているのですが、どの色をどう混ぜればその色が作れるのかと云うことが、感覚的に捉えられないんです。だから、色塗りの時は、概念で塗るようになります。空だから青く塗ろう、木の葉だから黄緑にしようって感じです。
子どもの頃、神社へ写生会に行きました。下絵が終わって色塗りを始めたんですけど、近所のオジさんが僕らの描いた絵を覗きに来ていて、あーだ、こーだとお節介を焼いていました。
僕は、神社の柱が日の光に照らされてるのを見て、これを表現しようって思いました。柱は、茶色に決めました。で、光の当たっているところは、眩しく光っているんだから黄色にしようと考えたんです。つまり、僕は、神社の柱を茶色と黄色で塗り分けたんです。そしたら、そのオジさんが僕の絵を見て、「黄色は、無いだろう」って言ったんですよ。まあ、僕もその時は、「そりゃそうだろうな」って思ったんですけどね。
顔の色を塗るときも、自分で混色して作りなさいって云う先生が多いんですよ。折角、はだ色の絵の具があるのに使わせてくれないなんて・・・w
中三の時のできごとです。高校受験が近づいてきたので、先生たちが面接官役になって面接の練習が始まりました。先生は、用意された質問の中から、理系と文系とどちらに進みたいのかって聞きました。理系小僧でミリタリーオタクだった僕は、迷うことなく理系に進みたいですって答えました。そしたら、面接官役の先生は、「はあっ」て顔をして、「あのさあ、お前は色弱だろ。だからこう云う時は、文系に進みたいですって、答えなさい。」って言ったんです。若い数学の教師でした。挫折感なんていう高級な感情で無くって、普通に衝撃でした。そりゃあ、今までいろいろな失敗はしてきましたけど、色覚障害であることが、そこまで深刻な問題であるなんて、思いもしてませんでしたから。
家に帰って、母にこのことを話しました。母は、何も言いませんでした。今思えば、余計なことだったと思います。そんなことを言ったところで、どうなるものでもないし、結局、悲しんでしまう人を1人増やしただけのことなんですから。
高校に進学して、僕は理系に進みました。別に中学校の先生に反発したわけでは無くて、ただ単に、国語と英語の成績が悪かっただけのことです。高校時代、僕の最も得意な教科は、皮肉なことに化学でした。僕は、化学に関しては自信がありました。かなり難しい受験問題も解くことができました。でも、この分野には進めないことは分かっていました。色覚異常者は不可という学部や学科も多かった時代です。理系で色覚障害が問題にならない分野は数学科でしたけど、数学は好きではありませんでした。僕は、その頃始まったばかりの、情報関係の学部や経営工学、数学科でもあまり数学ぽくない統計学や応用数学の学科を受験することにしました。
大学では、地質学のサークルに入りました。山登りがしたかったというのが理由です。採取した岩石で薄片を作り、偏光顕微鏡を使って鉱物を調べるという活動に参加しました。偏光顕微鏡を覗くと、様々な鉱物が光り輝いていてとても綺麗でした。先輩は、偏光板を操作しながら、微妙な色の変化による鉱物の見分け方を教えてくれましたが、僕には分かりませんでした。「この分野には進めないな」と思いました。でも、それは全くの想定の範囲内のことでしたから、別にショックでも何でもありませんでした。山登りをしたいから入ったサークルですから、辞めるつもりもありませんでした。岩石ハンマー持って、あっちこっちの火山を巡検してまわって楽しかったです。
色覚障害者に対する排除の論理は「何かあったら困るから」という考えが元になっています。点滅信号が分からない者に運転免許を与えて良いのか。肉が焼けたか分からない者に調理師免許を与えて良いのか。顔色が分からない者に医師免許を与えて良いのかって云う具合です。看護師、警察官、公共交通機関の運転手などたくさんの職業で就業制限がありました。
しかし、色覚障害者と云っても様々ですし、色の判別が苦手でも他から得られる情報で、信号を見分けたり、肉を焼いたり、相手の体調を判断したりできます。日常生活において、色覚障害者が周りの人にほとんど気づかれることが無いのは、そのためです。
今では、色覚障害に対する考え方も随分変わりました。以前のような門前払いは無くなりました。「色覚異常」を「色覚特性」と呼び換えようと云う意見もあります。入試や就職の際に提出する健康診断表から色覚の欄は削除されています。学校では、もう色覚検査はありません。過去の厳しい就業制限への反発が大きな揺れ戻しになっているかのようです。
