2020年3月20日金曜日

松浦亜弥「想いあふれて」 ~歌い手が試される凡庸なバラード~

「想いあふれて」は、2009年にリリースした松浦亜弥さんの5枚目のオリジナルアルバムであり、その収録曲であり、同年のコンサートツアーの名称であります。

1年3ヶ月ぶりにリリースしたアルバム「想いあふれて」でしたが、チャート最高順位は29位、売り上げは約5,000枚。待望しているはずのファンが、1年3ヶ月の間にどこかへ消えてしまったと云うことでしょうか。


「想いあふれて」については、過去に、コンサートツアーに関して5本、楽曲に対して1本の記事を投稿してありました。松浦亜弥さんについて熱く語っていた頃ですし、今回の元記事でもありますので、お時間があれば。



とは云っても「想いあふれて」は、松浦亜弥さんの後期の代表曲です。2009年以降のライブでは、必ずってくらい歌ってますので、アレンジもテンポも異なる様々なテイクが、YouTubeに投稿されています。
その中でも代表的な歌唱といえば、まずは2009年秋のコンサートツアーとなりましょうか。DVD収録されたのは、聖地「中野サンプラザ」で、アンコールの1曲目として歌われています。

では、前回の記事でも紹介させていただいたTKLYIMさんによる、会場録音の動画を貼り付けさせていただきます。


同じライブで歌われていた「ダブルレインボウ」が、DVD発売にあたって歌詞の間違いを修正されていたという(衝撃的な)事実が報告されています。実は、このテイクも歌詞を間違えまくっているのですが、修正は行われていません。きっと間違いが多すぎて直しきれなかったのでしょう。

ちょびっと意地悪なんですが歌詞を書き出してみました。(   )は間違えて歌っちゃった歌詞です。
          「想いあふれて」
ひとりきりの週末にも なんだか慣れたみたい
きみを思い出さないで 過ぎてく日もある
ただ待つだけの毎日は  ひどく長かったけど
気持ちにふたをしながら 夜明けを待ったわ
どうか忘れないでほしい(このさきも思い出すでしょ)
あんなに愛していたこと
大切で守りたいよと
泣いた日があったこと
あんなに愛していたから  あんなにやさしかったから         
想い出なんかは欲しくない あの頃に戻りたい
壁の時計の音を聴き 部屋に花を飾った
静けさに身をゆだねて 瞼を閉じるの
ただ待つだけの毎日が
私にくれたものは(ひどく長かったけど)
孤独と背中合わせの 少しのプライド
(気持ちにふたをしながら 夜明けを待ったわ)
このさきも思い出すでしょう(どうか忘れないで欲しい)
あんなに愛していたこと
簡単にしまい込めない 温もりが残ります
どんなに愛していたって どんなに想っていたって
あなたに届くことはないと 今ならばわかります
このさきも思い出すでしょう あんなに愛していたこと
大切にしまいこむには(簡単にしまいこむには)
温もりが残ります
どんなに愛していたって どんなに想っていたって
あなたに届くことはないと 今ならばわかります
色褪せることない 想いがあふれます
なるほど、1番の歌詞を2回歌ったって感じですかね。あとは、大切に仕舞い込むが、簡単に仕舞い込むになったところでしょうか。まあ、意味は対照的ですが、仕舞えないことには変わりありません。交換可能なフレーズですし、論理的にも破綻してませんから、歌っている側も「あれっ」って思う程度だったかもしれません。僕もこの動画は何回か聴いていたはずなんですけど、こんなに歌詞間違いをしていたなんて気付きませんでした。

悪く云えば、歌詞にインパクトが無いってことだと思います。まあ、失った恋に想いを募らせるってシチュエーションは、昔からありますんで、思い出は欲しくないとか、あの頃に戻りたいとか、使い古された言葉が並んでしまうのも致し方ないこと。ならば、このような平凡なバラードを如何に聴かせるかこそ、歌い手さんの腕の見せどころと云えましょう。

