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2023年3月19日日曜日

松本零士「男おいどん」「戦場まんがシリーズ」「ワダチ」

漫画家「松本零士」先生が逝去されました。訃報がマスコミ各社によって報道されたとき、氏の代表作として紹介されていた作品が「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」でした。

宇宙戦艦ヤマトは、僕が最も影響を受けたアニメですし、銀河鉄道についてはそれほどの思い入れはありませんが、氏の代表作とすることに異論はありません。ただ、ヤマトについて云えば、松本零士氏は、宇宙戦艦ヤマトのキャラクターデザインを担当しましたが、ヤマトの原作者ではありませんし、企画の中心人物でもありません。ヤマトの各キャラクターは確かに松本零士作ですが、物語の構成は全然松本零士っぽく無いですよね。

とは云っても、キャラクターあってのアニメーションですから、「ヤマト=松本零士」というイメージが、これからも残っていくのでしょう。それにしても、宇宙戦艦ヤマトって格好良すぎです。まあ、元になった旧帝国海軍の戦艦大和が理想的な船型だったってこともありますし、それに宇宙船としてのアレンジが程好くされていて、子どもだった僕は、一目で虜になってしまいました。

で、ヤマトは横に置いといて、僕が、松本作品の中で印象に残っている作品をあげるならば、「男おいどん」と「戦場まんがシリーズ」でしょうか。あと「ワダチ」も喜んで読んでました。

「ワダチ」は、世間的に無名ですし、それほど高い評価を受ける作品では無いかもしれませんが、日本中の建物を取り壊して瀬戸内海を埋め立てるとか、奇想天外なストーリーに、子どもだった僕は惹き付けられました。松本先品は、出てくるキャラクターが全部同じなので、いろんな話が記憶の中でこんがらがっていますが、印象に残っている場面は、新国連軍の攻撃から移民宇宙船を守るために、老い先短い老人たちが盾となって、対戦車ミサイルをぶっ放しているところとか、移民した「大地球」の木が意思を持ち歩き回っているとこでしょうか。終末思想にエヴァンゲリオンっぽさを感じるのは、僕だけでしょうか。そういえば、「浦沢直樹」氏も「ワダチ」に衝撃を受けたとネット記事にありました。僕は、浦沢氏と、ほぼ同世代ですので、その気持ちよく分かります。

「男おいどん」は、「週刊少年マガジン」で1971年から2年間にわたって連載された「四畳半漫画」です。僕は、この漫画で、この世に「ラーメンライス」なる食べ物があることも知りました。親にせがんでマネしたような記憶があります。さすがに「玉子酒」はマネしませんでしたけど・・・。

この作品は、氏と氏の下宿仲間たちの実体験を描いた作品とされていて、作者の人生観が、台詞の1つ1つに表れています。今思うと、若干、説教臭い感もありますが、子どもだった僕には、その一言一言が心に響いたものです。

そんな漫画を喜んで読んでいた僕も、やがて学生になり下宿生活を送ることになりました。「おいどん」とは違って、田舎の学生ではありましたが、農家の納屋を改造した全6部屋の間借りで、風呂無し、流し・トイレ・玄関共同の生活を送っていました。家賃は8000円。僕は、仕送りもそれなりにもらっていたので、極貧な生活というわけではありませんでしたが、それでもテレビはなくって、ラジカセが唯一の情報源。布団は万年床で、冬はコタツで寝ていました。一週間分の洗濯物をボストンバックに詰めて、歩いて15分のところにある銭湯に通ってました。もう少し近いところにも2軒ほど銭湯があったんですけど、そこが一番広くて気持ち良かったんですよね。気になって調べてみたら、今もちゃんと営業していてびっくり、市内で残っている唯一の銭湯とありました。

僕にとって、これぞ松本作品と云えるのは「戦場まんがシリーズ」でしょう。バッグナンバーを床屋や歯医者の待合室で断片的に読んだだけですので、未読の話もかなりあるかと思います。以前、このブログにも投稿した「亡霊戦士」とか「成層圏に鳴くセミ」の記憶があるので、第4巻「わが青春のアルカディア」は、読んでいたようです。

零士氏の父親は、旧帝国陸軍の佐官で、軍用パイロットの草分け的存在だったそうです。戦時中は飛行学校の教官を務めていたともありました。戦後は、自衛官への誘いを頑なに拒み、炭焼きや野菜の行商を生業とし、かなり貧しい生活を送っていたそうで、その生き様は、松本零士氏の戦争漫画に大きな影響を与えたと云われています。

この物語で登場するのは、敗色濃厚な日本軍やドイツ軍の兵士です。敵味方を善悪で分けることなく、戦場における男の戦いを、両軍の立場から描いています。その作風は、決して戦争賛美ではなく、かと云って反戦漫画でもなく、戦争をロマンにしていると云えばそうかもしれませんが、理系目線で第二次世界大戦を描いた物語は、軍事ヲタク少年であった僕には、とにかく格好良く思えました。

松本零士氏の作品の中で、最も再読したいと思ったのが「戦場まんがシリーズ」です。

2021年5月31日月曜日

「聖徳太子と法隆寺」展と山岸凉子「日出処の天子」

日曜日の朝、突然6年前の投稿記事にアクセスがあった。山岸凉子先生の「日出処の天子」に関する記事である。理由は直ぐに想像できた。今年は、聖徳太子没後1400年ということで、東京と奈良の国立博物館で聖徳太子1400年遠忌記念特別展が開催される。で、NHK日曜美術館で取り上げていたからだ。

それにしても「日出処の天子」の記事なんてネットには星の数ほどもあるだろうに、何故、僕の記事なんかにアクセスしてきたんだろう・・・って、その謎は録画した放送を見て分かった。ゲストに「池田理代子」先生が出ていたからだ。僕のブログ記事は、池田先生の「聖徳太子」も取り上げている。池田作品を取り上げているブログ記事は、そう多くないはずだから、こんな小さな記事でもヒットしたんだろう。

「日出処の天子」~漫画史に燦然と輝くBL~

池田理代子先生の「聖徳太子」は、山岸ファンからは頗る評判が悪い。さらに、池田先生は、朝日新聞のインタビューで「日出処の天子」をボロクソに批判したので、御本人同士も、絶対、仲が悪いはずだ。

今回、NHKが、聖徳太子漫画の第一人者として、山岸先生でなく池田先生を呼んだのは、政治力とかNHKへの貢献度とか、所謂、大人の事情ってヤツだろう。NHKとしても、山岸先生を招くことで池田先生の不興を買うことは避けたかったのかもしれない。って、だったら、どちらも呼ばなければ良かったのだ。呼ばなければネットがザワつくこともなかっただろう。今回の放送で、NHKが山岸ファンを敵に回してしまったのは確かだ。今頃、NHKには、山岸ファンからの抗議のメールが届いているに違いない。

池田版「聖徳太子」は、連載当時から、山岸ファンからパクり作品であると批判されてきた。池田先生は「日出処の天子」を違和感があるとし、正しい聖徳太子を描くことを目指して連載を始めたはずなのに、何故、山岸版に作風が寄ってしまったのか、何故、同じような創作エピソードを入れたのか。偶然とは思えない類似性が、この2作品にはある。

池田先生は、ご自分の作品が批判されていることが、お気に召さなかったのだろう。で、2007年の朝日新聞のインタビューになったんだと思う。でも、(四天王寺からの依頼もあって)聖徳太子を描きたかったから描いた。それだけの話で良かったのだ。朝日新聞も、喋ったことを全部記事にするんじゃ無くって、適当にカットしておけば、あそこまでの炎上騒ぎにはならなかったように思う。発言の切り取りなんてお手の物だろうに。

「法隆寺が『日出処の天子』に激怒して、裁判沙汰になっている」っていうトンデモナイ捏造記事を大々的に報じた毎日新聞よりはマシではあるけど。(この時、法隆寺は、山岸作品に対して好意的なメッセージを出し、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」という教えを実践している。)

