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2021年5月1日土曜日

令和に語る「高田みづえ」の魅力 「硝子坂」「私はピアノ」「ガラスの花」(再編集)

 「高田みづえ」は、不思議な歌手でした。演歌歌手のようでいて、アイドル歌手のようでいて、これからって時に相撲取りと結婚して、いきなり引退しちゃったんですから。現役8年間で紅白出場7回。今は、角界でも名門中の名門「二所ノ関」部屋のおかみさんです。

 その「高田みづえ」さんが、NHKの音楽番組「第47回思い出のメロディー」に生出演し、30年ぶりにステージに立ったのは、今から6年前のことです。NHKは数年前からオファーを出していたとのことですが、1回限りということで実現したとありました。それまでも、部屋のおかみさんとして、相撲部屋でのイベントでは歌ったこともあったそうで、YouTubeには、関取「松鳳山」の結婚披露宴の余興で、「そんなヒロシに騙されて」の替え歌を披露している動画があります。

二所ノ関部屋のおかみさんの歌唱です。

こちらは、紅白歌合戦に初出場したのテイクになります。佐良直美さんが紅組の司会だったんですね。周りのお姉様方の顔ぶれが凄すぎます。

17歳で演歌系アイドル歌手としてデビューした「高田みづえ」さんは、デビュー曲「硝子坂」がヒット、その年の紅白にも出場し、順調な歌手人生をスタートさせました。ところが3年後に彼女は紅白に落選してしまいます。20歳になった時、歌手としての新たなスタイルを求めてリリースしたのが「私はピアノ」でした。そして、これが最大のヒット曲になります。

以前にも貼り付けさせていただきましたが、僕的なベストテイクがこちら。登場してきた時に、有線マイクのコードが引っかかって笑う仕草が何とも良いでしょ。大人になった可愛らしさ、清廉さ、どこまでも素直で嫌みのない歌唱、ここに「高田みづえ」の魅力が全て詰まっていると思います。

「私はピアノ」は、1980年に桑田佳祐氏が奥様の原由子さんのために作った曲でした。桑田氏は、当時から他人に楽曲提供をしなかったので、カバーという形でリリースするのですが、別の歌手が唄うことになっていたのを事務所の力で強引に手に入れたとか・・・。

YouTubeには、想い出のメロディーで歌った「私はピアノ」のテイク動画が2つ投稿されています。再生回数の多い方は、熱心なファンが編集したと思われる素敵な動画ですが、CD音源を合わせた、いわゆる口パク動画ですので、ご注意を。

YouTube上には、たくさんのテイクがアップされています。もう1つ貼り付けさせていただくのは、高速ヴァージョンとでも云うべきテイク。みづえさんは、ドリフの「8時だよ全員集合!」にもよく出演して、体当たりなコントを披露していました。生放送のバラエティ番組では、時間が押していることが多く、こんなふうに、歌のコーナーに巻きを入れて調節していたようです。

歌い終わった後の苦笑い。生バンド伴奏ならではですよね。

NHKの最後のステージからも、6年が経とうとしています。このステージの2年後に、親方は大きな怪我をされますが、部屋を束ねて奮闘するみづえさんの姿が話題になりました。長女でタレントの「アイリ」さんは、現在ユーチューバーの活動もしていて、相撲部屋の様子を発信していますが、動画の端にみづえさんが写ることもあるそうです。まあ、部屋で預かる多くの力士のことを考えると、この先、ステージに立つことは無いかと思います。

お終いは、「ガラスの花」でいかがでしょうか。1982年のリリースで、作詞・作曲は「谷村新司」さん。歌手「高田みづえ」が、もっとも充実していた頃の歌唱に思います。(若島津関と交際を始めた頃かな)YouTubeへのリンクになります。


#高田みづえ   #私はピアノ  #二所ノ関部屋

2020年2月8日土曜日

マクドナルドの「ごはんバーガー」を食べたくなった話

今日、久し振りに「マクドナルド」に行ってきた。このCMを見たからだ。


泣きそうになった。この気持ちは、今の若者には分からないだろう。
全てはバックに流れている楽曲のせいだ。

CMに採用された「SWEET MEMORIES」は、松田聖子さん21才の作品だ。
「ガラスの林檎」のカップリング曲だったが、ペンギンのアニメーションを使ったサントリーのCMで採用されてヒット、こっちが実質A面になり、聖子ちゃんにとって「あなたに逢いたくて」に次ぐヒット作になった。


当時、この曲がCMで流れたときに、「これ歌っているのだれ?誰?」って、かなりの話題になったことを覚えている。
新人歌手が歌っていると勘違いした某レコード会社がサントリーにオファーをした、という嘘みたいな話もある。
しかし、どう聞いても松田聖子が歌っているとしか思えないのに、こういう反応があったってことは、当時、ぶりっ子アイドルソングを歌っていた聖子ちゃんが、こんな人を泣かせるような歌を歌えるわけがない、って世間が考えていたからに他ならない。
この曲で聖子ちゃんは、脱アイドルを果たしたと言ってもいいだろう。

この楽曲が表現しているのは大人の哀愁なのだ。


マクドナルドなんて、子供連れか中学生ばっかりで、高校生でさえ行かないところだと思っていたのだが、中年男性が、一人でマクドナルドに行くのもアリってことなのだろう。

でも、結局「ごはんバーガー」は食べられなかった。
えっ、夜マック限定なんですか・・・・・(悲)

ちなみに、マクドナルドのお客の半分は、年寄りでした。

2017年10月22日日曜日

Wink(ウインク)「トゥインクル トゥインクル」~再始動は叶わぬ夢なのか~

 WinkのYouTube動画は半端なく多い。ファンの間では、Winkの動画は削除されないと云われているようで、松浦亜弥さんと妙な共通点を持っていて面白い。個々の動画の視聴回数では松浦亜弥さんの方が多いが、動画の総数ではWinkの方が多いかもしれない。
 それと、「淋しい熱帯魚」のイメージが、後の歌手活動の足かせになってしまったと嘆くファンが多くって、これも松浦亜弥さんとの共通点である。まあ、「淋しい熱帯魚」の方が「めっちゃホリデー」よりずっとマシだと思うが。

 今回、取り上げさせていただくのは、1994年にリリースされたWinkの21枚目のシングル「トゥインクル トゥインクル」。Winkのシングルは全部で25枚だそうだから、作品としては最後期にあたる。
 作詞は「秋元康」、作曲・編曲は「ジェイムス下地」で、楽曲は、東京シティー競馬「トゥインクルレース」のCMソングに採用され、関東圏ではよく流されていたそうだが、CDの売り上げには、あまり結びつかなかったようである。
 それが、今年、「オリエンタルラジオ」と「ローラ」をイメージキャラクターに採用し、「相田翔子」さんのセルフカバー「Twinkle Twinkle 2017」として23年ぶりに復活したそうである。


 東京シティー競馬(TCK)は、地方競馬とはいえ東京23区が運営しているだけあって規模も大きく、CMに関してはJRAよりもセンスが良いかもしれない。僕は学生時代に、競馬場でアルバイトをしていたのだが・・・、その話は、今日はやめておこう。
 で、ビデオの中には、明らかにWinkをイメージした2人組のユニットが出てくる。一人かと思わせておいて後ろからもう一人、しかも向かって左側に現れるという演出が何とも意味深である。
 
 1994年当時のライブテイクは、これ。会場のファンが叫ぶ、ヤケ気味のPPPHが遠くから聞こえてくる。


 世間的には、Winkってまだやってたの、って頃だと思う。鈴木早智子さんがチーママっぽくなっているが、全然イケてると思うし、楽曲のイメージには、むしろ、こっちの方が合っている。

 歌っている時に限らず、演説でも演劇でも、演者が何処を見ているかって云うのは大事なことだ。この点で云えば、「あやや」というのは全く凄くって、彼女はデビュー間もない頃から視線が定まっている。彼女が観客を一人一人見ながら歌っていることは確実で、観客席のファンからすれば、ステージ上のアイドルと視線が合うってことは、この上も無い喜びなわけだから、「あやや」は、正に天性のアイドルなのである。
 そういう観点で云うと、Winkの二人は、アイドルとして合格点をあげられるものではない。口パクで愛想を振りまくことだけに専念している今時のアイドルは論外であるが、相田翔子さんは視線が完全に遠くに飛んでしまっているし、鈴木早智子さんの視線は明らかに泳いでいる。
 ところが、動画では、この早智子さんのクルクル動き回る瞳が、何とも可愛く思えるから不思議なものである。

  次は、相田翔子さん47歳のライブテイク。今年の6月に大井競馬場で開催されたイベントだそうだが、生で見たと云うファンの書き込みによると、正に奇跡のステージだったらしい。