当然のことですが、学校で行われた色覚検査、悪名高い「石原式色覚異常検査」は、好きではありませんでした。最初の1枚目から分からないって言ってるのに、何枚も見せられて、何度も分からないと言わされるのは、つらいものです。でも、それ以上に「これが分からないんだ」って思われていることがイヤでした。先生は、そんな感情を顔に出さないように気をつけていてくれたと思いますけど、出さないようにしようっていう態度って、伝わってきてしまうんですよね。
僕が受けている人間ドックでも、何故か色覚検査があって、「分からない」って毎回言ってました。僕が分からないって言うと、最近は、看護師さんや検査技師さんの方が恐縮してしまって、「いいんですよ、子どもの時から分かっていますから」って僕が慰めていました。今年もやったんですけど、後で、「スミマセン、今年から検査が無くなっていました」って、また恐縮されてしまいました。あの看護師さんたちの表情が見られなくなってしまうと思うと、それはそれで寂しく思います。
心配な報告が報道されていました。現在では、色覚異常の子どもの半数が異常に気づかぬまま進学や就職時期を迎え、その6人に1人が進路の断念などのトラブルを経験しているそうです。
これは、障害者への差別を無くす方法として、「色覚異常は障害では無い。」「色覚異常者はこの世に存在しない」ってことにしてしまったからです。カラーユニバーサルデザインを取り入れるよう進めているから、色覚異常者は困らないはずだ、だから、色覚検査は必要ない、という論理です。しかし、過去に検査が差別を生んでいたからと云って、差別をなくす手段として検査を廃止する、と云う論理が正しいとは思えません。先の報告は、音痴である人が歌手になって初めて自分が音痴であることに気づいたようなものです。確かに、門前払いは、間違っていると思います。しかし、障害を持っていれば困難な場面に遭遇することがあるのも事実です。
今の制度なら、僕は薬学部への進学も可能です。しかし、実験や実習で苦労する可能性があります。それを乗り越えていく覚悟があるのか、別な道を進むのかの判断が必要です。覚悟を持って薬学部に進学するのと、進学してから色覚障害を持っていることを知るのでは、大きな違いです。
欧米では、色覚異常者の比率は、日本より少し高いそうで、色覚障害者も社会に広く認知されているようです。欧米の色覚障害者は、自らの障害を隠さないと云います。まあ、僕も結構周りに触れ回る方なんですが、それでも、他人様に手助けをしてもらおうとは思いませんでした。でも、欧米だったら、携帯の充電器を買う場面ではこうなったはずです。
「僕は、色覚異常なんですけど、この充電器は、ライトグリーンですか?」
「これは、薄いピンクです。ライトグリーンは、こちらの商品になります。」
って、それだけのことなんですよね。最近は、日本でも、体の不自由な人の代わりに信号機の押しボタンを押してあげるくらいのボランティアって、自然にできていると思います。色の識別が苦手な人がいた時に、色を教えることだって、同じだと思うんです。ただ、色覚障害は、自分から申告しないと周りの人には分からないってことが、他の障害者と異なるくらいなもので。
「色覚障害者への差別を撤廃させる会」みたいなところに入って、ハチマキしてデモ行進するのも、方法の1つかもしれませんけど、そこまでしなくてはならないほど、日本って酷い国なんでしょうか。日本には、アメリカみたいに障害者法なんてありませんけど、だから何も出来ないっていうことは無いはずです。
今度、買いに行くときには、聞いてみましょうか。
ヤマダ電機の店員さん、どんな対応をしてくれるでしょうかね。きっと、変な顔をすることなく親切に教えてくれそうな気がします。
お終いは、「マージナル」。いろいろな色が歌詞の中に出てくる、素敵な曲です。
「ペンライトの色、これで合ってますか?」
2016年8月3日水曜日
「シン・ゴジラ」劇場公開によせて
映画館は「ポケモン」とか「ワン・ピース」とか「ファインディング・ドリー」を見に来た子供たちで賑やかでした。「ゴジラ」の観客の入りは、そこそこでしょうか。年齢層は、予想通り高め、ほとんど中年世代でした。子どもの時に「ゴジラ対メカゴジラ」などを喜んで見ていただろうなって人たちです。
