2021年1月30日土曜日

上國料萌衣が「あざとカラオケ」でブレイクだと?!

 まずは自慢しよう。僕は「上國料萌衣」さん(かみこ)を、3年半前から注目していた。ちゃんと、証拠のブログ記事もある。

かみこに関する一本目のブログ記事がこれ。

          上國料萌衣~ハロプロの救世主なんかじゃ勿体ない~

で、ブレイクする兆しが、一向に無い中で投稿したのがこの記事である。

          上國料萌衣 ~流れ星に願いを込めて~

デビュー以来、ハロヲタから絶大な支持を集めていた彼女だが、ブレイクする兆しも無いまま5年が過ぎていた。それがだ、「あざとカラオケ」で大ブレークとネットニュースに書かれているではないか。

まあ、大ブレークは盛り過ぎかも知れないが、注目を浴びているのは確かなようだ。でも、何で「あざとカラオケ」なんだろう。何を何処でどう間違ったのか分からないが、贅沢は云ってられない。売れるんだったら何でも良い。

         

「あざとカラオケ」は、テレビ朝日のバラエティ番組「あざとくて何が悪いの?」で、アイドルや女優があざとく歌っているVTRを見ながら、山里亮太さんやゲストがコメントを付けるコーナーだそうだ。で、それに出演して「LOVE涙色」を歌っている「上國料萌衣」さんが、可愛いと評判になったらしい。

番組の公式動画を見てみると、普通に歌っているだけで小聡明いとは思えないんだけど、これに山ちゃんとかのコメントが入った番組動画を見ると、あざとく思えてくるから不思議だ。心理学のナンとか効果ってやつだろう。付けられているコメントは、上から目線っぽいんだけど、山ちゃんの(否定しない)職人芸的ツッコミのおかげで楽しく見られる。動画を見ながら「可愛いねぇ」ってコメントを被せたって、面白くもナンともないんだが、「あざといねぇ~」って云うと、笑いに昇華できるから不思議だ。

皆で「あざとい」「あざとい」と云っているから、「あざとアイドル」なんてキャラが付いたらどうしようと思ったんだが、コメントを見ると、視聴者の皆さんはちゃんと分かっているようで安心した。

どうやら番組での「あざとい」とは、好きな人に振り向いてもらいたいと、健気に可愛く振る舞うことらしい。その行動を見透かした上で、好意的にとらえるってことか。

この言葉、ネットで好んで使われるようになってから、肯定的な意味合いが強くなってきたようだ。元々あった「可愛い」という言葉が、何にでも使われるようになって、可愛いの持つ意味が広く薄くなってしまったから、その代わりとして「アザとい」が登場したように思う。何年か後には「ヤバい」と同じように、「アザとい」も褒め言葉になって、素敵なお洋服や幼気な子猫に向かっても、「あざと!」なんて云う時代が来るかも知れない。(もう来てる?)

では、折角だから、公式動画を貼り付けさせていただこう。まずは「森高千里」さんの「私がオバさんになっても」である。熊本出身のかみこは、デビュー間もない頃から、森高先輩の楽曲を好んでカバーしているが、だんだん様になってきたように思う。

次は、ヒット曲「NiziU」の「Make you happy」だ。

ハロプロのアイドルならば、このくらい歌えて普通とも云えるんだが、かみこの歌唱はハロプロ独特の癖がないので、一般受けする要因になっているのだろう。ブレイクと云ったって再生回数は100万回未満だから、大騒ぎするほどでも無いんだけど、今までが今までだったから、ファンにとっては涙ものに違いない。

出演のきっかけは、ハロプロのライブで「LOVE涙色」を歌っている「かみこ」を、動画で見た番組Pがオファーしたらしい。僕が彼女を知ったのも、同じ動画だ。出演が決まったとき、「あざといってどうやるの?」ってアンジュルムの後輩に聞いたという話も、如何にも彼女らしくてありそうなことだ。ハロプロのライブで場数は踏んでいても、カメラ目線で歌を歌うことなんて無かったんじゃないだろうか。小聡明さに無縁だった彼女があざとく演じるから洒落になるわけで、番組Pもそれが狙いだったんだろう。

「マックフルーリー® なんでだろう feat.上國料萌衣(アンジュルム)」の公式動画だ。

「ピザーラ」のCMを成田陵君に奪われてしまった時は悲しかったが、2年連続でマックのCMに起用されて嬉しい限り。いつの間にかハロプロの稼ぎ頭だ。

これをきっかけに、知名度を上げていくのだろうか、この流れがどこまで続くのか分からないけれど、この数年間頑張って足元を固めてきた彼女だから、流されてしまうこともないだろう。かみこも21才、安心して見てられる。アイドルも女優も二十過ぎてからが、本当の勝負ってことか。

