2020年9月6日日曜日

黒島結菜「よっちゃん」と沖縄戦 ~NHK戦後75年特集「戦争童画集」より~

毎年、夏になると放送されるNHKの戦争関連ドラマ。昨年はフィリピンが舞台の「マンゴーの樹の下で」だったが、大がかりなロケが出来ないコロナ禍の今年は、2つの朗読劇と2つのミニドラマで構成されたオムニバス形式となった。

番組評では「長澤まさみ」さんの朗読劇が絶賛されていた。で、黒島結菜さんも、沖縄の(名前は知らないけど)若い女優さんのドラマも良かったと(ついでに)褒めていただいたのは、嬉しい限りである。

黒島さんの世間での知名度は、まだまだだなぁ~と思いつつも、純粋に演技で認められたというのは、それはそれで良かったと思う。で、これを機会に名前を覚えてもらって・・・とは簡単にいかないようだ。まあ、そんな感じで何年も過ぎてるように思う。

現代劇には「橋本環奈」さんも出演されていた。「家族全員で見られる平和の物語」ということでの出演だったのだろう。でも、僕的には、その枠で戦争の劇をもう1つやって欲しかった。彼女のファンだって、現代劇のいつもの環奈ちゃんでなく、戦争の劇を演じる環奈さんを見たかったんじゃないかなって思う。

「よっちゃん」は、「ひめゆり学徒として戦場に向かった二人の女性の苛酷な戦いと友情の物語」とある。この作品だけが野外ロケなので違和感があるが、沖縄戦で使用されたガマを使って撮影したらしい。わずか10分ほどのミニドラマに、これだけの労力をかけられるのは、さすがNHKである。

主演の「黒島結菜」さんは、沖縄の糸満出身で、ひめゆりの塔から車で10分くらいのところに実家があるそうだから、ひめゆり学徒隊員を演じるにあたっては、特別の思いがあったに違いない。


ひめゆり学徒隊については改めて語るまでもないだろうが、少しだけ。

僕が子どもの頃は、ひめゆり部隊って言ってた記憶がある。ひめゆり部隊を取り上げた読み物には、米兵に捕らえられることを恐れて集団自決した場面を描いているものが多いので、ひめゆり部隊=集団自決で全滅みたいな印象があったのだが、それは正しい認識では無い。学徒隊240人のうち、亡くなったのは136人。集団自決があったことは確かだが、多くは米軍の無差別攻撃によって命を落としたとされている。っていうか、混乱の中で証言できる者も少なく、命を落とした多くの隊員が何処でどのようにして亡くなったのか分からない、というのが正確なところなのである。

高等女学校の学徒隊は全部で9つ組織されたらしい。その中で、一番大きくて、もっとも有名なのが「ひめゆり学徒看護隊」だ。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と引率教師18名の240名で構成されていた学徒隊である。

彼女たちを動員する法的な根拠は、当時の日本にも無かった。だから、参加はあくまでも自由で、親の承諾書が必要だったらしい。参加の強制の程度も(校長の考え方によって)学校ごとに微妙に異なっていたそうだが、そんな中で、多くの女学生が親の猛反対を押し切って参加したのである。

師範学校では半強制だったそうだが、島袋さんの証言では、林間学校に行くような気軽な気持ちで、国のためになるのが嬉しかったとあった。歴史教科書では、強制的かどうかがよく議論になるが、思想教育による希望制と言うのは、強制より遥かに罪深い。

ひめゆり学徒は、沖縄守備軍(第32軍)が直轄する沖縄陸軍病院に配属される。実は、彼女たちは、軍属あつかいになるのだそうだ。戦争資料に、沖縄の守備兵力118,400名とあるが、この数字には、彼女たち学徒隊や、現地招集した年寄りや子どもたちで組織された防衛隊も含まれていて、正式に軍隊(ちゃんと武器を持ち訓練されている)と云えるのは、その半数ほど。これで、アメリカ陸軍 第7歩兵師団とか、海兵隊第1師団とかの正規軍と戦えというのだから、酷い話である。


ドラマの題名である「よっちゃん」は、「ひめゆり平和祈念資料館」の元館長「島袋淑子」さんの愛称であり、脚本は島袋さんの手記を元に書かれている。島袋さんは、当時、師範学校の3年生で17才だったそうだ。


アメリカ軍が沖縄本島に上陸したのは4月1日。投入された陸戦兵力は、初日だけで182,000名とあったから、あの有名なノルマンディー上陸作戦の規模を上回る。それに対して、沖縄防衛を担う第32軍は、米軍を島内に誘い込み持久戦を仕掛けた。日本軍もノルマンディーのドイツ軍のように水際で派手にドンパチやりたかったようだが、あまりの戦力差に変更せざるを得なかったのだ。

米軍の上陸兵力は正規軍の比率で日本軍の3倍。これに艦砲射撃や航空機攻撃で支援する海軍を含めると、戦力比は5倍以上になる。沖縄本島の攻略を一ヶ月と見積もっていた米軍であったが、日本軍は隆起珊瑚礁に陣地を構築して激しく抵抗し、最初の一ヶ月間は、ほぼ互角の戦いとなった。

