こんな映画です。作品紹介では「帝国海軍という巨大な権力に立ち向かい、数学で戦争を止めようとした男の物語」とありました。
いつも思うんですけど、予告編って上手に作るものですね。本編よりも迫力があるように思います。
全体的な印象としては、面白かったです。ただ、かなり地味な映画でした。冒頭の大和が撃沈されるシーンは、それなりに迫力がありましたけど数分間だけでしたし、映画の中で主人公がやったことと云えば、新型戦艦の正しい見積額を算出しただけです。丁寧に作った2時間スペシャル・ドラマって感じでしょうか。戦争映画としては「男たちのYAMATO」が、娯楽映画としては「シン・ゴジラ」の方が何倍も迫力がありましたからね。
僕は、原作コミックを知りませんでしたけど、こちらはスケールの大きな作品のようで、映画は原作のほんの一部分に過ぎなかったみたいです。映画としてムリヤリ2時間のドラマにまとめてしまうよりも、連続ドラマのほうが世界観を出せたかもしれません。
物語は「山本五十六」とか実在の人物がでてきますけど、実話ではありません。念のため。
でも、海軍ヲタク的には、面白いところもありました。1933年(昭和8年)、太平洋戦争の開戦8年前が舞台ですので、軍艦なども、ちょっとマニアックなのが出てくるんですけど、ちゃんと時代考証されていましたよ。きっと、原作者か映画監督か分かりませんけど、誰かがバリバリの海軍ヲタクなんでしょう。
まず、1つめは三段甲板の空母赤城ですね。山本五十六少将(当時の肩書きは、第一航空戦隊司令官)が、航空母艦からの発艦試験を視察している場面です。VFXとは云え、三段甲板の赤城が見られるとは感動です。
で、発艦していたのが、こちらの戦闘機(九0式艦上戦闘機)ですね。この頃は、まだ複葉機ですし、半分は木でできてるし、そもそも船から飛行機が飛び立てるかどうか分からないっていう時代だったんですよね。それが、この10年後にはゼロ戦が登場するんですから、航空機発達のスピードって凄かったんだなって思います。
次は、戦艦「長門」。主人公の櫂少佐が戦艦を視察するために長門を訪れるのですが、それが、この屈曲煙突タイプの長門なんですよ。2本ある煙突の前のやつが曲がっているでしょ。これは大改修される前のタイプなんですよね。
戦争というのは、刻一刻と戦況が変化します。ですから、軍艦も対空装備を増強したり、機関を改良したり、レーダーを取り付けたりと、どんどん改修されて姿形を変えていくんですけど、今までの戦争映画って、そういうところに無頓着って云うか、適当に作られているものが多かったんです。
「アルキメデスの大戦」では、建造されたばかりの大和と、撃沈されたときの大和と、ちゃんと描き分けていて、なかなか分かってるじゃんって思いました。
あと米軍では、雷撃機「TBF アベンジャー」とか、急降下爆撃機「SB2C ヘルダイバー」とかも良くできていて、格好良かったです。
ただ、戦闘のシーンは、ほぼVFX。昔の戦争映画みたいに、実物大の戦艦のセットを組み立てて、俳優さんが演技して、本物の飛行機を飛ばして、火薬がドッカーンみたいな映画はもう撮れないんですね。
今回の大和撃沈のシーンとか、本当に頑張って作ったと思うんですけど、VFXの技術が進歩して、いろいろデキるようになった反面、反対にやり過ぎちゃって嘘っぽく思えちゃいました。
戦闘シーンで人間が演じているのは、対空機銃を撃っているところぐらいでした。「大和」って、竣工したときと撃沈したときとでは、乗組員が800人くらい増えているんですけど、それは、飛行機の攻撃に対抗するために対空機銃を大量に増設したので、そのための兵隊さんたちなんです。
「三連装25ミリ高角機銃」って云うんですけど、上下左右に動かすのに、兵隊さんが人力でハンドルを回していて、目測で照準を合わせて撃ってるんです。で、弾倉は15発入りの箱型弾倉。15発撃つごとに弾倉を交換するんですけど、担いで運んでるんですよね。これで、時速300km以上で飛び回っている飛行機を撃ち落とそうって云うんですから、当たったら奇跡です。しかも米軍機は装甲が厚いんで、2,3発当たったくらいじゃなんともないんですから。
(ちなみに、大戦末期の米軍の40ミリ対空機銃は、対空レーダーと連動して自動で照準を合わせる優れもの)
あと、撃墜された米軍機からパイロットがパラシュートで脱出、海上に漂流しているところを飛行艇がやってきて救助、それを日本兵が呆然と見ている(撃てよ!)というシーンがありました。実際は、戦闘中に救助活動を行うなんてのはありませんでしょうけど、米軍がパイロットの救出に全力をあげていたのは事実です。
