2015年10月31日土曜日

本日ハロウィンということで、東方ProjectのMMDを

 松浦亜弥さんファンの方々には、スルーを推奨いたしますwww

 特にこれといった理由はないのですが、東方ProjectのMMDを漁っていたら、ニュース映像に出てきたハロウィンの仮想集団を連想したものですから、投稿してしまいました。

 僕は、年代的に、ハロウィンも東方Projectも無縁なんです。だから、意味も分からず見ているだけなんですけど、何か楽しいし、良くできてるし、気分転換というか、テンション上げたいときに良いんですよね。センターの女の子は、「アリス」って云うらしいです。

 ガンダムの初期のモビルスーツが、いろいろ出てきますけど、名前も忘れてしまいましたww




「私と私と私」松浦亜弥

 「私と私と私」は、松浦亜弥さんの3枚目のアルバムの収録曲です。で、それをうけて行われた2004年春のコンサートツアーのタイトルが、「私と私とあなた」でした。ところが、DVD収録のライブでは、この曲を歌っていません。別の公演では、歌った時もあったようですけど、当時のコメント欄を見ると、この曲がセットリストに入ってないことへの不満を表した書き込みがありました。まあ、「私と私とあなた」って云うライブツアーだったら、「私と私と私」を歌うって、フツウ思いますよね。

 しかも、その後のライブでもセットリストに入ることはなくって、マニアックライブⅣのテイクが、YouTubeにある唯一のテイクのようです。

 歌詞の内容は、アルバムリリース時、17才の女の子の内容なんですが、曲調は、随分おしゃれな感じです。この曲を17才の「あやや」がどんな風にライブで歌ったのか、是非とも聴きたかったところです。
 もっとも、詩の内容については、「女子高生の主張」とか「夕暮れ」と、似たり寄ったりですから、つんく♂氏がこの年代の女の子に関して持っているイメージというのが、こう云うものなんでしょうね
 

 マニアックライブⅣは、2001年から、年ごとに歌を披露するという演出のようです。デビュー時代のふり返りでは、さすがにコテコテのアイドル曲は、歌いたくなかったようで、主にカップリング曲などを披露しています。でも、そのおかげで、「遠距離の恋愛」など貴重なテイクを聴くことができました。
 このライブのリラックスした歌唱と、アイドル時代のカップリング曲とかアルバム収録曲が、上手い具合にかみ合っているんですよね。「待ち合わせ」「笑顔に涙」「夕暮れ」「遠距離の恋愛」「私と私と私」あと「ダイアリー」もそうでしょうか、どのテイクも良い感じで、好きなんです。

 
 ということで、マニアックライブⅣから「待ち合わせ」を貼り付けさせてお終いにいたします。

2015年10月28日水曜日

松浦亜弥 リアルオーディション「ねーえ?」&「風信子」~驚愕の連続テイク~

  松浦亜弥さんには、いくつかの主演ミュージカルがあって、2004年2月に行われた「リアルオーディション」もそのうちの1つですね。ミュージカルについては、僕は、DVDを持っていませんし、当然、参戦もしていませんので、何も云うことがないのですが、当時のレポートによると、アドリブ満載の喜劇だったらしいです。ということは、ずば抜けたステージ度胸の彼女には、うってつけのミュージカルだったのでは、ないでしょうか。

 で、後半は、お約束のミニライブ。客席と舞台も近くって、ファンにとっては、かなり楽しみなステージだったようです。ただ、マナーの悪いファンもいたようで、ちゃんと演技を見て欲しい、ちゃんと歌を聴いて欲しいという、松浦亜弥さんの想いとのギャップが窺い知れます。まあ、レコードよりも水着の写真集の方が売れていたという当時の現状では、致し方ないのかもしれません。
 このあたりから、松浦さんは、オタク切りとも云うべき言動が出てきますが、離れていくのは、まともなファンばかりという悪循環に陥っていったようです。

 まあ、こんな話は、ここまでにして、楽曲を貼り付けさせていただきますね。「ねーえ」と「風信子」、ミニライブでは、この2曲を続けて歌っていますので、ここでも2つ続けて聴いていただましょうか。



 松浦亜弥さんって、ここいら辺に、タレント活動のピークを持ってきちゃった感じですね。そりゃあ、誰でも17・8才っていうのは人生で一番パワーがある頃に違いありませんが・・・。

 で、僕が注目したいのは、この極端に曲調の異なる2曲を歌い分ける才能なんですよ。こういった流れのセットリストは、松クリスタルなどにも、「めっちゃホリディ」→「トロピカ~ル恋して~る」→「渡良瀬橋」とか、「奇跡の香りダンス」→「ね~え?」→「風信子」ってのがあります。
 松クリスタルの「渡良瀬橋」は、YouTubeでも高評価ですけど、その前に「めっちゃほり」「トロ恋」って歌った流れの中でのテイクだって知ったら、一般の皆さん方きっと驚くと思います。

 先日の、「LOVE涙色」の記事でも同じ事を云いましたけど、この「静」と「動」とも言える、両面を完璧にこなせるところが、彼女の凄いところですよね。しつこいようですけど、何度でも強調したいと思いますw
 ただ、残念なことに、アイドル時代は、「静」の部分が余計なもの扱いになっちゃたし、大人になってからは、「動」の部分のイメージが邪魔になっちゃってるんですけど、でもこの2つがあってこその、松浦亜弥だと思います。

 当時のライブレポートには、ノリノリになってきたところで、いきなりテンポを落とされるので、やりにくくって困る、なんてコメントがありましたけど、当時の亜弥オタっていうのは、「俺たちのご主人様は、そこいらのアイドルとは違うんだ」というプライドがあったようですから、そのへんも含んで楽しんでいたのでしょう。
 
 それから「風信子」なんて、もしかしたらこれがベストテイクじゃないかってくらい、良いデキだと思います。ちょっとコブシを効かせたような感じもいいですよ。
 よくYouTubeにそのへんのところを揶揄するかのようなコメントがありますけど、やろうと思えば何でもできるという、彼女の才能を素直に認めたいと思います。

 松浦亜弥さんは、演歌歌手だったとしても大成したと思います。今思えば、そのほうが、末永く活動できていたかもしれませんね。

2015年10月26日月曜日

マクロスF「星間飛行」~中島愛&メグッポイド&初音ミク~

 「星間飛行」は、テレビアニメ「マクロスF(フロンティア)」の挿入歌で、劇中のアイドル歌手「ランカ・リー」の楽曲として使用されました。「中島愛」さんは、2007年、オーディションで選ばれた、ランカ役の声優さんで、これがデビューシングルになります。そして、中島愛さんは、インターネット社のボーカロイド「Megpoidメグッポイド(GUMI)」の音声データの提供者でもあります。つまり、

          [ ランカ・リー ] ⊂ [ 中島 愛 ] ≒ [ GUMI ]  ということになります。

 ということで、今回は、オタクが云うところの「中の人」と「ボーカロイド」の共演です。まず、「中の人」にお手本を示してもらいましょう。




 なかなか、格好いい曲ですね。「キラッ」がクセになりそうです。作曲は、アニソンやゲーム音楽を数多く手がける「菅野よう子」さん。作詞を、松田聖子さんの楽曲を手がけた、大御所「松本隆」氏にオファーするなど、気合いの入り方が半端ないですね。楽曲のキャッチフレーズは、「銀河一のアイドルのデビュー曲」。ギターのフレーズは、まるでディープパープルのスモークオンザウォーターみたいですww
 僕は、決してアニメオタクではありませんが、この子、ちゃーんと歌っているし、こんな娘がライブをしているのなら、ちょっと覗いてみたくなりました。声優アイドルというのは、基本ソロですから、失われた昭和のアイドルの雰囲気を感じます。

