2017年8月23日水曜日

【緊急投稿】 潜水艦「伊58」と米巡洋艦「インディアナポリス」の悲劇 ~ウォーターライン製作記・番外編~

 僕は、「伊58」のプラモデルも「インディアナポリス」も製作してないのですが、この2隻に関するニュースが相次いで飛び込んできましたので、番外編として投稿させていただくことにしました。

 まずは、米巡洋艦「インディアナポリス」について、8月21日付の新聞記事からです。

「米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が率いる探査チームは19日、太平洋戦争末期に旧日本軍の潜水艦に撃沈された米軍の重巡洋艦インディアナポリスの残骸の一部をフィリピン沖の水深5,500メートルの海底で発見したと発表した。」


 ポール・アレン氏は、戦艦「武蔵」を発見したことでも話題になりましたが、沈没船の探査が趣味だというのですから、世界有数の大富豪がやることはスケールが違います。

 次に、潜水艦「伊58」について、5月25日の公開記事です。

「海中ロボット研究の第一人者である東京大学の浦環名誉教授らのグループは、長崎沖の海底で終戦直後にアメリカ軍によって処分された旧日本海軍の潜水艦を発見した。曳航式のサイドスキャンソナーで撮影された画像には、ほぼ垂直にそびえる潜水艦が写っている。艦首とみられる部分の高さは約60メートルで、大きさから「伊58」またはその同型艦であると推測されるとのこと。」
 
 で、再調査の資金を集めるためのクラウドファンディングを行ったところ、目標としていた500万円が集まったので、8月22日から再調査を行っているそうです。映像は、ニコニコ動画で生中継をするとのことでした。22日のNHKのニュースでも紹介されていましたが、確認は未だのようですね。
 ポール・アレン氏との資金力の違いはともかくとして、マイクロソフト&ニコニコ動画という組み合わせが何ともです。

 ウォーターラインシリーズでは、「伊58」も「インディアナポリス」もタミヤの製品になります。過去に40周年記念限定モデルとして、この2隻をセットで売り出したこともあったようです。今回の出来事を機会に再び、と考えるところですが、まあ、フットワークが軽くないところがタミヤですからねえ。

 日本の潜水艦「伊58」は、終戦の1年前、1944年9月に竣工した巡潜乙型(航続距離が長く偵察任務を主とした)潜水艦です。物資が窮乏する中での建造のため、スペック通りの性能は出せなかったようですが、それでもレーダーなどを備えた最新型の潜水艦でした。しかし、すでに戦争は特攻戦が中心の時期、「伊58」は人間魚雷「回天」を使用する作戦に従事するようになります。

 
 「伊58」は、終戦間近の7月、回天を搭載して4度目の出撃をしました。そして、29日深夜、グァム島とレイテ島を結ぶ航路上で、速力十数ノット、単艦で航行中の大型軍艦と遭遇します。橋本艦長は、「回天」でなく通常魚雷での攻撃を選択、右60度、距離1500mという絶好のポジションより魚雷を6本発射、そのうち3本が命中します。
 「伊58」が浮上したときには、艦影は無く、撃沈と判断し海域を離脱します。沈めた艦が巡洋艦「インディアナポリス」であったことを知るのは、終戦後のことでした。
 その後、「伊58」は、終戦を知らせる電報を洋上で受け取り、8月17日に呉に入港。橋本艦長は、そのまま海軍にとどまり、復員輸送船の艦長となります。


 アメリカの重巡洋艦「インディアナポリス」は、アメリカ海軍第5艦隊の旗艦を務めた有名な軍艦でした。第5艦隊は、空母18隻、戦艦12隻、航空機300機などからなる大艦隊でしたから、巡洋艦を旗艦とするには、スペース的にムリがありましたが、司令官スプールアンスは同行する参謀の数を減らしてでも、「インディアナポリス」を旗艦とすることにこだわりました。少数精鋭主義を実現すべく、参謀を減らす口実とするために旗艦にしたとも云われています。幕僚は32人いたそうですが、それでも第3艦隊の半分だったそうです。

 1945年3月31日、「インディアナポリス」は、沖縄上陸戦を支援中に特攻機の攻撃を受け損傷、旗艦の任を解かれ、サンフランシスコで修理を受けることになります。スプールアンスは、修理が終わったら、インディアナポリスを再び旗艦にすることを希望していたそうですから、よほどお気に入りの軍艦だったようです。


 修理がほぼ完了した7月16日、インディアナポリスは、極秘の荷物を積んでサンフランシスコを単艦で出港、テニアン島へ向かう命令を受けます。荷物は、後に広島へ投下された原子爆弾(部品)でした。積み荷については、乗組員はもちろん、マクベイ艦長にも知らされてなかったと云われています。

 7月26日、無事任務を完了したインディアナポリスは、テニアン島を出発、グアム島を経てレイテ島へと向かう途中で「伊58」の雷撃を受けることになります。
 3本の魚雷を受けたインディアナポリスは、弾薬庫が誘爆し、SOSを打電するものの、まもなく電気系統が停止し、雷撃から12分で沈んでしまいます。

 この事件は、2016年に「パシフィック・ウォー」という題名で、ニコラス・ケイジ主演により映画化されています。


 インディアナポリスに特攻したのは、「零戦」でなく「隼」で、当たったのは船尾だったそうです。まあ、他にもいろいろとツッコミどころはありますが、話が逸れてしまいますのでやめときます。