           
2009年秋のコンサートツアー「想いあふれて」は、単なるアルバムツアーでなく、松浦亜弥のライブの集大成、これぞ松浦亜弥のライブというものにしたかったそうです。が、実際のところは、歌をじっくり聴かせるよりは、お別れイベントみたいな色合いが強かったように思います。アルバム収録曲10曲のうち、コンサートで披露された曲は5曲だけと投げやり的なセットリストでしたし、最大の特徴であるリクエストコーナーにしても、ファンクラブ・イベントのノリですからね。これぞ松浦亜弥って云うんだったら2007年のツアー「ダブルレインボウ」の方がずっと松浦亜弥だったと思います。
               
コンサートツアー「想いあふれて」は、9月5日から10月10日にかけて、6都市で8日間、のべ14公演とありました。DVD収録された中野公演がファイナルのような錯覚に陥りますが、ファイナルは札幌公演です。ただ、ライブレポートによると、初日の八王子公演で既に涙で歌えなかったそうですから、毎回、ファイナルみたいな雰囲気でツアーをしていたのかもしれません。
全盛期の、のべ55公演などと比べると、かなり寂しい感じですが、1階席は埋まるものの、2階席は空席が目立っていたらしいですし、札幌公演と東京公演の観客の顔ぶれがほとんど変わらなかった、という話も出ています。それでは、重要な収入源であるグッズの売り上げも期待できません。ラストツアー(当時の発表は3年間の休止)であることが告知されなけば、更に惨憺たる状況になっていたと思われます。「想いあふれて」が最後のツアーになったのは、彼女の体調の問題とされましたが、そうでなくとも、松浦亜弥は、全国ツアーを維持できるだけの動員力を、2009年の時点で既に失っていたことになります。

さて、松浦亜弥さんは、歌い込んでいくうちにだんだんとテンポが遅くなっていく傾向があって、「想いあふれて」でもテンポの異なるテイクが公開されています。
こちらは、2010年9月のCOTTON CLUBでのライブテイクです。このライブは、あっさりめに歌っている曲が多いようですね。

             
しっかり、歌詞カードを見ていますので、大丈夫だと思います。皮肉ではありません。間違えるよりずっと良いですから。楽器を演奏する人は楽譜を見て良くって、歌手は見ちゃダメなんて不公平ですからね。

スローテンポで感情込めまくって歌うのも素敵ですけど、こういう軽い感じの歌唱も悪くないなぁって、今更ながら思いました。コットンクラブの雰囲気にも合っているみたいです。

もう1つの動画は、同じ年の6月に開催されたマニアックライブⅢのテイク。同じ2010年ですけど、こちらはライブのラストで歌われていて、ゆっくりめになっています。


バラードを歌い始めた頃の松浦亜弥さんは、どんなに上手く歌っても、ただそれだけって感じがあったんですけど、この頃のテイクは、聴く側の心に染みいりますです。
松浦亜弥さんの歌唱って、上手すぎてファインプレーに見えないみたいなところがあって、普通に歌っているようでも、よくよく聴いてみるとやっぱり上手いんだと思うことが多いです。

この曲はハロプロの後輩たちが好んでカバーする楽曲のようで、たくさんのカバーテイクがありますが、どうもしっくりきません。歌うからには歌唱力のあるところをアピールしたいのは分かるんだけど、ハロプロの歌唱だと、何でそこでそんな声をだすかなぁって感じになるし、くどいんですよね。

お終いは「ラグジュアリー・クリスマス・ナイト 2013 at COTTON」のテイク。実年齢が楽曲に追いついてくるって、どんな歌唱テクニックよりも勝るってことかもしれません。松浦亜弥さんのラストライブですが、静止画で。


「想いあふれて」は、使い古された歌詞と、ありふれたメロディーラインで構成された平凡なバラードに思います。歌うだけなら特別なテクニックも要らないし、聴き手にインパクトを与えるような楽曲でも無いかもしれません。
しかし、凡庸は正統の証。結局は、奇をてらうこと無く、真摯に楽曲に向かい合うしかないのだと思います。愛する人への想いは、陳腐な言葉を使ってでしか表せないのですから。

本投稿記事について「アヤまる」さんから、コメントをいただきました。より深い理解のためにも、合わせて読んでいただければ、と思います。

2 件のコメント:

アヤまる さんのコメント...

