2020年10月31日土曜日

「紀平梨花」選手2020新プログラムの前評判がやたら高い話

紀平梨花選手の2020新プログラムの前評判がやたら良い。公開が遅れている分、期待が高まっているからだろう。

紀平選手が出場を予定していた、グランプリシリーズ・フランス大会が中止になってしまった。最近のヨーロッパでの感染状況を考えれば致し方ない事とは云え、テレビでのライブ中継も予定されていたから残念極まりないことである。スイスの国内大会に出場するのではという話もあったが、御本人直々に、エントリーしていないとの告知があった。結局、こちらも中止になってしまったけど・・・。全日本選手権までの間、どのように調整されるのか心配なところである。

コロナ禍により、今シーズンは国際大会が全然開催できていない。12月の全日本選手権が、梨花ちゃんの初戦になる可能性もある。新しいプログラムを念入りに準備しているのは、今年のプログラムを北京オリンピックまで使うことを視野に入れてのことかもしれない。

さて、GPSフランス大会の中止が発表されたのを受けて、SNSに新プログラムの一部が公開された。

まずは、ショートプログラム。最後のステップシークェンスの部分のようだ。片手側転を取り入れた振り付けが話題になった。ピアノ曲かと思っていたのだが、どうやらオーケストラ・バージョンを採用するらしい。

 楽曲は、ジェニファー・トーマス氏作曲の「The Fire Within」で、振付を担当したのが、ブノワ・リショー氏とのことである。ジェニファー・トーマス氏は、一昨年のフリー「A Beautiful Storm」の作曲者でもあるから、雰囲気が似ているのはそのためのようだ。


こちらは、フリー演技。今、話題のピアニスト清塚信也氏による「Baby, God Bless You」である。SNSには、清塚さん自身から、歓迎のコメントも投稿されていた。振り付けは、新コーチでもある「ステファン・ランビエール」氏とのことだ。


今シーズンのプログラムの特徴は、ずっと振付を担当していた「トム・ディクソン」氏が外れたことである。ステップ・シークェンスを見ただけだけど、ランビエール氏の振り付けは、もの凄く普通に思えた。これは良い意味で期待できる。梨花ちゃんのステーティングに、奇をてらったような演出は不要だからだ。

この動画は、清塚さんが気持ち良くピアノを弾いていて、それに梨花ちゃんが合わせているって感じがする。どんなリズムにだってハメてしまうのが彼女の運動能力の高さなんだけど、フィギュアの試合では、あまり評価されてないように思う。簡単な曲でも、完璧に合わせさえすれば加点されるのに、難しい曲を使って頑張っても、チョットのミスで減点される。それが最近のジャッジの傾向だ。

だから、理想を云えば、梨花ちゃんが気持ち良く滑って、それにピアノ伴奏を付けるというのがベスト。フリー演技は4分間だから、楽曲も当然4分に編集するわけで、是非とも、清塚さんご自身に演技用バージョンの編曲・演奏をお願いしたいものである。

Baby, God Bless You のオーケストラ・バージョンを貼り付けさせていただいて、お終いにしようと思う。オーケストラ・バージョンも諦め難い。この楽曲を、清塚信也氏に4分間に編曲してもらって、ご自身にピアノを演奏していただくか、指揮をしていただければ、最高のフリー楽曲になると思うんだが。

2020年10月25日日曜日

四国音楽祭で歌わなかった「丸山純奈」が、「糸」の弾き語りをSNSに投稿した話

 NHKの歌番組「もっと四国音楽祭2020」が10月23日に四国地区限定で放送されたようだ。丸山純奈さん(すーちゃん)は、この音楽祭に2018・2019と2年続けて出演していたので、もしかしたらと淡い期待を抱いていたのだが、今回は歌無しのVTR出演だった。ステージで歌わなかったのはコロナ禍のためと思うのが普通なんだろうけど、今のすーちゃんは充電中(休業中?)だから、コロナ禍でなくとも、歌わなかったかもしれない。もし、歌うのであれば、やり方なんて幾らでもあるわけだから、歌わなかったのは、やはり大人の事情によるものなんだろう。

VTRのすーちゃんは、垢抜けようとしていたし、話す言葉にも淀みがなかった。徳島の中学生だった頃と印象が違ったのは、お化粧よりも、徳島訛りを封印していたからだろう。

自粛中は、ギターの練習をしたり、曲作りに取り組んでいたらしい。皆に聞いてもらえるように頑張るとのことなので、気長に待つこととしよう。

で、これだけだったら特に取り上げることもなかったのだが、10月17日に母親のアカウントから鼻歌・・・弾き語りを投稿したりするものだから、何事かと驚いてしまった次第である。

