2018年11月17日土曜日

メジャー7thでつなぐ思い出 ~フランシス・レイ「男と女」から五輪真弓「落日のテーマ」・荒井由実「晩夏」へ~

先日、フランスの作曲家「フランシス・レイ」氏が亡くなりました。氏が作曲した数多くの映画音楽、フランシス・レイの名前を知らなくても、その曲名を知らなくても、そのメロディーは誰もが聴いたことのあるものばかりだと思います。中でも、映画「男と女」のテーマソングは、氏の出世作であり、世界中の人々に親しまれている名曲です。フランシス・レイ氏逝去のニュースを聞いて、ちょっと昔のことを取り留めも無く思い出したものですから。


子どもの頃、僕ら家族は、ある事務所の建物に間借りして暮らしていました。六畳間が2つだけのところに家族4人。そんな狭いところだったのに、家には、中古のエレクトーンが置いてありました。弟が、当時流行っていた「ヤマハの音楽教室」に通っていたので、母が買ったのだと思います。
いつからか、僕は、そのエレクトーンを玩具代わりに弾いて遊ぶようになりました。誰に教わるわけでもありませんでしたから、完全な自己流でした。
実は、弟が、そのエレクトーンを弾いていたという記憶がありません。母が「オマエに習わせればよかった。」と笑っていたのを覚えています。

家には、エレクトーン初級の教則本がありました。「チューリップ」とか「きらきら星」などの超簡単な曲から始まって、最後の方に載っていたのが、フランシス・レイの「男と女」でした。
誰に強制されるものでもありませんでしたから、その曲にたどり着くまでには、長い時間がかかったと思います。

僕は、その「男と女」で、初めてメジャー7thコードに出会いました。音楽の教科書に載っているような楽曲しか知らなかった僕は、Fmaj7(FM7)のお洒落な響きに魅了されました。
それからは、メジャー7thばかりを弾いて遊んでいました。やがて、C7sus4とかBm7-5とかDm7/Gとか、いろいろなコードを覚えていきました。

映画の「男と女」は、テレビの洋画劇場で見た覚えがあります。悲しい過去を持つバツイチの男と女が、くっついたり離れたりしながら。最後は駅のホームみたいなところで、抱き合って、映像が止まって、ハッピーエンドという映画だったと思います。(合ってますか?)

やがて、僕は、簡単な楽曲ならば、メロディーやコードを耳コピして弾いて遊ぶようになりました。中学生が親にねだってギターを買ってもらったとしても、ギター教室に通う奴なんかいないのと同じように、僕のエレクトーンも完全な自己流でした。級友たちは、ピアノなどは、教わらなければ弾けないものと思い込んでいましたから、僕が流行の曲をそれっぽく弾くのが、凄いことのように思っていたようです。

その頃、NHKでは、夜の連続ドラマ「銀河テレビ小説」ってのがあって、僕らの母親世代の人たちが喜んでみるようなドラマを放送していました。
石川達三氏原作の「僕たちの失敗」もその中の1つでした。でも、僕は、「酒井和歌子」さんと「荻島真一」さんが主演のそのドラマよりも、その主題歌に衝撃を受けました。なんとも不思議な、体験したことのない雰囲気をもった楽曲だったからです。

僕は、さっそく、その主題歌を耳コピしようとしましたが、皆目見当がつきませんでした。メロディーは探ることができても、コードが全然分かりません。完全にお手上げでした。

その主題歌は、評判だったようです。あるとき、返信用の封筒を同封すれば楽譜をプレゼントします、みたいなお知らせがありました。僕は、早速申し込みました。楽譜が送られて来るまで、随分待たされた覚えがあります。ようやく届いた封筒を開けると、小さな紙切れが一枚入っていました。楽譜といっても、ちゃんとした伴奏譜じゃなくって、メロディーが書かれた五線譜に、歌詞とギターコードが付けられていただけのものでした。

早速、その曲を弾こうとしたのですが、いきなり出てきたコードがC△7でした。「さんかく?」そんなコードは見たこともありませんでしたから、面食らってしまいました。それは、メジャー7の略号だと知りました。その主題歌は、いきなりC9とかCM7から始まる楽曲でした。僕の音楽力などで太刀打ちできるような代物ではなかったのです。

その曲名は、「落日のテーマ」。作ったのは「五輪真弓」さんでした。当時の五輪さんは、「恋人よ」などのヒット曲を送り出す前で、まだ、それほど知られた存在ではなかったように思います。
「落日のテーマ」という曲名も、今回初めて知りました。ずっと「僕たちの失敗の主題歌」と云うのだと思ってました。(ちなみに、「僕たちの失敗」で検索すると森田童子の楽曲が引っかかるので要注意)

この記事を書くにあたって、ネットで検索してみたのですが、この主題歌に衝撃を受けたという奴は、けっこう多かったようで、「40年以上たった今でも忘れられない」みたいな書き込みがゾロゾロ出てきます。
いわゆる、ニューミュージックが、始まりつつある時代で、楽曲に使われるコードも、複雑化していった時代でした。

ドラマ主題歌の音源はすでに失われているようですが、五輪さんがアルバムの中でセルフカバーしてるテイクがあるそうです。ただ、コメントによると、主題歌のとは、雰囲気が変ってしまっているとのことでした。
YouTubeには、いくつかのカバーテイクが投稿されています。そんな中から、貼り付けさせていただいたのがこのテイクです。


