2019年10月27日日曜日

「紀平梨花」グランプリシリーズ・カナダ大会 ~ルッツ封印での230点越えに進化を実感~

グランプリシリーズ第2戦カナダ大会が終わりました。新鮮な気持ちで応援できるよう、ニュース速報を見ないよう心がけておりました。昨日のショートプログラムは大丈夫でしたけど、今日のフリーはダメでした。って、テレビ朝日さん。自分のところで放送する試合の結果を、朝の情報番組で言っちゃうなんて・・・そりゃ無いでしょう。
ネット動画で見てしまいましたから、テレビ放送は、どうしようかな。

で、まずは、トゥルソワ選手のフリー世界新の演技。冒頭の4Sで転倒しているのに、その影響を微塵も感じさせず、技術点は100点越え。転んでもぶっちぎりで優勝は、まるで絶頂期の羽生結弦選手状態。構成も羽生選手に迫る勢いです。


特筆すべきは、基礎点が1.1倍になるラスト3本のジャンプでしょうか。
⑤4T+1Eu+3S ⑥3Lz+3Lo  ⑦3Lz 
4回転を含む3連続ジャンプを演技後半に持ってくるなんて、男子でも羽生選手くらいのものですからね。演技がジャンプに偏重しているとか、プレローテーションがどうとか云われてますけど、ルールに則ってるわけですし、それだけの努力もしているんですから、絶賛するしかないでしょう。

さて、紀平梨花選手の演技を振り返ってみましょう。

まずは、ショートプログラム。ここでの特筆すべきは、キスクラで濱田コーチが抱えている「鶏」でしょうか。ネットでも話題になったニワトリは、5分52秒から出てきます。


キスクラって、テレビにバッチリ映りますから、女性コーチたちは、かなり意識しているみたいで、時には、どっちが主役?みたいな映像も出てきます。でも、なんでニワトリ?!

ルッツを封印して、へんてこりんな楽曲を使っての80点越えは、素晴らしいの一言。ジャパンオープンで手を着いてしまった3本目の3ループも綺麗にきまりましたしね。梨花選手の場合、ループは、両手を上げてタケノコ・ジャンプにした方が安定するようです。GOEはそれほど高く付けて貰えなかったんですけど、良いジャンプだったように思います。
ルッツ封印によって、比較的苦手なループに頼らざるを得なくなったわけですけど、このピンチを乗り越えて、さらに成長することができたようです。

翌日のフリーは、世界新を出したトゥルソワ選手の次の演技となりました。


冒頭の3アクセルがステップアウトしましたけど、次を連続ジャンプにしてリカバリー、あとは安定の演技でしたね。ルッツを封印しても150点近い得点を得られたことは、大きな自信につながったと思います。

ジャンプ構成は次の通り。
①3A ②3A+2T ③3F ④3S ⑤3F+3T ⑥2A+2T+2Lo ⑦3Lo

今度は3アクセルを前の方に集めてきました。左足踏み切りのジャンプが前半、右足踏み切りのジャンプが後半に集まっていて、全体的には難しい順に跳んだって感じでしょうか。試合ごとに構成をガラガラ変えて、よく対応ができるものです。


字が小さすぎて見えませんですね。失礼しました。

演技構成点では、採点がかなりバラついたようです。七番ジャッジは日本人なのかなぁ。一番ジャッジは梨花ちゃんに恨みでもあるんでしょうかねぇ。まあ、上下2つをカットして、真ん中の7人の平均が得点になりますから、どうでも良いんですけどね。
こちらもSPと同様に、へんてこりんな楽曲で、ジャッジ泣かせの構成であることは、間違いないようです。これから演技がブラッシュアップされるにつれて、ファンもジャッジも慣れてくのかな。このバラつきが高得点側に収束することを期待しましょう。

今回の演技は、できることを、できる範囲で、最大限できた、という評価のようです。メディアが打倒ロシアとか、4回転がどうだとか騒ぎたてて、目の前でトゥルソワ選手が世界新を出すような情況でも、ブレない演技ができたのは立派。メンタル面でもお姉さんになってきたように思います。梨花ちゃんが紀平選手になる日も近いようです。
                                       
