2018年8月26日日曜日

行っても無いのに「丸山純奈」の「MONSTER baSH ’18」をレポートしてみた

今回は、8月18・19日に開催され、丸山純奈さん(POLU)も出演した「MONSTER baSH 2018」を、ツイッターでの投稿写真を頼りに、妄想していきたいと思います。

行っても無いライブを語ってどういうつもりなのか、と云う意見もありましょうが、松浦亜弥ファンの一人として、会ったことも無い彼女の記事を150本以上書いてきましたからね。まあ、僕にとっては、普通のことであるわけです。
POLUファンの皆様、事実と異なる記述がありましたら、是非ともコメントお願いいたします。

では、さっそく一枚目。


ここが「POLU」の皆さんが演奏する「茶堂ステージ」のようですね。
公式ホームページによると・・・。
安らぎとくつろぎの空間に存在するステージ。アコースティックを中心に、ライヴを近い距離で感じることが出来ます。ゆったりと音楽を楽しんでください。
なるほど、ロックフェスと云うと、若者たちが拳を振り上げて飛び跳ねているイメージなのですが、そういうところばかりでは無いようです。

で、公式ツイッターからの写真です。お顔がバッチリ写ってますけど、入り口とかに「取材が入ってますからご了承ください」みたいな掲示があるんでしょう。


POLUのライブは、マッタリした雰囲気で始まったと聞きましたけど、その通りのようです。みなさん座って聴いているようですから、小さい子でも大丈夫みたいですね。
まあ、欲を云えば、座っていられないほどたくさんの観衆に集まって欲しいところですが、初出場だし、ロックファンには未だ馴染みが無さそうだし、しかも初日のトップバッターですからね。

POLUさんのツイッターからの写真です。後ろの方には立ち見のお客さんもいるようです。純奈さんも「フェスは怖い。(観客に)帰られたら。」みたいなことを言ってましたから、この写真を見たときには、関係者でも無いのにホッとしましたです。
観客は、200人ってところでしょうか。ここを出発点として、ビッグになっていくのを楽しみとしましょう。


主催者さんからすれば、茶堂というのは、この様なマッタリとしたライブをするために設けられたステージのようですから、POLUは、茶堂にもっとも相応しい出演者だったと云えましょう。

今回のセットリストは、「Sing」「夢見る虹色」「Lily」「ミズイロ」「おまもり」というミニアルバム「145」の4曲に「ミズイロ」を加えた、この夏お馴染みの5曲だったようです。「Sing」と「おまもり」という、温和しめの2曲を前後に持ってきたということは、やはり茶堂というステージを意識したのかもしれません。


今回のMCは、バンさんが担当したとのことですから、純奈さんとの親子漫才は封印したようですね。
MCでは、昨年の最終審査で落選したことを語ったそうで、よほど悔しかったんでしょう。まあ、同時期に行われた「Mステへの階段」では優勝したわけで、オーデションでは癒やし系の「すーちゃん」をどう評価するかで、結果は大きく変るってことですね。

そんな「すーちゃん」がボーカルを担当する「POLU」のステージは、やっぱり座って聴くのが似合っているのかもしれません。おじさんとしても、その方が助かります。ライブハウスでのスタンディングって、始まってしまえば良いんですけど、待っている間もずっと立ってるのがキツいんですよね。場所を確保するために、外すわけにもいかないし・・・。ライブハウスの床に将棋盤みたいな線を引いて、あなたの場所は此処ですよって、指定してくれれば良いんですけど・・・・って、だったら丸山純奈さんのソロイベントに行けば良いのかw


今後も、たくさんのフェスに出演することと思います。丸山純奈さん、歌唱についてはプロのアーティストにも引けを取りませんけど、ステージングに関しては、まだまだスタートしたばかり。そういう意味でも、この夏のフェスで、プロの方々のステージを間近に見ることができたというのは、良い刺激になったのではないでしょうか。


こんな写真がありました。写真のお方は「ファンキー加藤」さんでよろしいんでしょうか。


ロック大好きなお父さんに連れられた娘さんのようですね。年齢的にも親子で違和感ないと思います。このまま二人で会場を歩いていても、誰も出演者だとは思わないでしょう。


これは、シュールですねえ。POLUのお兄さんたちが、完全に普通です。こんな感じで、僕の町を歩いていたら、女の子は補導の対象になるはずです。KenKenさんは、Dragon Ashのサポートベーシストとして参加していたようです。そういえば、POLUもベーシスト不在のバンドですけど・・・・キャラ濃すぎですね。全部持って行かれそうです。


音楽チャンプの審査員「田中隼人」さんのツイッターからの写真になります。出演者パスを首にかけてますけど、デジカメぶら下げてるし、うどんとか食べてるし、どう見てもタレントとファンの2ショットです。

田中隼人さんは、「ファンキー加藤」さんのサポートミュージシャンとして参加されていたようです。音楽業界では裏方のお仕事をされている田中さんですが、なかなかのイケメンですので、タレントとしての人気も高いようです。聞くところによると「はやや」とか呼ばれているそうですけど、似たようなニックネームをどこかで聞いたような気がします。かつては「w-inds.」の楽曲にも関わっていたとのことですから、「丸山純奈」→「田中隼人」→「橘慶太」→「松浦亜弥」と人脈をつなげていただけると、当ブログとしては、嬉しい限りです。

ネット情報誌「SPICE」でもPOLUのことが取り上げられていたそうです。これって、全部のバンドが紹介されてたわけじゃないので、POLUがそれなりに注目された存在だってことでしょうか。もちろん、ボーカルが中学生という物珍しさから来ていることは否定できませんけど、入り口がそうであっても、一度聴けば、彼らが実力を伴った本物であることは分かってくれるはずですからね。

記事によると、すーちゃんのことを「圧倒的な透明感と存在感を兼備した歌声」と書いてありました。まあ、誰が聴いても似たような言い方になるようです。POLUの演奏については、
丸山の綺麗な高音と、生命力のたぎる伸びやかな声。ボーカルの力を増長させる見事なアレンジ。全てが渾然一体となって新人とは思わせない、説得力のあるステージングを魅せた。
と、ありました。これは「おまもり」のことを云っているんでしょうかね。