 続いて、メグッポイド(GUMI)のテイクを貼り付けさせていただきます。良く調教されていたニコニコ動画を、勝手に(?)転載していたYouTubeの動画群があったんですが、著作権侵害の疑いで、ことごとく音声トラックがミュート状態になっています。
 ということで、今回は、やむを得ず静止画で届け致します。

 これもセルフカバーって云うんでしょうかねw


 どうしても動画が良いという方に、ニコニコ動画へのリンクですw。IDをお持ちの方はどうぞww


 メグッポイドは、中島愛さんの音声データからつくられたボーカロイドです。当然のことながら、やっぱり似ているなあと思う反面、ボーカロイドの特性として、どうしても滑舌が悪くなっていますね。このテイクは、そのへんを調教の技術で、比較的、違和感なく歌わせています。
 コピーした物を一生懸命修正して、オリジナルに近づけているってことなんですけど、だったら、最初からコピーでなく、ご本人に歌ってもらえばイイのですが、まあ、そのへんは触れないでおきましょうw

 ここで、参考までに初音ミクのテイクをお届け致します。画面の縦横比がおかしいんですけど、今回は、あくまでも音声の研究と云うことでご勘弁を。2009年の投稿ですが、なかなかの調教ですよ。


 比べてみると、やっぱりミクは声が幼いですね。
 でも、改めて感じたんですけど、ミクの歌声ってボーカロイド独特の個性というか、味があると思うんですよ。何をどう歌わせてもミクは、ちゃんとミクなんですよね。何か、無理に人間の声に近づけなくっても良いと思わせるものがあるように感じます。これって、ねらってできるものではないし、初音ミクが、奇跡の歌声と言われるのも分かるような気がします。
                
 今回、1つの人間と2つのコンピュータのテイクを聴き比べてみました。ありふれた結論ですけど、やっぱり人間っていいなって思いました。あの「キラッ」は現在のボーカロイドの技術では、太刀打ちできませんww

 中島愛さんは、現在26才、昨年より無期限の活動休止中とのことで、メグッポイドが歌声の代役を引き受ける場面は当分続きそうです。

2015年10月25日日曜日

「ふわりクレヨン」初音ミク ~漢字不使用のやさしいポップス~

 今回の楽曲「ふわりクレヨン」は、先日の「島風」の記事で貼り付けさせていただいたのですが、テイクが歌い手さんのであったのと、MMD動画の島風のミニスカートが、楽曲の鑑賞の妨げになっていた感がありましたので、改めてボーカロイドの作品として紹介させていただくことにしました。

 ふわりP氏は、2010年頃より活動しているボカロPさんです。代表曲は「ゆめのかたち」「ふわりクレヨン」など。アニメ主題歌に楽曲提供もしているとのことでした。高評価のわりに再生回数が伸びない傾向があるようですが、その「豊かなメロディと優しく易しい歌」には、固定のファンも多いようです。

 氏は、歌詞表記で極力漢字を使わないそうです。「二通り以上の意味・読み方を持つ漢字を用いることで発生する文章の理解までのタイムラグを避けるため」とありましたが、成る程、そう云う考えもあるものなんですね。「理由(わけ)」「運命(さだめ)」「地球(ほし)」と読ませたりする、いわゆる当て字だらけの歌詞より、よっぽど良いかもしれません。ただ、ひらがなにすれば、読み方は確かに1つになりますが、言葉そのものが複数の意味を持つときも多くありますので、この問題は、ひらがな表記だけで解決できるものではないとは思います。

 そういえば、子ども時代、漢字の勉強には苦しめられました。大っ嫌いでした。僕は、理系小僧でしたけど、漢字がなければ文系少年になっていたかもしれません。漢字がなければ、日本の子どもたちの勉強もさぞかし楽になるでしょう。
 英語みたいに単語ごとに分かち書きにすれば、ひらがなだけでもちゃんと読めますから、戦後GHQの時代、漢字を無くそうって、本気で考えていたらしいです。欧米人は母国語の学習の時間、漢字がない分、スピーチばっかりやってるわけでしょ。日本人はスピーチやディスカッションが苦手とか云いますけど、日本人に欧米人なみの力を身につけさせたいのであれば、漢字を捨てるくらいの覚悟が必要でしょうww

 というわけで、歌詞付き動画を貼り付けさせていただきますが、試しに1番だけ、漢字混じり文の歌詞を載せてみました。決して、厭がらせではありませんよ。試しにですww


ぴかぴか色をした シャボン玉から見えた円い町
くるくる回ってて とても楽しそうなの
ふわふわり 昇って行く

幾つも飛び出した 光の粒と雲と空の遊び 
風にのった船の様に浮かんで のんびりとお話をしてる

願い事が叶うなら 空へ飛びたいな あの雲に乗りたいな
柔らかクッションで昼寝をしたいんだ

何時か見たあの夢の続きの続きを見たくて
少し上を見て走った 飛び付けるように
何処までも広がって行く景色と色彩の向こう
わくわくできるのかな? 未だ見たことのない世界

 
 どうでも良かったですね。失礼しました。

 で、この曲、本当にテレビアニメの主題歌になりそうな感じですね。人畜無害と言えばそれまでなんですけど、こういう無条件に明るくって、前向きで、そして優しい歌って好きなんですよ。死んだ爺ちゃんも「歌は楽しく歌うもんだ」って、僕によく云ってましたから。

  氏のホームページによりますと、今年度、内閣府子ども子育て支援新制度キャンペーンソング「みんなで!やったー!!」の楽曲制作を担当されたとのことでした。 
 「子ども子育て支援制度」といえば、国の重要政策の1つですから、そのキャンペーンソングと云えば、箔が付きますよね。ボカロPさんたちがプロの音楽家として活躍するのは、なかなか大変な事ですので、このようなご活躍の記事を見ますと安心します。

 ちなみに、「内閣府子ども子育て支援新制度」は、ひらがなで分かち書きにすると「ないかくふ こども こそだて しえん しんせいど」です。

2015年10月24日土曜日

松浦亜弥 「LOVE 涙色」 ~対極の2テイク~

 久しぶりという程でもないのですが、ファクトリー・ライブの「LOVE涙色」を聴きました。いくつかあるスローバージョンのテイクの中でも、やはり秀逸なテイクではないかと改めて思います。ピアノ武部聡志氏やギター坂崎幸之助氏など一流のミュージシャンに囲まれて、一端のアーティスト扱いなところも微笑ましい。
 この曲の前に歌った「ひこうき雲」も、良いんですが、安定感でいうと、やはり歌い込んでいる「LOVE涙色」の方が優れていると思います。
 そして何より、松浦亜弥は、この時、既に、露出の多い派手な衣装や、興味を引くような振り付けなどを必要としない「歌手」であることを証明していたということに驚かされます。月並みな言い方しかできませんが、やはり、松浦亜弥は、ただのアイドルではなかったと思います。


