2021年6月27日日曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その5 ~FMみしま・かんなみ「ボイスキュー」~

日曜劇場「ごめんね青春!」では、コミュニティ放送局「みしまFM」がドラマの重要な場になっていました。劇中で毎週金曜日の夜に放送されている「カバヤキ三太郎のごめんね青春!」のラジオパーソナリティを務めているのが、「生瀬勝久」さん演じる東高校長「三宮大三郎」。決まり文句は「一方的にしゃべらないでくれる?」でしたね。

僕の青春時代は、静岡SBSラジオの「1400電リクアワー」が全盛期で、パーソナリティ(と云っても局アナですけど)の「國本良博」さんや故「荻島正己」さんはアイドル並みの人気で、公開放送やイベント(局アナなのにバンドを組んでライブとかしてた)があると凄い数の中高生が集まったものでした。番組は、お便り読んだり、リクエスト曲をかけたりってことでしたけど、オールナイトニッポンが深夜の全国放送という、手の届かない世界だったのに対して、電リクは、非深夜の地元の放送でしたから、ずっと身近な存在でした。お便りが読まれる確率も、決して高くはありませんが、かといって絶望的なわけでもなく、パーソナリティとリスナーの距離感が絶妙だったのが、人気の秘密だったと思います。やはり、中高生の恋の悩みみたいな手紙も読まれていて、まあ、それなりにあしらわれてたような記憶があります。

局アナが遊びで作ったバンドを、自局の放送ネットで流しています。ローカル放送ならでは・・・って云うのかなぁ。ボーカルをとっているイケメンの局アナが「荻島正己」(まちゃみ)さんです。荻島さんは、俳優の「荻島眞一」さんの従兄弟になるそうで、後に、TBSに出向されて全国の顔になります。2014年に食道癌で永眠(62才)とありました。

さて、リアル三島市のコミュニティFMは、周波数77.7MHz「FMみしま・かんなみVOICE CUE(ボイスキュー)」であります。ボイスキューは、阪神・淡路大震災の2年後の1997年に開局したミュージックバード系のコミュニティFMで、近隣の放送局の中では、早くに開局した方です。24時間放送ですけど、週休2日で土日は独自番組はありません。

三島市周辺限定のFMラジオ局なんて、経営が成立するんだろうかと思っていたんですけど、聞くところによると、ラジオ局で一番経費がかかるのは中継局なんだそうです。エリア内の、ほとんど人が住んでないような所までラジオを聴ける状態を構築するのって、凄く大変なことなんだそうで、その点、中継局が不必要で、20Wの送信設備だけで運営できるコミュニティFMは、経営効率が良いんだそうです。(もちろん、自治体からの援助は必要でしょうけど)

コミュニティFMは、防災公共放送としての役割もありますから、素敵な歌を流していても、いきなりブチ切って「どこどこのお婆さんが家を出たまま帰りません」なんて放送が入ったりします。

ボイスキューのライバル局は、お隣の沼津市にあるJ-WAVE系の「COAST-FM(コーストエフエム)」であります。以前、ボイスキューに人気の男性パーソナリティがいたんですけど、急に退社することになって、皆で別れを惜しんでいたら、「コーストFM」のパーソナリティになってました・・・っていう電撃移籍もありました。

それから、過去には、放送局の重要なスポンサーである函南町(かんなみ)を「はこなん」と読んだ伝説のパーソナリティもいましたっけ。(地元民じゃなくても、そこ、絶対絶対間違えちゃダメでしょ!)

