歌うとは、言葉を音にのせることである。1つの音には、1音節または1拍の音声が対応する。例えば、「ILove You」は、文字数は8であるが音節数は3だから、歌うためには音符が3つあればよい。
ところが、「オレはオマエを愛してる」と歌うと、日本語は、ほぼ「文字数=拍数」だから12拍となり、12個の音符が必要になる。
夏目漱石みたいに「月がきれいですね」と意訳すると9文字9拍、二葉亭四迷の「死んでもいいわ」でも7文字7拍である。
中国語は音符1つに漢字1文字だと思うが、漢字はそれ自体に意味を持つので、7文字歌えばかなりの情報量になる。
これは、俳句の世界でも同じで、日本語の俳句は、5・7・5の17拍の中にいかに情報を盛り込むかを工夫するものだが、英語俳句では、17音節だと情報量が多すぎて俳句っぽくなくなるそうで、2・3・2の7音節とか、3・4・3の10音節で作ることが普通らしい。
日本語は、歌うにあたって音符を大量消費する世界的にも珍しい言語なのであり、同じ音符数で比べた場合、日本語の歌は英語の約半分の情報量しか持っていないのである。
例えば、Norah Jones「Don't Know Why」で繰り返し歌われるフレーズ「I don't know why I didn't come」(どうして行かなかったのか、自分でも分からない)は音符8個で歌われるが、この文を8文字の日本語に意訳するのはかなり難しい。「私、ここに居たの」とか「立ち尽くすばかり」などと意訳して歌ってるテイクがYouTubeにあって、なかなか健闘しているとは思うが、「愛していたはずなのに、最後の最後でためらったことへの後悔」というニュアンスを伝えきれてるとは言い難い。
そんな日本語が持つ弱点の対応策として、いくつかのチャレンジがなされてきた。1つは、70年代のフォークソングに見られる、16分音符を大量に用いて歌いまくる方法である。
他にも、1音に複数の文字を当てはめ、英語っぽく歌ってしまうというやり方があるそうで、近年、実践しているアーティストも多くなっているとのことである。
そして何より、日本の作詞者は、限られた文字数の中で、いかに想いを伝えるかを工夫してきた。
演歌などは、あれこれ欲張らずに、7・5調の短い場面描写だけで、楽曲を成立させている。修飾語で飾り立てることが難しいから、名詞中心のシンプルな歌詞になる。
さらに言葉が省略されたり、抽象的な言い回しも多い。「I Love You」だって「好きだ」だけなら3拍でOKだ。
ただ、こういうことをしていると、多くのJ・POPの歌詞がそうであるように、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列になり、読み取りは、どんどん難しくなる。
前回紹介させていただいた、丸山純奈ちゃんの「始まりのバラード」だって、平均的学力(?)の中学2年生が、歌詞の内容をどこまで読み取れているのか疑問である。(ちなみに彼女は、「得意教科は?」と聞かれて「体育です!」と即答したらしい。)
あなたの「強さ」と名付けられる愛のために、私が「情熱」をなくすってことは、見栄っぱりの彼に、彼女がドン引きしたってことだし、その二人が「またロマンスに抱かれる」のだから、焼け木杭に火が付いたという話になる。いったい「始まりのバラード」って、何が始まったことを伝えたいのだろう。僕には、「アンジェラ・アキ」さんがこの歌に込めた想いを、正しく読み取る自信がない。
そもそも、この歌は、1番が「あなた」であり、2番が「わたし」を歌っているようなのだが、ハッキリしない。純奈ちゃんが「わたし」と「あなた」と「ふたり」をごちゃ混ぜにして歌ってしまうのは、誰が何をどうしたかを、ちゃんと書ききることが難しい日本語の歌詞が原因とも云えるのだ。
以前、人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」の記事で、歌詞は限定された文章なので、AIでも読解は可能だろうなどと気軽に書いてしまったが、細かく描写しなくても、日本人同士なら分かり合えるだろうって前提で書かれた文と、その文で構成された文章の行間を、AIが読み取れるとは思えない。
しかし、歌を聴くのは、文章を読むのとは異なる。聴き手は、必ずしも歌詞全体の構成をとらえながら聴いているわけではない。歌は、その場限りで消えて無くなっていくものだから、今聴いているワンフレーズやワンセンテンスに違和感を感じなければ、全体の構成が理解できなくても、感動できてしまうのだ。
純奈ちゃんが「世界一長い夜にも必ず朝は来る」ってサビで歌うとき、僕がうるっときてしまうのは、その部分しか意識にないからである。
僕は、学校で歌わされた校歌が嫌いだった。1番が「光あれ」で、2番が「力あれ」とかになっていると、必ず間違えたものだった。歌詞が入れ替わっても通用してしまうからだ。
そもそも「光」と「力」は同じではない。それが交換可能になってるのは、歌詞が、校歌にありそうな言葉を単純につなげただけだからだ。そして、そういう歌詞って、結構多いと思う。
実は、純奈ちゃんが間違えるところも、こういった部分に思える。どっちでもイイから、間違える。
優れた歌詞は、必然だから、語句の交換など不可能だし、人の心に刻まれるし、当然、破綻もしない。そんな歌詞なら、きっと純奈ちゃんも歌い間違えることは無いだろう。
初音ミクのライブでは、最後に「桜の雨」をみんなで歌うのが定番になっている。「桜の雨」の歌詞も、卒業の検索関連ワード集みたいな感じで、ツッコミどころ満載なのだが、歌うとそれなりに感動するし、中には泣いている奴だっている。たとえ歌詞が、ただの自己満足で、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列に過ぎなくとも、ちゃんと感動できるのが「歌」であり、「歌う」という行為なのだ。
だから、文字だけで勝負する詩や俳句と違って、歌うための作詩ならば、誰にだって書けると思う。伏線を張り巡らせる必要も無いし、関連ワードを検索してつなげるだけならAIにだってできる。作詞のハードルは決して高くない。それでアーティスト扱いしてもらえるのなら、松浦亜弥さんだって、遠慮せずにどんどん書けば良かったのだ。
歌詞は、文章ではあるけれど、全体の構成の理解が必須でなく、無理して行間を読み取る必要のないものと云える。歌は、フレーズの単純な集合体と云う考えが、歌唱についてだけでなく、歌詞の構成と読解に関しても通用するならば「初音ミクAI」の未来は明るい。
って、思いのままに書いてきて、読み直してみたら、論点がズレまくってることに気がついた。文章としてはいただけなないが、歌詞だったらスルーしてもらえる・・・かな?
「Don't Know Why」 直訳詞
夜明けを ずっと待っていた
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど
あなたを思い出の傍らに置いたまま
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう
夜明けを見た時、飛んで行けたらいいのにと思った
砂の上にひざまずき この手で涙を受け止めても
心をワインに浸してみても あなたを忘れることなんてきない
果てしない海の彼方なら エクスタシーに浸れるのかも
でも 私は消えてしまいそう 孤独に車を走らせながら
心をワインに浸してみても あなたを忘れることなんてできない
何があなたを逃がしたの
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど
心は ドラムみたいに空っぽ
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう
外国の歌だから、そのまま外国語で歌ってしまっても良いのだろうけど、西城秀樹さんの「ヤングマン」だって日本語で歌ったからこそ、ずっと人々の心に残っているわけだし、そのまま歌える日本語の意訳詞をお願いしたいものである。
できれば、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列のみでないものを。
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