 歌を聴かせるというのは、どういうことなのか、考えるときがあります。

 高音で声を張り上げて歌うことが、歌の上手さをアピールする唯一のやり方であるかのような傾向には疑問を持っています。巻き舌で日本語を崩して歌うのを個性的だとする傾向には、反感さえ覚えます。
 どんなにカラオケ上手でも、素人はやはり素人ですし、逆に、決して歌が上手いとは思えないアーチストの歌で涙する人もいます。世界的声楽家の歌だからといって、必ずしも心を動かされるとは限らないのに、人間でもない初音ミクの歌で泣きそうになったことがありますw
 だとすれば、人を歌で感動させるのに、歌が上手いと云うことは、必ずしも必要条件でないのかも、と思ってしまうのです。

 こんな15才の松浦亜弥ごときに、負けない歌唱ができる人は、いくらでも存在するはずです。なのに、僕は、このテイクに心を動かされるんです。彼女のこの歌唱には、引きつける何かがあるんです。それを歌唱力というのであれば、歌唱力と歌が上手いと云うことは、別の次元、異なる尺度で語られるものではないでしょうか。

 そして、ここにもう1つの「LOVE涙色」のテイクがあります。驚くべきことは、この2つが全くの同時期であるということです。このわずか2ヶ月違いのテイクが同一人物のものであるということは、さらに驚くべきことです。


 松浦亜弥を、ただのアイドルではない、と評する一方で、僕がこのテイクから感ずるのは、松浦亜弥はただの歌の上手い歌手ではない、ということです。

 1人のアーティストが一度に相手にできる観衆の人数には、限りがあるといいます。小さなライブハウスが似合うとか、1500人規模のホールまでだとか。ドームやアリーナでライブを開くには、単に動員力があるというだけでなく、そのアーティストがそれだけの人間の圧力を跳ね返すだけのパワーを持っているかどうか、が重要なのだそうです。近年では、ドームコンサートなど珍くはありませんが、多くは、グループであったり、何人ものダンサーやバックバンドを引き連れています。たった、一人でステージに立つというのは、僕らの想像を絶する「人間圧」との戦いなのです。

 松浦亜弥のライブの特徴は、その単独性にあります。彼女は、基本的にゲストやサポートメンバーを必要としない、というか、ソロでパフォーマンスすることを好み、楽しんでいるようにさえ見えます。何千人もの観衆を向こうに回し、たった一人でリードする。この才能は、どういう言葉で表せば良いのでしょうか。昔なら「スター性」とでも云っていたかも知れませんが。

 僕は、このあまりにも対照的で対極的な2つのテイクが、同時期に存在しえたということこそ、松浦亜弥が希有なタレントであったことの証明なのだと思います。

2015年10月18日日曜日

駆逐艦「秋月」 ~期待の防空艦の末路~

 しつこいとは、思いますが、「雪風」「島風」と続きましたら「秋月」についても書かないわけにはいきません。ただ、このブログが一体何なのかという問題も出てきましたので、とりあえずは、これで一区切りとさせていただくことを、予めお伝えしておきますww

 ここまでの記事で、対艦攻撃用に特化した日本の駆逐艦が、いかに悲惨な最後を迎えたかを投稿させていただきました。
 日本の駆逐艦は、アメリカの潜水艦に対しても有効な働きができませんでした。高性能のソナーが開発できなかったということもありますが、大西洋でドイツのUボートと熾烈な戦いを経験していたアメリカ海軍にしてみれば、太平洋の日本軍の潜水艦戦など比べものにならなかったのでしょう。アメリカの潜水艦に撃沈された日本の艦船は数えきれませんが、日本の駆逐艦がアメリカの潜水艦を撃退したという話はほとんどありません。

 さて、そんな旧日本海軍ですが、ようやく防空艦の建造に着手します。それが秋月型駆逐艦でした。秋月型の駆逐艦は、終戦までに12隻が竣工します。
 秋月の最大の特徴は、長10センチ高角砲を8門装備していることでした。砲身寿命が短く、頻繁に砲身を交換しなくてならないという短所はありましたが、長射程、高初速の、駆逐艦に搭載された初の対空砲でした。

 これが本物の秋月です。


 で、これが艦これの秋月のフィギュアですw。青島製作所が作っているんですね。世の移り変わりを感じます。これを、1万円出しても買いたい奴がいるというのも凄いですけど。


 他の駆逐艦より、少し大人っぽいのは、秋月型が大型の駆逐艦だからでしょうか、右の太腿に付けているのは、予備の砲身ですね。まったくオタク心をくすぐる完璧な設定です。

 で、フィギュアの背中をご覧になればお分かりかと思いますが、秋月には、4連装の魚雷発射管が一基搭載されました。防空直衛艦として構想されたものの、結局は、魚雷を搭載する対空型駆逐艦として建造されたのです。防空の直衛艦という弱腰の発想では、建造の認可が下りなかったといわれています。で、形ばかりではありましたが、魚雷発射管を1基だけ搭載して、駆逐艦としての体裁を整えたようです。軍令部の艦隊戦へのこだわりは、この段階にきても、未だ解消されていませんでした。

 秋月は、最初の実戦で、米軍のB-17を撃墜するという戦果を上げます。米軍司令部は、この事態に驚き、全部隊に秋月型の艦艇には近づくな、という指令を出したと云われています。本当にこんな指令が出ていたのかを疑問視する研究家も多いのですが、まあ、エピソードしては、面白い話かなと思います。

 で、このことをもって、いかに秋月が優秀であったのかを語るオタクがいます。中学生だった僕もそうでした。最初から秋月型を量産していれば、戦争に勝てたんじゃないか、なんてねw。
 しかし、飛んでいる航空機を撃ち落とすというのは、簡単なことではありません。対空用の射撃レーダーとか、VT信管とか、高度なシステムが必要なんです。日本には、そんなものはありませんでした。いくら高性能な対空砲を持っていたとしても、人力に頼っている限り、当たればラッキー程度の代物だったんです。
 大人になった僕なら、このエピソードの本当の意味が分かります。賞賛すべきは、米軍の対応です。僅かでも問題点があれば、徹底的に分析して対策を考え、何よりその情報をいち早く末端の実戦部隊に伝えるというシステムです。だからこそ、米軍は、緒戦に負けても、次は必ず勝ちました。戦えば戦うほど強くなる軍隊でした。たった1回の、秋月の成功体験にすがり続けた日本海軍とは歴然とした差がありました。

 1944年10月、秋月は、空母「瑞鶴」を含む4隻の航空母艦からなる機動部隊を護衛して、フィリピンに向けて出撃します。瑞鶴は、真珠湾攻撃にも参加した正規空母でしたが、度重なる敗戦で、優秀な搭乗員を失い、パイロットの多くは、発艦はできても着艦ができないという有様でした。実際、空母から発艦した攻撃隊は、母艦に戻らず、そのままマニラの飛行場に向かうよう指示されていました。この名ばかりとなってしまった日本海軍最後の機動部隊の任務は、アメリカ機動部隊をおびき出すための囮でした。
 エンガノ岬沖海戦とよばれるこの戦いで、秋月は、急降下爆撃機からの直撃弾を受けて機関が損傷、その直後、搭載していた魚雷が誘爆を起こし、船体が2つに折れて沈没してしまいます。
 魚雷の誘爆の原因については、直撃弾の影響とも、味方の艦艇が放った対空砲弾の破片によるものとも云われています。
 本来、防空艦と構想されていた秋月は、雷装をする計画などありませんでした。駆逐艦としての体裁を整えるために取り付けた1基の魚雷発射管が、秋月に致命傷を与えてしまったのです。