 相田さんのマイクの持ち手が定まらないのが面白い。Wink時代、向かって右にいた相田さんは、振りに合わせてマイクを持ち変えることが多かったから、23年たってもその癖が抜けないのだろう。
 野外イベントのライブってのは、最高に歌い難い場だと思うのだが、リアルタイムで、このパフォーマンスは確かに奇跡だ。これで、再結成を期待しない方が無理というものだろう。8月に出た再結成報道は、明らかなフライングだったが、そんな期待が判断を誤らせたと云える。
 ホントに、この場に鈴木早智子さんがいないことが、残念でならない。ステージ裏から、二人で登場したときのインパクトを想像するだけでワクワクする。鈴木早智子の容姿とか歌唱力とかが、いかに劣化していようと、そんなことはどうでもいい。「トゥインクル トゥインクル」はWinkの楽曲だし、相田翔子と鈴木早智子がWinkだからだ。それ以上の理由など必要ないだろう。

 8月の報道を境に、相田さんの発言も変わる。それ以前は、「いつかまたやりたい」みたいなことを言ってたのに、一転して、慎重な言い方になってしまった。それでいて、二人が不仲で無いことをやたらと強調したりする。
 相田翔子さんは、「(再結成の)この話が2人の(早智子の)プレッシャーになっても困るから(そっとしておいて欲しい)」とも語っていた。再結成して欲しいと云うのは簡単だが、一度止まってしまったエンジンを掛け直すのには、想像以上のエネルギーが必要なのだろう。

 お終いは、フルコーラスで聴きたいという方のために、こちらのMVを。

 Winkの歌割りは、まず相田さんが歌って、それから早智子さんへという流れが定型になっている。早智子ファンからすれば、この「来るぞ・来るぞ」っていう妙な期待感が堪えられないようだ。


  やはり、再始動の話はあったのだ。それもかなり具体的に進んでいたのではないだろうか。それが突然消えてしまった。理由は分からないが、鈴木早智子が人前に出てこられない事情があったとしか思えない。悲しいことだがこれが現実ではないだろうか。だとすれば、もう再結成は有り得ない。

 もはや、相田翔子が歌っても、次に鈴木早智子が歌うことは無いのだ。

 再始動は叶わぬ夢・・・だったのか。

2017年10月14日土曜日

「スローモーション」中森明菜feat.初音ミク

 「スローモーション」は、中森明菜のデビュー曲です。作詞・作曲は来生たかお、えつこの姉弟、編曲は船山基紀氏です。

 最近、この曲が注目されているみたいです。どうやら、 加納梨衣さんの「スローモーションをもう一度」というコミックが原因らしいです。80年代大好き高校生男女のラブ・コメディー漫画だそうです。心がホンワカするようなウルトラピュア・ラブストーリーだそうです。
 まるで「いちご白書をもう一度」みたいなネーミングですけど、80年代を代表する楽曲に、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」とかじゃなくって、あまり知られていない「スローモーション」を持ってきたところがポイントですね。同じ中森明菜さんでも、「少女Aをもう一度」じゃあ、更生に失敗した女の子の物語みたいですし、おニャン子の「セーラー服を脱がさないでをもう一度」はヘンに誤解される恐れがあります。ちなみに「セカンドラブをもう一度」だと、2+1=3回目、それとも(1+1)×2=4回目の恋のどっち・・・ってどうでもいいですね。

 中森明菜さんがブレイクしたのは二曲目の「少女A」からで、これがデビュー曲と思っていた人も多かったように思います。リアル80年代では「スローモーション」は、それほど知られた楽曲ではありませんでした。ですから「スローモーション」は、80年代を代表する曲とは云えませんが、来生作品ってこともあって、80年代っぽい楽曲ではあります。

 当時、中森明菜ファンであった僕は、デビュー曲「スローモーション」と、ファーストアルバム一曲目の「あなたのポートレート」、この2つの来生作品が大好きでした。

 デビュー曲「スローモーション」は、二ヶ月後にリリースされたファーストアルバムの先行シングルカットという扱いだったそうです。しかも、海外レコーディング。アイドル系の歌手は、シングル版がメインで、ある程度曲がたまるとアルバムにまとめるみたいな感じでしたけど、このようにアルバムが中心ですよっていう形式をとっているのは、中森明菜をアルバムアーティスト系アイドル歌手として売り出そうとしていたからに他なりません。こういう子たちは、年間に何十曲ってレコーディングしたので、覚えるだけでも大変だったみたいです。でも、たくさん売りたければ、たくさん曲を出すってのは、コストはかかるでしょうが正攻法この上ないやり方です。後の世の、握手券を付けるとか、特典○○を付けるみたいなやりかたが、いかに音楽文化を破壊していったかということですね。

 で、中森明菜さんのYouTube動画って短命なんですけど、次々とアップされてくるんですよね。デビューから35年ですけど、今も熱いファンがたくさんいるということでしょう。


 ビックバンドの生伴奏、スクールメイツのお嬢さん、有線マイク、どれも古き良き昭和です。マイクを右手で持って、コードを弛ませて左手で持つ。昔は、アイドルだって、演歌歌手だって、みんなこうやって歌ったんですよ。
 そういえば、松浦亜弥さんも有線マイクを持って歌うときは、左右の違いはありますけど、ちゃんとこうやって持っていましたね。事務所の先輩の演歌歌手にでも教わったんでしょうか。

 しかし、これで16歳ですからね、デビュー曲ですからね。この20年後に松浦亜弥さんがデビューして、16歳の時に「めっっちゃほりでーーーー」とか歌っていたわけですから、アイドルも時代とともに随分変わっていったってことが分かります。
 今じゃあ、16歳の女の子が、ソロで生歌を生放送で披露するなんて、考えられなくなってしまいました。


 伴奏は、バンドマスターが自らのバンドに合わせて編曲していたので、ちょっとずつ異なるんですよね。あと、番組の進行が押してきて、マキが入ると、やたらテンポが早くなったりします。でも、出だしを間違えたりすると、さりげなくフォローなんてのもありました。 
 アイドルと云えど、歌番組では、真剣勝負の時代だったと思います。

 初音ミクカバーは、「のつP」さんの作品になります。「のつP」さんは、最近、精力的に投稿をされているボカロPさんです。僕の望んでいる曲を知っているんじゃないかってくらい、涙ものの作品を投稿してくれます。
 そういえば、初音ミクも16歳でした。


 キターッって感じでしょうか。中森明菜のボーカロイドカバーというのは、今までもいくつかあったんですけど、なかなか満足な作品に巡り会えなかったんですよ。
 歌っているときの息づかいなども伝わってきて、初音ミクの歌唱力も、ようやくここまで来たかって感じです。久しぶりに、初音ミクが人間で無いことを淋しく思いました。今回「スローモーション」の記事を投稿しようって気になったのも、このカバー作品があればこそです。
 
 できれば、インカムでなくって、有線マイクで歌わせて欲しかったところですけど、だったら、お前が作れってことになっても困りますから、今日はここまでにしておきます。

2017年10月9日月曜日

Wink(ウィンク)がTwinkle(光り輝く)した瞬間 ~解散のための復帰に思う~

 国民的女性アイドルユニットを並べると次のようになるそうです。

「キャンディーズ」「ピンクレディー」「おニャン子クラブ」「Wink」「SPEED」「モーニング娘。」「AKB48」・・・

 まあ、「おニャン子」が国民的かどうかは、若干の検討の余地を感じますが、各ユニットが被ること無く一列に並んでいます。
  国民的と云うからには、老若男女問わず支持されていたわけですが、それぞれメインターゲットといえるファン層を持っていたと思います。
 例えば「キャンディーズ」は男子大学生。「ピンクレディー」を支えていたのは小さな女の子。「おニャン子クラブ」は元祖ヲタクな男子高校生。「SPEED」は同年代の女子中学生と云ったところでしょうか。
 で、「Wink」は、女子高校生や若いOLと云われています。お人形のような素敵なお洋服に、ヲタクコールが入る隙の無い洋楽カバー。従来のアイドルに無いスタイルが、同年代の同性から支持されていたようです。

 Winkの楽曲群から感じるのは、選曲のセンスの良さです。それから、(原曲と聞き比べて分かったんですけど)ちゃんとWinkの曲として昇華しているんですよね。これに関しては、訳詞を担当した及川眠子さんや編曲の船山基紀氏の功績が大きいと思います。

