昔、仏師「運慶」が彫った仏像があった。長い年月が経ち、部材が朽ちてきたので、新しい部材と取り替えることになった。それから、仏像が痛むたびに人々は修理を繰り返し、当初の部材は全て新しいモノと入れ替わった。さてここでパラドックスが生じる。その仏像は、運慶の仏像であろうか。文化財的観点から云うと、答えは「否」である。日本では、建物にしても彫刻にしても木で作られたモノが多いから、オリジナルがそのまま残っていることは極めて少ない。だから、文化財の価値は、当初の部分がどのくらいあるかが重要になってくるのである。
奈良の飛鳥寺にある飛鳥大仏(銅造釈迦如来座像)は、日本最古(西暦609年制作)の仏像と云われているのに国宝指定されていない。飛鳥大仏が重要文化財止まりなのは、オリジナルの部分が顔の一部と右手の指3本のみであり、その他の部分が全て後世の補作とされているからだ。ただ、最近のX線を使った調査では、当初の部分はもう少し多いのではとの指摘があって、関係者の間では国宝指定の期待が高まっているらしい。
逆に、飛鳥大仏がテセウスの船のように全てが後補であったなら、おそらく県の文化財にすら指定されないであろう。
飛鳥寺は仏像拝観するには、気分の良い寺院である。文化財の仏像にしては珍しく、すごく近くで拝観させていただけるし、写真撮影可であることも嬉しい。かといって、厳かな雰囲気が損なわれていることもないから、静かに時を過ごすこともできる。
何回目かの明日香散策で訪れたときも、飛鳥寺には長閑な時間が流れていた。近くには、蘇我入鹿の首塚があって、乙巳の変のときには、中大兄皇子たちは、この飛鳥寺に陣を構えたと云う。飛鳥大仏は、そんな時代から1400年以上もの間、ずっと同じ様に、この場所に座り続けてきた。
1400年の間には、火災などに見舞われたこともあったそうだ。フランケンシュタインのような顔の傷は、その時の修理の痕だという。そんな傷痕を見ていると、どうしたって、どこの部分がオリジナルかとか、どこからどこまでが後世の補修なのかとか気になってしまう。現在の文化財の価値判断からすると、修理痕はマイナス査定であって、朽ちた部分を保護することはあっても、取り替えたり、付け足したりしないことも多いそうだ。
だけど、この歴史の傷跡が、釈迦如来座像の威厳の源になっているのも確かなことである。飛鳥大仏は、部材の大部分が入れ替わっているとしても、日本最古の仏像というアイデンティティーを持ち、国宝に格上げされても無くても、変わることなく座り続けていくんだろうと思う。
仏像巡りをしていると、よく伝運慶作とか、行基自作像といった仏像に出会う。たいていの場合は、お寺さんが勝手に言っているだけで、無指定であるし、素人目に見ても有り得ないだろうという像ばかりだ。(勿論、そういう時は感心するのがマナーであって、それ違うでしょなんて云ってはいけない)
で、今までは、そんなのは、お寺さんのハッタリや出まかせや、希望的観測なんだろうと思っていたんだけど、ちょっと考えが変わってきた。そういう寺伝があると云うことは、過去にそういう仏像が本当にあって、長い年月の間に仏像が入れ替わった可能性もあるからだ。
ドラマでは、視聴者の皆さんは、生まれ変わった「竹内涼真」君も、変わってしまった佐野家の人々も同じモノと認識していたように思う。物質的差違よりも、精神的同一性が優先されるのであれば、最初に提案した運慶の仏像は、やはり運慶の仏像ということになる。
本物の運慶像は無くなってしまいましたが、代わりの仏像を運慶のものとして大切にお祀りしておりますって聴いたときに、文化財的にはアウトだとしても、運慶の「心」を受け継いでるその仏像の価値を否定することはできない。
まあ、そんな調子で認めていったら、日本の仁王像の半分は運慶作の、(正確に云うと運慶仏というアイデンティティーを与えられた)仏像になってしまうだろうけど。
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