 機動部隊には、秋月の同型艦「初月」も参加していました。初月は、沈没した瑞鶴などの乗組員の救助にあたっていましたが、来襲した米巡洋艦隊の砲撃を受け撃沈しました。乗組員全員が戦死したため、沈没時の詳細が分かったのは、戦後に米軍の報告書が公表されてからでした。報告書によると、初月は単艦で15隻からなる米艦隊に砲撃戦を挑み、2時間に渡って、艦隊を足止めしていました。米艦隊は、単艦で向かってくる初月を小型の戦艦か巡洋艦だと思っていたそうです。なぜ艦隊戦に不向きな防空艦が砲撃戦に挑んだのかについては分かりませんが、恐らく味方の艦艇を逃がすために自ら囮になったのだろうと云われています。

 この戦いで、日本海軍は、参加した4隻の航空母艦を全て失い、真珠湾攻撃で世界中を震撼させた日本海軍の機動部隊は壊滅しました。

 お終いにちょっとだけ、勇ましい話をします。太平洋戦争で旧日本海軍は、大小11隻のアメリカの航空母艦を沈めていますが、歴史上、21世紀の今日に至るまで、アメリカの空母を沈めた国は日本だけなんですよ。

 貼り付けさせていただく動画は、艦娘による「恋の2・4・11」です。艦これMMDは、食物連鎖ならぬオタク文化連鎖の頂点に君臨するものだと思います。太平洋戦争では日本を圧倒したアメリカも、この分野では、日本には遠く及ばないでしょうww。


 艦これについては、これで一区切りです。久しぶりに戦史を読み返して、勉強になりました。子どもの時には見えなかったことも、いろいろと分かりましたし。
 また、近いうちに書きたくなるかも知れません。今度は、巡洋艦がいいですかね。

 戦艦ですか?・・・ないと思います。だって、僕は、セクシーな大人の女性より、可愛いアイドルたちが好きなんですからwww

2015年10月17日土曜日

稲垣潤一WITH松浦亜弥 「あなたに逢いたくて」

 今回投稿させていただいたのは、皆さんご存じの「UNIVERSAL MUSIC JAPAN」の公式動画、稲垣潤一WITH松浦亜弥「あなたに逢いたくて」についてです。稲垣潤一氏は、たくさんの女性歌手と同様なデュエットをしていますが、松浦ファンだからという立場を差し引いたとしても、数あるなかで、このテイクが最も優れていると思いますw
 松浦さんも、このデュエットがきっかけになって、マニアックライブⅡで、「あなたに逢いたくて」をソロで披露することになりましたよね。以前にも書きましたが、松浦亜弥さんは、デュエットやユニットで歌った曲を、ソロで歌い直したがる傾向があります。今回も不完全燃焼というか、まあ、そんな感じでソロで歌いたくなったのだろうと思います。やはり、松浦亜弥さんは、根っからのソロ歌手なんでしょう。
  まずは、ライブテイクから、歌は、2分30秒からです。


 このテイクはあくまでも稲垣氏が主役ですので、一番こそ松浦亜弥さんがメインに歌っていますが、後は、サポート側になっています。それはそれで良いんですけど、Cメロの「・・・一緒に過ごした日々を・・・」は絶対松浦に歌わせるべきだったでしょう。大歌手の稲垣氏に対してこんなことを云うのは、失礼とは思いますが、Cメロの歌い方、歌の山場の作り方は、松浦の方が秀でていると思います。Cメロで盛り上げるからこそ、間奏が引き立ち、最後のサビの部分へ感動的につながっていくわけですから。
 AメロとBメロとサビは、同じではないし、2番は、1番の繰り返しではありません。Cメロは、曲のなかで唯一の部分ですから、特に意識しなくてはならないはずです。日本には、歌の上手い歌手はたくさんいるはずですが、なぜか全てを一本調子で歌ってしまう人が、あまりにも多いと思います。

 次は、公式動画からです。たいして違いはないんですけど、強いて云えば松浦亜弥さんが喋らない分大人っぽくみえるのと、稲垣氏が若干歌が上手くきこえるくらいでしょうか。松浦さんはライブの方が上手いと思いますよ。ファンであるという立場を差し引いてもそう思います。


 とは云っても、こんな機会を作ってくれた稲垣氏には、感謝しなくては、なりませんね。
 歌唱力とビジュアルの両面がここまで両立していた歌手は、「松浦亜弥」しかいなかったんだと云うことを改めて確認した次第です。
 
 願うならば、このテイクが広く国民に知れ渡って、松浦亜弥のイメージ更新につながって欲しいものです。

2015年10月15日木曜日

駆逐艦「島風」 ~孤高の最強艦~

 今回紹介させていただくのは、駆逐艦「島風」です。島風は、75,000馬力という戦艦並みの機関を持ち、最高速力は39ノット、五連装の魚雷発射管を3基備え、一度に15発の魚雷を発射できる攻撃力、まさに最強の駆逐艦として建造されました。
 これが島風です。かなりスピード出てます。


 この島風が建造された経緯を説明するためには、まず、日本海軍が開発した「酸素魚雷」について語らなくはなりません。

 当時、魚雷は艦船を攻撃する兵器としては、もっとも強力なものでした。魚雷は、爆薬にエンジンやスクリューを付けた構造をしていますが、エンジンを動かすためには、燃料と空気が必要です。そのため、海中を進む魚雷は、圧縮空気が入ったボンベを搭載していました。
 酸素魚雷は、その圧縮空気の代わりに純酸素を使うというものでした。酸素ボンベならば、大きさは、空気ボンベの5分の1で済みます。この空いたスペースに爆薬を詰めれば、強い破壊力が得られますし、燃料を詰めれば、射程距離を伸ばすことができます。また、燃焼効率も大きく上がりますから、スピードもあげることができます。さらに、敵に発見されにくいという利点もありました。
 魚雷から出る排気ガス(ほとんど窒素)は、海中で泡となり、ちょうど飛行機雲のような航跡として海面に現れます。ところが酸素だけを燃焼させれば、排気ガスは全て二酸化炭素になります。二酸化炭素は水に溶けやすいので、酸素魚雷は航跡が現れないのです。
 酸素魚雷は、このように多くの利点が得られるため、各国は争うように開発に取り組みましたが、なかなか成功しませんでした。酸素を使うと、発射したときに激しく燃焼が起こってしまい、エンジンが爆発する恐れがあります。この制御がどうしてもできなかったのです。
 ところが、日本海軍は、発射するときは、空気を使って穏やかに燃焼させ、徐々に酸素の濃度を上げていくという仕組みを考え出し、この問題を解決することに成功します。
 ついに、日本は世界で唯一の酸素魚雷保有国になったのです。

 世界中で、どこの国も持っていない、「酸素魚雷」という兵器を保有した日本は、この兵器を最大限活用する戦術を採用します。それが、重雷装艦の建造でした。高速で移動し、酸素魚雷によって敵の艦隊を攻撃する。駆逐艦「島風」は、そういう戦術のために作られた艦でした。

