2015年10月3日土曜日

「想いあふれて」松浦亜弥

 「想い」と「思い」もう一つあげるなら「念い」。全て「おもい」と読む。僕らの祖先が全て同じ行為だと捉えていたことを、漢民族は、区別していたということだ。彼らの方が「おもう」という行為に敏感であったのだろう。
 僕らは、漢字に出会うことによって、本来持っていた日本人としての感性に加えて、漢民族の感性をも取り入れることに成功した。カタカナ表記される外来語も含めると、日本語は世界でも希に見る感性豊かな表記が可能な言語だといえる。

 もっとも、ついこの間までの僕は、「想い」など使うことはなかった。僕が「想い」と「思い」という2つの文字を自分なりの解釈で使い分けるようになったのは、松浦亜弥のファンになってからのことだ。

 2009年のラストコンサートツアー「想いあふれて」は、お別れ会モード全開のライブである。オープニングに「桃色片想い」を持ってきたのもそうだし、アイドルソングをメドレーにして披露したのもそうだし、テニスボールのプレゼントやリクエストコーナーを設けたこともそうである。

 しかし、お客の入りは、芳しくなかったようだ。ラストツアーであることが告知されなけば、更に惨憺たる状況になったであろう。1階席は埋まるものの、2階席は空席が目立ち、かなりの数の当日券が残っていたという。そして、ツアーで全国を回ってみたところで、埋まっている1階席は同じ顔ぶれのファンばかり。そのような状況では、重要な収入源であるグッズの売り上げも期待できない。「想いあふれて」が最後のツアーになったのは、彼女の体調の問題とされたが、そうでなくとも、松浦亜弥は、全国ツアーを維持できるだけの動員力など、既に失っていたのである。

 この原因をアイドルオタクだけに求めるのは、若干無理がある。アイドルオタクが離れていったのは、もっと前からのことだし、2009年頃までついてきたファンは、かなりのコアな存在だったはずだ。最大の問題は、そのコアなファンからも見放されたというところにある。

 彼女がどんなに優れた歌唱力やステージパフォーマンスを披露しても、飽きられていったのである。僕には、その理由が分からない。いや、彼女自身だって、離れていったファンだって理由など分からなかったのだと思う。「ただ何となく。」人の想いほど、捕らえどころがなく、無責任で、残酷なものはない。

 「想いあふれて」は、ラストを飾るに相応しい曲だ。というか、ラスト以外では、使えない曲である。楽曲としてのベストパフォーマンスは、「korou」さんのブログ記事にあるように「マニアックライブⅢ」のテイクになるだろうが、この曲が相応しいステージは、やはり、2009年「想いあふれて」のラストソングであり、2013年「ラグジュアリー・クリスマス・ナイト」である。


 もし、「マニアックライブⅤ」の出来が良かったら、「クリスマス・ナイト」は、なかったように思う。彼女の、このままでは終われない、という想いが、「クリスマス・ナイト」の開催につながったのだろう。
 だから、「クリスマス・ナイト」は、満を持して行われたラストステージであったはずだ。それは、ファンサービスとして「部屋とYシャツと私」と「ひこうき雲」をセトリに入れたことからも分かる。

 「クリスマス・ナイト」で「想いあふれて」を歌う彼女は、涙を溜めていた。2009年のライブでも彼女は、涙を見せた。同じ楽曲で見せた涙であるが、これほど、好対照な涙はないだろう。2009年の涙は、全ての終わりに対してだが、2013年の涙は、新たな始まりに対してなのだから。

 もちろん、新たな始まりというのは松浦亜弥にとってのことで、僕らにとっては、本当の終わりであったのだけど。

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