お終いは、やっぱりこの曲にしよう。かみこの魅力は、昭和の正統派アイドルを彷彿とさせる明るさだ。「ぶりっこ」「萌え」「あざと」・・・言い表し方は変遷しても、やっていることは変わらない。


「かみこ」とハロヲタ君たちの、その先の願いが叶いますように。

2021年1月24日日曜日

安野光雅「天動説の絵本」と地球球体説 ~地球が丸くて天が動いていた頃の話~

画家・絵本作家の「安野光雅」氏が逝去されました。

細部まで書き込まれた画線と、淡い色彩で描かれた絵本は、子ども心にもインパクト大で、図書室などで読んだ記憶があります。大人になってからもいろいろと手に取りましたが、自分のお金で買ったのは、「津和野」「安曇野」と「天動説の絵本」の3冊になります。今、手元にあるのは「天動説の絵本~てんがうごいていたころのはなし~」で、あとの2冊は実家の本棚にあるはずです。

この本を買ったのは、科学思想史にハマっていて、月刊「科学朝日」などを(半分意味も分からず)定期購読していた頃になります。偶然、本屋さんで見かけて、美しい絵と中世の人々への温かい視線に惹かれて買いました。購入したのは第3刷で、当時の定価は1,000円。出版社は福音館書店。安野光雅といえば福音館ですよね。

「天動説の絵本」は、中世ヨーロッパの世界観を描いたものです。初めは小さく平板だった世界が、知見が深まることによって広く球面になっていき、最終的には球体となり太陽の周りを回っている絵でお終いとなります。

この絵本で描かれている中世は、大地は平面で動かないものと信じ、占星術や錬金術、魔女狩りが行われている世界です。人々は、迷信に支配されながらも、宗教に救いを求めて生きています。


扱われているのは天動説と地動説、地球球体説と地球平面説です。この本の題名は、「天動説の絵本」ですが、ページの多くは地球の形状について書かれています。実は、天動説と地球平面説は、全く別の概念なのですが、混同、誤解されていることが多く、これについてはウィキペディアの「地球平面説という神話」という項目に詳しい説明があります。「地球は丸くて動いている」と一言で云いますが、「丸い」と「動いている」は、一体の概念では無いということです。

天動説は、宇宙の中心が地球にあるとする考え、地動説は中心が太陽にあるとする考えです。しかし現代の常識で云えば、宇宙の中心は地球でも太陽でもありません。そもそも宇宙に中心など無いわけで、逆に云えば、宇宙の中心は何処でも良いということになります。地動説も天動説も、地球から見た天体の運行を説明するためのモデルであって、問われているのは、どちらが簡潔で合理的かということに過ぎません。

太陽が東から昇って西に沈むことは、地球が自転していると考えても、太陽が動いていると考えても説明はできます。地球の方が動いているとするアイデアは古くからあって、紀元前3世紀、古代ギリシャの「アリスタルコス」は、太陽が中心にあり、5つの惑星がその周りを公転していること、地球が自転していることなど、現代の地動説にかなり近い概念を持っていたそうです。しかし、天体の運動に関する知見が多くない当時は、そのような複雑な概念は必要とはされず、天が動いていると考える方が簡潔で分かりやすいものでした。

やがて、惑星の運動が詳しく観察されるようになると、単純な天動説では説明しきれなくなりました。紀元2世紀、ギリシャの「プトレマイオス」は、周転円を導入した新しい天動説を発表します。これは、論理的数学的に構築されていて、惑星の複雑な運動を説明できる優れものでした。一方、当時の地動説は、惑星の楕円運動が知られていなかったために不完全で、正確に天体の運行を説明できたのはプトレマイオスの天動説でした。この理論は、その後の千数百年間にわたってヨーロッパの宇宙観になります。

16世紀になると、惑星の逆行現象を説明するモデルとして、地動説を採用する学者が登場します。その代表が、有名な「コペルニクス」で、彼は「天球の回転について」という本で「数学的考察」として地動説を紹介しました。これが真実だ、と断言すると差し障りがありますから、あくまでも、数学的にはこういう考えも成り立ちますよ、って云い方ですね。

17世紀になると、望遠鏡の発明により、金星が月と同じように満ち欠けしていることが発見されたり、火星の軌道が精密に観測されるようになります。ガリレオやケプラーにより、地動説の優位は揺るぎないものとなり、ニュートンの登場によって完成するのです。

天動説と地動説の論争は、宗教と科学の対立のようにイメージされていますが、地動説を支持していた人々の多くは聖職者でもありました。地動説を唱えて火刑になったとされる「ブルーノ」の事件を、光雅氏は「迷信が科学を弾圧した悲しい事件」と述べていますが、天動説=迷信ではありませんし、ブルーノは科学者ではありませんでした。今日では、宗教改革派と反宗教改革派の対立によるものと考える説が有力のようです。

