2022年9月17日土曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その8 ~「修禅寺」「指月殿」「安達盛長墓」「源範頼墓」~

「修善寺温泉」は、平安時代前期に開湯された、伊豆で最も歴史ある温泉である。昔、冷たい川の水で病気の父親の体を洗っているのを見た旅の僧侶(実は弘法大師)が、独鈷で岩を突いたところ、岩が割れ温泉が湧き出てきたのが、修善寺温泉の始まりらしい。


修善寺は、大同年間に空海によって創建された「修禅寺」の門前、桂川に沿ってひらけた温泉街である。隣町には、同じように古い歴史をもつ「伊豆長岡温泉」がある。皇室御用達の超高級旅館「三養荘」が有名だが、僕らのイメージは、伊豆長岡は忘年会でハメをはずして、温泉まんじゅうを買って帰るところである。


一方、修善寺温泉は、伊豆の小京都とよばれ、文人墨客に愛された落ち着いた佇まいの温泉である。この違いは、やはり修禅寺の存在が大きい。鎌倉時代の修禅寺は大変広大で、現在の温泉街も寺域の一部に過ぎなかったそうだ。この地が範頼や頼家の幽閉先に選ばれたのも、修禅寺の存在と無縁ではないと思う。

こちらが以前、1200年の伝統を誇る修禅寺でいただいた御朱印である。今までたくさんの御朱印をいただいてきたが、このシュールさは五本の指に入る。

こちらが修善寺温泉のシンボル「独鈷の湯」である。以前は入浴できたが、(但し、道路からは丸見え)現在は見学だけで、足湯も禁止とのことである。桂川の中なので洪水によって流失してしまうこともあり、台風が接近する度に、東屋を解体していたらしい。2004年の台風では、土砂に埋没してしまった。この時は、修善寺の温泉街も大きな被害を受けた。桂川が氾濫したのは、独鈷の湯で川の流れが妨げられたからとされ、近くの公園に移設する話がでたそうだ。温泉街を守るために独鈷の湯を撤去するってことだが、独鈷の湯あっての修善寺温泉なわけで、当然のことながら反対運動が起きた。で、解決策として、19m下流の川幅の広い場所に岩ごと引きずって移動することになった。独鈷の湯の源泉は既に枯れていて引き湯をしていたそうだから、モニュメントとしては、これでOKなんだろう。せっかく来たのに入浴できなくて残念という観光客の書き込みを見るが、草津温泉の湯畑だって入浴してる奴はいないし、すぐ近くには、足湯も日帰り温泉施設もあるから良しとしていただこう。

「指月殿」は、独鈷の湯からすぐ、桂川の右側の斜面を登った所にある。1203年(建仁3年)に「北条政子」が、頼家の菩提を弔うために建立したという伊豆最古の建築物だそうだ。鎌倉時代の建築物ならば国宝指定されてもおかしくないのだが、市の指定文化財で留まっているのは、修繕されている部分が多いのだろう。

安置されているのは釈迦如来坐像で、こちらは県の指定文化財である。檜の寄木造りで、像高203cmという堂々としたお釈迦様だ。鎌倉時代の作とのことであるが、重要文化財に指定されないのは、やはり後補の部分が多いと云うことだろうか。

以前は、両脇に等身大の仁王像が置かれていたのだが、こちらは最近、修禅寺の山門に移された。平安時代作とされているが、文化財の指定は無いようだ。仁王像は野外の過酷な環境にあるから、何度も修繕されていることが多い。結果としてオリジナルの部分が少なくなってしまい、文化財の指定が受けられなくなる。ただ、この像は、後補の部分が多いとしても、ユーモラスで藤原時代の仁王像っぽさは十分に感じることができる。修禅寺の山門に移った仁王像は、ガラス窓で囲まれていて、風雨からは守られるようになった。ただ、修禅寺を訪れた人たちは、そのまま門を通り抜けてしまうので、指月殿に居たときの方が、存在感が何倍もあったように思う。

指月殿の左には「源頼家」の墓がある。正面の大きな石碑は五百年忌に建てられた供養塔で、その裏に隠れている小さな塔が墓なんだそうだ。三基ある五輪塔の真ん中が頼家で、両側が若狭局(ドラマでは「せつ」)と「一幡」といわれているが、正面からは供養塔しか見えないから、誰だってこれが墓だと思うだろう。本当の墓を見るためには、ぐるりと回り込まなくてはならず、写真を撮るために墓域に入ってしまう人もいるそうだ。何故、このような配置にしたのかは謎である。

指月殿は、北条政子が頼家の冥福を祈って寄進した経堂である。さらに政子は、七回忌には重要文化財に指定されている「大日如来座像」を造らせている。頼家は北条氏によって暗殺されたが、供養を蔑ろにされていたわけではない。そう考えると、供養塔の裏側にある五輪塔は、頼家の墓としては不自然なほどに小さい。まあ、全成の墓も実朝の墓も小さかったから、鎌倉時代は大きな墓石を造らない時代であったのかもしれない。