このブログでも何度も取り上げたように、これは人命尊重なんてことでは無くって、パイロットを育成する時間とお金を考えた合理的な理由からです。飛行機はいくらでも代わりがあるわけですから、パイロットさえ無事でいれば、戦力の低下にはならないわけで、これが、兵士を使い捨てにした日本軍との決定的な違いです。このシーンを象徴的に挿入した映画監督は、そのへんのところがよく分かっている方のようですね。
さて、数学で戦争を止めるという映画ですから、その辺のことも考えなくてはいけません。
この物語は、帝国大学を退学になった22才の軍隊嫌いの天才が、山本五十六少将の口利きで、いきなり海軍少佐に任官する話です。階級絶対主義の軍隊で、トンデモナイ奴が少佐なんですから、いろいろとドタバタが起きるんですけど、ここは一番面白いところだと思ったんで、もう少し見たかったですね。
山本五十六少将の論理はこんな感じ。
海軍で超巨大戦艦の建造計画が持ち上がっている。→そんな戦艦を手に入れたら、日本は戦争に勝てるという幻想を抱いてしまう。→でも、示された建造費が安すぎる。→その不正を曝けば建造を中止できる。→日本は戦争への道を歩まなくて済む。
で、この映画で、櫂少佐が行った仕事は、次の2つです。まずは、全く情報が得られない絶望的な状況の中で、わずかなスペック表と戦艦長門のデータを元に、新型巨大戦艦の基本設計図を作ってしまいます。(さすが天才)次に、その設計図を元に正しい建造費を計算しました。
櫂少佐は、絶対的に時間が足りない状況で、設計図から建造費を割り出すために、鉄の使用量から建造費を計算するという超裏技を編み出します。
大阪の造船所で既存の軍艦のデータを見ていた櫂少佐は、建造に使われた鉄の量と建造費の間に、ある関数が存在していることを発見します。変数が鉄の使用量の1つだけで、他は定数の関数です。それで分かったら確かに凄いです。潜水艦と駆逐艦があって、もしも鉄の使用量が同じだったらどうなるんだろうって、ツッコミたいところですけど、まあフィクションですから良しとしましょう。黒板の一行目にあるのが、その関数ですよ。
で、正しい見積額を曝いて、不正を糾弾して、ついでに新型戦艦の設計ミスを指摘して、戦艦の計画を白紙撤回させて、という感じにストーリーは進んでいきます。
ところが、山本五十六少将の真の目的は、その予算で空母機動部隊を編成して、アメリカとの戦争が始まったときに真珠湾を先制攻撃することでした。結局、櫂少佐は、海軍という巨大組織に利用されていただけだったんです。
櫂少佐は、新型戦艦を設計した平山造船中将から、巨大戦艦にかける思いを聞かされます。
平山中将の論理はこんな感じ。
アメリカとの戦争は避けられない。→日本は滅びるまで戦争をやめないだろう。→もし、日本を象徴する巨大戦艦があって、それが沈めば日本は絶望し降伏を考えるだろう。→巨大戦艦は、日本という国家の身代わりとなって沈むのだ。→そのために、美しく完璧で誰もが誇りと思える戦艦を造りたい。戦艦の名前は「大和」。
結局、櫂少佐は大和の建造に協力してしまいます。大和が完成したその日、櫂中佐(襟の階級章の星が2つになってたのを、僕は見逃しませんでしたよ。)は、数学的に完璧で美しい巨大戦艦に涙を流すのでした。って感じです。
戦艦大和が海軍の象徴だという思想は確かにあったと思います、当時の日本国民の中にも、大和があればアメリカに勝てる、未だ日本には大和があるから大丈夫だ、という考えが存在していました。
それは、アメリカ軍も同じで、大和を沈めることが戦争を終わらせることになると考えていました。
大和が沖縄に向けて出撃したとき、アメリカ軍は、その行動を完璧に把握していました。通常ならば、作戦を阻止するのが正しい戦略のはずなんですけど、アメリカ軍は、追跡している潜水艦に「絶対、手を出だすな」って命令しているんですよね。大和が作戦を中止して日本に引き返したら困るんです。
日本側から見ても、大和が沖縄に出撃したのは、戦略的に全く意味の無いことでした。でも、作戦は実行されました。これは、日米両海軍が、戦争を終えるために行った「セレモニー」だったんですよ。3700名の命を犠牲にしての。
戦艦大和は、1945年(昭和20年)4月7日に沈みましたが、日本は戦争をやめませんでした。日本が降伏を決断したのは、8月9日のソ連侵攻によってです。
もし、日本が、平山造船中将の思惑通り、そして沖縄が占領された時点で降伏していれば、日本の地方都市への空襲も、広島・長崎の原爆投下も、北方領土占領もなかったことになります。
2 件のコメント:
ボフォースも云われてるほど優れてないよ
コメントありがとうございます。
戦争のドキュメント番組っていうと、
米兵がガム噛みながら機関砲を撃ちまくって、
特攻機をバンバン撃墜しているニューズ映像ばかりを見てきましたから、
つい過大評価をしてしまったかもしれません。
宜しかったら、映画の感想もお聞かせ下さい。
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