 では、膨大なYouTube動画から、特に鈴木早智子さんが可愛いく歌っているテイクを、厳選して貼り付けさせていただきます。
 しかし、歌番組に出演する度に衣装を変えてくるだけでも凄いんですけど、どれも可愛く着こなしていて、まあ、こういうところも女性に人気があった理由の1つなんでしょう。

 まずは、3枚目のシングル「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」です。


 相田翔子さんの方が少し歌唱力があるので、歌割りは多め、鈴木早智子さんの方がダンスのスキルが少し高かったので、振りがちょびっと難しめになっています。
 タレントとしてのインパクトは、相田さんの方があったように思います。天然ボケキャラが売りの相田さんですが、当初から、ちょっと不思議な雰囲気を持っていましたね。相田翔子さんは、何度か歌手デビューの話があったそうですが、「早智子と二人だったらできそうな気がした」と語っています。
 早智子さんは、歌っているときの表情が良いですし、リズムのとりかたも可愛いくって、まあ、普通に素敵なタレントさんに思います。

 4枚目のシングル「涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜」です。ユーゴスラビアの音楽ユニット「ムーラン・ルージュ」の「Boys Don't Cry」のカバーだそうですよ。


 会場が一緒に歌っているんですけど、女の子たちなんですよね。ここまで黄色い声援が飛ぶ女性アイドルというのも記憶にありません。
 Winkは、もともとアイドル路線のタレントとしてデビューしたのでは無いと云われています。そのことが、かえって斬新なアイドルとしてブレイクすることになるわけですから、世の中、何がウケるか分かりません。
 彼女たちが、いわゆるアイドルのように歌いながら笑わないのは、歌の世界観に笑顔が必要なかっただけのことで、この「涙を見せないで」みたいなテイクでは、ちゃんと笑顔を見せてくれてます。
 そして、この時の、鈴木早智子さんは、最高に可愛いと思います。笑わなくても十分可愛いのですが、笑うとさらに可愛いです。
 
 5枚目のシングル「淋しい熱帯魚」です。これは洋楽カバーではありませんが、作詞が及川眠子さん、編曲が船山基紀氏と同じコンビですから、同一線上にあるような感じで、他の曲との違和感もありません。


 紅白出場時のテイクのようです。1989年においてワイド画面なのは、アナログハイビジョンの試験放送だからだそうです。30年近く前のテレビ映像が超高画質で鑑賞できるのは、この映像を高画質で録画してくれたファンがいたからこそで、貴重な動画と云えます。
 
 6枚目のシングル「One Night in Heaven~真夜中のエンジェル~」です。作詞:松本隆、作曲: スティーブ・リローニ、ダン・ナヴァーロ、編曲:船山基紀とありました。訳詞でなく作詞なんですよね。カバー曲かと思われがちですが、オリジナルなんだそうです。


 この歌の世界観。Winkの完成形と云われている楽曲ですね。
 
 以上4曲が、彼女たちの絶頂期の楽曲でしょうか。ファンの語るところでは、活動後期にも名曲と云うべき楽曲があるとのことですが、世間に知られているとなると、この4曲と次の「Sexy Music」までだと思います。「Sexy Music」は、「ノーランズ」のカバーで、「愛が、止まらない」の二匹目のドジョウ的な楽曲です。勢いのままにオリコン1位をとりますけど、イマイチ感は否定できません。「愛が、止まらない」の時は、明らかに原曲以上の魅力がありましたからね。

 Wink(ウインク)と云うユニット名は「キラキラ輝く」を意味するTwinkle(トゥインクル)からきていると云います。
 小さな事務所で、大きな後ろ盾もなくデビューした彼女たち。新曲のイベントをうっても、観客が1人2人ということもあって、二人並んで楽屋の壁を見つめながら、「もうやめようか」と話し合ったそうです。事務所が抱えていた借金は、すでに4,000万円を超えていて、個人経営の事務所にとっては限界にきていました。
 そんな時に、3枚目のシングルが突然のヒット。ザ・ベストテンの「今週のスポットライト」のコーナーに呼ばれたときは、スタイルストも付いていなかったといいます。
 そこからブレイクして、1年後にはレコード大賞を取ってしまうのですからね。賞取りレースは、事務所の力次第と揶揄されていた頃です(今でも?)。1989年のWinkは、文字通り「光り輝いて」いました。受賞には、レコード大賞は、その年に最も輝いていた歌手と楽曲に与えられるべきという、選考委員会の意地があったと云われています。

 急にブレイクしたことについては、かなりの戸惑いもあったようで、早智子さんは、次のように語っていました。
 「私も翔子も人見知りだし、レコーディングとライブ以外の仕事は正直いって苦手でした。気持ち的にもいっぱいいっぱいで、「いずれは人気が落ちて、人も周りからいなくなるんだろうな」なんて考えて、勝手に23歳で引退しようって思っていた時期もあったくらいです。」

 1996年の活動停止については、相田さんの移籍が理由とされています。落ち目になった東芝(事務所)が半導体部門(相田翔子)を売り渡したってところでしょうか。
 彼女たちは、売れなくなっても、ソロの仕事が中心になっても、Winkを解散する気持ちは無かったようですが、現実は厳しかったみたいです。結局、Winkは、解散する機会すら与えてもらえませんでした。
 しかし、このことによって、相田翔子さんは残りましたし、残ったからこそ、復帰話も現実味を帯びていると云えます。

 Winkの活動停止後の二人の対照的な芸能活動については、様々なところで、「勝ち組」「負け組」として語られています。鈴木早智子さんの「ASAYAN」でのヤラセ演出、過激な写真集、アダルトDVDなどについて、悪い大人に欺されたみたいな言い訳が通用するとも思えませんが、その後の、薬への依存、不倫騒動、金銭トラブルと、絵に描いたような転落人生を考えると、他人事ながら、やるせない気持ちになります。
 僕が、絶頂期の鈴木早智子さんに惹かれるのも、その後の彼女を知ってしまったからかもしれません。でも、決して、同情なんかじゃないんですよ。

「止まったままの時計を動かし、けじめをつけて終わりたい。」

 これが、今回の復帰報道の根底にある想いのようです。ただ、復帰には乗り越えるべき困難がたくさんあるみたいです。Winkを続ける想いが叶えられなかったように、Winkをやめる想いも、また、叶えられないまま終わってしまうのでしょうか。

2017年10月2日月曜日

Wink(ウィンク)「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」~美空ひばりを追い落とした伝説のアイドルユニット~

 Wink。

   来年は、デビュー30周年だそうで、22年振りの活動再開か、なんて云う噂が出ています。ライブだけでなく新曲も、という話もあるようです。報道によると、「けじめのため」だそうですから、ファンにさよならを言うために復活するってことでしょうか。

 YouTubeには、Winkの動画がたくさんアップされています。多くは、テレビの歌番組の録画ですが、ファンの方々の熱い想いが伝わってきます。VHSテープって、保存しておくだけでも大変でしょうからね。

 数あるテイクの中から、まずはこちらを。


 ザ・ベストテンですね。MCが酷いんですけど、画質がズバ抜けて綺麗なものですから、セレクトさせていただきました。

 Winkのデビューは、比較的遅くって、相田翔子さんが高校を卒業してからだそうです。鈴木早智子さんは1つ年上ですから、このときは、18歳と19歳ということになります。
 で、鈴木早智子さんって、こんなにも可愛かったんですね。びっくりしました。何より歌う表情が良いです。可愛さの中にも、儚さとか、艶めかしさを感じました。ファンにならなかったことを後悔しておりますw

 「Turn It Into Love」は、カイリー・ミノーグのデビュー・アルバム「ラッキー・ラヴ」に収録されていた楽曲です。カバー曲「愛が止まらない」は、Winkにとって3枚目のシングルで、最大のヒット曲になりました。カイリーもアイドル的な扱いでしたけど、Winkの2人とカイリーって同年代だったんですね。

 2つめは、ライブ動画。ファースト・ライブとのことですよ。


 生バンドライブですね。良い時代です。

 Winkのテイクって、同じ歌でも、いろんな衣装があるんですよね。ゴスロリって云うんでしょうか。どれも手が込んでて、お金かけていて、如何にもバブルって感じです。あと、特徴と云えば、振り付けが、二人で違っているところです。

 この曲に限らずWinkは、洋楽のカバーを歌うことが多かったんで、何となく軽く扱われていた覚えがあります。「淋しい熱帯魚」は、待ってましたって感じで、デビュー二年目ながら、レコード大賞受賞となるのですが、このときに賞を争ったのが、美空ひばりの「川の流れのように」だったと云うんですから、またもや驚きです。故人とはいえ、偉大なる歌手を押しのけての受賞ですからね。80年代は松田聖子に始まりWinkに終わると語られる所以です。

 洋楽カバーが中心だったWinkは、当初、レコード大賞とは無縁の存在と思われていました。しかし、ヒット曲を連発する彼女たちを無視するわけにもいかず、という流れでのノミネートであったと云われています。
 美空ひばりさんは、この年の6月に亡くなっています。故人が大賞を受賞するというのは、前例のないことでしたが、それを承知でノミネートしてるわけで、これで取れないとなれば「美空ひばり」に恥をかかせることになります。ですから、受賞は美空ひばりでほぼ決定、と思われていました。
 この年のWinkの大賞受賞は、その選考方法だけでなく、レコード大賞のありかたそのものが問われる大事件であったと云われています。
 
 「淋しい熱帯魚」は、売り上げこそ「愛が止まらない」に及びませんが、大賞受賞曲ですし、洋楽カバーでもありませんから、懐かしのメロディーなどでは、こちらの方が紹介されることが多いみたいです。

 レコード大賞のテイクです。これも高画質ですね。


 最後まで歌い切っちゃいましたね。Winkは笑わないアイドルと云われてましたけど、泣かないアイドルでもあったみたいです。
 あと、鈴木早智子さん、ホントに可愛いんですけど、中森明菜入ってませんか?
 