次回は、第6戦NHK杯。ロシアからはコストルナヤ選手とザギトワ選手が参戦とのこと。表現力に定評のある選手たちですし、実力的にも完全に互角ですから、これぞフィギュアスケートという名勝負が期待できそうです。とにかく今は、ルッツの封印が解けるよう願うばかり。4サルコウは、もうちょっと先の楽しみでしょうか。

2019年10月22日火曜日

「紀平梨花」ジャパンOP2019 ~ルッツを封印して迎える試練の開幕~

グランプリシリーズが始まり、フィギュアスケートもシーズン開幕となりました。先週開催された第1戦アメリカ大会では、推しのシェルバコワ選手がフリーで4ルッツ2本を決め160.16点で圧勝、嬉しい限りです。前日のSPでコケちゃいましたけど、そこもまた彼女の可愛いところ。抜群の破壊力とのギャップは梨花ちゃんとも通じるところです。ぜったい性格も良いと思う。遠くから見てただけだけど。


ロシア女子は、国際大会で優勝することよりも、国内大会を勝ち抜く方がよっぽど厳しいですから、応援していきたいと思います。

で、今回は、10月5日にさいたまスーパーアリーナで開催された、ジャパン・オープン2019の話です。テレビ東京でゴールデンタイムに録画放送されたんですけど、あの日は、裏でラグビーの日本VSサモアの試合がありましたので、録画放送の録画視聴になりました。ところが、うっかりとYahooニュースを開いてしまい、トルソワ4回転3種類4本で圧勝という結果を、見る前から知ってしまった次第です。

放送中にチラリと見えたんですけど、アリーナの上の方の観覧席には、お客さんを入れてなかったようですね。それでいて、羽生君が出場すれば満席どころか、チケット大争奪戦が起きるんですから、この極端な情況には困ったものです。

さて、ジャパン・オープンとは、男女2名ずつの団体戦で、フリー演技だけで競技するという大会だったようです。
 
結果は、紀平選手が144.76点で3位、宮原選手が134.94点で4位。シニアデビューのアレクサンドラ・トルソワ選手が3種類4回の4回転を成功させて160.53点という男子もビックリの得点で1位、アリーナ・ザギトワ選手が154.41点で2位となりました。

マスコミは、トルソワ選手の4回転の報道ばかりでしたね。想像以上の安定感で、失敗しそうな雰囲気がまるでありません。これで、ジャッジが演技構成点を盛り始めたら、もう試合になりませんよ。これをきっかけに、ルール改正の動きとか出てくるかも、ってくらいの衝撃でした。

ザギトワ選手のデキも良かったです。シーズンオフなんてアイスショーに出まくって営業三昧だったのに、いつ練習したんでしょうか。それにしても、4回転も3アクセルも跳んで無いのに154点とは凄い。ジャッジの皆さん・・・出来映え点を盛るにも程があります。
でも、自分がデキることを最大限活用して、0.1点でも得点を積み上げていく姿勢はアッパレです。紀平選手がインタビューで、自らの構成を見直していきたいみたいな発言をしたのも、ザキトワ選手に触発されてのことではないでしょうか。


さて、この時の紀平選手のフリー演技のジャンプ構成は、次の通りです。

①3S ②3A ③3F ④3A+2T ⑤3F+3T ⑥2A+2T+2Lo ⑦3Lo(お手つき)

昨シーズンの構成を流用して臨んだオータムクラシックと変えてきました。基本的には、今シーズン用の構成なんですけど、超サプライズがありますですね。

冒頭に予定していた4サルコウが3回転になったのは、或る意味予定通りで、想定の範囲内・・・そんなことより、ルッツを跳ばなかったことですよ。6種類ある3回転ジャンプのうち5種類しか跳びませんから、代わりに2アクセルが入ってきています。6番目の2A+2T+2Loなんて3連続ジャンプ、初めて見ましたよ。

