2021年8月26日木曜日

突然ですが「宇宙大作戦(スタートレック)」について語ります。

 子どもの頃は、今より海外ドラマが多く放送されていたように思う。スパイ大作戦とか、ナポレオン・ソロとか喜んで見てたけど、その中で、僕は「宇宙大作戦」が大好きだった。今は、原題の「スタートレック」と呼ばれるのが普通だろうが、僕が見ていた頃は「宇宙大作戦」だった。多分、地元ローカル局の再放送を見ていたんだと思う。

スタートレックはその後、続編とか劇場版とかがたくさん制作されたようだが、僕は知らない。

            U.S.S.エンタープライズ  NCC-1701

宇宙大作戦は、ジャンル的には冒険物語で、宇宙船は出てくるけど、フェイザー砲や光子魚雷をガンガン撃ちまくるような戦闘シーンは、ほとんど無かったように思う。でも、転送装置とか、医療用トリコーダーとか、それから、子どもに理解不可能な科学用語群に、僕は憧れた。

50年以上前の話だから、物語の内容は、ほとんど忘れてしまっていたが、第23話「コンピューター戦争」と、第28回「危険な過去への旅」は、不思議と覚えていた。で、ネットで調べたら、さらに記憶が蘇ってきた。

昔のSFドラマだから、今思えば、ツッコミどころ満載かもしれないが、コンピュータによる仮想現実とか、タイムトラベルのジレンマとか、現代にも続くSFネタの原点とも云える設定が数多くあって、凄いドラマだったと思う。

今更、ネタバレでもないだろうから、思い出した2話を語らせていただこう。

まずは、シーズン1 :第23話「コンピューター戦争 」 ”A Taste of Armageddon”から。

外交ルートを開設するために、惑星「エミニア」を訪れたカーク船長たち。平和に暮らしているように思えたエミニア人たちだったが、彼らは、惑星「ベンディカー」と500年も戦争を続けていて、年間100万~300万人もの犠牲者が出ていると云う。

実は、戦いはコンピューター上で行われており、仮想の戦場で死んだと指名された者は、分解マシーンで安楽死させられていたのだった。仮想戦争だから、戦死者は出ているものの、街は破壊を免れ、繁栄した生活が送れていると云う。つまり、極めて合理的でクリーンな戦争と云うわけだ。ルールを守らないと本当の戦争になってしまうとはいえ、市民が整然とマシーンに入っていくシーンは、子ども心にも印象的だった。


で、いろいろあって、カーク船長がブチ切れて、戦争コンピュータを破壊してしまうという暴挙にでる。「何てことをしてくれたんだ。」と激怒するエミニア人。「戦争が500年も続いてきたのは、死と破壊の恐怖が無かったからだ。」と逆ギレするカーク船長。

そこに、ベンディカーからの通告。それは意外にも、講和を呼びかけるものだった。本当の戦争になるかもしれない状況に追い詰められたことで、エミニアとベンディカーは和平交渉へ踏み出すことができたのだ。

スポックはカークの感情的な行動を批判するが、カークは「感情にしか頼れない場合もあるよ、我々人間にはね。」と答えるのだった。紛争地域に武力をちらつかせて乗り込み、自らの正義をもって強引に仲介しちゃう話。今も未来も、それがアメリカ。

シーズン1:第28回「危険な過去への旅」”The City on the Edge of Forever”

ある惑星で、過去に通じる「どこでもドア」みたいな物体を発見したカーク船長たち。で、いろいろあって、ドクター・マッコイが中に飛び込んでしまう。すると、惑星軌道にあったエンタープライズ号が消滅。マッコイが歴史に干渉したのが原因だと云う。カークとスポックはマッコイの行動を阻止するために、過去に向かう。

そこは1930年代のニューヨーク。二人は、社会福祉施設を運営している聡明な女性に出会う。

僕がよく覚えているのは、スポックが、トリコーダーのデータを解析するために、簡易コンピュータを1930年代の電気部品を使って組み立てるシーン。それって、どこかの映画でパクってたような。

完成したコンピュータでトリコーダーの情報を分析すると、その女性は交通事故で亡くなることになっていた(これが、正しい歴史)。そして、もう1つの歴史。それは、彼女が始める平和運動が国民の支持を得て、アメリカは第二次世界大戦への介入が遅れ、先に原子爆弾とミサイルを開発したナチス・ドイツが、世界を征服するというものだった。1960年代のアメリカならではの、ガチガチ原爆肯定論。

やがてマッコイがこの時代に現れる。道路に飛び出す彼女を助けようとするマッコイ。それを止めるカーク。「自分のしたことが分かっているのか。」とブチ切れる、どこまでもお騒がせなマッコイ・・・歴史は修正されたけど、悲しい、そして子どもだった僕には衝撃の結末。

