僕は、いつの間にか知っていたという感じなので、このへんのことは、よく分かりません。っていうか、そもそも、森山良子さんのオリジナルだと勘違いしていたくらいですから。
では、松浦亜弥さんの「さとうきび畑」を貼り付けさせていただきます。2008年8月8日「お台場冒険王」のライブ。当時のセットリストによると、このライブで松浦さんは11曲ほど歌っています。「暑くってぼーっとしていた。」とか「虫が飛んできて嫌だった。」とか、このライブに関しては、ネガティブな発言ばかりの松浦さんですが、なかなかのパフォーマンスだったのではないでしょうか。
改めて聴くと長いですねw。11番まであります。でも、ちゃんと11番まで通して歌っている動画ってかなり貴重なんだそうですよ。
この曲が、「みんなのうた」で紹介されたとき、1975年の「ちあきなおみ」さんは、「2・3・11」番のみ、1997年の「森山良子」さんでも「1・2・3・8・11」番を歌っただけで、あとは割愛していたそうです。まあ、テレビは、放送時間が常に制約されてますから、どんな曲でもフルコーラスで歌うことなんてほとんどないですけどね。
で、変な話ですけど、僕は、「昔、海の向こうからいくさがやってきた」という歌詞を聴いて、「薩摩藩による琉球侵略」の歌だと思ったんですよ。そしたら「いくさ」というのは、沖縄地方では、戦争全般を指す言葉として、今でも使っているそうです。
でも、言い訳になってしまいますけど、1967年の時点で、太平洋戦争の沖縄戦を「昔、海の向こうから戦がやってきた」なんて言い表しますかね。当時の沖縄は、ドル紙幣を使い、車は、右側通行をしていたんですよ。甲子園の土だって、検疫にひっかかって持ち帰れなかったんですから。
この曲では、風がさとうきび畑をゆらす「ざわわ」という音が、重要な役割を持っています。ところが、沖縄の人で「さとうきび畑」から戦争を連想する人はいないと云いますし、そもそも、沖縄でさとうきび作りが盛んになったのは戦後しばらくたってからのことで、戦争の前後には、沖縄には、さとうきび畑などなかったという話もあります。
「さとうきび畑」は、名曲には、違いありませんが、結局は、内地の人間が作った曲なんですよね。
とは云っても、「ざわわ」がこの曲をこの曲たらしめているのは確かです。でも・・・多すぎます。全部で66回出てくるそうです。それだけならまだしも、「広いさとうきび畑」「風が通りぬけるだけ」「夏の陽ざしのなかで」も繰り返し出てきます。それがこの歌を不必要に長くしています。歌の内容を理解するために、繰り返し出てくる言葉を省略してまとめてみました。2ちゃんねるのまとめサイトみたいですけどw
1 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ
今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる
夏の陽ざしのなかで
2 むかし海の向こうから いくさがやってきた
3 あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった
4 そして私の生まれた日に いくさの終わりがきた
5 風の音にとぎれて消える 母の子守の唄
6 知らないはずの父の手に だかれた夢を見た
7 父の声をさがしながら たどる畑の道
8 お父さんて呼んでみたい お父さんどこにいるの
このまま緑の波に おぼれてしまいそう
9 今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる
10 忘れられない悲しみが 波のように押し寄せる
風よ悲しみの歌を 海に返してほしい
11 風に涙はかわいても この悲しみは消えない
1番あたり7節でできていますが、そのうち5節は繰り返しです。11番まであるとは云っても、結局内容はこれだけです。繰り返しの表現がなければ、3番+Cメロで内容は伝えられそうです。
もちろん、繰り返しでてくる「ざわわ」が重要なのは、分かります。でもそのために常に省略されて、通して歌われることがないのだとしたら、どっちが良いことなのかって考えてしまいました。
8番が4節あるのは、Cメロの部分を含んでいるからです。つまりこの歌の聴かせどころ、泣かせどころになります。松浦さんのCメロの歌い方は絶品ですが、このテイクに関してもバッチリです。ただ、ここまで飽きずに聞き続けていられるかってことですね。
最後に、これも評判の高い「夏川りみ」さんのバージョンです。「3・6・8・11」番を歌っています。
上手いこと選びましたね。特に2番を飛ばしたのは、良いと思いますよ。
あれから70年、沖縄戦は、「昔、海の向こうからやってきた戦」になりつつあるんでしょうか。
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