同業他者の作品を批判することって、まあ、あるかもしれないし、同一人物を主人公にしているのだから、作風が似ることもあるかもしれない。手塚治虫の「ジャングル大帝」とディズニーの「ライオン・キング」に例えた記事があって、面白く読ませて頂いた。でも、ディズニーは、手塚作品のデキが悪いからライオンキングを作ったとは云っていない。山岸ファンが、ここまで憤ってるのは、池田先生が先行作品に明らかに影響されているのに、他方をあからさまに卑下したからだ。連載から三十数年、朝日新聞のインタビューからも十数年が経っているのに、山岸ファンの怒りは未だに治まっていない。

国立博物館に漫画が展示されるわけではないので、どうでもいい話なんだけど。

仏像ファンにとって、今年は法隆寺展の他にも、聖林寺の十一面観音像などの大御輪寺関連の仏像が東博に来るとか当たり年である。多くは寺院で拝観済みの仏様ではあるんだけど、博物館でのテーマに沿った展示は新しい発見もあって楽しい。なのに、奈良にも、東京にも、1年以上行けてない。悲しい。

2021年4月2日金曜日

「シン・エヴァンゲリオン」鑑賞記 (注:作品解説ではありません。)

映画「シン・エヴァンゲリオン」を見てきた。本当は、ハロヲタ君の映画「あの頃。」を見るつもりだんたんだけど、気付いた時には、すでに公開終了になっていたからだ。気分は映画モードになっていたので、ならばエヴァを、となった次第である。

僕は、マジンガーZとか宇宙戦艦ヤマトの世代なので、テレビアニメ「ヱヴァンゲリオン」のことは何も知らない。ただ、家には何故か「貞本義行」氏によるコミック全14巻がある。さらに、新劇場版「ヱヴァンゲリオン・序」は、テレビ放映で見た。だから、同世代の中では、ちょっとは知っている方かもしれない。

ただ、「序」を見て疲れてしまった。100分も見たのにやっと「ヤシマ作戦」、結末まで程遠かったからだ。「破」は録画したけど消してしまった。「Q」については録画さえもしなかった。

そんな感じだけど、いよいよ完結するって話を聞いて、見てみようと思った次第である。NHKのプロフェッショナルで「庵野秀明」氏を取り上げていたってこともある。番組を見ての感想は、僕の身近に居なくて良かったぁ。

映画に行くに先立って、コミックを全巻読み返した。それから、ネットで「破」と「Q」のあらすじを確認して、予習完了だ。

映画館では、複数のシアターを使って上映していた。さすが話題の作品である。僕の選んだ時間帯だと、2つのシアターで同時に上映しているようだ。臨場感体感上映ってのがあって、4Kレーザープロジェクターとシネマプロセッサーを使ったプレミアム上映が、追加料金無しで見られるらしい。普通だったら一択なんだけど、密になるのがいやだから、空いてそうな通常版にした。300席の劇場で観客は10人だった。2時間半の長丁場だから、トイレに行きやすいように通路脇の席に座る。おじさんになると、いろいろと配慮することが多い。

結論から言うと、やっぱり「Q」をちゃんと見るべきだったかな。「Q」は起承転結の「転」だからね。あと、予備知識無しでの視聴は、かなり無謀。興行成績が好調なのは、新しいファンを開拓したというよりも、元からのファンがリピートしているからだろう。


物語は、14年後の世界という設定だった。だから、みんな大人になっている。それでいて、エヴァ・パイロットは歳を取らないっていう安易な設定。葛城ミサトには子どもがいるんだけど、ミサト自身はエヴァパイロットでも無いのに歳をとっていない。リツコも歳を・・・・いつまでもお若いって云うべきですね。失礼しました。

公開から一ヶ月近くなるので、ネットやYouTubeにネタバレ記事や解説動画が出ている。いくつか見たんだけど、そうだったのかと思うところが、たくさん有る。やっぱり、復習も大事ってことか。

エヴァは、ヲタクが制作したものをヲタクが鑑賞してる世界。制作側の庵野氏は、芸術系(文系)ヲタクだ。細かい設定なんて気にしてたら、あんな作品は作れない。で、それを見た論理系(理系)ヲタクの解説補完が必要となるわけだ。

このアニメの最大の疑問点は、何のために誰と戦っているのかってことだ。これって、皆でサードインパクトを防ごうとしていたんじゃ無かったんだ。全人類を巻き添えにした「碇ゲンドウ」の動機が、妻に会いたい一心だったとか、対立点が、話し合いで解決できるレベルの父子喧嘩だったら、死んでった奴らは浮かばれない。

全人類が消滅し新たに生まれ変わるって結末を見て、僕は学生時代に見た「伝説巨神イデオン」を連想した。2部構成の長編アニメで、ラストシーンで、みんな死んでしまったのが衝撃だった。(魂が新たな生命として再生されるみたいなフォローはあったけど)後で知ったことだが、当時は「皆殺しの富野」とか云われていたらしい。

庵野氏もこのアニメに影響されたらしい。僕は、エヴァの世代ではないけれど、庵野氏とは同世代なのだ。もちろん、彼は、すでにアニメーションの世界で仕事をしていたから、向こうはプロ、こっちは一視聴者だったわけだけど・・・。

ロボットアニメが、鉄人28号やマジンガーZから始まって、ガンダム、イデオン、マクロスと続く中で、庵野氏がエヴァを制作したのは、ネタ的には出尽くしちゃた時代ってことになる。何をやっても、何かと同じという厳しい時代だったんだと思う。

映画はこんな感じ。   


 挿入歌として「VOYAGER~日付のない墓標」が使われているのは、映画「さよならジュピター」へのオマージュらしい。この映画、僕も見た。木星が太陽になるやつだ。って思っていたら、それは「2010年宇宙の旅」だった。ラストシーンで、葛城ミサト(ジュピターでは三浦友和さん)が自らを犠牲にして突っ込んでいくってのもオマージュなんだろう。それにしても、感動のラストシーンで「松任谷由実」とか自由すぎる。

映画は、前作までのおさらいから始まった。一応、僕みたいな観客にも配慮してくれているようだ。でも、これで概要を理解できる奴は皆無だろう。これって、知っている奴が思い出すためにあるってことか。

で、いきなりの戦闘シーン。パリが舞台らしい。日本のヲタク文化が大好きなフランス人へのサービスかな。僕らは国会議事堂とか東京タワーが壊されるシーンを何回も見てきたけど、凱旋門やエッフェル塔がぶっ壊れるシーンを見たフランス人の反応が知りたい。

登場するエヴァ・パイロットは「真希波マリ」だ。このキャラクター、コミックの最後にも出てきた。母親の大学の後輩っていう設定だったけど、劇場版での設定が全然分からない。いったい何歳なんだろう。懐メロ歌うし、裏事情にも詳しい。碇ゲンドウとは、お友達感覚で、眼鏡キャラで猫言葉・・・これが、シン・エヴァのヒロイン?・・全然好感できない。可愛くない。

ロボットアニメで重要なのは戦闘シーンだ。シン・エヴァは、兎に角、敵の数が多すぎる。一人で無数の敵と戦うから、戦い方が雑になる。ミサイルをまとめてブッ放すところまでは良いんだけど、格闘シーンなんてのは、もはやドタバタ喜劇、敵へのリスペクトの欠片も無い。

とはいえ、戦艦を遊園地の飛行塔みたいに吊してクルクル回したり、発電機みたいなエヴァが並んで行進してきたのは、シュールで面白かったけど。

次の舞台は第三村だ。ニアサードインパクトで生き残った人たちが暮らしている村という設定だ。この景色、どこかで見たことがあると思ったら、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅じゃないか。転車台とか、診療所になっている車庫とか見学したのを思い出した。乗車料収入だけでは大赤字の路線だから、聖地となって賑わうことを願うばかりである。