ありがとうございます。「想いあふれて」シーリズ堪能しました。
2つ目のコットンクラブはドラムが邪魔している感じですが、もしかしたらそれは亜弥さんのリクエストだったのかもしれないと妄想しています。少々長文になりますがお許しください。

亜弥さんにとって歌は手段にすぎず目的はファンとのコミュニケーションではないかと思うことがあります。だから実はMCも歌も手段としては同じで、MCの方がより現実の自分に近いけどそこには演技としてのアオリもいじりもボケもツッコミあり、歌の方は現実の自分ではない役柄が設定されているけれどもそこに自分を重ねて伝えていくところもあると。

だからリハは嫌いなわけで、伝える相手も居ないのに何するの?という感じでしょうか。歌もMCと同じと考えればリハはつまらないと思います。

そんなことを前提に2009年のライブでの間違いをたどると、どうも間違った歌詞のほうがそのときの亜弥さんのファンに伝えたい想いがあふれているように思います。

最初の間違いというか差し替えは
どうか忘れないでほしい→(このさきも思い出すでしょ)
ですが、これによって相手への願望ではなく自分自身の想いになります。

つぎの差し替えも
私にくれたものは孤独と背中合わせの少しのプライド→(ひどく長かったけど気持ちにふたをしながら 夜明けを待ったわ)

病気との戦いもありファンになかなか会えなかった日々についての自分自身の気持ちは

「孤独と背中合わせの少しのプライド」ではなく
(ひどく長かったけど気持ちにふたをしながら 夜明けを待ったわ)という方が実感に近いかもしれません。

この3つの「差し替え」によって前半部分は全て自分の想いと状況が語られます。

そこまでで自分の想いを伝えたあとにファンへの願望として
このさきも思い出すでしょう→(どうか忘れないで欲しい)
と差し替えてから、この先「こう思うだろうなぁ」というファンの気持ちを推察します。

あんなに愛していたこと
簡単にしまい込めない 温もりが残ります
どんなに愛していたって どんなに想っていたって
あなたに届くことはないと 今ならばわかります
このさきも思い出すでしょう あんなに愛していたこと
大切にしまいこむには(簡単にしまいこむには)
温もりが残ります

この部分の差し替えも「大切にしまいこむには」より(簡単にしまいこむには)
の方が「温もりが残ります」との意味的繋がりがしっくり来ます。

どんなに愛していたって どんなに想っていたって
あなたに届くことはないと 今ならばわかります
色褪せることない 想いがあふれます

最後は自分にとってもファンにとってもこうありたいというまさに「想い」でしょうか。

私の勝手な妄想ですが、亜弥さんの間違いは「私の今の気持ちはこれよ」、という主張のような気がします。

2009年のライブはまさにファンとのコミュニケーションに想いあふれていたので歌詞なんか関係なくそう歌いたかったのでしょう。2番目のコットンクラブは亜弥さんにとってある程度の距離感を保っておきたい客筋だったのかもしれません。そういう場合は歌詞を見ながら正確に歌い、ドラムのような演奏の壁をあえて要求(高尾さんやっちゃってみたいな)をしたのかもしれないと、妄想しております。


さんのコメント...

コメントありがとうございます。

確かにコットンクラブのテイクはドラム等が目立っちゃってますね。じっくり歌を聴くという点ではMLⅢの方が良いのは確かだと思います。
ただ、コットンクラブであれだとお酒が不味くなっちゃうかもしれません。今回、改めて思ったのは、コットンクラブの軽快な感じの心地よさです。泣かせるばかりがバーラードじゃないんだなって。
まあ、その2つを高いレベルで、演奏し分け歌い分けることができる彼女たちは、やっぱり凄いんだなと思いました。

歌詞間違い(歌詞の差し替え?)については、意図的かどうかは別として、自然に出てきた言葉にこそ、その時の歌い手の真の気持ちが込められている、という考察は大変面白いと思います。。

確かに「待つだけの毎日がひどく長かった」とか「どうか忘れないで欲しい」という言葉が彼女の中でとても印象的であったり、その時の心情であったから、2度も歌ってしまったのかもしれませんね。そう歌ってしまったのには、それなりの要因があるということでしょうか。

それから、「大切にしまいこむには」は、明らかに作詞のミスに思いました。「温もりが残っているから簡単にしまいこめない」は分かりますけど、「温もりが残っているから大切にしまいこめない」は、アヤまるさんの仰る通り意味的繋がりがしっくりきません。

だって、温もりが残っていれば・・・大切にしまいます  よねw