どうやら、現在公開中の映画「糸」を見て感動したので、主題歌を口ずさんでしまったとのようだ。「糸」といえば、菅田将暉さんと小松菜奈さんのW主演映画で、二人がリアルでもお付き合いしているとの報道でも話題になった作品である。

僕は、ドラマでも映画でも、人を泣かせることを目的とした作品は苦手なので、この5分間のMVで既にお腹イッパイなのだが、良い映画なんだろうなってことは分かる。

映画「糸」は、中島みゆきの楽曲をモチーフにして制作された映画とある。楽曲の「糸」が作られたのは1992年だそうだから、28年も前の話だ。このアルバム収録曲は、様々なアーティストにカバーされながら、じわじわと広まり、職場の忘年会でカラオケにいくと、誰かが必ず歌うという神曲へと成長した。僕は、最初に聴いたとき、中島みゆきが久し振りに新曲でも出したのかと思った。そういえば、音楽チャンプで「琴音」さんも歌っていたと思う。


丸山純奈さん(すーちゃん)は、自身のSNSを突然停止した後、しばらくして、母親のアカウントで発信するようになった。発信するんだったら、ちゃんと自分のアカウントですれば良いのにって思うんだが、何か大人の事情でもあるのだろう。だからと云って、母親のアカウントなら良いと云うのも可笑しな話であるけど。

で、今までの発信は、東京での高校生活を満喫してます的なものだったが、今回、鼻歌とはいえ歌唱を投稿したのは、サプライズだった。丸山純奈さんは、休業中とはいえ、トライストーン・エンタテイメント所属のタレントである。僕の感覚では、プロの歌手が鼻歌をSNSに投稿するなんてのは、通常有り得ないことだ。これは、何かの前振りなのであろうか。

投稿された歌は、劣悪な環境で録音されたものにしては、良く歌えてる方だとは思う。ただ、ファンは喜ぶかも知れないが、その程度のデキに過ぎない。これを絶賛してはいけない。

SNSもそうだけど、やるんだったらちゃんとやって欲しい。ステージには立たないけど、鼻歌は投稿しますなんてオカシな話だ。僕は、デビューするまで待てと言われれば待つし、歌を聴きたければ金を払えと云われれば払う。その変わりプロとして恥ずかしくないものを提供して欲しい。それがタレントとファンとの普通な関係だろう。

とは云っても、すーちゃんが自分の歌を聴いて欲しいと思っていることが確認できたのは、嬉しい限りだ。もしかしたら、「糸」は四国音楽祭で歌うつもりで準備していた曲だったのかもしれない。で、ステ-ジで歌えなくなったので、SNSに投稿したとか・・・そうかもしれないし、そうあって欲しい。すーちゃんも、もうすぐ17才だ。と云うことは、この投稿は、丸山純奈さん16才の唯一の歌唱になるかもしれない。

「糸」がロングヒットしているのは、性別や年齢を問わず、その時々の歌い手に似合う曲だからである。きっと、すーちゃんは、歌手「丸山純奈」として、ちゃんとしたステージで、この歌を歌い直してくれるだろう。楽曲もまた、彼女の登場を待っている。

2020年10月18日日曜日

「筒美京平」作曲「AMBITIOUS JAPAN !」TOKIO&JR東海

作曲家「筒美京平」さんが10月7日、80歳で逝去されました。僕らは、筒美京平さんと都倉俊一さんの曲を聴きながら大きくなった世代ですから、やはり、筒美さんには特別な思いがあります。

でも、亡くなられたというニュースを聞いて、どんな方だったかなぁって思い返しても、思い出せなかったんですよね。写真を見てもピンとこない。都倉俊一さんは分かるのに何でだろうって考えたんですけど、メディアには全く出なかった方だと知って納得しました。だから曲と名前しか知らなかったんだって。

ちょっとググっただけでも、知っている曲が次から次へと出てきて、今更ながら驚いた次第です。で、どの曲を取り上げさせていただこうかなって、リストを眺めていたんですけど、「また逢う日まで」とか「魅せられて」だと世代的にはちょっと上な感じだし、近藤真彦は個人的に許せないし、なんて思っていたら、「AMBITIOUS JAPAN !」が出てきたんですよ。これもそうだったんだって、再び驚いた次第です。

