2022年2月12日土曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その3 ~「狩野城址」「蛭が島」「伊豆の国 大河ドラマ館」~

北条宗時と狩野茂光が死んでしまいました。郎党を連れずに二人だけで別行動とか、その別行動をとった理由とか、従来の物語のイメージとは、かなり異なる展開でしたね。吾妻鏡の「早河の辺りで討ち取られた」という記述は採用されたようですが、暗殺でした。ドラマですから新解釈は構いませんし、制作側の事情もあるでしょうけど、もう少しやりようがあったんじゃないのかなぁ。

とはいえ、さすが三谷さんという台詞もありました。

時まっつぁんの「大庭に頭を下げてもいいと思ってる。頼朝の首を持ってきゃぁ、何とかなるんじゃねえか。」

三浦の「敵だってことを分からせてやるのさ。」「味方のフリをして打ちかかるなんてのは、三浦のすることじゃねえ。」

板東武者の気質が表現されていて面白かったです。

さて、今回は、宗時と共に討ち死にした「工藤(狩野)茂光」の地を巡ってきました。ドラマでは、呆気なく殺されてしまいましたけど、実は凄い伊豆武士なんですよ。

過去ログです。

北条宗時と仏の里美術館の阿弥陀三尊像

現地巡礼「宗時神社」と「高源寺」


狩野城址に掲示されている家系図です。縦長の板2枚に渡って書かれていて、これはその一枚目。藤原鎌足から始まって、現在までつながっているのが凄いですね。狩野氏は、藤原南家の「藤原為憲」を祖とし、伊豆国の狩野荘に移り住み、「工藤」を名乗ったとありました。為憲が宮内省木工寮の次官「木工介」に就任していたので、工藤と称したのでしょう。やがて一族は、宇佐美・伊東・河津などに分かれて伊豆を統治していきますが、狩野荘を相続した「茂光」が本家惣領とされていたようです。狩野を名乗ったのは、茂光が最初のようで、狩野氏は、平安時代末期から戦国時代までの400年にわたり、狩野荘の領主として活躍したとありました。

「狩野城址」は、狩野川と柿木川の合流地点、比高100mほどの丘陵地にあります。国道136号を進み、「狩野城跡」の横断幕がかかる交差点で右折。柿木川に沿って少し行くと整備された駐車場(本柿木農村公園)に着きます。斜面に拓かれた棚田がいい感じです。工藤茂光は、ドラマには登場しますが、ちょい役扱いですから、大河ドラマのノボリはありませんでした。


まず驚いたのは、トイレが綺麗だったこと。新しくはないんですけど、お掃除が聞き届いていて、花も飾られていました。管理していているのは、「狩野城の会」という団体だそうで、地元の人たちが、この史跡を誇りにし、大切にしていることがわかります。あの有名な、日本画「狩野派」のルーツであることが、何よりの自慢のようです。

系図の中で鎌倉殿に関係がある部分です。伊東祐親とか、みんな親戚なんですよね。祐親が平家をバックに勢力を伸ばしたのに対して、狩野氏は、保元の乱・平治の乱では源氏方として活動していたようです。茂光は、石橋山の合戦で討ち死にしますが、子の宗茂が家督を継ぎ、戦国時代になって北条早雲に降伏するまで、狩野氏は、この城を拠点に中伊豆を治めました。その後、一族は全国に広がり、後北条氏の家臣となったり、京都で絵師となったりしたそうです。

城の入り口に置いてある案内マップをもらって登城です。箱根西麓の山中城址を素朴にしたような雰囲気です。山中城址のように、発掘、公園化されているわけではありませんが、保存状態は良いようで、郭や土塁、空堀の跡など、素人の僕にも分かりました。駐車場を起点に、一周できるように遊歩道が整備されていますが、一ヶ所崩落したところがあって、3月下旬まで通行止めになっていました。桜の季節には、花見で賑わうようですが、今は真冬、誰にも会いませんでしたよ。

