映画館は「ポケモン」とか「ワン・ピース」とか「ファインディング・ドリー」を見に来た子供たちで賑やかでした。「ゴジラ」の観客の入りは、そこそこでしょうか。年齢層は、予想通り高め、ほとんど中年世代でした。子どもの時に「ゴジラ対メカゴジラ」などを喜んで見ていただろうなって人たちです。
作品は、ゴジラ世代の期待に100%沿ったとは言い難いものでしたけど、この辺は見に来た人たちも想定の範囲内だったと思います。まあ、初代ゴジラをリブートする限り、結局こうなるだろうなってことです。
僕の感想は、ひと言で云うと、他人には薦めませんが、それなりに面白かったです。
制作スタッフは、総監督「庵野秀明」氏、監督「樋口真嗣」氏だそうです。映画の中の決めぜりふの1つに「アメリカでは大統領が決めるけど、この国は誰が決めるの?」って云うのがあったんですけど、制作委員会制をとらなかったのは、全ては庵野秀明氏が決めるってことでしょうか。ですから、作品全体には「エヴァンゲリオン」っぽさが溢れていました。「ヤシマ作戦」でなくって「ヤシオリ作戦」でしたし、ゴジラが立ち上がったところなんて、「エヴァ」そのものでしたから。「自衛隊VSゴジラ」の場面は、「戦略自衛隊VS使徒」と同じです。鉄道オタクが喜びそうな場面もありました。戦闘シーンは良くできていましたけど、特撮娯楽映画としては、もう少し長くあって欲しかったかなって感じです。
作品の95%は、官僚と政治家の場面でした。あと、ゴジラが暴れている場面が5%。一般民衆の描写は、ほとんど無かったと思います。別な映画で「事件は会議室で起こっているんじゃない」て台詞がありましたけど、こちらは事件を会議と書類で解決しようとしてました。アメリカ映画によくある「愛する人を守るために戦う」なんて描写は皆無でした。どこかのコメントに日本にゴジラが現れた場合のシュミレーション映画だというのがありましたけど、その通りだと思います。
予告編がありました。「百読は一見にしかず」ですから宜しかったらどうぞ。
熱戦を吐く場面が紹介されてないのが残念ですけど、映画の雰囲気は、このまんまでしたよ。女性防衛大臣は新都知事そのままですねw
会議の部分が長かったので、映画全体の印象は、地味でしたかね。ラストのゴジラ凍結に成功したシーンは、すごく淡々としていました。アメリカ映画だったら大騒ぎしてみんなでハイタッチでしょうけど、日本的と云うか妙に面白かったです。
でも、お互いノーガードでガンガン攻撃し合う場面がもっとあっても、と中年のゴジラ世代は思ったかもしれません。似たような映画に「インディペンデンス・デイ」ってのがありますけど、あっちの方が、撃ちまくって、壊しまくって、躊躇なく核ミサイルぶっ放して、大統領自ら戦闘機に乗って、最後に正義は勝つ、という爽快感は味わえると思います。
僕が物心ついた時には、すでにゴジラは悪の怪獣と闘う正義の味方でしたけど、どことなく醸し出される哀しさは子ども心にも感じてました。純粋な正義の味方、地球の守り神と設定されたガメラとは、どこか違っていました。
ゴジラが最初に作られたのは、1954年です。ビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被爆したのはその8ヶ月前。太平洋戦争が終わったのが1945年ですから、原爆を落とされてから9年しか経ってないころです。
ゴジラが反核の象徴とまでは云いませんけど、少なくとも単純な悪役ではありませんでした。ゴジラを生み出したのは、核兵器であり、放射線廃棄物であり、そして人間でした。ゴジラは、核を手に入れた人類が負った天罰であるという思いが、ゴジラに畏怖の念を持たせていたと思います。
僕が子どもの頃に見たゴジラは、すでに正義の味方でしたけど、「放射能火炎」を吐く度に、あんなに撒き散らして大丈夫なのかなって、心配してました。シン・ゴジラでは、「被爆許容量」とか「μ㏜」なんていう台詞が飛び交っていて、この辺をリアルに描写していましたよ。
ゴジラは凍結されたとはいえ、都内のど真ん中に残っているわけで、ゴジラをそして核を人類はコントロールできるのかと訴えかけて、映画は終わります。地震大国でありながら原発と共存せざるをえない日本の姿を暗示しているかのようにも思えました。
「シン・ゴジラ」は日本でしかウケない映画だと思いました。
「ゴジラ」は日本人にしか作れない映画だと思いました。
最後に、ゴジラの熱戦について、それは無いだろうって場面がありますけど、万が一これから見に行く方のために、これだけは伏せて起きましょうかw
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