でも、僕にとって「ジョン・ディーコン」は、クイーンに絶対欠かせない存在なんですよ。
ジョン・ディーコンは、クイーンのベーシストです。一番年下で、バンドに加入したのも一番最後。とにかく地味な存在です。ライブでも全然目立ちませんし、ボーカルをとることもありません。彼のことを知らない人は、きっとサポートミュージシャンだと思うでしょう。自称音痴で、ライブ映像やMVでは、コーラスで歌っているかのようなシーンがありますが、全て口パクだと云われています。
ただ、結婚は早くって、クイーンがメジャーになった頃には、既に子持ちだったそうです。最終的には、5男1女とか。
そんなこともあってか、グループの中の人気度も、フレディとメイが2トップで、ロジャーが3番手、で、ずーーーーーと離れて、ジョン・ディーコンなんですよね。楽曲は作るものの寡作で、1枚のアルバムに1曲くらいしか収録されてません。
でも、その1曲がとっても良いんですよ。全然クイーンっぽくない、ポップな作品なんですが、僕は、もともとロックファンではありませんから、彼が作る普通の歌にホッとするのかもしれません。
まあ、聴いてやってください。彼が手掛けた曲で、最初にシングルカットされた「マイ・ベスト・フレンド」です。
まあ、どこにでも有りそうな曲と云えば、その通りなんですけど。
彼は、自ら音痴だと語っているくらいですから、自分の曲でもボーカルを担当することはありません。まあ、でも結果的にフレディが歌ってくれるんで、サマになってるって感じです。そうでなければ、更に平凡な曲になってしまったと思います。
電気ピアノが使われてますけど、動画から分かるとおり、弾いているのは、ジョン・ディーコンです。フレディは、一応ボーカルに専念しているかたちになってますけど、「自分はグランドピアノしか弾きたくない」と言って、演奏を拒否したんだそうです。あと、ロジャーのいかにもやる気なさそうなドラムが印象的ですww
では、2曲目「永遠の翼」。これはお薦めですよ。
レコード音源でしょうけど、やっぱり、フレディのボーカルが最高ですよね。彼に感謝です。
「ジョン・ディーコンはかく語られき」っていうサイトがあって、興味深く読まさせていただきました。
チェルシー大学の電子工学科を首席で卒業。バンドが使うアンプの改造や修理を担当していたとか、契約にも詳しかったと云いますから、バンド付きのエンジニアであり、会計担当のマネージャーでもあったようです。ただ、寡黙な方で、ロックバンドに入ったのも、ほとんど偶然の成り行きだったようです。
で、バンドに迎え入れられた理由も、おとなしくって扱いやすそうとか、機械に詳しいから役に立ちそうとか、そんな理由らしいです。ただ、クイーンのサウンドは、ジョン・ディーコンが製作したアンプを使わなくては出せないと云われていますんで、クイーンにとっても、ジョン・ディーコンは、絶対欠かせない存在になっていったわけです。
さて、そんな彼に一大転機が訪れます。1980年「地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)」の大ヒットです。
どうですか、でも全然クイーンじゃないですよね。この楽曲は、当時、親交があったマイケル・ジャクソンに提供する予定だったとも云われてます。しかし、マイケルは、クイーンが歌うべきだとシングルカットを強く薦めたそうです。で、結果として全米チャート1位をとるなど、世界的に大ヒットしました。
しかし、多くのファンはこれをクイーンのサウンドとしては、認めないと思います。実際、ロジャーは、この曲に難色を示し、ドラムをいやいや叩いていたそうです。僕も、アルバムの中の1曲ならば面白いと思いますが、クイーンの楽曲としてシングルカットするような作品だとは思いません。まあ、初期のクイーンを認めようとしなかったアメリカ人ですから、彼らの感覚というのは、こんなものなんでしょう。
この曲の成功によって、ジョンが自信をつけたことは、確かなんですが、クイーンが音楽の方向性を見失い、迷走を始めるきっかけになったとも言われています。
「ブレイク・フリー (自由への旅立ち)」 は、1984年にアルバム「ザ・ワークス」からシングルカットされた楽曲です。作曲はジョン・ディーコン。後期のクイーンを代表する曲で、自由への賛歌として、南米などで人気が高かったようです。
このように、クイーンの後期の楽曲には、ジョン・ディーコンやロジャー・テイラーの楽曲が重要な位置を占めるようになりますが、これは、フレディが創作能力というか、制作意欲を喪失してしまったためで、必ずしも良い傾向ではなかったと思います。
やっぱり、クイーンはフレディのサウンドあってのクイーンです。この曲が、全米で大ヒットしたところで、もはや何かが違ってしまったクイーンに対して、初期のファンは、離れる一方だったのでは無いでしょうか。
1991年、フレディ・マーキュリーが、エイズで死去すると、ジョン・ディーコンは、一切の音楽活動をやめて引きこもってしまいます。
その後、新メンバーを迎えての復活ライブやフレディの追悼ライブなどが開催されても、彼はそれらの誘いを全て拒否し、ついにステージに上がることはありませんでした。
騒々しい音楽業界に嫌気がさしたと云われていますが、フレディの居なくなったクイーンは、もはや自分の活動する場では無いと感じたのかもしれません。
彼は、クイーンが人気絶頂だった頃から、自分の望みは家族と静かに暮らすことだと、インタビューに答えていたそうです。全世界をツアーでまわっているときも、常に家に帰りたがっていたとも。だとすれば、ジョン・ディーコンは、フレディの死によってようやくクイーンから解放されたとも云えましょう。
お終いは、「In Only Seven Days」。彼がいかに聡明で誠実な、そして、ロックスターに向いていないかが分かる静止画とともにどうぞw
2 件のコメント:
本年もよろしくお願いします。
大sansanさんとしては
職場で配慮して頂けるくらい微妙な健康状態で
なおかつ初音ミクコンサートに参戦できるくらい元気であれば
最高なんでしょうか?w
クイーンは好きなバンドなのですが
実は一番好きな曲が、”another one bites the dust”なので
その意味では、私は
本当のファンではないのだろうと思ってしまいました。
ディーコンという人について
初めて詳しく知りました。
その人が、あの” another one bites the dust”の作曲者ということも
なかなかの驚きでした。
korouさん、今年もよろしくお願い致します。
ホントは術後1ヶ月くらい休みたいんですが、そうも云ってられません。
初音ミクコンサートに参戦できるくらい元気なのがバレてしまえば、
職場で配慮してもらえそうもないですしねww
本当のファンで無いなんてとんでもないです。
一番好きな曲が「another one bites the dust」だというkorouさんは、
それだけ幅広くクイーンの楽曲をご存じなわけで、
僕にとっては、尊敬の対象ですww
クイーンの楽曲の中で、もっとも売れたシングルは、「ボヘミアン・ラプソディ」なんですが、
これは、フレディの死をきっかけにたくさん売れた分があるからで、
生前の売り上げでは、「another one bites the dust」が、最大ヒット作なんだそうです。
ただ、僕の勝手な解釈を許していただけるのなら、この曲が売れたのは、当時流行のスタイルだったからだと思います。
初期の頃って、評論家に酷評されながらも、彼らにしか作れない楽曲を発表していたように思います。
「another one bites the dust」みたいな曲は、クイーンでなくとも、作れるように思ったんです。
僕の大好きなジョン・ディーコンが、クイーンの最大ヒット曲の作者だということにも関わらず。何故か、このことを素直に喜べないんですよ。
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