ボイスキューの最大の特徴は、パーソナリティとリスナーとの距離が大変近しいことです。女性パーソナリティはタレント並みの素敵な方たちで、熱心なリスナーが平日にもかかわらず(仕事しているのかなぁと心配になるくらい)投稿しまくってます。ボイスキューは自分たち常連リスナーが支えているという意識も強く、その関係は、秋葉原のアイドルとトップ・ヲタに近いものを感じさせます。

常連さんには、(思いつくままにですけど)ラジオネーム「黒木眼医者」さんとか、「浄蓮(常連)の滝」さんとか「あるパパ(アルパカ?)」さんなどがいらっしゃいます。

土曜日の午後には、「あの頃、青春グラフティ」という、ミュージックバード制作の全国放送が流れますけど、皆さん、こちらにもガンガン投稿しているようで、日によっては読まれるメールの半分が、ボイスキューのリスナーだったりします。

ボイスキューも、開局当時は独自取材の番組とかも結構あって頑張っていましたが、最近は、独自番組の放送時間も減少気味で、音楽を流し続けたり、親局であるミュージックバードの再放送をしている時間が増えつつあります。有力なスポンサーを持っていないから、経営が厳しいのかなぁ。三島の国立遺伝学研究所の先生を招いての「サイエンスNOW」みたいに、独自番組からミュージックバード制作の全国放送に出世するようなプログラムもあったりするんですけどね。

まあ、親局である「ミュージックバード」と比べたら垢抜けないのは確かですし、全県放送局のSBSやK-MIXとかとの格差も感じますけど、三島市民からの愛され具合を見ていると、全国に数多くあるコミュニティFMの中でも、成功している放送局じゃないのかなぁと思います。

(ボイスキュー:ミュージックバード「大西貴文のTHE NITE」を聴きながら。)

2021年6月20日日曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その4 ~うちっちのことさ、好きじゃないだか?~

第7話まで無料配信が進んだ、日曜劇場「ごめんね青春!」。静岡県の三島市が舞台ですから、みしまコロッケとか、みしまる君とか、いずっぱこのハートの吊革とかが出てきて、宣伝してくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと、無理矢理な感じ。視聴者がドン引きする(した)んじゃないかと心配になってしまいました。

今回は、番組で使われている「静岡弁」についてです。といっても、ドラマで方言をしゃべってるのは「植木夏十」さん演じる、スナック「ガールズバー」のママだけですけどね。

僕が子どもの頃、「細うで繁盛記」というドラマがありました。大阪から伊豆にやってきた主人公の若女将(新珠三千代さん)が、小姑の正子(冨士眞奈美さん)のいじめを受けながらも旅館を再生するという、昭和ドラマの傑作です。

憎まれ役の富士眞奈美さんは静岡県出身で、このブログでも取り上げさせて頂いた「三島北高」の卒業生でもあります。静岡弁ネイティブの富士さんが、極限までチューンアップした伊豆弁の台詞「加代、おみゃーの好きなようにゃ、させにゃーで。」などは日本中に衝撃を与えました。当然、伊豆の人たちには不評で、「おらっちゃ、あんな言葉、しゃべっちゃにゃーずら。」って云ってましたけど。

静岡県は県外からの転入者も多く、あんな方言は急速に使われなくなりました。それでも、地元民の密度の濃い地区では、年配の人たちが静岡弁を使っているのを聞くことができます。まあ、静岡弁といっても、標準語とイントネーションなどは差違が少なく、大した方言ではないんですけど、特徴をあげるとすれば、こんなところでしょうか。


 進学や就職で県外に出た時に方言を知らずに使い、笑われて初めて気付く

これは、静岡県人が必ず経験する「あるある」です。「こば」(端、隅)などが典型ですが、有名なのは、2007年に「長澤まさみ」さんが記者会見で使った「ちんぷりかえる」でしょう。

これは、「ガンジス河で泳ぐ」というドラマのインド・ロケに父上様(元ジュビロ磐田監督の長澤和明氏)が反対して、「まさみ」さんと親子喧嘩になったというエピソードを語る中で、「2人で言い合いをして、お互いにちんぷりかえって」と使ったことによるものです。芸能ニュースでは、「ちんぷりかえって(すねて)」と翻訳字幕が付いたことでも話題になったようです。

