2018年9月29日土曜日

丸山純奈「I LOVE YOU」 at 沖縄ライカム

9月25日、丸山純奈さんが喉の不調により出演キャンセルとの報が、AQUA CITTAからありました。9月12日に「喉にめっちゃ痛いデキモノが」という投稿があり、その後の小豆島と京都でのライブでは、かなり辛そうだったとのことですから心配です。

状況から予想すると、喉にポリープでもできたのかと思いますが、入院が必要としか発表されていませんし、療養という表現も気になります。具合が悪いのは、喉だけでは無いとすれば、復帰まではかなりの時間がかかる可能性もあります。
10月中旬を目途として、とありましたから「熊本いのちのうた」とか「新宿TANEBI FES」にはどうにかと云うことでしょうか。11月には、POLUにとって大切なステージ「アクアチッタ・フェスタ」もありますけど、かといって無理をしては、元も子もありませんからね。


で、今回貼り付けさせていただくのは、6月の末に沖縄のイオンショッピングモールで歌った「I LOVE YOU」の録音になります。
再生数1,160万回越えの「音楽チャンプ」の番組テイクから半年後、歌唱の安定度は、さらに向上しています。まあ、ケチをつけるとしたら、Cメロの「温もりの部屋でキスをした」のところの歌い方がちょっと雑になってしまったことくらいでしょうか。
ショッピングモールのイベント広場と云う劣悪なステージで、このデキは素晴らしいですし、京セラドームでのギター伴奏が最悪であったことを考えると、公開されている「I LOVE YOU」の中では、これがベストテイクになると思います。


純奈さんの歌唱を評する場合、必ず「透明感」と云う言葉が出てきます。「透明感」と云うのは、ノーテクニックで無個性な歌い方を評するに便利な言葉として使われることが多く、必ずしも褒め言葉とは云えないのですが、彼女の場合は、「透明なのに○○」と付け足されるのが面白いところです。
その○○の部分には、張りがあるとか、存在感があるとか云われていますけど、最大の特徴は、その質感にあります。彼女の歌声は、透き通っているけど、けっして軽やかでは無い。彼女の歌は透明なのに重いんですよね。

本来、透明な歌声というのは感情表現には不向きです。で、ムリヤリ伝えようとすると、やり過ぎ感が出てしまいます。芝居がクサくなるってやつです。ただ、ボーカロイドの記事でも繰り返して書いていますが、僕は、歌に感情を込めるという行為は、歌唱の必須とは思いません。ですから、透明感ある歌声ならば、そのままストレートに歌ってくれた方が、心に響くことが多い。
ところが、彼女は、その質感のおかげで、そこそこ感情を込めることができて、それなりに伝わってきます。しかも、透明感のおかげで、感情を込めたことが嫌味にならないという強みがあります。これは天性のものです。歌に心を(さりげなく)込めるという、プロの歌手が何年もかけて獲得していく術を、彼女は産まれながらに持っているのです。

「I LOVE YOU」はクリス・ハートさんの持ち歌で、内容的にも男歌のはずなんですけど、歌詞に女々しい部分があって、何となく中性っぽいんですよね。それが上手い具合に、彼女の重く湿った声質にハマったように思います。


お詫びの文章には、追記がありました。ソロ活動については、HMS大阪へ聞いてくれとのことです。POLUのボーカリストとしての丸山純奈と、ソロシンガーの丸山純奈との活動に一線を引いてます。まあ、当然のケジメだと思いますけど、改めて文章として出てくるとインパクトがあります。
今までは、ここのところが曖昧だったんですよね。例えば京セラドームのライブは、HMS関連の活動に思いますけど、POLUのツイッターでもフォローしちゃってたわけですし。
ファンにしてみれば、POLUのすーちゃんも、ソロのすーちゃんも、どっちも大好きです!とか云っていればいいことなんですけど、今後、彼女がプロ歌手として活動していくためには、この二刀流問題は避けられないと思います。

このへんの妄想については、いずれまたと云うことで。

2018年9月20日木曜日

狩野川台風から60年 ~ある体験作文との再会~

2019年に狩野川台風に匹敵するといわれた「台風19号」がやってきて、狩野川流域に浸水被害が出ました。その時の様子は、こちらに投稿させていただきました。


土曜日の午後、旧大仁町(伊豆の国市大仁)にある中央図書館を訪ねた。今年(2018年)は、狩野川台風(1958年9月26日)から60年だそうだ。中央図書館では、地域の方々から当時の資料を提供してもらい、特別陳列を開催しているらしい。で、その中に当時の文集があるという。僕にはどうしても確認したいことがあった。

