2016年3月8日火曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その5 ~兵十の殺意を検証する~

 今回は、いきなりのクライマックスです。

自筆版です。
【その日も権狐は、栗の実を拾つて、兵十の家へ持つて行きました。兵十は、納屋で縄をなっていました。それで権狐は背戸へまわつて、背戸口から中へ入りました。】

続いて、赤い鳥版です。
【その明くる日も、ごんは、栗を持って、兵十の家へ出かけました。兵十は、物置で縄をなっていました。それでごんは、家の裏口から、こっそり中へ入りました。】

 ほとんど同じ意味だったら、書き換える必要などないと思うんですけど、さすが三重吉氏ですw
 「その明くる日」とか「こっそり中へ」など、表現を強調して印象づけようとする傾向があるようです。「栗を拾って持って行く」のと「栗を持って出かける」は、いかかでしょうか。やっていることは、同じなんですが、拾った物を持って行くというのは、あまりたいしたことではありませんね。できる範囲でやっているという感じです。所詮、狐ですから。でも、こういう描写がいかにも南吉なんですよね。まあ、ごんが頑張ってるイメージが強い程、最後の悲劇とのギャップが強調されますから、三重吉氏の書き換えの意図も理解できないわけではありませんが。

 それからもう1つ、当時は、正しい日本語を教育して、普及させるということが重要とされていましたから、恥ずかしいものとされた方言や地方色のある表現を書き換えようとする傾向があります。ここでは、「背戸口」を「裏口」に、そして、もう1つが「納屋」です。僕は、納屋は立派な日本語だと思うんですけど、これを赤い鳥版では、「物置」と書き換えています。「納屋」と「物置」って似て非なるものだと思うんですけどね。物置小屋ならまだ分かるんですけどw

 世界大百科事典の解説です。

【納屋】
 物を収めておくため,独立して作られた建物。同じ性格の建物には倉と物置があるが,倉が物を長期にわたって保存格納する性格であるのに対して,納屋はある行事や作業に必要な道具を格納し,ときには作業場として使われることもある。また,物置は雑多な物を入れておく建物であるのに対し,納屋は使用目的がしぼられた物を収納する。

 この中の「作業場として使われる」のいうところが重要になってきますよね。兵十は、納屋で縄をなっているんですから。ごんぎつねは、栗を納屋に置くんですけど、物置に置いてったら、気づいてくれるまで何日かかるか分かりません。

 しかし、ここが悲劇の始まりです。今日に限って、兵十が納屋にいるんです。で、ごんぎつねは、仕方なく、背戸に回ることにします。今までだったら、納屋に栗を置くだけですから、誰にも気づかれずに済んでいたんですけど。

 自筆版です。 
【兵十はふいと顔をあげた時、何だか狐が家の中へ入るのをみとめました。兵十は、あの時の事を思い出しました。うなぎを権狐にとられた事を。きっと今日も、あの権狐がいたずらをしに来たに相違ない。
「ようし!」
 兵十は、立ち上がって、ちょうど納屋にかけてあった火縄銃を取って、火薬をつめました。そして、足音を忍ばせて行って、今、背戸口から出て来ようとする権狐を「ドン!」と撃ってしまいました。権狐は、ばったり倒れました。】

 赤い鳥版です。
【その時、兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねが家の中へ入ったではありませんか。こないだ、うなぎを盗みやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は、立ち上がって、納屋にかけてある火縄銃を取って、火薬をつめました。
 そして足音を忍ばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンと、撃ちました。ごんは、ばたりと倒れました。】

 ニュアンスがだいぶ違いますでしょ。赤い鳥版は、「こないだ、鰻を盗みやがった、あのごんぎつねめが」です。自筆版は、「あの時のことを思い出しました。」です。兵十は、ごんぎつねに鰻を盗られたことを忘れていたんですよ。許せないこととはいえ、その程度の出来事だったんです。それを赤い鳥版では、「盗みやがった」「狐めが」と表現している。児童文学に相応しくない下品な表現ですが、それくらい、鰻を盗られたことを片時も忘れていないし、もの凄く憎んでいることになっている。

