2019年5月5日日曜日

奈良「興福寺」北円堂と御朱印ブーム (No.321、No.31)

平成が終わり、令和が始まりました。で、折角の10連休ということで、性懲りも無く奈良へ行ってきました。
4ヶ月ぶりの奈良になります。奈良公園前で長らく工事中だったバスターミナルが完成していました。2階は広々としたガラス張りのスペース、スタバも入ってたりして気持ちの良いところになってましたよ。
奈良公園は中国語だらけですけど、困るほどではありません。中国人は必ず「鹿せんべい」を買うので、煎餅の売り上げはアップしたようですけど、鹿は食傷気味と聞きました。
奈良町や餅飯殿は、県内の有名店が移転してきたり、支店を出したりと、ますます賑やかです。ちょっと歩いて高畑方面へ行けば、静かに散策もできます。こだわりの古民家カフェとか、お洒落なセレクトショップとか、競争も厳しいみたいで、お店の入れ替わりもありましたけど、外国人観光客に媚びきれない不器用さと、都会に成りきれない品の良さが、奈良の魅力であります。

今回も相変わらずのノープラン旅行です。奈良町へ向かうために興福寺を通り抜けようとしたら、御朱印をいただくための行列ができてたんですよね。

年号も変ったことですし、久し振りに御朱印をいただくことにしました。行列は50人ほど。4人で書いていましたから、それほど待つこともないだろうと並んだんですけど、結局30分以上待ちました。考えてみれば、1つ1つ手書きですからね。明治神宮で、平成最後の日の御朱印が10時間待ちだってワイドショーで云ってましたけど、何千人も押し寄せれば、10人がかりで書いたとしても、そのくらいの時間はかかるってことでしょう。


令和元年5月1日付けでいただきました。通算321筆目の御朱印です。1つ300円として、御朱印代だけで10万円くらい費やしたことになります。

この日は、北円堂が開扉中でしたので、そちらにもお参りさせていただきました。前回は仏像ブームの頃でしたから、入堂待ちの行列があったと思います。そのかわりに御朱印の行列なんてありませんでしたけどね。

興福寺北円堂と云えば、何と云っても、古代インドに実在したとされる兄弟の僧侶、無著菩薩と世親菩薩の立像が有名です。鎌倉時代に運慶の工房で制作されたと云われております。



仏像というのは仏様ですから、その姿形は経典に書かれています。ですから、足がやたら甲高であったり、指が異様に長かったり、腕がのっぺりとしていて筋肉や血管が表現されてなかったりします。西洋人からすれば、人体観察もろくに出来ていない稚拙な像ということになるんですけど、そもそも仏像は人間ではありませんから、不自然なのは当然のことであります。逆に、仏像が超リアルな人間の姿をしていたら、心穏やかに拝めなくなってしまうでしょう。

ところが、無著・世親は菩薩とはいえ僧侶ですから、制作者は仏像の儀軌から解放されます。人間の像としてのリアルさを思う存分表現できるわけで、オレ達だってやればできるんだぜって云わんばかりの超リアルな人体表現が、この立像の魅力となっています。

無著・世親像は、一対として造られていますが、その人物表現は対照的です。

無著は温厚な眼差しで遠くを見つめる老年の像。世親は鋭い目で悲しみに耐えているかのような壮年の像です。後ろから見るとよく分かりますが、世親の方が背中たっぷりの体格をしております。鎌倉時代の仏師が優れているのは、両像の体格の違いが、袈裟の上からも分かるように表現できているところです。恰幅の良い人物が袈裟を着たときと、それほどでもない人物が着たときでは、シワのできかたとかも違うわけで、そういったところがちゃんと彫り分けられているんですよね。

写真映りが良いのは無著さんの方ですので、よくポスターなんかに使われます。ただ、実物を見たときに、引き込まれるような迫力を感じるのは世親さんの方に思いました。

北円堂の御朱印は、別の場所でいただくことになってて、こちらも行列ができていました。さすがに2回並ぶ気分には、なれませんでしたから、スルーさせていただきました。まあ、北円堂さんの御朱印は、前回いただいてることですし。

こちらがその時の御朱印です。


興福寺みたいな大きな寺院では、御朱印を書く人って10人以上はいると思います。当然、個性とか癖とか上手下手がありますから、どんな字を書いていただけるかも、ご縁であり、ちょっとしたスリルであります。
これは、僕がいただいた300あまりの御朱印の中でも最高の1つになります。これを書いてくれたおじさんは、太筆1本で途中で墨を継ぎ足すこともなく、一気に書き上げてくれました。興福寺を訪れる度に、もう一度、このおじさんに書いていただこうって思ってたんですけど、なかなか巡り会えないまま、10年たってしまいました。もう引退されたかもしれませんね。

ここ2、3年は御朱印ブームということで、神社や寺院の御朱印所で行列ができているのをよく見かけます。刀剣女子とか神社女子などが、ブームの火付け役だったようです。

本来、御朱印というのは、お寺さんのモノで、神社では御朱印の無いところも多く、あっても印だけの簡素なモノが多かったように思います。禅宗や浄土真宗では御朱印そのものが無かったり、真面目なお寺さんだと納経しない人には書かないなんて云われたりもしました。仏像巡りで、御朱印をいただけますかってお願いしたら、有るにはあるけど書いたこと無いって、住職にパニクられたこともありました。御朱印代を納めようとしたら、ウチはそういうところじゃ無いからって、受け取ってもらえなかったり(そういう時はラッキーと思わずに、相当額をお賽銭箱に入れましょう)、印はそこに置いてあるから自分で押してと云われたりとか。
それが、一筆書くだけで300円ですからね。今では、何処でも御朱印を受け付けるようになりました。若い子が喜びそうなデザインの御朱印を書いてくれるところもあるようです。

御朱印集めは、お守りを買って机の引き出しに仕舞いっぱなしにするよりも、ずっと記念になるし、御朱印帳を見返していると、お参りしたときのことをいろいろと思い出せますから、悪い趣味ではないと思います。

ところが、最近、御朱印をいただく側のマナーの悪さが指摘され、御朱印はスタンプラリーとは違うみたいなことが話題になっています。正しい御朱印のいただき方みたいなネット記事もたくさんあります。まあ、そんなことはブームになる前から散々言われてきたことで、御朱印集めは、お守りを買うよりも関わりが濃くなるので、いろいろなことが起きます。僕も、書いているところをちゃんと見ていろとか、スリッパの脱ぎ方が悪いとか怒られましたけど、それも徳を積むための修行みたいなものです。

現代は、お金を払う=お客さん=偉いって風潮があって、トラブルもそういう意識からきているように思います。御朱印代は、サービスを得るための対価じゃなくって、志納であり、喜捨であり、御利益を得るための寄付です。納経所で千円札を出して、お釣りを渡そうとしたお寺さんに、お納めくださいなんて云ってた人を見ましたけど、本来はそういうものなんですよね。(真似できない僕は100円玉を大量に準備してました)

ぶっちゃけ、御朱印集めは、若干マナーにうるさいスタンプラリーだと思います。マナーを守ることに心地よさを感じるスタンプラリーでいいと思います。だって、違う違うって騒ぐのも、それはそれでスタンプラリーに失礼ですからね。

今回も、御朱印をもらって直ぐに写真を撮って、SNSに上げている女性が何人かいました。朱印帳を掲げ、背景に五重塔とかを入れて写真を撮っているようです。きっとたくさんの「イイね」が貰えることでしょう。

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