ここでの生活描写は、完全にジブリ。WILLE(ヴィレ)が設置した「相補性L結界浄化無効阻止装置」により一定の範囲内がコア化せずに残っている、という設定からして、完全に「風の谷のナウシカ」だ。違うのは、王政で無くって共産制ってところ。村人が総出で棚田の田植えとかしている。人間は自然と共に暮らし、結婚して子どもを育てるのが一番の幸せって価値観が庵野氏から出てきたのは意外だった。彼らはこの暮らしを手に入れるために、14年間苦しい思いをしてきたんだろう。やがて来る結末がツラい。

シンジは、ここで大人になった中学校の同級生と出会う。14年後という設定が生かされているのはここだけ。「鈴原トウジ」は医者になり、学級委員長と結婚して子どもをもうけているし、ミリヲタだった「相田ケンスケ」は、ヲタク的サバイバル知識で村人に頼られる存在だ。

このケンスケが、とにかく良い奴で格好いい。しかも、アスカと良い仲なんて羨ましすぎる。彼こそ世のヲタクたちの憧れの的、理想の姿だろう。

そして、物語は、NERV(ネルフ) とWILLE(ヴィレ)の対決へと進んで行く。って、ネルフって碇と冬月の二人だけになっちゃったのか。たった一人で、あれだけの仕事をしている冬月コウゾウ先生って凄すぎる。

冬月先生の設定年齢は60才だから、リアルに同世代。かつての教え子の部下になるって設定は、年下の上司を持つオジサン世代には身に染みる話である。シン・エヴァは14年後の世界だから、ここでは74才ってことだけど、どう見てもそんな爺さんには見えない。そもそも、この14年後って云う設定、無理あり過ぎだろう。作品解説に、登場人物がこの心情になるには14年の歳月が必要だったって書いてあったけど、どうせ作り話なんだから5年後くらいで良かったんじゃないか。

ゲンドウの唯一の理解者でクールな副司令官「冬月」は、理系ヲタクの憧れでもある。でも、ゲンドウと最期まで行動を共にする動機がイマイチ分からない。それが、シンジの母親との三角関係だとすると、ただのエロ親爺だし。冬月副司令の願いって何だったんだろう。僕は、科学者としての知的欲求かと思うんだが、エヴァ・ファンに教えを蒙りたいものである。

衝撃のラストは、フォースインパクトとか、アナザーインパクトとか、アディショナル・インパクトとか出てきて、文字通りのインパクト有り過ぎな展開。いきなり出てきたマイナス宇宙で何か凄いことが起きているようだが、劇場では全然理解できなかった。まあ、ネタバレ記事と解説動画を見た今でも、全て理解できてるわけじゃないけど。

でも、アスカが綾波と同じクローンだったってオチは、そんなこと聞いてないよぉ、って感じ。やっぱり大好きなキャラクターは、唯一無二の存在であって欲しい。渚カオルも、たくさん存在していたって描写もあった。物語がループして一気に世界観が広がったわけだけど、その分、1つの物語としてのシン・エヴァンゲリオンが矮小化されちゃった気がしたのは僕だけだろうか。


でも、「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」て云う台詞のところでは、何の思い入れのない僕でも、ウルってきちゃったし、楽しい2時間半だったことは確かだ。映画を観た後、解説記事を読んでいる時も楽しかった。勝手なことを書き綴ってきたが、無知な視聴者の世迷い言とスルーしていただきたい。

エヴァンゲリオンはこれで完結のようだけど、庵野氏の新しい仕事も楽しみにしている。「シン・ゴジラ」は2回も劇場で見るくらい面白かったから、「シン・ウルトラマン」も期待している。この勢いで「シン・宇宙戦艦ヤマト」とか「シン・となりのトトロ」とかも作ってくれたら嬉しい限りである。

2021年1月1日金曜日

黒島結菜:NHKミニドラマ「悲熊」~社会的弱者に癒やされる不思議の国の物語~

NHKの番組紹介サイトからです。

SNS上で公開され大人気の4コマ漫画「悲熊(ひぐま)」をドラマ化。ドラマの舞台は人間と熊が共存する世界。主人公の子熊は両親を亡くし兄ともはぐれ、幼い身でありながら水産加工工場で働き自活しています。子熊を演じるのは、ジャニーズWESTの重岡大毅さん。誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い、それでも前向きに生きる子熊の姿にキュンとなる。いろいろあった2020年のしめくくり、「悲熊」で癒やされてください!!

「黒島結菜」さんは、そんな「悲熊」を気に掛ける優しい女子大生「栗林」さんを演じている。ヒロインってことなんだけど、お相手は着ぐるみの熊だ。主演(なかのひと)の「重岡大毅」君は、「教場Ⅱ」で伊藤健太郎君の代役にも抜擢されたジャニーズタレントで、黒島さんとは「ごめんね青春」以来の共演らしい。

第9話では「正名僕蔵」さんがゲスト出演していた。今回は落ちぶれたサラリーマンの役で、これもハマリ役の1つだ。最近も「ホテルローヤル」とか、たくさんの作品に出演されているけれど、出演作をNHKのオンデマンドで検索しても、もう「アシガール」は出てこない・・・悲しい。

1話が5分のミニドラマで、全10話の構成。黒島さんが出演したのは、そのうちの半分くらい。閻魔堂沙羅のときは前髪があった黒島さんだが、このドラマでは、髪の毛をアップしていた。

NHK大阪放送局制作とのことだが、ロケ地が静岡県沼津市の千本浜公園だったりしている。こんな近くでロケをしていたなんて知らなかった。沼津は黒島さんが主演した「時をかける少女2016」のロケ地でもあって、狩野川に架かる「永代橋」とか、千本浜の海とか、同じ場所が出てくる。黒島さんは、4年前のロケ地のことなんて、覚えちゃいないのかなぁ・・・悲しい。

それにしても、このドラマ、どのくらいの人が見たんだろう。視聴率なんて計測不能だと思うけど、放送中はツイッターで「#ミニ悲熊」がトレンド入りしたとのことで、ジャニーズファンの結束力には恐れ入るばかりである。1月9日(土)には、第1話から5話までを再放送するらしいから、それなりに評判は良かったのかもしれない。

全10話の中で、面白かったのは自局番組の「ダーウィンが来た」をパロった第5話「悲熊は密着される」、良かったのは山道に迷った少年との交流を描いた第6話「悲熊は迷子と出会う」だ。

第5話に登場した、お湯にルーを溶かしただけの具無しカレーは、衝撃的に悲しかった。でも、ルーの味がよく分かって、案外美味しいかも知れない。カツカレーとかだと具がじゃまになるときがあるから、今度試してみようかと思う。そういえばCoCo壱番屋のカレーもそんな感じだったような・・・。

番組の紹介に「誰もが経験したことのある「悲しいこと」にクスッと笑い」とある。確かに、朝ご飯の時に炊飯器のスイッチを入れ忘れてたり、缶詰のプルタブがとれたりとかは、クスッと笑える悲しいことなんだけど、生き別れた兄が、成金社長のリビングの敷物にされているのは、笑って済む話では無い。

つまり、このドラマ、普通に見ている分には、着ぐるみ姿の重岡君が、健気で可愛いだけの癒やし系ドラマなんだけど、描かれている内容には、結構奥深いモノがあるのだ。

この物語の舞台は、人間と熊が共生する社会である。熊たちは、水産会社に雇われて、鮭漁をすることで生計を立てている。熊税を納める義務を負い、未納者には税務署から督促状が送られてくる。不動産物件では「熊不可」などの差別を受けることがあるが、回転寿司屋やハンバーガーショップでは客として扱われるし、水産会社の食堂では人間と一緒に弁当を使っているから、完全な隔離政策がとられているわけではないようだ。


ところが、熊たちには選挙権が無い。労働賃金も低く抑えられているため生活も貧しい。さらに、「熊狩権三」なる猟師に命まで狙われている。つまり、参政権はおろか、生存権までも保証されていないのである。

公園のゴミ箱を漁ってたという理由で(本当は空き缶を分別していたのだが)、保健所に捕獲され殺処分の対象になるなんて、ナチス政権下のユダヤ人もビックリな迫害である。ところが物語は、親切な栗林さんに助けてもらえて良かったね、という展開になっている。殺されそうになったのは、熊だから仕方が無いという話なのだ。