二十歳そこそこの清純派女優が、記者会見でいきなり「ちんぷりかえる」ですからね。

「ちんぷりかえる」は、静岡では全県的に使われている(いた)方言で、「ちんぶり」という云い方もあるみたいですが、「ぷり」の方が普通かと思います。意味は、字幕の通り「拗ねる」ですけど、イメージ的には、小さな子が思い通りにならなくて、すねている感じになります。ですから、大人に使った場合は、「まるで子どもみたいにむくれている」とか、「大人げも無くふてくされている」となります。まさみさんも、笑えるエピソードとして紹介したかったので、険悪感がやや弱い「ちんぷりかえる」という言葉をセレクトしたのでしょう。

で、問題は、まさみさんが、この言葉を方言として意識していたかってことです。多分、彼女は、記者会見場にいた人たちにも分かるだろうって感覚で、「ちんぷりかえる」を使ったように思います。字幕を使われるとは、思ってもいなかったでしょう。

静岡弁では、標準的な意味に加えて、別の意味を持っているものがあります。

例えば「とぶ」は、空を飛ぶだけでなく、走るという意味があります。僕は子どもの頃「かけっこしよう」のことを「とびっこすべぇ」って云ってました。あと「かじる」は、「りんごをかじる。」の他に「引っ掻く」の意味でも使います。ですから、「おしりかじり虫」っていう歌を聴いたとき、お尻をボリボリ掻いている虫のことだと本気で思っていました。

独特の表現をするものもあります。

「おみゃあ、そらつかってるら。」(お前、嘘ついているだろう。)

「はだって、やったずら。」(わざとやったんだろ。)

「練習たこって、どこ行ってただ。」(練習サボって、どこ行ってたんだ。)

取り上げ出すとキリが無いですね。特徴としては、標準語と比べて語感が柔らかいものが多いように思います。富士眞奈美さんの伊豆弁も、罵っているのに滑稽に聞こえるんですよね。これが静岡弁は優しい言葉と云われる所以なのでしょう。

東部・中部・西部で言語が異なり、伊豆と遠江は互いを異端視している

これについては、以前に、このブログでまとめた通りです。 

伊豆と駿河と遠江、そして静岡県  

 戦国時代、遠江は三河出身の徳川家康が治めていましたし、伊豆は小田原の北条の領地でしたから、それぞれ愛知県、神奈川県になったとしても不思議ではありません。実際、そうだった時期もありますし、静岡という地名も、明治になって作られたものです。

「ごめんね青春!」で、スナックのママの「うなぎの肝食べるかね?和尚。精つくだに~。」という台詞がありましたが、これに対して、三島市民から「俺っちは『だに』なんて言わない」という指摘が、SNSに溢れるという事態が発生しました。「だに」は、静岡県西部で使われている方言だと云うわけです。ドラマで使う方言は大袈裟に云うことが多いので、違和感を感じるのは致し方ないことですけど、西部の方言を使ったことは許せなかったようです。

静岡弁では「だに」の他に「だら」「ずら」などが知られていて、標準語との差違が少ない静岡弁の、分かりやすい特徴になっています。

さて、第4話、第5話は、告白のオンパレードでしたけど、ネットに「使うと可愛い静岡弁」ってのがあって、「うちっちのこと、好きじゃないだか?」が紹介されていました。確かに可愛いですよね。思わずニヤけてしまいました。

女の子が自分のことを「うちっち」というのは、静岡県に限らず使われている言葉で、「わたしたち」又は「わたしの家」という意味になります。「うちっち、遊びにくるら。」は(私の家に遊びに来るよね。)と云う意味です。ところが、面白いことに、女の子たちは「わたし」の時も「うち」では無く「うちっち」を使います。ちなみに、男の子は「おれっち」ですが、自分だけなら「俺」となって「ち」は付きません。

これは「家(うち)」と混同されるのを避けてとのことですが、「うちっち」と(ち)を重ねた時の語感が可愛らしくなることも理由の1つに思います。「うちっち」は、今も使われる数少ない静岡弁の1つです。

「うちっちのこと好きじゃないだか?」を言い換えて「うちっちのことさ、キライじゃないら?」としてみました。「嫌いじゃにゃあずら」にするとコテコテ過ぎて可愛くないので、「ないら」をセレクト。「ないだら」という云い方もありますけど、「だら」と「ら」は同じような意味ですが、語感はかなり異なります。

