で、水上機とは、水上にて離着水できるように設計された航空機のことです。機体の下にフロートを持つ「下駄履き機」と呼ばれているタイプと、機体そのものが船のようになっている「飛行艇」があります。大型機は「飛行艇」が、小型のものは「下駄履き」が多いようです。
水上機というと、まず連想するのが、ジブリ映画の「紅の豚」ではないでしょうか。主人公の豚が乗っていたのが飛行艇、ライバル役のカーチスが乗っているのが下駄履き機になります。
小型の飛行艇は、プロペラが水面をたたいてしまわないように、翼の上にエンジンを取り付けていたようですね。下駄履き機は、普通の飛行機にフロートを付ければよいので、小型の水上機の場合は、こちらが主流だったようです。(大型機はフロートが巨大化して不向き)
それから、水上機と云うと、翼が2枚の複葉機を思い浮かべますが、丈夫な機体が作れるようになると、高速を出せる単葉機が主流になっていきます。
軍用の水上機は、偵察機として使われることが多かったのですが、アメリカ軍の対空レーダーが向上するにつれて、敵艦隊を発見する頃には、すでに迎撃の戦闘機が上がってきていることが多く、とにかく逃げ足の速い飛行機が熱望されたとのことでした。
中には、戦闘機に見つかったらフロートを切り離して身軽になって逃げる、なんていうのも開発されたそうです。って、フロート切り離しちゃったら、着水できないと思うんですけど・・・。
で、水上機の運用に一番熱心だったのが、日本海軍だったそうです。水上機は、飛行場が無くても運用できるので、太平洋の孤島などに飛行機を配備するときに便利ですからね。
特に中国大陸では多くの戦果をあげることができたようで、日中戦争の頃が水上機が一番活躍できた時代と云えます。そして、その水上機を整備したり、補給をしたりするための艦船が水上機母艦と云うわけです。
一方、アメリカは、水上機の開発については、それほど熱心ではなかったようです。彼らは、飛行場が必要とあれば、ブルドーザーとパワーシャベルであっという間に作ってしまいますからね。
さて、ウォーターラインの「千歳」は、アオシマの製品になります。こう云うマイナーな艦船は、アオシマの独壇場です。「千歳」を選んだ理由は、ちょっと変わった艦を作ってみたくなったからです。しかし、マイナーな艦とはいえ、船体は重巡洋艦並みですし、高角砲も備えていたりして、作りがいがありましたよ。
この艦の特徴は、4基あるクレーンだと思います。プラモデルを作っていても、クレーンを組み立てているときが一番楽しかったです。付属していた水上機は、4機だけでしたけど、せっかくですから、余っていた部品を全部使って、12機も載せてしまいましたw。
あと、このプラモデルを作るまで、複葉水上機の翼が折りたたみ式だってことを知りませんでした。
それから、もう1つの特徴は、機銃甲板と呼ばれた屋根です。艦上機の帰着甲板として実験的に設置されたとも、特殊潜航艇を積み込むときに必要であったとも云われています。
日本海軍は、偵察機以外にも、爆撃機タイプや戦闘機タイプなど、様々な水上機を投入しました。で、水上機の中で最も人気のあるのが、「零観(ぜろかん)」こと「零式(水上)観測機」ではないでしょうか。
一緒に写っている軍艦は、4本煙突ですから「川内型軽巡洋艦」のようです。動画で見られるとは思いませんでした。さすがYouTubeですね。
後半の勤労動員による航空機製造の様子なども興味深いです。熟練工を戦地に送っといて、女子供に飛行機を作らせているんですから、故障ばかりするのも当然です。アメリカのBー29 の製造風景と比べるまでもありません。
空襲が始まると、軍需工場は真っ先に標的にされました。爆撃だけでなく、戦闘機の機銃掃射で犠牲になった子も多いと言います。
700分の1だとこんな感じです。汎用部品で作った「零観」です。新金型だと翼の間の支柱やプロペラも部品に追加されます。精密になるのは良いことですが、ついでに、機体が2分割されたり、水平尾翼が別付けになったりするんですよね。そこは一体成形のままで良いと思うんですけど。
「零観」の人気の秘密は、何と云っても複葉機であることでしょう。飛行機ファンにとっては、複葉水上機というのは、特別な想いを持つようです。
この機体が投入された頃は、すでに単葉機の時代でしたが、飛行性能を重視してあえて複葉機としたそうです。複葉機といえど、機体は近代的なオール金属製、抜群の安定性と高い格闘性能を持ち、2人乗りで、最高速度は370km、7.7mm機銃3門と翼の下には60kg爆弾を2つ搭載可能とあります。
米戦闘機と空中戦を行って、P-38 ライトニングやF4F ワイルドキャット、さらには、零戦でも敵わなかったF6F ヘルキャットを撃墜したこともあるそうです。
ただ、こういったレアなケースにすがりつき、「零観」を護衛の戦闘機として運用した結果、多くの犠牲が生まれてしまった事実も忘れてはいけませんね。
昔、読んだ漫画に「零観」が登場する話があったんですけど、松本零士氏の短編集『戦場まんがシリーズ』の一編「亡霊戦士」だと云うことが分かりました。
南太平洋の孤島に拠点を築き、たった1人で戦い続ける水上機乗りの話です。確か、少年兵が迷い込んできて、まあ、いろいろとあるんですけど、アメリカ軍の潜水艦を撃沈したり、F6Fを撃墜したりというストーリーでした。空戦では、深追いしてきたグラマンが海面に激突する場面での「あんな重い戦闘機で軽快な二枚バネに挑戦するとああなるのである」というセリフが格好良かったですね。
そういえば、島の洞窟に水上機を隠しているところが「紅の豚」のシーンにそっくりなんですけど・・・・まあ、偶然でしょうね。
水上機母艦として、中国戦線や南太平洋で補給や支援任務に就いていた「千歳」でしたが、ミッドウェー海戦で航空母艦4隻を失ったことをうけて、空母への改装が決定します。「千歳」は、空母への改装も考慮して設計されていたそうですけど、改装には8ヶ月ほどかかっています。
水上機母艦の「千歳」です。
航空母艦の「千歳」です。面影残ってますか?
航空母艦「千歳」が竣工するまでの8ヶ月間で、戦況は大きく変わっていました。優秀な搭乗員は失われ、パイロットの技量は著しく低下し、もはや空母があっても機動部隊を運用できるような状況ではありませんでした。
航空戦力をかき集めて臨んだマリアナ沖海戦で、「千歳」から飛び立っていった艦載機たちは、レーダーと航空管制を用いた米軍の防空システムによって壊滅しました。4ヶ月後のレイテ沖海戦では、わずかな艦載機と共に参戦しましたが、それは米機動部隊を引きつけるための囮にすぎませんでした。米空母艦載機の攻撃により、3本の魚雷と多数の至近弾を受けて撃沈、艦長以下903名が戦死。空母に改装してから10ヶ月後のことでした。
戦争後半になると「零観」は、船団護衛や対潜哨戒などが任務の中心となり、一部は、練習機としても使用されたそうです。
戦争末期になると、「零観」は250kg爆弾をくくり付けて、特攻機として使われるようになりました。重い爆弾を抱えた「零観」は飛行するだけで精一杯で、出撃しても簡単に撃墜され、米艦隊に近づくことすらできなかったと云います。
無謀に無謀を重ねた作戦でした。「零観」の特攻攻撃による戦果は分かりません。
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