長いプロローグ
もう40年以上、50年近く前の話である。家族旅行で「立山黒部アルペンルート」に行った。アルペンルートが全線開通した年か、その次の年くらいの頃である。ちょうどその頃、父の会社に労働組合ができて、社員全員が交代で夏休みを取れるようになったんだそうだ。で、その夏休みに家族で旅行をしようということになったらしい。当時は、自家用車を持っている家庭なんて無かったし、旅行と云えば、会社の慰安旅行などの団体旅行が中心だった。それが高度経済成長期で少しずつ生活も豊かになってきて、一般庶民には高嶺の花だった個人旅行がブームになっていた頃の話である。とは云え、まだまだ貧しかった時代である。両親も無理をして奮発したのだと思う。
今なら、チケットなど簡単に予約できてしまうが、当時は、鉄道の指定席を取るだけでも大変な時代であった。母が、隣町にある日本交通公社(現JTB)に通っていたのを覚えている。
前日に松本市に入り、松本城などを見た後、市内の浅間温泉に泊まった。翌日は朝早く出発して、大町から満席のバスに乗って黒部に向かった。いろいろと乗り継いで「室堂」に着いた時である。みくりが池とかを散策している時に、父がクーポン券を落としてしまったのだ。歩いて来た道を戻ったりして、周辺を探してみたのだが見つからない。仕方なく、持ち合わせの現金を使って、宿泊予定だった富山市内の旅館へ向かった。
旅館に着くと、女将から、クーポン券を拾った人から電話があったことを伝えられた。どうやら、拾い主さんが、クーポン券に記載されていた宿泊先に連絡をしてくれたらしい。宿泊代は、後日届けられたクーポン券を送ることでOKということになったようだ。
やがて、拾い主さんから我が家にクーポン券が送られてきた。交通公社に切符の払い戻しに行ったようだが、どのくらいお金が戻ってきたか僕は知らない。
両親は拾い主さんにお礼をしたようだった。そしたら、お礼のお返しとして、一冊の本が贈られてきた。それが「星の王子さま」の単行本だった。
岩波書店が、少年文庫だった「星の王子さま」を単行本として再発行して直ぐの頃ではないかと思う。両親の出した礼状から、そこそこ大きな子どもがいることが分かったのだろう。それにしても、礼状のお返しに「星の王子さま」の単行本を贈ってくるなんて、随分お洒落な人だと思う。きっと都会の高級住宅街に住んでいる御婦人に違いない。
「星の王子さま」が最初のブームになったのは、1980年代になってからだ。だから、誰もこの本のことを知らなかった。しばらくして、母がどこからか「この本は、とても有名で、(都会では)流行っているらしい」ということを聞いてきた。まあ、当時の我が家にとって、「星の王子さま」の単行本は、不似合いな存在であったのは確かである。
せっかくだからと読んでみたのだが、全く意味が分からなかった。もちろん日本語訳なんだから、書いてあることは分かるのだが、それがどういうことなのかが理解できない。やがて「星の王子さま」が、ブームになって、有名になって、そのたびに何回か読んでみたのが、常に「だから何なの?」というレベルで終わってしまった。
そもそも「星の王子さま」は、童話の形態をとっているものの、子ども向けの本では無いのだから、文学少年でも無い僕が理解できないのは、無理も無いことであった。
プレゼントされた本は、僕が結構大きくなるまで、我が家の本棚にあったと思うが、引っ越したり、家を建て替えたりしているうちに、いつの間にか行方不明になってしまった。
先日、ひょんなことから、「星の王子さま」の文庫本が手に入った。再挑戦するつもりで、心して読んだのだが、思いの外スラスラと読めてしまった。ちょっと拍子抜けの感である。見ると新訳と書いてある。僕が子どもの頃に読んだのは、岩波書店版だから、「内藤濯」氏が翻訳したものだ。それが、2005年に岩波書店の翻訳権が消滅して、各出版社が一斉に翻訳本を出したらしい。大人になった僕が読んだのは、新潮文庫で河野万里子訳とあった。
ネットで検索してみると、同じ「星の王子さま」でも翻訳者によって雰囲気が随分違うらしい。正式に出版されているだけでも、訳本は7,8冊ほどあるらしくって、それらを比較検討した書評まであるそうだ。
原作者のサン=テグジュペリはフランス人だから、原文はフランス語である。この本は、世界中で翻訳されているが、英語版などは、ほぼ直訳なんだそうだ。イギリスとフランスは隣国だし、根っこは同じ西洋人だから、単語を単純に入れ替えたような直訳文でも、作者の真意を伝えることができるのだろう。
ところが、日本語は、そうはいかない。フランスで、「葛飾北斎」とか「きゃりーぱみゅぱみゅ」とかが人気なのも、高野山で修行している外国人のほとんどがフランス人なのも、日本の文化がフランスのそれとあまりに違いすぎているからに他ならない。人間は、自分の理解を超えたものに興味をもつようにできているからだ。逆に、僕らがフランス文化を理解するのには、修行が必要なのだ。
直訳文が理解不可能ならば、修行者に意訳してもらうしかない。しかし、意訳は翻訳者のフィルターを通っているから、翻訳ごとに全く別の作品になってしまうわけだ。作者の真意に少しでも迫りたいのであれば、英訳本を読むのがお勧めとあったが、遠慮しておこう。
