2021年9月23日木曜日

「ごんぎつね」~自筆版で味わう新美南吉の魅力~ に寄せて

今年も彼岸花が咲く季節になった。毎年この季節になると、5年前に投稿した「ごんぎつね」にアクセスがある。きっと、小学校の先生たちが、授業の準備のためにと検索して、思いもかけず引っかけてしまうのだろう。自筆版の「ごんぎつね」など知ったところで、何の役にも立たないだろうけど、それでも何人かに一人は、記事を読んでくださった形跡がある。有り難いことである。

自筆版ごんぎつねの魅力

僕は、子どもの頃からずっと、作文とか感想文が嫌いだった。宿題に出されても、ほとんど未提出で済ませてきたように思う。その理由の1つは、僕が左利きで、右手で字を書くことにストレスを抱えてたってことだけど、もう1つの理由は、思い通りに書けない自分が嫌だったからだ。こんな文章を読んだ皆は、僕のことをどう思うだろう。そんなことばかりを気にしていた。

そんな僕だけど、一度だけ作文を掲載されたことがある。小学校6年生の時だ。PTAの広報誌か何かだったと思う。僕らは担任から、もうすぐ中学生になる心境を書くように云われた。僕は、家に届いた大量のダイレクトメールについて書いた。どこでどう調べたのか分からないが、6年生の子どもを持つ家には、制服を買えとか、通信教育に入れとかの勧誘はがきがたくさん届いていた。で、まあ、そのへんをネタに、捻くれた作文を書いてみたわけである。

で、どうしたものか、それが担任の気に入るところになったらしい。級友たちの書く作文は、中学生になったら頑張ります!・・・みたいなものばかりだったろうから、僕の捻くれた作文を面白いと思ってくれたんだろう。担任から、お前の作文に決めたからと云われて、それなりに楽しみに待っていた。

何日かして配られた広報誌を見て、僕は、あれって思った。確かに内容的には僕の作文だが、文章が違っているのである。担任が、ぼくの作文に手を入れていたのだ。僕の文章をそのまま広報誌に載せるわけにはいかなかったんだろう。とはいえ、誤字脱字の訂正の域を超えていたのも確かである。子どもの作文が、掲載にあたって添削されるのは常識なのかもしれないけど、なにぶん採用された経験がないのでビックリした次第である。

作文が掲載されたことで、周りから褒められたりもしたんだけど、僕的にはビミョーで、心の底から嬉しいと思えなかった記憶がある。僕の作文は、僕のものだったし、子どもにだってプライドはあるのだ。

大人になって、「ごんぎつね」の赤い鳥版と自筆版を並べて読んだとき、僕はこの時のことを思い出した。新美南吉は、「権狐」が赤い鳥に掲載されたとき、どう思ったのだろうか。確かに「赤い鳥」に掲載されたことで、南吉の名は広がり、原稿の依頼が来るまでになったけど、僕は、改作された「ごんぎつね」を見て、南吉が何を思ったのか知りたい。

「ごんぎつね」が「赤い鳥」に掲載された翌年、北原白秋が鈴木三重吉と絶交するに至り「赤い鳥」と絶縁すると、南吉も「赤い鳥」への投稿をやめてしまう。これは、南吉が、尊敬する北原白秋に追従したためと云われてきたが、「ごんぎつね」掲載にあたって抱いていた、三重吉氏に対する不信感が、根底にあったように思えてならない。

僕は改作された赤い鳥版の「ごんぎつね」を否定するつもりもないし、教科書に掲載され続けることも良いことだと思う。ただ、南吉の他の作品と読み比べたときに感じる「ごんぎつね」の違和感。あの南吉作品独特のぼんやり感の欠如は、やはり改作が原因だと言えるし、改作によって、物語に矛盾点(つっこみどころ)を抱えてしまったのも事実である。問題は、それらが17才の代用教員であった新美南吉の「未熟さ」のせいにされてきたことにある。自筆版「ごんぎつね」は、新美南吉による知多半島を舞台にした創作民話として、完成された作品なのだ。

自筆版の存在は、少しずつではあるが、世間に知られるようになってきた。いつの日か、2つの「ごんぎつね」が対等な扱いとなり、共に書店に並ぶようになれば、嬉しいこと此の上ない。

#新美南吉  #ごんぎつね

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