この物語の舞台は、人間と熊が共生している世界なはずだ。熊たちは社会的マイノリティーであり、生活弱者であるけど、野良猫や野良犬ではない。なのに、全ての差別や迫害が、「熊だから仕方が無い」ということで済まされているのだ。

米国だったら、不当な差別に対して訴訟を起こしたり、「熊にも権利を」とデモ行進をするんだろうけど、日本は、此手の問題に関しては、鈍感でいられる国に思う。「悲熊で癒やされてください!」と言い切ってしまうNHKに対しても、違和感を持つ人の方が少ないだろう。社会的弱者の困窮を仕方が無いこととし、健気に生きることを期待する不思議の国がそこにある。

社会的弱者が主人公のドラマが、癒やし系として成立しているのは、栗林さんを初め、登場人物が良い人ばかりで、悲熊に救いの手を差し伸べているからに他ならない。「熊さん良かったね」というオチがあればこそなのである。

第5話で「ドリじい」は「悲しさの数の分だけ幸を知る」と詠んだ。悲熊は、理不尽な世の中に悲しむことはあっても、恨んではいない。悲熊が愛される理由はそこにある。恨みを救うことは難しいが、悲しみを癒やすことならば誰にでもできるからだ。熊に参政権を与える政治活動はできなくとも、投票気分を味わわせてあげることはできる。たとえそれが、その場凌ぎで根本的な解決ではなくとも、幸を分かち合うことで人も熊も癒やされるのだ。

栗林さんのように行動する自信はないけれど、気に掛けることぐらいはできるような気がする。僕の周りにもいるであろう「悲熊」のために。

2020年9月20日日曜日

「風の谷のナウシカ」~抹殺された主題歌~

ブログを始めてから5年半が経ちました。投稿記事もこれで567本目(コンセプトがブレブレで申し訳ありません)です。で、その記念すべき(?)最初の投稿記事は「風の谷のナウシカ」だったんですけど、先日、ドクター・キャピタル(Dr. Capital)の解説動画を見つけて懐かしく思ったものですから、再掲させていただくことにしました。

まずは、ドクターの楽曲解説から。後半で披露されるドクター自らの歌唱は、お好み次第で。

ドクターは、この楽曲をアニソンと云ってます。確かに「風の谷のナウシカ」というアニメ映画はありますが、この楽曲は、アニメの劇中にもエンディングにも使われてないし、その後発売されたサウンドトラックにも収録されていないんですよね。

以下は、5年前の記事の再掲載です。

安田成美さんのデビュー曲「風の谷のナウシカ」。アニメ映画「風の谷のナウシカ」は知っていても、この歌は知らない人も多いのではないでしょうか。松本隆、細野晴臣という当時の最強コンビの作品ながら、安田さんのあまりの歌の下手さに宮崎駿氏が激怒。映画には絶対関わらせない条件で、落ち着いたのがイメージソングという扱い。上映前の館内では流れていましたが、劇中に使われるわけでもなく、サントラにも未収録。その後、映画がどんなにヒットしても、ジブリが世界的ブランドになっても、この歌が世間に広まることはありませんでした。安田さんもその後は女優業に専念するようになり、二度と歌うことはありませんでした。

あれから30年、初音ミクが歌うナウシカを聴いた僕は、衝撃を受けました。テクノポップとボーカロイドの相性が良いのは当然のこととしても、細野晴臣氏が、初音ミクの登場を予測して作ったのではないかと思うほど似合っていて、僕の抱いていたナウシカのイメージを初音ミクが見事に再現しているのです。

電車の吊り広告を見て、何の予備知識もなく入った裏通りの映画館。どんな作品だろうと待っていたときに館内に流れていたこの曲。映画では描かれることのなかった、16歳の女の子のナウシカを表現したこの曲。宮崎駿氏が排除しようとした、16歳の可愛い女の子のイメージ・・・。

ああ、今頃わかりましたよ。宮崎先生が激怒したのは、安田成美の歌唱力なんかじゃなく、ナウシカにアイドル性を持たせようとしたこの曲そのものだったってことが。

 

ところが予告編では、安田成美さんの歌を使っていたんですね。ちゃんと「主題歌」って出ているし。だとすると、宮崎先生が激怒したのは、この後、土壇場になってからってことになります。

宮崎駿氏の思考って、凡人には付いていけないところがあります。僕、原作のコミックも持っていたんですけど、最後の方なんて、自分で作った世界観を、自分でぶち壊してしまいましたから・・・ドンデン返しを通り越して、もはや、ちゃぶ台返しです。

宮崎氏が激怒した理由については、安田成美さんの歌唱があまりにもあんまりだったってのが、当時の僕らの認識でしたけど、駿氏は、楽曲がアニメ作品のイメージと合っていないと仰ってたそうです。ナウシカは、ただの可愛い女の子では無いとも。

でも、コミックやアニメに描かれているナウシカは、可愛くって、優しくって、格好良くって、アニメオタクが憧れる王道のキャラクター設定なわけです。初恋の相手がナウシカだってヲタクも結構多かった。自分で可愛く描いておいて、アイドル扱いにしたからNGっていうのも可笑しな話。ちゃぶ台返し、ここに極まれりです。

松本隆、細野晴臣という名コンビに楽曲を作ってもらって、安田成美さんをオーデションで発掘して、コミックも映画も楽曲もタレントも、総合的に売りまくるという、当時流行っていた「角川商法」をやろうとした徳間書店に対して、自身のアニメ作品がアイドルの売り込みに利用されるのがイヤだったのでしょうか。

そんなこと云っても、大金を投じてCMとかも打っちゃってるわけです。当時の宮崎氏は「ルパン三世:カリオストロの城」の興行失敗で、かなりピンチな情況でした。「ナウシカ」のアニメージュへの掲載に関しても徳間書店さんから施されていたはず。ですから、やるべきことは恩返しであって、ちゃぶ台返しではなかったはずです。

でも、こういったマウントの取り合いってのは、大人げない方が勝ちますからね。結局、楽曲は(主題歌だったのに)アニメから排除されてしまいました。

(普通は、これだけ楯突けば「次からは仕事なんて無えぞ」って倍返しされるはずなんですけど、この後にスタジオジブリを立ち上げて、ボス猿になっちゃうんですから、ホントに凄い方だと思います。)

そういうことで、抹殺される運命にあった楽曲「風の谷のナウシカ」ですが、デキの良さで辛うじて生き残り、ドクターの目にもとまったというわけです。

YouTubeには、歌自慢の方々の、歌ってみた動画が数多く投稿されています。でも、この曲って、感情込めて上手に歌えば歌うほど、違和感が出てきちゃうんですよね。安田成美さんの歌に慣らされちゃったってこともあるかもしれませんけど、淡々と歌ったほうが、テクノポップには合ってるんじゃないかって思います。

感情を抑えて、でも、安田さんより安心して聴ける歌唱となると・・・これはもうボーカロイドの出番ですよね。


いかがでしょうか、ボカロカバーで大事なのって、伴奏だと思います。良い打ち込み伴奏ができれば、ボカロカバーは8割方成功。この作品は、ドクターの講義にあった「マイナー/メジャーのモード変更とクロマチック・メディアント進行」が、上手く再現できていると思います・・・かな?

