新アルバムのリリースが無い秋のツアーですから、ここまでの全シングル曲に人気曲を加えてのベストアルバム的なセットリストで盛り上げようって云う企画のようですね。「あやや」のステージパフォーマンスも、歌唱力も安定期に入り、アイドル人気こそ下降気味の時期ではありましたけど、デビューからの3年間をまとめる、大切なコンサートツアーだったし、何よりも多くのファンが楽しみにしていたツアーだったと思います。
では、オープニングの「ドッキドキLoveメール」です。この曲は、良いテイクがホントに多いんですけど、これも僕の大好きなテイクの1つなんですよ。
ところが、皆さんご存じの通り、本人に会えただけでも嬉しいという、ちびっ子ファンは別として、コンサートのできは、ファンが期待したものとは程遠いものだったようです。
その様子は、西廣智一氏のライブレポートに詳しいので、リンクを貼らせていただきます。
さすが、プロのライターさんですね。分かりやすくまとめてあります。
「観てるのが辛い‥‥というか、痛々しかったなぁ。」「10月以降、松浦の体調不良が囁かれてますが、明らかにオーバーワークでしょうね。」「仕事のひとつひとつはちゃんとこなすんだけど、それに対する精気が以前程感じられない。」「ルーチンワークと化して少しずつ手を抜き始めている。」。。。どれも、ナルホドと思います。
人間、どんな好きなことでも、オーバーワークになったら、そうなりますよね。だからと云ってプロ意識だとかで簡単に乗り越えることもできない。今までは、ノーマルギアで難なく登れた坂道が、急にキツくなった時に、ギアチェンジの方法が分からない。仕方ないですよね、だってまだ「17才の女の子」なんですよ。
本来なら周りの大人が何とかしなくちゃって思います。セットリストをカットするよりも、何で公演を中止しなかったのか。公演を続けるのなら、何で他の仕事をセーブしなかったのか。。。。できるわけないですよね。この子の稼ぎで、何人もの大人が養われていたんですから。
ファンは良いんですよ。そんな「あやや」にエールを送ることで、自己満足感を得られるんですから。
でも、DVDの「あやや」は、ちょっとやつれているのかなって思わせるくらいで、いつもの「あやや」に思えます。ほら、がんばっているでしょ。
でも、散々に云われてた「THE LAST NIGHT」だって、DVDの「あやや」は、一生懸命僕らに歌を届けてくれています。ほら、がんばっているでしょ。
で、歌い方を崩し始めたのもこの頃からだと思います。ファンへの声かけも、確かに声のトーンが低いです。何て言うのかなあ「アーティスト気取り」って云っちゃあ、言い過ぎですかね。本人は、どういうつもりだったか知りませんが、多くのファンは今までの「あやや」の歌い方が良かったんじゃないのかなあって思います。
子役だって、アイドルだって、いつまでも歳をとらないのは、世間が期待している年齢で成長が止まっているからだと思います。それが意識的にせよ無意識にせよ。でも、何故か「あやや」は、どんどん成長しようとするんですよね。みんなは、いつまでも「あやや」のままでいて欲しいのに。
アンコール曲「笑顔に涙」です。2番からはフレーズごとに、歌い方を崩して遊び始めます。
まあ・・・これはこれで・・面白いと思いますw
最後に、ファイナルの名古屋センチュリーホールでの「草原まつり」のライブテイクでお終いにしたいと思います。ファンが申し合わせ、「草原の人」に合わせて緑色のサイリュームを振ったという伝説のイベントですね。アイドルサーボーグと呼ばれ、ファンの支えなど全く無縁と思われた「あやや」でしたが、彼女が体調不良の中でコンサートツアーを続けているというのは、当然ファンの知るところでしたし、この企画で、みんなで「あやや」を支えようってことになったのでしょう。
元のフィルは音声だけのようですが、横浜のテイクの動画を合わせてあるみたいです。
今は、皆さん多色型のLEDライトを持ってますから、曲に合わせて色を変えるなんて普通にやっていることなんですけど、当時は、単色のサイリュームですから、やり遂げたときのファンの満足度は大変なものだったでしょう。古き良き時代のイベントですね。この頃から、やれ誕生日だとか、卒業だとかで、○○祭りが多発するようになっていったようです。
ただ、ファンの想いとは裏腹に、この時期の彼女の支えになっていたのが「橘 慶太」氏であったことは予想できます。僕は、松浦亜弥さんの「私の青春には、すべて彼がいます。悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと、楽しいこと全部です。」っていうメッセージを読んだとき、真っ先にこの2003年を思い浮かべました。後の熱愛報道で離れていったファンも多かったと思いますが、慶太氏の存在が無ければ、「あやや」は、この時に終わっていたかもしれません。「あやや」の2004年は無かったかもしれないって僕は思うんです。
アイドル松浦亜弥、3年間の集大成となるはずの秋コンツアーは、不完全燃焼のまま終わっていきました。この時期を境に、松浦亜弥さんは、変わっていったと思います。それは体調不良とは関わりないことかもしれないし、その体調不良の原因だって、身体的なものなのか、精神的なものなのか分かりません。
でも、松浦亜弥さんのタレント活動を辿っていくとき、僕は、この2003年に一本の縦線を引くことができると思います。アイドル歌手「松浦亜弥」の第1幕が終わったのだと思っているんです。
2 件のコメント:
素晴らし分析ありがとうございます。2009年頃に病気もあってバーンアウトしたのかなと思っていましたが、既に2003年の頃に一旦あややの限界が来ていたんですね。
松浦亜弥さんにどっぷり浸かってから遡ってあややに辿り着き、それも正確に時系列を追うわけでもなくYouTubeを視聴していますのでそのあたりの経緯は全く気づきませんでした。
大 sansan さんの分析を拝見して嬉しくなりました。2003年頃に一度は自分の成長とキャラの乖離、商品としての酷使、体調不良というような逆境をある意味自力で(橘慶太さんの支えがあったにしてもプロデューサー的機能ではなかったでしょうから)乗り越えて、あの素晴らしいボーカリスト松浦亜弥へと成長していったとすると、今回もまた自力で(慶太さんはさらに身近でサポートしてくれるし)さらなる進化を遂げた姿を見せてくれるに違いないと確信したからです。
次は復活のストーリーを描いて見せて欲しいですね。亜弥ちゃんファンプラス大 sansan さんファンでもありますので。
Dragonさん、ありがとうございます。励みになります。
何も活動していないタレントのファンの一人として、過去の遺物から妄想して楽しんでいます。僕は、これを「アイドル考古学」って名付けましたww
「あやや」が現役のアイドルの頃は、ファンサイトなど無数にありましたし、
楽曲やライブの分析なども盛んに行われていたようです。
そういう方達から見れば、
ライブに1度も参戦していない僕の主張など、
憶測に満ちた取るに足らないものだと思います。
だから、本当はそう云う人たちにも声をあげて欲しいんですけど、
なかなか難しいみたいですね。
松浦亜弥さんの復帰については、慶太氏の理解と後押しが必須だと思います。
彼もアーティストの一人として、彼女の才能を認めているはずですから・・・、
まあ、期待しないで待つしかないかなって思います。
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