境内には、頼家に殉じた13人の家臣の墓もある。彼らは、頼家暗殺の6日後に謀反を企てるも、北条義時が派遣した金窪行親に討ち取られたとある。家臣だけで謀反など起こせるわけはないから、攻められて致し方なく反抗したのであろう。もともと墓は別の場所(頼家が幽閉されていた庵の跡地)にあったそうだが、2004年の台風による土石流で埋没してしまい、ここに移設されたらしい。右側の古い3基が本来の供養塔で、他は土石流によって失われてしまったとのことである。

こちらは、ネットで見つけた、移設前の貴重な写真である。

大河ドラマでの頼家は、伝えられてきた人物像が、上手い具合にデフォルメされていて良かったし、「金子大地」君の好演が光っていた。伊豆では、悲劇の武将「源頼家」の好感度は高い。二代目鎌倉殿として尊敬と憧れの存在であったのだろう。

「安達藤九郎盛長」の墓は、修禅寺の左の脇道を登りつめたところにある。伝安達盛長墓というのは、全国にいくつかあるらしいが、藤九郎は、頼朝が亡くなった後、出家して修善寺で隠居したと伝わっていて、それが、墓がこの地にある理由だ。

頼朝は14才で伊豆に配流されたが、その時の最大の援助者が「比企の尼」である。藤九郎は比企の尼の娘婿で、尼の命で頼朝の従者になったようだ。頼朝より12才年上で、佐殿の人脈の形成から女性の調達まで、流人時代を支えた唯一の家臣である。旗挙げの際には、坂東の豪族への根回しに帆走し、鎌倉殿の13人に名を連ねる宿老となったが、生涯無位無官であったと云う。自身の出世よりも、頼朝の従者の勤めに徹した一生だったのだろう。安達氏が御家人の筆頭として勢力を伸ばすのは、5代執権「北条時頼」の時代からである。

「野添義弘」さんが演じた安達盛長は、癒やし系キャラで人気も高かった。今回の大河ドラマでは、定説とされている人物像にアレンジを加えることが多いようだが、藤九郎に関しては、こうあって欲しいというキャラクターで描かれていて嬉しい限りである。

今、配られている観光マップには藤九郎の墓が紹介されているが、少し前に設置された案内板には、頼家と範頼の墓は載っているが、藤九郎の墓は記載されて無い。大河ドラマのおかげで、安達盛長も世間に知られるようになり、墓を訪ねる者も見られるようになったとのことである。


「源範頼」の墓は、藤九郎の墓の近く、温泉街を見下ろす丘にある。「正岡子規」は修善寺を訪れた時に「此の里に かなしきものの 二つあり 範頼の墓と頼家の墓」と詠み、「夏目漱石」は「範頼の 墓濡るゝらん 秋の雨」という句を残しているそうだ。和歌のことはよく分からないが、有名な人の作なので、きっと名歌なのだろう。立派な墓石は、昭和7年に、日本画家「安田靫彦」のデザインにより建立されたとあるから、子規らは、この墓石を詠んだわけではない。


お墓の周りは、小さな公園のようになっていて、立派な案内板も立っている。明治までは、ここに八幡宮と称された小さな祠があり、範頼の墓として密かに祀られていたらしい。つまり、この地が範頼の墓だと公にされたのは、明治以降ということになる。謀反人であるがゆえに、幕府を憚って偽祭したとのことであるが、鎌倉時代が終わった後も、偽祭されつづけたのは気の毒な話である。
実は、範頼は、修善寺に幽閉された記録は残っているが、暗殺されたという確かな証拠は無いそうだ。範頼が落ちのびたとされる地は、全国各地に伝わっている。


墓苑のすぐ隣に古民家カフェがあるので、お庭を眺めながら抹茶白玉あずきをいただこう。縁側には、範頼を演じた「迫田孝也」さんの色紙が置かれていた。日付がドラマが始まる1年も前だったので、配役が決まったときにお参りにきたのだろう。源平合戦では、名将である義経と凡将な範頼というように、二人は対照的な人物として描かれてきた。大河ドラマでも変わりはないのであるが、義経をサイコパス的に描いているために、蒲殿がとても良い奴になっていて面白かった。範頼は、歴史の教科書に出てくる有名人であるにもかかわらず、大変地味な存在なので、ドラマが始まる前までは、カフェを訪れる人はいても、墓を訪れる人はほとんどいなかったらしい。


小さな庭だが、手入れは行き届き、伊豆の山並みが借景になっていて、のんびりと素敵な時間を過ごすことができる。明治時代の建物そのままということでエアコンは無いが、蚊取り線香の匂いと風鈴の音、吹き抜ける風が心地よく、散策のゴールにするには至高の場所である。ただし、不定休であるので、ここまで来て休業日だったときのダメージは計り知れない。