「だら」は「ら」より強くなります。大袈裟に云うと、「明日、三津シーに行くだら。」は、「行くよね。(だって約束したじゃん)」って感じ。「行くら。」だと、「行くでしょ。(忙しいんなら、無理しなくてもいいけど)」となって、相手に任せるような優しいニュアンスになります。「そらつかってるら」と「そらつかってるだら」だと「だら」の方がバレてる感が強くなります。ですから「うちっちのこと、好きだら?」と云うと、かなりの肉食系です。(でも「好きら」とは使わない)

最近の日本語の傾向として、断定を避けるってのがありますけど、静岡弁も同じで「だら」「ずら」は使われなくなる傾向にあります。(あと、如何にも方言ぽいので避けられているって面も)一方、語尾に「ら」を付ける云い方は、今も根強く残っていて、「オレは方言なんか使わない」って云ってるヤツも、よく聞くと、無意識のうちに「ら」を付けまくってたりします。

強制力を伴わず、語感を優しくする「ら~」は、現代の静岡人にとって抵抗なく使える便利な言葉です。スナックのママも「うなぎの肝食べるかね?和尚。精つくら~。」って云えば、炎上しなかったと思います。


#ごめんね青春!     #黒島結菜      #静岡弁   #長澤まさみ

2021年6月16日水曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その3 ~源兵衛川と、せせらぎ散歩道~

「源兵衛川」は、三島駅前にある「楽寿園」の湧水池「小浜池」を水源にして、市街地を流れる1.5kmの灌漑用水である。

三島は、富士山を起源とする、三島溶岩流の末端に位置する街である。富士山に降った大量の雪と雨は、地下水脈となり、三島の街の至る所で湧水となって地表に出てくる。湧き出てくる場所は様々で、ガサゴソと積み重なった溶岩の下であったり、昔々の地震でできた小さな崖であったり、或いは民家の石垣の隙間であったりする。

源兵衛川の水源である小浜池は、三島で最も大きい湧水池だ。かつては小松宮の別邸があったそうだが、今は「楽寿園」という市立公園になっている。僕が子どもの頃は、楽寿園の中には、そこそこ大きな遊園地や動物園があって、メリーゴーランドとか、お猿の列車とか、ジェットコースター以外のアトラクションは一通り揃っていたし、動物園には、ゾウやキリンやペンギンや、一日中動かないオオサンショウウオなんかがいて、近隣の学校が遠足に訪れるなど、賑やかなところであった。

しかし、それらは、あくまでも付け足しであって、楽寿園は小浜池であり、小浜池こそが楽寿園であった。その小浜池の水位は、昭和の中頃から徐々に低下し始める。原因は、周辺の宅地化や工業用水の汲み上げ。やがて、降水量の少ない時期には、地下水位がマイナスとなって自然湧水が止まり、池が干上がってしまう期間も年々長くなっていった。

小浜池の水位の低下により、源兵衛川も流れの無い日が多くなる。水源を失った源兵衛川は、市の北側にある東レ三島工場から供給される冷却排水によって、かろうじてその流れを維持していた。しかし、その供給量は灌漑用水としての必要最低限のものであり、水の流れの乏しい川は急速に汚染化が進み、源兵衛川は悪臭漂うドブ川へと変っていった。

そんな源兵衛川が再生できたのは、NPO法人「グラウンドワーク三島」の地道な活動と、東レ三島工場の協力によるものだそうだ。

東レは、市や市民団体からの要望を受け入れて、冷却水の源兵衛川への供給量を増やすことになった。東レで使用している工業用水は、やはり富士山からの湧水である柿田川の工業用水だ。東レでは、工場で使用する水を製品の洗浄に使うものと、機械の冷却に使うものとに分けていて、その冷却水の中でもあまり使用していない綺麗で冷たい水を、地下に埋設した導管から源兵衛川に供給しているのだそうだ。設備の維持費や電気代などは、東レが負担しているらしい。