「いろいろあって」の部分には、ユーモアとか社会風刺などが描かれていただろうが、子どもだった僕には理解不能だったに違いない。

まだ世界大戦の終結から20年しか経っていない頃で、東西冷戦真っ只中の人種差別も残っていた時代である。同時期に制作された「サンダーバード」が、イギリスの階級社会を色濃く反映していたのに対して、スタートレックの乗組員は、アメリカ人だけでなく、宇宙人との混血児や、ロシア人、黒人女性、東洋人と多彩だ。目的を「宇宙探検」とし、23世紀を差別や貧困のない理想的社会と設定したことは、平和を願う気持ちの現れだったとある。

ただ、「サンダーバード」が、科学力で人を絶対殺さないという設定だったのに対して、「スタートレック」には、内政不干渉と云いながら、武力を背景にしたアメリカ的価値観の押しつけがある。まあ、あの頃の僕にとっては、それもこれも「いろいろあって」に含まれていたんだけど。

#スタートレック   #宇宙大作戦 

2021年8月3日火曜日

マクドナルド日本上陸50周年CMがエモい

 夏休みに入ってから、国道沿いのマクドナルドは、ドライブスルーを利用する車で、渋滞を起こしています。で、マクドナルドの新CM、良いですよね。「ごはんマック」の時も思いましたけど、毎回素敵なCMを作るものだと感心してしまいます。

今回のCMでは、女優の「宮崎美子」さんが、現在と50年前の自分の、一人二役を演じていることが話題になっていますが、視聴させて頂きましょう。


凄いですよね。デビュー当時よりも、さらに可愛くなっています。初めて見たとき、「上白石ナンとか」さんかと思いましたが、ご自身だったんですね。映像処理の技術が発達したとはいえ、内面から出てくる可愛らしさは、作り出すことはできませんからね。女性は幾つになっても可愛らしいもの、と云うことなんでしょう。

「もう少しビッグマックが小さかったら」という台詞にも泣きそうになりました。宮崎さんの孫役を演じているのは、「高村佳偉人」君という俳優さんだそうです。「鈴木福」君かと思いました。高村君も子役として、数多くのドラマやCMに出演されているようです。ジィジを演じている「村上ショージ」さんもイイ感じ。配役、シチュエーション、どれもよく考えられている好CMに思いますよ。

で、何より、素敵なのはバックに流れている音楽ですよね。使用されている楽曲は、1973年にリリースされた小坂明子さんの「あなた」。歌っているのは「手嶌葵」さんで、このCM用にカバーされたそうです。原曲の「あなた」は、コンクール曲らしくドラマチックな編曲になっていますからね。手嶌さんのカバーは、CMのノスタルジアな雰囲気にばっちり合っていると思います。

日本マクドナルドは1971年7月20日、「ハンバーガー」という食べ物にほとんど馴染みがなかった日本において銀座三越の1階に第1号店をオープンとありました。僕が生まれて初めてバーガーを食べたのが、1970年の3月。大阪万博に行ったときに、大阪の親戚のおじちゃんに地下街で食べさせてもらったのが最初です。ちゃんと覚えているくらい衝撃的な美味しさでしたよ。で、マックを初めて食べたのは・・・いつだったかなぁ。

#マクドナルド  #宮崎美子   

2021年7月11日日曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その6 ~白滝公園と桜川・御殿川~

日曜劇場「ごめんね青春!」の無料配信が終了しました。で、現地巡礼もついに最終回。今回は、菰池と白滝公園の湧水を水源とし、三島市街地のド真ん中を流れる「桜川」「御殿川」についてであります。

「桜川」は、街の北側にある菰池を水源に、白滝公園からの湧水を合わせて、三島大社方面へ流れる農業・生活用水です。「水上の小道」と名付けられた川沿いの歩道には、柳の並木や花壇が整備され、三島ゆかりの文学者「井上靖」「大岡信」などの文学碑も建てられていて、観光客や地元住民の散策路になっております。 先月、聖火リレーが、この通りを走りましたけど、人が集まってきて、かなりの密状態だったようです。

「太宰治」や「司馬遼太郎」「若山牧水」の碑もあります。

「桜川」は、ドラマでは、重岡大毅君演ずる「海老沢」君が、森川葵さん演ずる「あまりん」に突き落とされた川として登場します。また、水上の小道は、ドラマに登場する高校の通学路に設定されていて、波瑠さん演ずる「蜂矢祐子」が、錦戸亮さん演ずる「原平助」に声を掛けられ、泣き崩れるシーンなどが撮影されました。