一方、地球球体説の登場は古く、紀元前4世紀の古代ギリシャでは、既に、大地は球形をしていると考えられていました。また、紀元前3世紀には、ギリシャ人の「エラトステネス」が、地球の大きさを夏至の太陽高度を利用して測定し、実際の値に近い数値を得ていたと云われています。

紀元2世紀に天動説を提唱した「プトレマイオス」は、世界地図も作っていますが、これは世界で初めて経緯線を用いたもので、彼は地球が球体であることを理解していました。プトレマイオスの天動説は、球体の地球が宇宙空間に浮かび、その周りを天体が運動しているというものでした。つまり、天動説を信じる者は地球が平面だと考えていた、という捉え方は間違っていることになります。

物語の最後の場面は、マゼラン艦隊の出航です。人々は、神の加護を祈りながら艦隊を見送ります。

16世紀初め、マゼラン艦隊は世界一周を成し遂げますが、この頃は地球が球体であることは紛れもない事実とされていました。マゼランの航海によって地球が丸いことが「証明」されたかのように語られることがありますが、彼の功績は、地球が丸いことを「利用」して、西回りルートでアジアに到着したこと、太平洋が想像以上に広い、つまり、地球は思っていたより大きいことを示したことにあります。

後書きを読むと、著者の安野光雅さんは、全てを理解してこの本を書いていたようですが、読者は誤解してしまうかも、と思われる記述がいくつかあります。最大の問題点は、描かれている場面の順番が、実際の歴史年表と一致していないことでしょうか。

マゼラン艦隊が世界周航を達成したのは1522年ですから、コペルニクスが地動説の本を出版する20年以上も前のことであり、ガリレオの宗教裁判(1632年)は、ビクトリア号の帰航から100年以上も後のことです。ガリレオの時代に地球が平面であると考えていたヨーロッパ人が(少なくとも知識階級に)いたとは思えません。

人類の世界観は、中世のヨーロッパに於いて、地球平面説から球体説へ、天動説から地動説へと変化していきました。その認識はコペルニクス的転回と云われるような劇的なものではなく、長い年月を掛けて、徐々に変わっていったものに思います。地球は「平らで動かない」ものから「丸くて動く」ものへと変わりましたが、中世ヨーロッパでは、この絵本では描かれていない「丸くて動かない」という認識が、長く続いていたのです。

また、地球平面説神話が広がったのは、近代の優位性を強調するために、意図的に、中世を無知で暗黒の時代とした結果と考えられます。安野光雅氏が主張されているように、中世の人たちを蔑むことは間違っています。かといって、憐れむのも正しいことではないと思います。

日本では、16世紀後半に宣教師によって地球儀が持ち込まれ、球体説が知られるようになりました。仏教的世界観で生活していた日本では、地球は平面であるという概念が長らく支配していましたが、18世紀頃になると、日本の知識階級の多くは、地球が球体であることを理解していたようです。

今からちょうど二百年前、「伊能忠高」は精密な日本地図を作成しました。彼が測量を始めた理由は、地球の正確な大きさを測りたいという科学的興味によるものでした。彼は 蝦夷地までの測量をもとに地球の外周(子午線の周囲)を39,960kmと計算しました。現代の測定値は40,007.88kmだそうですから、誤差は約0.1%となります。

で、測量を終えた「伊能忠敬」ですが、彼は、完成した地図を繋げるための修正に忙殺されることになります。彼が測定したのは球体である地球です。それを地図という平面に描くためには、測定値を補正する面倒な計算が必要でした。地球が球体であることを理解し、その大きさを測定しようとした忠高が、球面補正の重要性に気付かなかったというのは、何とも皮肉なことに思います。(補正を必要とするほど精密だってことだけど)

2021年1月17日日曜日

タイゼンジジャクな「黒島結菜」が、髪を切った本当の理由(妄想)

 女優「森七菜」さんの事務所移籍が、ネットで話題になっている。それだけだったら、ここで取り上げることもないんだけど、移籍先が「黒島結菜」さんも所属する「ソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)」だと云うではないか。

ネットニュースの見出しは、「森七菜が、二階堂ふみの所属するSMAに移籍。事務所トラブルか?!」みたいな感じだ。森さんの移籍はSNSで炎上してるほどの悪い話には思えないし、二階堂ふみさんがSMAの代表的女優であることに異論も無い。別の見出しには「二階堂ふみや土屋太鳳が所属するSMAに」とあった。なるほど。他には「・・・歌手のLiSAも所属」音楽系が元々ですからね。それから「SMAはソニーグループに属する大手芸能事務所の1つで、女優では二階堂ふみ、土屋太鳳、橋本愛、倉科カナなどが所属」・・・?