今、手元には、3冊の「星の王子さま」がある。新潮文庫(河野万里子訳)と、文春文庫(倉橋由美子訳)と、オリジナル版である岩波文庫(内藤 濯訳)だ。苦手な野菜サラダに、さまざまなドレッシングをかけて、食べ比べたみたいに、サン=テグジュペリの真意をそっちのけにして、3冊を机に並べて読み比べてみた。
新潮文庫では、作者は「僕」で、王子さまは「ぼく」と云っている。文春文庫は作者が「私」。岩波書店はどちらも「僕」だが、文末が「です」「ます」調になっている。さらに、作者が王子さまに対して「ぼっちゃん」と呼んでいたのにはビックリした。
冒頭の部分は、こんな感じだ。
新潮文庫
「僕が六歳だったときのことだ。「ほんとうにあった話」という原生林のことを書いた本ですごい絵を見た。猛獣を飲み込もうとしている、大蛇ボアの絵だった。再現してみるなら、こんなふうだ。」
文春文庫
「六歳のとき、ジャングルのことを書いた「ほんとうにあった話」という本の中で、すごい絵を見たことがある。それは一匹の獣を呑みこもうとしている大蛇の絵だった。ここにその写しがある。」
岩波書店
「六つのとき、原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という、本の中で、すばらしい絵をみたことがあります。それは一ぴきのけものをのみこもうとしてる、ウワバミの絵でした。これが、その絵のうつしです。」
原文が同じだから、云ってることは同じなんだけど、まあ、最初から最後までこんな感じである。
1つ1つ取り上げるのも面倒だから、一番有名な場面で比べてみよう。
新潮文庫
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目には見えない。」
「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。」
文春文庫
「心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目には見えないということだ。」
「あんたのバラがあんたにとって大切なものになるのは、そのバラのためにあんたがかけた時間のためだ。」
岩波書店
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」
「ひまつぶし」については、誤訳であろうとする論文もあるらしいが、これは「キツネ」の台詞であるから、キツネなりの言い回しなのだと理解すれば、有り得なくもない。もはや、好みの問題であろう。
レジェンド「内藤 濯」先生を別格とすれば、僕が一番しっくりきたのは、「費やした時間」と訳した新潮文庫である。実際、河野万里子さんの訳は人気が高いようだ。でも、直訳からは一番外れているように思う。サン=テグジュペリのエッセンスを抽出して、物語を再構築したようである。日本人が「星の王子さま」に対して思い描いているイメージを、日本語を使って分かりやすく表してくれたのが、新潮文庫版に思う。
ただ、文春文庫の倉橋由美子さんの訳も捨て難いところがある。新潮版は、登場人物のキャラ付けも明確で平易に読めるが、言葉を噛み砕き過ぎの感があって、深読みには向かないからだ。
短い書評
「星の王子さま」は、自分の星に帰るために自らを毒蛇に噛ませて死ぬ、という衝撃的な終わり方をしているのだが、はっきりと書かれて無いこともあって、僕は普通に(というのも変な話だが)帰った(或いは消えた)のだと、ずーーっと思っていた。地球の重力圏は強大だから、星に戻るためには、肉体を捨てていくしか無かったのだ。羊を欲しがったのは、肉体を失った自分の代わりに星を管理させるためだったのだろう。
だけど、子どもだった僕は、喧嘩別れした彼女とのヨリを戻したがる男の、アホな感情なんて分かるわけも無かったし、王子さまが残してきたバラの花のことを、単純にイヤな奴だと思っていたので、そんな奴がいる星に命を捨ててまで戻ろうとする心情が分からなかったのだ。
そもそも、サン=テグジュペリは、この話を書き始めた時、毒蛇に噛ませるなんてグロい結末を本当に考えていたんだろうか。「星の王子さま」って、思いついた名言を紡ぎながら書き綴った物語に思えてくる。
僕は、プレゼントされたこの本を読んだとき、この「物語」を理解することができなかった。でも、それって必然なコトに思えてきた。大人になって、読み返して、いろいろと深読みして、ようやく理解できたと思ったけど、結局のところ、後付けのテクニックを身につけ、分かったフリをすることが上手くなっただけ。ストーリーを追うことが全てだった頃の「だから何なの?」って云う、最初の感想は、僕の中で今も生きている。
この本の魅力は、名言を発見できた読者がストーリーそっちのけで感応し、悦に入ることができるところにあると思う。でも、それって、単純明快な感動物語を書き上げることよりも、ずっと奇跡的なことだから、やっぱり「星の王子さま」は名作なのだろう。
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