映画「シン・エヴァンゲリオン」を見てきた。本当は、ハロヲタ君の映画「あの頃。」を見るつもりだんたんだけど、気付いた時には、すでに公開終了になっていたからだ。気分は映画モードになっていたので、ならばエヴァを、となった次第である。
僕は、マジンガーZとか宇宙戦艦ヤマトの世代なので、テレビアニメ「ヱヴァンゲリオン」のことは何も知らない。ただ、家には何故か「貞本義行」氏によるコミック全14巻がある。さらに、新劇場版「ヱヴァンゲリオン・序」は、テレビ放映で見た。だから、同世代の中では、ちょっとは知っている方かもしれない。
ただ、「序」を見て疲れてしまった。100分も見たのにやっと「ヤシマ作戦」、結末まで程遠かったからだ。「破」は録画したけど消してしまった。「Q」については録画さえもしなかった。
そんな感じだけど、いよいよ完結するって話を聞いて、見てみようと思った次第である。NHKのプロフェッショナルで「庵野秀明」氏を取り上げていたってこともある。番組を見ての感想は、僕の身近に居なくて良かったぁ。
映画に行くに先立って、コミックを全巻読み返した。それから、ネットで「破」と「Q」のあらすじを確認して、予習完了だ。
映画館では、複数のシアターを使って上映していた。さすが話題の作品である。僕の選んだ時間帯だと、2つのシアターで同時に上映しているようだ。臨場感体感上映ってのがあって、4Kレーザープロジェクターとシネマプロセッサーを使ったプレミアム上映が、追加料金無しで見られるらしい。普通だったら一択なんだけど、密になるのがいやだから、空いてそうな通常版にした。300席の劇場で観客は10人だった。2時間半の長丁場だから、トイレに行きやすいように通路脇の席に座る。おじさんになると、いろいろと配慮することが多い。
結論から言うと、やっぱり「Q」をちゃんと見るべきだったかな。「Q」は起承転結の「転」だからね。あと、予備知識無しでの視聴は、かなり無謀。興行成績が好調なのは、新しいファンを開拓したというよりも、元からのファンがリピートしているからだろう。
公開から一ヶ月近くなるので、ネットやYouTubeにネタバレ記事や解説動画が出ている。いくつか見たんだけど、そうだったのかと思うところが、たくさん有る。やっぱり、復習も大事ってことか。
エヴァは、ヲタクが制作したものをヲタクが鑑賞してる世界。制作側の庵野氏は、芸術系(文系)ヲタクだ。細かい設定なんて気にしてたら、あんな作品は作れない。で、それを見た論理系(理系)ヲタクの解説補完が必要となるわけだ。
このアニメの最大の疑問点は、何のために誰と戦っているのかってことだ。これって、皆でサードインパクトを防ごうとしていたんじゃ無かったんだ。全人類を巻き添えにした「碇ゲンドウ」の動機が、妻に会いたい一心だったとか、対立点が、話し合いで解決できるレベルの父子喧嘩だったら、死んでった奴らは浮かばれない。
全人類が消滅し新たに生まれ変わるって結末を見て、僕は学生時代に見た「伝説巨神イデオン」を連想した。2部構成の長編アニメで、ラストシーンで、みんな死んでしまったのが衝撃だった。(魂が新たな生命として再生されるみたいなフォローはあったけど)後で知ったことだが、当時は「皆殺しの富野」とか云われていたらしい。
庵野氏もこのアニメに影響されたらしい。僕は、エヴァの世代ではないけれど、庵野氏とは同世代なのだ。もちろん、彼は、すでにアニメーションの世界で仕事をしていたから、向こうはプロ、こっちは一視聴者だったわけだけど・・・。
ロボットアニメが、鉄人28号やマジンガーZから始まって、ガンダム、イデオン、マクロスと続く中で、庵野氏がエヴァを制作したのは、ネタ的には出尽くしちゃた時代ってことになる。何をやっても、何かと同じという厳しい時代だったんだと思う。
映画はこんな感じ。
挿入歌として「VOYAGER~日付のない墓標」が使われているのは、映画「さよならジュピター」へのオマージュらしい。この映画、僕も見た。木星が太陽になるやつだ。って思っていたら、それは「2010年宇宙の旅」だった。ラストシーンで、葛城ミサト(ジュピターでは三浦友和さん)が自らを犠牲にして突っ込んでいくってのもオマージュなんだろう。それにしても、感動のラストシーンで「松任谷由実」とか自由すぎる。
映画は、前作までのおさらいから始まった。一応、僕みたいな観客にも配慮してくれているようだ。でも、これで概要を理解できる奴は皆無だろう。これって、知っている奴が思い出すためにあるってことか。
で、いきなりの戦闘シーン。パリが舞台らしい。日本のヲタク文化が大好きなフランス人へのサービスかな。僕らは国会議事堂とか東京タワーが壊されるシーンを何回も見てきたけど、凱旋門やエッフェル塔がぶっ壊れるシーンを見たフランス人の反応が知りたい。