2022年9月4日日曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その7 ~「阿野全成」と沼津「大泉寺」「興国寺城跡」

「阿野全成」は、源頼朝の異母弟、義経の同母兄である僧侶・武将です。

平治の乱で源義朝が敗れたとき、側室の常磐御前は「今若」「乙若」「牛若」の3人の男子を連れて逃げましたが、都に残った母が捕らえられたことを知り、清盛の元に出頭したと伝えられています。助命された3人の子のうち、鞍馬寺に預けられた「牛若丸」が、やがて「源義経」となって源平合戦で活躍したのは有名な話ですが、その兄たちについては大河ドラマが始まってから知った次第です。

醍醐寺に預けられた「今若」は、やがて「全成」と名乗り、寺を抜けだし、打倒平家の兵を挙げた頼朝と合流しました。全成は範頼や義経のように戦で活躍することもなく、吾妻鏡にもほとんど記述が無いとのことですから、大河ドラマの全成は、三谷幸喜氏の創作部分が多いと云えましょう。

全成は、頼朝から、駿河国阿野荘(静岡県沼津市)を与えられ、阿野氏を名乗るようになりました。阿野荘は、沼津市から富士市にまたがる愛鷹山の南麓一帯で、ここには浮島沼という大きな湿地帯がありました。江戸時代の「東海道」は、浮島沼の南側、駿河湾沿いを通っていますが、それ以前の人たちは、沼の北側、愛鷹山の山裾を通る「根方街道」を使っていたようです。根方街道(県道22号線)は、トラックやバスとのすれ違いに苦労するような狭い道ですが、街道沿いには、城跡や大きな前方後円墳、古い寺院や神社が点在していて、由緒ある道であることが分かります。

街道沿いにある「興国寺城」跡です、戦国時代初期の城で、続日本百名城に選ばれたそうです。宅地や茶畑になっていたのを、何十年もかけて発掘整備しました。戦国大名「北条早雲」の居城として地元では有名なところで、僕も子どもの頃から知ってましたけど訪れたのは初めてです。

北に向かって、三の丸、二の丸、本丸と階段状になっていて、本丸は高い土塁で囲まれています。

土塁の上には、石垣で囲まれた天守台があって、その北側は深い空堀になっていました。写真では分かりにくいかと思いますが、かなりの急斜面です。

城の正面から南に真っ直ぐ延びている道を「矢通り」と云います。湿地帯を抜けて根方街道と東海道をつなぐ道で、昔「阿野全成」と「阿野時元」親子が弓の稽古をした故事から名付けられたそうです。大河ドラマ紀行でも紹介されてましたね。(僕は、興国寺城があったからだと教わった記憶がありましたけど・・・)

矢通りは、昭和の頃までは、本当に何も無い田んぼの中の一本道でしたが、今では道幅も広がって、マックスバリュやCoCo壱などの郊外型店舗が並んでいる、まあ、どこにもありそうな通りになっています。


さて、全成ゆかりの寺院「大泉寺」は、興国寺城から街道を西に1kmほど行ったところにあります。街道と寺域の間には、大きな土塁があります。大泉寺は阿野氏の館だったところで、土塁は、その名残りとのことでした。

大泉寺は、素敵な御朱印を授けてくださるので、マニアの間では有名なお寺さんであります。阿野全成が大河ドラマに登場してから、拝観者も多く訪れるようになりました。ご住職が大変アクティブな方で、イベントも多く企画されているようです。

門を入ると、線香を2本取るように云われました。1本はご本尊さんに、もう1本は全成さんのお墓に供えます。案内役の僧侶から、全成さんの話を聞きながらの墓参りです。拝観者が増えたので、お手伝いに来ているとのことでした。

本堂に入ると、先代の老住職が待っていて、観音さんのお話をしてくださいました。ご本尊の聖観音立像は、寺伝では運慶作となっています。北条時政や和田義盛も運慶に造仏してもらってますし、当初像であれば時代的にも合ってますけど、お寺さんも半信半疑と云ったところでしょうか。近くから拝観というわけにはいきませんでしたけど、像高1mほどの金ピカな観音さんでしたよ。ちゃんと調査すれば何か出てくるかもしれません。

阿野全成を演じられた「新納慎也」さんの写真や色紙が飾られていました。3回ほど訪れているそうで、7月に沼津で「鎌倉殿の13人」のトークショーがあったときには、「実衣」役の「宮澤エマ」さんと一緒に来寺されたそうです。

御朱印です。1つ500円で、2ページ分ですから1000円でした。今まで頂いた338体の御朱印の中で最高額です。ご本尊さんのだけで良かったんですけど、成り行きで2つお願いすることになってしまいました。まあ、いろいろと案内していただきましたから、拝観料の代わりと思って納めてきました。ご住職は、消しゴムはんこが特技ということで、御朱印として押してくださいます。本堂にもいろいろと展示されてましたよ。