お終いに今年の「モンバス」のダイジェストMOVIEです。1分52秒のところに写っている女の子が「丸山純奈」さんでは?という書き込みがありましたけど、


どう思いますかw

2018年8月22日水曜日

Wink。「思い出のメロディー」で、奇跡の再結成

何回かこのブログでも取り上げさせていただいたWinkですが、先日放送されたNHK「思い出のメロディー」にて、一夜限りとはいえ、10年ぶりに再結成いたしました。

まずは、再結成は有り得ないなどと断言したことをお詫びいたします。
                       
平成の始まりと共にブレイクしたWinkが、平成最後の「思い出のメロディー」に出演したというのも感慨深いモノがありますが、番組の収録が行われた翌日、Winkの生みの親である、プロデューサーの「水橋春夫」さんが逝去されたというのも、これまた、因縁めいたモノを感じます。

今回の番組における最大の目玉は、西城秀樹さんだったと思います。確かに「氷川きよし」さんの熱唱は感動モノでしたが、代役感は拭えませんでしたからね。
ここは、故人以外の話題が欲しいというNHKさんと、ポリドールレコードさんの30周年記念復刻版の販売促進という2つの思惑が、鈴木早智子さん、もしくは、鈴木早智子さんの再登場を妨げているモノ、或いは、その両方を動かしたということでしょうか。

さすがNHK、それでこそNHK。これからも、様々な思惑やしがらみを超越し、国民の想いを第一に考えた番組作りを心がけていただきたいものです。

番組内でも使われていた紅白の懐かしいテイクです。


今回の出演において、何より嬉しかったのは、「淋しい熱帯魚」だけでなく「愛が止まらない」も歌ってくれた(歌わせてもらえた)ことだと思います。ファンの皆さんも同じ思いではないでしょうか。NHKさんの粋な計らいに感謝です。

で、久々に登場された「鈴木早智子」さん。僕としては、想定の範囲内の真ん中やや低めくらいでした。でも、相方の「相田翔子」さんはともかく、共演した同年代の「荻野目洋子」さんとか「長山洋子」さんとも比較されてしまうのが辛いところです。(長山洋子さんが凄すぎだと思うけど)
特に、歌に関しては、かなり厳しかったと思います。ソロパートはどうにかって感じですけど、二人で歌うところでは、早智子さんの声は、僕には殆ど聴こえてきませんでした。
って云うか、ソロパートをどうにかってところまで、頑張ってもってきたんでしょうね。オファーをもらった段階では、もっと歌えてなかったのかもしれません。

まあ、「元気なのが確認できただけで良かった」なんて云うコメントもありますからね。出てくれば、劣化を揶揄されることは予想できたことですし、それを承知の上で、こうやって出てきてくれたわけですから。翔子さんの涙が全てを物語っていると思います。

今回のインパクトがどのくらいのものかは、僕には分かりません。でも、こんなちっぽけなブログでさえWink関連の記事へのアクセスがちょびっと増えましたので、それなりにあったのだと思います。

再結成については、相田翔子さんが「30周年という節目の年を迎えて、ファンやお世話になった方々への挨拶」みたいなことを云ってました。10月には、レコードを買ってくれた人を対象にトークイベントを開催、とありましたけど、継続的なライブ活動などは伝えられていません。22年ぶりの復活と云わずに、10年ぶりの再結成としたことからも、今回が1回限りの活動であることは間違いないと思います。

今回のステージにあたっては、スタイリストさんとか、メイクさんとか、振付師さんとか、当時のスタッフが集まって備えてきたそうです。思い出のメロディーは、伴奏がフルバンド構成でしたけど、ストリングスのアレンジは「船山基紀」氏が自ら再アレンジしたとのことです。たった数分間のステージのためにですよ。さすがNHKとも云えますけど、スタッフさんたちの「Winkは徹底した職人たちが作り出した世界」という想いと誇りは、ずっと変らなかったということなんでしょう。

Winkが故「美空ひばり」さんを押しのけて、レコード大賞を受賞したのは、平成という新しい時代の始まりと無縁ではありませんでした。その平成が過去の時代となり、Winkもまた、過去の存在となっても、YouTube上の動画群は、Winkの魅力をいつまでも伝え続けてくれてるわけで、ここにくれば僕らはいつでも彼女たちに会えるわけで。


絶頂期の鈴木早智子は半端なかったなあ、なんて語り合えるわけで。

2018年8月14日火曜日

丸山純奈の「メジャーデビューめざします」宣言に、戸惑うファンの話

昨日は、徳島の大型音楽イベント「エキサイティング・サマー・イン・ワジキ」の日だった。今年は、「家入レオ」さんがメインとのことで、歌唱力に定評のあるレオさんと、丸山純奈さんとの共演は魅力的だったのだが、如何せん徳島は遠すぎる。
それにしても、オープニング・アクトと云うステップをパスして、いきなり正規の出演者なのだから、徳島における「POLU」の勢いはたいしたものだと思う。
聞くところによると、雷による中断のために演奏順が変わり、「家入レオ」さんの後に「POLU」が出たらしい。ってことは、中学生がフェスのヘッドライナー!?w
レオさんが終わったところで帰ってしまう薄情者もいたようだが、大トリならではのアンコールもあったそうで、参戦した「あおぐみ」の皆さんが羨ましい限りである。


さて、中学生アーティストの(僕は詳しく知らないけど)「RUANN」さんが、トイズファクトリーからメジャーデビューするらしいのだが、それに関連して丸山純奈さんが「あたしも早くメジャーデビューできるように頑張ります。」とツイッターで発言した。
夢を追いかける姿があればこそ、周りにも夢を与えることができるわけで、タレント自身が夢を持つことは、絶対に必要なことなのだが、この発言がファンの間でちょっとした波紋を広げている。

寄せられたコメントの多くは「頑張ってね。応援するよ。」と云う、ファンの鏡といえる発言。で、これだけなら、話はこれでお終いなのだが、ファンの思いは、それだけではないらしい。

まずは「もう、メジャーデビューしてたんじゃなかったの?」という発言だ。
どうやら、「ドラマ」で配信デビューしたことや、Mステなどでテレビ出演をしたことをもって、デビュー済みという認識だったらしい。
デビューとメジャーデビューは少し違う。何をもってメジャーデビューとするかは、いくつか基準があるようだが、一般的には、ちゃんとしたレコード会社と契約することだと云われている。丸山純奈さんは、どこのレコード会社とも契約していない(だから無料配信?)はずだし、「POLU」のレーベル「AQUA CITTA RECORDS」は、地方のインディーズに過ぎない。