図書館の2階、郷土資料室の片隅にあったその展示は、会議机2つ分の、あまりにもささやかで、笑ってしまうような特別陳列であった。


小学生だった頃、狩野川台風の話を聞かされたことがあった。たぶん社会科の時間だと思う。当時、完成して間もない「狩野川放水路」の授業だった。その時、担任は、僕らに1つの作文を読み聞かせた。それは、洪水に流された子どもの体験談だった。作文のラストは、自らを励ますために学校で習った歌を歌いながら、流木につかまって流されていくシーンになっていた。
歌いながら流されていくという場面に、僕は衝撃を受けた。それから僕は、台風が来る度に、洪水のニュースが流される度に、この話を思い出した。

僕が特別展を訪ねたのは、担任が50年前に読み聞かせた、その作文を確かめるためだった。

狩野川台風が来襲した年、旧田方郡(現:函南町・伊豆の国市・伊豆市)の小中学校では、子どもたちに水害関連の作文を書かせ、デキの良い作品を集めて、狩野川台風の特集号を作っていたのだ。

僕は、「ささぶね」と名付けられた小学生の文集を手に取った。「洪水はこわかったです。」とか「自衛隊の人が助けてくれました」とか「仲良しの○○ちゃんが死んでしまいました。」みたいな作文が掲載されいる。全ては、生々しい体験談だ。しかし、そこには、歌いながら流されていくことを書いた作品はなかった。担任が読み聞かせたのは、文集ではなかったのだろう。まあ、念のためと、次に中学生の文集を開いてみた。

僕の捜し物は、その巻頭にあった。

中学生の作文だった。「大仁中学校3」とあるから3年生のようだ。改めて読み返す。間違いない。ところが、その文章は、稚拙とまでは云わないが、あまりにも平易であった。中学生も3年生ともなれば、しかも、学校代表であれば、作家顔負けの文章を書くものである。彼女が、作文が得意な生徒ではないことは明らかだった。しかし、当時の教師達は、この作品を一位と評価したのだ。文集の巻頭に掲載されるというのは、そういうことである。
会話と簡単な感情記述で構成されたその作文は、確かに、平易ではあったが、特集号の巻頭に相応しい作品であった。

(作品はコピーさせていただきました。ブログの最後に載せてあります。)


狩野川台風とは、昭和33年9月26日に、中伊豆地方に甚大な被害をもたらした台風22号のことである。

翌年の同じ9月26日には「伊勢湾台風」が来襲している。だから、僕らのところでは、「狩野川台風」と「伊勢湾台風」は、一年違いの同じ日と記憶されている。実は、狩野川台風は、26日夜に伊豆半島をかすめた後、相模湾を進んで鎌倉付近に上陸したのだが、その時は、日付が変っていたので、上陸日は27日ということになるらしい。母の話によると、27日は台風一過でピーカンだったそうだから、上陸は27日だったんだよなんて話をしたら、怪訝そうな顔をしていた。


台風22号について、ウィキペディア等の記述を参考にまとめると、次のようになる。

・「狩野川台風」は、気象庁が公式に命名した最初の台風である。
 (それ以前の命名は自然発生的なものだった)
・死者・行方不明は1,269名。被災地域が田園地帯であったことを考えるとこの犠牲者数は極めて多い。
・翌年の伊勢湾台風の陰に隠れ知名度は低く、昭和の3大台風(室戸・枕崎・伊勢湾)にも入ってない。
 最近では、伊勢湾台風は聞いたことあるけど、狩野川台風なんて知らないという静岡県人も多い。
・最大勢力は、気圧877hPa、最大風速75m/sで、気圧の低さでは戦後第4位である。
 ただし、これは海上にあった時のデータであり、上陸時の気圧は960hPaほどに衰えていたらしい。

台風が急速に衰えたのは、日本列島に流れ込んでいた寒気の影響とされている。この時、秋雨前線は日本の南の海上に停滞していた。狩野川台風は、秋雨前線を押し上げながら北上し、上空の寒気と遭遇して伊豆地方に大量の雨を降らせた。狩野川台風は、典型的な「雨台風」であった。