全成が誅殺されたとき、嫡男「阿野時元」は北条氏の助命嘆願によって連座を免れました。その16年後には源実朝」が暗殺されます。時元は鎌倉殿の座を狙って兵を挙げますが、北条義時が派遣した「金窪行親に討ち取られてしまいました。もはや、北条氏にとって源氏の血統は邪魔な存在だったのでしょう。子孫は、その後も阿野荘を治めていたようで、南北朝までは記録が残っているそうですが、やがて勢力を失っていったとありました。

全成には、京の「藤原公佐」に嫁いだ娘がいて、その系統は阿野荘の一部を相続して阿野氏を名乗るようになりました。「後醍醐天皇」の寵愛を受けた「阿野廉子」はその末裔にあたるそうです。阿野廉子は知っていましたけど、阿野全成の子孫とは知りませんでした。北条氏を滅ぼした後醍醐天皇とこんなところでつながっていたとは驚きです。阿野廉子は後村上天皇の母ですから、全成も自分の子孫が天皇になるとは思ってもいなかったことでしょう。

富士山の手前の山が愛鷹山で、その麓が阿野荘があったところです。

室町時代になると、この地は今川領となりました。今川氏親から興国寺城を与えられた北条早雲こと「伊勢新九郎」は、この城を足がかりとして伊豆を平定し、戦国大名「後北条氏」の祖となりました。早雲が攻め滅ぼした「茶々丸」の館は北条時政邸の跡地にあり、早雲が居城とした韮山城は蛭が小島のすぐ近くにあります。鎌倉時代も、関東における戦国時代も、全く同じ場所から始まったのです。

伊勢氏が、縁も所縁も無いはずの「北条」を名乗るようになった理由は、諸説あってはっきりしません。現代では、鎌倉幕府の執権「北条氏」というと陰謀を張り巡すダークなイメージがありますが、戦国時代においては、相模国守護職として、あやかりたくなるブランド名だったのでしょう。

2022年8月25日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その6 ~「三嶋大社」と頼朝公旗挙げ行列~

三嶋大社の夏祭り「三嶋大祭り」が、3年ぶりに開催されました。大社の夏祭りは、毎年、曜日関係無しの8月15・16・17日の三日間。今年は平日開催となりましたが、天気に恵まれたこともあって、のべ57万人が集まったそうです。

「源頼朝」が打倒平家の兵を挙げたのは、治承4年(1180年)8月17日。これは、その日が三嶋明神の祭りで、山木館の警固が手薄になるのを狙ったからとされています。つまり、800年以上経った現代でも、ずっと同じ日に祭りをやっているわけです。凄いですよね。

大河ドラマでは、江間次郎が八重姫を祭りに誘う場面もありました。江間からだと往復18kmですから、昔の人の足って強いですね。ちなみに、山木判官「平兼隆」の館までは、片道たったの3kmですから、急を知った兼隆の郎党が、三島から慌てて戻ったとしても、間に合わなかったでしょう。


さて、三嶋大祭りの最大の呼び物といえば「しゃぎり」であります。戦国時代から続くという伝統行事で、旧市内の町内会が、それぞれ山車を持ち、大人も子供もしゃぎりをします。夏が近づくと市内のあちらこちらから、しゃぎりの練習の音が聞えてきます。未就学児も摺鐘を持って、わけもわからずチャンチキします。子どもの時に仕込まれますから、大抵の三島市民は「しゃぎり」ができます。

6年毎に回ってくる当番町の年は、特に気合いが入ります。どの町内にも、この日のために生きているみたいなオジさんがいます。夜になると、当番町の山車が大社の門前に集まって「競り合い」を始めます。競り合いは、相手のしゃぎりを自分たちのリズムに巻き込めば勝ちというルールなので、門前は極度のカオスになります。

大社前の通りは歩行者天国になっていて、「農兵節」とか「三島サンバ」とかのパレードが連日行われます。流鏑馬や手筒花火もあります。大社の夏祭りは、神様が喜ぶことならば、何でもアリの市民参加型の祭りです。三島市民は郷土愛が強く、街おこしのイベントが盛んで、何をやっても取りあえず盛り上がります。これは、しゃぎりの存在が大きいと云えましょう。


その中でも多くの人が集まる催し物が、頼朝公旗挙げ行列です。三嶋明神の祭りの日(8月17日)に旗挙げをした故事にちなんで、戦後すぐに始まったそうです。でも、なぜか行列は17日ではなく、中日の16日に行われます。30年程前から頼朝役にタレントさんを呼ぶようになって、夏が近づくと、今年は誰が頼朝をやるのかが話題になります。最近来ていただいたタレントさんで印象に残っているのは、「柳沢慎吾さん」「神保 悟志さん」「筧利夫さん」「木下ほうかさん」「滝藤賢一さん」でしょうか。