黒島結菜は何処いった!

何という存在感の無さだ。世間の知名度は【 二階堂ふみ>土屋太鳳>橋本愛>倉科カナ>>>>黒島結菜>富山えり子】ってことなのか。

で、その知名度の乏しい「黒島」さんだけど、髪の毛を切ったようだ。聞くところによると「ショートボブ(前髪無し)」って云う髪型らしい。女優のヘアスタイルというのは、車のモデルチェンジと同じ。ファンにとっても一大事な出来事だと思うんだが、この件については、マネージャーさんが、インスタストーリーでサラッと触れただけだった。

黒島さんのインスタは、芸術写真家「黒島結菜」の世界になってるから、マネさんのインスタはファンにとって大切な情報源だ。黒島さんのフォロワー22万6千に対して、マネさんは8万1千。そのうち逆転するだろう。

黒島さんの髪の毛は、「時をかける少女」の頃が一番短くって、それから伸ばしたり切ったりしていたが、ここ2,3年でかなり伸びていた。それが、バッサリと切って、一番短かった頃に戻ってしまったのだ。理由はなんだろう。って云うか、伸ばしていた理由だって知らない。何のために伸ばしていて、何のために切ったのか全く分からない。何か目的があったけど、それがボツになったので切ったのだろうか。

女優が髪を切る一番の理由は、映画やドラマの役作りらしい。普通に考えれば、4月期から始まるドラマの撮影に入っていて、そのために髪を切ったということだろうけど、そんな話は聞いてない。単なる、心境の変化ってこと。

黒島結菜さんは、髪の毛が長くても短くても美人で可愛い女優さんだけど、ショートのイメージの方が強い。閻魔堂沙羅でバドミントン選手を演じた時も、ショートの方が良かったと思うが、まあ、あの時はあの時で、伸ばしていた理由があったんだろう。

で、髪を切った黒島さんの最初のお仕事は、沖縄ローカルでの新春インタビューだった。沖縄限定の番組だから僕らは見られなかったのだが、ファンの方のご厚意(?)で視聴させていただくことができた。まだYouTubeに残っていると思う。                                  

話の中身は「いつ辞めてもいいと思ってる」とか平気で云っちゃう、いつもの黒島節だった。それって、ファンの多くが危惧していることであって、もし、結婚したり子供ができたりしたら、本当にスパッと辞めちゃいそうな気がする。それから、今年は自分自身も変わる年だとか、一緒に頑張っていきたいとも云っていた。意味なく云っただけかもしれないけど、髪をバッサリ切って「今年は私自身が変わる年」なんて云われると、何かの匂わせかと勘ぐってしまう。喜んでくれる人がいるから続けられると、ファンへの脅迫も忘れていないようだ。

インタビューしたアナウンサーさんは、彼女のことを「タイゼンジジャク」と評した。「泰然自若」とは、何事にも動じず自分を失うことのない落ち着いた態度ってことだ。褒め言葉には違いないが、23才の女の子に使うのは珍しい。

彼女がオーデションで仕事がとれなかった理由も、そこにあるように思えてならない。彼女がオーティションで勝ち取った仕事は、デビュー間もない頃のNTTdocomoのCMと、映画「カツベン」の梅子役くらい。しかも、梅子役については、周防監督が「自信の無さそうなところが良かった」と云ってたから、勝ち獲ったとは言い難い。

森七菜さんは、弱小芸能事務所の所属であったが、オーディションを勝ち抜きまくって仕事を獲りまくり、ブレイクにつながったと聞いた。ネット情報によると、七菜さんをスカウトした社長さんが亡くなった後は、母親がマネージャー代わりとなり、二人三脚で芸能界を生き抜いてきたらしい。彼女が売れてきて、母娘だけではいろいろと不都合だろうから、SMAがサポートすることになったのだろう。先日、日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞した時に、彼女は、喜びを一番に母親に伝えたいと答えたそうだが、彼女にとっての母親とは、事務所の社長であり、マネージャーなのだ。

黒島さんのご家族は、「ダメになったらいつでも沖縄に帰っておいで」というスタンスだそうだから、黒島さんと森さんは何から何まで対照的だ。彼女を見習って欲しいとは全然思わないけど、黒島さんも少しは刺激を受け・・・無いか。まあ、その「泰然自若」?としたところが、女優「黒島結菜」の魅力なわけだし。

黒島さんは事ある毎に「目の前の仕事を一つ一つちゃんとやることを大切にしている」と語っていて、それは今回も同じだった。実は、目の前に仕事が常に有るということが凄いのであって、それが、プロの証でもある。その仕事は、十代の頃は事務所の力で得たモノかもしれないけど、二十代になってからのそれは、築いてきた人脈で得たものだろう。地味で目立たない仕事も多いけど、真摯な態度は伝わってくる。

黒島さんの今後の予定だけど、2月にEテレ、3月にはネット配信のドラマがあるそうだ。それらは昨年に収録されたものだから、その次のお仕事を見れば、泰然自若な黒島さんが髪を切った理由が分かるかもしれない。僕は・・・役作りとは関係ない方に一票。

で、真面目な話。切った髪の毛ってどうしたんだろう。30cmはあったと思うけど。

2021年1月10日日曜日

「紀平梨花」選手が4回転トゥループに挑戦!だって?

