オープニングは、「I LOVE YOUの続き」です。奇をてらうって云ったらよいのでしょうか、「渡良瀬橋」のカップリング曲だそうですけど、何の予備知識も無く、いきなりこの曲がかかったら「なに?なにっ?」って感じで、絶対戸惑ったと思います。新曲か、どこかのカバー曲って思ったかもしれません。
で、「奇跡の香りダンス」「SHINE MORE」と続いて、賑やか系のメドレーがあり、カントリー娘が出てきて第一部終了となります。この後のライブの構成から察すると、これでノルマ達成ってことなんでしょう。
この後、青い衣装に着替え、グランドピアノが出てきて、このライブ最大の特徴である、アコースティックライブの始まりとなります。「ね~え?」「LOVE涙色」と2曲ありますが、今回は、こちらで。
「ね~え?」のボサノバ風のアレンジは、2004年に村田陽一氏が、「LOVE涙色」については、いくつかのステージでスローバージョンを披露していますが、「超」とまでは、いかなくとも、並ビックリポン程度のインパクトはあったと思います。
亜弥ヲタと呼ばれる人たちは、盛り上げる時には盛り上げる、聴くときには聴くということをモットーにしていたようですけど、さっきまで「あーやや、オイ!あーやや、オイ!」と叫んでいた人たちが、一転して着席し、涙を流しながら聴き入るという光景は、何とも1度共有してみたかったですw
で、ここで、ストリングスが入って、ピアノ弦楽五重奏ですね。
この青い衣装のアコースティックコーナーは、5曲ともYouTubeにアップされているんですが、それぞれアップ主さんが異なるというものです。当時のライブレポートによるとこのライブを評して「大規模なカジュアルディナーショー」という書き込みがありましたが、なかなか言い得て妙であると思います。
松浦亜弥さんにしてみれば、一度こう云うライブをしてみたかったというところでしょうか。カラオケライブと違って、アレンジやリハーサルなども必要でしょうから、それなりにお金も掛かるでしょうし、そんなに多くの動員も見込めない時期です。CDなどが、バンバン売れているアーティストがファンへのお礼代わりに、採算度外視でライブを行うということもあると思いますが、松浦亜弥さんの場合は、ライブも重要な収入源だったでしょうから、よくOKが出たなと思います。
ファンの中には、松浦亜弥さんの人気低落の原因を、つんく♂氏や事務所に求め、批難の書き込みが見られますが、少なくとも事務所は、彼女のやりたいようにやらせていたように思えます。
ここでの5曲についてですが、「.ね~え?」は村田氏による2004年のテイクが、「LOVE涙色」については2002年のファクトリーライブ、「初めて唇を重ねた夜」はファーストコンサート、「ずっと 好きでいいですか」はキャプテン公演、「渡良瀬橋」は代々木スペシャルが、それぞれのベストテイクだと僕は思っています。でも、この「OTONA no NAMIDA」のテイクは、それに続く準ベストテイクとも云える出来です。それぞれの視聴回数は、松浦亜弥さんの動画の中では、決して多い方ではありませんけど、1枚のライブDVDから、これだけの動画がアップされているということは、ファンをして世間に伝えたいと思わせるだけの魅力のあるステージだといえましょう。
ここからは、また、盛り上げ系の曲が続きますが、カラオケ伴奏に生伴奏を被せてのステージになります。
何て云うのかなあ、弦楽器のお嬢さん方の雰囲気が良いんですよね。音楽をすることが楽しくってしょうがない感じで、聴いている方も心の底から楽しめる。
で、ラストソングが、裸足で歌う「砂を噛むように…NAMIDA」
そして、お約束のバースデーケーキに顔を突っ込んだ後の、アンコール2曲へと続きます。
しかし、本当に楽器苦手なんですかね。緊張していたことを差し引いても、素人だって、もう少しマシには、弾けるかと。っていうか、何で弾いたんだろう?
今回は、YouTubeで検索して出てくる11曲中の7曲も貼り付けさせていただきました。ファンの中には、このライブを一推しにしている方も多いみたいです。僕は、「そうなのかなあ」程度に思っていたんですが、改めて動画を見ていて納得してしまいました。
このライブの動画群の視聴回数は、松浦亜弥さんの動画の中では、決して、多くありません。しかし、「OTONA no NAMIDA」は、アイドル歌手あややの最終到達点であると同時に、マニアックライブに代表されるシンガー松浦亜弥の出発点でもあると思います。両方の素晴らしさを兼ね備えている反面、どちらも中途半端な印象もありますが、松浦亜弥さんを語る上で、欠かすことのできないコンサートであることだけは、確かだと思います。
この時期に新しいオリジナルアルバムを発表できなかったことが、何とも残念です。結果として、既存曲を新アレンジするなどの焼き直しで構成するしかなかったわけですから。
ニューアルバムを発表してコンサートツアーをスタートさせるという、アーティストの王道ともいえる音楽活動は、翌年の「ダブルレインボウ」を待たなくてはなりません。
2 件のコメント:
ご紹介の7曲とその前後の曲も少し聴いちゃいました。
アイドルあややからアーティストへの挑戦ならばカントリー娘はちょっと違うと思いますが、そもそもアーティストを育てたことがない事務所だったのかも知れませんね。移行期とはいえなんか少しちぐはぐな感じがします。
また、この頃が亜弥さん一番太っていたんでしょうか。最後のジーンズ姿のところなんかパンパンで。そのせいか動きもキレがないような感じがします。翌年のダブルレインボウの時にはかなりほっそりして動きも美しいので、この間に相当ダイエットしたんでしょうね。そういう意味では肉体的にも少女から女性への移行期だったのかもしれません。
それにしても、これが亜弥さんの主張というか、わがままで創られたステージだとすれば、企画の時点は19歳ですから凄いですね。一番の相談相手は慶太さんだったのかな?
生バンドを従えて、ツアーをしたいというのは、
松浦亜弥さんの願いだったとされています。
二十歳を迎えるとは云っても、アイドルのコンサートツアーとしては、
異色だったと思います。
できれば、異色と思われないような雰囲気の中で、
タレント活動ができればよかったんでしょうけどね。
ハロプロのタレントは、良く動く分、よく食べるそうですから、
太る子が多いですね。ほとんどみんな、デビューした後太ります。
で、大人になってだんだんスッキリしてきて、
しばらくマスコミの前に出なくて、たまに出ると
「松浦亜弥が激ヤセで劣化」とか書かれちゃったりするんですよね。
橘慶太氏の影響が考えられるのは、やっぱり菊池真義氏ですね、
W-insのライブをサポートしていて、個人的にも親しかったようですから、
「菊ちゃん」は、「ダブルレインボウ」「マニアックライブ」「コットンクラブ」など、20代の松浦亜弥の活動ほとんど全てに関わっています。
松浦亜弥さんが菊池氏に寄せる信頼は絶大ですし、
松浦亜弥さんのワガママを聞き入れてくれるミュージシャンは
菊池氏しかいないでしょうから、
そう言う意味でも、慶太氏には、感謝です。
このライブについて、相談していた可能性は、どうですかね。
お泊まりデートしていたのであれば、そんな話題も出ていたかも知れませんがw
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