狩野川台風は、首都圏にも多大な浸水被害を与えたが、人的被害は狩野川流域に集中している。その原因については以下の通りである。

・上流の天城山に記録的な降水があった。
 湯ヶ島では21時からの時間雨量が120mm、総雨量は753mmと記録されているが、
 天城山での総雨量は1000mmを越えていたと推定される。(当時、天城山には雨量計が無かった。)
・一週間前に、台風21号が伊豆地方を襲い、すでに天城山が大量の雨水を含んでいた。
 この時の台風のために、狩野川流域の白山堂では堤防が破損していた。
・戦後の復興需要で、天城山では大量の森林が伐採されていた。
・洪水の発生が夜間であった。
・狩野川流域は水害の多発地帯であったため、放水路の建設が行われていたが、
 戦争や戦後の財政難のために建設工事が進んでいなかった。

静岡県の地形は、北に富士山、南に駿河湾と、北から南へ低くなっている。ところが、狩野川は、太平洋岸の川では珍しく南から北へ流れているため、下流域では北から流入する土砂に流れが圧迫され、排水能力が低い。そのため、度々浸水被害を出してきた。
そして、狩野川は大きな氾濫を起こす度に、流れを変えてきた。源頼朝が配流された「蛭ヶ小島」は、今は田方平野の田んぼの中にポツンとあって、島でもなんでもないのだが、平安時代は、このあたりを狩野川が流れていたと云われている。


昭和33年9月26日、午後9時頃から天城山で多発した土石流は、大量の流木を伴って狩野川を流れ下っていった。旧修善寺町横瀬にある修善寺橋は、頑丈に作られた鉄橋だったので流失を免れていたが、ここに上流からの大量の流木などが堆積し橋梁が閉塞、橋の上流側に洪水湖を形成した。やがて橋は水勢に耐えきれなくなり倒壊、大量の土石流が一気に下流地域を襲ったのである。この土石流で、避難所になっていた修善寺中学校は流失、多くの犠牲者を出した。

1は支流の大見川。2が狩野川である。2つの川が合流した先の3のあたりが修善寺橋のあったところ。コンクリート製で重さ150トンあった橋桁は 800m下流にまで押し流されたという。

洪水は、下流にある大仁橋も倒壊させたが、この時、橋のたもとの護岸が削られて、熊坂地区が濁流にのみこまれた。熊坂地区は全域が洪水の被害に遭い、住民の3割が犠牲になった。
1が破壊された大仁橋。2の辺りが瓜生野地区があったところ。3の辺りが熊坂地区があったところである。この2つの集落は、家屋のほとんどが流され、特に大きな被害を出した。

熊坂地区から撮った現在の狩野川。上流の大仁橋方面。

狩野川記念公園にある慰霊碑。

熊坂小学校も浸水被害にあったが、山の縁に建てられていてたので、辛うじて流失は免れている。これは学校再開時の有名な写真。亡くなった児童の机には、花瓶が置かれている。熊坂小学校では、児童78名、教師2名が犠牲になっている。

氾濫原の中にポツンと取り残されているのが、旧大仁町中島地区。ここが「中島」と呼ばれていた理由がよく分かる。中島地区は周囲よりわずかに高かったおかげで、流失をまぬがれた。作文の作者も中島に住んでいたようだが、「新住」と云っているから、中島地区の中でも新しく開かれた所で、土地も低かったと思われる。中島地区の家屋の流失率は50%とある。

修善寺橋の倒壊は午後10時。洪水がいっきに押し寄せたことと、夜間であったため、人々は自宅の屋根に登るのが精一杯であった。昔の日本家屋は、浸水が2mを越えると流失が始まるとされている。これは、一階の天井部分まで水に浸かることによって浮力が発生するからである。作文では、作者の家屋の流失が始まったのは、午後10時50分となっている。

旧伊豆長岡町にかかる「千歳橋」。作文に出てくる「長岡の橋をこぐった」とあるのは、この橋のこと。千歳橋は鉄橋であったので流失をまぬがれた。洪水域で唯一残った橋であり、今でも伊豆長岡温泉へのメインルートとして使われている。
この橋にも大量の流木が堆積している。溢れ出た洪水は、写真手前、旧韮山町方面に流れ、田方平野一帯を水没させた。

狩野川は、函南町に入ると流れを大きく西側に曲げる。ここでも堤防が決壊して、洪水は、まっすぐ北へ流れ、函南町仁田(父の話によると、今の田方農業高校のあたり)で、渦を巻いて滞留したようである。

背後に見える山の形から、洪水が滞留し、作者が流れ着いた仁田の辺りと思われる。彼女が凍える妹を抱き、歌を歌いながら救助を待ったのが此処。水が引いた後の瓦礫の下からは、捜索によって、たくさんの遺体が発見された。