2003年10月リリースっていうから、筒美さんが60才過ぎてからの作品だったんですね。恐らくこれが、最後のビックヒット曲になろうかと思います。

作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平とありましたから、大企業のJR東海が、旬をとうに過ぎた大御所を引っ張り出してきて作ってもらった曲、っていうイメージなんですけど、疾走感のあるメロディーが新幹線にバッチリはまって格好いいこと此の上ありません。TOKIOにとっても、バンドとして一番格好良かった頃でしたから、全てが見事にはまったんだと思います・・・っていうか、筒美さんが、はめたんでしょうね、きっと。御本人は、してやったりって思っていたかもしれません。

どんなに才能のある人でも、多産な時期を過ぎると、創作能力がだんだんと衰えてくるものなんですけど、63才でこんなに格好いい曲をかっ飛ばした筒美京平さんって、本当に凄かったんだなって、三度驚いた次第です。

この辺の奴らってのは、子どもの頃から毎日、富士山と新幹線を見て育ってきたんで、逆に、新幹線には特別な想いってのが無いんですけど、自分や家族や周りにも通勤や通学に新幹線を使っている人がたくさんいるので生活の一部みたいになっています。東京に出かけるときも、行きは東海道線や高速バスを使って節約しても、帰りは疲れるから新幹線でってことも多いんですよ。

でも「AMBITIOUS JAPAN !」は、「のぞみ」のCMソングで、静岡県には、のぞみは1本も停車しません。駅のホームで「こだま」を待っているときに、颯爽と通過していく「のぞみ」を見て格好いいなぁって憧れてるのが、僕ら静岡県人なんです。まあ、疾走する「のぞみ」をこんなに間近に見られるのが、静岡県人の特権・・・ということにしておきましょう。小田原駅とかで、通過する「のぞみ」を待つために、10分近く停車させられている時は腹立ちますけどね。

で、YouTubeに溢れている「AMBITIOUS JAPAN !」の新幹線動画からセレクトしたのは、これ。テーマは、静岡県を通過していく「のぞみ」です。

車内清掃が終わるのをホームで凍えながら待ち、乗り込むと音も無く発車。車内放送から流れてくるオルゴール調にアレンジされた「AMBITIOUS JAPAN !」。

筒美さんが亡くなり、TOKIOは空中分解しちゃったけど、700系が走り続ける限り、このメロディーは流れるんだろうな。


で、思ったんですけど、僕、新幹線には何十回、もしかしたら何百回って乗っているんだけど、「のぞみ」って1回も乗ったことが無いかもです。岡山に行った時も「ひかり」だったし・・・(悲)

2020年10月17日土曜日

黒島結菜「時をかける少女2016」 その4 ~最終話は黒島結菜10代の集大成だった~

ついに「時をかける少女2016」最終話のTVer無料配信が終わる。

「時をかける少女2016」は、10代の黒島結菜の集大成だった。代表作「アシガール」の彼女は、その延長線上にある。もし2つのドラマに評価の違いがあるとしたら、それは共演者によるものだろう。

まずは「恋を知らない君へ」。このドラマのエンディング・テーマだ。どや顔で歌う「手越」が癪に障るが、上手いのは認めざるを得ない。

最終話は、たくさんの別れを詰め込んでいたので、慌ただく感じた。せめて、放送枠があと10分あればと思った。もしかしたら、拡大版で放送する予定で作っていたけど、(視聴率が悪くって)通常枠になったのかもしれない。(完全な妄想だけど)


全5話の中で良かったのは、エピソード編の第2話。通常の連ドラみたいに8話とか、10話の構成だったら、このような一話完結のエピソードをいろいろとやったんだろうなって思う。


一番面白かったのは第3話だ。これぞ黒島結菜って感じだった。視聴率が大爆死した第3話が一番面白いってのも皮肉な話だが、調べてみたらこの回だけ演出が違ってたから、僕と演出との相性の問題なのかもしれない。

最終話は、感動の場面での台詞が多すぎたように思う。説明しなくても視聴者はちゃんと分かって感動しているのだから、もっと、視聴者を信じて欲しかった。

「大切な人のために、初恋なんて喜んで捨ててやろう」の前後の台詞は不要だし、「ずっと一緒に居たいに決まってんじゃん、そんなの」の後は、視聴者と一緒に泣いているだけで十分だ。ラストシーンも、せっかく良い顔で終わってるんだから、最後の3人の変顔ショットは邪魔でしかない。

深町と母親との別れのシーンは良かったけど、肝心な芳山とのシーンの演技は・・・と思った。まあ、これは、菊池風磨君がどうと云うよりも、場面の相方を務めている、女優「高畑淳子」と「黒島結菜」の格の違いによるものだろう。