それが、今年は、NHK大河ドラマで源頼朝を演じた「大泉洋さん」が来るというではありませんか。しかも、ドラマと同じ衣装をNHKが貸してくれるとのこと。さらに「野添義弘さん」「迫田孝也さん」「高岸宏之さん」まで呼ぶとあれば、見に行くしかありません。

後ろの方から、少しだけでもと思って出かけてきました。すでに通りには、人垣が何重にもできています。出発の時刻は、とうに過ぎているはずですが、まだやってきません。SNSの情報によると、進んでは止まるの繰り返しで、時間がかかっているようです。

のぼり旗が見えてきました。頼朝様の降臨です。皆さんスマホで撮影しようと、一斉に手を伸ばし始めました。何かの宗教みたいですね。

これが僕の撮った写真です。ダメ元で出かけて、このくらい見られれば良しとしましょう。

続いて、源範頼役の「迫田孝也さん」が来ました。こちらは、ネットから拾った写真です。仁田忠常役の「ティモンディ高岸さん」は徒での登場です。長刀を持っています。コロナ禍ですから、声援なしとのことでしたけど、それは無理というものです。

あれ?安達盛長役の「野添義弘さん」がいません。で、騎馬武者が来たので、慌ててカメラを構えたら、北条時政に扮した三島市長でした・・・。さらに、東レのバレーボール選手や一般公募で選ばれた人たちによる武者行列が続きます。今年は、コロナ対策として行列を短くしたそうですけど、タレントさんを4人も呼んでるんですから、何の意味もありません。


結局、野添さんは見られず終いでした。家に帰ってから分かったのですが、徒で頼朝の馬を曳いていたようです。高岸さんは長身なので徒でも見られたんですけど、野添さんは完全に人垣に隠れてしまって分かりませんでした。最前列に陣取っていれば見られたかと思いますけど、炎天下の中、一時間以上も待つ気力と体力は、さすがにありませんでした。

おそらく、安達盛長と仁田忠常が馬に乗らなかったのは、史実に合わせたのではないかと・・・って、何で源範頼がいるんだ?

ドラマの名場面の再現でした。来年も同じメンバーでという意見が出ているそうですけど、納得です。その時は、野添さんも馬に乗っていただきたいですし、時政は市長でなく「坂東彌十郎さん」でお願いしたいです。

広小路で折り返してきたら、大泉さんがビデオを回してました。どこかの祭りでは、行列を撮影禁止にして大炎上してましたけど、ここでは互いに撮りっこです。ちなみに、記録映像や報道により、観衆が撮影されることは告知済みであります。

行列は、予定時間の倍近くかかって、無事終了しました。例年、頼朝行列はたくさんの見物人で賑わうのですが、今年は、平日にもかかわらず10万人集まったそうです。

大社の通りは旧東海道ですから、車道も歩道も広くはありませんし、テキ屋さんもありますから、これが限界でしょう。来年は「小栗旬さん」も、みたいな話もありますけど、とんでもないことになりそうですから、たとえ逆オファーがあったとしても、受けてはいけません。「片岡愛之助さん」や「小池栄子さん」もパニックになりそうですね。

僕の密かな願いは、いつの日か「加藤諒さん」に頼朝をやっていただくことです。静岡県出身だし、適任だと思うんだけどなぁ。

2022年8月4日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その5 ~「鎌倉国宝館」「大河ドラマ館」「寿福寺」「和田塚」~

かんなみ仏の里美術館の「阿弥陀三尊像」が、「鎌倉国宝館」の特別展(北条氏展)で公開されているとのことで、陣中見舞いに行ってきました。阿弥陀さんは、主賓扱いで中央のガラスケースに展示されていました。仏の里では見ることができない後ろ姿を拝観することができましたが、まあ、特に変わったところはなかったです。この阿弥陀さんは、鎌倉時代の慶派仏師「実慶」の作で、石橋山の合戦で討ち死にした「北条宗時」の墳墓堂に祀られていたという、北条氏所縁の仏像であります。

右手のケースには、修禅寺の大日如来像も飾られていました。こちらも実慶の作で、北条政子が2代将軍「源頼家」の7年忌に造らせたと云われています。実慶の大日如来は、運慶の大日如来と比べると腕の張りも控えめで、温和しい印象を受けます。像内からは、銘文と毛髪などの納入品が発見されて貴重な資料となっております。現存する実慶の仏像は4躯ですから、ここに全てが揃っていることになります。

詳しくは、過去ログ 

北条宗時と仏の里美術館の阿弥陀三尊像

今回の収穫は、鎌倉「光触寺」所蔵の重要文化財「頬焼阿弥陀」を拝観できたことです。光触寺は、拝観寺院ではありますが、10名以上の予約制という敷居の高さから、未拝観仏でありました。事前のチェックをしてなかったものですから、仏の里の阿弥陀さんと並んで展示されていたのは、嬉しいサプライズでした。