中島から仁田までは、直線距離にして約10kmである。作文には、時間や時刻の記載がある。漂流しているのにも関わらず、時間を把握できていると云うのは、不思議な感じがするが、救助された後で、時刻などを教えてもらったのかもしれない。救助を待ちながら滞留していた時間を除くと、彼女たちは10kmを2時間半ほどで流されたことになり、平均時速は約4kmである。
作文には、流れて来た別の家に乗り移る場面が書かれているので、漂流の速度は一定では無く、かなり緩やかに流されていた時間帯もあったことが分かる。

作文は、二人が救助されたところで終わっていて、洪水の中で分かれた兄妹たちの記述が無い。家族がどうなったかは、彼女にとって最も大切なことだろうから、作文に書いていないというのは不自然である。書かれていたが掲載の都合でカットしたのか。それとも最初から書かなかったのだろうか。

狩野川台風から7年後、工事開始から15年後の昭和40年に狩野川放水路は完成する。
放水路は、伊豆の国市の墹之上から狩野川を分流し、2つのトンネルでショートカットして駿河湾へ流すようにできている。普段は水門を閉じていて、狩野川が増水すると水門を開けて放流を開始する。近年、最も大量の放水がされたのが、平成19年の台風9号の時で、放流によって狩野川の水位は約3.7m低下した。
放流は、年に平均2・3回行われているらしい。
(平成29年の台風19号でも、大量の放水が実施されたが、狩野川の水位は越水寸前まで上昇し、危険な情況であった。)

水門を開放したところ

放流トンネルの海側出口

ところが、この放流が思わぬ騒ぎになったことがある。放流口のある江の浦地区は、近年、鯵の養殖業が盛んで、たくさんの養殖筏があるのだが、放流された淡水が筏に流れ込んでしまい、とんでもないことになった。漁業関係者にとっては、水門が開放されるかどうかは大変な関心事で、放流によって養殖に被害が出た場合は、補償金が支払われることになっているらしい。


最後に、親から聞いたどうでもイイ話を3つほど。

洪水の後、狩野川流域の家には嫁をやるなという雰囲気があった。ある家に、狩野川流域の家との縁談話があった。実家の両親がその家を訪ね「失礼ですが、こちらの被害はいかほどでしたか?」と訪ねたところ「うちは、床下浸水でしたから大丈夫でしたよ。」と笑った顔の向こう側の壁には、洪水痕がくっきりとあった。

たくさんの遺体が流れ着いた函南町の蛇が橋付近では、夜な夜な幽霊が出るとの噂が絶えなかった。幽霊を乗せたタクシーがあるというので、新聞社が取材に来て、タクシーの運転手一人一人に聞いてまわったが、幽霊を乗せたタクシーなど一台も無かった。

狩野川河口域の浸水常襲地帯での話。水に浸かると、家の中には大量の土砂が入り込んでくる。それらは、水が引いて乾くと固まってしまい、洗い流すのが大変である。そこで、洪水の水が引き始める時を見計らって家の中に入り、土砂を掻き出して引いていく水で流すと、家の中が綺麗になる。



「恐ろしい一夜」     大仁中学校3 西島秋代

 屋根の上にいる子供達に、憎らしい風雨は吹きつける。屋根にへばりついていないと吹き落とされそうな風。顔、手、足、そして耳にも痛いほどに吹きつける雨。水はきちがいのように荒れ狂っている。礼子、悦子、幸江、美恵子、マーチャン、テッチャン、おにいちゃん、そして私達は、風雨のために頭の毛は乱れ、寒さのために口も思うようにきけない。十時五十分、スウーッと家が流れ出した。そして、それから三時間半、死ぬような思いの旅が始まった。

 家はみるまに速度を増し、ミシミシと壊れ始めた。おにいちゃんが
「みんなこの家が壊れたら何でもいいからつかまるだぞ!いいか、わかったな!」
とまるで腹の底からしぼるような声で叫んだ。でもそれより風雨の方が激しく、兄の声は時々打ち消された。家は見る間に壊れ、とてもこんなに大勢では沈んでしまいそうになっていた。兄は電池を回し、少しでも皆を元気づけようと
「最後までがんばるんだ。何でもいいからつかまれ!そして浮いているんだぞ!」
と叫ぶ。前後左右で
「おかあちゃん、おかあちゃん。」
「おおーい、たすけてー。」
「みさ子ー。」
などと声がする。(助けてやりたい。でも私だって危ない)そのうちどこかの家が流れてきた。まず兄が乗った。
「よし、だいじょうぶだ。みんなこっちへ移れ。」
子供達は無我夢中で移った。悦子も私も移ろうとした。その時、家がまた流れ出した。
「秋代ちゃんしっかりするんだぞう。」