 しかし、太平洋戦争が始まると、戦況は日本海軍が考えていたものとは異なり、艦隊対艦隊の海戦などは、ほとんど行われませんでした。駆逐艦に求められたものは、魚雷で敵艦を攻撃する能力ではなく、航空機に対する防空能力へと変わっていました。また、島風は、高速を出すために機関が複雑になり、量産が難しいという問題も抱えていました。結局、島風の同型艦の建造は中止され、島風型の駆逐艦は、島風のみとなってしまいました。

 艦これの「島風」です。大きなウサギリボンが特徴ですね。背中にしょっているのは、5連装の魚雷発射管です。その上に乗っているのは、マスコットの「連装砲ちゃん」だそうです。
 それにしても、このミニスカート、どうにかなりませんかね。いくら何でもやり過ぎです。あと、キャラクター設定としては、足が速くて、かけっこが得意とか、一人っ子キャラだとか出ていました。まあ、そういうことになるでしょうねww

 MMD動画は、どうもカメラを動かしすぎる傾向があって、僕なんかは、目が回りそうになります。カメラワークに凝るのも良いんですが、たまにこういう風な定点カメラの動画があるとホッとしますww
  曲は、「ふわりP」氏の「ふわりクレヨン」。可愛くって、明るくって大好きな曲なんです。


 就役した島風に与えられた任務は、そのほとんどが、輸送船や戦艦などの護衛で、有名なキスカ島撤退作戦、レイテ沖海戦などに参加したものの、得意の魚雷攻撃の機会は、ついに訪れませんでした。

  そんな島風に新たな命令が下されます。それは、フィリピンのオルモック湾へ、陸軍の部隊を揚陸するための輸送船を護衛するというものでした。しかし、フィリピンの制空権は完全に米軍にあり、そのような状況下で、低速な輸送船を突入させるのは、明らかに無謀な作戦といえました。
 五隻の輸送船と五隻の駆逐艦などで編成された船団は、悪天候を利用して出発しますが、無常にも天候は回復し、オルモック湾への突入寸前に米機動部隊に発見されてしまいます。輸送船に早急に湾内に突入して揚陸作業を行うよう命令し、駆逐艦には煙幕を張らせますが、のべ347機という艦載機の猛攻撃により、輸送船は全滅、護衛の駆逐艦も次々と攻撃を受けました。

 航空機の攻撃に対して、島風は積んでいた魚雷を誘爆を防ぐために海に投棄し、狭い湾内を逃げ回ることしかできませんでした。やがて多数の至近弾と機銃掃射により、機関が故障、航行不能になります。
 島風は、第二水雷戦隊の旗艦でしたので、司令官、参謀が多数乗船していました。駆逐艦「朝霜」が救援にかけつけましたが、米軍機の攻撃のために接近できず、朝霜に対して「帰れ」の命令が出されます。
 オルモック湾に単艦残された島風は、米軍機の攻撃により爆沈。司令官以下、乗組員のほとんどが戦死しました。孤高の最強艦のあまりにも惨めな最後でした。
 輸送船団は壊滅、帰還できたのは「朝霜」1隻だけだったということです。
 
 島風は、艦これでは、かなりの人気キャラなので、MMD動画もたくさん投稿されてますけど、どうせなら、史実と思いっ切りギャップのあるテイクでお終いにしたいと思います。曲は、先ほどと同じ「ふわりP」氏の作品、摩耶と島風による「みんなで可愛くきょうもハレバレ」です。


2015年10月12日月曜日

大阪万博にリアルタイムで参戦できたという幸運

 先日、NHKの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ」の第2回目の放送を見ていたら、いきなり「時をかける少女」が出てきました。そして、以前このブログでも想いを紹介させていただいた、あの伝説の「タイムトラベラー」の映像が出てきたんですよ。動いている「島田淳子」さんを見るのは、何十年ぶりでしょうか。日本で唯一残っていたという、和歌山県の電気屋の息子が録画していた最終回のビデオテープから、NHKが修復した映像に違いありません。
  僕は、テレビ番組は録画しておいてから、後で見ているんですが、ラッキーでした。これは絶対消去しませんよ。

 で、その回のテーマが「SF」だったんですよね。番組のかなりの時間を「大阪万博」に割いていたんですけど、番組を見ていたら、過去の記憶が、まざまざと蘇ってきました。僕は、大阪万博にリアルタイムで参戦できたという幸運な少年だったんです。

 1つ目の幸運は年齢です。万博の思い出を一生の記憶に留めておけるギリギリの年齢だったことです。一緒に行った弟などは、哀れなことに、長時間行列に並ばされた記憶しかないそうですから。
 2つ目は、大阪に親類が居たことです。僕は、春休みに確か4泊5日くらいで行きましたが。当時の大阪は、万博を当て込んだ超ぼったくり状態でしたから、連泊して万博を見に行くなんて、貧しかった当時の庶民にとっては夢のような話でした。


 大阪に着くとおじちゃんが迎えに来ていました。おじちゃんは、母の従兄弟に当たる人です。腹が空いただろうとのことで、当時日本一と云われていた大阪の地下街へ連れて行かれました。地下に商店街があると云うだけで、僕にとっては既に未来世界でしたけど、そこで「ハンバーガー」なるものを食べることになりました。
 で、今で云うトッピングを注文することになったんです。おじちゃんは「ベーコン」でした。「ベーコンって何?」って母親に聞いたら、「油っぽい肉だ」って云われました。で、「お前は何にする。」って云われたんですけど、何も分からずモジモジしてたら、結局何ものっていない普通のやつになっちゃったんです。弟は、チーズとかがのっているのを注文したんですよ。食べ物の恨みは恐ろしいですね。もう45年も前なのに鮮明に覚えています。
 でも、ノーマルなハンバーガーも美味しかったですよ。初めてマクドナルドを食べたときに感動したとか云う話がありますけど、僕のファーストハンバーガーは、そんな安っぽいのじゃなくって、大阪の地下街のハンバーガーなんですからねw。

 おじちゃんの家は、阿倍野あたりにあったと記憶しています。そこから地下鉄を乗り継いで、阪急千里線の万博西口駅まで三日間通いました。僕は、分厚い万博のパビリオンの解説書をほとんど暗記するくらい熟読していました。恐らく全部のパビリオンの名前を言えたと思います。少年時代の、人生で一番記憶力のある時代、僕は、万博のパビリオンと帝国海軍の艦艇のために記憶脳を使いきっていました。
 
 子どもなりに、事前に綿密な?計画を立てていたのですが、会場に入ったとたん、圧倒的な雰囲気に飲み込まれて、そんなものは吹き飛んでしまいましたよ。
 日立館は、とにかく長時間並びました。今は、ディズニーランドなどに行っても、並ばせるための仕組みとかがありますけど、当時は、そういうノウハウがありませんから、とにかくヘビのような行列をつくって待っているしかありませんでした。世界一長いエスカレーターとかに乗ってパビリオンに入っていきましたけど、今だったら、東京駅の中央線エスカレーターの方が長いと思います。展示内容というか、アトラクションは、飛行機のシュミレーターみたいなやつでしたね。
 アメリカ館は5時間待ちとか云われてたんで、最初から諦めてました。でも、代わりに云ったソ連館は、人工衛星や宇宙船の展示があって見応えがありましたよ。もちろん日本館にも行きましたし、テーマ館の太陽の塔にも入りました。母は、念願のスイス館に行けて喜んでました。松下とか三菱とか東芝などの大企業系のパビリオンは、どこも凄く混んでいて入れませんでしたね。リコー館やコダック館とかだったらすぐ入れましたw。あと、地味な外国のパビリオンとか。
 動く歩道も乗りましたよ。ちょうど、夕方になるときで、パビリオンの照明がつき始めて綺麗だったことを思い出しました。動く歩道っていったって、横にしたエスカレーターですから、今、考えると笑ってしまいますね。
 