それから、「そんなに焦らんでもええよ。」というもの。
本人が「デビューしたい」と云ってるのに、「せんでもええ」と止めようとするファンもファンだが、「すーちゃんは今のままで良い」とか「上京して苦労すると思うと」と云った、年寄りが可愛い孫を心配しているかのような発言や、「今は受験勉強を頑張りなさい」という母親の気持ちを代弁しているような意見もある。

そして「えっ、したかったんだ?!」という驚きの声。
というのも、メジャーデビューを考えていたのであれば、音楽チャンプで注目されて、配信デビューした時が、最大のチャンスだったはずだからである。だから、今年の4月に上京するのではないかと(僕も含め)多くのものが思ってた。それが無かったということで、当面メジャーデビューは考えてないと思われていたからだ。
ならば、中学校を卒業してから上京かと云うと、徳島県内の高校に進学するらしいという噂も出ていたから、しばらくは、徳島で活動を続けていくんだと考えていたファンも多いと思う。

そもそも、彼女が「POLU」のボーカルにこだわっている限りは、メジャーデビューは有り得ない。
というのも、バンド活動をするのであれば、稼ぎのほとんどを事務所にピンハネされるメジャーデビューなど割に合わないからだ。「POLU」にとっては、今のように、いろいろなイベントに呼んでもらって、CDやグッズを物販で手売りしているのが、最も良いのである。今時、インディーズで活動していて、メジャーデビューを目標にしてるバンドなんてほとんど無いという。
今の「POLU」は、自分たちで好きなように楽曲を作って、コンスタントにライブ活動をして、「エキサマ」とか「モンバス」のような大型フェスにも呼んでもらえてるわけで、他のバンドからすれば羨むような存在なのだ。
                                         
だから、彼女がメジャーデビューすると云うことは、「POLU」から卒業することに他ならない。この発言を受けて、一番ショックを受けているのは、「POLU」の他のメンバーかもしれない。もちろん、純奈さんの将来を誰よりも考えている彼らだから、そうなったときは、気持ち良く送り出してくれることだろう。

丸山純奈さんがメジャーデビューすることの利点は、良いプロデューサーさんについてもらって、良い楽曲をもらって、有名になれるということだろう。「POLU」では、彼女の魅力を生かすようなソングライティングができているとは、残念ながら思えない。
ただ、その場合、いろいろと細かく契約されて、年寄りが心配しているように、最低限の人権さえも保証されないような生活になるかもしれない。よく、事務所とタレントのブラック契約が話題になるが、事務所だって投資した分を回収しなければならない事情があるからだ。
だけど、事務所が彼女を預かったとして、バラードが得意な普通の中学生を、どんなふうに売っていくと云うのだろう。僕には、全然イメージがつかめない。

彼女のこれからのスケジュールを見ると、
品川で「小児ガンの啓発チャリティーライブ」。
鳴門でNHK「もっと四国音楽祭2018」(共演者は島津亜矢さん、Little Glee Monster)
熊本で「熊本地震復興支援ライブ」(共演者は一青窈さん)
といった感じだし、これに加えて「POLU」として、いくつかの大型音楽イベントにも呼ばれているわけだから、現状にナンの不足があるのかと考えてしまう。


彼女の、シンガーソングライターとしてメジャーになるという夢は、夢として追いかけて欲しい。だけど、家族と一緒に暮らし、徳島の人たちに可愛がってもらって、ときどき東京でライブしたり、歌番組に出演したり・・・っていう、今の状態が一番幸せに思えてくるわけで、「焦らんでええよ」という言葉には、それなりの説得力があるし、ファンにそういうことを云わせてしまうのが、彼女の魅力なんだと思う。


丸山純奈は、幸せな女の子なのだ。

2018年8月13日月曜日

8月13日は、左利きの日。 ということで(再掲)僕が左端を好む全く個人的な理由

 みんなで居酒屋に行くとする。テーブルに案内される。で、僕は、きまって左端の席をキープする。理由は簡単、僕は左利きだからだ。

 僕ぐらいの年代だと、左利きは矯正されることが多かった。だから、左利きと云いながらも、お箸は右で、なんて奴が多い。だけど僕は、日常生活のほとんど全てを左手で賄う、生粋の左利きである。
 昔は、左利きというのは、それだけで恥ずかしいことだったし、「ギッチョ」と云われて馬鹿にもされた。女の子だったら、お嫁に行けないなんて本気で思われていた。だから、親たちは必死で矯正した。利き手の矯正というのは、生易しいものではない。それを可能にしていたのは、「これじゃあ恥ずかしくって他人様の前に出られない」と云う世間体に対する危機感と、「我が子が虐められたら可哀相」と云う親心である。僕の親も、僕が幼いときに矯正しようとしたらしい。だけど、僕は、吃音(どもり)もあった。今でも、肝心なときに言葉が出てこない時がある。吃音の原因が利き手の矯正にあると考えた僕の親は、矯正を諦めたらしい。おかげで僕は、生粋の左利きとして育つことができた。

 僕が左手で仕事をしていると、周りの人たちは、「よくそれでできるね。」って言う。傍から見ると異な感じに見えるらしい。実は、それは僕も同じで、左利きの奴が何かをしているのを見ると、自分が左利きであるのにも関わらず、見ているだけでイライラしてくる。

 就職して間もなくの頃、ある研修会で、会議室の机をロの字に並べて、皆で食事をとっていたのだが、目の前に座っている女の子がどうも気になるのである。で、よくよく見たら、その子は左手で箸を持って弁当を食べていた。僕と同年代で、左手で箸を持つ女の子というのは、極めて珍しかったので、ついついジロジロと見てしまったことを覚えている。まあ、そういう僕も、左手で箸を持っていたわけだから、向こうもイライラしながらこっちを見ていたのかもしれない。
 でも、その時は、何となくその子が可愛く見えてきた。違和感が上手い具合にチャームポイントになったってことだろうか。

 最近は、堂々と左を使うタレントも多くなってきたように思う。自らが左利きであることをアピールするアイドルなんかもいるようだ。CMで云うと、小栗旬なんて左手で箸を持って美味しそうにお茶漬けを食べてるし、瀬戸朝香も左手でペンを持っている。