三島駅前通りを下ったところにある「白滝公園」は、何処にもありそうな都市型公園ですが、最大の特徴は公園内に湧水があることでしょう。通りの向かいにある「楽寿園」の小浜池湧水が枯れ気味(今月は、豪雨の影響で2年連続の満水)なのに対して、白滝公園の湧水は、減ったとはいえ、今も枯れることなく湧き続いております。湧水は、園内に数カ所、溶岩の隙間や、大きな欅の根元から湧き出ていて、桜川に注いでいます。


以前は、駅前通りと公園の間に飲食店が入った長屋があって、通りからの死角部分になっていたのですが、今は、視界も開けて明るく健全な(?)公園になりました。「水泉園」とも呼ばれていましたが、最近は「白滝公園」と呼ばれることが多いようです。


こちらは、桜川のもう1つの水源である「菰池」です。池には、鯉とハヤとミドリガメとカルガモが住んでいます。周囲150mの湧水池ですけど、昔は、もう少し大きくて泳げたそうです。市が公園を整備するにあたって、池の一部を埋め立てて噴水を作ったことが、物議を醸しました。湧水量が少ないときは、大場川からポンプアップして、かろうじて水位を保っているのが現状で、湧水池から普通の池になりつつあるのが、ちょっと悲しい。


でも、今月は湧水量が多いので、池の水も増えて、かなり綺麗になってましたよ。ちょびっと安心です。

三島市の公式動画です。湧水量が少なめな時期に撮影したみたいですね。

菰池公園と白滝公園は、市民の普段使いの公園です。午前中は近所のおチビちゃんが遊び、お昼時にはサラリーマンが暇をしています。

湧水の上、川に張り出して建てられているのは白滝観音堂で、お婆ちゃんたちの憩いの場になっています。観音堂の脇には、「あまりん」が「FMみしま」にごめんねの電話をかけた電話ボックスが、今も残っています。

そんな白滝公園ですが、コロナ前には、京都の貴船にあやかって、川床茶屋がオープンしました。あんな所で仕出し弁当食べて何が楽しいんだろうって思ったんですけど、地元のレストランや料亭が日替わりでデリバリーしてくれて、なかなかの盛況だったようです。

何でも思いついたことをやってみて、そのノリに市民がついてくるってのが、三島の良いところでしょう。


白滝公園脇の桜川は、川幅が広くて、流れも浅く穏やかになっています。桜川は農業用水ですから、冷たい湧水の温度を上げるための工夫だったと思われます。普段は水深も膝下くらいですから、子どもたちにとっては格好の水遊びの場であります。水遊びがオフシーズンになると、カルガモや白鷺・青鷺などがやってきて、近くには鴨の餌を売っている店もあります。
農業用水であるというのは重要なポイントで、源兵衛川の水源が枯渇しても川が埋め立てられずに残されたのは、用水に設定された水利権があったからだと思います。


この週末は、市民プール並の人手でした。これも桜川や源兵衛川の水質が綺麗であると、三島市民が信じているからに他なりません。重ねて云いますが、ここはJR三島駅から南に徒歩5分、市街地のド真ん中です。


ドラマのロケが行われたのは、水量の少ない時期だったようですが、昨年の夏は、長梅雨の影響で水位が上がり、かなりの激流になってました。あの状態で「あまりん」に突き落とされたら、海老沢君の命は確実に危険にさらされたでしょう。川底には「三島梅花藻」が定着し、可愛い白い花を咲かせていたのですが、水量が復活して流れが急になったら、ちぎれて流されてしまいました。遊歩道が水没して通行止めになったりと、湧水が戻れば戻ったで困ったことも起きます。


桜川は、三島市の湧水川のなかでも、水量の多い川の1つです。昭和の初めまでは、岸には水車小屋が並び、舟も浮かんでいたそうですが、現在は、三嶋大社の交差点で暗渠となり、ここからは人目に触れることも無く、アスファルト道路の下を流れ続けます。桜川を生活用水として使うことよりも、塞いで道路にすることで、三島の街を発展させようと考えたのでしょう。拡張された道路は、旧東海道と下田街道が交わる、(バイパスなどを除くと)三島市街地で最も交通量の多い交差点になっています。
暗渠となった桜川は分岐を繰り返して何本もの細い用水路に分かれ、地上に出てきた後は三島市南部の田畑を潤して、その役目を終えます。


「御殿川」は、白滝公園の先の水門「ドンドン淵」で、桜川から分かれた支流です。元々は、
御殿川が湧水が集まって流れてた自然河川で、桜川の方が後から開削された用水路なんだそうです。名前の由来は、川の西側に徳川将軍が宿泊するための御殿があったことによります。御殿は、総面積一万坪以上、石垣で囲まれた2つの郭で構成された、ほぼ城と云えるようなものでしたが、使われたのは家光が上洛した元和9年と寛永11年の2回だけだったそうです。