 どこの館に行ったか、いろいろと思い出そうとしたんですけど、実際に見た記憶と、ガイドブックで覚えた記憶がごちゃまぜになって、全部行ったことがあるような気がしちゃうんですよw。

 その後も、科学博とか、花博とか、デザイン博とか、いろんな博覧会に行きましたけど,今の博覧会って、終わったときのことを考えて、建物がプレハブ的な安っぽい作りですよね。大阪万博は,もの凄く気合いが入っていたんで、どのパビリオンも造りが凝ってました。そのかわり、解体費用がもの凄く掛かって大変だったみたいですけど。

 3日目は、エキスポランドで一日遊んでお終いになりました。

 最後の日は、おじちゃんが休みを取って、大阪見物に連れて行ってくれました。大阪城に行った記憶があります。それから、帰りに食べようと買ったお寿司が押し寿司だったことを思い出しました。何だこれって思いましたよww

 大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」でした。確かにそこには、ひたすら明るい未来がありました。21世紀は素晴らしい時代になっているんだって、子ども心に信じていました。けど、直に、ドルショックとか、オイルショックとか、公害問題が出てきましたからね。大阪万博は、EXPO'70って言ってましたけど、70年代の始まりではなくって60年代の終わり、つまり、未来の始まりではなくって、夢の終わりを象徴するイベントだったんだなって思います。

 投稿する直前になって思い出しましたけど、おじちゃんの家のトイレが、当時としては極めて珍しく洋式だったんです。見るのも初めてだったんで、用が足せなくって困りましたwww

2015年10月11日日曜日

駆逐艦「雪風」 ~帝国海軍で最も有名な幸運艦~

 今回紹介させていただくのは、旧日本海軍で最も有名な駆逐艦「雪風」です。雪風は陽炎型の8番艦として建造されました。陽炎型は、全部で19隻建造された主力駆逐艦で、現在も旧海軍の駆逐艦といえばこの陽炎型がイメージされることが多いと思います。
 
 そういえば、「宇宙戦艦ヤマト」で、「古代進」の兄、「古代守」が艦長を務めていたミサイル駆逐艦も「ユキカゼ」でしたね。駆逐艦のプラモデルで一番売れているのも、たぶん雪風だと思います。これが本物の雪風です。


 貼り付けさせていただく動画は、艦これMMDの「雪風」による「GIFT/花束P」です。これは、歌い手さんのテイクになりますが、元はボカロ曲です。昔のボカロ曲は、こんな風に、素直で微笑ましくて、ほのぼのとして、それでいて切なさに胸が締め付けられるような、可愛い曲がたくさんあったんですね。
 艦これでも雪風は人気キャラだそうで、確かに可愛くできています。でもなかなか手に入らないレアな艦だそうですよ。


 雪風が有名なのは、何と云っても、その武運の強さです。太平洋戦争の主だった作戦のほとんど全てに参加しながら、終戦まで無傷で生き延びたのですから。
 参加した作戦数は、少なくとも16回。雪風の武運の強さは、戦時中の早い時期から有名になっていて、なかには、艦隊がほとんど壊滅状態になった作戦でも、雪風だけが無傷で帰還してきたので、周りの者は、かえって気味悪がったといいます。

 戦争で生き延びるための最大の要因は、「運の良さ」に尽きますが、命中したと思われた魚雷が艦底の下を通り抜けていった、などというエピソードなどは、もはや神がかっているとしか云いようがありません。

 数々の作戦に参加した雪風ですが、最も有名なのは、戦艦大和と共に出撃した沖縄水上特攻でしょう。この作戦では、他に軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻も参加していますが、帰還できたのは雪風を含めた4隻の駆逐艦だけでした。この戦いでも雪風は、沈没した大和の乗組員を救助して、ほとんど無傷で帰還しています。

 この水上特攻は、沖縄までの片道分の燃料しか積んでいなかったとされていて、僕もずっとそう信じていたんですが、今回この記事を書くに当たって調べてみましたら、燃料は十分に往復できるだけ積んでいたとありました。作戦に参加しない艦艇の燃料を抜き取るなどして、とにかくありったけの重油を積み込んで出かけたらしいです。ということは、この作戦が本当に最初から水上特攻であったのか、疑わしくなってきました。まあ、しっかりした戦略の基に実行された作戦でないことだけは確かなようです。
 この作戦を最後に、海軍の艦隊行動は事実上終了します。日本には、もう1滴の重油も残っていませんでしたから。

 艦これの「雪風」で最も特徴的なのは、首からぶら下げている大きな双眼鏡です。キャラクター設定の説明書きによると、雪風は、激戦を生き延びた分、多くの僚艦の撃沈場面も目撃していて、その数60隻以上と云われているそうです。雪風は最も多くの悲劇の目撃者であることをイメージして、双眼鏡を持たせたとありました。
 って、神妙になってみせたところで、キャラクターの女の子は、パンツが見えそうなミニスカートなんですから、「艦これ」は、本当に不謹慎極まりないゲームだと思いますww。

 で、初音ミクとの接点なんですが、雪風のキャラクターボイスが初音ミクと同じ声優「藤田咲」さんである、というだけのことですw。藤田さんは、他にも空母「赤城」など8艦のキャラクターボイスを担当しているようです。

 次に貼り付けさせていただく動画は、「SPiCa」。歌は、初音ミクですので、雪風自身が歌っていると思いながら聞くことも可能かと思います。MMD動画も良くできていると思いますよ。


 雪風は、戦後、復員船として使用されました。漫画家の水木しげる氏も雪風に乗って復員した1人だったそうです。
 その後、中華民国に賠償艦として引き渡され、「丹陽」と名を変え就役、1969年、台風により破損、廃艦とあります。竣工以来30年、賠償艦の多くが標的艦などに使われて、無残に沈められたことを考えれば、異例の長寿だったことになります。

 やはり、雪風は最後まで幸運な軍艦でした。

 最後の曲は、「トゥインクル」。世界一平和で、お気楽な、日本という国に生まれてきたことに感謝しながら、お終いにします。


2015年10月10日土曜日

松浦亜弥「ひとり」 ~とっても素敵な2テイク~

 まずは、1年半振りのステージ「マニアックライブⅤ」のテイクから貼り付けさせていただきます。歌は1分37秒からです。


 伴奏は、桜井さんのピアノのみ、ちょっとエコーを強めにかけて、少し照れながら、悲しげに歌い上げる。久しぶりのライブの1曲目の演出としては、これ以上のものはないと思います。