 左でペンを持つと云うと、歴代のアメリカ大統領が有名だ。僕は、ロナルド・レーガンが、何かの条約の調印式で、左手でサインをしているのを見て驚いた。あの年代の人が左で字を書くなんて、日本では有り得ないことだからだ。やっぱりアメリカは違うと感心したものだ。そしたら、次のパパ・ブッシュも左利きだった。次のクリントンもだ。息子のほうのブッシュは右利きだったけど、現大統領のオバマも左利きである。アメリカでは、過去5人の大統領のうち4人が左利きだということになる。
 もう少しさかのぼると、フォード大統領も左利きらしい。トランプは右利きだから、直近でいうと8人中5人が左利きになる。左利きの出現率は多くても10%程度だそうだから、異常なことではある。
 だからと云って、左利きには特殊な能力があって、大統領に向いているなんて学説は信じない。僕も、よく周りから、「左利きは器用だよね」なんて云われるけど、そんなことはない。左利きにだって器用な奴もいれば不器用な奴もいる。

 実は、僕は、字を書くことだけは、右手を使っていた。これだけは、矯正されていた。だから、僕は字を書くことが大嫌いだった。上手く書けてないその字を見るだけでもイヤだった。僕は、授業中も全くノートをとらなかったし、漢字の書き取りなんか絶対やらなかった。宿題で漢字を書くくらいなら、先生に叱られた方がマシだった。だから僕は今でも漢字が書けない。もしワープロという機械がなければ、僕は平仮名だらけの文章を書いているはずだ。
 ところが、大学2年のある日、僕は、何となくペンを左で持ってみた。で、何の気なしに字を書いた。そしたら書けたのである。今まで一度も左手で字なんか書いたことがなかったのに、普通に書けたのである。今でも、その時のことは鮮明に覚えてる。西洋思想史の講義を受けているときだった。以来、僕は、左手で字を書くようになった。
   
 よく、左で書くと鏡文字になるっていうが、必ずそうなるわけではない。鏡文字になるのは、字を手の動きとして覚えている奴で、字を形として覚えている奴は、どっちの手で書いても鏡になることは無い。
 ただ、人間の腕は、内側から外側へ動かす方が楽なようにできているので、左手で鏡文字にならず、尚且つ窮屈な思いをしないで字を書くには、ちょっとした工夫が要る。
 1つは、腕を前に出して手首を曲げて書く、いわゆる「引っかけ書き」と云うやり方だ。先日行った、家電のコジマのお兄ちゃんは、このやり方で契約書を書いていた。実は、オバマ大統領もこのやり方だから、どこの国でも左利きの考えることは同じらしい。
 もう1つは、紙を90度傾けて書くやり方である。僕は、こっち派だ。だけど、左手を使っていても、普通に書いている人も多いから、まあ、人それぞれということではある。

 世の中は、右利きに合わせてできているらしい。「らしい」というのは、生まれたときから左利きの自分にとっては、世の中とはこういうものだと思っているから、それを不便と感じることが難しいからだ。
 でも、駅の自動改札で、カードをタッチする時には腕がクロスするし、自動販売機にお金を入れる時も腕がクロスする。取っ手付きの急須や注ぎ口が付いているオタマとか、確かに右手で操作すれば使い易そうだが、だから直そうと云うことにはならない。試しに右でやってみたりするが、そっちの方がよっぽど上手くできないからだ。不便だからなんていう理由で直せるんだったら、世の中に左利きなんて、あっという間にいなくなる。

 腕時計をしている頃は、左手で竜頭を巻くために右腕にしていた。でも、右腕にすると何となく使いずらかったから、女性みたいに腕の内側にしていた。そうすると、左腕の外側から右腕の内側へ平行移動するかたちになって、しっくりきたからだ。でも、これはかなり特殊なつけ方だと思う。もう何年も生きているが、腕時計を右腕の内側につけている男性には、未だ出会ったことが無い。

 野球のグローブでは、親指を入れる穴の方へ、4本の指を突っ込んで使っていた。裁ちバサミもそうだ。ただ、ハサミは、それだけでは上手く切れない。左手にハサミを持つと紙の切断面が上の刃の影になってしまい、切りにくいからだ。だから、左利きは、ハサミの外側から切断面を見て切っている。
 今は、親切な世の中になったので、左利き用のハサミが売っている。僕も面白がって買ってくるのだが、外側から切断面を見る癖がついているので、上手く使えない。で、1回使っただけで、机の引き出しにしまうことになる。でも、何年かすると、そのことを忘れて、また買ってきてしまう。で、「あっ、そうだった」と気がつく。だから僕の机の引き出しには、1回しか使っていない左利き用のハサミが、いくつも入っている。
 パソコンのマウスのボタンも左利き用に設定できるのだが、かえって使いにくい。僕は、右クリックも左クリックも、どっちも左手の人差し指でやっている。共用のパソコンを使う時は、マウスを左側に引っ張って使っているので、次の人にすぐバレてしまう。

 定規で線を引くときは、0cmからでなく30cmの方から線を引く。12cmの線を引きたいときは、30cmから18cmのところまで引く。でも、「だから左利きは引き算が得意なんだね。」なんていう、おだてにのったりはしない。

 1つ1つ挙げていくとキリが無い。

 左利きは、裏返しの世界で生きている。子どもの時に「お箸を持つ方が右だよ」なんて教わっても、「えーっと、僕は左利きだから、それって、お箸を持っていない方のことなんだよね」って複雑な思考処理を要求され続けてきたので、左右に敏感になっている。トラウマになっている人も多いらしい。で、結果として、パニックを起こしやすい傾向がある。信じてもらえないかも知れないが、とっさに右と左が分からなくなってしまうのである。
 だから、車の助手席に座っていてナビをする時も、右折なのに左折って言ってしまったりする。家族は慣れたものなので、「あなたが左って言うってことは、右のことなんだよね」なんて勝手に修正してくる。こうなってくると、もう何が何だか分からない。だから、「こっち」って言って指で示している。まあ、最初からこうすれば良かっただけの話ではある。

 左利きに生まれて、「もしかしたら不便なのかも」って思ったことはあるが、「右利きに生まれたかった」と思ったことは一度もない。子どもの頃も「みんなと少し違う俺って、ちょっと格好いいかも」って思っていた。こういうのを「厨二病」というのだそうだ。そして、僕の厨二病は、未だに治っていないようだ。