それから、初恋という言葉にこだわり過ぎていたように思う。旧作の芳山の設定は高校1年生で、主演の原田知世さんの実年齢は15才だったから、少女の淡く儚い恋のイメージに合っていたけど、2016の芳山は受験生の高校3年生である。第1話での吾朗の告白だって、プロポーズに近いものだった。もう、笑い飛ばせるような、たわいない恋ではなかったはずだ。大人の恋の始まりという設定でも十分だったように思う。

ただ、これらは番組を愛するが故の批判であって、逆に云えば、これ以外は良くできていたと思うし、さすがに僕は号泣しなかったけど、楽しく視聴することができた。

旧作の芳山は、記憶を消されてしまうという立場だった。深町が未来に帰った後も、心の底でずっと失恋を引きずっている切ない終わり方だったのに対して、2016の芳山は、自らの意思で深町を未来に帰し、前向きな気持ちで夏をやり直そうとしていた。ハッピーエンドでは無いにしても、深町と出会ったことを幸せと思える終わり方になっている。旧作の落ち着いた尾道の町並と、2016の開放的な伊豆の夏の景色が、二つの作品をさらに対照的なものに演出していたように思う。

「時かけ」は、若い3人の俳優で話を回していく物語だ。ベテラン俳優に頼ることができないから、若き主演女優「黒島結菜」のプレッシャーは、かなりのものだったはずだ。そんな中で、ストライクゾーンにキレの良いストレートをがんがん投げ込んでくるような、彼女の魅力は十分に引き出されていたと思う。

原作が同じで「時かけ」を名乗るからには、2つの作品の優劣が語られることは致し方ないけど、黒島が脆くて壊れそうな少女の恋心を表現できないように、知世ちゃんだって溌剌とした天真爛漫さは演じられなかっただろう。両方を好きだと云える自分は幸せな奴だと思うし、僕の住んでいるところが、あの有名な尾道と同じくらい素敵な街なんだって再発見できたことも嬉しかった。

最終話で、一番良かったのは、ラストで芳山と吾朗が進路について話しているシーンだ。二人とも本当に良い顔をしていた。結局、この二人ってどうなるのだろう。兎に角、吾朗が良い奴過ぎて、何のフォローも無しに終わるのは残念すぎる。説明過多な最終話に於いて、最後の最後に視聴者を突き放したような終わり方にモヤモヤしてしまった。吾朗のためにも、いつか、竹内涼真と黒島結菜で、最後はちゃんと結ばれる、本気の大人の恋の物語を作ってやって欲しい。

お終いは、やはりこれ。この手の動画では異例の再生数2,114,914 回、高評価23,953、低評価237、イイね率99%。「時をかける少女 2016」とアニメ版主題歌「変わらないもの」のコラボ動画だ。良くできていると思う。

2020年10月16日金曜日

紀平梨花 今季FS「Baby, God Bless You」には期待しかない

 先日、ネットニュースにフィギュアスケーター本田真凜選手の記事が掲載されていた。東京選手権のフリー演技で、違う曲のCDを提出しちゃったそうだ。差し替えも間に合わず、そのまま演技することになったものの、どうにかまとめて結果は7位。東日本大会には進めるらしい。まあ、東京選手権のような地方大会の出来事がニュースになるのも、その演技がYouTubeにアップされているのも、本田姉妹ならではである。

ファンは即興力を褒め称え、アンチは失態を蔑むのは、予想どおり。ちょっと安心したのは、キスアンドクライでの彼女の表情が明るかったことだ。まあ、それはそれで、スケートに真剣に取り組んでいないとか云われちゃうんだけど。

即興的演技構成で審判団がパニックになったみたいで、得点が出るまでの時間が異様に長かったけど、演技構成点が53.33(80点満点)もついたのは面白かった。フィギュアスケートってのは、音楽に合わせて、演技構成(ジャンプ7本とスピン3つ)をこなせば、それっぽくなるってことなんだろう。

いつもの年だったら、今シーズンの演技のお披露目も終わり、国際大会も始まっているはずだけど、コロナ禍で全く先の読めない情況にある。フィギュアスケート界というのは、練習拠点とか、コーチとか、国境や国籍の壁があまりないのが良いところだったんだけど、今はそれが、裏目に出ちゃっている感がある。

梨花ちゃんも、オーサー氏に師事する話とか、プルシェンコ氏のチームに入る話とか、いろいろ出ていたんだけど、ステファン・ランビエール氏の夏季合宿に参加して、そのまま、コーチングを受けることに決まったらしい。濱田コーチも引き続き登録されているってことは、日本に滞在中の間は、濱田コーチのリンクで練習するってことだろう。

