更科日記の「足柄山」という段に、作者が13歳の時、都への旅の途中で出会った遊女(風俗嬢ではありませんよ!)の話がでてきます。日本人て1000年前から同じようなことしてたんだなって思いました。「こはた」という人の孫なので「木幡まこちゃん」って名付けました。ちなみに菅原孝標女は、「菅原サラちゃん」だそうですww。
【更級日記「足柄山」より都合良く抜粋】
遊女三人。五十ばかりなるひとり、二十ばかりなる、十四、五なるとあり。庵の前にからかさをささせて据ゑたり。昔、こはたと言ひけむが孫といふ。髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕へなどにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌を歌ふ。
人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、「西国の遊女はえかからじ」など言ふを聞きて、「難波わたりに比ぶれば」とめでたく歌ひたり。
見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなく歌ひて、さばかり恐ろしげなる山中に立ちて行くを、人々飽かず思ひて皆泣く。
【勝手に現代意訳】
仮設の野外ステージで、50歳くらいのMCさん、20歳くらいのアイドル、14・5歳くらいの研修生によるライブが始まった。
彼女の祖母は有名なタレントだったとのことだ。長く伸ばした髪を結び、前髪がとてもかわいらしく、その姿はキュートで清潔感にあふれている。「これならば大手のプロダクションでも十分通用するだろうに」などと話していると、美しい声は、口パクでも、かぶせでもなく、空に澄み渡るかのように歌い上げたので、ライブは、おおいに盛り上がった。
握手会でのアドリブの効いた対応がまた素晴らしかったので、都のアイドルグループでもここまではできないだろうと感心するばかりである。
やがてライブが終わり、彼女たちは撤収して帰ったが、ヲタクたちは、名残惜しくなって、いつまでも泣いていた。
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