 8月13日は、左利きの日だ。左利き用のグッズを世に広めようという意味があるらしい。確かに世の中は右利き中心にできている。それは仕方ない。全人口の1割にも満たない人のために、物を作るのは、コストがかかるし、僕みたいに左利き用のグッズなど逆に使えないという奴も多いからだ。産まれたときから、こういう世の中で生きているんだから、そんなことはたいしたことではないのである。

 最近は、タレントさんでも左利きをチャームポイントとしてアピールする人もいるから、左利きの地位が向上しているのは事実である。ただ、左利きのせいで辛い思いをした人が少なからずいるのも、やはり事実である。ドラムのスティックの持ち方が逆だからと云う理由で、吹奏楽のレギュラーを外されたと云う話を聞いた。昔の話では無い。
 左利き用のグッズでこの世を満たすことよりも、もっもともっと大切なことがあるのを分かって欲しい。

2018年8月9日木曜日

「丸山純奈」が京セラドームの野球しよるところで「君が代」を歌った話

「丸山純奈」さんが、8月7日に「京セラドーム大阪」で、国歌を独唱しました。

「京セラドームの野球しよる所で歌います」と云う告知があってから、ずっと楽しみにしていました。それから、京セラドームの野球をしない所では、ミニミニライブを開催したようです。

京セラドームでは、試合前の国歌独唱にゲストを呼ぶのが、恒例になっているようです。ネットで「京セラドーム国歌」って検索すると、一流アーティストからママさんコーラスまで、バラエティ豊かな「君が代」を聴くことが出来ます。毎回、歌ってくれる人を手配するだけでも大変かと思うのですけど、球団の営業努力には、頭が下がります。

ちなみに、京セラドームでは、可愛い子を呼ぶとオリックスが負ける、というジンクスがあるそうで、先月「川栄李奈」さんが始球式をしたときも負けたそうです。来週は「小島瑠璃子」さんを呼んでいるそうで、ファンからは既にあきらめの声も出ているようです。

今回の動画には、球場で録画したものと、CS放送を録画したものがあるのですが、球場で直接撮ったテイクのほうが、ドームでのエコーが程よくかかっていて、イイ感じに聴こえます。
あと、さすがに緊張していたようで、出だしの音を少し外してるのですけど、これも球場のエコーのおかげで、気にならないと云うこともあります。
ただ、お母様が録画したツイッター動画を見ると、声を出したときと球場に音が流れる時の時間差がもの凄くって、まるで「森のくまさん」みたいに聞えてきます。足元にモニタースピーカーがあるにしても、かなり歌い難かったと思います。

本人よりも緊張している、純奈ママさんが撮ってくださった動画です。リツイートの代わりに貼り付けさせていただきますね。

              本人よりも緊張している純奈ママさんの動画

これは、公式な動画として、YouTubeにもアップしていただきたいです。願いが届くといいのですが。

場内アナウンスで、POLUのボーカルとしてMステに出たこと(アナウンスでは、POLUのボーカルオーディションを勝ち抜いてウルトラFesに出たことになっているw)、音楽チャンプで優勝したこと、動画再生が1,000万回を越えたこと、配信デビューしたことを紹介してもらっているようです。


さて、いくつかあるなかで、こちらの動画をセレクトさせていただきました。理由は、周りの雑音が比較的聞えてこないからです。
日本は自由な国ですから、「君が代」で起立するとかしないとかは、時と場に応じて自分で決めれば良いことだと思うし、一緒に歌うのも、聴いているだけでも、好きにすれば良いんですけど、セレモニーなんですから、人が歌っている時にお喋りはNGでしょう。これは、国歌だからとかじゃなくって、どんな歌の時だってですよ。


僕は、もう少しヨソイキな感じで歌うのかなって思っていたんですけど、正に「純奈節」でしたね。全体的な印象としては、「Sing」のアカペラ部分と同じ歌い方だと思います。まあ、こういう歌い方しか出来ないとも云えますけど、堂々としたものです。

テンポが、かなりゆっくりめです。いくつかのツイッター動画を聞いてみたところ、一緒に斉唱しようとした人が(あまりの遅さに)途中で歌うのをやめたように思えるところがありますw
同じ中学生シンガーの「小出夏花」さんが、京セラドームで歌った「君が代」も同じような感じなので、この子たちの間では、ゆっくり歌うのがトレンドなのかもしれません。


「君が代は」の入りの所は、丁寧に歌っていて、14歳の女の子らしさも良く出ています。声楽系の方々は、もちろん上手なんですけど、こういう優しさと云うか、可愛らしさが無いんですよね。こればっかりは、どんな名歌手でも表現できないと思います。丸山純奈さんも大人になってしまうと、こういう歌い方は出来なくなるのかなあ、なんて考えてしまいました。

それから「千代に八千代に」の「や」のところで声を張り上げましたよね。ここは、張り上げずに歌うとか、裏声を使うと云う選択肢もあったと思いますが、彼女にとって一生懸命歌うというのは、こういうことなんでしょう。まあ、「純奈節」ってことだと思います。

「さざれ石の巌となりて」のところは、特に何もありませんですね。普通に歌っているだけに思います。「いーしーのー」のところも、あまり張り上げませんでしたね。でも、ここを「平凡」ではなく「素直」とか「透き通ってる」というふうに思ってもらえるのが彼女の強みで、こればっかりは、素敵な声に産んでくれた御両親に感謝するしかありません。

あと「さざれーいしのー」のところで、昔、音楽の先生に「さざれ石は一つの単語なので、一息で歌いなさい」って無理な注文をされたことを思い出しました。でも「いーしーのー」は高音を伸ばすところでしょ。頑張って歌うために息継ぎをしたくなるのは人の本能ですよ。僕ら、初音ミクじゃないんですから。
で、名歌手って云われている人たちのテイクを聴いてみると・・・ほとんどの人が息継ぎしてるじゃないですか。だから、悪いのは息継ぎをしていた僕らじゃ無くって、歌詞の意味を考えずに曲を書いた人だと思います。純奈さんも息継ぎしてますよね。

で、最後の「苔のむすまで」が良かったです。「むーすー」の「ー」で、初めて裏声を使いましたよね。これを地声で出そうとすると「う」を強く発音するので、「むす」が「むうす」になりますからね。良い選択だったと思います。しかも、この裏声が綺麗に出ましたからね。この裏声に97点って感じです。
ここだけ裏声を使うってのは、自分で考えたんでしょうか、誰かに教わったんでしょうか。