それにしても、ヨーロッパ人には、ソーシャルディスタンスという概念がないらしい。

グランプリシリーズは、フランス大会に参戦する予定だそうだ。開催地は、ウィンタースポーツの聖地グルノーブルだから、凄い楽しみなんだけど、ヨーロッパでは、新型コロナウィルスの感染が再び広がっているようだから、開催中止になる可能性も高い。全日本選手権のことを考えれば、早めの帰国もありえるし、そうして欲しいと思ってる。

で、先日、音楽に動きを合わせるとそれっぽくなるという動画を見つけた。今シーズンの紀平梨花選手のフリー演技の音楽に、昨年の国別対抗のSPの演技映像を合わせた動画である。

楽曲は、話題のピアニスト「清塚信也」氏が作曲した、ドラマ「コウノドリ」より“Baby, God Bless You”だ。本当の振り付けは、新コーチ「ステファン・ランビエール」によるものだが、全然公開されていないので、2019年の国別対抗SPの動画を合わせて作ったらしい。

ショート・プログラムの本当の楽曲はドビュッシーの「月の光」。この時、梨花ちゃんは、当時の世界最高得点を叩き出した。昨シーズンは、ショートもフリーもへんてこりんな楽曲だったから、次は、クラシックか映画音楽みたいな王道のプログラムが良いなと思っていた。ずっと、こんな梨花ちゃんが見たいと思っていたから、合成映像とは云え嬉しい限りである。

そう云えば、ドビュッシーの「月の光」はピアノ曲だけど、梨花ちゃんはオーケストラバージョンを使っていた。ってことは、「Baby, God Bless You」もオーケストラバージョンを使うってことか。

コロナ禍が収って、アイスショーができるようになったら、清塚信也氏の生ピアノで滑って欲しい。クアド・サルコウも、トリプル・アクセルもいらない。今ならはっきり云える。紀平梨花のスケーティングが好きだ。

2020年10月10日土曜日

黒島結菜「時をかける少女2016」 その3 ~夏の大三角関係~

 カレーライスの一番美味しい作り方は、説明書どおりにキッチリ作ることらしい。良かれと思ってやってるアレンジは、結局は余計なことなんだそうだ。とは云っても、アレンジしたくなるのが、今も昔も変わらない作り手の心情である。

「時かけ2016」で云うならば、そのアレンジは「あからさまな三角関係」と「主人公の天真爛漫さ」であろう。「時をかける少女2016」は「時かけ」×「三角関係」+「コメディー」って分析できると思う。今回は、原作からあまりにもかけ離れた3人と、演ずる3人の俳優について、いろいろ妄想してみた。


1.この仕打ちから立ち直れた浅倉吾朗ってホントに良い奴

まずは、三角関係の一角、「竹内涼真」さん演じる「浅倉吾朗」だ。芳山の幼馴染みである吾朗は、原作や旧作でも芳山に好意を持っているが、その態度は素っ気ない。単なる友人とは異なり、かといって恋人同士でもない、幼馴染みという関係をよく描写しているように思う。

幼馴染みが結婚まで至るってのは、漫画や小説の話で、実際の世の中では、そう多くはないだろう。子どもの頃だったら、近所に異性の友達がいることは珍しくないけど、思春期になれば自然と離れていくものだからだ。時かけ2016で、芳山と吾朗の幼馴染みの関係が高3まで続いたのは、芳山が吾朗を異性として意識していなかったからである。

一方、吾朗は、物心ついたときから、ずっと芳山のことが好きだったという設定になっている。私立の進学校でなく、県立高校に進学したのも、ボート部に入ったのも、芳山と一緒が良かったからだ。医学部志望なのに、文系のクラスにいるのも、同じ理由からだろう。ここまでくると、ちょっとヤバい。ドラマに出てくる県立藤浦東高校は、そこそこの進学校みたいだから、同じ学校に進学するのは良しとしても、部活やクラスまで一緒という歪な関係はいただけない。恋人になったとたんに崩壊しそうな感じだ。もしかしたら、芳山も本能的にそれを感じているのかもしれない。

七夕祭りでの告白は、タイムリープを使われて無かったことにされてしまったが、まあ、一度離れる良い機会だろう。この二人は、それぞれの進学先で、新しい彼女や彼氏を作った方が良い。何年か後に同窓会で久し振りに会って・・・みたいな話になるんだったら、それもアリだと思うけど。