 この後、このテイクがノーリハーサルであるという発言がありますが、まあ、これは、中学生とかが、テストの前に「私、全然勉強してないのよ。」とか、云ってるのと似たようなものです。プロの歌手が、お客から金を取って歌を聴かせようとしているのに、こんなことを云うのは、来ている客に失礼というものですが、まあ、ファンクラブイベントという気楽さから出てきた発言だと云うことで、今回は、大目にみておきましょうw。
 もっとも、このテイクがグダグダであったのなら、恥ずかしくってこんなことも云えないでしょうから、久しぶりの一曲としては、本人としても、思いの外に手応えがあった証と云えなくもありません。
 で、こき下ろしておいてこんなことを云うのもなんですが、このテイク、僕は評価しているんですよ。スローバージョンは、2008年のライブでもやっています。歌が上手いのは、もちろん2008年の方でしょうけど、雰囲気は、このマニアックⅤの方が出ていると思います。

 このライブは、黒い衣装を着た昼公演と白い衣装の夜公演があったようです。確かDVDも2枚組だったと思います。「だったと思う」というのは、僕がDVDを持っていないからです。ファンクラブ未加入の僕は、当時どうにかしてこのDVDを購入しようとしましたが、かないませんでした。で、そのうち親切なファンの方々がアップしてくださったので、まあ、これでいいやってことで、オークションに出ていることも知ってはいましたが、買わずにここまできています。ちゃんとお金は払うからと云っているのに、売ってくれなかったんですから、僕は悪くないですよw
 もちろん誰でも購入できたらファンクラブに入っている意味がなくなりますし、クリスマスライブみたいに一般販売したところで、儲かるほどに売れる保証などありませんから、アップフロントの殿様商売も致し方ないとも云えますね。
 
 で、松浦亜弥さんのライブというのは、尻上がりに調子が上がってきて、オープニングよりアンコール、昼と夜だったら夜公演の方が良いことが多いのですが、このライブに関しては、どうも白い衣装の出来がイマイチな感がしてしょうがありません。これも久しぶりのライブの影響なのでしょうか、僕の思い過ごしなのでしょうか。

 次は、COTTON CLUB からのテイクです。曲のアレンジとしては、こっちがCDオリジナルに近いと思います。ズンチャ、ズンチャの後打ちのリズムが軽快で、楽曲そのものの良さは、こちらのほうが伝わってくるように思います。


 ちょっとお手振りなんかしていますが、こちらのバージョンも、僕は大好きなんです。こんな雰囲気で、ライブが始まったとしても、それはそれで素敵だったと思います。切々と歌い上げるも良し、お手振り曲に使うも良しですね。

 この2テイクから感じたんですけど、松浦亜弥さんって、悲しげに歌っていても、格好良く見せていても、可愛らしさが透けて見える。というか、歌っている自分の姿が観客からどういう風に見えているのかを無意識の中にも意識しているように思えてなりません。May J.さんとか、歌の上手い歌手は、他にもいますけど、松浦亜弥さんがその類いの方々と何となく異なっている雰囲気を持っているのは確かだと思います。雀百まで踊り忘れずというか、やっぱり松浦亜弥は、幾つになっても、歌の上手いアイドルなんだと思います。

 誤解しないでくださいね。これは、彼女に対する、僕からの最大の賛辞なんですよ。

2015年10月7日水曜日

ご苦労様とお疲れ様 ~検索予習社会の悲しい現実~

 始めに,お断りしておきますが、今回は松浦亜弥さんも初音ミクも関係ない、僕の自己満足的独り言ですので、適当にスルーしていただければ幸いですwww。

 僕は、仏像鑑賞を趣味としていたので、いわゆるパワースポットにもよく行きました。ブームはまだ続いているようで、有名どころは、行列ができていることも珍しくありません。
 昔は、神社のお参りなど、前に人が居ようがお構いなく、お賽銭が飛んできたものですが、最近は、皆さんキッチリ並んで、1人ずつお参りするものですから時間がかかってしょうがありません。まあ、僕は、仏像目当てですから、お参りはパスなんてことも多く、ほとんど影響ありませんけどねw。
 
 で、若者たちは、入り口の一礼から始まって、お参りの仕方をよく心得ています。昭和の人間などは、そのへんが本当にいい加減なんですよね。では、何で若者の方がマナーを心得ているのかというと、それは彼らが、ネットで予習しているからです。

 最近の若者は、神社のお参りの作法から、彼女へのサプライズプロポーズのやり方まで、何でも検索して予習してきます。だから、決して間違えないし、常に多数派です。マナーに限らず、自分が正しい多数派にいるというのは、この上ない安心感が得られますから、現代の社会人にとって検索予習は絶対必要なことのようです。

 ところで、職場での挨拶の1つに「ご苦労様」と「お疲れ様」があります。僕は、この歳になるまで、「お疲れ様」を使ったことがありませんでした。ぜーーんぶ「ご苦労様」一本で通してきたんです。そしたら、「ご苦労様」は目上の人に使ってはいけないと云うではありませんか。
 僕のイメージでは、「ご苦労様」は、かしこまった丁寧な言い方、「お疲れ様」は、馴れ馴れしくくだけた言い方という感じだったんです。だから、職場では、全部「ご苦労様」だったんですけど、僕は、何十年もの間、マナー知らずだったということでしょうか。
 
 で、当然のことながら、若者たちは、僕に対しては、すべて「お疲れ様」を使ってきます。きっとYahoo質問箱とかで予習したのに違いありませんw。
 きっと、どこかの誰かが、「ご苦労様」は、目上には使えないみたいなことを回答して、ベストアンサーとかになって、瞬く間に日本の常識になったんじゃないかって、僕は疑っているんです。

 でも、僕は、この「お疲れ様」がイマイチ馴染めません。なんか、年寄りでもないのに、電車で席を譲られたような気分なんです。でも、せっかくねぎらってもらってるんで、文句はやめときます。既にこの日本では、彼らは正しい多数派なんですから。

 そんなことより不満なのは、何故「ご苦労様」を目上に使ってはいけないのか、納得できる説明が得られないことにあるんです。

 さらに、オジさんになると、年下の上司なども珍しくなくなります。この場合は、どっちを使えば良いんでしょうかね。質問箱に投稿しようかとも思ったんですけど、頭で理解したところで、とっさに出る言葉は「ご苦労様」でしょうから、知らない方が幸せだと思うのでやめときましたw。

 で、最近は、それらの反動というか、「ご苦労様」と「お疲れ様」の使い分けについて、別の見解が見られるようになってきました。要は、どっちでも良くって、気持ちが大切だと云うんです。
 でも、それって質問に答えてないし、所詮、職場の挨拶なんて形式的なものですから、いちいち気持ちを込めてきたら、する方も、される方も、疲れちゃいますよねw。

 結局、検索して調べましたw。

 もともと、「ねぎらう(労う)」というのは、上から目線の行為で、目上が目下にしていたことなんですって。だから、目下の者たちは、ねぎらうこと自体が、失礼というか、やる必要のなかったことなんですよ。だって、目上の人は、命令するだけで、何の苦労もしてませんでしょ。
 で、お疲れ様だったら、「労」って字が入ってないから上から目線にならず、誰にでも使えて、問題ないだろうって云うことみたいです。でも、誰にでも使えるってことは、「お疲れ様」は、目上に相応しい、特別丁寧な言葉でもないということになります。そのへんが違和感の原因だったのでしょうか。