(もうだめだ。私と悦子と二人になってしまった。でもどこを流れているのだろうか。燈が見える。光が動いている。人だ。人間だ。)
「たすけてー。」
と叫ぶ。(だめだ。どこまで流されていくのだろう。助かるだろうか?……。いやだ。死ぬなんて……。)
「秋代ねえちゃん、ずっといっしょにいようね?」
と言う。悦子はえらい。涙一つ浮かべない……。と、
「たすけてー。」
すぐ向こうでかすかな声が聞えた。だれかいる。
「これにつかまって。」
屋根に上げてやる。新屋のおじさんだ。たしかに中島の人だ。
「おじさん泳いで来た?」
「あーもうだめだ。子供もみんな死んでしまった。」
「おじさん。そんなこと言わないで生きられるだけ生きようよう。」
「あーだけどなあー、お前さんはどこの人だ。」
「新住だよう。おじさんは新屋だら?」
「おお新住か、新住も流れたかあ。」
「おじさん、この柱を二つ持っていようよ。これが壊れても沈まないようにね。」
「おー。」

 長岡の橋をこぐった。ものすごい波だ。
「あっ、たすけ……。」
(もぐっているのだ。屋根がひっくり返ったのだ。苦しい、息がつまる。これで死んでしまうのか。苦しい。上に出なければ……。)
 あっ!助かったのだ。息ができる。苦しくない。
「秋代ねえちゃん。」
悦子だ。悦子がいる。
「よかったねえ。」
「本当によかったねえ。」
あっ!新屋のおじさんがいない。(死んでしまったのだろうか?かわいそうに。でも、どうしてがんばらなかったのだろう。私だって悦子だって生きているのに……。)おや、あそこに大きな柱が流れて来た。あれにつかまろう。
「悦子、それにつかまんな!いい?つかまった?ほらひっぱるよ。」
「これにつかまっていればもう平気だね?」
「うんもう何でもないよ。」
(でも、ここはどこだろう。もうだいぶ流れて来たようだ。本流を流れているのだろうか?流れが速い。空もだんだんと曇ってきたようだ。雨が降りませんように……。)あっ、森だ。(あそこに着いてくれますよう……。)あっ、人がいる。
「たすけてー。」
「おーい、しっかりするんだぞうー。」
「たすけてー。」
(だめだ、またはなれてしまった……。)
「悦子、ねむったい?ねちゃあだめだよ、ねたら死んでしまうよ。うん?寒い?こら、悦子おきな!」
「あっ、曲がった!」
(あー流れがゆるやかになった。ここは水がぐるぐると回っているだけだ。もう流れはないかもしれない……。でも、この水がひけたら、海へ流れるだろう。そうしたらもう、私の大好きな音楽も聞けないだろう。歌を歌おう、私の生きている時の最後の歌を……。)

      うさぎおいし かの山……。

あっ、人がいる。燈が見える。動いている。人の話し声が聞える。
「たすけてー。」
「おーい。今いくぞオー、しっかりしていろー。」
「悦子。今に助けてもらえるからねッ。もうすぐだからねッ。ねちゃあだめだよ。ほら、ひっくりかえるじゃあ。ねえちゃんの顔が見える?ほら、あの光が見える?寒いねえッ悦子。」

それから数十分後私達は仁田で助けられた。長く、そして恐ろしい一夜がすぎた。

2018年9月16日日曜日

「安室奈美恵」人気に便乗して、「丸山純奈」の「Love Story」について語ろうと思う

凄いですねえ。今日で引退ですって。でも、ここまで社会現象化するとは思いませんでしたよ。ライブのチケット取れてないのに沖縄まで行くって云うんですから、ファンというのは恐ろしいものです。

で、僕は「安室奈美恵」世代ではありませんので、社会の流れに完全に乗れてません。もちろん、彼女のパフォーマンス力が凄いことは理解できますけど、当時、すでにオジさん化していた僕は、細い眉毛も、痩せすぎた体も、20歳のできちゃった婚も容認できなくなっていましたからね。
でも、世間でこんなに絶賛の嵐が吹き荒れると、安室奈美恵の魅力が分からない僕って感性が鈍いのかしらん、なんて一人で悩んでしまいます。