彼のヤバさが、視聴者に伝わらないのは、俳優「竹内涼真」君の爽やかな演技のせいだ。最近は、週刊誌報道で好感度も微妙な涼真君だが、役者としては、3人の中で一番上手い。第3話での公開プロポーズでは、かなりツラい役どころだったが、揺れ動く感情を演じきり、多くの視聴者を味方につけてしまった。これは、フラれ役としては、逆に失格。明らかなミスキャストであろう。

涼真君が左利きなので、この並び。どう見ても大学生と高校生のお似合いカップルである。仲良し兄妹にも見える。ちなみに、菊池風磨君も左利きで、矢野先生を演じている加藤シゲアキさんも左利きらしい。

ヤバかった吾朗は、第4話で人間として一回り成長することができた。家出を止めようとタイムリープしてきた二人を受け入れる器の大きさ、周りの期待に応えようと努力する優しさ、そして、恋のライバルである深町に対する誠実さ、ホントに良い奴としか云いようが無い。


第4話に、芳山がプールサイドに寝転び、星を見る場面がある。夏の大三角形のベガとアルタイルは七夕の織姫と彦星でもあるし、芳山と深町が初めて出会ったのは七夕の日だった。とすると、吾朗は白鳥座のデネブということか。

織姫のベガは、天頂付近にあって、明るいのでよく目立つ。夏の大三角形は、不等辺三角形で、実は、ベガに近いのは、アルタイルではなくデネブの方だってことを思い出した。デネブが、二人を近くで見ているような立ち位置にあるのも面白い。


2.チャラさに隠された深町翔平の純心

原作の深町のイメージは、冷静で神秘的な雰囲気を持つちょっと大人びた高校生ってところだろうか。それから比べると、時かけ2016の「菊池風磨」君演じる「深町翔平」は、真逆で違和感ありまくりだ。旧作のファンは、これだけでリタイアしてしまうだろう。このドラマのキャラ設定は、アニメ版に近いそうだが、アニメは原作から20年後の話だから深町では無い。

原作や旧作でも、深町は記憶操作をするが、それは自分がこの世界で生活するために必要だからである。ところが、2016の深町は、芳山の関心を引くために記憶を操作したかのような描写がある。幼い頃、犬に追いかけられた芳山を吾朗が助けたことがあった。深町は、それを自分が助けたことにすり替えるのだが、旧作では、深町が幼馴染みに成りすます過程で自然と記憶が変わったような描写だったはずだ。2016では、何で、あんな酷いやり方で記憶を乗っ取ったことにしたのであろう。あれでは、視聴者は誰も(菊池風磨担以外)彼を支持しなくなってしまう。対する吾朗が誠実な男として描かれている分、余計に彼が卑怯な男に思えてしまうのだ。

とは云え、未来は恋が存在しない世界という設定は、それなりに面白い。時かけ2016は、恋を知らない未来人が現代にやってきた物語だ。そういう視点でドラマを見ていると、深町という男の印象も変わってくる。

深町は、吾朗が芳山に告白しようとしている話を聞いて、恋愛に興味を持ち、肉食男子入門というへんてこりんな指南書で学び始めた。彼には全てが新鮮に思えたであろう。夏祭りで事故に遭い、芳山にピンチを助けられたことで(指南書の通りに)芳山への恋が芽生える。

彼の行動が、一途に突っ走っているのは、純粋な心の持ち主だからであり、非常識に思える行為は、彼が恋愛に関して無垢だからだ。ドラマ中にも、そういうシーンがちょいちょい挟み込まれているのだが、それが視聴者に伝わらないのは、彼のチャラ男設定にある。このキャラクター設定のために、彼があざとい方法で、吾朗から芳山を横取りしたかの印象を与えてしまうのだ。

そもそも、第1話で芳山は吾朗の告白を受けなかったのだから、深町が芳山に告白することは、裏切りでもなんでもない。ところが、第3話での公開プロポーズでは、ジャーニーズファン以外の視聴者の多くを敵に回してしまった。これは、王子様役としては失格。明らかなミスキャストであろう。

深町と吾朗の対照的なキャラ設定は、面白いわけだから、そのまま配役を交換したら、しっくりきたように思えてならない・・・まあ、それだと当たり前すぎるけど。


3.黒島のウザ可愛いキャラの原点、芳山未羽

ヒロイン芳山未羽のキャラは天真爛漫の一言に尽きる。これも旧作とは真逆の設定だ。リアルな黒島結菜さんは、物静かで大人しい女性とのことだが、最近のドラマでは元気な女の子を演じることが多い。で、その原点が、この芳山未羽にあるように思う。

