2018年7月16日月曜日

NHK大河ドラマ平清盛より「遊びをせんとや」松浦愛弓&初音ミク ~大河ドラマ史上最高の挿入歌~

大河ドラマ歴代最低視聴率でありながら、大河史上最高傑作といわれる、2012年放送の「平清盛」。

僕、大好きでした。

当時、僕は、仏像巡りに夢中でした。ドラマの舞台になった、平安末期から鎌倉初期というのは、最も盛んに仏像が作られた時代でもあります。奈良や京都で仏像を訪ねると、美福門院とか八条院暲子とか鳥羽院とかの名前が出てくるのですけど、これまで院政時代を描いたドラマというのは、ほとんどありませんでしたから、「平清盛」でこの時代を取り上げてくれたことは本当に嬉しかったです。
しかも、ドラマが「理解できる奴だけついて来い」的で、超リアルでしたから、感動モノでした。
ドラマが始まると、パソコンを開いて、知らない事柄が出てくると、必死にググりながら見てました。

後で知ったのですが、歴史ヲタクたちが、ドラマの放送に合わせてツイッターで語り合いながら視聴することも行われていたようで、「初のソーシャル大河」とか云われていたらしいです。

ところが、一般ウケはしなかったみたいです。兵庫県知事の「画面が汚い」発言は、今も語り継がれる迷言です。大河ドラマって云うのは、誰でも知っている話を、誰もが知っている通りに、人気の俳優が演じているのを安心して見るものであって、「そうか、平安時代の京都って、埃だらけだったんだ」なんて感動しているのは一部の歴史マニアだけ、そんなリアルさは誰も求めていなかったんですよね。

でも、登場人物は、素晴らしかったですよ。前期の事実上の主役「中井貴一」さん演ずる「平忠盛」は格好良すぎでしたし、「藤木直人」さん演ずる「佐藤義清」(後の西行法師)と「清盛」のカラミも面白かったし、「白河院(伊東四朗)」「鳥羽院(三上博史)」、そして何より「崇徳院」の「井浦新」さんの演技は最高でした。「信西(阿部サダヲ)」も魅力的な人物として描かれていましたし・・・、きりがありません。


今回紹介させていただく「遊びをせんとや」は、平安時代の「今様」を元に作られたドラマの劇中歌です。歌っている「松浦愛弓(まつうらあゆ)」さんは、テアトルエコー所属の女優・声優さんだそうです。
「松浦亜弥」さんとは、1文字違い。生まれが、松浦亜弥さんのデビューした年と同じ2001年だそうですから、現在17歳のお嬢さんで、今でも、テレビドラマなど出演してるとのことでした。

YouTubeで「松浦愛弓」と検索すると、こんなCMが出てきました。

 
「フジッコ:海の野菜」のCMは、何人かの子役が担当したそうですけど、「愛弓」ちゃんのテイクは人気が高かったようですね。

そしてCMから2年後、「松浦愛弓」ちゃんは、NHK大河ドラマ「平清盛」のテーマソングの歌唱部分を担当することになります。この歌唱部分は単独の楽曲となり、ドラマの重要な場面では必ずと云って良いほど流されました。



遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

この詞は、後白河法皇が編纂させた「梁塵秘抄」に収録されている最も有名な「今様」だそうです。今様は、「今っぽい」ということですから、当時の流行歌という意味になります。上流階級の貴族からは「俗謡」とされ、卑しいものとして蔑まれていたようですが、何故か「後白河」は、この今様が大好きだったようです。

直接の意味は、「子どもとは、遊ぶために生まれてきたのだろうか。子どもとは、戯れるために生まれてきたのだろうか。そんな子どもの遊んでいる声を聞いていると、自分も子どもの頃に戻ったような気がして、自然と体が動いてしまうんだよ。」と云ったところでしょうか。