そんな源兵衛川だが、ここ2年ほど、夏から秋にかけての集中豪雨や台風の影響などで、地下水位が上昇し自然湧水が大復活。川の水位が上昇して、遊歩道が水没してしまうという珍事が起きている。年寄りたちが、昔は川で泳いだものだと云ってたが、本当に泳げたのである。まあ、湧水の復活は嬉しいことだが、近年の異常気象が関係しているとすれば、複雑な気持ちになる。

昨年の夏の満水になった小浜池である。これまでも何年に一度かは満水になっていたが、池の縁まで水位が上がったのを見たのは初めて。ドラマで「海老沢」君と「あまりん」が歩いていた遊歩道も水没し、一ヶ月間通行止めになった。


三島市内の湧水量は、直近の降水量と大きく相関しているが、昨日降った雨が湧き出しているわけでは無い。富士山からの水脈は溶岩流の地下でつながっている。上流で降った雨が地下に浸透することで水脈に圧力がかかり、下流の地下水が押し出されて湧き出るのである。


ドラマが放送されていた頃、三島の街に巡礼者(多くはジャニヲタさん)がやってきた。彼女たちは、「いずっぱこ」に乗車し、源兵衛川を歩き、みしまコロッケを食べ歩きしていた。2014年当時は、他県から三島の街を訪れるなんて考えられないころだったから、世の中にはモノ好きな人たちがいるものだと思っていた。ところが、聖地巡礼が一段落した後、今度は、普通に観光客がやってくるようになった。いつの間にか三島市は「富士山とせせらぎの街」として、ガイドブックにも紹介されるようになっていたのだ。そりゃあ、熱海などの代表的な観光地には遠く及ばないが、休日には、カップルや家族連れが、源兵衛川を歩く姿が見られるようになった。

源兵衛川を流れる水が、東レ三島工場から供給されていることを、観光客に対する裏切り行為であるかのような意見を目にすることがある。確かに、川の水に足を入れて「冷たーい!」って云ったり、「透き通っていて綺麗!」とか云っている声を聞くと、なんとも微妙な気持ちにはなる。

ただ、これは内緒にしているわけではなくって、広く公開されていることだし、そもそも源兵衛川は、室町時代に「寺尾源兵衛」さんが開いた灌漑用水(人工の川)であり、市民の「普段使い」の川なわけだから、そこを流れている水が工場からの冷却排水であったところで、どういうものでも無い。元を正せば、富士山起源の湧水だし。

市街地のど真ん中を流れる川に、三島梅花藻が育ち、ホトケドジョウが住み、蛍が飛び交い、カワセミが訪れるのである。そして、それが、住みよい街を作ろうという、多くの人々の無償の努力によって、保全されていることに価値があるのだ。


#黒島結菜                #ごめんね青春            #源兵衛川


2021年6月13日日曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その2 ~みしまコロッケ~

 静岡県を代表するB級グルメと云えば「富士宮やきそば」だろう。この富士宮市周辺で食されてきた焼きそばは、輪ゴムのように弾力性の強い細麺に、背脂を搾り取った後の「肉かす」やキャベツを具材とし、仕上げに「だし粉(サバやイワシの削り粉)」をかけて食べるという、高級食材不使用なB級グルメの王道である。

静岡県には、他にもいくつかのB級グルメが知られているが、その中の1つに、日曜劇場「ごめんね青春!」で登場した「みしまコロッケ」がある。みしまコロッケの最大の特徴は、ポッと出てきた企画物と云うところである。みしまコロッケが誕生したのは2008年で、昔から食べられてきたわけでも、三島市民のコロッケ消費量が特別多かったわけでもない。

三島市の東部、箱根山へと続く南斜面では、昔から野菜の栽培が盛んだった。中でも有名だったのは大根で、富士山をバックに収穫した大根を干す風景は、コンクール写真の定番だ。