作品は、ゴジラ世代の期待に100%沿ったとは言い難いものでしたけど、この辺は見に来た人たちも想定の範囲内だったと思います。まあ、初代ゴジラをリブートする限り、結局こうなるだろうなってことです。
僕の感想は、ひと言で云うと、他人には薦めませんが、それなりに面白かったです。
制作スタッフは、総監督「庵野秀明」氏、監督「樋口真嗣」氏だそうです。映画の中の決めぜりふの1つに「アメリカでは大統領が決めるけど、この国は誰が決めるの?」って云うのがあったんですけど、制作委員会制をとらなかったのは、全ては庵野秀明氏が決めるってことでしょうか。ですから、作品全体には「エヴァンゲリオン」っぽさが溢れていました。「ヤシマ作戦」でなくって「ヤシオリ作戦」でしたし、ゴジラが立ち上がったところなんて、「エヴァ」そのものでしたから。「自衛隊VSゴジラ」の場面は、「戦略自衛隊VS使徒」と同じです。鉄道オタクが喜びそうな場面もありました。戦闘シーンは良くできていましたけど、特撮娯楽映画としては、もう少し長くあって欲しかったかなって感じです。
作品の95%は、官僚と政治家の場面でした。あと、ゴジラが暴れている場面が5%。一般民衆の描写は、ほとんど無かったと思います。別な映画で「事件は会議室で起こっているんじゃない」て台詞がありましたけど、こちらは事件を会議と書類で解決しようとしてました。アメリカ映画によくある「愛する人を守るために戦う」なんて描写は皆無でした。どこかのコメントに日本にゴジラが現れた場合のシュミレーション映画だというのがありましたけど、その通りだと思います。
予告編がありました。「百読は一見にしかず」ですから宜しかったらどうぞ。
熱戦を吐く場面が紹介されてないのが残念ですけど、映画の雰囲気は、このまんまでしたよ。女性防衛大臣は新都知事そのままですねw
会議の部分が長かったので、映画全体の印象は、地味でしたかね。ラストのゴジラ凍結に成功したシーンは、すごく淡々としていました。アメリカ映画だったら大騒ぎしてみんなでハイタッチでしょうけど、日本的と云うか妙に面白かったです。
でも、お互いノーガードでガンガン攻撃し合う場面がもっとあっても、と中年のゴジラ世代は思ったかもしれません。似たような映画に「インディペンデンス・デイ」ってのがありますけど、あっちの方が、撃ちまくって、壊しまくって、躊躇なく核ミサイルぶっ放して、大統領自ら戦闘機に乗って、最後に正義は勝つ、という爽快感は味わえると思います。
僕が物心ついた時には、すでにゴジラは悪の怪獣と闘う正義の味方でしたけど、どことなく醸し出される哀しさは子ども心にも感じてました。純粋な正義の味方、地球の守り神と設定されたガメラとは、どこか違っていました。
ゴジラが最初に作られたのは、1954年です。ビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被爆したのはその8ヶ月前。太平洋戦争が終わったのが1945年ですから、原爆を落とされてから9年しか経ってないころです。
ゴジラが反核の象徴とまでは云いませんけど、少なくとも単純な悪役ではありませんでした。ゴジラを生み出したのは、核兵器であり、放射線廃棄物であり、そして人間でした。ゴジラは、核を手に入れた人類が負った天罰であるという思いが、ゴジラに畏怖の念を持たせていたと思います。
僕が子どもの頃に見たゴジラは、すでに正義の味方でしたけど、「放射能火炎」を吐く度に、あんなに撒き散らして大丈夫なのかなって、心配してました。シン・ゴジラでは、「被爆許容量」とか「μ㏜」なんていう台詞が飛び交っていて、この辺をリアルに描写していましたよ。
ゴジラは凍結されたとはいえ、都内のど真ん中に残っているわけで、ゴジラをそして核を人類はコントロールできるのかと訴えかけて、映画は終わります。地震大国でありながら原発と共存せざるをえない日本の姿を暗示しているかのようにも思えました。
「シン・ゴジラ」は日本でしかウケない映画だと思いました。
「ゴジラ」は日本人にしか作れない映画だと思いました。
最後に、ゴジラの熱戦について、それは無いだろうって場面がありますけど、万が一これから見に行く方のために、これだけは伏せて起きましょうかw