 昔は、管理職になれば、全部部下にやらせて、ふんぞり返っていれば良かったんでしょうけど、今では部下が上司を労ってあげるほどに、管理職も楽ではありませんからね。「お疲れ様」は、そんな現代社会で必要とされ、多用されている言葉ということみたいです。

 今日はこれでお終いです。お別れに「お疲れ様」代わりにテンションの上がる動画を一つ貼り付けさせていただきますね。


2015年10月4日日曜日

マイケル・ジャクソン「スリラー」他 ~艦これMMD 駆逐艦編~

 家族には内緒ですけど、相変わらず「艦これMMD」の動画を見ています。
 「艦これ」は、艦艇の大きさと、キャラクターの設定年齢がリンクしているようで、戦艦や航空母艦は、ちょっと大人っぽいイラストになってます。巡洋艦は高校生キャラのようです。で、駆逐艦になると、中学生キャラなんですよね。日本アイドル史を研究している自分としては、このあたりが気になるところですw。

 誓って云いますが、僕は、決してあぶないオヤジではありません。純粋に,日本のオタク文化を研究しているだけです。

 まずは、駆逐艦娘たちによる、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を貼り付けさせていただきます。
 日本のオタクの総合力の高さを示している作品です。これ作るのに、どれくらいかかるのでしょうか。是非とも、教えていただきたいところです。


 駆逐艦は、艦隊では護衛や哨戒の任務が主ですから、数多く建造することが求められます。したがって、量産することを重視した設計になっていますが、日本は、条約や工業力の関係などで、欧米のように大量生産ができません。ですから、1隻、1隻を比較的丁寧に建造していたそうで、日本の駆逐艦は性能も良く、1対1の対決ならば、負けなかったと云われています。
 ただそれは、あくまでも、対艦攻撃についてのこと、潜水艦や航空機に対する戦闘能力は、やはり脆弱で、開戦時、百隻以上あった艦艇は、そのほとんどが終戦までに失われるか、破壊され、健在だった艦は10隻にも満たなかったと云われています。

 次に貼り付けさせていただく動画は、「五月雨」と「涼風」による「ハイファイレイヴァー」です。この曲は、いろいろなキャラクターで動画が作られていますが、この「涼風」「五月雨」コンビのダンスが最高に可愛いと思います。一応申し上げておきますと、髪の毛の長い方が「五月雨」です。


 背中にしょっているのは、61cm4連装魚雷発射管。左手に持っているのは、主砲の12.7cm連装砲ですね。

 五月雨は白露型の6番艦。有名な「キスカ島撤退作戦」の他、数多くの艦艇護衛や補給任務の後、在留邦人の救援活動中にパラオ近海で座礁。B-24の空襲や米潜水艦の雷撃により大破、放棄されたとありました。夜戦で味方の戦艦に機銃を誤射して、高射砲で反撃されたり、嵐の中で艦隊から落伍して迷子になり、巡洋艦が探しに行ったなどのエピソードから、「艦これ」でも「ドジッ娘」キャラ設定となっているようです。さすが「艦これ」、オタク心をくすぐってきます。

 涼風は同じく白露型の10番艦。ガダルカナルへの輸送、戦艦や空母の護衛、非武装船団の護送などに従事した後、ポナペ島沖北東で輸送船団護衛中に米潜水艦の雷撃を受け轟沈。艦長以下、乗組員のほとんどが涼風と運命を共にし、231名が戦死、生還者は14人だけだったそうです。

 いつもながら、史実とキャラクターのギャップが凄いです。ご冥福をなど、軽々しく言えたものではありません。しかし、不謹慎極まりない発言ですが、このギャップこそが「艦これ」の魅力とも云えます。

 最後は、装備を降ろした「涼風」と「五月雨」による「独りんぼエンヴィー」でお終いにします。


 装備があったほうが良いですかね。やはり、艤装こそが艦娘が艦娘である所以ですから。

2015年10月3日土曜日

「想いあふれて」松浦亜弥

 「想い」と「思い」もう一つあげるなら「念い」。全て「おもい」と読む。僕らの祖先が全て同じ行為だと捉えていたことを、漢民族は、区別していたということだ。彼らの方が「おもう」という行為に敏感であったのだろう。
 僕らは、漢字に出会うことによって、本来持っていた日本人としての感性に加えて、漢民族の感性をも取り入れることに成功した。カタカナ表記される外来語も含めると、日本語は世界でも希に見る感性豊かな表記が可能な言語だといえる。

 もっとも、ついこの間までの僕は、「想い」など使うことはなかった。僕が「想い」と「思い」という2つの文字を自分なりの解釈で使い分けるようになったのは、松浦亜弥のファンになってからのことだ。

 2009年のラストコンサートツアー「想いあふれて」は、お別れ会モード全開のライブである。オープニングに「桃色片想い」を持ってきたのもそうだし、アイドルソングをメドレーにして披露したのもそうだし、テニスボールのプレゼントやリクエストコーナーを設けたこともそうである。

 しかし、お客の入りは、芳しくなかったようだ。ラストツアーであることが告知されなけば、更に惨憺たる状況になったであろう。1階席は埋まるものの、2階席は空席が目立ち、かなりの数の当日券が残っていたという。そして、ツアーで全国を回ってみたところで、埋まっている1階席は同じ顔ぶれのファンばかり。そのような状況では、重要な収入源であるグッズの売り上げも期待できない。「想いあふれて」が最後のツアーになったのは、彼女の体調の問題とされたが、そうでなくとも、松浦亜弥は、全国ツアーを維持できるだけの動員力など、既に失っていたのである。

 この原因をアイドルオタクだけに求めるのは、若干無理がある。アイドルオタクが離れていったのは、もっと前からのことだし、2009年頃までついてきたファンは、かなりのコアな存在だったはずだ。最大の問題は、そのコアなファンからも見放されたというところにある。

 彼女がどんなに優れた歌唱力やステージパフォーマンスを披露しても、飽きられていったのである。僕には、その理由が分からない。いや、彼女自身だって、離れていったファンだって理由など分からなかったのだと思う。「ただ何となく。」人の想いほど、捕らえどころがなく、無責任で、残酷なものはない。

 「想いあふれて」は、ラストを飾るに相応しい曲だ。というか、ラスト以外では、使えない曲である。楽曲としてのベストパフォーマンスは、「korou」さんのブログ記事にあるように「マニアックライブⅢ」のテイクになるだろうが、この曲が相応しいステージは、やはり、2009年「想いあふれて」のラストソングであり、2013年「ラグジュアリー・クリスマス・ナイト」である。


 もし、「マニアックライブⅤ」の出来が良かったら、「クリスマス・ナイト」は、なかったように思う。彼女の、このままでは終われない、という想いが、「クリスマス・ナイト」の開催につながったのだろう。
 だから、「クリスマス・ナイト」は、満を持して行われたラストステージであったはずだ。それは、ファンサービスとして「部屋とYシャツと私」と「ひこうき雲」をセトリに入れたことからも分かる。

 「クリスマス・ナイト」で「想いあふれて」を歌う彼女は、涙を溜めていた。2009年のライブでも彼女は、涙を見せた。同じ楽曲で見せた涙であるが、これほど、好対照な涙はないだろう。2009年の涙は、全ての終わりに対してだが、2013年の涙は、新たな始まりに対してなのだから。

 もちろん、新たな始まりというのは松浦亜弥にとってのことで、僕らにとっては、本当の終わりであったのだけど。