「君が代」のもっとも高い音のところで「張り上げる」「ストレートに出す」「裏声を使う」って、使い分けていて、使う順番も理にかなっていたと思います。

「君が代」は国歌ですから、堂々とか、荘厳にとか、神々しくとかありますけど、そういうのは声楽家さんに任せれば良いことだし、個性的にというのであれば、一流と云われているアーティストさんたちに頼めば良いことです。

彼女の「君が代」について、まるで「子守歌」のようだというコメントがありましたけど、全くその通りに思います。
「君が代」って、思想的な部分もあって、いろいろと面倒くさい歌なんですけど、そんな歌をどこまでも素直に、限りなく優しく、穏やかな子守歌のように歌ってしまうのが、14歳の「丸山純奈」の魅力なんだと思います。

で、この日の試合なんですけど、0-6でオリックスの完封負けとのことです。

2018年8月7日火曜日

ウォーターライン製作記⑬ ~巡洋艦「北上」と人間魚雷「回天」~

今年も8月15日が近づいて来た。戦後70年だった3年前と比べれば扱いは小さいだろうが、それでも6日の広島原爆投下から始まって15日の終戦の日まで、太平洋戦争関連の特集番組が数多く放送されることと思う。

で、最近のウォーターラインであるが、建造費がかさんできたことと、接着剤の匂いが家族に不評なため、思うように制作が進んでいない。が、終戦の日も近いことであるし、久し振りに投稿というわけである。

今回のテーマは「特攻」である。「特攻」については、作戦の意味や成果、実施された経緯など、それぞれの立場で、あまりにも多くの見解が述べられているが、まあ、自分なりのスタンスでまとめてみようと思う。


「特攻」と云うと、まず思い出されるのが「神風」に代表される航空機による特攻であろう。この航空機特攻の中心となったのは「ゼロ戦」であった。ゼロ戦は、「零式艦上戦闘機」という名前から分かるように、本来は航空母艦に搭載するための戦闘機である。ところが、戦争末期には、空母に離発着できる腕を持つパイロットなどいなくなってしまったし、新しいパイロットを訓練するための時間も物資も無かった。また、この頃の戦闘機に求められたのは、ゼロ戦のような長い航続距離を持つ軽戦闘機でなく、陸上の飛行場から飛び立って、B29などの爆撃機を迎撃する重戦闘機であった。そこで、型落ちとなったゼロ戦に訓練不足なパイロットを乗せ、250キロとか500キロ爆弾を搭載して特攻させたわけである。
ゼロ戦のような軽戦闘機に500キロもの爆弾を取り付ければ、飛んでいるだけで精一杯だから、結果は言わずものがなであろう。

ただ、航空機は特攻するために作られたわけではないから、此処で云う「特攻」とは、戦術のことである。(成功即ち死という攻撃を戦術と云えるかは別として)


それに対して、人間魚雷「回天」は特攻するために開発された兵器、すなわち特攻兵器である。同じような特攻兵器には、ベニヤ板製のモーターボート(といっても速力20ノット程度)に爆薬をとりつけた特攻艇「震洋」や、1200キロの徹甲弾にロケットエンジンと操縦席をとりつけたベニヤ板製の人間誘導爆弾「桜花」などがある。

人間誘導爆弾「桜花」は、特攻兵器としては、それなりに優れた性能を持っていたが、目標の敵艦の近くまで中型攻撃機「一式陸上攻撃機」で運ぶ必要があった。
「桜花」は、頭部に1.2トンもの爆薬を搭載しているので、兵器全体の重量は2トンを越える。一式陸功の設計上の搭載量は1トン程度だったから、こんな重たいものを胴体の下に抱えて飛ぶのは大きな負担だ。離陸できただけでも奇跡だと云う証言もある。
桜花による最初の作戦では、18機の一式陸攻が出撃したが、目標の艦隊にたどり着く前に、レーダー管制された米戦闘機隊によって全て撃墜されてしまった。一式陸攻の搭乗員は7名。大戦中、桜花の出撃は10回行われ、特攻で55名が命を落としたそうだが、母機の搭乗員の戦死者は365名にのぼったと云う。

米戦闘機のガンカメラの映像である。


為す術も無く撃墜される「一式陸功」を見ているのは辛いが、米戦闘機だって撃墜しなければ、もし、一機でも取り逃がせば、何百人という米兵が犠牲になったわけである。

桜花による最終的な戦果は、駆逐艦撃沈1、大破2、戦死者150名、負傷者197名とあった。特攻が、極めて非効率な作戦だったことは、よく語られるが、戦争末期において、未熟なパイロットの通常の攻撃では、この程度の戦果さえも期待できなかったわけで、軍部が特攻作戦に傾倒していった理由の1つになっている。
ただ、勝てないと分かっていれば、降伏するしかないはずで、何故そんな当たり前のことさえも判断できなくなってしまったのか、僕らが歴史から学ぶべきことはたくさんある。


さて、人間魚雷「回天」は、特攻兵器のなかでは知名度が高い。それは「人間魚雷」と云う、極めて非人道的なネーミングからくるインパクトも一因だと思う。

「回天」は、日本が誇った「九三式酸素魚雷」を改造して作られたものである。

「九三式酸素魚雷」は、駆逐艦などに搭載するために作られた高性能の大型魚雷である。日本海軍は、対米作戦において、駆逐艦隊による水雷戦を戦術の柱にしていた。しかし、実際に開戦すると、太平洋戦争は機動部隊による航空戦が中心となる。さらに、米軍のレーダー射撃が実用化されると、駆逐艦で敵戦艦に肉薄して魚雷攻撃を仕掛けるなどということは、完全に不可能となってしまった。

回天の最大のポイントは、大量の在庫になっていた酸素魚雷のエンジン部分をそのままま流用するというところにある。魚雷の推進装置の前に一人乗りのスペースを設け、操縦装置を取り付け、頭部に1.5トンの爆薬をつけたのである。回天は、全長14.7m、排水量8tというから、超小型の潜水艦のようにも思えるが、使い捨てであるから、やはり、魚雷というのが正しい。