アニメ映画「風の谷のナウシカ」も、「風の谷のナウシカ」という楽曲も、両方大好きな僕としては、この2つがコラボできなかったというのは、大変残念なことだったんですけど、互いが互いを必要とせずに生き残ってこれたというのは、それはそれで嬉しいことではあります。

では、参考までに、安田成美さんの「ザ・ベストテン」での伝説のテイクを、貼り付けさせていただいて、お終いにします。こちらの視聴は自己責任で。

2020年8月12日水曜日

「アシガール」に登場する家族とその魅力③ ~羽木家の人々と、2つの暗殺未遂事件~

原作コミックを忠実に再現していると云われているNHK時代劇「アシガール」だが、細かく見ていくと、悪丸との出会い、成之の登場場面、如古坊のキャラクター設定など、変更されている部分は意外に多い。中でも、大きく変更されているのが、若君の異母兄「羽木成之」のキャラクター設定だろう。
というわけで、今回は、羽木成之についての考察と妄想・・・だったのだが、彼の心の闇は深い。

7.羽木家の人々と成之暗殺未遂事件


まずは、黒羽城主「羽木忠高」を演ずる「石黒 賢」さん。最近では「行列の女神」に出演されていた。


ドラマでの忠高は、命令するばかりである。野外ロケNGなのかなってくらい、自ら出陣しない。かなりヤバい戦も、若君に任せっきりである。多分、全編を通じて1回も出陣していない。まあ、若君に試練を与えて成長させるためってことにしておこう。

その忠高には、男子がもう一人いる。それが「松下優也」さん演じる「羽木成之」である。設定では、若君と同い年で誕生日も数日違いとなっているが、コミックでもドラマでも年上にしか見えない。羽木成之は、物語の最重要キーパーソンで、こういう役を演じるのって、楽しいんじゃないかなって思う。


成之の生い立ちは、ドラマとコミックで大きく異なる。

コミックでは、成之の母「久」は羽木家の奥女中だ。久は忠高と恋仲になって側室に上がったが、忠高が京都の公家の二条家から正室を迎えることになり、二条家に気を遣った羽木家は、久に暇を出してしまう。城から追い出された久は、忠高の子を身籠もっていた。久は、成之を出産して直ぐに病没、成之は寺で育てられたという設定である。時代劇としては王道の設定だ。コミックでの羽木成之は、何の後ろ盾も無い孤独な男である。

ドラマでは、「久」は、とある小領主から差し出された側室ということになっている。城を追われた事情は同様だが、久は病没していない。
やがて、跡目争いが起きることを危惧した家臣が、幼い成之を亡き者にしようと毒殺を謀り、久が代わりに毒を服して倒れてしまう。久は体を壊し、山奥の庵にてひっそりと暮らしているという設定である。

ちなみに、ドラマでは、若君の母「二条の方」は、忠清を出産してすぐに亡くなっている。だから、ドラマでは、母の顔を知らずに育ったのは、成之ではなく若君の方だ。

しかし、これは、かなりチャレンジングな設定だ。武家にとって、男子は大切な跡取りである。乳幼児死亡率の高かったこの時代に、正室に男子が産まれたからといって、側室の男子を亡き者にしようなどと考えるだろうか。それに、側室の子といえども、忠高の実子であるから、暗殺は、主君に対する完全な裏切り行為になる。

正室の子とはいえ、後ろ盾をなくした若君と、小さいながらも領主の娘を母に持つ成之。二人の間に、跡目争いが起きるというのは、有り得る話だが、だからといって、幼少のころから心配することとも思えない。
そもそも、相続争いというのは、取り巻きが起こすものだ。もし、成之の命を狙う者がいるとすれば、それは、久の実家と敵対する勢力、久の実家が勢力を得ることを好ましく思わない人たち、或いは二条家の関係者ということになる。少なくとも、羽木の家中の者の仕業とは考えにくい。忠高が、自分は関知していないと云ったのも、納得できる。

成之暗殺未遂事件に関して、忠高を首謀者とするには無理がある。何よりも、忠高には惣領の指名権がある。我が子を遠ざけることはあっても、命を奪う理由などないからだ。暗殺未遂事件そのものが、最初から無かった(久の服毒は事故だった)可能性だってある。
ただ、成之親子が安全な城内で暮らしていれば、このような事件は起きなかったわけで、忠高が責めを負うとすれば、この点にある。このことについては、ドラマ第12話で、忠高は成之親子に謝罪し、城内で共に暮らすことを許可している。

8.羽木成之の陰謀


人里離れた山寺で隠遁生活を送っていた成之は、異母弟の忠清に請われて、黒羽城で暮らし始める。そして、これを機に成之は陰謀を企てるようになる。

コミックでも、ドラマでも、成之は、忠清を亡き者にして、羽木家の総領に納まろうとする。ただし、その動機は多少異なる。

コミックでの成之は、如古坊と共謀して、羽木家の乗っ取りを謀っている。そこにあるのは羽木家への復讐心というよりも、歪んだ倦怠感にまみれた権力への欲望だ。まあ、幼い頃に捨てられちゃったのだから、素直に育てと云う方が無理な話であろう。

しかし、悪事がバレて如古坊が遁走し、成之が忠清たちと接することによって、彼自身も変わり始める。コミックの如古坊は救いようの無い奴だから、そんな悪い友だちと離れたことが、成之の自力更生につながったとも云える。若君の、己の暗殺を企てた者をも信じて許してしまう、という器の大きさに惚れ込んだってこともあるだろうし、元々、大した信念も無く、謀反を企てていたのだから、羽木家の中での自分の立ち位置を見つけ出せれば、それでOKだったのだろう。全ての罪を如古坊に背負わせちゃった感は否めないが。
ただ、このあたりの成之の台詞は「・・・・。」ってのが多く、彼の心情はブラックボックス化されているから、読者によって解釈はいろいろあろうかと思う。


一方、ドラマの成之の動機は、少し複雑だ。

久は、我が子「成之」を城から追い出し、亡き者にしようとした羽木家を怨んでいる。そして、成之は、母「久」を不自由な体にした羽木家を怨んでいるのだ。その恨みは、忠清を亡き者にし、羽木家を乗っ取ることで晴らすことができると考えている。
成之の第一の目的は、権力を奪うことではない。母の代わりに羽木に復讐すること、それが彼の望みである。羽木家の当主となって母を喜ばせたい気持ちはもちろんあるが、高山と通じることによって、結果的に羽木が滅んだとしても、それはそれで構わないのだ。

成之は、捻くれてはいるものの、純粋な心の持ち主だ。花を愛でたり、虫を慈しんだりする描写がそれを表している。唯之助に対する態度も、コミックよりもずっと優しい。如古坊が陰謀に加担するのも、虐げられていた自分を拾い、人として扱ってくれた成之への想いからである。

成之の陰謀は、母の思いを成し遂げるためであり、母への愛情の具現化である。成之暗殺未遂事件というチャレンジングな設定は、その成之の陰謀を正当化するために必要であり、互いの暗殺未遂事件でチャラにしようってことなのだ。

第10話で、成之の陰謀は、若君の知るところとなり、久は天野家に預けられた。久の心は、天野家の人々と心を通い合わせるにつれ、解きほぐされていく。ここでの「吉乃」の存在は大きい。

とは云っても、若君を暗殺しようとした兄の罪は、あまりにも重い。これを不問に付すなんて有り得ないことだ。だが、若君は成之を信じた。忠清と成之の確執は、(女が絡んでいるので)刃を交えるところまでいってしまうが、それでも信じ続けた。

これでは成之に勝ち目は無い。そもそも羽木を手に入れたところで、成之にはその先の未来が見えていない。だから、ずっと前から勝負はついていたし、それは成之も分かっていたはずだ。認めるのに時間が必要だっただけのことである。

第11話で、久は出陣の挨拶に来た成之に会わなかった。若君救出のための出陣である。会えば成之は母に謝罪したかもしれない。久は会わないことで、自らの怨念から成之を解放したかったのだろう。


高山と通じ、敵役だった成之が、若君と力を合わせて高山軍と対決するシーン。こういうのって昔から何度も見てきたけれど「光堕ち」って云うらしい。
「光堕ち」したキャラの多くは、その犯した罪を償うかのように、物語のクライマックスで命を落としたりすることが多い。しかし、成之は、何事も無かったかのように、阿湖姫を娶り、その知力によって若君に仕えるようになる。