御殿川は暗渠になることはなく、三島の街を南に流れていきます。川には、洗い場や川端、水車小屋の後などが残っていて、川沿いには、腰切不動尊や古民家レストラン、佐野美術館の隆泉苑などがあります。
腰切不動は、寛永10年に御殿川に流れ着いた上半身だけの石仏を祀ったものだそうです。上流からって云っても、菰池水源ですから、町内なんですけどね。

市街地を抜けた御殿川は、桜川の一部や大場川と合流、最後は、狩野川となって北上し、駿河湾へと流れていきます。


白滝公園では、毎年7月中旬に「水まつり」が開催されます。近年始まった小さなイベントですが、雰囲気が良いんで年を追う毎に賑わいを増し、
灯籠流しも行われるようになりました。三嶋大社の夏祭りは2年連続で中止になってしまいましたが、こちらは開催されそうです。久し振りに行ってみようかな。


#ごめんね青春   #三島市  #白滝公園  #桜川  #御殿川

2021年7月3日土曜日

究極の「dearest.」 松浦亜弥 & 小田さくら

後期「松浦亜弥」さんの代表曲と云えば「dearest.」でありましょう。YouTube上には、2006年から2013年までの数多くのテイクがアップされておりますが、現時点で一番回っているのは「4K 本家 あやや の凄さ dearest. '13 歌詞付」という動画であります。アップから2年と、松浦さんの動画の中では比較的若い(?)動画なのですが、再生回数は250万を越えています。

この動画は、2013年にCOTTON CLUBで開催された「ラグジュアリー・クリスマス・ナイト」のテイクですが、声を絞り出すような歌い方は、聴いている方がツラくなってきて、僕には「凄さ」が感じられません。同じ2013年ならば、この直後に行われたカウントダウンライブの方が、すっとイイ感じに聴こえます。

で、このライブイベントの一ヶ月前に、当時14才の「小田さくら」さんが、「さくらのしらべ2」というソロイベントで、「dearest.」を歌っております。

先ほどの松浦さんと、年齢が倍くらい違いますけど、この2つが同時期のテイクだったってことを改めて知って、独りで感動していた次第です。

2番の歌詞を間違えた(光を灯りと歌っているらしい)ことを批判しているコメントがありましたけど、御本家と比べたら、全然、問題なしでしょ。大先輩の2009年のライブなんて、自分の持ち歌にもかかわらず、歌詞カードをガン見して歌ってますから。

さらに、小田さんが、6年後の「さくらのしらべ8」でdearest.を歌ったテイクがこちらです。

曲の途中から歌い方を変えてるのかなぁ。捏ねくり回すような歌い方をしていないところが良いですね。ハロプロの後輩たちのカバーテイクの中でも、ズバ抜けたデキ。本家と甲乙付け難いと云える唯一の歌唱ではないでしょうか。

ハロプロのタレントさんの中で、「上國料萌衣」さんがブレイクして、残る気がかりは「小田さくら」さんになりました。これだけの逸材が、ハロヲタ君たちの間でしか知られていないのは、残念極まりありません。僕の願いは、小田さくらさんが18才で「モーニング娘。」を卒業して、アイドル系演歌歌手(?)として再デビューすることでしたけど、いつになるのかなぁ。

で、対になる松浦さんのテイクとなると、こちらでしょうか。


共に二十歳頃のテイクなんですけど、陰と陽と云いましょうか、月と太陽と云いましょうか、好対照な歌唱に思います。

 松浦さんのベストテイクとなると、2009年のギター伴奏のアコースティック・コーナーか、ピアノ伴奏のマニアックライブが双璧でしょうか。この頃は、ツアーでもライブでも、セットリストを固定していなくって、人気曲「dearest.」をいつも歌っていたわけではないようです。アイドル時代に同じ歌ばかりを歌わされたことが、よほどイヤだったのでしょう。

お終いに貼り付けさせていただくのは、こちらにしました。2010年の COTTON CLUBでのテイクになります。見た目と比べて歌唱は、いたって普通。気持ちの込め方も、これくらいが聴き手の負担にならず、丁度良く思えたものですから。

小田さくらさんが、三度この曲を歌うことがあれば、さらに進化した歌唱を披露してくれることでしょう。

今年は、松浦さんのデビュー20周年という節目の年になりますが、肝心の御本人が不在ではお祝いの仕様がありません。亜弥さんも3人のお子さんのお母さん。確か、一番上の女の子は小学生ですよね。折角の節目の年ですから、何か気の利いた投稿をと思っていたのですが、デビュー記念日も誕生日も過ぎてしまい、完全に時期を逸した次第です。

松浦亜弥さんの今って、休業中なんでしょうか、それとも引退されたんでしょうか。あの時も、恐らく周囲は、松浦亜弥さんが(その気になれば)いつでも活動を再開できるような余地を残そうとしていたのでしょう。それが、結果として、今日の流れ解散的情況を作り出してしまったように思えてならないのです。