 さあ、ここからが今日の本題です。兵十は、「ちょうど掛けてあった火縄銃をとって、撃ってしまいました。」とあります。兵十は、今日に限って納屋にいたんです。で、納屋には、たまたま火縄銃があった。兵十が火縄銃を使ったのは、ちょうどそこにあったからなんです。だから悲劇なんですよ。偶然に偶然が重なってしまった。素晴らしいストーリーの構成ですね。

 ところが、赤い鳥版には、不思議な記述があります。「納屋?にかけてある火縄銃を取って」ここまで、納屋は全て物置と書き換えていたのに、ここだけ納屋のままなんです。これが最大のミステリーになります。この記述のために、兵十の家には、物置と納屋と2つあることになります。物置にいた兵十は、納屋まで行って火縄銃を取ってくるんです。偶然そこにあった凶器を使うのと、わざわざ凶器を持ってくるのでは、刑事裁判になったときに裁判官の心証が随分変わってくると思います。

 多くの研究者は、これを単なる書き換えの見落としとしています。そんなことってあるでしょうか。だとすれば、国語の教科書でこの文章を学んだ7000万人ともいわれる国民は、こんなつまらないミスのために、50年間も物置から納屋へ銃を取りにいったという間違った読み取りをさせられていたことになります。
 僕は、三重吉氏の執拗な添削を見る限り、氏が見落としをするなんて、とても思えません。僕は、これはワザと残したと推理します。物置と納屋があることにして、兵十の強い殺意を印象づけるために、わざわざ取りに行ったように読みとらせたのではないかと思うんです。(納屋から物置に火縄銃を取りに行くのが普通ですけど)
 自筆版の兵十ならば「殺すつもりは無かった」という言い訳もできましょうが、赤い鳥版の兵十から伝わるのは、明確な殺意です。殺そうとして撃ったのか、思わず撃ってしまったのか。納屋という言葉を1つ書き換えないだけで、これだけの違いが出てきます。

ラストシーン、赤い鳥版です。
【兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間に、栗がかためて置いてあるのが目につきました。「おや。」と、兵十は、びっくりしてごんに目を落としました。「ごん、お前だったのか。いつも、栗をくれたのは。」ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。兵十は、火縄銃をばたりと、取り落としました。青い煙が、まだ、筒口から細く出ていました。】

自筆版です。
【兵十はかけよって来ました。ところが兵十は、背戸口に、栗の実が、いつものように、かためて置いてあるのに眼をとめました。「おや。」兵十は権狐に眼を落としました。「権、お前だったのか……。いつも栗をくれたのは。」権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が、銃口から細く出ていました。】

 ラストシーンの書き換えは、最も有名なところです。「うれしくなりました。」を「目をつぶったまま、うなづきました。」と書き換えています。余韻を持たせた終わり方といえます。この「うなずく」というのは、行動であって心情ではありません。ですから、学校の先生は、恐らく生徒たちに、こう質問するはずです。「うなずいた時のごんの気持ちを考えましょう。」って。先生の役割を提供してくれたという点で、三重吉氏の書き換えは、役に立っているといえます。
 さて、生徒たちは、何て答えるでしょうか。「最後に分かってもらって良かったな」「撃たれるのは仕方ないな」「何も撃つことは無いだろう」自由に考えて良いのですから、どれが正解でどれが間違えているかを判定することはできません。ただ南吉は自筆版でこう書いています「嬉しくなりました」って。ですからこれが正解です。作者本人が書いているのですから、間違いありません。
 大方は、この書き換えに好意的です。やはり、作者自ら答えを書いてしまっては、面白くないということのようです。いっそのこと、「ぐったりなったまま、二度と動きませんでした」でも良かったかも知れません。

 で、ちょっと兵十の目線で考えてみました。
 赤い鳥版では、兵十の問いかけに、ごんは頷いて答えます。遅すぎたとはいえ、最後の最後に心が通じ合ったと云えます。
 しかし自筆版では、ごん狐は、「ぐったりなったまま、うれしくなりました」です。全てを理解し後悔する兵十の目の前にあるのは、ぐったりなったままのごんぎつねです。兵十の呼びかけにも応えることも無く、「嬉しくなった」というごん狐の想いが、伝わることもありません。兵十は深い後悔の念のまま立ち尽くしているだけなんです。