 デビューから8年でWinkは活動を休止。それぞれ事務所も変わって、ソロの活動を始めます。

 相田翔子さんの現在の事務所って、アップフロントだったんですね。相田さんは、今月の22日に、作詞作曲も手がけたソロアルバムの発表を受けて、ソロコンサートを開くそうです。(会場はもちろん、コットンクラブ)音楽活動の他にも、CMもありますし、司会、バラエティー、映画にも出演していて、芸能活動は順調のようです。
 早智子さんは、アダルト向けのDVDを発売して予約が20万枚なんて出ていましたけど、スキャンダルとか、金銭トラブルとか、いい話がありません。

 2人は、今も仲が良いみたいで、ラインで連絡を取り合ったりしているそうです。Winkの再結成についても、早智子さんの現状を憂う翔子さんから出てきた話と云われていますが、事務所にしてみれば、大きなリスクを負うわけで、再結成報道の後に、否定こそしないものの、慎重なコメントが出てくるのも致し方ないかと思います。
 
 お終いに、それぞれのソロテイクを貼り付けさせていただきます。


 この時、30歳くらいでしょうか。大人の歌が似合っていく素敵な時期を、無為に過ごしてしまったことが残念でなりません。


 1989年は、まさにWinkの年でした。しかし、Winkの紅白出場は、この年の1回だけ。この後も、コンスタントに音楽活動は続けていきますが、しだいに低迷していきます。そして、1996年に活動を休止。8年間でのシングル25曲、アルバム26枚とありました。

Winkは解散したわけでは無い。だからこそ、もう一度ステージに立って、けじめをつけたい。
さよならを云うための再結成。
そして、あまりにも対照的な2人の現状。

 今夜放送された「歌のゴールデンヒット」で、司会を務めていた相田さんですが、堺氏から再結成の話をふられたときも、言葉を濁していましたね。レコード大賞受賞時のVTRが流れてきたとき、涙を浮かべていたように見えたのは、気のせいでしょうか。

2016年10月3日月曜日

原田知世「時をかける少女」「ドント・ノー・ホワイ」~奇跡の40代の奇跡の歌声~

 以前、「時をかける少女」の記事でも取り上げさせていただいた知世ちゃんですが、現在NHKで放送中のドラマ10「運命に、似た恋」で斎藤工君と共演するなど、ここのところ、活躍が目立っていますね。ドラマの視聴率も上々、相変わらずの可愛らしさで「奇跡の40代」なんて言われているようです。ドラマの設定では、45才とのことですが、実年齢は、現在48才。この感じでは「奇跡の50代」となるのも確実かと思います。

まあ、女優さんですから、歌はそこそこでも、と言いたいところなんですけど、肝心の演技も、ド素人って感じでしたからね。って云うか、ホントに素人だったと思います。田舎から純朴な素人を連れてきて、いきなりカメラの前に立たせて、演技させたり歌わせたりしたって感じです。ところが、それが不思議と嫌悪感を抱かせること無くって、許せちゃって、ハラハラ、ドキドキさせられながらも、応援したくなってしまう。もちろんタレントさんですから、自分を可愛く見せようという仕草もあるんですけど、あざとさが感じられないんですよね。しかし、笑って立っているだけで商売になってるんですから、良い時代だったと思います。大人数のグループで常に競わされている、今のアイドルにしてみると、信じられない話ではないでしょうか。

最近のテイク。「欅坂46」との共演のようです。


 あれっ、ピアノを弾いているのは、武部聡志さんじゃないですか。相変わらずアイドル絡みのお仕事にひっぱりだこのようですが、羨ましい限りです。ユーミンあるところに武部氏有りですね。

 それにしても、歌のキーが凄く下がっています。半音下げとかの話じゃないですよね。ってことは、オリジナルはかなり高いキーで歌わされてたということです。知世ちゃんが、サビのところで、声が裏返ってしまうのを聴かされて、下手くそだな、なんて思っていましたけど、もしかしたら、わざと高いキーにしていたのかもしれません。「作られた歌下手」だとしたら、いくら売れるためとはいえ、酷いことをする大人たちです。まあ、僕も、そんな状況で、はにかみながら歌う知世ちゃんを見て、応援してたんですから、まんまと戦略にのせられたってことなんでしょうけど。

 で、「欅坂46」でメインボーカルをとっている女の子は、「平手友梨奈」ちゃんという子だそうです。2001年6月25日生まれの15才ってことは、松浦亜弥さんがデビューした時には、まだ生まれてなかったってことですよね。それと、「あやや」と誕生日が同じなんですけど、このこと、友梨奈ちゃんは知っているんでしょうか。
 1つ目の知世ちゃんのテイクも、同じ15才なんですけど、比べてみると、いかに知世ちゃんがド素人だったかが分かります。欅坂さんも素人っぽさで売っているのだと思いますけど、全然違いますからね。
 でも、このツーショット、2人は親子以上の年の差なんですよ。知世ちゃんは、既に離婚されていて、お子さんもいないようです。ファンとしましては、こんな感じの女の子がいてくれれば最高だったんですけどね。そういえば、ドラマでもバツイチで、格好いい男の子のお母さんと云う設定でした。

 知世ちゃんは、コンスタントに音楽活動を続けていたようです。最近も、カバーアルバムを二枚ほど出していて、オリコンでTOP10に入るなど、結構売れているそうです。昔の知世ちゃんを知っているファンからは、これまた「奇跡の歌声」なんて云われてるようですけど。「作られた歌下手」という仮説が現実味を帯びてきましたよ。


 へえ~。良い感じじゃないですか。ダイジェスト版ですから、途中で切り替わってしまいましたけど、「Don't Know Why」なんてもっともっと聴いていたいと思いました。
 でも、歌唱力に関しては、化けたと云うよりは、あの頃の延長線上にあるように思います。もしかしたら、15才の知世ちゃんも、もう少し練習して、ちゃんとキーを合わせてあげれば、これくらい歌えていたように思えてきました。
 相変わらず声量は無いし、ただ丁寧に歌っているだけでなんですけど、「Don't Know Why」に関して云うと、松浦亜弥さんのテイクよりも、僕は良いと思います。もちろん、大人になってからの松浦亜弥さんが歌えば、きっと素敵な雰囲気を醸し出してくれるとは思いますけど・・・。

 こちらは、竹内まりやさんのカバーですね。公式ホームページにありました。


 こんなに歌が上手いとは思わなかった、って云うと松浦亜弥さんみたいですけど、似たような現象が知世ちゃんの周りでも起こっているようです。歌手「原田知世」の再評価って感じでしょうか。まあ、最初のハードルがめちゃめちゃ低かったですからね。あの頃は、知世ちゃんが30年後も歌っていて、ライブをするなんて思ってもいませんでした。
 今年も、11月には、全国4カ所でライブを行うそうです。ちょっと覗いてみたら、チケットは即完売みたいです。何てったって知世ちゃんですからね、コットンクラブやブルーノートを満席にするくらい簡単なことだと思います。セットリストは、ジャズやカバー曲が中心になるようですけど、「時をかける少女」もボサノバ・バージョンなんてのがあるそうですから、きっと歌ってくれることと思います。って云うか、時をかける少女は、最初っからボサノバっぽかったですかね。
 
 歌って不思議なものだと思います。誰のどんな歌が心に響くのかなんて、人ぞれぞれだし、どんなに歌唱力のある歌手でも、自分に合わなければ響いてきませんからね。「あやや」の歌は、疲れた心に活を入れてくれる応援歌でしたけど、知世ちゃんの歌は、心に寄り添って癒やしてくれるように思います。
 お終いは、「ドント・ノー・ホワイ」。カバーアルバムからのCD音源のようです。