この阿弥陀さんは、「頬焼阿弥陀」の名で知られ、盗みの疑いをかけられた法師の身代わりになり頬に焼印が残ったという話が伝えられています。そう思って頬の辺りを見たのですが、漆のヒビ割れしか分かりませんでしたです。寺伝では、運慶作となっていますが、イメージ的には快慶の「安阿弥様」に近いように思います。鎌倉時代前期の作ということですから、慶派仏師の作であることは、間違いないかと思います。顔が小さくてスタイルが良いし、細かいところまで良く彫られている素敵な阿弥陀さんでしたよ。

さて、大河ドラマ館の入館料は1000円ですけど、ドラマ館のパンフレットを見せると国宝館の入館料が無料になります。あと、鎌倉歴史文化交流館も無料になりますから、ドラマ館の実質入館料は400円であります。ただ、先に国宝館に行ってしまうとドラマ館では返金してくれませんので、巡る順番に要注意であります。

鎌倉のドラマ館は、伊豆の国市のドラマ館の数倍はあろうかという規模でした。(伊豆の国が小さいんですけどね)展示物のメインは、衣装と小道具なんですが、文書類が面白かったですね。アシガールの時にも思ったんですけど、ドラマに登場する手紙などは、デタラメじゃなくって、ちゃんとそれらしいことが書かれているようです。和田義盛の手紙とか、義経の腰越状などが展示されていました。

鎌倉は、仏像巡りで何度も行きましたので、拝観可能な寺院はほとんどお参り済み。特に当てもないので、ノープランで歩き始めます。「寿福寺」は鎌倉五山第三位の寺院ですが、静かな佇まいのお寺さんです。裏山に、北条政子と源実朝の五輪塔があるそうですから行ってみましょう。

裏山一帯は墓地になっていて、檀家さんの多いお寺のようです。五輪塔は「やぐら」内にありましたが、控えめな感じ。檀家さんの墓石のほうがずっと立派です。誕生からお墓までということで、伊豆の国市にある「産湯の井戸」も貼り付けさせていただきます。

寿福寺は拝観寺院ではありませんが、御朱印は庫裡で受け付けているようです。納経済みかと思ってスルーしましたが、帰って調べてみましたら未だ頂いてませんでした。

今小路を下って「和田塚」を訪ねます。「和田義盛」と「北条義時」が争った「和田合戦」は、新田義貞の鎌倉攻めをのぞけば、鎌倉最大の市街戦でありまして、大河ドラマでどう描かれるのか今から楽しみであります。和田塚は、もともとは古墳だったそうですけど、明治時代に大量の人骨が発掘されたことにより、和田一族を葬ったところと推定されて、以後「和田塚」と呼ばれるようになったそうです。

住宅地にある小さな公園です。一番大きな石碑は忠魂碑か何かだったように思います。予想通り、何も無いところでした。何も無いところに佇んで思いを馳せるというのも、楽しみ方の1つなんですけど如何せん暑すぎます。江ノ電の線路際にある有名なあんみつ屋さんで涼んでいきましょう。

「和田合戦」は、通説では義時が義盛を挑発しまくって、反乱を起こさせたことになっていて、後世で義時が不人気であることの理由の1つであります。和田義盛は、今のところイメージ通りの描き方ですが、ブラック義時をどのように演出すのかも楽しみです。巴御前はどうなるんでしょうね。

2022年8月1日月曜日

可愛いだけじゃない。台湾チア「峮峮」(チュンチュン)は何故ヲタクを惹きつけるのか。

2019年に話題になった、台湾プロ野球のチアリーダーが、再びブームになっているらしい。先日、僕のスマホにもYouTubeからおすすめ動画が送られてきた。断っておくが、僕は普段から若い女の子の動画ばかりを見ているわけではないので、YouTubeのアルゴリズムが、なぜ台湾チアの動画を送りつけてきたのかは不明である。


台湾チアといえば、「峮峮(チュンチュン)」こと「呉函峮(ウー・ハンチュン)」さんであろう。彼女は、台湾のプロ野球チーム「中信兄弟(ブラザーズ)」のチアチーム「熱情姐妹(Passion Sisters)」に所属するチアリーダーで、現在32歳。台湾では、チアの人気は高くって、次々と可愛い子が出てくるそうだが、7月にSNSで行われた人気投票では、上位4人の中で得票率48%というぶっちぎりのトップだったそうだから、人気は健在のようだ。チアリーダーの他に、タレント活動も活発で、バラエティ番組にも出演しているらしい。「チュンチュン」とは、ずいぶん可愛い響きだが、台湾では峮の字を名前に使うのは珍しいとのことである。


台湾プロ野球は、現在5チームで運営されているが、過去には、野球賭博・八百長問題で大量の逮捕者を出したり、球団が無くなったりして、大変な時期もあったそうだ。そんな中で、各球団がイメージアップを図って導入したのがチアリーダーだったらしい。日本でチアリーダーというと、アクロバティックで、スタイルが良くって「ダンサー」のカテゴリーに入ると思うが、台湾では、いつでも会える身近なアイドルという存在のようだ。応援風景は、野外で開催された地下アイドルのライブって感じ。撮影OKだし、目が合えばレスポンスしてくれるし、ついでに野球観戦もできるという、ヲタクにとっては天国みたいなところである。日本のチアリーダーでは、ヲタクは怖じ気づいて、声もかけられないだろう。