実況も解説も4回転とか3アクセルの話ばかりで、ルッツを跳んでないことに全く触れてないんですよね。視聴者に話しても、どうせ分からないとか思っているのかなぁ。

左足首が痛いのは聞いていましたけど、ルッツを封印せざるを得ないほど状態が悪いとは思いませんでした。ルッツは、アクセルに次いで2番目に高得点のジャンプですから、これでは角落ちで将棋を指しているようなものです。
それにしても、ルッツを封印してジャンプの構成も変えているのに、試合では、ほぼノーミス。この対応力と精神力は素晴らしいと思います。

でも、ルッツを封印するとなると、少なくとも5,6点は得点がダウンしてしまいます。ノーミスで演技したとしてもフリーで150点台、SPで80点台を出すのは、難しくなってしまいました。

先日も、北京オリンピックまでには4回転を入れられるようにしたい、って発言が出てましたけど、北京なんて3年も先の話ですよ。明らかにトーンダウンしています。
まあ、メディアも4回転4回転とうるさいですからね。北京で金メダル取れば文句ないだろって叫びたい心境では無いでしょうか。3ルッツが跳べない状態なのに、4サルコウが跳べるわけ無いし、そもそも、梨花ちゃんに打倒ロシアなんて可愛くない使命を課すこと自体が、間違いなんですから!

同日に行われたエキシビションの演技です。この新しいプログラム良いと思います。前のよりもずっと良いです。


でも、ジャンプは、2アクセルと3サルコウの2本しか飛びませんでした。いつもはエキシビションでも3本入れてくるのに・・・だから、本当に痛いんだなって思います。

今週末は、いよいよグランプリシリーズ第2戦カナダ大会です。不安だらけの開幕となってしまいました。表彰台に乗れるかだって分かりません。昨シーズンのファイナル女王が、ファイナルに出場できないってことだって考えられます。


得意なルッツを封印しての開幕なんて、スポーツ漫画の主人公みたいです。今シーズンが、こんな試練の年になるとは、想像もつきませんでした。でも、笑顔で出てくるんですよね。

今度こそ、Yahooニュースを放送前に開かないようにします。

2019年10月20日日曜日

丸山純奈「ハナミズキ」 ~もっと四国音楽祭2019~ 再編集

10月1日、トライストーンから、丸山純奈さんが「もっと四国音楽祭2019」に出演すると正式に告知されました。合わせて、10月22日に入間市で開催される「1080人で歌おう!~どこから来たの?~」への出演も発表されています。丸山純奈さんは、トライストーン所属のタレントであって、今後の活動については、トライストーンのホームページをチェックしていれば良いと云うわけですね。つまり本物のタレントさんになったということです。


途中で切れてしまい、申し訳ありませんです。

ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)。このアメリカ原産の街路樹は、丈夫で育てやすいこと、樹木としてのまとまりが良いことなどで、最近、あちらこちらで見かけるようになりました。
僕の家の近くにも「花水木」が植えられています。さもない一方通行の道路なんですが片側に2・30本ほどの花水木が街路樹として植えられているんです。普段は地味な街路樹なんですが、春になると、突然、薄紅色というか、限りなく白に近い大きな花を咲かせるので、ああ、花水木だったんだ、なんて思い出すんです。

街に出たときに、写真を撮ってきましたので、丸山純奈さんの素敵な歌に合わせて、スライドショーにしてみました。ちょっと桜とかも混じってますけど・・・w
こちらは、歌は途中では切れませんので。



で、音楽祭のフルテイクは、こちら。YouTubeへのリンクになります。


肝心な、彼女の進化の具合は・・・昨年の「HOME」のデキも良かったですからねぇ。

ただ、彼女がこのステージで「ハナミズキ」をこういう風に歌いたかったんだなってことは、伝わってきました。もっと張り上げることもできたと思うんですけど、そうはしなかった。これまでの彼女は、この歌い方しかできないって歌唱を全力でこなしてきたように思います。もちろん、それはそれで、とっても素敵なことだったんですけど・・・ってことは、進化しているってことなのかな。

出だしこそ、あれって感じを受けましたけど、NHKの歌番組にしては強めのエコーの助けもあって、「天使の歌声」という看板通りの歌唱を披露してくれたように思います。特に、二番のサビが良かったです。彼女の進化をもう一つ感じるとすれば、この部分でしょうか。