 う~ん。ライブ動画の方が良いかな。でも、30年変わらない、この透明感。知世ちゃんが、ずーっと知世ちゃんのままでいてくれたことに感謝です。

2016年7月23日土曜日

榊原郁恵 ~百恵から聖子へ繋いだ最強のセットアッパー~

 久しぶりの昭和アイドルのネタです。今回、取り上げさせていただくのは、「ナッキー」こと「榊原郁恵」さん。郁恵ちゃんについては、現在も現役バリバリのタレントさんとして、幅広く活動されているので、昭和のアイドルと云う括りは失礼かもしれません。
 おそらく、来年がデビュー40周年になるかと思います。ネットなどで「ウザいおばさん」などと言われながらも、40年間ほぼコンスタントにタレント活動を続けているというのは、驚異的なことであります。もちろん、旦那が成人病で稼ぎが当てにならないとか、所属する事務所、ホリプロの力もあるかと思いますが、40年という時の長さを考えれば、彼女自身のタレントとしての魅力や需要があってのことなのでしょう。

 で、郁恵ちゃんの代表曲と言えば、世間的には「夏のお嬢さん」ということになりますが、ファンや隠れファンにとって、郁恵ちゃんと云えば、まずは、この曲ということになりますです。


 ご存じでしょうか。4枚目のシングル、「アル・パシーノ+(たす)アラン・ドロン<(より)あなた」、タイトルが長いので、個人的に「2A<A」と表記させていただきます。不等式を解きますと「A<0」ですから、Aはマイナスとなります。

 改めて見ても、典型的なアイドルですよね。歌い方からもお分かりかと思いますが、周りの大人たちに、あーしなさい、こーしなさいと云われる通りにアイドルを演じていると思います。そして、底抜けに明るいキャラクター。子狸と言われていた郁恵ちゃんですが、この辺りは、子猿と言われてた「あやや」と、どことなく共通する部分かと思います。

 年代的には、山口百恵さんと松田聖子さんに挟まれた、中継ぎ的扱いになるかと思います。生まれは、山口百恵さんと同じ1959年、百恵さんが中学生でデビューしたのに対して、郁恵ちゃんがホリプロスカウトキャラバンで優勝したのは、高校2年生の時ですからね。百恵さんの現状がどうなのか存じませんけど、全然変わらないと言われる聖子ちゃんより、さらに3才ほど年上ですから、たいしたものだと思います。


 2014年のテイクとありますから、55歳でしょうか。55歳ですよ。55歳。皆さんの周りの55歳と比べてみてくだ・・・・
 この状況で、アイドルソングを歌うというのは、ほとんど罰ゲームに近いと思いますが、「ウザい」とか、「何様」とか云われながらも、どうせやるならここまで突き抜けてしまえ、という人生のお手本にも思います。でも、時折見せる、恥じらいのような表情が可愛らしいですね。女性というものは、幾つになっても可愛らしいんだなと改めて感じたしだいです。

 では、現役時代のテイクも紹介させていただきます。


 若干こちらのテイクの方がコロコロしてますけど、それほど大きな違いは無いかと・・・w。

 続けて、初音ミクカバーになります。一応、初音ミクのファンブログなものですから。


 なんか、ちょっと控え目なところが、昭和と云うより、今風のアイドルって感じですね。振り付けまで含めて、良くできていると思います。思わずポチッと高評価を押してしまいました。
                                                      
 で、郁恵ちゃんと云えば、何と言っても、85のDと云われていたバストですよね。ただ、当時も今もアイドルに色気を感じさせないというのは鉄則ですので、郁恵ちゃんもアイドル衣装の下で揺れてしまわないように、胸にサラシを巻いていたといいます。しかし、あれだけあると、どうやっても隠し通せるものでは無いですから、だんだんオープンになっていきましたけど。まあ、最後までイヤラシくならなかったのは、郁恵ちゃんの底抜けな明るさがあったからだと思います。で、この辺りも「あやや」と、どことなく共通している部分に思います。
 とは云っても、同年代の中高生には、衝撃的でしたよ。だって、自分の同級生くらいの女の子が水着でテレビ出て、あのインパクトですから。

 「夏のお嬢さん」は、郁恵ちゃんの最大ヒット曲です。リリースはデビュー翌年の夏で、シングルとしては7枚目になります。この辺も「あやや」の「めっちゃホリデー」との共通点を感じますね。売上げは20万枚、オリコンチャートは、最高11位となっています。その後40枚近くシングルをリリースしますが、結局ベスト10には、1枚も入ってないんですよね。タレント活動の好調さからすると意外ともいえます。歌唱力もそれなりにありますし、じっくり聴くと良いなあと思わせる、しっとり系の曲なんかもあるんですが、1人でCDを何枚も買ったからと云って、郁恵ちゃんと握手できるわけでもないし、アイドルの曲は、買ってまで聴くものでは無かったということでしょうか。
  
 って、ここまでチョイチョイ「あやや」を挟ませてきましたけど、実は、僕、松浦亜弥さんの「ね~え!」を見たときに、何故か既知感を持ったんですよ。で、それが郁恵ちゃんだったというわけなんです。「あやや」の「ね~え!」って云うのは、アイドルテンションがかなり高くないと歌いきれない曲で、ハロプロの女の子たちも度々カバーしていますけど、歌いきれる子ってなかなかいないと思います。でも、もしかしたら(もちろん年代は、逆になりますけど)郁恵ちゃんだったら「ね~え!」を歌いきれるんじゃないかって、そんな気がしてならないんです。
 アイドル時代の松浦亜弥さんも榊原郁恵さんも、底抜けに明るいキャラクターで、国民的アイドルとして幅広い年代に親しまれたし、CMにもたくさん出ていたし、ミュージカルの評判も良かったし、でもCDはあまり売れなかったしって、考えてみると、共通点が結構あったように思います。まあ、途中から、歌をとるか捨てるかで、大きく変わっていくわけですけど。

 お終いは「ラブ・ジャック・サマー」でいかがでしょうか。「夏のお嬢さん」の翌年、2匹目のドジョウを狙ったような曲なんですけど、あまりヒットしませんでしたかね。もう少しヒットした曲もあるはずですが、夏ですし、リオオリンピックも近いということで。


 絶対、歌えると思いません?

2016年7月16日土曜日

「恋のバカンス」 みんなで歌おう

  先日、亡くなられた、伊藤ユミさんを追悼してなどというとおこがましいですが、名曲「恋のバカンス」を楽しくみんなで歌いましょうという企画です。

 最初に、お手本としてCD音源を貼りつけさせていただきます。1963年に発表されたそうですから、50年以上前なんですが、全然古さを感じませんね。


 当時は、高度経済成長期で、日本人は、「働き蜂だ」なんて世界から云われていた頃でした。フランス人は「バカンス」といって何ヶ月も夏休みがあるんだ、なんて子どもの時に聞いて、その間、誰が代わりに仕事をするんだろうって、子ども心に、心配しちゃいましたよ。
 で、思ったよりも、濃い歌い方だったんですね。すごく大人っぽいです。今のタレントさんは、実年齢より若く見せたいという感じですけど、当時は、早く大人なりたいという時代だったと思います。18歳くらいでデビューする歌手もできるだけ大人っぽく、大人っぽくって云う感じでしたから。

 2つめは、辻・加護コンビによるテイクです。
 2004年のテイクのようですね。辻・加護が、最後に輝いていた頃かも知れません。ザ・ピーナッツは、一卵性双生児でしたけど、彼女たちは、一卵性他人と云われていて、見た目も声質も合ってましたから、この曲をカバーすると云う決断はヒットだったと思います。


 オタクってのは、どんな曲でも前奏が流れると「オイ!オイ!」ってコールしちゃうんですね。でも、なかなか良いカバーだと思いますよ。ザ・ピーナッツは、リリース当時、22歳でしょうか、一方、彼女たちは、17歳。原曲もしっかりリスペクトしているし、彼女たちの可愛らしさも出ているし、原曲との距離感がちょうど良いですね。

 次は、ボーカロイドカバーです。鏡音リンと初音ミクによるデュオですね。主旋律はリンが担当しているようです。


 投稿が2008年1月4日とありました。ザ・ピーナッツのカバーというよりは、Wのカバーをさらにカバーしている感じですね。
 鏡音リンの発売日が2007年12月27日ですから、発売から1週間後の投稿になります。正月休みを全て費やして調教したのでしょうか。それにしても、出来すぎと云える作品だと思います。最初聞いたときは、こっそり人間が歌っているのだと思いましたよ。
 デモ作品なんですかね。鏡音リンのカバー作品としては、トップレベル。最高レベルの作品が、発売1週間で出てしまったことになります。