「アシガール」の登場人物に悪人はいない。コミックでもその傾向はあるが、ドラマではさらにそうだ。若君暗殺を企てた成之をも悪人にしない。不思議な物語である。

2020年8月2日日曜日

「アシガール」に登場する家族とその魅力 ② ~天野家と唯之助の出世物語

物語はプロローグが面白い。特に根拠は無いけれど、そう思う。アシガール全編で、僕が特に面白いと思うのは、第一話から第三話までである。一番お金がかかっているのもここだろう。だから、アシラバさんたちの、最初のうちは我慢みたいな書き込みを見ると、そうなのかなぁって思う。確かに、オンデマンドの人気ランキングでも、第2話は、全13話中不動の最下位である。伊藤健太郎君と黒島結菜さんのどちらを軸に視聴しているで変わってくるのだろうか。

と云うわけで、今回は、天野家について妄想してみた。

前回へのリンクです。



3.唯之助の出世物語


天野家は、黒羽城羽木家の重臣で、武勇で仕えた家柄である。唯之助が天野の屋敷に匿われる場面では、広い屋敷に多くの下女が働いている描写があり、コミックにも、天野勢200という記述があるので、羽木の家臣団の中でもズバ抜けた勢力を持っていたことが分かる。

軍事面でも、赤備えの鎧で統一された天野勢は、先鋒や本軍を勤める羽木軍の中核的存在であった。赤備えは、武田軍の「山縣昌景」隊、徳川軍の「井伊直政」隊、大坂の陣の「真田幸村」隊など最強精鋭部隊の象徴であり、天野の赤備えもそれにあやかっての設定であろう。


梅谷村の百姓足軽だった「唯之助」は、駆け比べでのアピールなどが実って、天野家に召し抱えられた。この時の身分は、天野家の下人である。その後、鹿之原の合戦での働きにより、御馬番足軽に取り立てられた。城内にお役目を頂いたのであるから、城への出入りも許されるわけで、(但し、若君のプライベートエリアは不可)第1話で城を訪ねて門番からつまみ出された時と比較すると、かなりの出世である。この時の身分は、正式な足軽、つまり下級武士であるが、唯之助が羽木家直属の家来(直参)になったのか、天野家の家来(陪臣)のままなのかは、よく分からない。

江戸時代になると、直参と陪臣というのは、同じ武士でも天地の差があったらしい。企業ドラマで云えば、本社本店の正社員と子会社の社員、刑事ドラマで云うと、本庁捜査一課の刑事と所轄警察署の刑事の関係である。

天野の家人のままであれば、天野の屋敷に住んでいて、そこから城に通うであろうし、直参であれば、城下の足軽長屋に住まいをあてがわれるはずである。ドラマでもコミックでもこのあたりの描写は省略されているので、判断のしようがないが、何となく、天野の家人のような気がする。戦国時代中期においては、その差はどの程度であったのだろう。

コミック第5巻、ドラマ第8話では、唯之助は、若君の命を助けた功により、御馬番から若君の警護役に取り立てられる。実は、この出世は、これまでとは比べものにならないほどの大抜擢である。


唯之助は屋敷に上がり、殿様に直接お目通りしている。家人であれば庭先までだから、どエライ出世なのが分かる。コミックによると、この時の装束は、天野小平太のお下がりを使って天野信茂(じい)があつらえてくれたものらしい。唯之助は、梅谷村の百姓出身であったので、天野家が彼(彼女)の後見人となっていたのであろう。コミックでは、この時、忠高から「林 勝馬」の名をもらっている。

ドラマ第8話には、阿湖姫が馬を借りにくる場面があったが、姫の申し出を断る時の御馬番足軽の立ち振る舞いを見れば、両者の間の身分の隔たりが分かる。唯之助が阿湖姫と友達になれたのも、若君警護役という身分があればこそなのである。

4.天野家の人々


物語で、天野家は三代揃って登場するが、三人ともキャラが立っていて傑作である。

                 
先代当主は、イッセー尾形さん演ずる「天野信茂」(じい)。今は隠居の身であるが、先代の殿様の元では四天王の一人として活躍し、若君の守役(養育係)も務めた。ドラマでも、コミックでも個性的なキャラであるが、ドラマから入ったファンからすると、コミックのじいは口喧しいだけの印象があって、(唯之助が云うところの)喰えないクソじじい的なドラマの爺の方が魅力的に思う。まあ、これは、イッセーさん自身のキャラによるものであろう。

天野家の現当主「天野信近」を演ずるのは飯田基祐さんである。時代劇も現代劇も何でもこなすベテランの俳優さんで、飯田さんが出演しているドラマとか映画とか、たくさん見ているはずであるが、思い出せない。神木隆之介君と一緒に宝くじのCMに出ていたそうで、CMは見たことがあったが、上司の役だったのは云われるまで分からなかった。でも、映画もドラマもこういう役者さんの存在無くして作れないんだなぁと、実感した次第である。


天野信近は、堅物で根っからの武人という設定だが、ドラマの信近は、爺や唯之助に振り回されるなどコミカルな面も多い。筆頭家老でありながら、偉ぶったところの無い誠実な人柄は、飯田さん自身のキャラでもあろう。コミック12巻の番外編では、唯之助のお袋様「吉乃」との再婚にまつわるエピソードが紹介されている。

天野家の嫡男「天野小平太」を演じるのは、(はんにゃ)の金田哲さんである。はんにゃの金田なのに、ドラマではボケない。コメディーにお笑い芸人が出演しているのに、一切ボケない。この視聴者への裏切り度はハンパないであろう。剣道経験者だそうで、若君との剣術の稽古での剣さばきは、普通に格好いい。芸人さんっていうのは、ホントに何でも出来るんだなって思う。


金田哲さんは、今年公開の映画「燃えよ剣」に出演するそうだ。主役の土方歳三には岡田准一さん。近藤勇に鈴木亮平さんという豪華な顔ぶれであるが、金田さんは、八番隊隊長「藤堂平助」を演ずるらしい。ちなみに 、藤堂平助は、大河ドラマの「新撰組!」では、中村勘九郎さんが演じた人気の役である。

小平太は、若君と常に行動を共にしている近習で、7才の時から、3才年下の若君に仕えていたことになっている。恐らく、守役であった天野信茂が、若君の御学友というか、遊び相手として、自分の孫を連れてきたのであろう。乳母子の例と同様に、幼君と一緒に育った家臣の子は、互いが厚い信頼関係で結ばれて、幼君が成人した時には最も忠実な家臣となる。天野家は、羽木家の重臣の家柄であるが、小平太の存在により、若君の代になっても、筆頭家老の地位が保証されていることになる。


物語には、もう一人、「赤井源三郎」という近習が出てくる。こちらは重臣千原家の縁者で、設定年齢は小平太と同じだそうだが、立ち振る舞いから小平太より若干身分が低いように思える。小平太は、若君に苦言を呈することもあるが、源三郎は、ひたすら忠義を尽くす近習である。若君にとっては、最も使い勝手の良い家来といえよう。


5.正室への伏線


永禄にタイムスリップした唯を助け、引き取ってくれたのが、梅谷村の百姓「吉乃」である。第8話では、吉乃が足軽大将「きうちやすまさ(木内康正?)」の娘であったことが明かされる。当時の軍団は、総大将→侍大将→足軽大将→足軽小頭→足軽→雑兵と構成されている。足軽大将は100人ほどの足軽を束ねる実戦部隊の指揮官であり、海軍でいうと巡洋艦や駆逐艦の艦長クラスであろうか。中流武家の娘が、なぜ百姓として暮らしていたのかは明らかにされていない。

吉乃は、唯之助が若君拐かしの疑いで、お尋ね者になっていたときに、尋問のために引き立てられて来たことが縁で、天野信近に見初められた。吉乃が信近の後妻になったことで、形式的ではあるが、唯は天野家の養女になった。この意味は大きい。アシガールは、時代考証などで杜撰なところもあるのだが、こういう伏線の張り方は見事である。

戦国時代にも江戸時代にも、身分を越えた恋愛はあった。でも、正式に婚姻関係を結ぶには、やはり身分を整える必要があったわけで、その時に使われたのが、身分の高い家の養女になるという方法である。

