大河ドラマ「鎌倉殿の13人」序盤の舞台を巡る旅。今回は函南町。地味な、のんびり旅である。
「宗時神社」は、その合流地点を見下ろす小さな高台にある。二つの川に挟まれた尾根の先端部で、北側には人工的に掘り切られたような谷があるから、小さな砦跡のようにも見える。ここは田方平野の縁でもあり、ここから山道が始まる。冷川に沿って登りきったところが十国峠で、下ると伊豆山神社に至る。東海道の箱根峠が拓かれる前、つまり、平安・鎌倉時代は、この道が箱根越えのメインルートだったとされていて、現地に立ってみると、ここが地理的に重要な場所であるのが分かる。
「源頼朝」の乳母で「草笛光子」さん演じる「比企尼」も、この辺り(函南町大竹)に移り住んで、流罪になった頼朝に援助をしていたらしい。
駐車場が無いので、歩いて5分の町営時間貸しPに停める。近くにJAがあるが無断駐車はマズいし、路上駐車は迷惑である。1時間100円だからケチらずに利用して欲しい。登り口が工事中だったので、小さな駐車場をつくっているのかもしれない。
以前は、木が茂っていたようだが、伐採されて風通しが良くなった。兎に角、小さな供養塔の他には何も無い。大河ドラマ「北条義時」のノボリがなければ、誰も気付かない。ガッカリ観光地という言葉があるが、ここは観光地では無いので良しとしよう。
石橋山の合戦と宗時墳墓堂に関する吾妻鏡の過去ログ はこちら。
狩野氏は、伊豆一帯を支配していた工藤氏の一族で、伊豆市の狩野荘を領地としていた豪族である。伊豆を流れる一級河川「狩野川」もこの地名によるもので、領内には「牧の郷(まきのごう)」とよばれた馬の生産地がある。
当主「狩野茂光」は、配流地(伊豆大島)で反乱を企てた、あの鎮西八郎「源為朝」を追討したという名将である。頼朝の旗揚げに最初から加わり、頼朝軍の主力であったと考えられているが、石橋山の合戦で敗れ、この地で自害したとされている。同族の伊東祐親が、平家の後ろ盾により勢力を伸ばしていたので、対抗するために源氏に肩入れしたのだろう。日本画の狩野派もこの一族で、茂光の末裔になるそうだ。
肥満体であったという説があって、大河でもそのように描写されていた。演じているのは「米本学仁」さんで、身長1m80cm、体重180kgという俳優さんである。
一方、宗時は北条家の嫡男に過ぎない。つまり、武将としては、小さい塔の茂光の方が、圧倒的に格上ということになる。
実は、供養塔については、作られた時代は勿論のこと、誰の供養塔かも分からないってのが、本当のところのようだ。北条氏ならば、もっと立派な塔を作るだろうし、隣に茂光の塔を並べるとは思えない。でも、地元の人たちは、ここを「ときまっつぁん」とよんで、ずっと祀ってきた。石だって木だって信仰の対象になる。この塔に宗時と茂光の魂が宿っていると想うことが大切なのだ。・・・でも、大きい方が宗時って、誰が決めたんだ。
それにしても、大河で北条時政を演じている「板東彌十郎」さんのキャラが「時まつっぁん」そのものなのが面白い。ここからヒントを得たのだろうか。
さて、宗時神社を後にして、東海道本線と新幹線のガードをくぐり、冷川に沿ってさらに進むと、小さな滝(不動の滝)とお堂がある。冷川不動とよばれているところで、「高源寺」の塔頭「不動院」が、この地にあったとされている。
ここも駐車場が無いが、通る車も少ないので、路上駐車をしても迷惑にはならないだろう。さらに登ると「高源寺」に到着である。
石橋山の戦いでは、馬揃えの地になったそうだ。馬揃えとは、軍勢の集合場所のことである。ここに集合して箱根を越え、平家方の豪族「大庭景親」との戦いに向かったのであろう。頼朝軍の作戦は東の三浦氏と呼応して大庭軍を挟み撃ちにすることだったが、思うように軍勢が集まらなかった上に、大庭軍に先手を打たれて大敗。頼朝軍は敗走し、北条宗時は、この道を戻ってきたところで、追撃して来た伊東祐親の軍勢に討ち取られてしまう。
歴史の舞台にもなった名刹だが、訪れる人は、ほとんどいない。霊園を経営しているので人は居るんだけど、御朱印をいただけそうな雰囲気はなかった。今度行ったら、勇気を出して聞いてみようと思う。
#鎌倉殿の13人 #片岡愛之助 #鎌倉殿
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