 では、4つ目、今度は、ロシア語カバーになります。動画のアップ主さんのコメントを引用させていただきます。

【当時のソビエト連邦国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ:国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員が本曲を気に入り、ソビエト連邦本国に持ち込み積極的に展開、ニーナ・パンテレーエワが1965年に"Каникулы любви"のタイトルで大ヒットさせた。ロシア人の中にはこの曲が日本で作られた曲であることを知らない者さえ居る程、現在のロシアでも世代を超えた有名曲となっている。】
・・・だそうです。
 YouTubeでも、やたらとロシア語のコメントが多かったのはこういう事情があったからなんですね。1965年なんて冷戦真っ只中なんですが、当時、こんなことがあったなんてびっくりいたしました。


 最後に日本語で歌っているんですね。ロシアでも、たくさんの歌手にカバーされながら、現在でも、歌い継がれているようです。でも、だいぶ歌詞の内容が変わっているようです。他の曲でも良くあることですが、別の歌詞に書き換えられて海外でヒットした場合、作詞家の心境ってどうなんでしょうかね。音楽は世界共通ですが、それは、あくまでもメロディーのことで、そのメロディーにのせたい想いっていうのは、各民族それぞれと云うことなんでしょうか。

 最後は、再び、御本家のテイクでお終いにします。1975年とありますから、芸能界引退の時の映像みたいです。お姉様が沢田研二氏と結婚されたのは、この翌年になります。
    

 現在でも、カラオケの定番になっている「恋のバカンス」。覚えやすくて、歌いやすくて、デュエットだから、一人じゃ恥ずかしいから2人で歌おうって感じでカラオケ向きだし。
 ザ・ピーナッツは、40年も前に歌わなくなってしまいましたけど、忘れ去られてしまうことなく、こうやって、みんなで歌い継がれていくんでしょうね。

2015年11月14日土曜日

「柏原よしえ」 ~殿下を虜にしたアイドル~

 突然ですが、今回取り上げさせていただくのは、昭和のアイドル「柏原よしえ」です。

 1970年代、花の中2トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)の成功によって、アイドル歌手のデビューは、一気に低年齢化していきました。しかし、その結果、聴くに堪えない歌唱力と、あまりにも幼稚なタレント性が世間から批判されることになります。1980年代になると、その反動から、アイドルのデビュー年齢が引き上げられていきました。中学校を卒業していることは最低条件であり、例えば、松田聖子さんも、メジャーデビューは、高校を卒業してからといった具合でした。そういう中にあって、柏原よしえの14才でのデビューは、やはり当時としては、異例のことだったと思います。
 デビュー時よりソコソコに売れてはいましたが、彼女を一躍有名にしたのは、何と云っても7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」でしょう。

 では、最大ヒット曲「ハロー・グッバイ」貼り付けさせていただきます。


 低めの声とマズマズの声量、そして年齢の割には、大人っぽい容姿などが、彼女の14才でのデビューを可能にしたのかもしれません。

 特に、歌唱力は、当時のアイドルの中でも定評がありました。僕は、当時ファンだった「中森明菜」が、あまりにも声量に乏しく、すぐに喉を痛めたりしていたので、同じ歌番組に出てくる柏原よしえの声量をとっても羨ましく思っていたものですw。

 1983年にリリースした中島みゆき作品「春なのに」は、レコードセールスこそ「ハロー・グッバイ」に劣りますが、彼女にとって最も有名な持ち歌になりました。1980年代の前半から中頃にかけては、ヒット曲を連発して、彼女にとっては、よい時期だったと思います。
 また、アイドルでありながら、レコード大賞の最優秀歌唱賞部門に、1985年から1987年まで3年連続ノミネートされたのは、彼女の歌唱力が世間から認められていたことの証とも云えましょう。

 では、代表曲「春なのに」です。この曲が紅白初出場曲だったんですね。意外です。


 彼女は、隠れファンが多いことでも知られていました。特に、当時の徳仁親王(現・皇太子殿下)が、彼女のファンであったことは有名な話です。殿下は、1986年にはリサイタルに参戦し、バラの花を贈っています。

 そんな彼女でしたが、1990年代になると、タレント活動の方向性を大転換してしまいます。
 もとより、彼女は豊満な体型が特徴でしたが、そのギリギリなショットの写真集やビデオは、かなりの話題になりました。というか、ショックでした。そりゃあ、僕も男ですし、しかも当時は若かったですから、現役アイドルのセクシーショットには、興味がありましたよ。それに、売れなくなった元アイドルがグラビア女優になるなんて、芸能界では普通の事です。
 でも、アイドルとは云え、歌唱力をそれなりに評価され、何より、未来の天皇陛下が、自らライブに足を運び、バラまで贈られたというタレントが、ここまで落ちぶれたのかという驚きでいっぱいでした。
 
 彼女には、それに先だって、「空港こけし事件」という、まあ、悪質なデマが飛び交っていました。松浦亜弥さんの年齢詐称疑惑からも分かるように、清純派アイドルのイメージなど、たった1つのデマで、あっけなく崩れ去るものです。それが理由の全てでは無いでしょうが、いずれにせよ、清純派で正統派のアイドル歌手「柏原よしえ」は、消えてしまったのです。

 そんな「柏原芳恵」さんですが、最近は、歌手活動を精力的に行っているという話を聞きました。懐かしのアイドルブームに乗っかって、合同リサイタルなども開催されているようです。関連の動画がYouTubeなどに投稿されていました。まあ、キーも下がっていますし、全然衰えていない歌唱力・・・とはお世辞にも云えませんが、元アイドルが、懐メロファンの前で披露する分には、十分通用するステージだと思います。

 えっ、貼り付けませんよ。僕だって、何でもかんでも貼り付けているわけじゃあありませんからw

 ただ、彼女が、歌手として最も充実していたであろう、20代後半から30代にかけてを、全く無駄に過ごしていたことは、あまりにも空しく残念としか言いようがありません。もっともっと、ヒット曲を飛ばし、昭和、そして平成の歌謡史を書き換えたかもしれない才能は、世間に披露されることも無く、年月だけが過ぎていたのです。
 僕が、50才になった彼女のライブテイクをどうしても褒める気になれない理由を、みなさんならお分かりいただけると思います。

 では、お終いに「最愛」。貼り付けさせていただきます。


 僕も隠れファンだったんです。ってもうバレバレですよねww

2015年8月25日火曜日

高田みづえVS二所ノ関部屋のおかみ ~38年の時を超えて~

 8月8日に高田みづえさんがNHKの「思い出のメロディー」に生出演、30年ぶりにステージに立ちました。

 僕は、迂闊にもそのことを後になって知りましたが、親切なファンの方々がYouTubeにその時の様子をアップしてくださっていたので、記念すべきステージを拝聴することができました。YouTubeに感謝ですww

 数年前からオファーを出していたとのことですが、1回限りということで、今回やっと実現したそうです。NHKも昨年の暮れに「薬師丸ひろ子」さんや「中森明菜」さんの復活ステージで話題をつくりましたんで、今回も、ということだと思いますが、もう2度と聴けないと思っていた歌声が聞けたことを、素直に喜びたいと思います。報道では、芸能界にいる娘さんのテコ入れではないかと言われてますが、歌ってくれるんだったら何でもいいですw。

 まずは、デビュー曲「硝子坂」。二所ノ関部屋のおかみさん(55才)のテイクからです。


先日、松ヶ根部屋は、角界の超名門でありながら閉鎖されていた二所ノ関部屋の名前を引き継ぎました。関係者との調整とか大変だったようですが、そういうこともおかみさんの仕事の1つだったんでしょうね。でも凄いですね、100年以上の伝統のある、あの二所ノ関部屋のおかみさんですよ。

 続けて、紅白歌合戦初出場時、17歳のみづえさんのテイクです。モノラルの音声が2つの動画の38年という時を感じさせます。周りのお姉さんたちが凄い、全員の名前わかりますか。
 和田アキ子さんは、すぐ分かりましたね。でも初出場でこの安定感。そういえば「あやや」の紅白初出場のテイクも涙ものでしたが、才能と可能性にあふれた新人のテイクって本当にいいですよね。歌う姿だけで十分、演出なんていらないんですから。