しかし、5月4日・5日に敢行された日本軍の総攻撃が失敗に終わると、戦局は一気に米軍の優勢となり、第32軍は5月27日に首里の司令部を放棄し本島南部へ撤退する。そして、この撤退が沖縄戦のさらなる悲劇の原因となるのである。


物語は、黒島さん演じる「よっちゃん」と芋生悠さん演じる「大城さん」が、病院壕に派遣されたところから始まるが、これは32軍が南部に撤退した頃にあたる。

当時の高等女学校や師範学校は、学年によって髪型が指定されていたそうで、それによると、三つ編みのよっちゃんの方が、二つ分けの大城さんよりも上級生ということになるが、大城さんの方が落ち着いているので先輩に見えてしまう。まあ、これは時代考証がどうと云うよりも、二人の女優さんの髪の長さによるものだろう。


で、いきなり黒島さんがカメラ目線で語り出したので、焦ってしまった。どうやら、ドラマというよりも朗読劇に近い演出のようだ。と思ったのだが、ナレーターになって語ったりもする。だったら、ナレーションに統一してくれた方が、感情移入しやすかったように思う。

ドラマには、よっちゃんと大城さんと軍医しか出てこないし、傷病兵はソーシャルディスタンスを保って寝かされているから、どことなくのんびりした雰囲気だが、実際の壕は、もっと大規模で、大勢の負傷兵や看護者が、劣悪な環境で密になっていたはずだ。


沖縄戦で、命を落とした一般住民は94,000人。沖縄戦が始まったとき、主戦場は本島の中部であり、住民たちの多くは島の南部に避難していた。32軍には、首里の司令部に最後まで踏みとどまって戦い抜くという選択肢もあったし、司令部が陥落した時点で降伏していれば、これだけの悲劇にはならなかっただろう。
32軍が南部に撤退したことによって、軍と民は混在してしまった。鬼畜米英と教えられ、米軍の保護下に入ることを恐れた多くの住民が、軍と行動を共にして南部に移動したとも云われている。首里陥落以降の住民の死者は、46,000人以上と推定されている。

日本軍にも、住民を(既にアメリカの占領下にあった)北部へ移動させる計画があったらしい。また、米軍も住民を避難させるために一時休戦を提案しようとした形跡があるようだが、いずれも実現することはなかった。

すでに、地上戦はゲリラ戦の様相を呈していた。男子学徒は少年兵として徴用されていたし、住民に爆雷を持たせて突入させたり、住民の服を着て偽装した日本兵もいた。よっちゃんだって、自決用ではあるけれど、手榴弾を持っていた。手榴弾を2個渡されて、1つで米兵を殺し、もう1つで自決しろと指示されたという学徒の証言もある。もはや、軍と民の判別など不可能になっていたのだ。
圧倒的に優勢な米軍でも、戦死者は12,000人を越え、精神疾患に陥る兵士も続出していた。殺らなければ殺られるという恐怖と、戦友を失った憎悪心から、動くものは全て攻撃の対象となってしまったのである。


よっちゃんがいる伊原第一外科壕の入口に大きな爆弾が落とされたのが、6月17日。お腹をやられて水を欲しがる大城さんにガーゼに浸した水をあげるシーン、(証言では水をあげたのは別の先輩)大城さんが「天皇陛下万歳」と呟いて亡くなる場面は、思い出すたびに憤りを感じる。

翌18日、ひめゆり学徒隊に解散命令が出される。壕から追い出された学徒たちは、降り注ぐ砲弾の中を逃げ惑い、多くの犠牲者を出した。ひめゆり学徒隊の戦死者136名のうち、解散後に戦死したのは117名と、全体の8割を超えている。ただ、第三外科壕では、19日にガス弾などの攻撃を受け、壕の中にいた学徒46名のうち42名が犠牲になっているから、壕に留まっていれば安全だったというわけでは全然無い。


砲弾の破片で足を負傷し、もう逃げられないと考えたよっちゃんは、手榴弾で自決しようとする。安全ピンを口でくわえて引き抜くよっちゃん。(女優、黒島結菜の最大の見せ場だ)ところが、爆発する寸前に怖くなって手榴弾を投げ捨ててしまう。
生きると云うことの意味を考えさせられる場面である。爆雷を抱えて米戦車に体当たりした少年兵だって、足手まといになるからと青酸カリを飲んだ傷病兵だって、みんな本当は生きたかったはずだ。

6月26日、よっちゃんは米軍の捕虜となった。第32軍の司令官牛島中将は、この時すでに自決していた。日本軍の組織的な戦闘は、三日も前に終了していたのだ。


沖縄慰霊の日が6月23日なのは、牛島指令官が自決した日だからである。他に適当な日が無かったっていうのが、本当のところらしい。ところが、牛島司令官は自決前に各部隊に徹底抗戦を指示していた。そのため、23日以降も軍人や住民に多くの犠牲者が出ることになった。よっちゃんにとっても、沖縄戦は少なくとも26日までは続いていたのだ。23日に沖縄戦は終結なんてしてなかったし、そもそも軍人が自決した日を「慰霊の日」とすることに疑問を投げ掛ける人は多い。

降伏という選択肢の無い軍隊ほど惨めなものは無いし、そのような軍隊を持った国民ほど悲惨なものは無い。太平洋戦史を読むたびに、必ず行き着く結論である。

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