 年末に開催された全日本選手権。エキシビションは、昨年の四大陸選手権と同じ「2002 by Anne-Marie」だった。ラストで3連続の2アクセルを披露して喝采を浴びたようだが、動画を見ると、昨年の四大陸より抑え気味の演技に思えた。自由に滑れるエキシビションというのは、選手の調子のバロメーターだから、体調は絶好調ではなかったようだ。やっぱりルッツを回避したのが気になる。

名古屋フィギュアスケートフェスティバルに出演した後は、スイスに戻るとあった。

その名古屋のアイスショーでは、全日本を欠場した「本田真凜」さんが出ていた。動画を見る限り元気そうで何よりである。楽しそうに滑っているのを見ていたら、このままプロに転向した方が良いんじゃないかって思った。知名度は抜群で、可愛いし、表現力はあるし、アイスショーだったら回転不足がどうとか煩いこと言われることも無いし・・・。

で、先日、紀平梨花選手(梨花ちゃん)のインタビュー記事が出ていた。それによると、梨花ちゃんは、「北京オリンピックの金メダルへの決意として、4回転トゥループに挑戦」するのだそうだ。全日本選手権で、会心の4サルコウを跳んだことを受けての発言らしい。インタビューと云うのは、いろんなことを聞いていて、その中で記事になりそうなモノをピックアップしているのだろうから、これも、いろいろ話したことの1つなんだと思う。

梨花ちゃんは、インタビューで「トーループは3回転を(ステファン・ランビエル氏のもとで)一から教わり、型にはまったものができてきた。きれいな3回転ができれば4回転もできる」と答えたらしい。やっぱり、北京に向けて4トゥループに挑戦するなんて云ってないじゃないか。云っていることは「4トゥループの練習もしようかなぁ」ってことであって、練習するだけだったら皆している。それを試合に取り入れるかどうかは、全然別の問題だ。

梨花ちゃんの国際試合での戦い方は、SPで3アクセルを成功させての先行逃げ切りしかない。そのためには、兎に角、3アクセルを安定させることに尽きる。2年前みたいに、SPでミスってもフリーで逆転なんてことは、ロシアの女の子たちがクワドを跳びはじめて完全になくなった。だから、羽生選手みたいに「3アクセルだったら考え事をしながらでも跳べる」くらいの境地まで高めることが大切なんだと思う。

でも、トゥループを見直したってのは、本当なんだろう。昨シーズン、梨花ちゃんは、4サルコウに挑戦する前段階として、3サルコウのフォームを変更した。それまでは、両足をハの字にして、安定重視の跳び方だったのを、右足を前に出して回転重視の跳び方に変えたのである。フォームの変更は、あっという間だった。僕は、ジャンプのフォームというのは、体に染みついているモノで、そう簡単には、変えられないと思っていたのでビックリした。まあ、それだけ、梨花ちゃんの身体能力が高いということなんだろう。トゥループは単独で跳ぶことは無いジャンプだけど、どんなフォームなのか、次の試合での楽しみが1つ増えた。

4トゥループは、踏み切りの時に体を180度ねじっているので、空中では、体を3回転半(足は4回転だけど)すれば良い。だから、6種類のジャンプの中では最も難易度が低いとされている。とはいえ、クワド(4回転)ジャンプというのは、技術的にも身体的にもリスクが大きいから、試合に取り入れるのは、そんなに簡単ではないと思う。

勝負となるフリー演技は、4サルコウ1本と3アクセル2本、あるいは、4サルコウ2本と3アクセル1本の構成になるだろう。それでダメなら致し方ない。メディアや世間は期待しているだろうけど、3アクセルと基礎点で1.5点しか違わない4トゥループを、構成に入れる可能性は小さいと思う。

昨シーズンの梨花ちゃんは、クワドを跳ぼうとしなかった。消極的な態度に思えたけど、負けず嫌いであるが故の選択とも云えよう。彼女にとってベストを尽くすとは、一か八かの勝負に挑むことではなく、ノーミスで演技をすることと考える。それが、僕のイメージしている梨花ちゃんだ。

