2016年3月18日金曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その8 ~はりきり網の現場を検証する~

この記事は、2016年の3月に11回に分けて投稿したものの1つです。
改訂統合版はこちらになります。


 「ごんぎつね」~自筆版で味わう新美南吉の魅力~




今回は、権狐の最後の悪戯について考えていきたいと思います。

 まず、舞台となった「はりきり網」についてですが、記念館のHPに解説がありました。

 【大雨が降った後に池から落ちてくるウナギを川の下流で捕るための網。普通は待ち網といいますが、川幅いっぱいに“張りきって”使うため、岩滑では“はりきり網”と呼んでいました。】



 2つのことが分かります。1つは、「はりきり網」が方言であると云うことです。にもかかわらず、赤い鳥版でも、そのまま「はりきり網」と書かれています。方言は必ず書き換えているのに不思議なんですが。三重吉氏は、「はりきり網」がどのようなものか分からなかったのだと思います。なので、書き換えようが無かったのでしょう。
 そして、もう1つ。「はりきり網」は川が増水した時に使うということです。これは、意外でした。僕は、兵十が増水した川で漁をしたのは、母親にウナギを食べさせるために、危険を承知で敢えてしたと思い込んでいたんです。木ぎれや枝が網に入ってしまう悪条件の中、何が何でも、今日、ウナギを捕る必要があったのだと。実際は、兵十がはりきり網を持ち出したのは、この日がはりきり網の漁にとって好条件の日だったからなんですね。
 母親にウナギを食べさせたいという想いは、同じでしょうけど、うなぎを食べさせるということが、切羽詰まった緊急を要するような事態ではなかったということになります。

 漁の様子などの情景描写を比較すると、いろいろとツッコミどころもあるんですが、今回は、ちょっとスルーして先に進みますね。

自筆版です。
【兵十がいなくなると、権狐はぴょいと草の中からとび出して行きました。魚籠にはふたがなかったので、中に何があるか、わけなく見えました。権狐は、ふといたずら心が出て、魚籠の魚を拾い出して、みんなはりきり網より下の川の中へほりこみました。】

赤い鳥版です。
【兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきりあみのかかっている所より下手の川の中を目がけて、ぽんぽん投げこみました。】

 やっていることは、同じに思えるんですが、微妙にニアンスが違うのが分かりますでしょうか。自筆版では、魚籠の中の魚を見たときに、ふと悪戯心が出る、いわゆる「できごころ」ってやつですけど、赤い鳥版では、最初から、悪戯をするつもりで、魚籠に近づいて行くんですよね。
 自筆版の場合、蓋が無いから、狐でも中の魚が見えた、だから悪戯したくなったという流れです。魚籠に蓋が無いのは、普通の事だと思いますけど、まるで、蓋さえあれば悪戯しなかったみたいな言い方です。

 では、ウナギの件です。自筆版です。
【とうとう、権狐は、頭を魚籠の中につっ込んで、うなぎの頭をくわえました。うなぎは、「キユッ」と言って、権狐の首にまきつきました。その時兵十の声が、
「このぬすっと狐めが!」
と、すぐそばでどなりました。】

赤い鳥版です。
【ごんは、じれったくなって、頭をびくの中につっこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッといって、ごんの首へまき付きました。そのとたん、に兵十が、向こうから、
「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」
と、どなりたてました。】

 自筆版ですが、面白い表現を使っています。「兵十の声が、すぐそばで怒鳴りました。」だそうです。「声が怒鳴る」とは変わった表現です。赤い鳥版では、「兵十が向こうから怒鳴り立てました。」と一般的な表現に書き換えられています。南吉にとっては、実験的な表現だったのでしょうが、敢えなくボツとなっています。

 で、考えたいのは、その時の台詞です。自筆版は「この盗人狐めが」ですが、赤い鳥版は「うわあ盗人狐め」です。赤い鳥版は明らかに慌ててますよね。落胆の色も隠せません。ただ、慌てながら怒鳴るって難しいですよね。ここは、「わめく」とか「叫ぶ」が適当かと思います。
 自筆版の方は、叱り飛ばしている感じです。悪戯する方も、される方もお互い相手のことを承知している。村人たちは、権狐の悪戯に迷惑してますけど、追い払えば良しって感じで、権狐は、ギリギリのところで存在を黙認されているように思えます。
 考えてみれば、網は、まだ張った状態ですので、もう少し待てば、次の魚がかかってくるわけで、再びウナギが捕れる保証はありませんけど、逃げた狐に関わっている暇があったら、次の漁の支度をした方が良いはずです。だから追いかけて行かなかったのでしょうかね。

自筆版です。
【権狐は、ほっとしてうなぎを首から離して、洞の入口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。うなぎのつるつるした腹は、秋のぬくたい日光にさらされて、白く光っていました。】

赤い鳥版です。
【ごんはほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっと外して穴の外の、草の葉の上にのせておきました。】

 自筆版の「うなぎのつるつるした腹は、・・・」というのは、南吉が好んで書きたがる表現です。赤い鳥版では、物語の進行に不要と云うことでカットなんですけど、南吉の作品を味わうという目的で、「権狐」を読むならば、こういうところは無くてはならない部分だと思います。
 で、やっぱり、気になるのは、「鰻の頭を噛み砕き」のところですよね。ひと言で言って「グロい」です。三重吉氏の意図は、何だったんでしょうか。権狐の残忍さを表したかったのか、野生の一面を見せたかったのか、童話なんですからもう少し気の利いた表現がなかったんでしょうか。というより、この記述、必要だったのかなあと思います。
 で、権狐は、鰻をいささぎの葉の上にのせます。意味深な行為ですけど、これが何を意味するのか僕には分かりません。ただ、捨てたのでは無いことだけは確かです。赤い鳥版は、「いささぎ」を「シダ」に書き換えちゃったんで、草の上にのせましたと書かざるをえないですね。頭を噛み砕かれた鰻が草の上に置いてあるという残念な情景になってしまいました。
 1つの完成された作品に対して、部分を変えてしまうと、全体が崩れ落ちていくという典型的な例だと思います。

 兵十が、はりきり網を持ち出した本当の理由や、兵十の母親の死と鰻との関係は、はっきりと書かれていません。でも、子どもだったら、鰻を食べれば病気が治ると考えるかもしれません。
 権狐が兵十の母親の葬式に出会うのは、この10日後のことです。この10日という設定も、なかなか上手くできていると思います。この後、ごんは、兵十の母親の死と、自身がウナギを盗ってしまったことを結びつけて、勝手に自己反省します。それは、キツネの知恵がその程度だからってこともありますけど、10日後という設定がそう思わせたと云えます。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

この記事とは関係ないコメントで恐縮ですが・・・
裏ブログの最新記事を、ご迷惑だったかもしれませんが勝手ながらツイートさせていただきました。色々心打たれた部分がありましたので。

精力的に更新を続けられている姿に頭が下がるばかりです。

さんのコメント...

読み返すと、赤面してしまうような、恥ずかしい文ですが、お役に立てればですw