で、思いのほか偉大だった「安室奈美恵」さんと、「丸山純奈」さんをつないでいる楽曲が「Love Story」であります。さっそく、聴いてみましょうと思ったのですが、YouTubeには、偽物が多くって・・・。
格好いい動画がありましたので、こちらを貼り付けさせていただきます。これはさすがに、御本人が歌っていると思うのですが・・・・。


 月9ドラマ「私が恋愛できない理由」の有名なシーンのようです。「Love Story」は、このドラマの主題歌だったんですね。彼女の偉大さが見事に演出されている映像だと思います。

この収録は、代々木第一体育館で開催された、安室さんの本物のライブの終了後に、観客をそのまま残して撮影したそうですよ。
代々木第一体育館ですって。「松浦亜弥」さんもそうでしたし、「Wink」のライブもありましたよね。「すーちゃん」もいつの日か、こんな大きなステージで、ホールエコーをバンバン効かせながら歌って欲しいものです。

あー、でも人気は、ほどほどで結構です。安室さんみたいにチケット倍率が天文学的数字になっちゃったら困りますから。

では、「丸山純奈」さんのテイクを貼り付けさせていただきますね。「音楽チャンプ」のテイクで、ピアノ伴奏は「堀 倉彰」氏ですね。     


このテイクについては、「菅井秀憲」氏に、16ビートのリズムに乗れてないとか、ボロくそに云われてましたよね。テレビ番組ですから、全ては演出の1つかと思いますけど、こういう発言って視聴者に先入観を与えてしまうみたいで、今でも、動画のコメントなどに「丸山純奈はリズム感がない」なんて書き込みが見られます。まあ、少なくともリズム音痴ではないんですから、正確には、「無い」のではなく「身についてない」と云うべきかと思います。

で、歌唱についての評価なんですけど、「すーちゃん」の歌い方って、全部同じなんですよね。だからどうしても、ハマる曲とハマらない曲があるんですけど、それを強引にワンパターンの歌唱で押し切っちゃう。まあ、若い時には、球種を増やすことよりも、ストレートに磨きをかけることの方が大事なわけで、これが、彼女の、ある意味、魅力なわけです。

ただ、歌詞への感情移入という点では、この子の歌唱は評価されて良いかと思います。特にサビの部分の「すがりつくような」歌い方は秀逸です。普通、こういう感じで迫ってくると、聴き手はドン引きしてしまうものなんですけど、彼女の場合は、島津亜矢さんが云うところの「吸い込まれるような透明な歌声」によって、クドさを感じさせないんですよね。

安室さんの歌唱は、代々木体育館に相応しく、すーちゃんは、スタジオライブに合っている歌唱と云う結論でいかがでしょうか。
もちろん、何年か先、「すーちゃん」が代々木で歌うときには、安室さんのような、スケールの大きな歌い方をしてくれるでしょうし、それが出来る子だと思います。

と云うわけで、早くしないと、日付が変ってしまいますので、今日は、これでお終いです。。

2018年9月15日土曜日

行っても無いのに「丸山純奈」の「もっと四国音楽祭」を考察してみた

鳴門市で開催されたNHK「もっと四国音楽祭」の公開収録が無事終了したようです。一昨日になって、いきなり「丸山純奈」さんが「喉にできものができて、すごく痛い」との書き込みをしたものですから、心配で心配で、僕まで食事が喉を通りませんでしたよ。
まあ、そんなツブヤキを気軽にしちゃうのがSNS時代の特徴であり、「すーちゃん」らしいところでもあります。「島津亜矢」さんは、仮にあったとしても、ファンに対してそんなことは云わないと思います。大人ですから。

では、前回に続き、ツイッターに公開された写真から、いろいろと語らせていただこうと思います。

さっそく一枚目の写真です。この方は、アンジェラ・アキさんの飲み友だちで、番組のテーマソング「ふるさとの色」の編曲を担当した「Dr.キャピタル」氏ですね。さりげなく肩に手を回しちゃえるのが外人ですよね。物販では握手が限界ですから、羨ましい限りです。


Dr.キャピタル氏は、サポートギタリストとして有名な方ですが、音楽博士の称号を持ち「南カリフォルニア大学」で音楽教授をしているそうです。YouTubeに音楽講座の動画をたくさん投稿していらっしゃいましたよ。
その中の1つです。最初の「一人ボケ・ツッコミ」を我慢すれば、ポリリズム(多重拍)のギターテクニックを披露してくださいます。