テレビでは30年ぶり、NHKでは31年ぶりのステージですが、相撲部屋のイベントなどでは、今までも歌っていたそうです。ただ、それはあくまでも、部屋のおかみさんとしてのことで、高田みづえではありませんでした。
 でも、僕はそうやって、頼まれれば人前で歌う彼女ってイイなって思います。力持ちが荷物運びを頼まれるように、達筆な人が看板書きを頼まれるように、彼女は自然に歌っていたんだと思います。
 彼女は「高田みづえ」を安売りはしませんでしたが、かといって、もう二度と歌わないなんて悲しい態度もとりませんでした。そういう気さくな人柄の彼女だからこそ、部屋のおかみさんを勤めることができたんだと思います。

 でも、聴きながらドキドキしちゃいましたよ。聴き手をハラハラさせるなんてプロの歌手としてはどうかってことですけど、30年ぶりなんですから仕方ありませんよね。もちろん同じように歌えないなんてことは、わかりきってました。だけど、僕が一番うれしかったのは、声質が、あの透き通った艶のある声が、予想以上に、いえ、ほとんど変わらないって云っていいくらい、健在だったってことなんです。

 続いて「私はピアノ」です。

 まずは、おかみさんから。恐らくサビの高音域のことを考えて「硝子坂」の時と同じように半音下げたようですが、その分、出だしがつらくなっちゃいましたね。テンポも速くて息をつくのも大変ですけど、声の伸びのことを考えると、あまり落とすわけにもいきませんから。


やっぱり「私はピアノ」って難曲だったんですね。ここは、おかみさんの歌唱力云々よりも、この曲をいとも普通に歌い上げていた、みづえさんの歌唱力を称えるべきでしょう。


前回に引き続き、このテイクを貼り付けさせて頂きました。昭和55年の字幕がありますから、20才の頃だと思いますけど、僕は、これが「高田みづえ」のベストテイクだと思っているんです。大人になった可愛らしさ、清廉さ、素直で嫌みのない歌唱、ここに「高田みづえ」の魅力が全て詰まっていると思うんです。

 僕は、歌っている彼女を見ながら、本当に泣きそうになりました。人前に出てきて歌う以上、声が出てないとか、キーを下げているとか過去と比べて批評されることは致し方ないことです。でも僕は、そういうことを全て認めた上で、彼女を評価したいんです。
 彼女は、この30年間全く別の世界で活躍していました。この30年間は、歌に関しては、確かにブランクだったのかもしれないけど、彼女の人生の中では決してブランクなんかじゃないのですから。

 まあ、ソコソコ歌えて、視聴者の評判もマズマズとあれば、紅白のゲスト出演のオファーもなくもありませんね。そのへんは、おかみさんが周りの人たちと相談して決めるでしょうけど、僕としては、出ても良し、出なくても良しと云ったところです。
 でも、出るんだったら「そんなヒロシにだまされて」が良いですね。こっちの方が歌いやすそうだし。で、バックに二所ノ関一門の関取衆をズラッと並べて・・・って、これじゃあ披露宴の余興と同じかww

2015年8月24日月曜日

中森明菜「あなたのポートレート」VS松浦亜弥「オシャレ!」 幻のデビュー曲対決 

 中森明菜さんと松浦亜弥さん、お二人に共通な部分っていくつかあるんですけど、シングルよりアルバムが注目されたって云うのもその1つですよね。そして、中森明菜さんの「プロローグ」、松浦亜弥さんの「First Kiss」、この2つのファーストアルバムは、伝説の名盤と呼ばれています。彼女たちは、ともに、単なるアイドルでなく、歌手として大成していくことを、本人も希望していたし、周りも期待していたと思います。
 二人の間には、20年もの歳月が横たわっていますから、単純に比べられないのは、承知の上ですが、敢えて、この話題で投稿させていただくことにしました。

 中森明菜さんのデビュー曲は、「スローモーション」です。決して「少女A」でも「セカンドラブ」でもありませんよ。で、松浦亜弥さんのデビュー曲は、「ドッキドキLoveメール」です。決して「めっちゃホリデー」ではありませんw。
 
 デビュー曲に何を持ってくるのかって、戦略上とっても重要ですよね。松浦亜弥さんは、候補曲に「100回のKISS」と「オシャレ!」があったとされています。中森明菜さんは、「銀河伝説」「あなたのポートレート」「Tシャツ・サンセット」が候補だったそうです。で、それらの曲は、ともにファーストアルバムに収録されているんですよね。デビュー曲候補になるほどの良曲ですから、ボツにするには、もったいないということでしょうか。

 で、今回は、デビュー曲にならなかった曲対決ということで、まずは、中森明菜さんの「あなたのポートレート」を貼り付けさせていただきます。
 
 

 「あなたのポートレート」は「スローモーション」と同じ、来生姉弟の作品です。曲調も同じような感じですし、恋の始まりというシチュエーションも同じなんで、どっちがデビュー曲になったところで、大差なかったのかもしれません。どうせ、ヒットするのは、「少女A」からですし。。。。。
 この曲、大好きだったんです。でも、なかなか聴けなくって、世間的には、全然知られてない曲だからYouTubeにアップされることもないし、アップされてもすぐ消えてなくなっちゃうし、残っているのは、変な「歌ってみた動画」ばっかりですからw。
 
 改めて聴いてみると、出だしの「ウエーブしてーる」の高音域がなんとも可愛いことに気づきました。あんまり完璧に歌われちゃうと萌えられないんで、この歌い方が計算された演出ならば、お恐れいりましたってところです。

 でも、16歳のアイドルのデビューアルバムの1曲目がこれなんですから、僕が一発でハマってしまったのも、我ながら納得というテイクです。

 では、続いて、松浦亜弥さんのデビュー候補曲だった「オシャレ!」です。


 同じ16歳ということで、サマーライブのテイクを貼り付けさせていただきました。
 こっちが、デビュー曲だったら、どうだったんでしょうか。「オシャレ!」は、アルバムの中でも人気曲ですから、楽曲の出来は申し分ないと思いますが、やっぱり、アイドルのデビュー曲としては、ちょっと変化球かなって気がします。まあ、どっちにしても、つんく♂曲ですから、大差なかったのかもしれませんけど。

 中森明菜さんの「スローモーション」は、オリコン30位、しかし、この最高位は、発売から3ヶ月後のことです。その後、「少女A」「セカンドラブ」とヒットが続きますが、「セカンドラブ」のリリースは、11月に入ってからで、結局、明菜さんは、デビューした1982年の紅白には出場していません。意外とスロースターターだったんですね。

 明菜さんは、候補曲の中では「銀河伝説」がお気に入りだったそうです。銀河伝説は、一言で云うと「山口百恵」っぽい曲です。デビュー時の彼女が、山口百恵を意識していたのは確かだと思います。「DESIRE」や「飾りじゃないのよ涙は」も、どことなく山口百恵っぽいことを考えると、明菜さんは、歌いたい曲がヒットしていたと云えます。やっぱり歌手中森明菜は、恵まれていたと思います。

 亜弥さんは、デビュー曲としては、「100回のKISS」を意識していたようです。彼女がこの曲に特別な想いを抱いていることは確かです。
 この曲は4枚目のシングルになりました。前作「Love涙色」で手応えを摑んでいた彼女は、この曲も売れると思っていたに違いありません。が、売れたのは、「100KISS」ではなく「桃色片想い」でした。
 歌いたい曲と売れる曲が違うというジレンマを、彼女はデビュー1年目から抱えることになりました。このことが、この後の、歌手松浦亜弥の迷走につながっていったと僕は思います。
 でも、僕は、「あやや」が誰を意識していたかがよく分かりません。強いて云えば「美空ひばり」かなって思いますけど、あり得ませんかね。彼女が本当に歌いたかった曲って何だったんでしょう。


 そうでした、二人に共通することで、一番大切なこと言い忘れてました。二人とも歌うことが大好きだったと云うことです。歌うことに誇りを持っていたと云うことです。この記事は、僕の妄想に過ぎないかも知れませんけど、これだけは確かだと信じています。

2015年4月26日日曜日

中森明菜

  僕にとっての中森明菜は、生意気だけど可愛い妹っていう感じでした。今思えば、音域も狭く声量も少ない娘でしたが、16歳にしては歌を聴かせる術を持っていたように思います。
  僕は、明菜のデビュー曲、「スローモーション」が好きでした。だから、世間的に、次の「少女A」がデビュー曲みたいになって、ツッパリアイドルみたいに扱われているのが残念だったんです。確かに暗いイメージのある子でしたけど・・・。僕は、ファンとしては少数派だったのかもしれません。

 下宿にテレビもなく、ラジカセしか持っていなかった僕は、1stアルバムのカセットテープを擦り切れるまで聴いていました。ザ・ベストテンを見るために、テレビのある駅の待合室まで、片道25分かけて出かけたこともあります。