ロシア選手権では、アンナ・シェルバコワ選手(アーニャ)が、4ルッツと4フリップという高難度のジャンプを成功させて優勝した。アーニャと梨花ちゃんとの対決を煽る報道もあるみたいだ。

アーニャについては、コロナに感染したことを伏せたり、選手権で発熱があるのに出場したことが問題になっている。アンチは、盛んにプレ・ローテーションのことを指摘しているし、良い話が伝わってこない。アーニャに課せられ使命は、祖国ロシアのために北京オリンピックで金メダルを獲ること。僕には、彼女が、大人たちに使い捨てにされるような気がしてならない。

次の大会は、3月に開催される世界選手権だけど、5月頃に延期される可能性も大きいようだ。北京オリンピックの出場枠を決める大会なので、代替地になっても、無観客でも、延期してでもやるんだろう。ロシアの女の子たちとの直接対決は、楽しみでしょうがない。それまでは、冬眠の期間になりそうだ。

2021年1月6日水曜日

YOASOBI「夜に駆ける」 ~2020の大ヒット曲が、ボカロの歌ってみた動画に思えるんだが~

NHK紅白歌合戦を(半分居眠りしながら)今年も見た。出演者とかノーチェックだったし、特別にお目当ての歌手がいるわけでは無いんだけど、YOASOBIが出てきた時は、おやっと思った。ラジオとかで歌は聴いたことがあったけど、歌っている姿を見るのは初めてだったからだ。そしたら、紅白がテレビ初出演だったらしい。一昨年の「米津玄師」さんもそうだったし、何だかんだ云ってもNHK紅白って凄いんだなって思う。

この曲、聴いた瞬間に「ボカロじゃん」って思った。で、調べてみたら楽曲制作(コンポーザーって云うらしい)を担当している「Ayase」君は、ボカロPでもあることが分かった。ピアノの腕前も凄いらしい。ボカロPっていうと、歌えない、演奏できない、容姿に自信が無い、だからコンピュータに頼るみたいなイメージがあったのだが、それは違っていたようだ。今ではボーカロイドは特別なものでは無く、数ある音楽ツールの1つで、そこにあるから使っているってことなんだろう。

ボカロPと云えば「米津玄師」さんもそうだ(そうだった)。彼はボカロP「ハチ」と、本名の「米津玄師」の時とでは、楽曲のイメージに違いを持たせている。だけど、「Ayase」君は、そのまんまって感じだ。

ボーカルの「幾田りら(ikura)」さんは、現役の大学生シンガーとのことだ。音楽一家に育って、子どもの頃から歌手になるための活動をしていたらしい。驚いたのは、彼女が「音楽チャンプ」に出演していたってこと。 2018年2月放送の第4回大会とあるから、丸山純奈さん(すーちゃん)が準レギュラーみたいに出ていた頃で、「琴音」さんがチャンピオンになった回である。「東京の24時間音楽漬け女子高生」というキャッチフレーズで挑戦したが、カラオケ92.219点+審査員72点で一回戦敗退とあった・・・覚えてない(見てないかも)。けど、その時の子が、3年後に紅白歌合戦に出演するなんて、誰が予想しただろう。

NHK紅白のハイライト動画である。

リンク。

NHK紅白 YOASOBI 夜に駆ける

たった1曲のために、これだけの手間をかけるなんて、さすが紅白。高い受信料払っているんだから見ないと損と云うものだ。(お金かけずに受信料安くするって選択肢もあるけど)

中継地は「角川武蔵野ミュージアム」って場所らしい。米津氏が中継に使った「大塚国際美術館」ほどのインパクトは無いが、ここも聖地となって、たくさんの来館者が訪れるようになるのだろう。

YOASOBI「夜に駆ける」の Official Music Videoである。1億3千万回以上も再生されているんだけど、ボカロの歌ってみた動画とどこが違うのか、おじさんには全く分からない。聴けば聴くほどボカロである。3,4年前だったら、MMD艦これ動画とかが盛んに投稿されていたと思う。

「夜に駆ける」は、YouTubeで公開されて、TikTokによって拡散したらしい。その過程で、歌ってみた動画や、踊ってみた動画、演奏してみた動画が盛んに投稿されて・・・ってことなんだけど、これって、ボカロの世界では、十数年前からやってきたことじゃないか。違いがあるとすれば、ニコニコ動画がTikTokに変わったってことか。             

ボカロがオワコン化(時代遅れのコンテンツって意味らしい)してしまった理由については、多くのネット民が分析している。それによるとニコニコ動画でわいわいコメント付けて盛り上がっていた同人的活動から、クオリティーの高いMVをYouTubeで視聴者として見るようになったのが、最大の要因とされている。だんだんと商業化、プロ化していくにつれて、作り手と聴き手が完全に分離してしまったことが原因らしい。