回天の戦法は以下の通りである。
まず、搭乗員は、潜望鏡を使用して敵艦の位置・速力・進行方向を確認する。
そこから、進むべき方向や速度を設定し、命中するまでの時間を計算する。
そして、相手に見つけられないように潜望鏡を降ろし、時計を見ながら突入する。
命中予想時刻を過ぎても何も起こらなかった場合は、つまり外れたということだから、浮上して、もう一度やり直すという、目隠しをしてやるスイカ割りみたいなものである。

これを魚雷の内部という閉鎖空間で行うためには、桁外れの精神力と明晰な頭脳が必要である。だから、回天の搭乗員は、極めて優秀な若者でなければ務まらなかった。しかし、そんな若者こそ「生きて」国のために働くべきだったのは云うまでも無い。

回天の航続距離は、最大でも78km(それはそれで凄い)であるから、潜水艦で敵艦隊の近くまで運ぶ必要があった。当初は、太平洋の環礁に停泊している軍艦に対し、湾内に侵入して攻撃する作戦で、タンカー1隻を撃沈する戦果を上げた。しかし、米軍の警戒が強化されると、外洋を航行中の艦船を狙うことになったため、成功する可能性は、さらに低くなった。

 2017年8月23日に「潜水艦「伊58」と米巡洋艦「インディアナポリス」の悲劇」という記事を投稿させていただいたが、この時の「伊58」は、回天作戦中であったが、通常魚雷で攻撃している。


これは、橋本艦長が、特攻に批判的だったと云うわけではなく、通常魚雷の方が成功する確率が高いと判断したからにすぎない。橋本艦長は、他の作戦時には、回天を使った攻撃も選択している。

魚雷は発射されると、海面下10mあたりを進み、目標までの到達時間は最大でも10分程度である。回天の推進装置は魚雷の流用だから、回天は深度80m以上になると壊れてしまうし、長時間海中にあると故障してしまった。そのため、出撃を決定しても故障していて出られない回天も多かったと云う。

回天は、搭載している潜水艦にも行動の制約をもたらした。潜水艦は、敵に発見されると、海中深く潜行して、爆雷攻撃を回避するのだが、回天を壊さないために80m以上潜水することができなかったし、甲板に載せた回天によって、海中での操艦が難しくなったりしたからだ。回天は、搭載している潜水艦にとって、大きな足かせになっていたのだ。

回天による特攻で戦死した搭乗員は104名。作戦には16隻の潜水艦が従事したが、終戦までに8隻が失われ、乗組員の戦死者は812名とある。


戦局が進むにつれて、米艦隊は日本近海に現れるようになった。回天は、潜水艦からでなく、水上艦や海岸の基地から直接出撃する作戦に切り替わった。

この時、回天を搭載できるよう改装されたのが、軽巡洋艦「北上」であった。

軽巡洋艦「北上」は、大正10年に球磨型の3番艦として竣工したレトロな3本煙突の巡洋艦である。開戦時には、艦年齢も20年を越え、すでに老艦となっていたが、新型艦の建造は、戦艦や空母が優先されたため、現役の巡洋艦として水雷戦隊の旗艦などの任務についていた。


巡洋艦「北上」は、太平洋戦争の開戦直前に「重雷装艦」に改装された。これは、新兵器である酸素魚雷を最大限活用するため、主砲などを撤去する代わりに、4連装の魚雷発射管を10基搭載し、40本もの魚雷を発射できるようにしたものであった。
魚雷一本の炸薬量を500kgとして、合計すると20トンになるわけで、海に浮かぶ火薬庫みたいな艦である。ところが、太平洋戦争は機動部隊中心の戦いになったため、重雷装艦の活躍の場が訪れることは無かった。

戦局が厳しくなり、やがて、制空権、制海権が米軍に握られてくると、前線部隊への補給の問題が出てきた。低速の輸送船は、ことごとく撃沈され、ガダルカナル島などの前線部隊では餓死者が続出する事態になった。
「北上」は、魚雷発射管を降ろし、高速の輸送船として改装されることになった。夜、暗闇の中、高速を利用して物資を届ける任務である。
高速輸送艦となった「北上」は、ソロモン諸島やニューギニア方面で輸送任務に従事した。

その後、雷撃を受け、修理のために佐世保に戻ってきた「北上」であったが、特攻の機運が高まる中、今度は、開発されたばかりの特攻兵器「回天」の母艦としての改装を受けることになる。
これが、回天搭載型の巡洋艦「北上」である。



主砲や魚雷発射管は全て撤去され、もの凄い数の対空機銃が装備されている。対空機銃の増設により、「北上」の乗員は650人に膨れ上がっていた。
三連装の対空機銃1基について、指揮官や照準手、弾薬運びなど9人の兵士が配置されていた。彼らは、防弾盾も無い状態で米軍機と対峙していたのだ。米戦闘機グラマンF6Fは13ミリ機銃を6丁装備していて、5秒間に400発撃つことができたというから、戦闘機のパイロットが機銃のトリガーを1回引けば、彼らは全員戦死してしまうのだ。


「北上」は回天を8隻搭載することができて、航行しながら射出することもできたようである。主任務は、回天の輸送と訓練の支援であったが、攻撃任務も想定されていたようで、そうなれば撃沈は必至であり、数多くの戦死者を出していたことと思う。
                 
しかし、出撃の機会のないまま、昭和20年7月24日、呉軍港への空襲(「この世界の片隅に」にも描かれている)により「北上」は大破、航行不能になり、そのまま終戦を迎えることになる。

終戦後は、復員船支援の工作艦として使用された後、昭和21年10月、三菱重工業長崎造船所で解体、26年の艦歴を閉じた。

特攻というと、特攻隊員が取り上げられることが多いが、特攻を支援する任務についていた方々にも、特攻隊員を大きく上回る犠牲があったわけで。
桜花作戦で「特攻なんてぶっ壊してくれ」と言い残して飛び立っていった一式陸功の飛行隊長、回天に出撃命令を出したことで自暴自棄になった潜水艦の艦長、特攻にまつわる話は、全てが辛く悲しい。

2018年8月2日木曜日

AbemaTVにちょびっとだけ出演した「丸山純奈」が、地元の中学生にしか見えない話

ブログ記事が偏っていることは、重々承知でございますが、僕だけのせいではありませんからね。

さて、丸山純奈さんは、合唱団の合宿に参加とのことです。3日には「徳島 石井町納涼夏まつり」。7日には、「京セラドームで国歌独唱&ミニライブ」。お盆の頃には音楽フェスとかもあるし、受験生なので塾にも通っているとのことですから、充実した夏休みをお過ごしのようで、喜ばしい限りです。って云うか、合唱団まだ続けていたんですね。