 彼女が、まだデビューして間もない頃、風邪を引いた状態で、ザ・ベストテンに出たことがありました。視聴者が不快にならない程度に歌うことができたと記憶していますが、なんと彼女は、ちゃんと歌えなかったと云って、黒柳徹子の隣でポロポロ泣き出したんです。アイドルといえども歌手と名のるからには、歌にプライドがあった時代でした。

 その後、彼女が国民的歌手になっていくに反比例して、僕は彼女に対する興味を失っていきました。オタク心なんて今も昔もそんなものでしょうか。聖子ちゃんと同じように、彼女もまた楽曲には恵まれていました。彼女がレコード大賞をとる頃には、僕はもう完全に興味を失っていましたが、ジャニーズの某との熱愛騒動が全てのつまずきの始まりで・・・。


 あれから何年経ったんでしょうか、昨年の紅白歌合戦に出た彼女は、僕の目には明らかに病んで見えました。年齢より年を取ってしまったようにも見えました。生中継と云いながら、人前に出られなかったことで、僕は、もう彼女がライブを開くこともできない状態であると確信しました。こんな状態で出すアルバムなど、たかがしれているし、そんなCDを買おうなんて奴は、昔の明菜のイメージに捕らわれているだけの音楽の分からない奴だろうと、密かに軽蔑していました。

 だけど或る日、そんな彼女の歌をダウンロードしたという若者に出会いました。親子ほど年が離れ、明菜の過去など何も知らないというその若者は、あの歌を、僕には、歌唱力のなさを誤魔化しているだけにしか聞こえないあのアレンジを、カッコいいと云うのです。
 
 僕は、ショックでした。そして、明菜にすまないと思いました。なぜもっと素直に彼女の歌を聴けなかったのか、先入観に捕らわれていたのは、他ならぬ僕自身でした。歌唱力の衰えを一番自覚していたのは、明菜本人だったはず。でも彼女は、これから迎える50代の歌手生活にむけて、ピークを必死になって作ろうとしていたんです。

 歌唱力の衰えた歌手は、人前に出て歌ってはいけないのでしょうか。声の伸びがなくなったとき、エコーをかけることは、悪いことなんでしょうか。高音が出なくなったとき、キーを下げて歌うことは、恥ずかしいことなのでしょうか。
 僕は、希有な歌唱力の持ち主である、松浦亜弥のファンであることを誇りに思っていましたが、その一方で僕自身が天狗になってたのかもしれません。僕自身が歌っているわけでもないのに、です。

 タレントには、去るファンもいれば、新しいファンもいる。それは、僕が松浦亜弥のファンになってから常に考えていたことです。
 明菜から離れた僕の心は、もう戻ることはないでしょうが、少なくともこれからの彼女を目をそらさずに見守っていこうと思います。彼女が新しい理解者に囲まれて、再びステージに立ってくれることを祈りながら。




  いずれ削除されてしまうだろうけど、怒濤の3本立て、貼り付けさせていただきます。これでファンにならなかったら、男じゃないっwwwww












2015年4月23日木曜日

高田みづえ&松浦亜弥 「ガラスの花」「風信子」

 高田みづえさんと松浦亜弥さん、ともにカバーの評価が高い歌手ですが、そのどちらにも関わっていたアーチストが谷村新司さんです。
 で、今回は、谷村さんが2人に提供した楽曲をそれぞれ聴き比べてみようというわけです。誓って云いますが、みづえさんを出したいがために、松浦さんを引き合いに出したわけではありません。

 まずは、みづえさんの「ガラスの花」です。コーラスで聞こえてくる声は、谷村さんです。


 17歳で演歌系アイドル歌手としてデビューした「高田みづえ」は、デビュー曲「硝子坂」がヒット、紅白にも出場し、順調な歌手人生をスタートさせました。ところが3年後に彼女は紅白を落選してしまいます。20歳になった時、歌手としての新たなスタイルを求めてリリースしたのが「私はピアノ」でした。そして、これが最大のヒット曲になります。
 いいですか「転機を迎えて出した曲が最大のヒット」なんですよ。松浦亜弥ファンの皆さんなら、僕がここで何を訴えたいのか、お察し下さると思います。

 次は、松浦さんの「風信子」です。どのテイクにしようか迷ったんですが、一番落ち着いている感じのこのテイクにしました。コーラスは、もちろん谷村さんですw。



 いかがでしたか、並べて聴くと、ちょっと松浦さんの方が若干クドく聞こえます。こんなことは、今までの他の歌手との比較では、なかったことですから、いかにみづえさんの歌唱が、ストレートなものかが分かります。 
 でも、改めてこんなことをいうのも変なんですけど、松浦亜弥って、やっぱり歌が上手いですよねw。

 関取、松鳳山の結婚披露宴の余興で、替え歌を披露しているみづえさんがYouTubeに、アップされています。おかみさんにとって部屋の力士は、息子以上といいますから、よっぽど嬉しかったんでしょう。この時、52・3歳かと思いますが、部屋の大男たちをズラリと後ろに従えて歌う姿は、正に「粋」という言葉がピッタリでした。
 高田みづえは、25歳で歌をやめ、僕らの前から消えてしまいましたけど、じつは、すごい人生を再スタートさせていたんだなって、今更ながら思いました。

 で、最後にもう1つだけ、貼り付けさせていただきますね「そんなヒロシに騙されて」です。最近、ちょっと60年代サウンドが流行っているようなので、こんなの、今カバーすれば受けるんじゃないかななんて思うんですけど・・・。
 これで一応、みづえさんの記事は、お終いにします。お付き合いありがとうございました。






2015年4月20日月曜日

高田みづえ&初音ミク 「私はピアノ」

 突然ですが、無性に聴きたい気分なのでお付き合い願います。

 「高田みづえ」は、不思議な歌手でした。演歌歌手のようでいて、アイドル歌手のようでいて、ヒット曲は、ほとんどがカバー曲でした。で、これからって感じの時に、相撲取りと結婚して、いきなり引退しちゃったんですから。現役8年間で紅白出場7回。今は、名門二所ノ関部屋のおかみさんだそうです。

 「私はピアノ」は、1980年に桑田佳祐氏が奥様の原由子さんのために作り、高田みづえさんがカバーした昭和の名曲です。桑田氏の歌は、どうも好きになれないという人でも、この曲は昭和の人間なら誰でも好きなんじゃないかと思います。今回は、いろいろあるテイクの中からこちらを貼り付けさせていただきました。

またまた消えてましたんで別テイクですw



 
 登場してきた時に有線マイクのコードが引っかかって、ちょっと笑う仕草が何ともいいですよね。
 改めて見ると、思っていた以上にシンプルなんでびっくりしました。何て言うのかなあ、普通に上手いんですよね。
 僕は、松浦さんのカバー曲について「素直な歌唱にさりげない感情」って云い方をよくするんですけど、全く同じことがみづえさんにも言えるんじゃないかって思います。カバーが受け入れられる歌手って、こんな共通点があったんだって、今日は、大発見をしたような気分なんですw

 それから、いろいろ見比べて分かったのですが、昭和の歌番組の伴奏って、バンマスが自分のバンドに合わせて作るので、ちょとずつ違っているんですよね。
 あと、時間が押しているときなど、いつもよりテンポが速くなったりして、こういう環境の中で、昔の歌手って鍛えられていったんだなって思いました。でも、出だし間違えてもさりげなくフォローしてくれるし、手作り感満載だったんですね。

 桑田氏は、当時(今もそうかもしれませんが)他人に楽曲提供をしなかったので、カバーという形をとるしかなかったようです。
 でも、ふくちゃんさんの言葉を借りるなら、この曲は、みづえさんに歌ってもらって幸せだったと思います。原さんは、独特の世界観がありますが、若干歌唱力に難がありますし、桑田氏は、何を歌っても全部桑田節にしてしまいますからww

 で、一応、当ブログは初音ミクのブログですので、こっちも貼り付けさせていただきます。初音ミクAppend DARK によるカバーです。

 「初音ミク Append」とは、初音ミクの追加音声ライブラリーで、DARKは、「落ち着きがあり、少し憂鬱な表情の声」となっています。カラオケでエコーを効かせたような声ですね。ヲタさんの中には、この声がお好みな方もいるようで、時々使われています。僕的には、もっと普通に歌わせた方がいいかな、なんて思うのですが、この方が確かに雰囲気はでてます。オケは既存のカラオケ音源でしょうか。

 みづえさんに敵うはずもありませんが、頑張りだけは、認めてあげてくださいw


  結局、先週末は、高田みづえ三昧でした。