ジャガイモも「三島馬鈴薯」の名前で作られてきた。品種はメークイン。みしまコロッケは、その三島馬鈴薯を使うことが絶対条件のB級グルメである。もし貴方が、みしまコロッケを食べて「何これ、普通のコロッケじゃん」という感想を持ったら、それは正しい。みしまコロッケは、三島馬鈴薯を使っていれば他は自由という、レシピ指定ではなく、産地指定のグルメだからだ。

近所のスーパーでも売っているが、値段は若干お高め。北海道男爵コロッケが100円だとすると、みしまコロッケは、ちょっと小さめで120円くらいする。と云うのも、三島馬鈴薯は「手掘り」「天日干し」「風乾」という高級品で、市場価格は日本一。贈答にも使われるブランド品だからだ。で、その規格外になったやつをコロッケに使おうってわけだが、それでも安い品では無い。


男爵のようなホクホクしたジャガイモを使う普通のコロッケと比べて、みしまコロッケは、何となくねっとり感があるような気がする。気がするというのは、2つ並べて食べ比べるのならともかく、単品で食べて、使われているジャガイモの品種を当てる舌を、僕は持っていないからだ。そもそも、コロッケのレシピ本には、メークインでなく男爵を使いましょうって書いてある。そこを、あえてメークインを使うことで差別化を考えたようだが、味覚的にどれだけの意味があるのか、僕の舌では分からない。


「ごめんね青春!」の第2話では、三女の子たちが源兵衛川の岸辺に座って、みしまコロッケを食べていたし、第3話では、「あまりん」と蜂矢先生が勉強合宿の差し入れに持ってきたシーンが放送された。リアル世界では、三島の観光協会が撮影現場に差し入れたこともあったらしい。青春とコロッケは、お似合いの組み合わせだ。もし、このドラマがなければ、みしまコロッケは、三島市民でさえ知らない悲しい存在になっていただろう。

箱根西麓三島野菜は、露地栽培なので出荷時期が決まっている。収穫を終えた三島馬鈴薯の出荷が始まるのは、6月下旬。正にこれからが旬だ。地元のコンビニでは、期間限定「みしまコロッケパン」が今年も販売されるであろう。みしまコロッケパンは、もっちりしていて美味しい。このパン、普通のコロッケサンドと差別化するために、米粉入りのパンに挟んだりしている。でも、もっちり感は、あくまでも三島メークインによるもの、と信じて食べることを推奨したい。

みしまコロッケは美味しい。それは確かだ。でも、それは、コロッケという食べ物が美味しいからに他ならない。そして、僕が20円高いみしまコロッケを買うときは、自分へのご褒美としてなのだ。

「コロッケ賛歌」をはりつけさせていただいて、お終いにしようと思う。


 「コロッケ賛歌」
おかずに悩んだときは、コロッケを買う。
お金に困ったときも、コロッケを買う。

コロッケは、安い。
コロッケは、ご飯に乗せても、パンに挟んでもいい。
コロッケは、食べ歩きもできる。
コロッケは、揚げたてはもちろんだが、冷めても美味しい。
コロッケは、気合いを込めなくても食べられる。
コロッケには、ソース派と醤油派がいるが、何もなくても美味しい。
コロッケは、差し入れに最適である。
気取らず、大人数にも対応できるし、
「近所でも評判なんです。」とか云っておけば、体裁も保てる。
コロッケには、無限のバリエーションがある。
コロッケは、ナイフとフォークで洋食っぽく食べてもいい。
でも、一番幸せなのは、手で摘まんで食べるときである。

学生の頃、コロッケ弁当ばかり食べていた。
ちょっと贅沢したいときは、唐揚げ弁当だが、
基本は、コロッケ弁当だった。
奮発して、とんかつ弁当にしたときは、後悔した。
安いとんかつは、不味い。

でも、コロッケは、当たり外れが無い。
資生堂パーラーの3,000円の「クラブクロケット」も
イオン火曜特売の50円コロッケも。
工場で大量生産される冷凍食品のコロッケも、
駅前商店街の肉屋のこだわりコロッケも、
コロッケは、基本、全部美味しい。
(資生堂パーラーは食べたこと無いので、あくまでも予想)