で、天王洲アイルのライブの翌日、彼女がアメーバTV「bpm」に出演すると云うので、チェックさせていただきました。

「bpm」はEXILEのパフォーマーである「黒木啓司」氏がMCを務める音楽番組のようです。インターネットテレビですから、一週間以内なら自由に見られるのが便利ですね。バックナンバーを眺めましたら、なかなかの音楽番組のようです。NHKの「SONGS」をさらに硬派にしたような印象を受けました。バックナンバーの視聴は有料でしたから、あくまで想像ですけど。

今回は、先月の末に宮古島で開催され、丸山純奈さんも参加した「MIYAKO ISLAND ROCK FES’2018」のレポートを放送するみたいです。

宮古島フェスと云うと、純奈さんの写真は上がっているのですが、肝心の動画がありませんから、どんなライブだったのか分かりません。もしかしたら流れるのかなって期待しながら見たんですけど、インタビューだけで、ライブの様子は放送されませんでした。残念です。

出演時間は1分間だけでしたけど、その前のフェス飯のレポート中に、遠くで流れてた彼女の歌声を、ファンの皆さんなら聞き逃しませんよね。

「沖縄やきそば」の食レポ中に「I LOVE YOU」が、「鶏の唐揚げ」の食レポ時には「ドラマ」が聞えていました。
どうやら、セットリストとしては、沖縄のイオンモールでのライブと同じだったと推測できます。

さて、ここから何が分かるかというと、番組では、当初「丸山純奈」さんを取材する予定が無かったということです。つまり、フェス飯の取材中に、サブステージで歌う彼女の声が聞えてきて、「今歌ってる子、誰?」みたいなことになって、急遽取材を、ということになったと思われます。

「聞えてきた歌声の正体は、この子」という流れで、インタビューが始まりましたけど、インタビュー時の「純奈」さんの素人感が凄かったですね。まあ、衣装が制服だったってこともありますけど、どう見ても地元の中学生でしたよ。


ちなみに。この制服は、彼女の学校の夏服ではありませんね。ホントの制服は、ポロシャツっぽいのだと思います。たぶん、中学生を強調すべく、セーラー服タイプの夏服を衣装に選んだのでしょう。

で、あんなところで、「ちょっと歌ってください」との無茶振り。いくら相手が子どもだからって、扱いが雑すぎです。半人前とはいえ、フェスの正式な出演者ですからね。ちゃんとステージで歌っているところを放送してあげれば良いのにって思いましたよ。

「sing」のアカペラを披露したんですけど、デキとしては30点くらいでしょうか。まあ、どんなところでも、どんな状況でも歌い切るのがプロでしょうから、これも神が与えた試練だったとしておきましょう。

「黒木啓司」氏が、アカペラでちょびっと歌った彼女に「妖精のようですね」なんてわざとらしく云ってましたけど、僕は、フェス飯の取材中に聞えてきた彼女の「島唄」に対して、「うまい」って呟いた彼の一言が最高の賛辞だったように思います。

「黒木啓司」氏が「ドラマ」でも「I Love You」でもなく「島唄」に反応したってところが、ポイントですね。やっぱり、人は、知っている歌には敏感に反応するんだと思います。

「松浦亜弥は、歌が上手いんだよ」なんて云っても、なかなか信じてもらえなかったときに、カバー曲を聴いてもらって、納得してもらったことを思い出しました。
知っている歌ならば「イイね」とか「イマイチ」とか思ってくれて、関心を持ってくれるわけで、そんなところからも、カバー曲というものが、世間にアピールするためには、大切なんだなと思います。

ですから、彼女の「島唄」のテイクをYouTubeで広く公開すべきなんですよね。「号泣必至!徳島の中学生が歌う島唄がヤバ過ぎる」とかファイル名を付ければ、結構、再生されると思うんですけどねえ。
                                 
次回のお楽しみは、京セラドームの「君が代」でしょうか。カバー曲としては、これほど知名度(?)のある歌は無いでしょうから。参戦予定のファンの皆様、是非とも動画アップ願いますよ。ファイル名は、「妖精降臨!徳島の中学生が歌う君が代がヤバ過ぎる」で如何でしょうか。

国歌独唱には、「声楽家系」「アーティスト系」それから「普通に歌っただけ系」などいろいろありますが、おそらく「少年少女合唱団系」になると・・・・・だから合宿行ったとか?

お終いに、何も無いのもナンですから、夏服姿のテイクを貼り付けさせていただきましょうか。今から2年前、中学1年生12歳の純奈さんです。


こんな感じで「君が代」歌って欲しいです。

2018年8月1日水曜日

橘家に4人目の家族が誕生したらしい

今日は、芸能ニュースが次々と入ってきます。
最近、ブログのネタが、だいぶ偏ってましたので、嬉しい限りです。

松浦亜弥さんが、第二子をご出産とのことです。
予想よりも早いお誕生でしたね。
慶太氏がインスタグラムで発表とのことですが、
家族4人の手の写真を公開されていました。

「チビあやや」ちゃんの時は、お名前とか誕生日が発表されずに、女の子ということだけでしたけど、
今回は、お誕生日は分かりますけど、男の子か女の子かが分かりません。
男のお子さんであれば「チビけいた」君と呼ばさせていただくのですが。

手だけの写真を公開とは、なかなかのセンス、さすがです。
家族愛とか、絆とか、団結とか、伝わってきます。
もちろん、無事に産まれたと云うことも。
「インスタ映え大賞:家族の部:審査員特別賞」をさしあげたいと思います。

で、その「手」なんですけど、一番下が慶太氏なんでしょうか。
男性にしては、優しい手をしていらっしゃいます。

ちなみに、僕も「女の子の手みたいだね」ってよく言われます。
・・・・どうでも、良いことでした。

家族が増えましたって、つぶやくだけでも良かったのに、
手だけとはいえ、インスタで写真を出してくるとは思いませんでした。
「チビあやや」ちゃんの頃とは、何かが変わってきているのを感じます。

まあ、深読みするのは、野暮なことですね。
純粋に、家族が増えた喜びを、ファンと分かち合いたかったのだと思います。

しかし、この写真、どちらの発案なんでしょう。
できれば、教えていただきたいです。

特別賞を差し上げる都合もありますんでね。