TikTokの活動の中心は中高生らしい。おじさんからすると「あれの何処が面白いんだ」ってところなんだが、誰でも遠慮無く、気軽に悪ふざけ・・・投稿できるってのが人気の秘密のようだ。見るよりも投稿するモノ。ニコ動が失ってしまった熱気と寛容さが、TikTokにはある。

「夜に駆ける」が何故ヒットしたのかという分析も、ネットに溢れている。TikTokでバズった(注目されて盛り上がっていると云う意味らしい)のがきっかけだったようだが、面白かったのは、人工知能によってパーソナライズされたコンテンツフィードの表示が、要因の1つにあげられていたことだ。(こんな動画を喜んで見ている君にお似合いのコンテンツはこれかなって表示されるあれ)AIがお勧め動画を選ぶなんて大きなお世話だが、お勧めがお勧めを呼ぶかたちになって、再生数がドーピングされていったらしい。

YouTubeには、プロ・アマの歌ってみた動画が氾濫してる。どれも、さすがな歌唱ばかりだ。で、聴いているうちに、何だか自分でも歌いたくなってきた。これが、この曲の最大の魅力なんだろう。楽曲のレベルが、歌うのも、踊るのも、演奏するのも、簡単ではないけど、凄く頑張ればできそうって感じ、ピアノの心得があればあったで、弾いてみたくなるんだろう。

で、そんなタイミングで投稿されたのが、この一発録りの生歌動画だ。幾田りらさんが、可愛くって素敵なお嬢さんだったのでびっくりした。ここでは曲のテンポがゆっくりになっていて、ボカロ曲っぽさが薄められている。多分、このテンポが彼女の歌いたい速さなんだろう。

YouTubeには「幾田りら」さんが歌っている動画がたくさんある。彼女の歌唱の特徴は、声質に100%依存したストレートな歌声。抜群に凄い歌唱力ってわけではないけれど、シンガーソングライター「幾田りら」の方が、聴き手に寄り添う彼女の良さが、より出ていると思った。

「夜に駆ける」の歌ってみた動画の中では、本家の彼女の歌唱が一番素直で普通っぽく聞こえる。「夜に駆ける」のデモ音源は初音ミクで作られていたそうだ。YOASOBIでの歌唱はボーカロイドに寄せているって云うか、透けて見える感じがした。MVがボカロの歌ってみた動画っぽく思えたのは、歌い手の感情を聴き手に押しつけない、つまり透明な歌唱によるものだったのか。

そういう意味では、丸山純奈さん(すーちゃん)との共通点も感じる。すーちゃんの方が、もう少し質感があるんだけど、演歌っぽくなる発声なんかも似ているし、何だか3つ年上のお姉さんみたいに思えてきた。

楽曲に自分のカラーを塗りたくらない。こういう歌い方をする子って、絶対、素直で優しい性格だと思う。シンガーソングライター「幾田りら」さんの活躍が楽しみだ。もちろん、ボカロの歌い手さんとしても・・・違うか。

では、お終いにボーカロイドカバーを。初音ミクがikuraさんよりも上手く歌えるわけは無いが、僕的には、こっちが本家に思えたりして・・・w


打ち込み伴奏は、オリジナルよりも聞きやすいかな。

2021年1月1日金曜日

黒島結菜:NHKミニドラマ「悲熊」~社会的弱者に癒やされる不思議の国の物語~

NHKの番組紹介サイトからです。

SNS上で公開され大人気の4コマ漫画「悲熊(ひぐま)」をドラマ化。ドラマの舞台は人間と熊が共存する世界。主人公の子熊は両親を亡くし兄ともはぐれ、幼い身でありながら水産加工工場で働き自活しています。子熊を演じるのは、ジャニーズWESTの重岡大毅さん。誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い、それでも前向きに生きる子熊の姿にキュンとなる。いろいろあった2020年のしめくくり、「悲熊」で癒やされてください!!

「黒島結菜」さんは、そんな「悲熊」を気に掛ける優しい女子大生「栗林」さんを演じている。ヒロインってことなんだけど、お相手は着ぐるみの熊だ。主演(なかのひと)の「重岡大毅」君は、「教場Ⅱ」で伊藤健太郎君の代役にも抜擢されたジャニーズタレントで、黒島さんとは「ごめんね青春」以来の共演らしい。

第9話では「正名僕蔵」さんがゲスト出演していた。今回は落ちぶれたサラリーマンの役で、これもハマリ役の1つだ。最近も「ホテルローヤル」とか、たくさんの作品に出演されているけれど、出演作をNHKのオンデマンドで検索しても、もう「アシガール」は出てこない・・・悲しい。