芳山は、とにかくキャンキャン怒っているシーンが多い。「怒」というのは人間の醜い部分だけど、これを嫌味無く演じられるのが、女優「黒島結菜」の良さだ。(だから、同じような役ばかり回ってくるのだろうけど)火事を予言したことから、放火の疑いでしょっ引かれ、取り調べの刑事に臆することなく、タイムリープできると言い張るメンタルの強さも、小気味よい。

芳山が振り回しているNikon F3は、シャッターを押す度に手動でフィルムを巻き上げるマニュアルカメラだが、そんな動作も自然にできてるのも可愛・格好良い。ファインダー内の表示が、何を撮るときも絞り5.6でシャッタースピード250分の1なんだけど、まあ、そこはよしとしよう。手動でピントを合わせている描写があれば完璧だったのに。

写真が好きで、写真を学べる東京の大学に進学したいと語る設定は、リアルな黒島結菜さんそのものである。彼女が、日テレ新土曜ドラマの主演に抜擢された時、これを時期尚早と見る人も多かったから、代役だったのではという噂もあった。しかし、役のハマリ具合を見ると、芳山未羽は、彼女のために用意された役柄に思えてならない。

高校の夏服は、シンプルすぎるポロシャツだが、ショートカットで、黒い大きな瞳がクルクル動く黒島が着るとホントに可愛い。ただの白いポロシャツがこんなに似合う女優なんて、そう多くはないだろう。


幼馴染みの吾朗には、友情しか感じない芳山だが、コンビニのチャラい大学生にうつつを抜かしたりしているから、男性に興味が無いわけではないらしい。

それにしても、吾朗からの告白の受け流し方は酷い。時間を戻された吾朗には「告白したかったけど邪魔が入ってできなかった」という記憶が残るだけだが、ドラマを見ている側からすると、告白してはタイムリープして無かったことにされるシーンが何度も続くわけだから、竹内涼真君がマジで可哀想になってきて、見ているのがツラかった。で、挙げ句の果てに、目の前でキスシーンを見せられるのだから、たまったものではない。

芳山は、なぜここまで吾朗を邪険にするのだろう。やはり、この二人は、一度離れるべきである。芳山だって、他の男と付き合ってみれば、吾朗の良さも分かろうと云うものだ。

物語の最終回、芳山は、深町を未来に返すために、7月7日の理科準備室にタイムリープした。そこで全てをリセットして物語は終わる。深町との初恋は想い出だけになった。

リセットされたということは、失恋を乗り越えた吾朗の成長もなくなってしまったということだ。やり直される、深町のいない夏。吾朗は、七夕祭りで芳山に告白するだろう。芳山には、今度はきちんと受け止め、自分の気持ちをちゃんと吾朗に伝えて欲しい。

今から逃げない・・・この夏、一番成長したのは「芳山未羽」だろうから。



お終いは、第3話のダイジェストとエンディングテーマ「恋を知らない君へ」で。

2020年10月5日月曜日

黒島結菜「時をかける少女2016」その2 ~2016はタイムリープのおもちゃ箱~

タイムワープに関する思想は様々で、相反するような概念も存在する。だから、物語を構築するにあたり、どの世界観を採用するのかは、大切なことだ。では、「時をかける少女2016」では、どの様な思想が使われているのだろう。(一応、ネタバレありですけど、内容的には取り留めも無い雑感です。)


「アシガール」のように時間差が何百年になる物語と比べ、「時かけ」のような短いスパンのタイムリープは綻びが出やすい。

例えば、自分が存在している過去にタイムリープした場合、過去の自分はどうなるのであろうか。時かけ2016では、同時に2人の自分は存在していないから、過去の自分と入れ替わるという設定のようだ。ただし、これだと、自分が子どもだった頃にタイムリープした場合は、子どもとなって現れなければならないが、7年前にタイムリープしたときは、現在の姿のままだった。つまり、11才の芳山は、存在し続けていたということであろうか。複数の異なるタイムリープの思想が、都合良く使われていることの好例である。


第5話では、過去にいる人物に話しかけ、その人の行動をわずかにズラすことによって、出会うべき人と出会わなくなり、その後の人生を大きく変えるという場面が出てくる。これは、バタフライ効果と言われているタイムトラベルの思想だが、これを採用しているのであれば、頻繁にタイムリープをしている芳山は、過去に多大な負荷を与えていることになり、その後の時空に大混乱が起きていなければならない。