コロッケ・ランキングは意味が無い。
何故ならば、コロッケは、全てが等しく美味しいからだ。


先日、三嶋大社の夏祭りが、コロナ禍により2年連続で中止とすることが発表された。三島の大祭りは、ドラマの第3話にもちょっとだけ出てきた静岡県東部最大のイベントである。

悲しい。


#ごめんね青春    #みしまコロッケ   #黒島結菜

2021年6月9日水曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その1 ~セーラー服の星~

日曜劇場「ごめんね青春!」は、2014年に放送された学園コメディーである。日曜劇場と云えば、「半沢直樹」「華麗なる一族」など、数多くの名作、高視聴率ドラマが放送された伝統の枠だ。三島市が物語の舞台と云うことで、地元の期待も大いに膨らんだのだが、始まってみると平均視聴率7.7%という堂々の歴代最下位に沈んでしまった。

低視聴率の理由は、宮藤官九郎氏の悪ふざ・・・ギャグが過ぎて、日曜劇場の視聴者に愛想を尽かされたからである。初回から下ネタ(それも中高生レベル)を連発されたら、健全な家庭は、テレビを消してしまうだろう。テストで70点以上取れたら1点につき1秒間おっぱいを揉めるなんて下ネタで、笑えるヤツがいるだろうか。まあ、下ネタ連発といっても、他の放送回では考えさせられる場面も結構あったから、初回のハードルを乗り越えた、あるいは、クドカンワールドの免疫を身につけた者にとっては、楽しいドラマだったように思う。つまり、勿体ない話ということだ。

初回にクドカンワールドを展開し、視聴者にそっぽを向かれたのは、大河ドラマ「いだてん」も同じ。「ごめんね青春!」が日曜劇場で無ければ、「いだてん」が大河ドラマで無ければ、もっと評価を受けていただろうから、場に合わせるって大事なことなのだ。


その「ごめんね青春!」が、「重岡大毅」君のドラマ主演を記念して、「Paravi」と「TVer」「GYAO!」で配信されている。せっかくの無料配信であるし、地元が舞台であるし、黒島結菜さんも出演しているということで、視聴させていただいた。

このドラマの舞台設定は、次の通り。

静岡県三島市には、伊豆箱根鉄道(通称:いずっぱこ)の沿線に3つの私立高校がある。毎年東大合格者を数多く輩出する男女共学の駿豆西高校、通称「西高(にしこー)」。厳粛なカトリック系の女子校・聖三島女学院、通称「三女(さんじょ)」。そして、仏教系の男子校・駒形大学付属三島高校。西高と区別するため通称「東高(とんこー)」と呼ばれている。

伊豆箱根鉄道・駿豆線は、ドラマでの重要な舞台だ。リアル世界でも、沿線には、進学校から、今では貴重な農業高校まで、キャラ・・・校風と最寄り駅の異なる県立高校が縦一列に8校ほど並んでいて、朝夕の電車は、上りも下りも高校生で溢れている。定期代はバカっ高いが、他に交通手段が無いんだから仕方ない。

地元民が、伊豆箱根鉄道を「いずっぱこ」と云うのは本当の話だ。あと「駿豆線(すんずせん)」って云うときもある。それから伊豆箱根鉄道は、バスも運用しているが、こちらは「いずっぱこ」とは呼ばない。明確では無いけれど、電車は「いずっぱこ」、線路は「駿豆線」、バスは「伊豆箱根」って使い分けているように思う。「いずっぱこで通学する」「駿豆線の踏み切りの近く」「伊豆箱根のバス停」っていう具合だ。

リアルでは、三島市には私立校は1つしかない。って云うか、そもそも伊豆地方には、私立高校は1つしかない。それが「日本大学付属三島高校」である。ドラマの「駒形大学付属三島高校」は、仏教系の三流大学(駒澤大学じゃ無いよね)の付属って設定だけど、日大三島は、共学校だし、仏教系ではないし、三流でも無い。ただ、僕がリアル高校生の頃は工業科があって、頭に宇宙戦艦ヤマトを載せた兄ちゃんたちが通っていた。