登場するエヴァ・パイロットは「真希波マリ」だ。このキャラクター、コミックの最後にも出てきた。母親の大学の後輩っていう設定だったけど、劇場版での設定が全然分からない。いったい何歳なんだろう。懐メロ歌うし、裏事情にも詳しい。碇ゲンドウとは、お友達感覚で、眼鏡キャラで猫言葉・・・これが、シン・エヴァのヒロイン?・・全然好感できない。可愛くない。
ロボットアニメで重要なのは戦闘シーンだ。シン・エヴァは、兎に角、敵の数が多すぎる。一人で無数の敵と戦うから、戦い方が雑になる。ミサイルをまとめてブッ放すところまでは良いんだけど、格闘シーンなんてのは、もはやドタバタ喜劇、敵へのリスペクトの欠片も無い。
とはいえ、戦艦を遊園地の飛行塔みたいに吊してクルクル回したり、発電機みたいなエヴァが並んで行進してきたのは、シュールで面白かったけど。
次の舞台は第三村だ。ニアサードインパクトで生き残った人たちが暮らしている村という設定だ。この景色、どこかで見たことがあると思ったら、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅じゃないか。転車台とか、診療所になっている車庫とか見学したのを思い出した。乗車料収入だけでは大赤字の路線だから、聖地となって賑わうことを願うばかりである。
ここでの生活描写は、完全にジブリ。WILLE(ヴィレ)が設置した「相補性L結界浄化無効阻止装置」により一定の範囲内がコア化せずに残っている、という設定からして、完全に「風の谷のナウシカ」だ。違うのは、王政で無くって共産制ってところ。村人が総出で棚田の田植えとかしている。人間は自然と共に暮らし、結婚して子どもを育てるのが一番の幸せって価値観が庵野氏から出てきたのは意外だった。彼らはこの暮らしを手に入れるために、14年間苦しい思いをしてきたんだろう。やがて来る結末がツラい。
シンジは、ここで大人になった中学校の同級生と出会う。14年後という設定が生かされているのはここだけ。「鈴原トウジ」は医者になり、学級委員長と結婚して子どもをもうけているし、ミリヲタだった「相田ケンスケ」は、ヲタク的サバイバル知識で村人に頼られる存在だ。
このケンスケが、とにかく良い奴で格好いい。しかも、アスカと良い仲なんて羨ましすぎる。彼こそ世のヲタクたちの憧れの的、理想の姿だろう。
そして、物語は、NERV(ネルフ) とWILLE(ヴィレ)の対決へと進んで行く。って、ネルフって碇と冬月の二人だけになっちゃったのか。たった一人で、あれだけの仕事をしている冬月コウゾウ先生って凄すぎる。
冬月先生の設定年齢は60才だから、リアルに同世代。かつての教え子の部下になるって設定は、年下の上司を持つオジサン世代には身に染みる話である。シン・エヴァは14年後の世界だから、ここでは74才ってことだけど、どう見てもそんな爺さんには見えない。そもそも、この14年後って云う設定、無理あり過ぎだろう。作品解説に、登場人物がこの心情になるには14年の歳月が必要だったって書いてあったけど、どうせ作り話なんだから5年後くらいで良かったんじゃないか。
ゲンドウの唯一の理解者でクールな副司令官「冬月」は、理系ヲタクの憧れでもある。でも、ゲンドウと最期まで行動を共にする動機がイマイチ分からない。それが、シンジの母親との三角関係だとすると、ただのエロ親爺だし。冬月副司令の願いって何だったんだろう。僕は、科学者としての知的欲求かと思うんだが、エヴァ・ファンに教えを蒙りたいものである。
衝撃のラストは、フォースインパクトとか、アナザーインパクトとか、アディショナル・インパクトとか出てきて、文字通りのインパクト有り過ぎな展開。いきなり出てきたマイナス宇宙で何か凄いことが起きているようだが、劇場では全然理解できなかった。まあ、ネタバレ記事と解説動画を見た今でも、全て理解できてるわけじゃないけど。
でも、アスカが綾波と同じクローンだったってオチは、そんなこと聞いてないよぉ、って感じ。やっぱり大好きなキャラクターは、唯一無二の存在であって欲しい。渚カオルも、たくさん存在していたって描写もあった。物語がループして一気に世界観が広がったわけだけど、その分、1つの物語としてのシン・エヴァンゲリオンが矮小化されちゃった気がしたのは僕だけだろうか。
でも、「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」て云う台詞のところでは、何の思い入れのない僕でも、ウルってきちゃったし、楽しい2時間半だったことは確かだ。映画を観た後、解説記事を読んでいる時も楽しかった。勝手なことを書き綴ってきたが、無知な視聴者の世迷い言とスルーしていただきたい。
エヴァンゲリオンはこれで完結のようだけど、庵野氏の新しい仕事も楽しみにしている。「シン・ゴジラ」は2回も劇場で見るくらい面白かったから、「シン・ウルトラマン」も期待している。この勢いで「シン・宇宙戦艦ヤマト」とか「シン・となりのトトロ」とかも作ってくれたら嬉しい限りである。
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