NHKの番組紹介サイトからです。
SNS上で公開され大人気の4コマ漫画「悲熊(ひぐま)」をドラマ化。ドラマの舞台は人間と熊が共存する世界。主人公の子熊は両親を亡くし兄ともはぐれ、幼い身でありながら水産加工工場で働き自活しています。子熊を演じるのは、ジャニーズWESTの重岡大毅さん。誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い、それでも前向きに生きる子熊の姿にキュンとなる。いろいろあった2020年のしめくくり、「悲熊」で癒やされてください!!
「黒島結菜」さんは、そんな「悲熊」を気に掛ける優しい女子大生「栗林」さんを演じている。ヒロインってことなんだけど、お相手は着ぐるみの熊だ。主演(なかのひと)の「重岡大毅」君は、「教場Ⅱ」で伊藤健太郎君の代役にも抜擢されたジャニーズタレントで、黒島さんとは「ごめんね青春」以来の共演らしい。
第9話では「正名僕蔵」さんがゲスト出演していた。今回は落ちぶれたサラリーマンの役で、これもハマリ役の1つだ。最近も「ホテルローヤル」とか、たくさんの作品に出演されているけれど、出演作をNHKのオンデマンドで検索しても、もう「アシガール」は出てこない・・・悲しい。
1話が5分のミニドラマで、全10話の構成。黒島さんが出演したのは、そのうちの半分くらい。閻魔堂沙羅のときは前髪があった黒島さんだが、このドラマでは、髪の毛をアップしていた。
NHK大阪放送局制作とのことだが、ロケ地が静岡県沼津市の千本浜公園だったりしている。こんな近くでロケをしていたなんて知らなかった。沼津は黒島さんが主演した「時をかける少女2016」のロケ地でもあって、狩野川に架かる「永代橋」とか、千本浜の海とか、同じ場所が出てくる。黒島さんは、4年前のロケ地のことなんて、覚えちゃいないのかなぁ・・・悲しい。
それにしても、このドラマ、どのくらいの人が見たんだろう。視聴率なんて計測不能だと思うけど、放送中はツイッターで「#ミニ悲熊」がトレンド入りしたとのことで、ジャニーズファンの結束力には恐れ入るばかりである。1月9日(土)には、第1話から5話までを再放送するらしいから、それなりに評判は良かったのかもしれない。
全10話の中で、面白かったのは自局番組の「ダーウィンが来た」をパロった第5話「悲熊は密着される」、良かったのは山道に迷った少年との交流を描いた第6話「悲熊は迷子と出会う」だ。
第5話に登場した、お湯にルーを溶かしただけの具無しカレーは、衝撃的に悲しかった。でも、ルーの味がよく分かって、案外美味しいかも知れない。カツカレーとかだと具がじゃまになるときがあるから、今度試してみようかと思う。そういえばCoCo壱番屋のカレーもそんな感じだったような・・・。
番組の紹介に「誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い」とある。確かに、朝ご飯の時に炊飯器のスイッチを入れ忘れてたり、缶詰のプルタブがとれたりとかは、クスッと笑える悲しいことなんだけど、生き別れた兄が、成金社長のリビングの敷物にされているのは、笑って済む話では無い。
つまり、このドラマ、普通に見ている分には、着ぐるみ姿の重岡君が、健気で可愛いだけの癒やし系ドラマなんだけど、描かれている内容には、結構奥深いモノがあるのだ。
この物語の舞台は、人間と熊が共生する社会である。熊たちは、水産会社に雇われて、鮭漁をすることで生計を立てている。熊税を納める義務を負い、未納者には税務署から督促状が送られてくる。不動産物件では「熊不可」などの差別を受けることがあるが、回転寿司屋やハンバーガーショップでは客として扱われるし、水産会社の食堂では人間と一緒に弁当を使っているから、完全な隔離政策がとられているわけではないようだ。
ところが、熊たちには選挙権が無い。労働賃金も低く抑えられているため生活も貧しい。さらに、「熊狩権三」なる猟師に命まで狙われている。つまり、参政権はおろか、生存権までも保証されていないのである。
公園のゴミ箱を漁ってたという理由で(本当は空き缶を分別していたのだが)、保健所に捕獲され殺処分の対象になるなんて、ナチス政権下のユダヤ人もビックリな迫害である。ところが物語は、親切な栗林さんに助けてもらえて良かったね、という展開になっている。殺されそうになったのは、熊だから仕方が無いという話なのだ。
この物語の舞台は、人間と熊が共生している世界なはずだ。熊たちは社会的マイノリティーであり、生活弱者であるけど、野良猫や野良犬ではない。なのに、全ての差別や迫害が、「熊だから仕方が無い」ということで済まされているのだ。
米国だったら、不当な差別に対して訴訟を起こしたり、「熊にも権利を」とデモ行進をするんだろうけど、日本は、此手の問題に関しては、鈍感でいられる国に思う。「悲熊で癒やされてください!」と言い切ってしまうNHKに対しても、違和感を持つ人の方が少ないだろう。社会的弱者の困窮を仕方が無いこととし、健気に生きることを期待する不思議の国がそこにある。
社会的弱者が主人公のドラマが、癒やし系として成立しているのは、栗林さんを初め、登場人物が良い人ばかりで、悲熊に救いの手を差し伸べているからに他ならない。「熊さん良かったね」というオチがあればこそなのである。
第5話で「ドリじい」は「悲しさの数の分だけ幸を知る」と詠んだ。悲熊は、理不尽な世の中に悲しむことはあっても、恨んではいない。悲熊が愛される理由はそこにある。恨みを救うことは難しいが、悲しみを癒やすことならば誰にでもできるからだ。熊に参政権を与える政治活動はできなくとも、投票気分を味わわせてあげることはできる。たとえそれが、その場凌ぎで根本的な解決ではなくとも、幸を分かち合うことで人も熊も癒やされるのだ。
栗林さんのように行動する自信はないけれど、気に掛けることぐらいはできるような気がする。僕の周りにもいるであろう「悲熊」のために。
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