日大三島は、近隣では最大のマンモス校だ。普通科は共学とは云っても男子部と女子部に分かれていた。女子が移動教室などで、廊下を歩いていると、男子にからかわれたなんていう話を聞いたことがある。まあ、東高のモデルにするには、無理があるが、他に該当する学校もないので、良しとしていただこう。僕がリアル高校生だった頃の日大三島高生のイメージは、重岡大毅君が演じる「海老沢ゆずる」である。

「駿豆西高校」は、毎年東大合格者を数多く輩出する男女共学高って設定だ。強引に当てはめるならば、県立韮山高校「韮高(にらこー)」だろう。偏差値も66くらいだし、東大・京大に合格するヤツも多い。リアルの韮高は、もうすぐ創立150年っていう超伝統校だ。北条早雲が居城とした韮山城跡に校舎が建ち、山城の郭がテニスコートになっているってことだけでも、その伝統が分かるだろう。昔は男ばかりで、女子の比率は低かった。僕の親の世代なんて「女の子なのに韮高に行ったら、お嫁さんの貰い手が無くなる。」って本気で云ってたものだ。実際、韮高の女子生徒は、男社会の中でバリバリやってく子が多かったように思う。僕がリアル高校生だった頃の韮高女子のイメージは、黒島結菜さん演じる「中井貴子」である。


「聖三島女学院」は厳粛なカトリック系の女子校って設定だけど、これは県立三島北高校「三北(さんきた)」(偏差値63)かなぁ。三島北高は、校舎が「東校(とんこー)」としてロケに使われていたので、ドラマとの関わりは深い。リアルの三北は創立120年、旧三島高等女学校の伝統を守る県立の女子校で、後ろ襟に星の刺繍をあしらったセーラー服は、近隣の女子中学生の憧れの的だ。僕がリアル高校生の頃は、中学の成績が学年トップだけど女の子だから北高に進学した、なんていう話は普通にあった。僕の北高生のイメージは、ドラマで「波留」さんが演じた「蜂矢祐子」である。


「いずっぱこ」の沿線には、もう1つ、実科女学校を前身とする県立大仁高校という女子校があって、ここの制服も黒いセーラー服だった。前から見ただけでは区別が付かないから、セーラー服の女子高生とすれ違うと、僕らは必ず振り返って、後ろ襟のマークを確認した。☆だと「北高だっ」ってなり、違えば「大仁か」って思ったものだ。


三島北高と日大三島は、銀杏通りをはさんで斜め向かいにあるけど、北高の女の子と日大の男が、並んで歩いているところを、あまり見たことがないから、ドラマの設定と似ていると言えば似ている。って考えると、ドラマの「海老沢君」と「あまりん」のカップルが、如何にレアなケースだったかが分かる。


2004年、三島北高は男女共学になった。時代の流れとはいえ、OGの強い反対があったのは云うまでも無い。三北は県立の伝統校だし、進学校だし、通学にも便利な立地なので、近隣の中学生の人気は高い。共学化は順調に進み、男女比も半々に近づき、制服のデザインも変わった。でも、セーラー服のイメージと背中の☆は健在だ。制服が変わるという話を聞いたとき、北高と全然関係の無い僕らでさえ、☆はどうなるのだろうと心配したくらいだから、北高生にとって、☆の無い制服など有り得なかったのだろう。 

詰襟学ランの韮高生と、黒セーラー服の三北の女の子が、三島の街を並んで歩いていると、それだけで絵になった。共に百年を超える伝統のオーラがあった。僕らの親の世代からずっと変わらない、昭和の青春の映像だ。

とはいえ、他校生と付き合うというのは、憧れではあるけど、それなりにエネルギーを必要とする。韮高も三北も、今では男女比も半々、自校内でカップルが生まれることが多くなったらしい。旧制中学と高等女学校のカップルを、街で見かけることもなくなってしまった。

大仁高校は、2010年に修善寺工業高校と統合され閉校になった。だから、セーラー服とすれ違っても、もう振り返ることは無い。