石橋山の合戦の様子は京都に伝わり、中山忠親の日記「山槐記」に記述があるそうです。そこには、伊豆武士「薫藤介用光」とあって、「工藤介茂光」のことと推測されています。日記は、噂に聞いた「くどうのすけもちみつ」に当て字をして書き留めたのでしょう。これによって、「茂光」は「しげみつ」ではなく「もちみつ」と読むことが分かったそうです。ちなみに、日記には、北条時政のことも書かれていて、こちらは「北条四郎」とあるべきところを「北条次郎」と書かれていて、「しろう」が「じろう」となって京に伝わったようです。伝言ゲームみたいですね。

茂光は、肥満体であるために戦で難儀をしたという記述があって、ドラマでも巨漢俳優の「米本学仁」さんが演じていました。米本さんは、この役を演じるあたって、城跡を訪問されたそうです。良いキャラだったので、もっともっと活躍して欲しかったなぁ。

これが家紋の三本杉。狩野氏は、大庭や三浦、上総氏ほどではないにしても、北条よりも勢力が大きかったのは確か。石橋山に布陣した300騎の頼朝軍の主力だったと考えられています。もし、源氏を支え続けた「茂光」が石橋山で戦死しなければ、御家人の勢力図も大きく変わっていたでしょう。まあ、有力御家人でなかったので、政争に巻き込まれずに生き残れたとも言えますけど。

城の最高部、中の郭にある神社です。かなり痛んでいました。この前の台風でやられたのでしょうか。狩野城址は、前から気になっていたところでしたが、ようやく訪れることができました。観光地ではありませんが、良く整備されていて、程よくマニアック。山城好きには最高の史跡に思います。


この日は、伊豆の国市の「蛭ヶ島」と「大河ドラマ館」にも行ってきました。

以前は「蛭ヶ小島」って云ってたような・・・。鎌倉時代は、この辺りを狩野川が流れていて、湿地帯だったと言われています。訪れたのは何年ぶりでしょうか。典型的なガッカリ観光地ですけど、駐車場が整備されてたり、頼朝と政子の銅像が立っていたりと、それなりに立派になっていました。吾妻鏡には、頼朝が蛭島に流されたという記述はあるそうですが、この地を蛭ヶ島と特定する根拠は無いみたいです。ドラマでは、頼朝が蛭が島に住んでいる描写そのものがありませんでしたね。

ボランティアガイドのおじさんに「梛木の葉」をもらいました。八重姫を祀っている「眞珠院」でも貰いました。八重姫と政子、恋のライバルである二人の所縁の場所で、縁結びのお守りである「梛木の葉」を配っているのが面白かったです。

大河ドラマ館は、韮山の時代劇場内にあります。大駐車場も、それなりに埋まっていました。実は、ドラマ館の建設については、その高額な建設費が問題になり、市長選挙で、推進派の現職が反対派の新人に大差で敗れてしまいました。伊豆の国市は、3つの町が合併してできた市で、観光に力を入れたい旧伊豆長岡町と他地区では、大河ドラマへの期待度に大きな隔たりがあったみたいです。というわけで、大変コンパクトなドラマ館になっています。


とても小さいです。このことは市民の総意ですから良いんですけど、問題は入場料が400円かかるところにあります。一般的な感覚からすると入場無料、取ったとしても200円が良いところ。著作権者であるNHKとの絡みとか、大人の事情とかいろいろあるかもしれませんけど、伊豆のイメージダウンにならないかと心配になります。地元支援のつもりで、隣の物産館でお金を使ってきました。ここをもっと大きくして、皆にお金を使ってもらって、ドラマ館は無料ってのが理想に思うんだけどなぁ。期待しないで行くのが、楽しむコツかな。WAONカードを提示すれば300円でいいそうです。
もう1つの舞台である鎌倉市では、立派なドラマ館を作るそうです。あちらは、超国際観光都市、比べても仕方ないですね。

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