#松浦亜弥    #小田さくら   #dearest

2021年6月27日日曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その5 ~FMみしま・かんなみ「ボイスキュー」~

日曜劇場「ごめんね青春!」では、コミュニティ放送局「みしまFM」がドラマの重要な場になっていました。劇中で毎週金曜日の夜に放送されている「カバヤキ三太郎のごめんね青春!」のラジオパーソナリティを務めているのが、「生瀬勝久」さん演じる東高校長「三宮大三郎」。決まり文句は「一方的にしゃべらないでくれる?」でしたね。

僕の青春時代は、静岡SBSラジオの「1400電リクアワー」が全盛期で、パーソナリティ(と云っても局アナですけど)の「國本良博」さんや故「荻島正己」さんはアイドル並みの人気で、公開放送やイベント(局アナなのにバンドを組んでライブとかしてた)があると凄い数の中高生が集まったものでした。番組は、お便り読んだり、リクエスト曲をかけたりってことでしたけど、オールナイトニッポンが深夜の全国放送という、手の届かない世界だったのに対して、電リクは、非深夜の地元の放送でしたから、ずっと身近な存在でした。お便りが読まれる確率も、決して高くはありませんが、かといって絶望的なわけでもなく、パーソナリティとリスナーの距離感が絶妙だったのが、人気の秘密だったと思います。やはり、中高生の恋の悩みみたいな手紙も読まれていて、まあ、それなりにあしらわれてたような記憶があります。

局アナが遊びで作ったバンドを、自局の放送ネットで流しています。ローカル放送ならでは・・・って云うのかなぁ。ボーカルをとっているイケメンの局アナが「荻島正己」(まちゃみ)さんです。荻島さんは、俳優の「荻島眞一」さんの従兄弟になるそうで、後に、TBSに出向されて全国の顔になります。2014年に食道癌で永眠(62才)とありました。

さて、リアル三島市のコミュニティFMは、周波数77.7MHz「FMみしま・かんなみVOICE CUE(ボイスキュー)」であります。ボイスキューは、阪神・淡路大震災の2年後の1997年に開局したミュージックバード系のコミュニティFMで、近隣の放送局の中では、早くに開局した方です。24時間放送ですけど、週休2日で土日は独自番組はありません。

三島市周辺限定のFMラジオ局なんて、経営が成立するんだろうかと思っていたんですけど、聞くところによると、ラジオ局で一番経費がかかるのは中継局なんだそうです。エリア内の、ほとんど人が住んでないような所までラジオを聴ける状態を構築するのって、凄く大変なことなんだそうで、その点、中継局が不必要で、20Wの送信設備だけで運営できるコミュニティFMは、経営効率が良いんだそうです。(もちろん、自治体からの援助は必要でしょうけど)

コミュニティFMは、防災公共放送としての役割もありますから、素敵な歌を流していても、いきなりブチ切って「どこどこのお婆さんが家を出たまま帰りません」なんて放送が入ったりします。

ボイスキューのライバル局は、お隣の沼津市にあるJ-WAVE系の「COAST-FM(コーストエフエム)」であります。以前、ボイスキューに人気の男性パーソナリティがいたんですけど、急に退社することになって、皆で別れを惜しんでいたら、「コーストFM」のパーソナリティになってました・・・っていう電撃移籍もありました。

それから、過去には、放送局の重要なスポンサーである函南町(かんなみ)を「はこなん」と読んだ伝説のパーソナリティもいましたっけ。(地元民じゃなくても、そこ、絶対絶対間違えちゃダメでしょ!)

ボイスキューの最大の特徴は、パーソナリティとリスナーとの距離が大変近しいことです。女性パーソナリティはタレント並みの素敵な方たちで、熱心なリスナーが平日にもかかわらず(仕事しているのかなぁと心配になるくらい)投稿しまくってます。ボイスキューは自分たち常連リスナーが支えているという意識も強く、その関係は、秋葉原のアイドルとトップ・ヲタに近いものを感じさせます。

常連さんには、(思いつくままにですけど)ラジオネーム「黒木眼医者」さんとか、「浄蓮(常連)の滝」さんとか「あるパパ(アルパカ?)」さんなどがいらっしゃいます。

土曜日の午後には、「あの頃、青春グラフティ」という、ミュージックバード制作の全国放送が流れますけど、皆さん、こちらにもガンガン投稿しているようで、日によっては読まれるメールの半分が、ボイスキューのリスナーだったりします。