松浦亜弥さんのファンになりたての頃、僕は彼女の二番の歌唱を聴くのが好きでした。二番って何処となくアジが有る歌詞が多いし、二番を歌う頃って歌手の気分も乗ってきて、こちらも気持ち良く聴けるからです。松浦亜弥さんは「あやや」と呼ばれていた頃から、二番の歌い方が上手でした。彼女の二番の歌唱は、一番の単純な繰り返しではありませんでした。そして、二番から間奏に入る前のCメロの盛り上げが彼女の真骨頂でした。1回しか歌わないCメロは、歌手の実力が一番分かりやすく現れるところでもあります。

僕が松浦亜弥さんのファンになったのは、彼女が休業寸前の時でした。僕は、14才でデビューした彼女が、如何にして希有なシンガーへと成長していったのかを、ライブDVDやYouTube動画を追うことによって知ろうとしました。それは、とても楽しい作業でしたが、全ては過去の出来事でした。

そんな時、僕は、14才の丸山純奈さんに出会いました。丸山純奈さんの歌に初めて出会ったとき、彼女が二番とそれに続くCメロを、情感を激込みして歌っているのを聴いて嬉しくなりました。何より彼女は、最近の若い子がよくやる巻き舌の英語日本語でなく、普通の日本語で普通に歌っていました。彼女のストレートな歌唱は、感情を込めまくっても決してクドくならず、心の奥に響いてきたんです。

僕は、一人の少女が日本を代表する歌手に成長していく過程を、今度はリアルタイムで実感できるのではないかと思いました。だから、数年は、人前で歌わないと宣言した彼女が、こうやってステージに立ってくれたことをとても嬉しく思います。

「ハナミズキ」は、彼女が歌を始めたばかりの頃、地元のカラオケ大会で歌った曲だと聞きました。その時、優勝できなかったことが、歌に真剣に取り組むきっかけになったそうです。
2016年のライブでこの曲を歌ったとき、お母さんに「上手になったね」と褒めてもらいたくて(セットリストに)入れたと語りました。

今回、彼女が「ハナミズキ」を選曲したのも、きっと家族に聴かせるためだったと思います。上手になった自分を見て欲しかったのだと思います。
これからも、彼女は節目節目で「ハナミズキ」を歌い続けていくような気がします。「上手になったね」と褒めてもらうために。

2019年10月6日日曜日

「星の王子さま」 ~長いプロローグと短い書評~

長いプロローグ 

もう40年以上、50年近く前の話である。家族旅行で「立山黒部アルペンルート」に行った。アルペンルートが全線開通した年か、その次の年くらいの頃である。ちょうどその頃、父の会社に労働組合ができて、社員全員が交代で夏休みを取れるようになったんだそうだ。で、その夏休みに家族で旅行をしようということになったらしい。
当時は、自家用車を持っている家庭なんて無かったし、旅行と云えば、会社の慰安旅行などの団体旅行が中心だった。それが高度経済成長期で少しずつ生活も豊かになってきて、一般庶民には高嶺の花だった個人旅行がブームになっていた頃の話である。とは云え、まだまだ貧しかった時代である。両親も無理をして奮発したのだと思う。
                                                                   
今なら、チケットなど簡単に予約できてしまうが、当時は、鉄道の指定席を取るだけでも大変な時代であった。母が、隣町にある日本交通公社(現JTB)に通っていたのを覚えている。

前日に松本市に入り、松本城などを見た後、市内の浅間温泉に泊まった。翌日は朝早く出発して、大町から満席のバスに乗って黒部に向かった。いろいろと乗り継いで「室堂」に着いた時である。みくりが池とかを散策している時に、父がクーポン券を落としてしまったのだ。歩いて来た道を戻ったりして、周辺を探してみたのだが見つからない。仕方なく、持ち合わせの現金を使って、宿泊予定だった富山市内の旅館へ向かった。

旅館に着くと、女将から、クーポン券を拾った人から電話があったことを伝えられた。どうやら、拾い主さんが、クーポン券に記載されていた宿泊先に連絡をしてくれたらしい。宿泊代は、後日届けられたクーポン券を送ることでOKということになったようだ。
やがて、拾い主さんから我が家にクーポン券が送られてきた。交通公社に切符の払い戻しに行ったようだが、どのくらいお金が戻ってきたか僕は知らない。

