2019年4月14日日曜日

「裏表ラバーズ」 feat.初音ミク ~ボカロP「wowaka」の早すぎる死~

「wowaka」という若者がこの世を去った。享年31だそうだ。

一部メディアでは、あの有名な米津玄師氏のライバルであり、親友だった人物と紹介されてたらしい。wowaka君の知名度は、世代間の格差が極めて大きいから、「よく分からないけど、誰だか有名な人が、若くして死んだらしい」というのが、世間一般の捉え方だろう。

死因は、急性心不全。急性心不全とは、急に心臓が止まったという意味で、そういう名前の病気は無いそうだ。だから、止まってしまった何らかの理由、つまり本当の死因があるわけで、ネットでは幾つかの噂が流れているが、全ては根拠の無い憶測にすぎない。

「wowaka(ヲワカ)」君は、「現実逃避P」の名でニコニコ動画に楽曲を投稿していたボカロPだった。学生時代からバンド活動をしていたそうだが、「livetune(kz)」の影響を受けて、2008年あたりからボカロを始めたらしい。ボカロPとしては、米津玄師氏と同じ第二世代にあたり、氏とはニコニコ動画の再生数を互いに意識し合うライバルだったようだ。

2011年頃には、ボカロPを卒業(?)して、バンド「ヒトリエ」を主宰。生ライブ中心の活動をするようになった。境遇の重なる米津氏とは、親友と呼べる間柄だったとされている。

メジャーデビューもしていたし、ライブ活動も順調だったとはいえ、どこかのアリーナに何万人も集めてワンマンライブをするとか、ヒットチャートの常連だとか、ましてやNHKの歌番組に出てくることなどなかったから、世代を超えて知られる存在ではなかった。が、ミュージシャンの幸せというのは、そんなところにあるわけでは無いから、どうでも良いことだろう。

ボカロブームを作り上げた第一世代の「ryo」氏や「kz」氏が、どちらかというと普通っぽい「このまま人間が歌っても良いんじゃねぇ」的な楽曲だったのに対して、米津氏やwowaka君の楽曲は、独特の中毒性があって、人間の歌手では凡そ歌い切れそうにない、いわゆる「ボカロっぽい」のが特徴だった。

中高生を中心とした若者たちから、絶大な支持を得ていた両氏であったが、僕のようなオジさんにとっては、理解し難い楽曲も多かった。でも、米津氏のそれが(今と違って)「どこが良いんだかよく分からない」モノであったのに対して、wowaka君のは、「よく分からないけど、何だか面白い」作品が多かったように思う。

Zepp名古屋のライブで「裏表ラバーズ」と「ワールズエンド・ダンスホール」を、武道館では「アンハッピーリフレイン」の演奏を聴いたことがある。どれも前奏が始まった瞬間の盛り上がりが凄かった。ボカロファンにとって、彼の楽曲群はボカロが最も輝いていた頃の象徴なのだろう。

で、代表曲を1つと云えば「裏表ラバーズ」で異論は無いだろう。

動画は、2010年にZepp東京で開催された伝説のライブからである。楽曲をサポートするバックバンドのクオリティーの高さと、透過型スクリーンに映し出されたCGに熱狂するヲタクとのギャップが面白い。


ボカロならではの高速歌唱だから、何を歌っているか全く分からない。と云うことで、字幕付きの公式PVはこちら。


かなりキワどい、というか下ネタと云っても良いくらいの歌詞である。純愛などと気取ったところで、要はヤリたいだけってこともあるし、ラブラブに見えるカップルでも、心の内は分からないってことか。
ただ、言葉の選び方やつなげ方を見ると、単なるウケ狙いの高速歌唱作品で無いことは明らかだ。きっと頭の良い奴なんだろうと思っていたら、東大卒だという噂を聞いた。
この歌を、当時の中高生が、意味も分からず、カラオケで歌っていたことを考えると笑ってしまう。                   

こんなキワどい歌詞を高速歌唱できるのがボカロの真骨頂・・・って云うか、ネタならば兎も角、こんな歌を歌唱したいなんて考える人間の歌手はいないだろう。

元々、ボーカロイドは、人間の歌唱を補助するものとして開発された。ボーカロイドが主役になることなど、全く想定されていなかったのだ。しかし、初音ミクの登場により、状況は一変してしまう。
やがて、人間の代わりに歌うという使い方から、ボーカロイドならではの歌唱を追求していったのが、当時「ハチ」と名乗っていた米津玄師氏であり、現実逃避Pことwowaka君たち第二世代であった。

その試みは、結果として、歌唱のガラパゴス化をきたすことになって、必ずしも成功したとは云えないのだが、それを踏み台として、人間の歌をプロデュースする本物の「P」として活躍しているのだから、それはそれで嬉しい限りで或る。

お終いに、昨年のマジカル・ミライから「アンノウン・マザーグース」である。米津氏とwowaka君の双方に云えることだが、ボカロを卒業した後も、こうやって新曲を提供してくれることが有り難い。一流の奴というのは、何と言われようと、受けた恩は一生忘れないモノなのだ。



彼は、4月1日付けのTwitterで「令和キレイだー」と投稿した。「REIWA」という響きが、彼のミュージシャンとしての琴線をとらえたのだろうか。彼が急逝したのは、そのわずか4日後。気鋭のミュージシャンとして、美しきREIWAの時代を作ったであろう彼は、来たるべきREIWAの時代を生きること無く、この世を去ってしまったのだ。