ボイスキューも、開局当時は独自取材の番組とかも結構あって頑張っていましたが、最近は、独自番組の放送時間も減少気味で、音楽を流し続けたり、親局であるミュージックバードの再放送をしている時間が増えつつあります。有力なスポンサーを持っていないから、経営が厳しいのかなぁ。三島の国立遺伝学研究所の先生を招いての「サイエンスNOW」みたいに、独自番組からミュージックバード制作の全国放送に出世するようなプログラムもあったりするんですけどね。

まあ、親局である「ミュージックバード」と比べたら垢抜けないのは確かですし、全県放送局のSBSやK-MIXとかとの格差も感じますけど、三島市民からの愛され具合を見ていると、全国に数多くあるコミュニティFMの中でも、成功している放送局じゃないのかなぁと思います。

(ボイスキュー:ミュージックバード「大西貴文のTHE NITE」を聴きながら。)

2021年6月20日日曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その4 ~うちっちのことさ、好きじゃないだか?~

第7話まで無料配信が進んだ、日曜劇場「ごめんね青春!」。静岡県の三島市が舞台ですから、みしまコロッケとか、みしまる君とか、いずっぱこのハートの吊革とかが出てきて、宣伝してくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと、無理矢理な感じ。視聴者がドン引きする(した)んじゃないかと心配になってしまいました。

今回は、番組で使われている「静岡弁」についてです。といっても、ドラマで方言をしゃべってるのは「植木夏十」さん演じる、スナック「ガールズバー」のママだけですけどね。

僕が子どもの頃、「細うで繁盛記」というドラマがありました。大阪から伊豆にやってきた主人公の若女将(新珠三千代さん)が、小姑の正子(冨士眞奈美さん)のいじめを受けながらも旅館を再生するという、昭和ドラマの傑作です。

憎まれ役の富士眞奈美さんは静岡県出身で、このブログでも取り上げさせて頂いた「三島北高」の卒業生でもあります。静岡弁ネイティブの富士さんが、極限までチューンアップした伊豆弁の台詞「加代、おみゃーの好きなようにゃ、させにゃーで。」などは日本中に衝撃を与えました。当然、伊豆の人たちには不評で、「おらっちゃ、あんな言葉、しゃべっちゃにゃーずら。」って云ってましたけど。

静岡県は県外からの転入者も多く、あんな方言は急速に使われなくなりました。それでも、地元民の密度の濃い地区では、年配の人たちが静岡弁を使っているのを聞くことができます。まあ、静岡弁といっても、標準語とイントネーションなどは差違が少なく、大した方言ではないんですけど、特徴をあげるとすれば、こんなところでしょうか。


 進学や就職で県外に出た時に方言を知らずに使い、笑われて初めて気付く

これは、静岡県人が必ず経験する「あるある」です。「こば」(端、隅)などが典型ですが、有名なのは、2007年に「長澤まさみ」さんが記者会見で使った「ちんぷりかえる」でしょう。

これは、「ガンジス河で泳ぐ」というドラマのインド・ロケに父上様(元ジュビロ磐田監督の長澤和明氏)が反対して、「まさみ」さんと親子喧嘩になったというエピソードを語る中で、「2人で言い合いをして、お互いにちんぷりかえって」と使ったことによるものです。芸能ニュースでは、「ちんぷりかえって(すねて)」と翻訳字幕が付いたことでも話題になったようです。

二十歳そこそこの清純派女優が、記者会見でいきなり「ちんぷりかえる」ですからね。

「ちんぷりかえる」は、静岡では全県的に使われている(いた)方言で、「ちんぶり」という云い方もあるみたいですが、「ぷり」の方が普通かと思います。意味は、字幕の通り「拗ねる」ですけど、イメージ的には、小さな子が思い通りにならなくて、すねている感じになります。ですから、大人に使った場合は、「まるで子どもみたいにむくれている」とか、「大人げも無くふてくされている」となります。まさみさんも、笑えるエピソードとして紹介したかったので、険悪感がやや弱い「ちんぷりかえる」という言葉をセレクトしたのでしょう。

で、問題は、まさみさんが、この言葉を方言として意識していたかってことです。多分、彼女は、記者会見場にいた人たちにも分かるだろうって感覚で、「ちんぷりかえる」を使ったように思います。字幕を使われるとは、思ってもいなかったでしょう。

静岡弁では、標準的な意味に加えて、別の意味を持っているものがあります。

例えば「とぶ」は、空を飛ぶだけでなく、走るという意味があります。僕は子どもの頃「かけっこしよう」のことを「とびっこすべぇ」って云ってました。あと「かじる」は、「りんごをかじる。」の他に「引っ掻く」の意味でも使います。ですから、「おしりかじり虫」っていう歌を聴いたとき、お尻をボリボリ掻いている虫のことだと本気で思っていました。

独特の表現をするものもあります。

「おみゃあ、そらつかってるら。」(お前、嘘ついているだろう。)