真田家と徳川家が同盟を結んだときに、「真田信之」と本田忠勝の娘「小松姫」が結婚することになった。真田家の嫡男と徳川家の重臣の娘であるから、身分的には、まあまあ釣り合っていると思うのだが、家康は小松姫を自分の養女にしてから結婚させている。つまり、家康の娘と結婚したことにしたのだ。信之を見込んだ家康のラブコールである。形式的なことに過ぎないが、関ヶ原の戦いでは、信之は義理の父である家康方に付くわけで、やはり形式は大事なのだ。

面白いのは、唯は、若君と結婚するために天野家の養女になったのではない、というところである。重臣の娘であれば、若君との結婚に問題はない。が、吉乃が再婚したのは、唯が平成に戻っている間である。唯は自分の知らないうちに天野家の養女になっていた、つまり形式の方が勝手に整ったのである。


この婚姻は、天野家にとっても、喜ばしいことである。天野家の娘が羽木家の跡取りを産むことになれば、天野家は、領主の外戚となるからだ。ライバルの千原家が面白くないのは当然のことである。
しかし、正室となると話は別である。正室の座は他国のと同盟関係に使う重要なカードであるから、忠高が難色を示したのも当然のことであろう。

6.唯之助の弟たち


吉乃には、三人の男子がいたことになっている。「弥之助」は小垣の戦で死んでしまい、代わりに転がり込んできたのが唯之助である。
弥之助の弟たちが「三之助」と「孫四郎」である。数字が合わないのは、幼くして死んでしまった兄がいたということであろうか。後妻と連れ子たちである。


「三之助」は、聡明な男の子という設定である。14巻では、平成からやってきた「尊」から数学の手ほどきを受けたりもしている。天野家の三男として、成人したら、知力をもって緑合藩を支えることになるであろう。とすると、天野家の四男の「孫四郎」は、武力で仕える設定であろうか。・・・ん、数字が合ってる?

子役が大きくなるのは早い。続編を制作するとき、弟たちってどうするんだろう。

2020年7月25日土曜日

「アシガール」に登場する家族とその魅力 ① ~主役の二人と速川家~

昔と比べると、コミックを実写化したドラマってホントに多くなったと思う。まあ、それだけ日本のコミックのレベルが高いってことなんだろうけど、画がそのまま使えるアニメ化と違い、人間が演じる実写化は、人物に違和感が出ちゃったり、世界観を表現しきれなかったりと、いろいろと難しいこともあるようだ。そんな中で、実写化の成功例とされているのが、NHKドラマ「アシガール」だ。

いきなりですけど、SPドラマのラストシーンです。


で、こちらがコミック12巻のラストシーン。アシラバさんによると、このコマはコミックの方がドラマに合わせて挿入したらしい。


というわけで、今回は、コミックとドラマを見比べながら、アシガールの登場人物とその家族について妄想してみた次第である。


1.まずは主役の二人から


アシガールがドラマ化されるにあたって、主役の「速川唯」については原作者さんからの指名(内田Pのオファーとも)で黒島結菜さんに決まっていたそうだが、若君はオーディションをしたらしい。
当時、コミックは7巻までが刊行されていて、すでに多くのファンが付いていた。ファンの若君に対する思い入れは熱く、伊藤健太郎君(当時の芸名は健太郎)に決まったときも、イメージに全然合ってないとか云われちゃったそうだ。今では、想像もできない話である。


アシガールのカップルは、どこまでも格好いい若君と、ちんちくりんな女子高生という、典型的な凸凹カップルだ。コミックの速川唯は、計算高いところもあって意外と性格も悪い。オマエみたいな男がホントにこんな彼女で良いのか、ってツッコミを入れたくなるようなカップルだ。まあ、ドジな女の子に王子様キャラの彼氏っていうのは、少女漫画によくある設定だ。多分、読者が感情移入しやすいんだろう。

若君は、少女漫画では盛り放題だが、生身の人間はそうはいかない。どんな好青年だって完璧なんて有り得ない。で、唯之助を演じる黒島結菜さんは、女優だからそれなりに可愛い。だから、コミックでは凸凹カップルだった二人が、ドラマでは程よく釣り合って、お似合いカップルになっちゃってる。


こんなドラマみたいなカップルを街中で見かけたら、ガン見しちゃうだろう。(ドラマでした。)

アシラバさんたちの中には、二人がリアルでもお付き合いしてくれれば良いのになんて思っていた人もいたようだ。特に、健太郎君の中年オバさんファンからは、結菜ちゃんならOKみたいな書き込みがあった。まるで、息子のお嫁さん選びである。

でも、共演をきっかけに交際ってことにはならなかったようだ。番宣などでの二人を見ているとなんとなくのよそよそしさを感じる。どちらかと云うと、伊藤君が遠慮気味な感じがする。二人は同じ1997年生まれだけど、黒島さんの方が学年が1こ上ってこともあるかもしれないし、収録が始まった頃は、役者としての実績は黒島さんの方がちょっと上だったってこともあるかもしれない。

黒島さんのインタビュー記事には、同世代の共演者よりも、スタッフさんとかベテランの俳優さんとかと話をすることが多いと書いてあった。もしかしたら、同世代の男からすると、取っ付き難い雰囲気を持っているのかもしれない。アシガールの現場でも、この二人って、ほとんど話などして無いんじゃないかって思う。

今年になって、二人には、それぞれ熱愛報道があった。伊藤君には活発な女の子の彼女ができたようだし、黒島さんは落ち着いた大人の彼氏とお付き合いをしているようだ。これをきっかけに、二人とも素敵な大人の役者へと成長していくんだろう。まあ、続編制作のことを考えると、リアルで付き合っていない方が、仕事がしやすいってこともあるわけで。


2.速川家の人々


コミックの速川家は、ごく普通のサラリーマン家庭という設定だ。母親は専業主婦で、弟の「尊」は有名進学校に通っている発明の天才だが、不登校ではない。

それと比べて、ドラマの速川家は、キャラが立ちまくっている。母親は内科と外科の開業医で、父親は家事が好きすぎて会社を辞めた専業主夫。弟はいじめられっ子の引き籠もりである。

母親が開業医というのは便利な設定である。若君が瀕死の重傷を負って平成に送り込まれた時も、救急車を呼ぶときにどうやって説明するかとか、入院したときの医療保険はどうするんだろうかとか悩まなくって済む。まあ、これはコミックだって同じ事なんだけど・・・。

コミックの速川家の両親は、常に受け身だし、常識的に悩んだりもするので、お隣に住んでいる向坂名誉教授の助けを必要とするのだが、ドラマの速川家は、とにかく明るくて前向きだ。引き籠もりの尊に対する態度もそうだけど、新型タイムマシンの起動スイッチの仕様書を提案するのも両親だし、戦国の皆さんに手土産を持たせようなんて発想も最高である。


僕は、最初にSPドラマを見たとき、若君は、このまま平成で暮らすのかと思った。若君は永禄では死んだことになっている(お墓もちゃんとある)し、唯の幸せを第一に考えたとき、若君が現代で生きるという選択をすることもアリだと思ったからだ。だから、この結末は、ちょっとした衝撃でもあった。

コミックの速川家は、常識的な家族であるから、唯たちが戦国時代で暮らすことを認めた場面では、無理をして納得しているっていうか、重苦しい雰囲気を感じてしまう。一方、ドラマにそれが無いのは、この家族だったら、若い二人の想いを認めちゃうんだろうなっていう大らかさがあるからだ。

コミックでは、御月家の家系図が発見され、そこには、戦国に戻った唯たちが、明治維新まで続いた緑合藩御月家の藩祖になっていたことが書かれていた。これで時空は完全にループし、唯は歴史を変えたのでは無く、唯の行動そのものが歴史だったことになった。

この場面を挿入することで、コミックの速川家と読者は安心することができた。だが、ドラマには家系図は出てこない。収録時にはコミックがそこまで進んでいなかったってこともあるのだろうけど、あったとしても、この家族には不必要だろう。