 乗員1,200名のうち、沈没時の戦死者は約300名、約900名が海上に投げ出されたと云われています。

 一方、海軍の各基地では、SOSを受診するものの、すぐに途絶えてしまったため、発信者や位置が不明のまま時間だけが過ぎていきました。
 インディアナポリスの任務が極秘であったために行動が知らされず、サンフランシスコにあるものだと思われていたこと、駆逐艦の護衛も無く単独での航海であったこと、(任務終了後のはずなのに)グァム島からレイテ島に向かっていることが通達されていなかったことなどが、発見を遅らせた理由とされています。
 また、グァムの基地は海軍、レイテ島は陸軍の管轄であったため、意思の疎通について何らかの問題(ニミッツとマッカーサーが日本攻撃の主導権を争っていて司令部間の相互連絡が全然取れていなかったなど)があったのではないかとも云われています。

 撃沈から3日たって、飛行艇が漂流者を偶然発見したことで、インディアナポリスの遭難が明らかになります。救助が完了したのは沈没から5日後、その間に900名いた生存者の3分の2が亡くなり、生きて帰ることができた者は、艦長を含めて316名だけでした。
 漂流者の主な死因は衰弱死でしたが、鮫に襲われた者も少なくなかったと云われています。また、鮫が襲ってきたことでパニック状態になり、多くの兵が衰弱を早めてしまったとも云われています。この「鮫に襲われて亡くなってしまった」という話は誇張され、インディアナポリスの悲劇としてアメリカ国民に伝わっていきました。

 制空権も制海権も完全にアメリカが握っていた海域で、何故このような事態になったのか、戦後、アメリカ国民の批判を受ける形で、異例の軍事裁判が開かれました。

 原因は、明らかでした。1つは、原爆を運ぶという極秘任務についていたこと、もう1つは、人為的ミスによる連絡不備でした。ところが裁判は思わぬ方向へと進んで行きます。裁かれたのは、救助の遅れではなく、沈没の責任でした。適切な行動をとらなかったことで魚雷攻撃を受けたとされ、マクベイ艦長が起訴されたのです。
 戦時下で、艦長が撃沈の責任を追求されるなどと云うことは異例のことです。アメリカは、第2次世界大戦で、夥しい数(700隻とも)の艦船を喪失していますが、沈没の責任の追及を受けたのはマクベイ艦長だけでした。
 さらに、海軍は、証人として「伊58」の橋本艦長を召喚します。自国の指揮官の責任を追及するために、敵国の指揮官を証人に立てるなど、これもまた前代未聞の出来事でした。

 予告編の動画の敬礼の場面になります。二人が直接対面したとは考え難いのですが、感動の場面ではあります。

 橋本艦長は、予備尋問で、「あの状況であれば、魚雷回避は不可能であった」との証言をしますが、これは海軍の求めていたものではありませんでした。橋本艦長は本裁判では証言をする機会を与えられなかったといいます。

 判決は「有罪」。しかし、海軍上層部(第5艦隊の関係者か)の嘆願により裁判は突然中止になり、マクベイ艦長は海軍に復帰することになります。「有罪」ではあるが「お咎め無し」となったのは、海軍としても責任を彼に負わせれば、それで十分だったのでしょう。
 しかし、有罪となったことで、彼は乗組員の遺族などからのバッシングを受けることになりました。度重なる非難を受けて、彼は1968年にピストル自殺をしてしまいます。

 自殺から8年後の1975年、1つの映画が封切られます。題名は「ジョーズ」。映画に登場する漁師は、「元インディアナポリスの乗組員で過去のおぞましい体験によって、鮫に強い恨みを持つようになった」という人物設定でした。(そうだったんだ)
 「鮫」=「インディアナポリス」というイメージが、いかに深くアメリカ人に刻み込まれていたのかが分かります。
 この映画を見てインディアナポリスの事件に強い関心を持った少年がいました。当時12才のハンター・スッコトは自由研究にこのテーマを選び、過去の裁判記録や元乗組員の証言を調べます。そして、この裁判が明らかな誤審であったことを確信します。彼の活動は、少しずつ広がり、やがて橋本艦長の予備尋問の証言が再発見されるなどして、マクベイ元艦長の名誉回復運動が始まりました。
 日本のマスコミからこのことを知らされた橋本元艦長は、名誉回復運動に名前を連ねるようになります。

 2000年、アメリカ議会は、マクベイ元艦長の名誉回復を議決します。インディアナポリスの撃沈から55年後のことでした。

 艦を沈められた乗組員が悲惨な運命をたどるのは、珍しいことではありません。日本海軍など乗組員全員戦死という艦はいくらでもあります。
 ただ、インディアナポリスが原爆を運搬していたことが、この悲劇を引き起こしたのは確かです。インディアナポリスが極秘任務に就いていなければ、単艦で行動することもなく、撃沈されたとしても速やかに救助活動が行われてたはずだからです。
 しかし、原爆投下を正当化しなければならないアメリカ政府にとって、悲劇の原因が原爆運搬にあるとは、何が何でも認めるわけにはいきませんでした。

 漂流中に命を落としたインディアナポリスの乗組員たち、彼らもまた、原爆の犠牲者と云えるのかもしれません。

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