「はだって、やったずら。」(わざとやったんだろ。)

「練習たこって、どこ行ってただ。」(練習サボって、どこ行ってたんだ。)

取り上げ出すとキリが無いですね。特徴としては、標準語と比べて語感が柔らかいものが多いように思います。富士眞奈美さんの伊豆弁も、罵っているのに滑稽に聞こえるんですよね。これが静岡弁は優しい言葉と云われる所以なのでしょう。

東部・中部・西部で言語が異なり、伊豆と遠江は互いを異端視している

これについては、以前に、このブログでまとめた通りです。 

伊豆と駿河と遠江、そして静岡県  

 戦国時代、遠江は三河出身の徳川家康が治めていましたし、伊豆は小田原の北条の領地でしたから、それぞれ愛知県、神奈川県になったとしても不思議ではありません。実際、そうだった時期もありますし、静岡という地名も、明治になって作られたものです。

「ごめんね青春!」で、スナックのママの「うなぎの肝食べるかね?和尚。精つくだに~。」という台詞がありましたが、これに対して、三島市民から「俺っちは『だに』なんて言わない」という指摘が、SNSに溢れるという事態が発生しました。「だに」は、静岡県西部で使われている方言だと云うわけです。ドラマで使う方言は大袈裟に云うことが多いので、違和感を感じるのは致し方ないことですけど、西部の方言を使ったことは許せなかったようです。

静岡弁では「だに」の他に「だら」「ずら」などが知られていて、標準語との差違が少ない静岡弁の、分かりやすい特徴になっています。

さて、第4話、第5話は、告白のオンパレードでしたけど、ネットに「使うと可愛い静岡弁」ってのがあって、「うちっちのこと、好きじゃないだか?」が紹介されていました。確かに可愛いですよね。思わずニヤけてしまいました。

女の子が自分のことを「うちっち」というのは、静岡県に限らず使われている言葉で、「わたしたち」又は「わたしの家」という意味になります。「うちっち、遊びにくるら。」は(私の家に遊びに来るよね。)と云う意味です。ところが、面白いことに、女の子たちは「わたし」の時も「うち」では無く「うちっち」を使います。ちなみに、男の子は「おれっち」ですが、自分だけなら「俺」となって「ち」は付きません。

これは「家(うち)」と混同されるのを避けてとのことですが、「うちっち」と(ち)を重ねた時の語感が可愛らしくなることも理由の1つに思います。「うちっち」は、今も使われる数少ない静岡弁の1つです。

「うちっちのこと好きじゃないだか?」を言い換えて「うちっちのことさ、キライじゃないら?」としてみました。「嫌いじゃにゃあずら」にするとコテコテ過ぎて可愛くないので、「ないら」をセレクト。「ないだら」という云い方もありますけど、「だら」と「ら」は同じような意味ですが、語感はかなり異なります。

「だら」は「ら」より強くなります。大袈裟に云うと、「明日、三津シーに行くだら。」は、「行くよね。(だって約束したじゃん)」って感じ。「行くら。」だと、「行くでしょ。(忙しいんなら、無理しなくてもいいけど)」となって、相手に任せるような優しいニュアンスになります。「そらつかってるら」と「そらつかってるだら」だと「だら」の方がバレてる感が強くなります。ですから「うちっちのこと、好きだら?」と云うと、かなりの肉食系です。(でも「好きら」とは使わない)

最近の日本語の傾向として、断定を避けるってのがありますけど、静岡弁も同じで「だら」「ずら」は使われなくなる傾向にあります。(あと、如何にも方言ぽいので避けられているって面も)一方、語尾に「ら」を付ける云い方は、今も根強く残っていて、「オレは方言なんか使わない」って云ってるヤツも、よく聞くと、無意識のうちに「ら」を付けまくってたりします。

強制力を伴わず、語感を優しくする「ら~」は、現代の静岡人にとって抵抗なく使える便利な言葉です。スナックのママも「うなぎの肝食べるかね?和尚。精つくら~。」って云えば、炎上しなかったと思います。


#ごめんね青春!     #黒島結菜      #静岡弁   #長澤まさみ

2021年6月16日水曜日

黒島結菜「ごめんね青春!」現地巡礼 その3 ~源兵衛川と、せせらぎ散歩道~

「源兵衛川」は、三島駅前にある「楽寿園」の湧水池「小浜池」を水源にして、市街地を流れる1.5kmの灌漑用水である。

三島は、富士山を起源とする、三島溶岩流の末端に位置する街である。富士山に降った大量の雪と雨は、地下水脈となり、三島の街の至る所で湧水となって地表に出てくる。湧き出てくる場所は様々で、ガサゴソと積み重なった溶岩の下であったり、昔々の地震でできた小さな崖であったり、或いは民家の石垣の隙間であったりする。