お分かりかと思うが、センターで帽子をかぶっているのがチュンチュンである。応援スタイルは、学生野球や社会人野球に近いように思う。高校野球のチアでは、カメラ小僧とかが低いアングルから写真を撮ったりして、過去には、女の子が泣き出してしまうようなトラブルがあったが、台湾のチアはプロなので撮られることも仕事のうち。カメラを見つけるとポーズをとってファンサービスもぬかりない。

トランペット隊は、動画によって、生演奏の時と録音アンプの時がある。生演奏の時のトランペット隊は、バックネット裏の上の方にいるようだ。で、日本との大きな違いは、内野席の一塁側にも三塁側にもホームの応援団がいることだろう。だから、チアリーダーたちも両側のダグアウト上にいる。一方、ビジターの応援団は外野席という雑な扱いだから、アウェーの疎外感は此の上なく大きい。まあ、日本がビジタ-に優しすぎるんだろうけど。

チアは攻撃の時にダンスをして、守備の時は基本的に休憩。試合の前半と後半で場所を入れ替えるので、一塁側三塁側のどちらに座っても、差が無いようになっているらしい。彼女たちはビジターの試合には同行しないそうだから、「峮峮」に会いたければ、中信兄弟の本拠地「台中洲際棒球場」に行くしかないということになる。

チュンチュンは大学院卒で経営学の修士号をもつ、いわゆる高学歴タレントである。学生時代からタレント活動をしていたそうだが、大学院の進学時には、1年間活動を休止していたとあった。チアリーダーのオーディションを受けたのは、大学院卒業後の2016年だから、遅いスタートと云える。当時は、ダンスの経験も無く、野球のルールも知らなかったそうだ。2017年ころの動画がアップされているが、確かに、可愛いけれど、ダンスは上手とは云い難い。彼女が日本でバズったのは2019年で、そのころの動画が質的にも量的にも充実しているように思う。

チュンチュンは、チアとしては小柄である。彼女の魅力は、その小さな体をフルに使って踊るところにある。チアダンスは、誰でも真似できるような単純な動きの繰り返しだ。高いダンススキルは必要ないかわりに、魅せるのは難しい。あの振り付けで人を惹き付けられるのが、彼女の凄いところ。彼女の称号は「可愛すぎるチアリーダー」だが、それは「ダンスする姿が」という意味である。

僕は、「元気をもらう」という表現が、あまり好きでなかったけれど、チュンチュンには、この言葉が似合うし、この言葉しか思いつかない。チアリーダーの仕事は、応援すること。彼女の動画を見て、ヲタクが元気づけられるのは、彼女が天性のチアリーダーだからである。

実は、彼女は2年前に悲しい経験をしている。このことがなければ、つまり彼女が可愛いだけのチアリーダーであったなら、僕はこの記事を書くことはなかっただろう。

彼女は、2020年の6月に、台湾の人気タレント「小鬼」こと「黄鴻升」さんとの熱愛を報道された。小鬼さんがチュンチュンのマンションに14時間滞在していたというものだ。両方の事務所が「お友達宣言」を出したものの、彼女たちの仲は公然の秘密だったらしい。チュンチュンも当時30歳、結婚引退説も出ていたそうだ。

ところが、黄鴻升さんは、報道の3ヶ月後に自宅の浴室で転倒し亡くなってしまう。司法解剖の結果は、転倒したことによる急性心筋梗塞。その日の深夜、彼女はインスタグラムを更新し、彼に対する想いを綴った。

当然のことであるが、原文は中国語である。ネットにはいくつかの日本語訳が投稿されているので、引用させていただこう。


毎日 どうしてこんなに幸せなんだろうと思っていた。 

毎日 どうしてこんなに合う人に巡り会えたのだろうと思っていた。

毎日 あなたに出会えたことを天に感謝していた。

2人の時はいつも家で過ごしていたけど退屈でもなく、喧嘩もしないで楽しかった。それでもバレてしまったけど。あなたは私たちの関係を公表しない方がいいと思っていた。だから私たちは「良い友達」だった。

でも、私には、もうどうしようもなく辛すぎる。メディアやネット民がなんて書くか、気にしないなんて私にはできない。もう装うことはしたくない。ごめんなさい。約束を破ってしまって。

これまでずっと私を守ってくれて、可愛がってくれてありがとう。私がどんな要求をしても、無理難題でもあなたはしてくれた。どこに行っても、何をしていても、誰が居ても、いつも私に写真や動画を送ってくれた。仕事以外、シャワーを浴びてても寝ていても、いつも「秒」で返事をくれた。私を安心させるために。この一年半近くの間。ずっとそうだった。