1話が5分のミニドラマで、全10話の構成。黒島さんが出演したのは、そのうちの半分くらい。閻魔堂沙羅のときは前髪があった黒島さんだが、このドラマでは、髪の毛をアップしていた。

NHK大阪放送局制作とのことだが、ロケ地が静岡県沼津市の千本浜公園だったりしている。こんな近くでロケをしていたなんて知らなかった。沼津は黒島さんが主演した「時をかける少女2016」のロケ地でもあって、狩野川に架かる「永代橋」とか、千本浜の海とか、同じ場所が出てくる。黒島さんは、4年前のロケ地のことなんて、覚えちゃいないのかなぁ・・・悲しい。

それにしても、このドラマ、どのくらいの人が見たんだろう。視聴率なんて計測不能だと思うけど、放送中はツイッターで「#ミニ悲熊」がトレンド入りしたとのことで、ジャニーズファンの結束力には恐れ入るばかりである。1月9日(土)には、第1話から5話までを再放送するらしいから、それなりに評判は良かったのかもしれない。

全10話の中で、面白かったのは自局番組の「ダーウィンが来た」をパロった第5話「悲熊は密着される」、良かったのは山道に迷った少年との交流を描いた第6話「悲熊は迷子と出会う」だ。

第5話に登場した、お湯にルーを溶かしただけの具無しカレーは、衝撃的に悲しかった。でも、ルーの味がよく分かって、案外美味しいかも知れない。カツカレーとかだと具がじゃまになるときがあるから、今度試してみようかと思う。そういえばCoCo壱番屋のカレーもそんな感じだったような・・・。

番組の紹介に「誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い」とある。確かに、朝ご飯の時に炊飯器のスイッチを入れ忘れてたり、缶詰のプルタブがとれたりとかは、クスッと笑える悲しいことなんだけど、生き別れた兄が、成金社長のリビングの敷物にされているのは、笑って済む話では無い。

つまり、このドラマ、普通に見ている分には、着ぐるみ姿の重岡君が、健気で可愛いだけの癒やし系ドラマなんだけど、描かれている内容には、結構奥深いモノがあるのだ。

この物語の舞台は、人間と熊が共生する社会である。熊たちは、水産会社に雇われて、鮭漁をすることで生計を立てている。熊税を納める義務を負い、未納者には税務署から督促状が送られてくる。不動産物件では「熊不可」などの差別を受けることがあるが、回転寿司屋やハンバーガーショップでは客として扱われるし、水産会社の食堂では人間と一緒に弁当を使っているから、完全な隔離政策がとられているわけではないようだ。


ところが、熊たちには選挙権が無い。労働賃金も低く抑えられているため生活も貧しい。さらに、「熊狩権三」なる猟師に命まで狙われている。つまり、参政権はおろか、生存権までも保証されていないのである。

公園のゴミ箱を漁ってたという理由で(本当は空き缶を分別していたのだが)、保健所に捕獲され殺処分の対象になるなんて、ナチス政権下のユダヤ人もビックリな迫害である。ところが物語は、親切な栗林さんに助けてもらえて良かったね、という展開になっている。殺されそうになったのは、熊だから仕方が無いという話なのだ。

この物語の舞台は、人間と熊が共生している世界なはずだ。熊たちは社会的マイノリティーであり、生活弱者であるけど、野良猫や野良犬ではない。なのに、全ての差別や迫害が、「熊だから仕方が無い」ということで済まされているのだ。

米国だったら、不当な差別に対して訴訟を起こしたり、「熊にも権利を」とデモ行進をするんだろうけど、日本は、此手の問題に関しては、鈍感でいられる国に思う。「悲熊で癒やされてください!」と言い切ってしまうNHKに対しても、違和感を持つ人の方が少ないだろう。社会的弱者の困窮を仕方が無いこととし、健気に生きることを期待する不思議の国がそこにある。

社会的弱者が主人公のドラマが、癒やし系として成立しているのは、栗林さんを初め、登場人物が良い人ばかりで、悲熊に救いの手を差し伸べているからに他ならない。「熊さん良かったね」というオチがあればこそなのである。

第5話で「ドリじい」は「悲しさの数の分だけ幸を知る」と詠んだ。悲熊は、理不尽な世の中に悲しむことはあっても、恨んではいない。悲熊が愛される理由はそこにある。恨みを救うことは難しいが、悲しみを癒やすことならば誰にでもできるからだ。熊に参政権を与える政治活動はできなくとも、投票気分を味わわせてあげることはできる。たとえそれが、その場凌ぎで根本的な解決ではなくとも、幸を分かち合うことで人も熊も癒やされるのだ。

栗林さんのように行動する自信はないけれど、気に掛けることぐらいはできるような気がする。僕の周りにもいるであろう「悲熊」のために。