2017年10月20日金曜日

「22歳」谷村新司feat.松浦亜弥&初音ミク ~男歌・女歌~

 「22歳」は、言わずと知れた谷村新司さんの名曲です。歌詞の内容は女性目線なんですが、このように男が女性の歌、つまり「アタイはアンタが好きよ」みたいな詞を唄う楽曲って、演歌とか、フォークとか、ジャンルを問わずたくさんあります。
 演劇の世界では、歌舞伎の女形とかでしょうか、宝塚の男役などは逆の例ですよね。。
 ところが、バラエティでは、オカマキャラ、オネエキャラのタレントさんは活躍していますけど、オナベキャラのタレントさんって、あまり見かけません。オネエ言葉の利点は、毒舌をオブラートに包めるところだと思いますが、女性が男言葉を使って好感度を上げるというのは難しいみたいです。

 歌の世界に話を戻すと、女性が男目線の歌、つまり「オレはオマエが好きだ」みたいな詞を歌うのは、それほど多くないように思います。
 世の歌というものは、大部分が色恋の歌で、そして色恋に悩む姿がサマになるのは女性の方ですから、結果的に、女心を男が歌う機会が多くなるのでしょうか。

 聞くところによると、欧米などでは、異性の立場で歌うことは無いそうで、そう云う時には、人称を入れ替えたり、場合によっては、歌詞の内容を書き換えたりするそうです。松浦亜弥さんが「ホームにて」を歌うときに「僕」を「わたし」に変えていましたが、欧米では、それが当然のことみたいです。
 つまり、欧米では、男が「わたしをあなたのお嫁にしてね」みたいな歌詞をマジで歌うことは有り得なくって、谷村新司の「22歳」なんてのは、欧米人にとっては完全な異文化のようです。

 で、「22歳」を松浦亜弥さんがカバーすると云うことは、女性目線の歌を男性が唄っているのを女性がカバーしたわけで、整理すると、女性目線の歌を女性が唄うということになります。


 さすがですね。

 この時は、本当に22歳だったんですよね。22歳の女性の歌を22歳の女性の歌手が歌っているんですから、これ以上のリアルはありません。ってはずなんですけど、聴いているうちに、なんとなく物足りなさを感じてしまったんですよ。歌唱そのものは、完璧なはずなのにです。

 まあ、谷村新司氏のクドさに慣らされてしまったからだと思います。異性を演ずる場合、やり過ぎるくらいが丁度良いってなりますが、22歳の女性が、22歳の女性の歌を歌うってことは、歌詞と歌手がベッタリなわけで「白いシーツを巻き付け、背中でさよならの・・・」なんて詞は歌いにくいのかもしれません。
 もう1つ云うと、この歌って、男性から見て、女性はこうあって欲しいという願望を歌っていると思います。ですから、松浦亜弥さんがこの歌詞に共感しながら歌っているとは、とても思えないんですよね。

 結局、「22歳」は、男の歌なんだろうなって思った次第です。

 では、ボーカロイドカバーを。
 前回も貼り付けさせていただいた「のつP」さんの作品になります。まずは、初音ミクにこの曲を歌わせようと発想したことを尊敬したいと思います。


 ちょっとキツそうなんで、もう少し下げて歌わせたい気もしますけど、「のつP」さんの作品は、どれも伴奏が素敵なんですよね。もちろん調教もです。

 初音ミクの音声データは、人間の女声からサンプリングされたものですし、歌声にも若干の個性がありますから、似合う歌、合わない歌があります。
 でも、男歌・女歌という観点で云うと、あまり関係が無いように思います。さらに「小田和正」とか「玉置浩二」みたいに、女声でのカバーが難しいと思えるような楽曲も、それなりにカバーしてしまいます。
 云うまでもありませんが、松浦亜弥さんの歌唱より、初音ミクの方が秀でていると言っているわけではありません。初音ミクの歌は、聞き流されてしまうレベル。ただ、軽く聞き流せるというのも評価規準の1つでは、と思った次第です。
 ボーカロイドの歌唱は、歌っているのでなく演奏している、つまり歌声でなく音色だと考えれば、性差を感じないのも当然のことかもしれません。ボーカロイドの歌唱が、歌手の性差から超越しているのか、それとも、性差を表現できてないだけなのか、いずれにしても、特性の1つであることは確かだと思います。

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