両親は拾い主さんにお礼をしたようだった。そしたら、お礼のお返しとして、一冊の本が贈られてきた。それが「星の王子さま」の単行本だった。

岩波書店が、少年文庫だった「星の王子さま」を単行本として再発行して直ぐの頃ではないかと思う。両親の出した礼状から、そこそこ大きな子どもがいることが分かったのだろう。それにしても、礼状のお返しに「星の王子さま」の単行本を贈ってくるなんて、随分お洒落な人だと思う。きっと都会の高級住宅街に住んでいる御婦人に違いない。

「星の王子さま」が最初のブームになったのは、1980年代になってからだ。だから、誰もこの本のことを知らなかった。しばらくして、母がどこからか「この本は、とても有名で、(都会では)流行っているらしい」ということを聞いてきた。まあ、当時の我が家にとって、「星の王子さま」の単行本は、不似合いな存在であったのは確かである。

せっかくだからと読んでみたのだが、全く意味が分からなかった。もちろん日本語訳なんだから、書いてあることは分かるのだが、それがどういうことなのかが理解できない。やがて「星の王子さま」が、ブームになって、有名になって、そのたびに何回か読んでみたのが、常に「だから何なの?」というレベルで終わってしまった。
そもそも「星の王子さま」は、童話の形態をとっているものの、子ども向けの本では無いのだから、文学少年でも無い僕が理解できないのは、無理も無いことであった。

プレゼントされた本は、僕が結構大きくなるまで、我が家の本棚にあったと思うが、引っ越したり、家を建て替えたりしているうちに、いつの間にか行方不明になってしまった。


先日、ひょんなことから、「星の王子さま」の文庫本が手に入った。再挑戦するつもりで、心して読んだのだが、思いの外スラスラと読めてしまった。ちょっと拍子抜けの感である。見ると新訳と書いてある。僕が子どもの頃に読んだのは、岩波書店版だから、「内藤濯」氏が翻訳したものだ。それが、2005年に岩波書店の翻訳権が消滅して、各出版社が一斉に翻訳本を出したらしい。大人になった僕が読んだのは、新潮文庫で河野万里子訳とあった。

ネットで検索してみると、同じ「星の王子さま」でも翻訳者によって雰囲気が随分違うらしい。正式に出版されているだけでも、訳本は7,8冊ほどあるらしくって、それらを比較検討した書評まであるそうだ。

原作者のサン=テグジュペリはフランス人だから、原文はフランス語である。この本は、世界中で翻訳されているが、英語版などは、ほぼ直訳なんだそうだ。イギリスとフランスは隣国だし、根っこは同じ西洋人だから、単語を単純に入れ替えたような直訳文でも、作者の真意を伝えることができるのだろう。

ところが、日本語は、そうはいかない。フランスで、「葛飾北斎」とか「きゃりーぱみゅぱみゅ」とかが人気なのも、高野山で修行している外国人のほとんどがフランス人なのも、日本の文化がフランスのそれとあまりに違いすぎているからに他ならない。人間は、自分の理解を超えたものに興味をもつようにできているからだ。逆に、僕らがフランス文化を理解するのには、修行が必要なのだ。

直訳文が理解不可能ならば、修行者に意訳してもらうしかない。しかし、意訳は翻訳者のフィルターを通っているから、翻訳ごとに全く別の作品になってしまうわけだ。作者の真意に少しでも迫りたいのであれば、英訳本を読むのがお勧めとあったが、遠慮しておこう。

今、手元には、3冊の「星の王子さま」がある。新潮文庫(河野万里子訳)と、文春文庫(倉橋由美子訳)と、オリジナル版である岩波文庫(内藤 濯訳)だ。苦手な野菜サラダに、さまざまなドレッシングをかけて、食べ比べたみたいに、サン=テグジュペリの真意をそっちのけにして、3冊を机に並べて読み比べてみた。