改めて聴いてみても、凄いつくりだと思います。終わり方のコードなんて、本当にあれで合っているのでしょうか。全く理解できません。
実は、もっと上手な演奏もあるのですが、(ゴメンナサイ)、なんとなくオリジナルに忠実なように思ったのでセレクトさせていただきました。でも、ドラマ主題歌との違和感は拭えません。まあ、御本人でさえ再現できなかったのですから、致し方ないことではあります。


「銀河テレビ小説」の主題歌で、もう1つ忘れられないのが、荒井由実さんの「晩夏(ひとりの季節)」です。
この頃の荒井由実さんは、だいぶ有名になっていたと思います。相変わらず、ドラマについての記憶が全く無いのは、主題歌だけを聴いてたからでしょう。


この音源、テレビにラジカセを向けて録ったものだそうです。家庭用のビデオデッキが普及する以前の話で、このころのVHSテープは、1本6,000円したそうです。
僕も、同じように歌番組をラジカセで直録りしてました。ただ、そういったテープを保存している人がいて、こうやって聴くことが出来るのですから、凄い世の中だと思います。YouTubeには、アルバム音源も投稿されていて、音質も良いのですが、やはり、僕にとっての「晩夏」は、こちらのイメージなのです。

この曲もCM7から始まります。オリジナルキーは違うのかもしれませんけど、僕は、#とか♭が苦手でしたので、勝手にC調にして弾いていました。なのに出だしの音はB。この頃は、完璧とは云えないまでも、それっぽく耳コピできていたと思います。ただ、僕は、それ以上に僕は、この歌詞に衝撃を受けてていました。

ゆく夏に 名残る暑さは 
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
秋風の心細さはコスモス
空色は水色に 茜は紅に
やがて来る淋しい季節が恋人なの
丘の上 銀河の降りるグランドに
子どもの声は犬の名をくりかえし
ふもとの町へ帰る
藍色は群青に 薄暮は紫に
ふるさとは深いしじまに輝き出す

秋の訪れとともに、空の色は「空色」から「水色」に変化してゆくのだと、夕焼けは、「茜色」から「紅」に変ってゆくのだと、そんな歌詞の意味さえ、当時は分かっちゃいませんでした。もっとも、色彩を明るく変化させたことの意味は、今でもよく分かりませんけどw

YouTubeには、この楽曲の素敵な映像作品がたくさん投稿されています。で、この映像作品でお終いにします。これをセレクトした理由は・・・分かりますよね。


2 件のコメント:

subway walls さんのコメント...

僕も少々思い出を書かせてもらいます。
荒井由実さんについては、デビュー当時は、何となくブルジョアのお嬢さん的な匂いの強い彼女に偏見があり、あまり好印象は持っていませんでした。
たまにラジオなどから流れてくる曲はとてもいい曲が多かったんですが、そんな自分を認めたくなかったんでしょう。

大学当時、僕の兄は、西武池袋線の隣駅に住んでおり、兄のアパートには時々遊びにいってました。

そんなある日、兄のアパートに行くと、兄が「14番目の月」を購入して聴いてました。
荒井由実さんを初めてまともに聞きました。
その才能を素直に認めざるを得ませんでしたね。

このLPには別のちょっとした思い出もあり、ある日友達と兄の部屋に行くと兄は不在で、そのまま泊まったんですが、翌日の早朝、愚かな友がLPを大音量で流したため、隣の部屋に住む僕より1級上の日大の学生が怒鳴り込んできて、アパートの前の公園に呼び出されました。

「これまで何回も注意した(兄に対して)、だから今回は殴る。」と宣言し、殴られる寸前に、アパートの隣の区立高校の女子高生が、2階の窓から見てたんでしょうね、不穏な空気を察知してか「何してんの〜」って叫んでくれたお陰で難を逃れました。

まぁ、そんな話はどうでもいいのですが、このLPに収録されてる曲はどれも素敵で(その後聴いたそれ以前のアルバムも収録曲に駄作がありませんよね。)本当に驚きました。

特に「晩夏」は、仰る通り僕も衝撃を受けました。
色彩の移ろいを歌った部分は勿論なんですが、美大生であったことを考えれば、お手のものかもしれません。

「丘の上 銀河の降りる〜ふもとの街へ帰る」の部分は、改めて聴いてもちょっと泣きそうになりますね。
実体験はないのに、鮮やかに甦るイメージ、ノスタルジックな感情。よくこんな歌詞が書けるものです。

「空色は水色に 茜は紅に」のくだりなんですが、何故か色が明るくなると言うことでしたが、僕の拙い解釈では、夏が終わり秋風が吹く淋しい季節へ移り変わると共に、徐々に夏の濃い色から色が抜け落ちて行くイメージなんでしょうか。それとも、秋の少しひんやりした澄んだ空気のように、濁りが澄んで行くようなことでしょうか。まぁ、結局僕もよくわかりませんが、結構納得してます。

さんのコメント...

とりとめのない思い出話にお付き合いいただきありがとうございます。

大人になって改めて読んでみましたけど、やぱっり秀逸な歌詞ですよね。
「犬の名を 繰り返し子に 銀河降る」
なんて、イイ感じの俳句ではないかと。
コッソリ投稿してみましょうかw

色彩描写は、子どもの僕にもインパクト大でした。
藍色と群青色の違いとか、分からなくても、なんだか凄いなあって思っていました。

今回改めて考えたんですけど、どれも、色彩を白っぽく変化させているんですよね。

僕的には、秋の方が色彩が濃くなるイメージなんですけど、
鮮やかだった夏の思い出が、色褪せてゆくことを描写したんでしょうか。

まあ、「語呂が良かったから」と言ってしまうのは野暮ですからね。
いろいろと考えて楽しみたいです。