このように、タイムリープは、その概念自体が矛盾をはらんでいる以上、どんなに丁寧な論理構築をしても綻びは必ず出る。タイムトラベルの物語で、論理的矛盾を指摘するのは容易いし、見つけたとしても何の自慢にもならない。重要なのは、ストーリーとの兼ね合いである。ある程度の思想の統一性は必要だとしても、物語が面白ければ、視聴者は多少の違和感なんてスルーしてくれるはずだ。


「時かけ2016」には、様々なタイムトラベルの思想が混在していて、芳山は、おもちゃ箱で遊ぶ子どものように、タイムリープをしまくる。
それにしても、芳山のタイムリープの使い方は度を過ぎている。やりたい放題にも程がある。ドラマのキャラクター設定は、アニメ版に近いと云うことだが、まあ、あれだけ天真爛漫な女子高生に、この能力を与えれば、こうなるだろうって予想は付くけれども、使用制限を付けた方が良いんじゃないかってくらい酷い。

タイムリープによる結果は、分岐型パラレルワールドではなく、時間の上書きに近い。同時期に複数のタイムリープを行った場合は、最も新しい結果だけが、記憶されていくようである。(ただし、タイムリープした者だけは、全ての記憶を保持している。)これは、「サクラダリセット」で云うと、浅井ケイの「記憶保持」と春埼美空の「リセット」(しかも制限無し)の能力を一人で身につけているようなもので、最強の能力と云える。

芳山がタイムリープしている間、現在の彼女は消滅し、時空は、彼女が存在しないまま進んでいる。彼女が過去から帰らないまま、時間がタイムリープした時点まで進んだ場合、先行している時空はどのように存在しているのであろうか。
時空が上書きされるという思想が矛盾無く展開できるのは、タイムリープした本人の視点からだけであり、そういう意味では、極めて自己中心的な思想であると云える。

さて、芳山は、第1話で一応の反省はするのだが、第3話の学園祭の時だって、結局は、自分たちのワガママを通したに過ぎない。失敗しても、いつでもやり直せるという生き方は(記憶は残っているので、同じ事をもう一度やらなければならないと云う、肉体的精神的ストレスはあるにしても)好感の持てるものではない。

しかし、このドラマで描いているのは、「やり直せる」よりも「失敗したくない」に思った。失敗したくないは、現代の社会に蔓延している風潮だ。いつからか、僕らは失敗することを極度に嫌って生きるようになってしまった。ドラマ視聴でも、失敗したくないから先にネタバレを読んでから見るって人も多いと云う。何をするにもネットで調べて、間違いの無いように行動しようとする。第3話で、失敗の無い青春に価値はない、って台詞が出てくるけど、それを信念と云えるものにするのは簡単なことではない。


物語のラストシーン。芳山は、「恋を知らない君へ」と名付けた一冊のアルバムを持って理科準備室にタイムリープしてきた。これから起きるはずの未来を写したアルバムを開き、語り合う二人。タイムリープで歴史を変えたとしても、写真は残るという設定が、ここで生かされている。「私たち、恋人同士だったんだよ。」・・・記憶喪失を扱った物語とかでも使われる陳腐なシチュエーションだけど、10代の黒島が言うと可愛く切ない。

深町もまた一冊の写真集を持っていた。「夏を知らない君へ」・・・彼はこのアルバムに魅せられて過去にタイムリープしてきたのだ。そして、それは、未来の深町に贈るべく、彼女がこれから作ることになる写真集だった。起きるはずだった未来と、これから起きる未来。2つのアルバムを対比させて物語はオープンエンドとなる。

過去と現代、現代と未来をループさせるというオチは、タイムトラベルの定番な終わり方である。以前「相対的時空論」で妄想させていただいたように、2つの時代をループさせるためには、互いが一義的に決定していなくてはならない。ところが、この思想で構築されたタイムトラベルの物語は極めて少ない。未来を確定してしまう「つまらなさ」を克服できないからだ。結局、この思想をオチの部分だけに使おうとするから、違和感を与えたまま終わってしまうのだ。


大切な人を守るため、芳山は全ての始まりとなった7月7日の理科準備室に帰ってきた。ここから、もう一度、高校3年生の夏をやり直すことになる。今度は深町の存在しない、そしてタイムリープができない夏だ。「時かけ2016」は記憶は残る設定だから、芳山だけが2つの夏の記憶を抱えて生きていくことになる。初恋の記憶を消されてしまう原作や旧作とは真逆の結末だ。

タイムリープしたものだけが、全ての記憶を抱えて生きていく・・・これが幸せなことなのか、僕には分からない。