 最後の「青い煙」は何を意味しているのでしょう。白いはずの煙が青いのは何故か、いつまでも煙が出ているのは何故か、きっと深い意味があるからだろうと推測する感想も多く見られます。しかし、自筆版では「まだ青い煙」となっています。火縄銃の青い煙は直に白くなり、やがて消えていくという、まるで銃を扱ったことがあるかのような記述です。もしかしたら、若衆倉の前で、猟師だった茂助爺から教わったのかもしれません。

 生誕100年の時に、ある小学生の感想が話題になりました。それは、「やったことの報いは必ず受けるもの、こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、撃たれて当然」というものでした。まあ、このくらいの感想は、小学生が20人もいれば、そのうちの2.3人は、言いそうなことなんで、別に驚くことでも無いんですが、面白おかしく2ちゃんねるで取り上げられたりして、今でもその辺の残骸を読むことができます。
 そのへんの小学生でしたら感想の多くは、「ごんが可哀相」でしょうから、結果として、撃ち殺した兵十が非難されるかたちになります。この子みたいに兵十を弁護する立場からの意見が出てくること自体は、悪いことではないと思います。
 ただ、僕は、こういう感想が出てくる遠因の1つに、赤い鳥版の改作があるように思えてなりません。兵十の殺意を強調した結果、ごんが大変重い罪を犯しているかのような印象を与えてしまったのではないでしょうか。

 兵十は、確かにごんを撃ち殺してしまいましたけど、殺したいほど憎んでいたわけではありませんでした。そして、ごんは、確かに悪戯をしましたけど、兵十の母親の死に関しては無関係です。死をもって償うべきことなんてしていないし、兵十だって、ごんのせいで母親が死んだとは思ってもいないはずです。思っていれば、栗を持ってきたことぐらいで許せるはずなど無い。

 「母親の死に関して、ゴンに恨みを抱いていた兵十が、絶好の復讐の機を得て、ゴンを撃ち殺した」のではなく「病床の母親に鰻を食べされられなかったことを思い出して、ちょっと懲らしめてやろうと思った」これが新美南吉が書きたかった事件の真相なのです。
                                   
 芥川龍之介が「赤い鳥」に「蜘蛛の糸」を投稿することになった時、彼は、当時すでに大作家でしたが、自分の文章が児童文学として通用するのか自信が無かったようで、鈴木三重吉氏の添削を受け入れる旨の書簡を書いています。三重吉氏の添削は、それほど有名で、一目置かれていました。
 新美南吉が「赤い鳥」に「権狐」を投稿したとき、彼は、半田第二尋常小学校の代用教員でした。南吉は、子供たちに自作の童話を読んで聴かせていて、その中に「権狐」もあったそうです。戦前の純粋な田舎の小学生が、この話に魅了されないはずがありません。「権狐」は、南吉にとって、会心の自信作だったと思います。そして、その自信は、学校教育という現場の実践に裏打ちされていたものだったのです。

2 件のコメント:

korou さんのコメント...

凄いですね。
分析が素晴らしすぎて、言葉になりません。

「ごんぎつね」は
私的には、今一つしっくりこない話でしたが
こうしてみると
鈴木三重吉の添削の影響も
あるようですね。
何か長年のもやもやが晴れたような気がします。

それと同時に
新美南吉、鈴木三重吉の両方について
もっと知りたくなってきました。

いやあ、凄い、素晴らしい。

さんのコメント...

この記事でコメントをいただけると思っていませんでした。
ありがとうございます。
僕も、この記事を書き始める前までは、鈴木三重吉について知りませんでした。
また、いろいろと調べなくては、と思っています。
「ごんぎつね」については、研究され尽くした感があるんですけど、
哲学的分析が多くって、やたら難しい言葉で解説してくるんですけど、
もっと、文章そのものを味わいたいと思います。
自筆版ごんぎつねの世間が知らない魅力という点では、
どこか、松浦亜弥さんと共通点があるような、ってこじつけですかねw