結局は、歌いたいだけのようですが、ただの、スケベな外国人では無いと云うことは、よく分かりましたです。

次の写真は、「Little Glee Monster」です。今回は、3曲ほど披露してくれたとのことです。


なんか、微妙な距離感が気になる写真です。普通、もうちょっとくっついて撮りません?
よくネットでは、メンバーの不仲説が書かれていますけど、やっぱり本当なのかも、なんて気になります。まあ、プロの歌手ですから、パフォーマンスが素晴らしければ、仲良しこよしである必要はありませんけどね。

動画のコメントで、丸山純奈さんをリトグリの新メンバーに、みたいなのがよくあります。まあ、投稿した御本人にとっては、純奈さんへの褒め言葉のつもりなんでしょうけど、彼女の魅力は、ソロでしか発揮できませんからね。売れているグループのメンバーであることよりも、売れないソロの方が良いってこともあるわけですし。っていうか、入ったりしたら絶対虐められ・・・スミマセン無かったことにしてください。

「STU48」さんですね。16人の選抜メンバーさんのようです。大所帯ですから、テレビに映してもらえるだけでも、大変なようです。今回は、2曲披露してくれたとのことです。


センターは「瀧野由美子」さんだそうですけど、どの子でしょうか。こうやって見ると、純奈さん、アイドルと一緒に写っても、なかなかイケてると思います。完全に後列の子たちなんか・・・スミマセンこれも無かったことに。

今回は、テレビの公開収録ですから、ここから番組作りに向けて編集が始まるのだと思います。放送は「尺」が決まっていますからね。収録したものが全て使われるわけではありませんし、番組内で取材VTRを流したりすれば、さらに使われる部分は少なくなると思います。
ですから、インタビュー場面などは、かなりカットされるでしょうし、リトグリは3曲披露したそうですけど、放送で3曲流してもらえるかなんて分かりません。丸山純奈さんの「home」だって安心できないわけです。
ただ、今回は、ゲストアーティストが5組だけと云うことですから、収録分は大切にしてもらえそうな気もしますです。

お終いは、「島津亜矢」さんとのツーショットですね。


誰がナンと云おうと、僕的には、この写真が一番の涙ものになります。

なんと、島津亜矢さんが、ご自身のブログで、「すーちゃん」のことを褒めてくださっているではありませんか。

島津亜矢さん「もっと四国音楽祭2018」

いつもお世話になっている「すだっちたいちゃん」さんのツイッター情報によると、「島津亜矢」さんは、インタビューの時に「すーちゃん」の歌声に太鼓判を押してたそうです。お世辞な部分が多いとしても、これほど嬉しいことはありません。「ハヤシライス作れます」みたいなインタビューは、ぜーーーんぶカットしてもいいから、この部分は是非とも使って欲しいところです。

と云うわけで、今回の「四国音楽祭」は、10月4日(木)に BSプレミアムで全国放送されるそうです。僕のテレビは、残念ながら衛星契約をしておりませんので、誰か録画してくれる人を探さなければなりませんけどね。

今回の出演では、アンジェラ・アキさんと正式につながることができたのが良かったと思います。で、Dr.キャピタル氏とも良い関係ができたようですし、今後は、氏が間を取り持ってくださることと思います。まあ、我らの大切な「すーちゃん」の肩を気安く触ったんですから、これからいろいろと働いていただきたいものです。

まあ、こうやって、可愛がってもらいながら、少しずつ人脈を広げ、成長していく才能を見守るというのは、ファン冥利に尽きることですし、嬉しい限りです。

2018年9月8日土曜日

丸山純奈「オンコロライブ」と、初音ミク「マジカルミライ2018」が、大盛況のうちに閉幕したらしい

9月1日は、気になっていた2つのライブが開催された日でした。

まずは、初音ミクの「マジカルミライ」。

今年の「マジカルミライ」は、大阪と幕張の2カ所で四日間、8公演。しかも幕張メッセでは、広めの第9ホールと云うことで、過去最大規模の4万人動員だったようです。世間的には、もはや話題にもならないボーカロイドですけど、これだけの観客を動員できると云うことは、底堅い人気を維持しているようです。ニュース映像なんかを見ると、若い女の子の参戦が目立つのですけど、「米津玄師」効果とかあるんでしょうか。

実は、4年連続で参戦していたマジカルミライですが、ちょうど申し込みの時期が、「初音ミク×鼓童」の申し込みと重なっていて、さすがに両方は難しかったものですから、今年は参戦を見送ったんです。
で、先日のブログにも書いたとおり、「初音ミク×鼓童」が、僕的には完全に不完全燃焼だったので、やっぱりマジカルミライに参戦すれば良かったと、後悔している次第です。
いつもだったら、どんなセットリストだったのかなとか、いろいろとネットで検索するのですが、知れば知るほど辛くなります。


