「キャンディーズ」「ピンクレディー」「おニャン子クラブ」「Wink」「SPEED」「モーニング娘。」「AKB48」・・・
まあ、「おニャン子」が国民的かどうかは、若干の検討の余地を感じますが、各ユニットが被ること無く一列に並んでいます。
国民的と云うからには、老若男女問わず支持されていたわけですが、それぞれメインターゲットといえるファン層を持っていたと思います。
例えば「キャンディーズ」は男子大学生。「ピンクレディー」を支えていたのは小さな女の子。「おニャン子クラブ」は元祖ヲタクな男子高校生。「SPEED」は同年代の女子中学生と云ったところでしょうか。
で、「Wink」は、女子高校生や若いOLと云われています。お人形のような素敵なお洋服に、ヲタクコールが入る隙の無い洋楽カバー。従来のアイドルに無いスタイルが、同年代の同性から支持されていたようです。
Winkの楽曲群から感じるのは、選曲のセンスの良さです。それから、(原曲と聞き比べて分かったんですけど)ちゃんとWinkの曲として昇華しているんですよね。これに関しては、訳詞を担当した及川眠子さんや編曲の船山基紀氏の功績が大きいと思います。
では、膨大なYouTube動画から、特に鈴木早智子さんが可愛いく歌っているテイクを、厳選して貼り付けさせていただきます。
しかし、歌番組に出演する度に衣装を変えてくるだけでも凄いんですけど、どれも可愛く着こなしていて、まあ、こういうところも女性に人気があった理由の1つなんでしょう。
まずは、3枚目のシングル「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」です。
相田翔子さんの方が少し歌唱力があるので、歌割りは多め、鈴木早智子さんの方がダンスのスキルが少し高かったので、振りがちょびっと難しめになっています。
タレントとしてのインパクトは、相田さんの方があったように思います。天然ボケキャラが売りの相田さんですが、当初から、ちょっと不思議な雰囲気を持っていましたね。相田翔子さんは、何度か歌手デビューの話があったそうですが、「早智子と二人だったらできそうな気がした」と語っています。
早智子さんは、歌っているときの表情が良いですし、リズムのとりかたも可愛いくって、まあ、普通に素敵なタレントさんに思います。
4枚目のシングル「涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜」です。ユーゴスラビアの音楽ユニット「ムーラン・ルージュ」の「Boys Don't Cry」のカバーだそうですよ。
会場が一緒に歌っているんですけど、女の子たちなんですよね。ここまで黄色い声援が飛ぶ女性アイドルというのも記憶にありません。
Winkは、もともとアイドル路線のタレントとしてデビューしたのでは無いと云われています。そのことが、かえって斬新なアイドルとしてブレイクすることになるわけですから、世の中、何がウケるか分かりません。
彼女たちが、いわゆるアイドルのように歌いながら笑わないのは、歌の世界観に笑顔が必要なかっただけのことで、この「涙を見せないで」みたいなテイクでは、ちゃんと笑顔を見せてくれてます。
そして、この時の、鈴木早智子さんは、最高に可愛いと思います。笑わなくても十分可愛いのですが、笑うとさらに可愛いです。
5枚目のシングル「淋しい熱帯魚」です。これは洋楽カバーではありませんが、作詞が及川眠子さん、編曲が船山基紀氏と同じコンビですから、同一線上にあるような感じで、他の曲との違和感もありません。
紅白出場時のテイクのようです。1989年においてワイド画面なのは、アナログハイビジョンの試験放送だからだそうです。30年近く前のテレビ映像が超高画質で鑑賞できるのは、この映像を高画質で録画してくれたファンがいたからこそで、貴重な動画と云えます。
6枚目のシングル「One Night in Heaven~真夜中のエンジェル~」です。作詞:松本隆、作曲: スティーブ・リローニ、ダン・ナヴァーロ、編曲:船山基紀とありました。訳詞でなく作詞なんですよね。カバー曲かと思われがちですが、オリジナルなんだそうです。
この歌の世界観。Winkの完成形と云われている楽曲ですね。
以上4曲が、彼女たちの絶頂期の楽曲でしょうか。ファンの語るところでは、活動後期にも名曲と云うべき楽曲があるとのことですが、世間に知られているとなると、この4曲と次の「Sexy Music」までだと思います。「Sexy Music」は、「ノーランズ」のカバーで、「愛が、止まらない」の二匹目のドジョウ的な楽曲です。勢いのままにオリコン1位をとりますけど、イマイチ感は否定できません。「愛が、止まらない」の時は、明らかに原曲以上の魅力がありましたからね。
Wink(ウインク)と云うユニット名は「キラキラ輝く」を意味するTwinkle(トゥインクル)からきていると云います。
小さな事務所で、大きな後ろ盾もなくデビューした彼女たち。新曲のイベントをうっても、観客が1人2人ということもあって、二人並んで楽屋の壁を見つめながら、「もうやめようか」と話し合ったそうです。事務所が抱えていた借金は、すでに4,000万円を超えていて、個人経営の事務所にとっては限界にきていました。
そんな時に、3枚目のシングルが突然のヒット。ザ・ベストテンの「今週のスポットライト」のコーナーに呼ばれたときは、スタイルストも付いていなかったといいます。
そこからブレイクして、1年後にはレコード大賞を取ってしまうのですからね。賞取りレースは、事務所の力次第と揶揄されていた頃です(今でも?)。1989年のWinkは、文字通り「光り輝いて」いました。受賞には、レコード大賞は、その年に最も輝いていた歌手と楽曲に与えられるべきという、選考委員会の意地があったと云われています。
急にブレイクしたことについては、かなりの戸惑いもあったようで、早智子さんは、次のように語っていました。
「私も翔子も人見知りだし、レコーディングとライブ以外の仕事は正直いって苦手でした。気持ち的にもいっぱいいっぱいで、「いずれは人気が落ちて、人も周りからいなくなるんだろうな」なんて考えて、勝手に23歳で引退しようって思っていた時期もあったくらいです。」
1996年の活動停止については、相田さんの移籍が理由とされています。落ち目になった東芝(事務所)が半導体部門(相田翔子)を売り渡したってところでしょうか。
彼女たちは、売れなくなっても、ソロの仕事が中心になっても、Winkを解散する気持ちは無かったようですが、現実は厳しかったみたいです。結局、Winkは、解散する機会すら与えてもらえませんでした。
しかし、このことによって、相田翔子さんは残りましたし、残ったからこそ、復帰話も現実味を帯びていると云えます。
Winkの活動停止後の二人の対照的な芸能活動については、様々なところで、「勝ち組」「負け組」として語られています。鈴木早智子さんの「ASAYAN」でのヤラセ演出、過激な写真集、アダルトDVDなどについて、悪い大人に欺されたみたいな言い訳が通用するとも思えませんが、その後の、薬への依存、不倫騒動、金銭トラブルと、絵に描いたような転落人生を考えると、他人事ながら、やるせない気持ちになります。
僕が、絶頂期の鈴木早智子さんに惹かれるのも、その後の彼女を知ってしまったからかもしれません。でも、決して、同情なんかじゃないんですよ。
「止まったままの時計を動かし、けじめをつけて終わりたい。」
これが、今回の復帰報道の根底にある想いのようです。ただ、復帰には乗り越えるべき困難がたくさんあるみたいです。Winkを続ける想いが叶えられなかったように、Winkをやめる想いも、また、叶えられないまま終わってしまうのでしょうか。
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