でも昨夜、私はどうしてもあなたと連絡が取れなかった。これまではいつもあなたが私のところに来てくれた。携帯以外、私にはあなたと連絡を取る手段がなかった。自分が本当に無力だったことに気づいた。

二週間前、あなたは突然「僕たち、結婚しなくてもいいよね?」と言った。「どうして?」「結婚しなければ、この先何があっても君に迷惑は掛からない。君は白紙の状態で誰かと結婚できる。」と。

でも、黄鴻升 私はあなただけが必要だった…

人生 真的太難太難了…(人生って本当に難しい)


どうやら二人の交際は、小鬼さんがチュンチュンのマンションを訪ねるかたちで行われていて、チュンチュンは小鬼さんの自宅へ行くことはなかったようである。小鬼さんは、翌朝、彼を心配して訪ねてきた父親によって発見されている。

36歳という若さでの突然死ということ、直前に彼女に意味深長なことを話していたことなどから、自殺説も飛び交ったらしい。コロナ禍で、日本でも多くのタレントさんが将来の不安から自ら命を断っていた時期であるから、そのような噂が出てくるもの無理はないと思う。

彼女が、彼との約束を破って、交際を公表したことについては、「売名行為」という批判も受けたらしい。これに対してブチ切れたチュンチュンのコメントが、ネットに紹介されている。


誰も好き勝手に他人を批判すべきじゃない。あなたたちは私たちが歩んだ道を歩いたことはないし、私たちの生活も経験していない。もし、私のことを売名と思うなら、これ以上私にはつきまとわないで欲しい。

みんなそれぞれの考え方がある。言論の自由は、人を傷つけていいという意味ではない。


さらに、チュンチュンは、交際を明かした理由を「彼の最後を全部見送りたかったから」と説明した。

彼女は、3日間にわたって行われた「お別れの会」にすべて出席し、火葬、納骨にも「黄鴻升」さんの家族らと共に参列したらしい。納骨などは、日本でも台湾でも肉親だけで行うことだろうから、彼と彼女が公認の仲であったことが分かる。

確かに、「良い友達」が納骨にまで参列していたら、「何で?」ってなる。彼女は堂々と参列して、ちゃんとケジメをつけたかったのだろう。


チュンチュンは、2021年のシーズンも、2022年のシーズンもチアリーダーとして、ファンの前に立っている。2019年の笑顔と2022年の笑顔の間には、悲しい出来事があったわけだけど、チュンチュンはプロのチアリーダーとして、変わることなくずっと皆を応援してきたのだ。

台湾のプロ野球もコロナ禍で無観客試合になったりして大変だったようだ。先週末には、3年振りにオールスターゲームが開催されたらしい。動画には、ちょびっとしか観客がいない球場が写っていることがあるが、コロナによる入場制限下のことであり、決して台湾プロ野球の人気が無いわけではないとのことである。念のため。

2022年7月23日土曜日

黒島結菜 NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」 ~沖縄戦回想編~

相変わらず、ネットで酷評されている「ちむどんどん」ですが、視聴率は16%台を維持。番組視聴が生活サイクルに組み込まれている、岩盤視聴者層の存在が大きいとされています。

で、僕の実家の両親も、その岩盤視聴者であります。先日、話をする機会がありましたので、「今の朝ドラどう?」ってそれとなく聞いてみましたら、「前のほうが、面白かったかな。」「言いたいこと云って、それが通るってのもねぇ。」「でも、見てるよ。」という典型的な回答を得ました。「主演の女優どう思う?」って聞きたいところでしたけど、それは、止めときました。

そんな、笑えないコメディドラマ「ちむどんどん」ですけど、この一週間は別のドラマかと思えるような展開でした。僕の最大の不満は、「ちむどんどん」が沖縄復帰50年ドラマとされてるのに、全く沖縄を描かないというところにありましたから、この一週間は、これが見たかったんだよ~って感じで、ちゃんと視聴させていただきました。でも、回想シーンなんかじゃなくって、ちゃんと本編でやって欲しかったってのが、正直なところです。

最近のドラマは、伏線回収が話題になりますけど、潜伏期間の長い伏線ってどうなのかなって思います。母親が長男に甘すぎる伏線だって、今頃回収してどうなるものでもないし。遺骨収集だって、みんな知っていて兄弟だけが知らないなんてオカシイし。長編ドラマになるほど、時系列に沿って、丁寧に描いていくべきではないかと思いました。今回の沖縄戦回想編を半年間かけて描いていって、最終回のラストが、沖縄の美しい海辺での二人のキスシーンだったら良かったのに・・・。

NHKなんだから、「やればできる」と思うんだけどなぁ。

黒島結菜「よっちゃん」と沖縄戦

来週からは、いつものグダグダ展開が再開されそう。あと2ヶ月も残ってるんで、悪い予感が当たらないことを祈るばかりです。