新潮文庫では、作者は「僕」で、王子さまは「ぼく」と云っている。文春文庫は作者が「私」。岩波書店はどちらも「僕」だが、文末が「です」「ます」調になっている。さらに、作者が王子さまに対して「ぼっちゃん」と呼んでいたのにはビックリした。

冒頭の部分は、こんな感じだ。
新潮文庫
「僕が六歳だったときのことだ。「ほんとうにあった話」という原生林のことを書いた本ですごい絵を見た。猛獣を飲み込もうとしている、大蛇ボアの絵だった。再現してみるなら、こんなふうだ。」

文春文庫
「六歳のとき、ジャングルのことを書いた「ほんとうにあった話」という本の中で、すごい絵を見たことがある。それは一匹の獣を呑みこもうとしている大蛇の絵だった。ここにその写しがある。」

岩波書店
「六つのとき、原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という、本の中で、すばらしい絵をみたことがあります。それは一ぴきのけものをのみこもうとしてる、ウワバミの絵でした。これが、その絵のうつしです。」

原文が同じだから、云ってることは同じなんだけど、まあ、最初から最後までこんな感じである。

1つ1つ取り上げるのも面倒だから、一番有名な場面で比べてみよう。


新潮文庫
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目には見えない。」
「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。」

文春文庫
「心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目には見えないということだ。」
「あんたのバラがあんたにとって大切なものになるのは、そのバラのためにあんたがかけた時間のためだ。」

岩波書店
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」

「ひまつぶし」については、誤訳であろうとする論文もあるらしいが、これは「キツネ」の台詞であるから、キツネなりの言い回しなのだと理解すれば、有り得なくもない。もはや、好みの問題であろう。

レジェンド「内藤 濯」先生を別格とすれば、僕が一番しっくりきたのは、「費やした時間」と訳した新潮文庫である。実際、河野万里子さんの訳は人気が高いようだ。でも、直訳からは一番外れているように思う。サン=テグジュペリのエッセンスを抽出して、物語を再構築したようである。日本人が「星の王子さま」に対して思い描いているイメージを、日本語を使って分かりやすく表してくれたのが、新潮文庫版に思う。
ただ、文春文庫の倉橋由美子さんの訳も捨て難いところがある。新潮版は、登場人物のキャラ付けも明確で平易に読めるが、言葉を噛み砕き過ぎの感があって、深読みには向かないからだ。

短い書評

「星の王子さま」は、自分の星に帰るために自らを毒蛇に噛ませて死ぬ、という衝撃的な終わり方をしているのだが、はっきりと書かれて無いこともあって、僕は普通に(というのも変な話だが)帰った(或いは消えた)のだと、ずーーっと思っていた。
地球の重力圏は強大だから、星に戻るためには、肉体を捨てていくしか無かったのだ。羊を欲しがったのは、肉体を失った自分の代わりに星を管理させるためだったのだろう。
だけど、子どもだった僕は、喧嘩別れした彼女とのヨリを戻したがる男の、アホな感情なんて分かるわけも無かったし、王子さまが残してきたバラの花のことを、単純にイヤな奴だと思っていたので、そんな奴がいる星に命を捨ててまで戻ろうとする心情が分からなかったのだ。

そもそも、サン=テグジュペリは、この話を書き始めた時、毒蛇に噛ませるなんてグロい結末を本当に考えていたんだろうか。「星の王子さま」って、思いついた名言を紡ぎながら書き綴った物語に思えてくる。

僕は、プレゼントされたこの本を読んだとき、この「物語」を理解することができなかった。でも、それって必然なコトに思えてきた。大人になって、読み返して、いろいろと深読みして、ようやく理解できたと思ったけど、結局のところ、後付けのテクニックを身につけ、分かったフリをすることが上手くなっただけ。ストーリーを追うことが全てだった頃の「だから何なの?」って云う、最初の感想は、僕の中で今も生きている。

この本の魅力は、名言を発見できた読者がストーリーそっちのけで感応し、悦に入ることができるところにあると思う。でも、それって、単純明快な感動物語を書き上げることよりも、ずっと奇跡的なことだから、やっぱり「星の王子さま」は名作なのだろう。