若君の、唯を伴って永禄に帰りたいというのは、彼のエゴだと思う。だけど、現代で暮らすのが幸せで、永禄で生きることが不幸だなんてのも、現代人のエゴでしかない。

誰も不幸にしない、ハッピーエンド・・・タイムトラベルもので、この結末ってアリなのだろうか。そんな懸念を抱かせない不思議な魅力が、この家族にはある。


実は、静岡県人は、唯の父親「速川覚」を演じている「古舘寛治」氏には特別の思いがある。静岡県限定の、パチンコ・コンコルドのCMにレギュラー出演しているからだ。コンコルドのCMは、炭焼きレストラン「さわやか」と並ぶ静岡県の名物で、インパクトのみのくだらないCMである。いや、インパクトすら無いと云っていいだろう。それでも「娯楽惑星コンコルド」とか「娯楽仮面コンケルド」とかやってた頃は、くだらない中にもストーリー性があって、ブラックなユーモアとか、人間にとって娯楽とは何かみたいな深遠なテーマがあった(と思う)のだが、2012年に古館氏が登場して「コンコルド人間、略してコンコルゲン」とかやりだしたら、本当にくだらないだけのCMになってしまった。       
だから「古舘寛治」氏は、静岡県では早くから有名だったけれど、しょうもない三流の喜劇役者だと思われていた。彼が大河ドラマ「直虎」に出演したときは、何かの間違いだろうってみんな思ったくらいだ。

もちろん、今では、彼が立派な俳優さんであることは、静岡県民だって知っているんだけど、コミックの速川唯の父親のイメージから、どういう思考回路を経れば古館氏のキャスティングになるのか、全く理解できない・・・・けど、それが最大のヒットなのかな。

と、思いの外、長くなってしまったので、今日はここまで。続きは近いうちに。

高山家の二人については、こちらの記事で。

2020年6月14日日曜日

アシガール第14巻と期待される続編の展望

次々回のNHK連続テレビ小説の主演は「清原果耶」さんに決定したが、依然として黒島結菜さんを朝ドラの主演にと望む声は多いようだ。こういうのは巡り合わせが大事なので、若干時期を逸した感があるのだが、最近の朝ドラは、オーデションで主演を決めているわけでもなさそうだから、可能性はゼロとは云えない。
ただ、朝ドラの主演女優というのは、誰からも温かく見守ってもらえるような新人か、叩かれてもビクともしない実績のある女優が相応しいように思う。普通のテレビ番組なら、お気に召さなければ見なければいいのだが、朝ドラは視聴が生活習慣になっているから、批判の的になり易い傾向にあるからだ。
僕的には、朝ドラで1年近く拘束されるよりは、いろいろな役を演ってくれた方が面白いし、出演できるのならば、次回主演「杉咲花」さんの親友みたいな、当たり障りの無い役が良いなと思っている。


さて、アシガールの再放送も最終回が近づいてきた。視聴率は、それほどではないかもしないが、オンデマンドでも健闘しているし、NHKが重視している番組満足度は、かなり高いのではないだろうか。それらを受けて、アシガールSPの再放送も現実味を帯びてきた。
SPは、兎に角、若君が格好いいので、放送されれば健太郎ファンは大喜びとなろう。


で、アシラバさんたちの次の関心は、何と言っても、続編制作の可能性であろう。

続編の対象となる原作コミックは12巻の終盤からになる。現在は14巻まで刊行されていて、年末には15巻が発売される予定だ。物語の舞台は、永禄4年の尾張・美濃となっていて、これは大河ドラマ「麒麟が来る」とまるかぶりである。

アシガールの連載開始時点での年代設定は永禄2年。実は、この設定はどう考えてみても違和感があった。このことについては、以前投稿させていただいた通りである。


ところが、13巻から始まった第二章では、永禄4年という年代設定に物語を合わせてきているのである。結果として世界観は、大きく変更され、第一章と第二章の間で辻褄の合わないところがでてきてしまった。


ということで、第二章は、尾張国ローカルで繰り広げられる戦国絵巻ということになった。14巻のラストでは、ついに「細マッチョの塩顔」な織田信長が登場する。しかも、ちょっと遊びに来た的な気軽さでの登場である。そんなご近所だったら、第一章の世界観なんて完全に吹き飛んでしまうのだが、まあ面白ければ良しとしよう。


第二章では、唯の弟の「尊」の成長が丁寧に描かれている。準主役級の扱いで、狂言回しの役割も担っている。ドラマで尊を演じていたのは、「下田翔大」君という子役出身の俳優さんだった。SPの撮影時、彼は所属していた「アミューズ」を退社していて一般人だったのだが、この収録限定で復帰したという話は有名である。
彼は、アシガールの続編制作には、無くてはならない存在であるので、芸能界を引退してしまったことを危惧する声が多かったのだが、最近SMAと契約したことが明らかになった。現在、これといったタレント活動はしていないようであるが、SMAは、黒島結菜さんの事務所でもあるので、これを続編制作への布石と考えるファンは多い。

コミック版アシガールの黒羽城のモデルである「熊本城」と、5年前の「下田翔大」君(2列目の向かって左端)


で、14巻でも、タイムトラベルに関して注目するべき「尊」の台詞が出ている。平成に御月家は存在し、未来で尊は新型タイムマシンを完成させるのであるから、尊も若君も永禄で命を落とすことは無い、という強気な思想である。これは、過去も未来も相対的な存在で全ては確定しているという、相対的時空論に基づくものである。
このような、自らの未来が保証されていると考える不死身思想は、物語の緊張感を損なってしまう危険性があるのだが、原作者さんも、ちゃんと布石を打っていて、こういうところは流石である。

イラストは、原作者さんがドラマの登場人物の似顔絵を描いたモノで、原作者とドラマ制作者の蜜月関係がよく分かる。

アシガールの面白いところは、物語が進んで行くにつれて、原作コミックがドラマの方に寄ってきているところである。13巻以降において、原作者さんがドラマ化を意識して物語を構成しているのは明らかである。

コミック第一章での高山家の若君「高山宗熊」は「羽木忠清」の引き立て役に過ぎず、何ら魅力のない存在であったが、ドラマでは、「加藤諒」さんが演じることで、魅力的なキャラクターになった。


アシガールには、名場面と云われるものがいくつかあるが、僕の大好きな場面の1つが、第12話での和議のシーンである。羽木家と高山家の総領が、互いをリスペクトするこの場面は、感動的ですらある。続くSPドラマでは、高山宗熊は、唯の良き理解者となって活躍することになる。
そして、それと連動するように、コミック第二章の高山宗熊は、当初のような凡庸な人物ではなく、物語になくてはならない重要なキャラクターとして描かれている。

さて、第二章が制作された場合、ファンの最大の関心事は、織田信長を誰が演じるのかであろう。細マッチョな人気若手塩顔俳優というと「中村倫也」さんや「松田翔太」さんを思い浮かべるが、ここは「佐藤健」さんでお願いしたい。年齢差もピッタリだし、伊藤健太郎・加藤諒・佐藤健の3人の個性豊かな「藤」で共演いただければ最高である。


アシガールの続編が制作されるとしたら、90分のSPドラマになる可能性が高い。ラストシーンは、初代藩主の誕生であろうか。ラブコメでは珍しい出産シーンがあるかもしれない。

コミックの連載と俳優の成長がリンクしていって、どんどん続編を作り続けていけば、「北の国から」みたいになって、アシガールは、黒島結菜さんと伊藤健太郎君のライフワークになるかもしれない。何せ、年代設定は永禄4年。関ヶ原の戦いまでは39年もあり、その時、若君は59才なのだから。


そういえば、「麒麟が来る」だけど、細川ガラシャ役の女優さんが、まだ告知されてない。もし、黒島結菜さんが起用されれば、朝ドラの主演よりも、僕的には、こっちの方が嬉しい。細川忠興は、もちろん伊藤健太郎君である。二人に追い風が吹いている今、これ以上の話題作りはないだろう。