1000年以上も前に謡われたこの詞が、今も心に響くのは、いつの時代も変わらない、子どもと、それを見守る大人の姿に、深く共感できるからだと思います。

定説では、これを「遊びや戯れは生きることそのものであり、子どもが時を忘れて遊ぶように、自分も夢中で生きたいものである。」と読み解くようですが、ちょっと教訓っぽい感じになるんで、僕的には、直訳のままの方が心に染み入ります。

今様は、歌詞は文字として記録に残っているのですが、メロディーは伝わっていません。「梁塵秘抄」には、唄い方の記述もあるそうですが、今となっては、それらも解読不可能とのことでした。
したがって、このメロディーは、作曲を担当した「吉松 隆」氏のオリジナルということになります。まあ、平安時代に、このような三拍子のメロディーがあったかどうか分かりませんけど、素敵な楽曲であることは確かです。

そして、大河ドラマの音楽を担当した、作曲家の「吉松 隆」氏は、テーマソングの試作段階で、この歌唱部分を「初音ミク」に歌わせたそうです。

2011年の「千本桜」、2012年の「Tell Your World」のヒットを受けて、当時の初音ミクは、正に絶頂期にありました。当初は、オタクのおもちゃ的な扱いだったものが、いわゆる一流の音楽家たちが、その可能性について、興味を示し始めていたのもこの時期になります。

実は、楽曲の試作段階で、人間の代わりにボーカロイドに歌唱させるというのは、全くの正統的な使用方法であります。そもそもボーカロイドとは、そのために開発された技術であって、幕張メッセとかにディラッドスクリーンを持ち込んで、CGに向かって「オイッ、オイッ」なんてコールしている方が、よっぽど想定外な使用方法なわけです。

「吉松 隆」氏は、この初音ミクの歌唱が気に入ったようで、このまま、テーマソングに採用したいと考えたようですが、当時のNHKは、この申し出を受け入れませんでした。

「直虎」で音楽を担当した「菅野 よう子」氏によると、大河ドラマのテーマ曲というのは作曲家にとって特別な存在であると云います。そもそも、2分30秒もの楽曲が全国のテレビで一年間も流されるなんてことは、他では絶対に無いことですし、しかも、演奏するのは、世界に誇る「NHK交響楽団」ですからね。

テーマ曲は「生音」でなければ許可できないというのが、当時のNHKの主張だったようです。

そこで抜擢されたのが「松浦愛弓」ちゃんでした。「普通の子供が普通に口ずさんでいる」というイメージに合っていたこと、何より「歌う声が初音ミクに似ていたから」というのが採用の理由だったと云われています。

で、ヲタさんは、ちゃんとこういう作品も作っています。ニコニコ動画からの転載でしょうか。

   
当たり前のことですけど、似ていますね。

そういえば、悪左府「藤原頼長」の最期の場面でも、「兎丸」が「禿童」に暗殺されるシーンにも、この曲が流れていました。


院政という時代を、そして古代から中世への転換点となった「保元の乱」に至るまでの過程を、これほどまでに丁寧に描ききった作品があったでしょうか。

「平清盛」の登場人物たちは、みんなどこかに陰を持っていて、ドラマ全体が物悲しさに覆われていたように思います。この世には、善人などいないのだと、悪人などいないのだと、全ての人は、善人であり悪人なのだと。それこそが、このドラマのテーマなのだと思います。

「松浦愛弓」ちゃんを連れてきたのは、正解だったと思います。少女の、つまり、まだ善人でも悪人でもない、純粋無垢な歌声だからこそ、人の世の埃にまみれて生きる者たちのラストシーンで、心に響いたのだと思います。
とすれば、この楽曲において「吉松 隆」氏が初音ミクに興味を示したのも分かるような気がします。人では無い「初音ミク」もまた、善人でも悪人でも無いわけですから。

これは、初音ミクとDTMの作品ですので、貼り付け可だと思います。素晴らしい力作です。

 
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

純粋無垢な童心に戻りたいと願ったところで、かなうわけもなく、結局は、僕らも、善人として悪人として生きていくしかないわけで、それもまた、千年の時を経ても変わらないことなのだと。

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