大阪公演のフル動画が早速YouTubeに出てきてたんで、ブロックされる直前に駆け足で視聴したんですけど、「鏡音リン・レン」の二人のステージは相変わらず盛り上がってたみたいですし、今年は「Tell Your World」も復活していたし、バンドメンバーも入れ替わってたり・・・そして、大好きな「OSTER project」さんの楽曲を演奏してたんですよ!
高輝度レーザープロジェクターを7台並べたというのも、初のことだと思いますし、ちょっと、立ち直れそうにありませんので、この話は、これでお終いです。


次に、丸山純奈さんの「オンコロライブ」です。

実は、裏のブログにあるように、僕は癌患者であります。大腸に癌が見つかったのがちょうど3年前。それから手術をして、リンパ節への転移が分かって、ステージⅢCの診断を受けて、抗がん剤治療が終わったのが2年前。今は経過観察の身の上です。

ライブの告知の時に、癌患者の招待枠があることを知って、「もしかしたら、オレって、タダで観覧できるんじゃネエ」って思わす考えてしまいました。でも、今や国民の半分が癌になる時代、肝臓に転移でもあれば別ですけど、経過観察者の分際で招待席を申し込むというのは、さすがに気が引けました。まあ、無料だとしても、チケット代の相当額を寄付すれば良いだけのことですけど。

だからというわけでは無いのですが、グズグズしていたら、なんとなく時期を逸してしまいました。で、「クラーキー」こと「堀倉彰」さんがサポートすると知って、大後悔と云うわけです。


次回は、新宿でライブをするとのことですが、普段はヒマなのに、この日だけはNGです。チャンスというのは、一度逃してしまうとダメが続くみたいです。まあ、ファンを自称していながら勝手なことばかり云ってましたから、バチが当たったのでしょう。

参戦されたファンの方々のツイッター情報によると、セットリストは、「home」(アンジェラ・アキ)、「I LOVE YOU」(すでに持ち歌的存在)、「何度でも」(ドリカム)、「ドラマ」(持ち歌)の4曲のようです。

この中では、「何度でも」が完全に想定外でした。確かにドリカム好きみたいだし、確かに応援ソングですけど、ピアノ伴奏では選ばない楽曲に思いますからね。

でも、ネットでクラーキーさん伴奏の歌唱を聴くと、やっぱり良いなあって思いますし、ピアノというのが、如何に優れて、そして完成された楽器であることを改めて感じました。
純奈さんって、出だしはメゾピアノで、サビになったらフォルテで、みたいな歌い方をしたがるところがあるんですけど、バンド伴奏ではそういうわけにはいきませんからね。
彼女とサポーターさんとの相性を比較させていただきますと、大知直樹さん<<<バンさん<熊五郎君<クラーキーさん、と云ったところでしょうか。コード進行は似たり寄ったりでも、弾き方は様々。歌う人の気持ちが分かるというのも、一種のセンスだと思います。偉い人だからと云って、サポートが上手くできるものでは無いようですし、歌手との相性もありますからね。

会場では、記録用の撮影をしていたとのことですので、ダイジェスト版とかでも良いんで、公開して欲しいものです。そんなことをすると、チケットを買って参戦した人が云々、みたいな話になりますけど、YouTubeで見れるからライブに行かないと考えるか、YouTubeで見たからライブに行きたいと考えるかの違いで、少なくとも丸山純奈さんに関しては、後者だと思うんですけどねえ。
特に「オンコロライブ」に関しては、啓蒙活動なわけですから、広く世間に公開することは、間違ってはいないと思います。
これは、天王洲アイルのライブも同じで、僕が行けなかったからこんなことを云っているわけではないんですよ。

そもそも、丸山純奈さんが、全国区的な知名度を獲得したのは、YouTube動画群によるところが大きいわけで、今回のことに限らず、もう少し積極的に使っても良いんじゃないかと思います。動画だとツイッターもありますけど、内輪で回しているだけという印象がありますからね。

で、聞くところによると、オンコロライブでは、参戦したファンどおしが、推しグループの登場に合わせて、座席を譲り合ってローテーションすると云う、上杉謙信の伝説の戦術「車懸りの陣」みたいなことが行われるそうですけど、今年もそんなことしてたんでしょうか。

妄想するほど辛くなってきましたので、こちらの話もこれでお終いです。