源兵衛川の水源である小浜池は、三島で最も大きい湧水池だ。かつては小松宮の別邸があったそうだが、今は「楽寿園」という市立公園になっている。僕が子どもの頃は、楽寿園の中には、そこそこ大きな遊園地や動物園があって、メリーゴーランドとか、お猿の列車とか、ジェットコースター以外のアトラクションは一通り揃っていたし、動物園には、ゾウやキリンやペンギンや、一日中動かないオオサンショウウオなんかがいて、近隣の学校が遠足に訪れるなど、賑やかなところであった。

しかし、それらは、あくまでも付け足しであって、楽寿園は小浜池であり、小浜池こそが楽寿園であった。その小浜池の水位は、昭和の中頃から徐々に低下し始める。原因は、周辺の宅地化や工業用水の汲み上げ。やがて、降水量の少ない時期には、地下水位がマイナスとなって自然湧水が止まり、池が干上がってしまう期間も年々長くなっていった。

小浜池の水位の低下により、源兵衛川も流れの無い日が多くなる。水源を失った源兵衛川は、市の北側にある東レ三島工場から供給される冷却排水によって、かろうじてその流れを維持していた。しかし、その供給量は灌漑用水としての必要最低限のものであり、水の流れの乏しい川は急速に汚染化が進み、源兵衛川は悪臭漂うドブ川へと変っていった。

そんな源兵衛川が再生できたのは、NPO法人「グラウンドワーク三島」の地道な活動と、東レ三島工場の協力によるものだそうだ。

東レは、市や市民団体からの要望を受け入れて、冷却水の源兵衛川への供給量を増やすことになった。東レで使用している工業用水は、やはり富士山からの湧水である柿田川の工業用水だ。東レでは、工場で使用する水を製品の洗浄に使うものと、機械の冷却に使うものとに分けていて、その冷却水の中でもあまり使用していない綺麗で冷たい水を、地下に埋設した導管から源兵衛川に供給しているのだそうだ。設備の維持費や電気代などは、東レが負担しているらしい。

そんな源兵衛川だが、ここ2年ほど、夏から秋にかけての集中豪雨や台風の影響などで、地下水位が上昇し自然湧水が大復活。川の水位が上昇して、遊歩道が水没してしまうという珍事が起きている。年寄りたちが、昔は川で泳いだものだと云ってたが、本当に泳げたのである。まあ、湧水の復活は嬉しいことだが、近年の異常気象が関係しているとすれば、複雑な気持ちになる。

昨年の夏の満水になった小浜池である。これまでも何年に一度かは満水になっていたが、池の縁まで水位が上がったのを見たのは初めて。ドラマで「海老沢」君と「あまりん」が歩いていた遊歩道も水没し、一ヶ月間通行止めになった。


三島市内の湧水量は、直近の降水量と大きく相関しているが、昨日降った雨が湧き出しているわけでは無い。富士山からの水脈は溶岩流の地下でつながっている。上流で降った雨が地下に浸透することで水脈に圧力がかかり、下流の地下水が押し出されて湧き出るのである。


ドラマが放送されていた頃、三島の街に巡礼者(多くはジャニヲタさん)がやってきた。彼女たちは、「いずっぱこ」に乗車し、源兵衛川を歩き、みしまコロッケを食べ歩きしていた。2014年当時は、他県から三島の街を訪れるなんて考えられないころだったから、世の中にはモノ好きな人たちがいるものだと思っていた。ところが、聖地巡礼が一段落した後、今度は、普通に観光客がやってくるようになった。いつの間にか三島市は「富士山とせせらぎの街」として、ガイドブックにも紹介されるようになっていたのだ。そりゃあ、熱海などの代表的な観光地には遠く及ばないが、休日には、カップルや家族連れが、源兵衛川を歩く姿が見られるようになった。

源兵衛川を流れる水が、東レ三島工場から供給されていることを、観光客に対する裏切り行為であるかのような意見を目にすることがある。確かに、川の水に足を入れて「冷たーい!」って云ったり、「透き通っていて綺麗!」とか云っている声を聞くと、なんとも微妙な気持ちにはなる。

ただ、これは内緒にしているわけではなくって、広く公開されていることだし、そもそも源兵衛川は、室町時代に「寺尾源兵衛」さんが開いた灌漑用水(人工の川)であり、市民の「普段使い」の川なわけだから、そこを流れている水が工場からの冷却排水であったところで、どういうものでも無い。元を正せば、富士山起源の湧水だし。

市街地のど真ん中を流れる川に、三島梅花藻が育ち、ホトケドジョウが住み、蛍が飛び交い、カワセミが訪れるのである。そして、それが、住みよい街を作ろうという、多くの人々の無償の努力によって、保全されていることに価値があるのだ。


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