この曲の前に歌った「ひこうき雲」も、良いんですが、安定感でいうと、やはり歌い込んでいる「LOVE涙色」の方が優れていると思います。
そして何より、松浦亜弥は、この時、既に、露出の多い派手な衣装や、興味を引くような振り付けなどを必要としない「歌手」であることを証明していたということに驚かされます。月並みな言い方しかできませんが、やはり、松浦亜弥は、ただのアイドルではなかったと思います。
歌を聴かせるというのは、どういうことなのか、考えるときがあります。
高音で声を張り上げて歌うことが、歌の上手さをアピールする唯一のやり方であるかのような傾向には疑問を持っています。巻き舌で日本語を崩して歌うのを個性的だとする傾向には、反感さえ覚えます。
どんなにカラオケ上手でも、素人はやはり素人ですし、逆に、決して歌が上手いとは思えないアーチストの歌で涙する人もいます。世界的声楽家の歌だからといって、必ずしも心を動かされるとは限らないのに、人間でもない初音ミクの歌で泣きそうになったことがありますw
だとすれば、人を歌で感動させるのに、歌が上手いと云うことは、必ずしも必要条件でないのかも、と思ってしまうのです。
こんな15才の松浦亜弥ごときに、負けない歌唱ができる人は、いくらでも存在するはずです。なのに、僕は、このテイクに心を動かされるんです。彼女のこの歌唱には、引きつける何かがあるんです。それを歌唱力というのであれば、歌唱力と歌が上手いと云うことは、別の次元、異なる尺度で語られるものではないでしょうか。
そして、ここにもう1つの「LOVE涙色」のテイクがあります。驚くべきことは、この2つが全くの同時期であるということです。このわずか2ヶ月違いのテイクが同一人物のものであるということは、さらに驚くべきことです。
松浦亜弥を、ただのアイドルではない、と評する一方で、僕がこのテイクから感ずるのは、松浦亜弥はただの歌の上手い歌手ではない、ということです。
1人のアーティストが一度に相手にできる観衆の人数には、限りがあるといいます。小さなライブハウスが似合うとか、1500人規模のホールまでだとか。ドームやアリーナでライブを開くには、単に動員力があるというだけでなく、そのアーティストがそれだけの人間の圧力を跳ね返すだけのパワーを持っているかどうか、が重要なのだそうです。近年では、ドームコンサートなど珍くはありませんが、多くは、グループであったり、何人ものダンサーやバックバンドを引き連れています。たった、一人でステージに立つというのは、僕らの想像を絶する「人間圧」との戦いなのです。
松浦亜弥のライブの特徴は、その単独性にあります。彼女は、基本的にゲストやサポートメンバーを必要としない、というか、ソロでパフォーマンスすることを好み、楽しんでいるようにさえ見えます。何千人もの観衆を向こうに回し、たった一人でリードする。この才能は、どういう言葉で表せば良いのでしょうか。昔なら「スター性」とでも云っていたかも知れませんが。
僕は、このあまりにも対照的で対極的な2つのテイクが、同時期に存在しえたということこそ、松浦亜弥が希有なタレントであったことの証明なのだと思います。
2 件のコメント:
この問題は考えると面白いですね。
本文とコメント内容が逸れ出したらご勘弁ください。
わたしはいつも思うのですが、人の趣向趣味もっと言えば美意識は個人の感覚の錯乱に過ぎないと言うことです。言い換えれば絶対的にあるいは普遍的に正しいか間違っているかはこの問題に限って言えば無さそうなんですね。
その個人がそう思ったならそれでいいのであってそれの正誤を争うのは無意味だと考えています。だってしょうがないもん、ええと感じたんだからってなことです。
ただ感じた自分がこれがイイよって言ったり勧めたりするのは自由ですし大いにやればいいと思います。わたしもそれは嫌って言うほどしていますので(^_-)
結論としては、松浦亜弥が歌唱力が素晴らしい表現力が高いと一概にまたは一般的には言えないの「かも」と言うことです。少し極端に物言いが走りましたが、われわれが素晴らしいと感じている松浦亜弥の歌唱を聴いても何ら感動を覚えない人が無数にいるということです。このことは逆もあり得ますよね。
この事実が「個人の感覚の錯乱」という理由です。
わたしも松浦亜弥の素晴らしさ凄さを書き続けていますが、その裏腹に虚しさも感じています。それは同じ感覚を持つ者にしか分からないだろうということです。でもわたしはこれで絶望をすることはないですし、ましてや松浦亜弥が分かることで優越感に浸ることもありません。松浦亜弥の素晴らしさを感じる自分に奢ることはないようにしています。
全ては個人の感覚なのですね。何が正しくてなんてありません。
あと付け加えるなら、その感覚のセンスですね。わたしはこのセンスの方を大事にしています。なかなか人に自慢するほどのセンスは持ち合わせていませんが松浦亜弥を感じることが出来たのも自分のセンスが多少は磨かれていたのかなと密かに自負しているところです。
わたしはわたしの感じたままで自己満足でもいいので大いに松浦亜弥の素晴らしさを語って行きたいと思います。
すみません、本文内容にそぐわなかったかも知れませんねm(__)m
ふくちゃんさんの決意を、改めて伺い知ることができて嬉しいです。
なぜ、僕らが、松浦亜弥を素晴らしいと感じるかと云えば、
それは、僕らが松浦亜弥のファンだから、
とでも云うしかないと思います。
松浦亜弥の歌唱を聴いても
何ら感動を覚えない人が無数にいるのも事実だと思います。
彼女の動画に、歌について否定的なコメントが書き込まれていることがあります。
ファンからしてみれば、悪意を持った嫌がらせかと思ってしまいますが、
でも、この歌い方を嫌だと思う人が存在するのも、普通にあり得ることなのですよね。
ただ、松浦亜弥を知らない人の中にも、
彼女の歌唱に感動してくれる人が無数にいるのも事実だと思います。
でも、松浦亜弥さんなら、まだ良い方です。
初音ミクの歌が好きだなんて、よほど話す相手を選ばないと、
ドン引きされてしまいます。
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