2015年4月2日木曜日

秋葉原

 理系小僧だった僕にとって、秋葉原は憧れの街でした。そこは、いつでも行ける所ではありませんでしたが、滅多に行けない所でもなく、高校生がお小遣いを持って、早起きして、鈍行列車を乗り継いで行ける場所と言えば、だいたいお分かりいただけるかと思います。
 
 秋葉原は不思議な街でした。駅の改札を出た瞬間にスイッチが入るのが自分でも分かりました。一気にテンションが上がって、目に付いた全ての店の全てのフロアーを廻り、気がついたら夕方になっていました。だから今でも秋葉原でちゃんと食事ができるところを知りません。もっとも、あんな街で、落ち着いてランチを食べている奴なんているとも思えませんが。

 最初に行った秋葉原は、家電の街でした。でもまだガード下とかには、ジャンク屋がたくさんありました。小さな店がテキ屋のようにずらりと並んでいて、そこにオヤジさんが一人ずつ座っていました。それぞれの店は、全てマニアックに特化していました。真空管だけを売る店とか、電気ケーブルだけを売る店とか。
 店に並んでる大きなトランスを、マジマジと眺めているおじさんがいて、「この人、これ買って、どうするつもりなんだろう」なんて思ったものです。まあ、僕だってゴミ捨て場から部品を拾い集め、足りない物はジャンク屋で買って、ラジオを組み立てたりしてましたけど。

 次に行った秋葉原は、パソコンの街でした。当時、地方都市では、本体は買えても、周辺機器やソフトを売る店などありませんでしたから、秋葉原に行くしかありませんでした。全財産を持って出かけて、使い果たして帰ってくるという感じでした。ゲームソフトのプログラムはBASICでした。ゲームで勝てないと、リストを出して、データを書き換えたりしてました。
 ソフトのパッケージには、全てソフトバンクのシールが貼ってありました。ソフトバンクは、元々ソフトの卸売り業者でした。孫正義氏って、すごく立派になりましたけど、あれって僕らが貢いだ金を元手に偉くなったんです。

 その次に行った秋葉原はヲタクの街でした、その頃はもう秋葉原には用もなかったのですが、話のタネにレンタルショーケースを見に行きました。ラジオ会館が丸ごとケース屋になっていました。秋葉原のヲタク相手の店がぶっきらぼうなのは、ジャンク屋の伝統を今も引き継いでいるからなのかもしれません。どうせなら話のタネついでにメイド喫茶にでも行っとけば良かったかなって、今になって思いますw。
 
 今、秋葉原は何の街なんでしょうか。東口にヨドバシができて、人の流れも街の雰囲気も変わってきたような気がします。でも、たまに用事があって東京に行くと、よってみようかなって思います。まあ、いい歳をしてショボくれたおじさんを受け入れてくれる街なんて、ここぐらいしか思いつかないってこともありますけど。あと、ぎりぎりセーフで新宿でしょうか。

 池袋?行ったことありませんよ。僕、アニメオタクじゃありませんから。
 
 そこ、僕の唯一のプライドなんでwww。

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